2025年7月6日 主日礼拝
あ 。 はい。 ສ 体調の優れない方はお座りになったままで 結構です。招きの言葉ご起立ください。 私を苦しめるものを前にしてもあなたは私 に食卓を整えてくださる。私の頭にこう いうを注ぎ、私の逆月きを溢れさせて くださる。命のある限り恵みと慈しみは いつも私を負う。主の家に私は帰り、生涯 そこにとまるであろう。お座りください。 261節、2節を賛備いたします。 さ れしよ えし の 主の と め を捧げ ます。 あメん。 信仰告白日本キリスト教会信仰の告白。 私たちが主と崇める神の1人後イエス キリストは誠の神であり誠の人です。主は 神の永遠の計画に従い、人となって人類の 罪のため十字架にかかり、完全な犠牲を 捧げてあないを成し遂げ、復活して永遠の 命の保証を与え、救いの完成される日まで 私たちのために取りなしてくださいます。 神に選ばれてこの救いの宮を信じる人は皆 キリストにあって義と認められ功なしに罪 を許され神のことされます。また父とこと と共に崇められ礼拝される精霊は信じる人 を成果し心を行わせてくださいます。この 3 一体なる神の恵みによらなければ人は罪のうちに死んでいて神の国に入ることはできません。 9 新約聖書は神の言葉でありその中で語っておらる精霊は主 イエスキリストを明らかに示し信仰と生活 との誤りのない審判者です。教会は キリストの体神に召された世よの生徒の 待ち割りであって主の委託により正しく 御言葉を述べ伝え精霊点を行い真を訓練し 終わりの日に備えつつ主が来られるのを 待ち望みます。古代の教会は聖書によって 次のように信仰を告白しました。私たちも また首都信仰の伝統に従い賛美と感謝とを 持ってこれを共に告白します。私は天地の 作り主善脳の父なる神を信じます。私は その1人後、私たちの主イエスキリストを 信じます。主は精霊によって宿り、乙女 マリアから生まれ、ポンティオピラトの元 で苦しみを受け、十字架につけられ、死ん で葬られ、読に下り、3日目に飛者のうち から復活し、天に登って善脳の父なる神の 右に出しておられます。から来て生きて いるものと死んでいるものとさかれます。 私は精霊を信じます。聖なる行動の教会、 生徒の交わり、罪の許し、体の復活、永遠 の命を信じます。アーメン。 三日美1番。 の力 を よに 全 つり たい には見え た に すれ た 神 からを 見 に にれました めよしれ いくら に え の を 受け あん。メン。聖書マルコによる福印書 2章13節から17 節。イエスは再び湖の仏に出て行かれた。 軍衆が皆そばに集まってきたのでイエスは 教えられた。そして通りがかりに アルファイの子レビが修勢所に座っている のを見かけて私に従いなさいと言われた。 彼は立ち上がってイエスに従った。イエス がレビの家で食事の席に着いておられた時 のことである。多くの頂税人や罪人も イエスや弟子たちと同席していた。実に 大勢の人がいてイエスに従っていたので ある。ファリサイ派の立法学者はイエスが 罪人や人と一緒に食事をされるのを見て 弟子たちにどうして彼は超税人や罪人と 一緒に食事をするのかと言った。イエスは これを聞いて言われた。医者を必要とする のは丈夫な人ではなく病人である。私が来 たのは正しい人を招くためではなく罪人を 招くためである。 祈ります。 教会の頭イエスキリストの父なる神様。7 月最初の主の日の朝私たちを見舞にお招き くださり御言葉を持って救いと見とを 私たちに継げようとしてくださいますこと を覚え心より感謝を申し上げます。どうか 精霊によって私たちの心に喜びを満たし、 あなたに賛日と感謝の礼拝を捧げさせて ください。神様、私たち先の市の日におい てあなたから豊かに御言葉を与えられ、 祝福と共にそれぞれの場合と使わされまし た。今見舞にあってすぐ優る一周の歩みに ついて思い起こす時私たちは満ち溢れる あなたからの恵みと愛を忘れこの世の様々 な出来事について人間の価値観で物事の 判断し思いづらい悩むことの多い日々の 歩みでした。このような私たちの歩みは あなたの見心に叶ったものではありません 。 神様、私たちこのように罪深いものである にも関わらず、あなたは遠い昔、あなたの 1人をこの地上におつわしになり、巫女 イエスキリストの十字架での崇いによって 私たちを罪のうちから救い出し、永遠の命 の保証を与えてくださいました。このこと を覚えて心より感謝を申し上げます。神様 、どうぞこの礼拝において豊かに御言葉を 与えてくださり、この場に集う1人1人が あなたの哀れみと巫女イエスキリストの 取りなしによって今この瞬間生かされて いることの恵みに感謝し、今日から始まる 1週間主を証しし教会に使える毎日となり ますよう精霊の豊かなお導きをお願い いたし 日本と世界の人々のために祈ります。地震 や熱波などの自然災害によって困難な生活 を強いられている多くの人たち食べるもの や住むところのない人たち病や痛み苦しみ の中にある人たち愛するものを失った人 たち戦争により怪我をしたり傷ついている 多くの人たちがいます。神様、どうぞこの ような人たちに慰めと励ましとをお与え ください。高齢や病のため、またその介護 のためにこの礼拝に集うことのできない 兄弟姉妹をその場にあって帰り見て ください。 教会から遠ざかっている兄弟姉妹のことを 覚えます。神様、どうかこのような人たち にもう一度教会へと向かう力を与えて ください。本日この礼拝に集っている球道 の友をあなたが帰りみ、あなたへの信仰を 力強く告白する喜びの日を1日でも早く 与えてください。あなたの救いと愛を 伝えるために世界中の教会で行われている 主の日の礼拝の上に豊かな祝福があります ように主イエスキリストの皆によって祈り ます。あーメン。 三美カ58。 を 見え 我らの 受け入 うえれよりしたよ。 せ に 救い をし はせらせ の やめる のを見し 罪 の を きれ を知るの 主 隠れてしめ 7月に入り礼拝道内の気温がこのように 高くなってきております。え、皆さん どうぞこの説教の途中であっても遠慮 なさらず積極的に水分補給をなさって ください。え、また気分が悪くなった場合 には涼しい場所へ移動なさってください。 え、そのようにこの札幌も暑い時期を迎え ているわけなんですが、イエスキリストが 生きていた地域も大変暑さの厳しい場所 でした。 ま、ですのでこうした熱い中で聖書の言葉 を聞くというのは、ま、良い方に考えます とイエスキリストの言葉に近づく絶好の 機会であるとも言えるでしょう。 イエスキリストは人々の前で言葉を話す。 つまり説教をして多くの人に教えを伝え ました。 え、しかしながら説教と言いましても聖書 の何章何説を見てくださいというようなあ 、今日のどこかの牧士が毎週やっている ような説教ではなかったようなんですね。 イエスキリストの説教は1節によりますと 、たった一言だけで終わることも多かった のではないかと考えられています。 え、たった一言で終わるいわばワン フレーズ説教ですね。 人並み外れた言葉の力を持っていたイエス キリストにしかできない特別な説教です。 そのたった一言の短い言葉は強い日差しに じリじリと照らされる熱い中でも聞く人の 乾いた心にすっと入ってその心を潤した ことでしょう。 え、そこで今月と来月の礼拝では元々は イエスキリストのワンフレーズの説教で あったと思われる聖書の箇所を福印書の中 からいくつかピックアップしましてその 言葉の力に触れてまりたいと思います。 今日読んでいただきました箇所はワン フレーズ説教の典型的なものです。 え、今日の箇所の終わり17節を見て いただきますとこうあります。 イエスはこれを聞いて言われた。 医者を必要とするのは丈夫な人ではなく 病人である。私が来たのは正しい人を招く ためではなく罪人を招くためである。 え、この部分がイエスキリストの言葉とし て古くから伝えられていたものと思われ ます。 そして伝えられていたその言葉にぴったり 合うようにマルコによる福印書は本日の 場面全体を描いているようです。 イエスキリストの言葉が先にあって、その 上で例えばこういう状況を思い浮かべて このキリストの言葉を聞くと分かりやすい ですよとマルコによる福印書は読む人に 提案をしてくれています。 え、ではその状況を簡単に見ておき ましょう。 イエスキリストが湖のそばを歩いていた時 、修勢書の前に腰かけていたレビという 職員に声をかけます。 この湖の周りは当時いくつかの小さな国に 分かれていました。 そのため、え、例えば湖の反対側から湖を 渡ってきた船は湖に湖の港があるんです けれども、その港に入って荷物を陸に 上げる時に完税を払わなければならなかっ たんですね。 え、その税関で働いていたのがレビッと いう人だったと思われます。 事務所に戻って玄関前に座っていたという ことは、ま、おそらく休憩時間だったん でしょうか。 そのレビにイエスは私に従いなさい。そう 声をかけます。 するとレビは立ち上がったと言われてい ます。 キリストから声をかけられたことによって 座っていた人が立ち上がりキリストの方へ 歩み出す。 キリストの言葉を心にしっかりと受け止め た人の中に起こる見えない変化をマルコに よる福印書はこうして分かりやすく見せて くれています。 イエスがレビに声をかけたということが 非常に大切です。 え、先ほど読みました17節イエスのワン フレーズ説教の中にありました。正しい人 を招くためではなく、罪人を招くためと いう、この招くという言葉は実は声で 呼びかけるという意味の言葉なんですね。 え、ですので今日の箇所で言われています というのは単に食事の席に招待すること だけを指しているわけではないんです。 ま、そもそもレビの家での食事会ですので 、レビがそこにいるのは招待されたからで はありませんよね。 食事会に招待するということではなくて、 もうそれ以前に修勢書の前に座っていた レビにキリストが声をかけたことが招きと 呼ばれているんです。 キリストから直接声をかけられて、その人 の人生が丸ごと神の国に招かれていると いうことです。 え、さて、食事会の様子を聞きった ファリサイ派の立法学者がイエスの弟子 たちに苦情を言っています。 こうして彼は超人や罪人と一緒に食事を するのかと聞いています。 ファリサイ派の立法学者というのは宗教の 専門家のことです。 ユダヤ教の決まり事ですとか敷きたりに とても詳しい人でした。 え、この当時のユダヤ教の考え方では罪人 と仲良くするとその罪が感染症のように人 に移るという考え方がされていたと言い ます。 バキもウイルスも知られていない古い時代 ですので、罪が人に移ることはないとは 言いきれなかったんですね。 ですので罪人ですとか良くないことをした 人とはなるべく距離を置くことが一般的で あったと言います。 え、今日の箇所で医者ですとか病人という 話が出てきているのにはそのような背景も あるんですね。 え、さて、朝税人という仕事は当時刑別さ れていた仕事でした。 え、当時の人々にとってこの時の王様は あまり評判の良い人物ではありませんでし たし、その上にあるローマ帝国もこの土地 の人々からはよく思われていませんでした 。 え、現代の感覚からしますと、税金の 支払いをしっている方が積人に近いんじゃ ないかなとも感じてしまうんですけれども 、しかし当時の感覚は違ったんですね。 ユダヤ教の立法を尊重しない王様ですとか ローマ帝国に使えている人は多くの民衆 から罪深い人と見なされていたようです。 え、さらにはお金を集めるという行為自体 も素朴な人たちから見ますと、自分の欲望 のために大きな金額を集めているように 見えていたとも言われます。 え、そう考えますと超人であったレビは 真面目に働いてちゃんと税金を集めれば 集めるほど自分の評判がどんどん悪くなっ ていくという大変気のどな循環に陥ってい たのではないでしょうか。 悪いことをなかなかやめることのできない 罪人とはまた違った意味で調税人であった レビは悪い循環からどうしても抜け出す ことができずあの場に座り込んでいたよう にも思われます。 え、そしてこの福印書を読んでいる私たち もまた同じように自分の中にある罪に 気づいたからと言ってその罪をどうにか することができるわけではありません。 自分の中にある罪に気づかない 見て見ぬふりをするとしたらそれは当然 さらにその罪がひどくなっていくこと でしょう かと言って罪に気がついてその罪を気にし 始めればそれはそれで自分の中にある罪が より重く感じられるものです。 罪の自覚が深くなっていき、毎日の暮らし で行う1つ1つのことがこれは罪なんじゃ ないかな。あ、これも罪なんじゃないかな と。罪の力によってどんどん私たちの 暮らしが黒く塗られていくように感じ られることでしょう。 私たち自身の力ではどうしても抜け出す ことのできないものが罪という私たちの 生きている現実なんですね。 え、さて、本日のイエスキリストの言葉、 医者を必要とするのは丈夫な人ではなく 病人であるという、え、この言葉の中には 現代に生きている私たちだからこそ新しく 聞き取ることのできる要素があるでしょう 。 なるべくならば病人になる前に定期的にお 医者さんから検査を受けた方がいいという のが現代の常識ですよね。 一見丈夫な人であっても病気につがる 小さな兆候をお医者さんに見つけてもらっ て普段の生活を改善しなければなりません 。 絶対に病気にならない人が1人もいない ように罪を犯さない正しい人もいないはず なんですね。 神の前で完全に正しく生きられるほど丈夫 な人はこの地上に誰1人としていません。 キリストの呼びかける声というのは特別な 人だけではなくて神の前に生きている全て の人を神の国へ招きれる声であると言える でしょう。 私たちが自分ではどうすることもできない 罪の力に押しつされて座り込んでいる時、 私たちにはきっとキリストの呼びかける声 が聞こえてくることでしょう。 今この時も私たちに呼びかけ続けている イエスキリストの声をしっかりと聞き取っ て、今週もこの礼拝の座席から立ち上がっ て歩み始めたいと思います。祈りましょう 。 哀れみ深い神を深い悩みの中に消えりそう な命をあなたはこの地上で探し見つけ出し てくださいます。そしてそのことを心から 喜んでくださいます。私たちがあなたへの 大きな信頼を持って与えられた命を喜んで 生きることができますようにこの週の歩み を導いてください。イエスキリストの皆に よって祈ります。あーメン。 3 にられるより の 見える に し の上 に し なる よに は 罪の を の に し た を し たよ 我を 全てに あめん 。 私たちは今主イエスキリストによって制定 された生産に預かろうとしています。これ は主イエスキリストが十字架につき、 私たち罪人の救いのために成就して くださった食材の犠牲を表すものであり、 また終わりの日に預かる主の祝演を あらかじめ告げるものです。 この霊点は人たちによって伝えられよの 教会がそれを受けて御言葉の説教と共に 終わりの日まで守り続けるべきものです。 栄光の主は精霊において私たちの食卓に共 にいます。信仰を持ってこれに預かるもの のうちに働き交わりを新たにし罪の許しと 永遠の生命の約束を固くし、教会の一致を 保たせてくださいます。 それ故え私たちは特に心してこの霊点を 守るべきです。 生産は信仰において守るべき霊点ですから 洗礼を受けていないもの小二例だけでまだ 進行告白をしていないもの及び倍散停止の 解棄を受けているものはこれに預かること ができません。 従ってキリスト教の洗礼を受けていない方 はこれから配られるものを受け取らない ようお願いいたします。 すでに戦礼をけたものはこの教会員でもこの生産に預かることができます。定の言葉私が方に伝えたことは私自身 主から受けたものです。すなわちは引き渡される夜を取り感謝の祈りを捧げてそれを咲きは方のための私の体である。 私の記念としてこのように行いなさいと 言われました。また食事の後で逆月きも 同じようにしてこの逆月きは私の血によっ て建てられる新しい契約である。飲む度に 私の記念としてこのように行いなさいと 言われました。だからあなた方はこのパン を食べ、この逆月きを飲むごとに主が来 られる時まで主の死を告げ知らせるのです 。 祈りましょう。 恵み深い父なる神を罪人である私たちを主 イエスキリストが愛してその食卓に招き、 またご自身の体を持って十字架につき罪の 崇いを成し遂げてくださったことを感謝 いたします。どうか今私たちに主の愛と 苦しみを深く覚えさせてください。主の パンと逆月きに預かる私たちに罪の許しを 恵みとして与え、復活の主に続く私たちの 命を確かなものにしてください。見舞たち 皆を主イエスキリストにおける1つの 交わりに預からせてください。イエス キリストの皆によって祈ります。あーメン 。 パンを分けます。 これはあなた方のための私の体である。私 の記念としてこのように行いなさい。 必要な方で配られていない方は手を上げて ください。 逆月きを分けます。 この逆月きは私の地によって立てられる 新しい契約である。飲む度に私の記念とし てこのように行いなさい。 必要な方で配られていない方は手を上げて ください。 感謝の祈りを捧げましょう。 教会の頭主イエスキリストの父なる神を 愛する1人をあなたが私たちにわり私たち を罪い 永遠の命を与えてくださったことを感謝 いたします。哀れみ深い主与心に背いてき た私たちをあなたは決して見捨てず、今日 この恵みの食卓につかせてくださいました 。どうかこれからも私たちが永遠に主と共 にあってあなたの栄光を表すものとされ ますようにイエスキリストの皆によって 祈ります。あーメン。 2951節、2節、4説 に 罪 を無をさ 今 に しの主は 誰を てよなよし はえしれよす をせれ 主 をした の に えし をれ 献金をいたします。 うん。 ご起立ください。 祈ります。 主イエスキリストの死なる神様、皆を賛備 いたします。ただ今はマルコによる福印書 に 示された豊かな心理について解き明かしを 聞くことができ弁面を受けることができ ましたことを感謝いたします。 また生産を通して生ける主と信仰の交わり をすることができましたことを感謝いたし ます。この1週間もそれぞれの場所にあっ てあなたの見心を荒らしていくことができ ますように私たちを導いてください。ただ 今捧げました金を性別して主のご用のため にお持ちください。主イエスキリストの皆 によって祈ります。 の祈り 天に増します我らの父を願くは皆を崇めさせた前国を鍛らせた前心の天になるごとく地にもなさせた前我らの日王の家を今日も与えた前我らに罪を犯かすものを我らが許すごとく我らの罪をも許した前我らを 試みに合わせ ず悪より救い出した前国と力と栄えとは限りなく何時のものなればなりアーメン。 省映541 の神様 され 平安のうちに行きなさい。 主イエスキリストの恵み、神の愛、精霊の交わりがあなた方一道と共にあるようにあメン。 え、ご報告の
司式 長老 土門卓文
奏楽 小泉優香
前奏 「神の幕屋にて」
招きの詞 詩編23篇5~6節
讃美歌 26(1・2節)
信仰告白
讃美歌 1
聖書 マルコによる福音書2章13~17節(新約64頁)
祈り
讃美歌 58
説教 「罪ある人こそ招かれる ~優しく学ぶキリストの教え~ 牧師 田中康尋
祈り・黙想
讃美歌 257
聖餐
讃美歌 第2編95(1・2・4節)
献金・祈り
頌栄
派遣・祝福
後奏 「リチェルカーレ ホ短調」
報告
