娘優香が手話で弁論大会



優香が弁論した原稿は、次の通りです。

『聞こえない世界から聞こえてきたこと』

私の両親は耳が聞こえません。
私は幼い頃から両親からは手話を教えてもらって手話で話し聞こえるひととは音声で会話しています。
両親は私が赤ちゃんの頃から手話サークルやろう者が集まる教会によくつれていってくれていたので聞こえる人とも聞こえない人とも楽しく交流を深め、両親の聴覚障害についても自然に受け止めていました。
ところが成長し、保育園や小学校で聞こえる人との生活が多くなるにつれ私は聞こえない両親を恥ずかしくおもうようになり、自分の置かれている境遇に不満を感じるようになりました。
【ほかの友達はお母さんと楽しくお喋り出来るのになんでうちは出来ないの?】
【周りの人がジロジロみるから家の外では手話で話したくない】
【お母さんが大きくて変な声をだすから恥ずかしい!一緒に外出したくない!】
などと、平気で両親にひどい言葉をぶつけることもありました。
ある時、手話教室で父が手話の講師をすることになりました。私は母とその手話教室に見学にいきました。すると、そこには聞こえる人たちに堂々と手話を教えてる父がいました。
【お父さんかっこいいね!】
【手話の教え方上手だね!】
【手話ができるゆうかちゃんも凄いよ!】
なんて周りの人たちからほめられ私はとても嬉しくなりました。そして少しだけ父と母への想いが変わって来ました。
その後も手話サークルでたくさんの聞こえる人たちや聞こえない人たちと出会い、交流していくなかで、わたしの両親を恥ずかしく思う気持ちは薄れていきました。逆に父と母が手話サークルの仲間達と一緒にボランティアやスポーツに明るく取り組む姿は、私の自慢となりました!
さらに、わたしから散々反発されていたにも関わらずこの当時の母は小学生の私を守るため、PTAの役員に立候補したのです!母の話では一番上の兄が小学生の頃、子育てで悩んでいた時も耳が聞こえないということで周りのお母さんたちとうまくコミュニケーションがとれず、誰にも相談できなかったそうです。
そこで、二番目の姉と私が小学生になった時、母は周りのお母さんたちと仲良くなるためにPTAの役員をしようと決心したのでした。
最初は聞こえない母に役員ができるのか、みんな驚いたそうです。
母は身振りや筆談で聞こえるひとたちに積極的にコミュニケーションをとり仲良くなっていったそうです。
そしてわたしが元気がなかったり困ったことが起きるとすぐに母は仲良しのお母さんに相談したそうです。そういえば私はいじめも受けずのびのびと自由奔放に育ってきました。その影には母のこうしたがんばりがあったのです。
周りのお母さんたちは
【聞こえない人にどうやって接すればいいかわからなかったので、今まで役員にも誘わなかったし、関わりを持つのを避けてきたけれど間違いだったね。手話を知らなくても色々な方法でコミュニケーションはとれるし、まず話そう理解しようとすることが大事なんだよね。】
と、言ってくれたそうです。母の想いが周りの人たちに伝わりました。
また、こんな事もありました。教会の主催で若者たちのキャンプをしました。ろう者、難聴者、耳が聞こえる健聴者など様々な人たちが集まりました。
最初はろう者はろう者だけが固まって手話サークルで話し、難聴者や健聴者は音楽をきいたり音声での会話をしたりしていました。みんなバラバラでした。
その後の話し合いの中で聞こえない子が
【私は健聴者が苦手。健聴者は思いやりが足りない!私の聞こえない障害について理解してほしい、差別しないでほしい!】
と言いました。みんなはその意見に共感していたようでしたが、私はなにか引っかかっていました。
みんな自分のことをわかってほしいと言っているけどさっきまでろう者は手話だけを使って自分達しかわからないような会話をしてたし聞こえる人たちはろう者のことを考えずにお喋りしていたんじゃない。と、心の中で思っていました。
でもだんだんみんなが本音を出し合うようになってその結果、【まず自分を理解してほしいなら相手を理解しよう。そのためには積極的に話しかける努力をしよう!】ということに落ち着きました。
まさに私の父と母が実践してきたことでした。
この社会には聞こえる人、聞こえない人をはじめ様々な人がいます。そんな中で【どんなに話しかけていいかわからない】といって避けるのではなく、【私はあなたとお話がしたい】と心を込めて話しかけ、【自分のことを知って欲しい】と語り出す勇気がお互い必要なのではないでしょうか。
聞こえない世界の中で生きている父と母ですが、私はこれからも大好きな父と母の生きていく姿から多くのことを学んでいきたいと思います。