世襲が会社をダメにする!バーテンダーから社長に昇り詰めた男が目指すプロ設計集団の必勝法【SpotlightS #010】
300名ぐらいの技術者もう余裕で上場。 バーテンダーから名物量も設計した会社の社長に登り詰めた男。 もう一瞬でも忘れたいというか、もう早く半分でもいいから給料が欲しいなって思ってましたね。 なぜ挑戦し続けるのか。 全くの素人からプロの設計時にそんな夢みたいなお話があるんですね。 知られざる成長企業が日本を支える。 浜田優党 安田みさ子が まだ見ぬ中小企業の挑戦にスポットライト を当てる。 常識破り未経験から社長にゼロから育てる プロ設計集団の経営術。 [笑い] スポットライズ。まだ見ぬ小企業の挑戦に光を当てる。 さあ、始まりました。スポットライツ。え、この番組は成長を続ける中小企業の調整に光を当てる番組です。 ハ村さん、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。ようこそさん。スポーツライズ。 めまして安田みさ子です。よろしくお願いします。私が、え、担当しますけども、私はですね、え、 2 時の男子の母でもありながら実はですね、会社を作っておりましてはい。そうなんですよ。 あの、今フで一応自分の会でやってるんですけども、肩書きが代表取り締り役っていう感じなんで、もう今回は本当に心から勉強したいなっていう気持ちでやってきました。 ありがとうございます。 教えてください色々。 はい。ちなみに今までのスポットライツとかってご覧になられまし はい。ました。もうすごくすでに勉強になっていて、こう心営というか なんか知りたい情報がすごく詰まってて、これを知ってればいい。 なんか自分の会社もうまくいくんじゃないかなっていうノウハウがすごく詰まってるなと思いました。 はい。ありがとうございます。 はい。 ハ村さんはここまでやられてきていかがですか? そうですね、あの、ま、スポットライツという番組の中では、えっと、中小企業の経営者の方々を中心にこうスポットライトを集させていただいて、え、本当にいろんな企業さんがいるなっていうらっしゃるなっていうのは改めて実感していて、ま、出ていただいた企業さんの中にはやっぱりその、ま、今回の動画を通して、え、新しい採用につがったっていうような企業さんもいらっしゃいますし、あの、こう自社の売上に繋がったみたいなお声もいだいてい [音楽] ので、ま、是非、あの、今後もあの、こういった形で続けていけるといいなという風に思ってます。 もうやっぱりこう時代も変わっていってますけど、そのいろんな中小企業さんがいるからこそ時代っていう感じもしますもんね。 日本の本当に99.7% はやっぱり中小企業になっていて、 ま、本当に日本の経済は支えてると言っても過言ではないので、ますます。はい。ま、そういった企業さんにこれからもスポートライト当てれるといいかなと思ってます。 はい。私も、え、勉強したいなって思います。 え、スポットライツたくさんの企業の皆様 是非、え、ご出演ください。詳しくは概要 欄をご覧ください。 ということで今回のトップバッターは2 経験から社長に0ロから育てるプロ設計 集団のということですが、設計かなりこう 専門色じゃないですか。そうですね。はい 。あ、なんかいきなりん未経験、未経験、 未経験からなれるんです。いや、ちょっと ね、どうなんでしょう。はい。 しかもですね、未経験から社長になりたご本人が、え、今日はスタジオにいらっしゃっているということで、是非色々深掘りしていきたいと思います。 はい。 今回は我が国最大の内であり 700 あまりにもぶ大将の島々島が浮かぶ瀬戸内会から。中でも多数の島々島を有するのは広島県と愛媛県の間。 [音楽] ここには瀬戸内三海道と呼ばれる橋梁が 島々をつぐ3つの街道がある。 中心となる瀬戸内島街道は延長 59.4km 。この道と今張をの橋が繋いでいる。 [音楽] でも悪なのが 古島海峡大橋。島街道で最大の規模を誇る 橋で世界初の3連釣り橋が降りなす風景は 実に繊細で壮大な芸術品だ。 自然景官を生かしたこの有備な橋梁は およそ9年の再月をかけ平成11年5月1 日開通。 橋の上からは古島海峡の美しい眺めを 楽しむことができ、瀬戸内会の急な塩の 流れから生まれるうず塩に出会えることも 今回は島海峡にこの有な協力を描いた技術 者たちのお話 大橋を愛媛に渡きた ちょっとおいてそれを秘密にして 2 が集まる隠れが居酒屋今張り上城黒ガ門を作った糖領が手がけたという店内特に天井確かにお城のような作りだ。大将の料理がどれも一品。 [音楽] [音楽] 本当に美味しく面白いものしか提供しない 。素敵なご夫婦がむ張りのお店。 大象の料理とご夫婦との会話を楽しみに 各地からお客様が話題はこの土地のお話に なり 環境自転車にめちゃくちゃそうですね 。 島波街道は世界からも注目を集める サイクリングの整置。レンタサイクルや サイクリングロードが整備され、初心者で も絶景と心地よい塩風を全身で楽しめるの だ。 これが今張名物夏のイギリス豆腐。 女島街道の花形古島海峡大橋の設計仮説に 関わった会社の社長がこの男。 赤崎設計社長強刑事 強しの挑戦10からプロへチームワークで 不可能を可能に。 古ルクから海場交通の要所として境量が 発展した町今張り [音楽] 赤崎設計のスタートも先設計。900席を 超える船を生み2025年8月創業55 周年。確かな実力を誇る設計会社だ。 そして今や幅広い設計を手掛ける総合設計 へと成長。 久島海峡橋のような大きなものから日常に 溶け込むテレビのリモコンまでその技術の 守備範員は驚くほど広い。 物づりにおいて最初の皇帝であり同計は プロの技術でしかなしえない。 かつて使用されていた製図版。厳密な危機 の配線や回路などきちんと機能し、かつ見 た目も美しいものに仕上げられるようで1 つ1つの線を描いてきた。 今ではキャドを使用しに書き上げていく。 強しもかつては狂ったように星図に向かっ て筆を走らせていた。鉄士時代の15 年間で携わった案件はおよそ 100件にも及ぶ。 だがその全職は予想外のものだった。 ジムの人に案内されてわあ地に赤い日の鳥やてわあすごいでかい入れてうわあなんかこれ動くホテルや本当にふサフサで本当高級ホテルですよ。 なんと全職は豪華客戦のバーテンダー。 大手ホテルからヘッドハンティングが殺頭 するほどのビバーテンダーだったが将来像 となる先輩がおらず船を降りることを決意 。その時点で設計の知識など全くゼロ。 こうして新たに就職活動を始めた時、 船つがりというわけでもなくただ手に食を と考えていた強しの目に赤崎設計の募集が 飛び込んできた。それからいく度も荒波を 超え数十年 と締まり役社長になったのが15年 前取締まり 役になったのは3年とかぐらい前です。 ゼロから船でをした強し社長にまで登り詰めた。ゼロからのコ路を進んだものは他にも 社長と一緒。社長が僕より 1 ヶ月遅れぐらいで入ったんかな。だけもう 36年367年かな。 全職は増所で電気工事をしていた山口。設計図を見て配線はできても書くことは全くの素人だった。 どうやって最初は入社した当時はもう何も 分からないでしょ。線の引き方とかほんで 僕が来なかったんで図面っていうのはあの 自工艇の人に伝える仕事でしょ。ま、字が 汚さなかったら職人さんが読めないとか 言うんでもう入ってすぐに字の練習をして ました。毎日何百文字もちっちゃい字 設計士とはその先の皇帝を担う方々へ実際にどのように形にしていくべきかを伝える仕事。山口が入社当初は図番に向かい全て書きで設計していた。 [音楽] ゼロからプロの設計士へ。どのような教育 体制がその成長を支えたのだろうか。いや 、私らが入った時は全くそういうのなかっ たですね。どやっと覚えて書いて、あの、 出行先行った社員の方とか1番になったん が職人さんですよね。図面持って現場行く じゃないですか。ほんだらここもう ちょっとしたこういう風にした方がええぞ とか、こういう道具使いるけ、ここには 入らないとか色々教えてくれるんですよ。 そんな優しくじゃないですけどね。今頃は もうそんなないと思いますけど。現場へ ヘルメット行ったら職人さんが使いる道具 でヘルメットパーンか叩かれたりそんな 経験をして覚えていきましたね。物見ない と分からないですよね。 自分が書いたをもに現場の手が形にして いく。 その生の声は何より価値ある学びだった。 図面は現場へのメッセージそのもの。設計の技術や知識よりもコミュニケーションを大切にできる人間でなければならないと山口は言う。 やっぱり人柄が1 番じゃないんですかね。設計できてもね。性格悪かったら技術の上にあぐらかいたらだめです。 [音楽] 自ら叩き上げられた経験が今の山口と赤崎設計を支えている。 今も西野がやってるんで丁寧に教えてくれ てます。 昭和の叩き上げの時代からの良さを残し つつ今は教育体制も整ってきた。 新卒入者から14年目の西野 設計もしつつ採用教育も担うれる主任だ。 ま、社体で見ても大体半数から2/3 ぐらい機械工格とかそういったものに関し ては、ま、未経験とかなんかがほとんど 設計という仕事に関してはやっぱりどうし ても向き不きなんかもありますので技術的 な面なんかを、ま、弊社では筆記試験 みたいな形でちょっと適正の方を観覧させ ていただいて、ま、それだけじゃなくて頭 を書くということで、ま、お客さんと3つ にやり取りをして場合に言っては、えっと 、現は加工屋さんのところに売ってご意見 なんかが伺ったりとかする場合もあります のでコミュニケーションも取れるような方 なんかをま見させていただいております。 1人だけでま仕事している るっていうものではありませんので協力し てお仕事をこなせていける環境を作るです かね。そういったものにましていけな思っ てます。 事はもちろん組み取り思いやり 伝えつぐ設計という仕事 0から天田のプロを育ててきた赤崎 設計コミュニケーション を何よりおじるからこそ自然と チームワークが芽え全員で挑戦を重ねてき た。 今回のゲストはご自身がゼロからプロ設計士にさらに社長人まで登り詰め、さらに大きなプロ設計集団作りに挑戦している赤崎設計社長強二さんです。よろしくお願いいたします。 あの強です。よろしくお願いいたします。 お願いします。それにしても苦島海峡大橋美しかったですね。 そうですね。あの、ま、紹介されてた通り、あの、日本全国さらにはやっぱりこう はい。 え、海外からもですね、特にあのサイクリングの聖地っていうことではい。うん。 あの世界中のサイクリングをされる方が はい。 島並の島が 非常にいいと。 はい。あの、全くの素人からプロの設計時に、そして設計会社の社長に登り詰めたってことですけども、そんな夢みたいなお話があるんですね。 そうですね。 もう、あの、でもあっという間に私は平成年入者なんで 36年なんであっという間です。 へえ。 最初も1 年経ってガムシラにもう知識がないので はい。 当時やっぱり30年以上前なんで はい。技術者はもう理系 ああ、 営業とかそういうのは勝者の人は文系って決まってたから あれあの採用の時に結構こう適正検査みたいなのを えやられているっていう話だっけ出たと思うんですけど設計士になるためのこう適正検査って何をやるんですか? はい。 あ、適正検査はですね、ま、普通に一般常識の問題ですけれども、これは豚地が聞いてて、ま、答えですよ、たった 5問なんです。 え、少ない。 これを1 時間でやるんですけど、この問題は実は小学校の高学年で解けるんです。はい。へえ。 ええ、 これでちょっとこう言い方申し訳ないです。こ字頭の良さを見るっていう自 IQみたいなことですか? IQに近いものですよね。 それは努力でどんどん上がってくるんです。 はい。 みんな専門ばっかりやってきて うん。 基本の小学校高学年で覚えた、ま、例えばご存知じゃないかも分からです。鶴カメザってはいはいはい。 あれ難しいんですよ。 へえ。 だから小学校の工学年が解ける あの算数の問題が2問。 あと絵を書く問題がイメージする問題が 3問。うん。 はい。 これ小学の小学生でも満点取れます。 うん。 これが大学の大学院すごく研究してやってるすごい人にやらしても点数取れない人は例の人もいます。 ええ、じゃあこうもって生まれたりとかそういうセンスとかっていうのがなんかあるんですかね。 で、あの先ほど言ったように 2/3 ぐらいはうちは文系も採用してるんですけど、 それはそこには文系も理系も関係ない。 うん。 もう1回自分の夢を改めて探すのが この就職活動な。 なるほど。 だからうちに来たら未経験でも点数は取れるっていうところで実際にやらしたりとかすると あ、僕私設計に向いてるかもと。え、 2 次先行では実際にインターンで図面も書いてもらいます。 そうしたら 面白いってみんな言うんですね。文系の人やったことないんですよ。だから先行でかせたりするんですね。うちに 来てくれたりする学生さんがたくさん あの ちょっとじゃ本質をこう見抜くというかね。 合わないか見極めるのが大事な。 そうですね。見極めるのも大事。もう文系の人たちを この物づりの技術の世界に 連れてこないのはもったいないです。 確かに。 創業から55年。これまでおよそ [音楽] 1 万円の設計仮説を手掛けてきた赤崎設計。も痛くされて書き寄ったでかいすよね。 [音楽] 手書きの時代に積み上げられた膨大な図面。 31年前私が30ですよ。61だから。1 つ1 つ大切に保管された図面は反世紀を超える会社の歴史を語っている。 55年の歴史の中で中国からの技術者に 船舶設計と技術指導をした実績も赤崎設計 には世界に誇れる技術とそれを未来へと 受け継ぐ力がある。強しの挑戦に次世代を 育てる 熊本からやってきた入社1年目のコ案0 からプロを目指す1人だが設計という仕事 以外にも彼のモチベーションを最大化する だ 時をかける少女の道が舞台だったんで熊本 に住んでる時も旅行で来ててなんかもう 本当に日本の風景みたいなのがそのまま 残されたとこなん ちょっとこの辺住んでみたいなと思ってた んで設計の仕事やってて未経験で文系でも 大丈夫っていうのを聞いたんで設計という 仕事はもちろんこの瀬戸内の土地に引か れ赤崎設計へやってきたコ案 晴れてる日は大体散歩してますね。 街並見るのも好きですし、苦島大橋みたいなあいう巨大な建築物見るのも結構好きで、なんか迫ってくる感じとかが結構たまにそのお道の方とか遠方まで 1泊2 日じゃないですけども、ほぼの宿みたいな感じで とある休暇中島街道をノンストップで散歩したらしく、 20 時間ぐらいかけてこうずっと歩いていってどこにも止まらずにそのまま行ってで朝日ので見ていくつかちょっとお土産買ってでバスでそのまま帰って 自身の会社が設計仮説を担った古島海峡 大橋を渡り、憧れの土地を存分に味わう。 今張りを拠点にこそ誇れる赤崎設計ならで は魅力だ。ただ本社研修後は全国の 設計プロジェクトに配属となる赤崎設計の 設計士たち。 案も近い将来今張りを旅行く。 自分結構いろんなとこ行くのが好きなんで今張りもうあと 12 年ぐらいは住んでたんですけど住んでたらいいんですけどとこ行ってみたいなっていうのはあります。 好きも生かして働ける喜び。その反面生活が大変そうだが赤崎設計には超充実した社員量がある。 ほとんど来てから買ったものはないですね。 洗濯 機とか冷蔵庫とかの家電ももう全部揃ってるんで、もう来てそのまま攻める感じです。本当に助かります。 チームワークが自然と生まれる会社作りや人生も仕事も楽しめる環境作り。全ての根底には赤崎設計の仕事と理念。それを継承し未来へつなぐ強しの思いがある。 [音楽] 撮影中自らハンドルを握りあちこちを案内してくれた強し。おしり好きで彼の周りはいつも笑顔に溢れていたが、この日は少し違う顔を見せてくれた。 それはもう一瞬でも忘れたいというか、もう早くも最低元の生活とは言わないけど、半分でもいいから給料が欲しいなって思ってましたね。 10万でもいいかなって。 2008 年のリーマンショック。赤崎設計は大撃を食らい、当時院だった強しは役員報酬 0。つまり働いても働いても 1円ももらえない日々が 1年半にもんだ。 もう1番安いお米をスーパーで買ってきて 3号1挙に炊いてお茶碗に1ずつぐらい 100均で買ってきた冷凍用パック。 それを冷イト庫に入れておいて 3 色チンしたり玉のご馳ソがレトルトカレーぐらいなんかスーパーでもらってきたなんかガソリンスタンドでもらったカレーとかただでもらえるものがめちゃくちゃ嬉しくて 役員という立場でありながら食べることもままならず貯金を切り崩し切り崩し繋ぐ毎日そんな中でも仕事の電話はなり続け一向に良くならない景気 になく仲間をリストらせざるを得ない。心身をすり減らす日々。誰にも打ち明けず黙って耐え続けた強しのその心情とは。 [音楽] だからなんかやっぱ役に立って嬉しいと いうか自分が楽しいから山登るっていう 時代もあったけどいやそうじゃなくって まあまあこんなそうなこと言うようだけど まずかだけどやっぱ社員のためだったりと か環境がいいという 赤崎設計での日々は人の暮らしを支える ものを形にし仲間と共に挑み続ける日々 だっ それはやがて強しの人生そのものとなっていったのだ。 自分のために動くんではなくてやっぱり 難しいけどリタ的に人のためになって やっと自分のいる価値があるというか本当 は私も昔富士山登って山登りもしてスキー もガンガンしたからその時にあ、こんなに 自分のことを楽しんだらこんなに楽しいん だと思ったけどそれでもうなんか飽きる ように10年ずつやってやめてしまったの はいやこれはなんか自己満足でしかない からなんか人の役には立ってないなとか 思っで、やっぱりまあなんかその人の心の 支えになったり、生活の支になったり、 こう根本的なところを豊かにするっていう こととはちょっと違うので娯楽なのでうん 。やっぱ感動がないですね。なんか私の心 は動かないですね。それでは 書いてない。大島の南タに位置する。高 301.1m の山頂にやってきた。 これはいいでしょ。これは皆さん感動します。なんだこれはみたい。人間が作ったのかみたい。 荒波を乗り越え人を思い支え誇るものを作り上げてきた。 ま、この箸とかあと家電製品、ま、 エアコンとかテレビとか実際に作ったもの が非常に広まるとでもやっぱり家電製品は もう10年経てばもう古いので目に見る ことがなくなってしまうっていう上で行く と橋は大体50年もつって言われてます。 え、修復をすれば100年とかとも言われ てますけど、だからまあまだあまり面定し なくてもあと26年とか24年ぐらいね、 あと市販正規はあのこのままで行けると 思うので、ま、自分の生きてる間はずっと こう形として残ってるっていうのがま偶然 ですけど、ま、良かったのかなと。人の 暮らしを支えつぐ赤崎設計の仕事。 より良い環境を築き、若い力を育て、その心をついでく。 あの、手書きの設計図すごい量でしたけど、 あれはあれでなんか素敵だなと思うんですけども、 やっぱりキャの方が 今は良かったりもしますもんね。 そうですね。 やっぱりあのキャですることによって私も最初 あの入社した頃は何年も手書きで書いてたんですけれども、ま、コンピューターが発達してさらに 1人に1 台のパソコンの中に入るようになってですね。うん。 やはりあの性格さが違うというかなのでキャで書くとですねんですね。 だいぶ楽になったんです。 もうすごく素化されて それがあの はい。 あの、各時間も短くなってさらに性格性が上がるとこの図面が現場で現場の職人さんが削って作ったりと要溶接したりしてくれるわけで、 それが間違えることがなくなるので、 いわゆるこう誤作がなくなるっていうか、今までだとじゃあ手書きで一生懸命やっても 1 割ぐらいがロスが出るっていうのがもうほぼほぼ 99%とかうん。うん。 で、そういうまずメリットは大きいんですけどね。 はい。 ただ、 え、一方ではですね、デメリットもあってですね。 あ、そうなんですか。 これはまあわずかなデメリットですけど、これを見逃したらいけないんですよ。やっぱヒューマンエラーっていうのがあって はい。 誰が書いたかわからないんですよ。 あ、 手で綺麗に私らは手で書いてたからやっぱり字に信頼性があるんですね。 じゃあキャなんとか体っていうゴシック体とかっていう文字で統一されるから字が綺麗 はい。 絵が綺麗だから間違いが気がつかないんですよ。 へえ。 我々設計も気がつかない。現場に行っても気がつかない。はい。 で、だから心がけてることは はい。 あの、キャに頼るなと。 へえ。 必ず先ほどのうちの設計主任なんかも言ってましたけど、必ず図面が出てきたら はい。 手で必ず消し込みをしなさい。黄色のマーカーで 1個1 個も何がチェックってからまで数字を やっぱり電卓をた叩いて はい。 大きな数字は 出ないと物が 10倍のものを過去に作ったとか うん。 いや、桁がおかしいとかっていうことが発生するんです。 うん。 必ず入力ミスをなくせと丁寧に入力を間違わない。真面目に入れていく。絶対チェックをするっていう人は分経も関係ないと思う。 うん。キドで恩恵を受けてるけれども うん。うん。 コンピューターに頼ってはいけない。これ今のね、 あの世界世の中もそうじゃないですか? AIに頼りっぱなしになると やっぱり人間ならなしさっていうのがなくなるのでここはやっぱりエラーが起こるんですね。これに注意をやっぱ楽はせずに キャながらちゃんと自分の力の全力で そう最後は入れるんです。人間の力で ギリ設計士の力でうん。 あの肉体でこう うん。 あの主腕でこうチェックをして最後形成して お客さんに出すとしたいい品物ができ あのさっきその社員さんの話も結構出てきてたかな。あの新人の方ですよね。 [音楽] 1 年目の方って出てきたと思うんですけど、これ量とかっていう施設備もちゃんと整えられてるっていう形で、やっぱり働く身としては働きやすいなっていう風には思ったんですけど、あれは結構前からもうずっとやられていることなんです。 [音楽] そうです。 全国からじゃあ募集するとじゃあ量がいるよねというところで量を立てようと いうところで25 年ぐらい前からちょっと男子料と女子料 社員同士が仲が良くって 1 つカの飯でっていうのもあって いや女子も男子料の方に仕事終わると集結してですね みんなであのお鍋したりとか だから社員が仲良くなる結束力が高まる あの笑顔の裏にも苦労があっ とおっしゃってましたけども、大変な時期もやっぱありましたか? そうですね。やはり製造業にとってリーマンショックはもう大撃、 ま、倒産した会社もたくさんある中で 私の知ってる同業者もたくさん産とかされてました。 うん。 生まれで始めて、ま、言い方はですけど、ま、まか私がこんなに自理品になってしまって うん。 自分が苦労して自分が 1番しんどいところに はい。 だから社員にリストラをしてもらいました。全員 1人1人の顔を覚えてます。 1 人1人に喋りました。 もうでも泣いちゃうっていうか泣いちゃったりとかしない。 ああ、泣く人もいました。で、私が好きだからっていう風にして入ってきた社員も涙で別れました。 なので私3ヶ月で15kg安、 もうゲそりです。 なのでもうご飯は食べようとしても喉通らないですけどそもそもお金もない。 から うん。 食べるものもないしでも電話はいっぱいひっきりなしで もうあの受中の断る電話ばっかりです。え、 すいません。もうこんな時生なんで来月から仕事をお断りします。電話が 携帯とかひっきりなしにかかってくるんです。 うん。 えっと、ともかく 自分を危険地帯にさらしてるデッドスペースに置くから うん。 見えることってあるんですね。 へえ。 その時になんか見えたことはま、あります。 ただちょっと言葉にするのは難しいですけど。 え、どんな景色が見えたんですか? どんな景色か?なんかそ明でしたね。 なんか私がみんなの不幸を はい。 添えてよかったなと。 うん。 へえ。 この思いをその景色をその台はそのままで うん。 今よりももちろん皆さん良くなった中で、 あの、是非その景色をうちの社員に見せてあげたい。 私がした苦労はもうそれで終わったので次世代はもうあるステージが上がったところからその景色を是非見て感動してほしい。 [音楽] うん。 そういうあの光景者を見つけたいと思います。ありがとうござ えっとここにえっと年内もしくは年明から新しいプロジェクトで設計室を作ります。 大型案件の受中に伴の設計室を作る赤崎設計本社。 ここはセキュリティが何より厳しいです。私も勝手に入れません。 日本で1 にを争うハイレベルなセキュリティを求められる企業案件。やりがいがありそうだ。この部屋にとまらず本社全体の内装を殺信する計画中。 社員、そしてまだ見ぬ未来の仲間たちの ために働きやすさを追求し、さらに会社を 成長させる挑戦が続いている。 強しのさらなる挑戦。300人の設計技術 集団を作る。 今後の赤崎石の夢はあの初代の創設者長 会長の時から変わらずですね。名の設計 集団を目指すと300名ぐらいの技術者を 引き連れるとですね、もう余裕で上場 できる会社の規模になります。従業員の質 を上げて少しずつ大きくすることによって 当然あの社員への還元も多くなるので、ま 、体遇を上げてやると仙台から託された 300人の設計技術集団を作るという夢。 この朝鮮の果てには共に歩む仲間たちの 幸せも待っている。 かつて自身も貧困に苦しみながら仲間の首 を切るという苦重の決断を強いられた毎日 。あのリーマンショック時代があったから こそきっと今の強がある。その時にまた リーマンショックがあったりしてもう 見る痩せる痩せるリーマンショック大変 です。うん。 でもここに来たら暗い顔はしなくて、まみ、お客さんも知ってる人ばっかりだから、ま、バカ言って帰るわって言って後から聞くとやっぱリーマンショップでかなりの人のやっぱ人員をしたって聞いてやんぱい大変だったやなと。うん。 周りの人たちのため笑顔を絶さない強し。その温かさの根底にある情熱。 あの、すごくこう、とことんやる人間性を持って ああ、それはまあ、まあ、あるかも。 いや、ものすごいと思うね。なんか どこへ行っても愛され信頼を寄せられる男強し。こちらのお隣の方実は強しと [音楽] 30 年以上お付き合いのある大手行の部長様。 強しから多くの設計応援をしてもらったという すごくまあなんて言うんですかね。あの辛抱強いですよ。ま、うちの会社も結構難題を吹っかけるというかレベルの高い人を求めるんでじゃあということで一周懸命探してくれるんですよ。で、そこはもう信頼ですよね。 お互いに信頼して、ま、逆に言うとこう いういい人を連れてきてくれたんだったら 自分が、ま、責任を持って育てると エンジニアとしてどうやったら1歩1歩上 に上がっていくかっていうところを考え ますよね。真面目に。うん。だからその辺 がやっぱこのこういう長い付き合いになっ てるのかなと思います。やはりですね、私 が思うそのエンジニアっていうのは現場 経験もいるし ではどうしようもないですよね。人間が 作ってるもんですから、みんなが集まって やるっていうその強調性のところがないと いいものは絶対できないです。1つ1つの 中に入って入り込んでですね、どんどん どんどんその壁をこう乗り越えていき 始めると私は面白いと思うんですよね。私 もそうだったし、図面だとか計算だとかっ ちゅうのはこのベースはやっぱり必要です よ。ただでも今機会とかプログラムとかが 基本全部やってくれるんで、じゃあそれを うまく使うのって誰やって人ですから人が 1人2人でできないことを10人20人で やっていくっていうところのそのすさを、 ま、是非ね、是非こういう会社に入って もらって頑張ってほしいなと。うん。 簡単ではないです。会社や担当する内容が 違っても同じ場所を目指しワンチームで 進む物づりの仕事。 それをよく理解しているからこそ強は筋を 通し、仲間を思い、己がやるべき仕事を 全倒する。 社員たちを連れてやってきたのは苦島海峡大王大橋を 1 番近くで見られる展望台向こうとその手前のとこのこのエコの ケーブル工事第 1 設計技術部長山口当時設計だけでなくここに上がって工事も行って は、 このケーブルがあるじゃないですか。それを釣っとるワイヤを締めとるボルトを何力の調整なんとで閉める? キャットウォークやったけんね。 あ、キャット。 うん。揺れるけ。 高いところが苦手ながらも必死に食らいついて作業したあの日。そんな大先輩の勇志を知り新人コ案は いや、すごいすね。自分の高いとこが苦手 なんで、あんなとこを渡りながらしかも 作業するったらちょっと無理です。今は 想像できなくてもこの先きっと開ける知ら ない世界。 野村勝也とかが言ってる晩年の名言があっ て物を残すは3流名誉を残すは2流1流は 人を残すらしいです。 自分の台で成し遂げることを目的に吸えるのではなく、良き文化を環境をそして良き仕事を伝え繋いでいこうとする強し。 [音楽] まさにそれは次の皇帝へと思いを託す設計という仕事そのものだ。これからも先代の意思を受け継ぎ挑戦と成長を重ねていく。 自分の名前を、え、会社につけない。今後 ももし変えることがあっても自分の名前は かこ悪いからつけるのよていうか、ま、 もうそこだけの会社になってしまう。それ 以上の企業展開がないと。あともう1つの 大事なところ接集をしないと。強し君、 絶対接取はするなよと。わしは摂取をせず に去ってくる。行くということで立派に 去行かれました。 無のま私に本当にあの約束通りまあまあできたらこの 10年間は3 代目を見つけるために育てていくとまだまだこれからの社員もいるしあの私の引退する時はプロしてきた社員の中でもちろん私の血の繋がってない人に引き継ぎたいと思いますがんとりかけるように探した分なくさ [音楽] [音楽] でもあの決縁の引き継ぎをしないっていう風に決めてるっていうことって、ま、結構中小企業の中で言うと、ま、結構珍しいことかなっていう風に思うんですけど。 そうですね。こう他人に引き継ぐってちょっとこう迷ったりしないんですか? えっと、その迷いはもう全くないです。もう入社した時から仙台からそういう風に 自分は会社を作ってあげたとなので自分の会使命の名前をつけない。 で、あとは接集をしないということを面白いなと。 はい。 え、実は会長は赤崎石を自分の子供だと思ってる。 で、私大事な子供を預かってる感じなんですよ。本当に。 なのでバトンっていうか はい。 私の大事な子供だから、あの、会長は今引退してますけど、最後の一言があの、バトンタッチしたから、お前は俺の大事な子供を 1人になっても育ててくれよと。 へえ。1 人になっても赤崎関石は潰すなよとって言ったら分かりましたと。そたらわしからはもう何も言うことないって言って幽されて 完全に手を引かれて私にだったんですけど、だから私にとって赤崎関は子供なんですね。 あの、身内が継ぐなんていうことはさラさら考えてなくって、やっぱりこれは解消を私ぶつ化してはいけないという思いがあるので、 そういうもう強い思いを持ってるので、もう今からまあ 10年後70 歳になるぐらいまでには、ま、だんだん育ってくると思うので、 もうそれが毎日の楽しみというか。うん。うん。そうですね。 まだ多分その思いっていうのが今従業員の方に多分皆さんに伝わってるんじゃないかなと思うので、ま、いい形であの引き継ぎるような時っていうのも来るといいなと思います。 そうですね。 楽しみですね。300人目指せ 是非あの 3 代目ができたらご紹介したいと思います。 はい。期待してます。 ありがとうございます。 はい。こちらこさんありがとうございました。 挑戦とはあらゆる困難を恐れず突き進む 勇気である。 荒波を超えて来られたのも仲間と共に磨い た技術と信念があったからこそ その情熱を次世代へ託し未来を切り開いて いく。 この歩みを止めない限り強しの挑戦は永遠に続いていくのだ。 [音楽] 次回のスポットライツは 番組初の海外中華人民共和国へ。 [音楽] 今の考えているプロジェクトとしては日本 の日常的に楽しめるような価格帯で ダイヤモードとか金がつけれるようにうち 中では一応ジュエリーの民主化運動って いうんですけど世界を味方につけ日本に ジュエリー革命を起こそうとしている会社 。本物の輝きが1/15の価格。準金F 24とラボグローンダイヤモンドで誰もが 楽しめるジュエリーの民主家に挑戦。
▼SpotlightS(スポットライツ)
この番組は、日本を支える中小企業の挑戦にスポットライトを当てる“ビジネス密着ドキュメンタリー”です。
特に社長に密着取材をすることで、優れた技術と情熱を持つ企業の成功ストーリーと、経営者としてのあり方や波乱万丈な人生をもご紹介!
また、中小、スタートアップ企業の新たな挑戦を応援し、視聴者の皆様には新たな知見と勇気をお届けいたします。
▼出演企業情報
株式会社あかさき設計
代表取締役: 津吉 啓次/ Tsuyoshi Keiji
あかさき設計 公式WEBサイトはこちら
https://www.aks-design.jp/
▼SpotlightS出演者応募
スポットライツに出演したい企業様を大募集しております!
・会社の魅力を発信したい!
・あの企業を取り上げて欲しい!
自薦他薦は問いません。気になった方は下記公式サイトをチェック!
★SpotlightS公式(出演者募集)★
https://spotlights-smb.com/
▼ 目次
00:00 オープニング「常識破り!未経験から社長に!!ゼロから育てるプロ設計集団の経営術」
01:11 スタジオオープニング・番組概要
03:54 美しいしまなみ海道・世界初の3連吊り橋『来島海峡大橋』
07:10 津吉の挑戦①ゼロからプロへ!! チームワークで不可能を可能に!
14:12 スタジオトーク:(株)あかさき設計 代表取締役/津吉 啓次
15:01 スタジオトーク:未経験でもプロ設計士になれる理由
17:53 あかさき設計の世界に誇れる技術と未来へ受け継ぐ力
18:42 津吉の挑戦②次世代を育てる
21:15 役員でありながらロクにご飯も食べられなかった時代
25:50 スタジオトーク:CADの良さと心掛けるべきこと/フル完備の社員寮
29:48 スタジオトーク:リーマンショック時代・リストラする側の経験
32:00 さらなる挑戦/300人のプロ設計技術集団をつくる
39:48 スタジオトーク:血縁に会社を引き継がない理由
41:50 動画のまとめ
▼出演者情報
司会:濵田 裕(株式会社アイドマ・ホールディングス / マーケティング事業部_事業部長)
Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100006786976609
MC・進行:安田 美沙子(女優・タレント)
Instagram:https://www.instagram.com/okada_yui_official/?hl=ja
ナレーター:竹房 敦司
https://takefusavoice.com/
▼プロデュース会社情報
株式会社アイドマ・ホールディングス
①営業支援・各種サービスの詳細はこちら
https://02.sales-platform.jp/lp/aidma-hd01/
②企業様の番組出演等に関するお問い合わせはこちら
Mail:spotlights@aidma-hd.jp
▼制作会社情報
株式会社TELESA
総合プロデューサー:ラオス西田
総合ディレクター:植木歩生子
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