「あの人への“電話”が転機に――佐藤かよ、21歳で打ち明けるまでに抱いた思いと『残った人を大切に』の決意」

私が18歳でモデルデビューをした時、 まだ自分の中に整理できていない思いや 不安や期待が入り混じっていました。 名古屋で生まれ育った私にとって地元の ショップで働きながらファッションに 関わる日々はとても自然な流れのように 感じていました。店頭で洋服を提案したり 、自分なりにコーディネートを楽しむ中で 雑誌のスナップに声をかけられ、それが きっかけで芸能事務所にスカウトされたの です。最初は軽い気持ちでただ楽しそうだ し挑戦してみてもいいのかなという程度 でした。ところが思った以上に撮影の現場 は真剣でカメラの前に立つ度びに自分を どう表現するのかという課題が突きつけ られました。まだ若くてただ着せられた服 を着て立つだけで精一杯。それでも写真に 残された自分の姿を見てもっとこうしたい という欲が出てきたのです。女性として 活動していた当時、私は誰にも自分の出性 を打ち明けていませんでした。友達にも 仕事関係者にもさらには家族の一部にさえ 話せていなかった。表面上は女性モデルと して扱われ、その立場に徹することが自分 の選んだ道だったからです。嘘をついて いるというよりはただ言う必要がなかった いったところで理解されないだろう。そう いう諦めのような気持ちがありました。 メディアの仕事が増えて、東京に出る機会 が多くなってきた頃、状況は大きく変わり ました。ある日、事務所にかかってきた1 本の電話が全てを揺さぶりました。あの人 男ですよという密国の声、電話を受けた 社長に性別のことが知られてしまい、隠し てきた秘密が突然光の下にさらされた瞬間 でした。正直に言えば驚きよりもああ、 またかという思いの方が強かった。学生の 頃にもアルバイト先に同じような電話が かかってきたことがあったからです。誰か が必ず足を引っ張ろうとする、頑張ろう。 夢を覆おうとするたびに意地悪をする人が 現れる。子供の頃からずっとそういう経験 を繰り返してきたので慣れてしまっていた 部分もありました。ただ慣れていたとは いえ胸の中にツもるものは消えてくれませ ん。人に言われるたびにやっぱり自分は 普通じゃないのか自分は受け入れられない 存在なのかと何度も自分を責めてしまう夜 がありました。それでも一方で絶対に負け たくないという反骨心が芽えるのも事実 でした。誰かに邪魔されても自分の人生は 自分のもの。そうやって自分に言い聞かせ てステージに立ち続けるしかありません でした。21歳の時私はテレビ番組で自分 がトランスジェンダーであることを公表し ました。大きな決断でしたがどこかでもう 隠し続けるのは無理だと気づいていたから です。公表すれば当然のように賛否が 巻き起こる。それでもその波を受け入れ ない限り本当の自分として生きることは できないと感じていました。 好評の瞬間、スタジオの空気は一瞬止まっ たようでした。でも意外なほど自分の心は 落ち着いていました。長い間心の奥に 押し込めていた思いをようやく外に出せた そのアンドの方が大きかったのです。 もちろん放送後には大きな反響がありまし た。応援の声もあれば批判の声もありまし た。それでも知ってもらえたということ 自体が私にとっては大きな全身でした。 華やかに見えるモデルの仕事の裏側には常 に孤独と葛藤がありました。周りが拍手し てくれる瞬間でさえ、心のどこかではこの 拍手は本当の自分に向けられているの だろうかと疑ってしまう。そんな苦しい 思いを抱えながら笑顔で立ち続けなければ ならないのは想像以上に称することでした 。しかし、だからこそ強くなれたとも思い ます。人に言われた言葉や態度がどんなに 冷たくても自分の軸を守らなければなら ない。その繰り返しの中で私は私という 確信が少しずつ育っていきました。東京で の仕事が増え、少しずつ名古屋の友人たち とも疎になっていきました。環境が変わる たびに自分をさらけ出すか隠し続けるか その選択を迫られる。私の場合、ずっと 校舎を選んでいたけれど好評を経て初めて さらけ出すこともう1つの強さだと知り ました。芸能界に足を踏み入れてからと いうものたくさんの人と出会いました。 支えてくれる人もいれば拒絶する人もいる けれどその全ての出会いが自分を成長させ てくれたのだと思います。心ない言葉で 傷つけられた経験も振り返ればそれがあっ たから今があると言えるようになりました 。そして今改めて思うのです。私にとって モデルという仕事はただの職業以上の意味 を持っていました。自分の存在を世の中に 示すための舞台であり、同じように悩む誰 かに大丈夫だよと伝える手段でもあったの だと。夢を追いかけている途中で何度も 立ち止まりそうになったことがあります。 けれどそこで諦めていたらきっと今の私は いないでしょう。たえ苦しくても逃げずに 進んだからこそようやく本当の自分として ここに立てている。これから先もきっと壁 は現れるでしょう。だけどもう怖くはあり ません。過去の自分が乗り越えてきた数々 の夜を思えばこれからの壁だって超え られるはずです。ここまで歩いてきた 道乗りを振り返ると決して純風満パでは ありませんでした。むしろ困難の連続だっ たと言ってもいい。でもその困難の1つ1 つが今の私を形作った大切なピースなの です。だからこれから出会う人たちにも 伝えたい。どんなに不安でもどんなに人に 言われても自分の道を選んでいいんだと。 誰かの基準に合わせて生きる必要なんて ない。あなたの人生はあなたのものだから 。私があの時またかと諦めそうになり ながらも立ち続けたようにきっと誰にでも ここで諦めないという瞬間があるはずです 。その瞬間を選び取れるかどうかで未来は 大きく変わる。そう信じています。今私は 公表したことを公開していません。むしろ あの時勇気を出して良かったと心から思っ ています。誰かがいいんでさやこうが電話 をかけてこようがもう揺らぐことはあり ません。自分が自分であることそれを隠さ ずに生きられることそれ以上に大切なもの はないのです。そしてこの経験を通して 知ったのは本当の自分を認めてくれる人は 必ずいるということです。どんなに数が 少なくても心から理解してくれる人の存在 が何よりの支えになります。私もまたこれ から誰かの支えになれるような存在であり たいと思います。この物語はまだ途中です 。モデルとして、タレントとして、そして 1人の人間としてこれからも歩んでいく。 その道のりがどんな形であれ、私は胸を 張って私は佐藤をかよと言い続けます。 その言葉を自信を持って言えるようになっ たことが何よりの誇りなのです。そして私 が歩んできた道は決して特別なものでは ないのかもしれません。多くの人が それぞれの場所で自分の存在をどう認めて もらうか、どう理解してもらうかで悩み ながら生きています。ただ私の場合はこう にされるという状況が重なり人よりも早く 強制的に向き合わざるを得なかっただけな のだと思います。だからこそ同じように 苦しんでいる人へ伝えたいのです。誰かに 否定されても自分の中にある本当の声を 消してはいけないということ。どんなに外 の声が大きくても自分の声を守り続ければ 必ず道は開けていきます。私にとって モデルや芸能の仕事は夢であり挑戦であり 、同時に自分自身を証明する手段でもあり ました。そして今はその経験を通して得た 強さや学びを社会や次の世代へ渡していき たいと思っています。表部隊に立つ人間で ある以上、そこには責任があると感じてい ます。これからも新しい挑戦に立ち向かっ ていくでしょう。時にまた誤解や批判を 受けるかもしれない。それでも私は過去の 自分に誓った通り逃げずに真正面から 受け止めて進んでいきます。最後に伝え たいのは諦めなければ必ず未来は変わると いうことです。私がそうであったように誰 もが自分の力で未来を切り開くことができ ます。その一歩を踏み出す勇気を持てる よう私はこれからも語り続けていきたいの です。y