日航機墜落から40年…慰霊登山続ける遺族の思い 御巣鷹「慰霊の園」から中継
日期墜落事故から今日で 40年です。 え、墜落現場近くの群馬県の高山の麓元に木村キャスターがいます。木村さん はい。 事故から40年が経ちました。40回目の 8月12日目。8月12 日はしと雨が降っています。今から 40 年前の今日この群馬県上野村の山に日本国空 123便が墜落しました。520人が 亡くなっています。で、この場所というの は慰例の園という、ま、追道依頼式店が、 え、この後午後6時から行われる場所なん ですが、準備が今行われています。 あの瞬間大切な人たちを失った、残された 人たちというのは毎年この8月12日に 大阪に慰例登山をします。私も同行しまし た。小林ゆみ子さんです。40年前、当時 21歳だった弟の博幸さんをなくしました 。博幸さんの口癖は姉さん笑ってだった そうです。ですから今日も勤めて笑顔で 登山をされていましたが、 母標で手を合わせる時には溢れる思いと いうのを止めることができませんでした。 ただ夢み子さんは下山の時には弟と約束し たから下山をして明日からは笑顔でまた 過ごします。そのように40 回目の夏を話してくれました。 え、木村さん、あの40 年、ま、非常に長い年月ですけれども、そういった変化ですけれども、皆さんはどのように感じていらっしゃるんでしょうか? 皆さん、やはり空への安全ということ、それから身の回りの小さな幸せを忘れないでほしい。これはずっと変わらず共通しています。ただ山の変化というのはとても大きいと話をしていました。 ゆみ子さんも大川は穏やかで優しい山になったと話をしていました。 え、自己当時は山肌が向き出しになっていた場所も 40年が経って草が追いしげる 緑豊かな場所になったと話をしています。 登山をするたびに命を感じると うん。 それが大きな変化ですねと。 おは優しい山になりました。穏やかな山になりました。そして人をつぐ山になりました。そのように話をしています。 木村さん、あのご遺族の方々の高齢家というのも進んでいると思います。 次の世代にこうどのように伝えていくま、そういった取り組みなどされてるんでしょうか? はい。やはり残された家族年少なくなっています。それから高齢家も非常に深刻です。登る方々も今年が最後の登山になると強い決意を持って登られてる方も少なくありません。ただ次の世代にというところで言うとまず啓発センターができたこともそうですがあの夢子さんの 2 人のお子さんですね。え、息子さんは新幹線の運転士をされています。 人の命をしっかりと安全に送り届ける役目を果たしています。それから娘さんは小学校の教員をしています。子供たちに命のさ、大切さを教えています。 母親の背中を見て事故の教訓を受けてしっかりと その思いというのは受け継がれています。ゆみ子さんも私たちにしっかりと思いを伝えてくれました。事故の思いを 40 年が経ってもやはり伝えるということは心に痛みが伴うものです。 しかし風火をさせたくないと残された皆さんはその強い思いで私たちにもお話をしてくれます。各意私も事故語に生まれた 1人です。 ま、こういった私たちがまず事故を知ってそして身近な空を見て空への安全を願ってそうするとこの空に たくさんの方の思いが詰まっているということが分かると思います。 木村キャスターでしたね。 本当に知ることを伝えていくこと大事だなと思いますが、私もあの 30 年のタイミングで慰例登山一緒にさせていただいて、あの当時広がっていた生産さ、どう言葉で伝えていいんだろうという風にとても感じた記憶があります。山口さん、こう伝えていくことっていうの今後もずっと課題にしていかないといけないですよね。 確かに日本航空の車内で事故してる人はもう 17人0.1% になったと言われています。で、その中 2023 年以降はあのパイロットの印象とか様々な事故があの続いていますのでから懸の声も上がっています。 己を保存しているの安全の第に難しいからこそ世代を超えて伝えていくことが今求められてんじゃないかと思いますね。 そもそも安全というのが何かってことですよね。 [音楽]
日航機墜落事故から40年。
40年前の8月12日、群馬・上野村の山に日本航空123便が墜落し、520人が亡くなりました。
追悼慰霊式が午後6時から行われる「慰霊の園」では今、準備が行われています。
御巣鷹の慰霊登山に同行したフジテレビ・木村拓也キャスターが、中継でお伝えします。
FNNプライムオンライン
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