【新しい映画】 ソ満国境 15歳の夏 【映画フル】
行ってらっしゃい。 すけ、ほら、忘れ物。 [音楽] うん。 ちゃんとつけて。 行ってらっしゃい。 うん。 おはよう。 おはよう。 おはよう。おはよう。 おはようございます。 おはよう。 元気ないじゃ 別に 私が秋に引っかしちゃうから。 し 結局さ、マニアマちは再開できずに返されたままになっちゃったね。 [音楽] うん。 部会いつからやってない? ここ放送部ないした。 うん。最後の夏休みに作品そうもないし。 みんなどっかに行かない? どっかって それくらい考えるの部長のでしょ。 おはようございます。様、 おはよう。 おはよう。な んしないの? なんでって知らない人たち? 初戦作業みんなボランティアだよ。 まありがたいことだけど。 あ、 はあ。 はい。投稿日を忘れずにメモしておくこと。次に宿題のプリント配ります。国語数学と英語があるから間違えないようにね。 先生、まだ開けていい? 今日は数値が高いから開けられないの。 放射線より暑さで死ぬよな。 うん。非日常も終わらなければ日常です。 最低 何切れてんだよ。マスクバカ はバカあんたでしょ。 バー はい。静かに。岡島君、サ村さん、橋本君後で教室残ってね。 え、ちょ、嘘。マジで?ただの冗談じゃん。 そうじゃなくてよ川君と今中さんもね。 浜中のみんなに残ってもらったのはこれ。 これって 機材なんだけどね。 マジで作品取れるじゃん。僕たちの作品だよ。 やっぱり先輩たちの手伝いだけじゃ終われないよね。 でも題材は 急に言われてもなんでもいいじゃん。俺たちの作品ってことが大事なんだから。 バカ。え、 でもさすがに何でもいいわ。無茶で先輩たちの異国で頑張る留学生すごかったじゃない。 [音楽] あれに負けない作品作らないと。 仮説住宅生活とか だったらもう少し広げて震災 1円後の復興とか でも復興なんてしてないでしょ。 じゃあ沢村なんかあるのかよ。 実はもうみんなに取ってもらいたい題材は決まってるの。 え え、中国の国流交渉にとこの辺かな?石願ちっていう村があります。この村の方々がこのカメラを造してくれて君たちを招待してくれたの。 これって学校で買ったんじゃないの? 中国の人が起造してくれたってどういうことですか? 異国で頑張る留学生。浜放送部が 2 年前の県の放送コンクールで対象取った作品。 あれを見て是非君たちに石願地を撮影して欲しいって中国の教育局から県の教育委員会を通じて正式な申し出があったの。 じゃあテーマとか自分たちで決められないんですか? なんかやる気半減。 テーマは自由よ。まあ C って言うなら君たちが感じる夏休みかな。私たちが感じる夏休み。 [音楽] あ、俺中国語喋れねえぞ。 私も。先生ぐらいしか知らない。 でも海外デビューなんだから少しは勉強しなきゃね。 中華人面悪国府東北部地ここか 修学旅行とそういうんじゃないんでしょ。 放送部の合宿みたいな感じかな。すけ受験のこと考えてんの?作品作りだか合宿だか知らないけど遊んでていい時期じゃないでしょ。 ちゃんと考えてるよ。 死亡校は 3 者面談でもはっきりしないこと言ってたじゃない。 ちゃんと考えたの? まだ 分かってんだろうけど、うちにお金なんかないんだからね。能だって再会の目度は立たないし。津波で全部流されてそれでも借金だけはしっかり残ってんだから。 岡田さんとこのこ上の手伝いをさせてもらう話がまとまりそうだから金ならなんとかなるんだ。 余分なお金はないって話でしょ。 ねえ、海外旅行なんていくらかんのよ。 お金は必要ないんだよ。その中国の人が漁から向こうでの宿泊まで面倒を見てくれるんだって。な んで水知らずの中学生にそこまでするんだ? 2 年前の県の放送コンクルールで対象取った浜マ中放送部の作品。それを見て感動したんだって。それで是非撮影して欲しいって。中学最後だしどうしても自分たちの作品作りたいんだ。 部員のみんなも久しぶりにやる気なんだよ。 いいじゃないか。介だってさ、ずっとこんなせましいところで窮屈にしてるんだから。夏休みなんだし、たまには広いところで羽伸ばしてきたら。 ありがとうばあちゃん。 [音楽] 行きます。 [音楽] [音楽] 痛 波江浜中学部の方々ですね。 週さんですか? はい。権霊です。 あなたが小川先生ですね。 はい。小賀はかです。 さん、日本語上手ですね。 去年まで福島の大学に留学していました。あなた方の故郷ですね。自震と原発事故で帰ましたが、ようこそいらっしゃいました。あ、この度はお招きいただきましてありがとうございました。あ、あと機材も本当にありがとうございます。 [音楽] ありがとうございます。 はい。ここ長は昔満州国代は新教と言いました。 [音楽] とにかく車に乗りましょう。 乗っちゃって お願いします。 よ。 [音楽] 日本は戦前中国の東北部に進行して日本 から多くの開拓民を送り込みました。 マン州の首都新教は関東軍の支配のも近代 都市としてとても栄えていました。 [音楽] この町に戦争中日本の軍隊の本部があったって不思議な感じ。信じられないね。 [音楽] 中日の歴史館には大きな隔立たりがあります。 中国では心理戦争だったという考え方が 一般的です。でも日本の技術が進んでいた ことも事実です。建物や鉄道工場を閉事の まま活用している場所も残っています。 マジありえねえ。広すぎだから。もう 2時間同じ景色だよ。 日本だとどこ走ってもすげえ真ん中なのにね。 これが大陸か。 [拍手] お前 先生 ずっと読んでるけど何読んでるの?機材と一緒に送られてきた本なの?そ さん。 さて歴史に出てきたソビエト連邦のこと? そう、今のロシア。 じゃあまあはマシ。 うん。地理的なことを言うとこれから行く願地も満州国に含まれてたことになるの。 それって俺らの作品と関係ありますか? それはあなたたちが考えることだけど、とにかく本を書いた原田浩っていう人は中学 3年生。あなたたちと同い年だね。 その時にソ連ンとマン州の国境にいたの。金郎同道員報告農場で働いていたわけ。 金郎同員? うん。報告農場。 聞き慣れない言葉だよね。つまり軍隊の食料を確保するために中学生が農場で働かされていたの。 バイト量なしで。 うん。 た働きか。 それ嫌かも。 先生だって嫌だよ。 でも先中のことだからね。 えっと、 1945年の初下、私たち新教第1中学校 の生徒120名は新教からそま国境近くの 農場に向けて走る軍列車に載せられた。 私たちが向かった東年報告農場は文部省と 農林省が推奨する青少年の金労士による 食料増産の拠点の1つだった。表向きの脳 作業の任務以外にも事実上国境守備要因の 一環に組み込まれていた。 [音楽] 遠いな。もうクタクタだよ。 駅に着く直線軍用列車とすれ違ったろ何を積んでいたのかな? 鎧いを閉められたから何も見えなかったけど随分長い練習だったな。 [音楽] カ東君が秘密兵器を増していたのだよ。だから俺たちに見せなかったんだ。 すごい秘密兵器が乗っているのかもしれないな。 戦い止まれ。 これより負2半に分別れる。 各半新教一中の生徒として自覚を持った行動を取るように はい。 もうちょくいよ。 もうちょ。 よし、いいか。はい。せーの。 よし。はい。もらった。 ほら、合わせろ。 はい。にできるのかな? もう少しだ。なんとかなるよ。 が減ったな。飯はどうなるんだろう。 水場ができたらすぐ作るだろう。 これ俺たちで生きる作業じゃないんじゃないか。そんなこと言っても仕方がない。頑張ろう。 三角弊車は暗くなる頃にやっと完成した 床に茎の川で編んだ敷き物。アンペラを 広げて居住を整える。とりあえずの夕食を 済ませ。各自割り当てられた場所に 落ち着いた頃にはすっかり夜も吹けていた 。 [音楽] おはよう。 おはようございます。 本日より作業が始まる。作業概要は農場から説明してもらうが、その前にまずの昭和と朝の体操を行う。令朝始め。あっ、 あっ張れ。 あら、面白。 あら、面白。 あら、楽しい。 あら、楽しい。 あ、さやけ。 あさけ。 オげ。 オ。 それは体操始め。 123456823 56736 [音楽] 各半に別れた私たちは前朝 4 時に気象の落で起き長礼のノと体操の後の作業に従事し [音楽] 慣れない脳作業は過酷で 毎日ヘトヘトになった。 あっという間に1ヶ月が過ぎ 同員予定期間の2ヶ月が過ぎた。 日々の生活の中での楽しみは食事であった 。あ、飯だ。作業場が遠い時は第8車で まめりの麦飯が届けられた。 捕まえたのか 本当にか森は蝶が好きだな。でも早く食べてしまわないと佐藤先生に叱られるぞ。 ああ、分かってるよ。ソレンの方がだいぶ探しいな。 大丈夫だよ。俺たちには無敵の関東軍がついている。 そうだ。 日本が負けるはずがない。それにソ連と 日本は忠実条約で結ばれているしな。 どうした?正だよ。俺も。 新境でも内地でもこんな満点の星すらは見られないよ。原田の星好きには呆きれるな。 どこにいても星さえ見られたら満足なんだからな。 金森だって人のこと言えないだろう。昼間の茶を見せてみる。ん?農場で捕まえてたじゃない? ああ。 綺麗だな。 朝木間だら。こいつは中国体陸にも日本にも朝鮮半島にも台湾にも東南アジアにもいる。こんなにちっぽきなくせにこいつは移動するんだ。蝶に国境は関係ないからな。国なんか軽がると超える。しかも海まで渡ると言うんだ。 [音楽] すごい生命力だな。海を渡るなんて渡り取りみたいじゃないか。 でも鳥寿命は長くないからな。なんかする蝶と季節が巡って屋上する蝶は同じやつじゃない。台が変わってるんだ。 海を渡っていった蝶のその子供が海を渡って戻ってくるってことか。 そういうことだ。受け継がれる命だよ。ある意味渡り取りより壮大だろ。 俺たちも任せられないな。 たじに交代する。速やり荷物をまとめろ。 余計なものを置いていけ。準備的次第。 か、どんなことがあっても体列から離れるな。新境一中の生徒として落ち着いて行動するんだ。分かったな。 はい。 交代開始。 [音楽] 急だ。 農場本部から東寧までは 8km。駅に着けば列車がある。 私たちは疑いもなく走り続けたが、最後の 避難列車はすでに発射していた。 私たちは次の駅 動画を目指して歩き続けた。 [音楽] Ja 分隊のまま動くな。 み か。 はい。 はい。 はい。 怪我したものはいないか? 大丈夫です。 大丈夫です。 記述操者って意外と当たらないもんだな。でも怖かったよ。大丈夫か?実は俺しべちびった。誰にも言うなよ。言わないよ。 俺もちびった。 動画駅を目指す私たちが爆撃を受けていた頃、実際には東年駅から最後の臨時避難列車が発射していた。しかしそれは軍族や満鉄社員の家族専用であり私たちへのものではなかったということだ。 原田さんたちかわいそう。 僕らと同じ15 歳がそんな体験をしていたなんて。 ああ、シや。皆さんお水です。 ありがとうございます。 え、 先生 むくちゃ 先生。 あと1 時間ほどで着きます。ちょロが皆さんを待っています。 村長まで勤めたことのある力者の方です。 よし。 あれが石眼賃の村です。 これはうちで作った野菜です。我們的大饅頭。 これは私が作ったまじです。ママ。 ゆっくりお腹いっぱい食べてください。 ご紹介します。金誠さん。この方が今回の責任者です。あ、皆さん座りましょうか? はい。 皆さんをおめ返することができて本当に嬉 どうぞ存分にお召し上がさん日本語上手ですね。驚きました。本当まるで日本の人みたい。 満州時代には生きるために日本語が必要だったからね。私の年代には日本語が喋れるものも珍しくはない。 ところで皆さんはなぜ自分たちが招待されたか詳しく知りたいのではないですか? そりね。 それはもちろんです。 機材と一緒にお送りした本はもうお読みになりましたか? はい、読みました。 そこに国境から命から逃げる少年たちがたどり着く村というのがありますね。 はい。地理的にはこの近くのようですけど。 そうです。そこが現在のここ赤石願です。 そうだったんですね。 あ、私はあなたたちの先輩が作った作品を 日本で見てとても感動しました。 長老と相談して現代の日本の15歳の あなたたちに是非この地を撮影してもらい たいと思ったのです。 67年前、15歳の少年たちは 過酷な運命に翻弄されながら たった1日だけの夏休みを過ごすことが できました。 それがこの村です。 この場所であなたたちが どんなことを感じて、 どんな作品を考えるのか 私はとっても楽しみにしてますよ。 ああ、食べましょう。 じゃあいただきましょうか。はい。 いただきます。いただきます。きます。 あ、持ってきて。 うん。そう、そう、そう。 あ、ごめん。 よいしょ。 あ、乗 乗ってない。 でも先生、 先生。うん。これ ベトここ。 オッケー。 オッケー。よし、始めよう。 カメラ回ってる。 5 秒前。43 ここは中国流交渉の平原かつてはマ州国の再果て当年報告農場があった場所です。 今もロシアとの国境がすぐそこにありますが新教から金本奉仕でこの地にいた 15歳120 名の数ヶ月に渡る飛行はここから始まったのです。 はい。ガットオッケー。カメラ全進。うい。 撮影にまで付き合わせちゃって申し訳ありません。 いえ、なんでもありません。 今の石願地を取るだけじゃなくて 67年前の少年たちが通った道を辿どって カメラこ 作品を作りたいって 彼らが決めたんです。 私ここでいい? オッケー。 ソマン国境15歳の夏の著者原田博さんに よるとソ連軍の爆撃に追い立ててられる ように農場を出た中学生たちは東年駅を経 てここから38km先の東駅に向かいまし た。そこまで行けば今度こそ避難列車へ 乗れるかもしれないという希望を持ってい たのです。 [音楽] 行くぞ。 連れてってくれ。頼む。連れてってくれ。 [音楽] すいません。私にはこの子たちを親元に届ける責任がありますから。 行くぞ。 [笑い] 動画にも列車はなかった。私たちはボタンコを目指して注意歩き続けたが、弘樹を始め体調の悪いもの怪我するものも増えていった。 おも。頑張れ。関東がマ国境方面の防衛を放棄した。 私たちが当年に向かう軍列車で 鎧い越しに望音を聞いたあの列車こそ 防衛部隊を下げるためのものだった。 軍の撤退を察知されないための作戦として 私たちは国境最前生線に送り出され、 教育行政もこれに従ったの そのままでいい。 みんな 落ち着いて聞いてほしい。 今 近城中屯部隊の舞隊長から聞いたんだが、 日本は 戦争に負けたらしい。 無条件ということだ。 どういうことですか? 4日前の8月15 日に天皇陛下がラジオで放送したそうだ。流したデマじゃないんですか? いや、大本兵からも関東軍司令部からも低戦命令があったそうだ。日本はアメリカ、イギリス、ソ連ン、そして中国に幸福資産だ。 [音楽] 日本が負けるはずがない。無敵のカ東軍がいるじゃないか。 そうだよ。それはなんで負けるんだ。 だけどカ東軍が一度あって応戦していたか。ソ連の飛行機にだって生きも汚染していなかったじゃないか。確かに俺たちが見たのは排兵ばかりだ。おい、お前それでも日本人か。 やめろ。やめれか。 先生、もし日本が負けたとしたら 僕たちはどうなるんですか? このまま直裁するんですか? 新居へ帰れるんですか? 親のところへ帰れるんですか? どんなことがあって 君たちを新居の親へ連れて帰る。それが私の責任だ。親元へ帰れたとしてこのマ州はどうなるんですか? マン州という国は消えてなくなった。体的にソビエト連邦が占領していずれは中国に引き渡されることになるだろう。 マーシの日本人はどうなるんですか? それは私に分からない。 分からないって俺たち一体どうしたらいいですか? あ、落ち着け。落ち着くんだ。 この困難の時になんという様だ。本の将来を背負っていかなければならないのは君たちなんだぞ。 君たちは 国境に置き去りにされた。 これは許されないことだ。だが、しかし それでも 我々の祖告は日本だ。 間違いがあるならばそれをつのも国民の 使命だ。 そしてそれは 未来を担う。 君たちに託されたんだ。 8月25日 私たちはソ連宮の捕虜として 近城の収容所に入れられた。 やばい。 やばい。じゃ、帰り、開けて。い、ど あだ先生 みんな騒ぐんじゃない。いいか。このまま私が帰ってこなくてもみんなで助けって新へ必ず帰るんだぞ。 先生、ひ、君たちも気持ちを強く持てよ。 みんな頑張れんだぞ。 精神的主中だった佐藤教官がシベリア層の ため連行され 1ヶ月が過ぎた。 食事はひどかった。 2週間目からは1日の薄い痒だけになり、 体力は急速に衰えた。 バディオン ダいダい ダワい ダいス 皆さんがここにされて50日が経ちました 。でも表で解放します。 どこへ行ってもよろしい。近隣中国人自民 とのトラブルを避け速やかにトキを出て ください。では皆さんの健康に塗ります。 診療所に入ってる連中はどうする?ここまで一緒に来たんだ。置いて行けるか? でね、どうやって連れて行くん?歩けないんだぞ。 勝だっていいじゃないか。行けるところまで行くんだ。死ぬ時は一緒に死のう。 川村。 気持ちは分かるがひ樹たちを担いでいく 体力が今の俺たちにあると思うか? ひロきい に行こう。 [拍手] すまない。 借りたいんだ。一生懸命があるから連れ てってく。行こう。 一緒に行こう。 よし、行こう。 皆さん食欲せんか?なんていうか 色々考えることが多すぎて詰め込んであちこち回りすぎたかな。 でも 67 年前の中学生たちは全部歩いたんだし。こんな食事もなかったろうしね。 俺そんな時代に中学生やってなくてラッキーっていうか絶対死んでる。や番な時代だよね。 俺たって恵まれてるよ。 そうですか。 マスクをして峠の子供たちの姿テレビで見 ました。 あれを見て恵まれているとはとても言え ません。 私は外国人でしたから逃げて帰って来まし た。 でも君たちはそういうわけにはいかない。 自分の国ですから、故郷ですから 逃げ出せない。 それは 大変苦しいことでしょ。 ねえ。撮影は予定をこなして、あとは石願 を取材するだけだけど、明日どうする? 先生は観光に当ててもいいと思うんだけど ね。 とにかく美味しい料理が覚めちゃうよ。 ほら、みんな食べよう。 よし。 美味しそう。 石願ちの金さんの話をちゃんと聞きたい。 長老が言っていた1日だけの夏休み。 彼らが関村で過ごした時のことを話して もらおう。 よし とるよ。これお願いします。はい。 どうしたの? 妹からまた夫婦喧嘩してるってうち離婚しちゃうんじゃないかな。震災からこっち喧嘩ばっかりだし。その方がいいそすっきりするかも。 そしたらまた引っ越すわけ。 両親とも地元だから別の仮説住宅になるのかな? ありえねえ。 うちもどうなるかわからないや。じいちゃんが避難中に亡くなってばあちゃんもネタきれになったし楽再会絶対無理だし街にも帰れないしな。 お父さんの会社なくなっちゃったから家族 でおばあちゃんち引っ越してそっちで仕事 探すしかないみたい。 仮説から逃げ出せるのはラッキーだよ。 うん。 おはようございます。 おはようございます。 あ、すみません。最後の日に時遅刻ですね。 さ、行きましょう。 長老も待っています。収容を追い出された私たちは 5月で別れたまだった。 一般の給勇たち60名と合流して120名 となっていた。 マン州は冬に入っていたし、ひ樹の衰弱は ひどかった。 ひ、しっかりするよ。 頑張って新まで帰るんだからな。 喉が乾いて死そう。 水が痛い。 ああ、水は飲みたいよな。 あ、 ごめん。どう? さん、ビエーターさんブさんだ。 だおめ鬼不對 的學生。中學生。 日本中學生為什麼現在還在這個地方?日本不是掃投強了嗎? 我們來了。 不管怎麼說和我們沒什麼關係。 你們呢還是滾到其他地方了。快走走吧。 いい。 你們來都沒啥吃的了,開玩笑,誰還能把東西給日本人吃啊? 這什麼了?什麼了? 怎麼辦?那塊好像還個快要死的傢伙。 你怎麼殺? 我們今天就算幫助這些日本人,他們對我們也沒有任何好處。 哎呀,行了行了行了,起了走吧。 沒事啊,別燙上別人土地啊,他起來了走吧。 待ちなさい。 私の家に連れてきなさい。 タほばマン。把他抬到我家裡去。 先照顧一下病人問他們的情況。 在年不吃嗎?你自 できなさい。 あ、うちの妻は昔病院で働いたんだ。 中学生たちから事情を聞いた王村長は彼らに食事と宿を提供しようと言った。もちろん反対する村人も多かった。 日本人への反管もあったし、 食料が豊富にあるというわけでは決して なかった。 100人以上の中学生だ。 当時の村は 40世帯だったから 各家が23人ずつ 預かる形になった。 追い出さなかったのはなぜなんでしょう。 それは 人間とはそういうものだと 言うしかないだろうね。 困った人が目の前にいたら 立場を超えて手を差し伸べる。 人の手はある時は残酷だが、ある時には例えようもない優しさを発揮するものでもある。 中学生たちは喜んだでしょうね。 満州国の崩壊で各地で暴道があった。 日本の開拓団を中国人が襲撃するという 事例もあった。 そんな中で 関東村と新教第一中学校生徒たちとの交流 は 最も幸運なものだった。 とにかく みんなが誰かの家の世話になり、それぞれ に押しつくことができた。 じゃあ遠慮することはない。どんどん食べなさい。 いただき、 いただきます。きます。 ありがとうございます。 このご音は 一生忘れません。 お ごめん。 ドイブち スブスシャウダニラ カニザくんぞ。 おすシャンパンマンだ。そゆパンさんだんこファプのいティどンま メよいよティどんだ。 え。 にスにブち我父 但是這裡特 ちゃん面バティがスティゾホラタスリー に 円配どうだ?いだ存しどりになどマ 分せま あし な。 ひ樹大丈夫 なのか?ああ、みんなには迷惑かけた。 もう平気だ。すぐにでも出発できるよ。 本当はもう 23日休んの方かい。 ありがとうございます。 でも本当に大丈夫です。 ああ、若いというのは素晴らしいね。 王村長。 うん。1 つお聞きしてもいいでしょうか? うん。 何かな? なぜ関藤村は僕たちを助けてくれたのですか?そうだね。昔この大正に見舞われていう村が高生になれた。 その時 家や 牛が流れる中で 突然 赤んぼの泣き声が響いた。 この鳴き声があまりにも大き々 が驚いて その声のス方を見ると 大きな木の棒に 赤ん坊が乗っていて卓流に流されていた そうだ。 が 満収束の思想 ぬハだったんだ。 木の棒に乗ったのは 今日白に助けられ、 湖海のほりで育ち、 ついには たましい民族の指導者になった。 ぬる蜂は泣いた。 そして人々がそれを助けた。 民族の歴史はその小さいの振り合いの中 から始まったんだ。 君たちが泣いて 私たち 関村がそれを助けた。 そんな力史はこれから始まるのか?私は とっても楽しみだよ。 歴史は長く 解きれることはなく 続いて行くものだよ。 王村長はそう言った。 私が 非常に勘明を受けた。 多分 あの一言があったから 私は 自分の失勢をごまか生きることをやめたん だと思う。 出世をして生きるですか? どういうことだよ。 かもり言った通りだ。俺は君たちとは行かない。 バカなこと言うなよ。せっかくここまで帰ってきたのに。新教を帰らずにどこに行くって言うんだ?この村に残ろうと思うんだ。腹だ。みんなも聞いてくれ。 俺はなんだ。 本当の名前は金義だ。 俺は今日まで嘘をついてきた。 自分にも 君たちにも 解明した両親はお父を憎む気はない。し なければ 差別する日本の中では生きていけなかった んだ。 独立国として力のなかった朝鮮は日本に よって近代化された一面はある。でも 何から何まで日本のやり方を押し付けられ て 名前まで変えて生きていくのは 民族のプライドが許さないんだ。 憎んでるはずの日本人を 関村の人たちは助けてくれた。その優しさ の前で俺は嘘をついて生きていく自分の 卑怯が恥ずかしくてたまらなくなったんだ 。 もうこれ以上日本人のふりはできない。 違う。 俺はキ正義 陣痛いだ。 私は あの時 関東村の王村長の家で 腹立たしと並んで村長の話を聞いていた 金森です。 あら、いいた。 あいつが自分で決めたことだ。 と人ぞ宇宙そめはほ あ 。 さパンティ ビカンタシソエレジラチェグリンダムよ つくんだ。 ペンペンジオレン リアン君こちゃ はのぴょおや杯 挑戦には帰らなかったんですね。 やはり 生まれ育った年だからね。 連から 国民と中華民国に変換され、 その後の内戦で 共産党に支配が移り、 中華人民共和国東北 ということになったが、 慣れ下死んだ故郷に違いはない。 ずっと 朝鮮族の中国人としてこの地に生きてきた 私はここに骨を埋める。 今日は貴重なお話をありがとうございまし た。 はい、カット です。 本当に今日はありがとうございました。 ありがとうございました。 ありがとうございました。 ありがとうございました。ラオパ はい。來了。哎喲我來了來了壞了吧休息休息喝點茶喝點茶。 まだちゃんと紹介してなかったね。私の妻ワンシャオじゃん。 はい。 日本読みで王証 王将 王村長の娘さん はい。 え、ちん、ちん、ちん、ツ本当に何と礼を言っていいか教員として皆さんに心から感謝いたします。 子供たちはもちろん私にとっても忘れられないものになりました。 まあ不自由な生活から一時でも逃れてこの広い地で羽を伸ばし作品を作ってそれが君たちの夏休みになれば良いと思ってね。 ちょうど 王村長が勝って私たちにくれたような 夏休みを 君たちにもね。 こせこになって本当だ。学校があるよ。 [音楽] なんか同い年ぐらいの中学生にさ、 インタビューできたらいいのね。 あね、行ってみたいね。 うん。めちに似てないか? うん。似てるね。 記念写真撮ろうぜ。 いいね。 どうする? どうする?どうしよう? あたち3 取ってもらういろ。 2 ハニハニハ。 ああ。 あ、感じ。 あ、書いて。 記念撮影。記念撮影。 うん。 あー。オ、 オ。 お、 分かった。 い、あ、3チぞ。 先生、 先生。 お 中国から帰ったらなんだかたましくなったね。 日焼けしたせいじゃないかな。 勉強ちゃんとすんのよ。受験までいくらもないのに自覚ないんだから。死亡校だってまだでしょ。 松永中高校に行きたいんだ。放送部県のコンクルールで常連だしすごくいい作品作ってるんだ。 また放送部 ねえ。 松永でも私立でしょ。うちにそんなお金ないわよ。 奨学金制度があるんだ。働くようになって自分で返していくよ。これ説明書類読んどいて。おばあちゃんの言った通りだ。お前やっぱりたましくなったぞ。やっべ、もうこんな時間。やばい。やばい。 ゆっくり食べなさいって。もう 熱。 うん。 そんなに忙せんなって。 寝坊なんてマシありえないから。 いや、寝坊じゃないんだけど。 もうみんな待ってるよ。ボランティア作業だって始まってるよ。 焦てるよ。 もう早く遅いよ。 ごめん。け介がってる。 うん。 あ、ナイスさんご用ですか? 基礎探してるんですけど、 原田さんって方いませんか? あと川村さんとひ樹木さん。 まあ、この方ならあちらにいらっしゃいますよ。 いやあ、おか。 それに初めましてだね。 充実した旅だったようで何よりだよ。 ありがとうございました。 ありがとうございました。 私が原田です。 川村です。弘樹木です。 私たちは長い本当に長かった飛校の末奇跡的に新境に帰還した。 東年の町を出てから62日目、 新の駅を出発した日から数えて 5ヶ月近く。 実に148日目の青官だった。 4名の犠牲者を出したが、 シビリア欲流をどうにかれた佐藤教官も 12月には無事還した。 だけど 故郷としての満州は もうそこにはなかった。 それ以来 私の中には 故郷を持たない寝なし草のような感覚が ずっとある。 大人になった私は ある発電機会の開発メーカーに就職してね 。発電機会。 今度の地震で事故を起こした原子力発電所にも私が務めていたメーカーの部品が使われていたんだ。 放射性物質が漏れて高戦量の放射線に戸まいながらも行のない君たちの姿をニュースで見て [音楽] 私は前とでした。 いつの間にか 67年前に 私たち中学生を 回線間近の国境に連れ出して 誰も責任を取らなかった あの頃の大人たちの側に 自分がなってしまっていることに気づかれ たんだ。 それでボランティアを そんなことで 私の罪の意識が薄れるとも 責任を取ったことになるとも思ってはい ないが せめて できることはさせてもらってる。 ほら、俺たち引退の身だからね。原田が そういうことやってるのなら、是非俺たち も一緒にやろうと。次の世代を担う君たち を少しでも助けることになるのならね、 それは俺たちがやらなきゃいけないことだ から。それは俺たちが関東村で受けた恩を 返すことでもあるんだから。 吉川君と 今中さんだね。 ほらいつも一緒に投稿してて色々話してた でしょう。津波で機材が流されてしまった こと。中学生活最後の夏だというのに去年 に続いて今年も作品を諦めなければなら ないこと。 はい。 それでね、俺たちも何かできることはないかって金森や義に相談してねえ。 あの、うまく言いませんけどました。急いで編集しますので作品見てください。トーネイと石ガちの僕たちのレポート。 ああ、見せてもらうよ。 君たちの作品を早く見たい。 マン州の故郷を失った彼らは翌年。今の 大連党から日本への帰国を果たした。 それから67年。この国はどう変わったの だろうか。 何も変わっていないのかもしれない。だとしたら私たちはそれをどう変えていけばいいのだろうか。大人たちから私たちはトを渡されようとしている。 ありがとう。 私たちはしっかりと未来と向き合った選択ができるだろうか。 かん。 いよいよ来週引っ越しだね。うん。引っ越してもよし川天気恋愛する。どうなの?ま、将来結婚したりする? そんなことわかんない。 結婚? 女子かよ。 私は誰とも結婚しない。それこそ今からわかんないじゃない。あにも好きな人とかいるでしょ。 岡島とかああいうのに気がありそうだけど ありえねえしそれ言うならショ太だし ちょっと勝手なこと言わないでよ。 そういうことじゃないからだって怖いもの私たち浴びちゃってるわけでしょ。そんな体で将来子供を埋める。私にはそんな雪はない。 サ強いな。 いつ頃だろう?俺マスクしなくなったの? 安全じゃないのは分かってるけど どうしようもないって諦めたの。 遠くへ避難した友達を 逃げ上がってってネタみ出したの。 俺たちも強くなれるかな? 前を向くのは勇気いるよな。 でも諦めたらそこで終わりなんだ。 どっかへ向かって歩き出さなきゃ見えない 景色ってある。この夏俺たちはそれを 石眼賃で見てきたんだ。 じゃあ ちょっと見直した。 今更かよ。 また明日。
ソ満国境 15歳の夏 – 勤労動員として大陸に送られた少年の過酷な体験を描いた感動の実話
見どころ – 実際に勤労動員を経験し、終戦後にソ連と満州の国境に置き去りとなった田原和夫の手記が原作。少年たちの逃避行やソ連軍の爆撃など、壮絶な光景に息を飲むこと必至。
ストーリー – 東日本大震災から1年後の福島。敬介は中学最後の夏、放送部の作品作りができないことを残念に思っていた。そんなある日、突然の招待状が舞い込んでくる。それは中国北東部にある見知らぬ村から届いた、ぜひ取材してほしいという手紙だった。
ここがポイント!
2013年に亡くなった夏八木勲にとって本作が遺作となった。
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