「花眠症」 - Seaff et Cetera Melty Plaza

「花眠症」 – Seaff et Cetera Melty Plaza

「花眠症」

【Seaff et Cetera Melty Plaza】
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あの日わたしは確かに死んだのだった。いや、死んだというと語弊があるかも知れない。ただ、私は私の存在を証明出来なくなった。あの日は夕方から突然雨が降ってきて、傘を持っていなかったわたしはずぶ濡れになった。ダッフルコートが水を含んで重たかった。家に着くと石油ストーブで身体を暖めた。

今までの私は、特に将来に希望もなく、やりたいこともしたいことも模索中なまま放っていた。好きな人にはいつも大事な事を伝えられずに燻ったままの気持ちを、学校の掃除当番の日、わたしはゴミと一緒に焼却炉に投げ入れた。そうすることでいくらか自分の気持ちが軽くなったような、自分と云う存在がすこしずつ失われていくような感覚が癖になっていた。夕陽が少しずつ形を失い沈んでいくのを見ながら、わたしの気持ちも同じように沈んでいくのを感じていた。夜が来ると、決まってわたしは泣きたくなった。
友だちはいたけれど、みんな表と裏を使いこなしていて、それが出来ないわたしはすぐに蚊帳の外になった。談笑をしていようが、平気でみんなはその手に隠し持つナイフでわたしの心臓をこれでもかと抉って、丸裸にする。耳を塞ごうとしても介入してくる雑音がうるさくて、いつしかわたしは音を失った。
その兆候には気付いていた。聞きたくないものからわたしを遠ざけるように、日に日に何も聞こえなくなっていって、最後には「音」そのものの存在がわたしの中から消えた。都会の喧騒も、聴きたいミュージックも、大好きだったあの人の声すらも静寂に呑まれて、たったひとり、この世界から逸脱しているような気さえした。それが彼女との出会いのはじまり。
彼女の声が聴こえたのは聴力を失ってから丁度一週間後。いつものように朝起きてみると、耳に違和感をかんじた。小学生のプールの授業の後、よく感じていた違和感。水の中にいるような、そんな感覚。耳を気にしながらベッドから這い出る。
そのとき、音が聞こえないはずのわたしの耳に、遠くでサイレンに似た音が響いた気がした。久しぶりの感覚に、慣れないわたしは戸惑い、けれど自分の声が返ってくることもないから、ただただ喘いだ。助けて、って、自分の声として認識はできないけれど、確かにそう言った。
「…聞こえる?」
それは鈴が鳴ったようなソプラノ声だった、様な気がする。だけど、小さくてか細いのに不思議ととても澄んでいて、それは都会の喧騒の中で呼び止められても、すぐ振り返ってしまう様な。危うくて、甘美で、やさしい声だった。あなたはだれなの、と口に出しても、言葉として返ってくることはなく、わたしはどうしたらよいのか、わからなくなった。わからなかったので、じっと待った。若しくは動けなかった。
彼女の姿が見えた。同時に、見た事のない風貌の少女を前にして「こわい」と思った。彼女の片目には生まれて初めて見る、たぶん、この世界には存在しないだろう毒々しい色の花が咲いていた。片腕は蔦に覆われて、ところどころに発光を繰り返す蕾がついていた。足の太もも部分には燃えるように赤い宝石のようなものが埋め込まれている。身長やそのほかのパーツを見るとおそらく10歳位の少女。しかし、言動からはその程度の年月しか生きていない様には思えなかった。とても、こわかった。でも、とても惹かれてしまった。
彼女は色々話を聞かせてくれた。しかし彼女の話は大抵がおとぎ話のような、現実味のまったくない話ばかりだった。でも彼女の話がどこまで本当なのか、わたしには興味がなく、聞いてもきっと誤魔化されてしまうだろうと思い、最初は黙って聞いた。わたしは現実味がない話はきらいではない。ので、いつしか夢中になって聞いていた。
彼女の話では、人間をころすのはとても容易いのだという。「決まり事」さえ破らなければ、一度に数千人をころすこともできてしまうらしい。その「決まり事」がなんなのかを問うと、それも「決まり事」に反するため教えられないの、と赤い唇が動いた。