ゲスト:田口亜希(日本パラリンピック委員会運営委員)

[音楽] 番組アンバサダーの市川団十郎白炎です このコーナーは毎回1人の障害者 アスリートチャレンジドアスリート及び 障害者アスリートを支える方にスポットを 当てスポーツに対する取り組み苦労喜び などを伺い ますパラ射撃元日本代表でパリ2024 パラリンピック競技大会 団の田口 です日本パラリンピック委員会運営委員 田口さん1971年大阪市生まれ25歳の 時髄の病気を発症車生活になりまし たパラ射撃ライフルの日本代表として パラリンピックには2004年のアテネ 大会から3大会連続で 出場アテネ北大会では連続でを果しまし た東京オリンピックパラリンピックの承知 活動でも 活躍現在は日本財団パラスポーツサポート センター競技団体支援部のディレクターと して活動する傍今年のパリ2024 パラリンピック競技大会日本代表選手団の 団長を務めまし た田口さんが射撃に出会ったきっかけは リハビリ病院でみんなで車石になっても できるスポーツ何だろうっていう話をした 時に射撃もあるよって言われてあ射撃やっ てみたかったんだっていう話をしたんです ねその何年後かに私があの神戸で働くよう になりましてでその時にその病室にいた人 で神戸の人がいたので今度働くようになり ましたってご連絡したところその方があの 実は私ビームライフル好戦住の教室に通っ てるんだけどあきちゃん射撃に興味あ るって言ってたよねって言ってみないって 誘ってくださったそれがきっかけです です田口さんは2004年アテネ大会で 初めてパラリンピックに出場しましたその 時の心境はそうですね本当にドキドキし ましたしプレッシャーではないんですね その時私実は推薦順位っていうのがあるん ですねその順位では私かなり下の方だった のであのですのでそういう意味では皆さん からの期待は少なかったかなっていうのは 思います アテネでの目標はメダルをなんか取りた いっていうのは思っていましたよねその 自分が届く届かないではなくてやっぱり メダルしかこう評価というか表せるものが なかないと思っていましたのでメダルを 取りたいなと思っていまし た初の大部隊にも関わらず田口さんは7位 に入り日本人選手初の入を達成しました まずは皆さんがす喜んったことがやっぱり 嬉しかったです ね田口さんは続く北京大会でも8位入賞 ロンドンを最後に代表からは知りときまし たが3度のパラリンピックで1番印象に 残っていることはやっぱり1番最初の アテネなのかなっていう風に思いますで 2004年ですねその頃日本では多分 パラリンピックっていうことを知らない方 もたくさんいらっしゃったと思うんですね 私の会社の上司もですねアテネ オリンピックが終わった後にですね オリンピック終わったね次明きちゃんの番 だねでパラリンピックはどこでやるのって 聞かれたんですよそれぐらい同じ場所でや るっていうこともご存知ないっていう ところがあったのかなと思いますので実際 に当てに行く前はあのそんなに観客の方が いっぱいいらっしゃるとは思っていなかっ たです開会式の会場に入った途端ですね もうすごい観客の方々でそういうのを見る とすごいやっぱりは なんでこんなに私たちのためにみんなが 応援してくれるんだろうと思いましたし人 ってチャレンジしている人に対して応援し てそしてこうやってエールを送って くださるんだなと思ったら本当に人って 素晴らしいなと思ったし私もそういうこと をできる人になりたいなと思いまし た田口さんは東京オリンピック パラリンピックの知活動にも関わり知成功 にも貢献しました パラリンピックが残したレガシーと はパラリンピックっていう言葉がまず ほとんどの人がま知ってますよねなんなら 小学生の方がパラリンピックの歴史をよく 知ってたりそういうのも感じますしあと パラスポーツの中でもま射撃もそうです けど例えばぼっちゃとかゴールボールとか パラならではの競技っていうのは昔は ほとんどの方がご存じなかったんですけど もなんなら皆さんもやったことがあるとか そういう意味では本当に皆さんに知って いただいたっていうところはあり ます東京承知決定後日本財団が パラリンピックサポートセンターを設置 28のパラリンピック競技団体が入ってい ますサポートセンターができたことでパラ スポーツ会にはどんな変化があったん でしょう かそれまではですねほとんどの競技団体 さんがまずボランティアでスタッフが動か れているそしてオフィスがなくてですね 自分の家でやっているとかオフィスを持っ ててもワンルームマンションとかで事務所 を抱えていらっしゃる競技団体さんが ほとんどだったんですねですので ボランティアからちゃんと給料をもらって そこの事務員とか事務局長になられる方が いらっしゃいますしあとはパラサポのワン フロアが競技団体が入れるオフィスになり ましたのでそこにま事務所を構えることが できたっていうところですもちろん強化費 が増えることっていうのはとっても大切な んですけども木団で運営の方をパラサポが 助成金とかオフィス提供をすることによっ て強化費をうまく使えるようになったり そうなると強化ができ強くなっていくって いうそういう役割は果たせたと思いますし 今も行っているっていうところ です田口さんはこちらでどんなお仕事を 担当しているんでしょうか今はですねあの 競技団体支援部っていうところの ディレクターをしておりまして実際には ですのでその28競技団体の皆様にま女性 金を交付することを行ったりオフィス環境 を整えたりあと色々な情報をお渡ししたり とかあとはコンプライアンス研修会とか 競技団体さんのためになることを色々 考え出してあの競技団体さんにご提供し たりしています東京パラリンピックでは 組織委員会アスリート委員と選手村の副 村長を務めた田口さん副村長の仕事と は本来はですね入村式っていうのがあるん ですね残念ながら東京大会の時コロナで やっぱり人との接触がダメでしたのでそう いうのはできませんでしたただその代わり といっては何なんですけどもま村長副村長 がですね希望する国ではですねオンライン でそういうご挨拶っていうのをいたしまし てあのお話しするっていうのを行ってい ましてどこの国もおっしゃったのは オリンピックパラリンピックを開催して くれてありがと て1年遅れて色々困難だったけど本当に ありがとうっていう言葉を何度もお聞きし まし た田口さんは今年3月からパリ パラリンピック日本代表選手団の団長を 務めましたえ私でいいのって思いました今 まで選手が何回かねあの団長は務められて いるんですけども皆さんメダルを取られて るっていうイメージがありましたのでただ ですねやっぱり今まで自分は選手として 関わってきたその代表選手団にそこが今度 は団長というか本部役員として関わるてい ところでですねやっぱり自分が選手の立場 だったからこそできることとかやっぱり どういう風に運営がされているのか見れ ますしせっかくお声かけていただけたって いうところでお引き受けした形になり ます団長は具体的にどんな仕事を担当する んでしょう か競技大会開催中は基本的には応援に回っ たりあとちょっと外交的な部分ですかね 団長会議っていうのが何日間か起きに朝 行われるんですけどもそういうのにも出席 したりあと大使館に行ったりとかもあり ますし外の方にもお挨拶に行くっていう ところも期間中はありましたまたですね あの大会前で言うと決断式でご挨拶させて いただいたりとかですねあとはそうですね ユニフォーム発表とかも出ましたねで 終わった後もですね総理大臣鑑定に行って ですねご報告とかそういうのを行ってい ます大会前の日本選手団の目標は過去最高 の2004年アテネ大会を超えるメダル数 53個でした実現のためにした バックアップとは直接やっぱり競技団体さ の強化に何か関わるっていうことはして おりませんがやっぱりjpcと競技団体 さんがですねそこは綿密にパリの前だから ではなくもう何年も前からずっとあの選手 たちのサポートまた強化っていう部分では 連絡を取り合ってあと取り組みを行ってき たっていうのはありますし今もパリが 終わったから終わりではないので引き続き 行っているっていうところ です選手とのコミュニケーションはどう やって測っていたんでしょう か私が出てた時の選手もたくさんいますし イベントで会ってて仲良くなってる選手も いますしまた今回初めましてっていうもう 本当に10代の選手とかもいるんですがま ただなかなかですね選手村の中では大会前 はやっぱりえ集中している選手とかあと 楽しんでる選手とかもいますのでそこは なんとなく雰囲気を見て声をかけたり あえて静かに声をかけるとかもありまし た団長として選手の悩み事を聞いてあげた ことは悩み聞きましたちょっとま調子とか あのま基本的にはそういう選手はやっぱり 前から知っている選手が多いんですけども 例えば選手村の日本人との前とかで会った 時にこんにちはどうって言ったらいや実は て言わないでくださいねとか言ってそう いうのを聞いたりしたらもうその後からも まちょっと声をかけてみるとかどうその後 はとかいう風に声をかけるようにはしてい まし た田口さんは大会期間中競技をどこでご覧 になっていたんでしょうか基本的にはもう 朝から晩まで競技を見に行っていました 結構競技色々見まして多い時はご競技 ぐらい見に行ったりしていまして結構そこ もスケジュールも本当に大変で自分たちで こう今何の競技が残ってるかとか決勝に 残ったとかもスマホを片手にサイトで チェックして今ここが残ってて今も次あの 決勝に残るみたいだからじゃこの大会 終わったらそっちへ移動しようとか結構 色々動いていました パリで日本選手団が獲得したメダル数は金 14個銀10個同17個合計41個でした その中で田口さんが印象に残ったメダルは 例えばでしたらば車椅ラグビーが金メダル を取りましたで車椅ラグビーはリオ大会 東京大会って同メダルで準決勝の壁を 超えれないっていうのをすごくおっしゃっ てたんですよねでもそこを超えたこのパリ で超えたりでこれはですねあの日本ではえ 男子のチーム競技では初めての金メダルな んですよねでさらにその後はゴールボール が男子が金メダルでゴールボールの場合は ですね東京大会では時刻開催の枠で出場さ れてパリに出るにはちゃんと自分たちで枠 を取ってきてそしてさらに今回結果として 金メダルを取ったっていうの素晴らしい ところだと思いますまた女子のシングルス では上ゆいさんがダブルシングルスともに オランダを破って金メダルを取ったとか 勝てなかった相手にを超えてきてていう ところとかあとは2連覇で金メダルを取っ た選手たちとかですねそういう意味では 史上発とかですねなんか自分たちの壁を 超えたとか個数だけでは表せないなんか そういう素晴らしさっていうものは感じた 結果かなという風に思ってい ます特に射撃の今後10mエアライフル者 水田美香選手は田口さんと同じ射撃しかも 射撃では日本選手初のパラリンピック メダル獲得という快挙でし た本当に私たちの祈願のメダルでしたし 頑張ってくれたなっていうのはすごく思い ますただねみんなどの選手ももちろん 頑張っているんですけども彼女は東京大会 できっと悔しい思いをしてそこバに やっぱりパリではっていうやっぱり気持ち の強ささっていうところはあったのかもな という風に思い ます水田選手には直接どんな言葉をかけた んでしょう か本当におめでとうって言いましたしその 時もう1人の選手セガ明子さんも いらっしゃってセガさんはアテネロンド ンって一緒に出てますので彼女にもお疲れ 様でしたっていう風にお伝えいたしました バラの選手は何らかの障害を持ってたりし て体調のコントロールが難しい選手もある と思うんですよねちゃんとその大会に ピークを合わせてくるそこで自分の持っ てる実力をきちんと発揮できるっていう ところは素晴らしいなっていう風に思い ます選手としてスタッフとして長年 パラリンピックに携わってきた田口さん パラリンピックが持つ意義について聞いて みましたパラリンピックってやっぱり いろんな工夫が詰まっていると思うんです ねで東京大会でしたらば例えば ピクトグラムを格に障害のある人が触って 分かるようにこうちょっとデコボコがつい てるようにしていたりがありましたでパリ の時はですね先手村のトレーを持つのが 難しい方のためにこう3つぐらいトレーを 入れて誰かがこう押してお料理を取って いける工夫のあるワゴンみたいなんがあっ たりとかあるんですねそういう風に いろんなことをパラリンピックの選手村や 競技場で試したりユニバーサルのデザイン を考えたりしているんですよねそういうの がそこで一旦まテストではないですけど 試しそれがいいってなったらば世の中に出 ていったりするどんどんこうアップデート されていってそれが世界に広まっていたり 外に出ていくっていうのもパラリンピック の役割なんじゃないかなっていう風に思い ます改めて田口さんにとってパラスポーツ の魅力と はこれちょっと東京大会の時のお話に戻る ですけども東京大会の時副村長をしており ましてオフィスを担当してくださっている スタッフの方でその方と最後選手村の中も ほとんどの国も選手も体操してましたので もう大丈夫っていうことで私たち中を散歩 してたんですねでその時にその方が おっしゃったのがオリンピックが終わって パラリンピックが始まった時に選手村に来 て当たり前なんだけど障害のある方たち ばっかりでびっくりしたって今まで自分は こんなに多くの障害の方を見たことが なかったで様々な障害があることも知った 今まで自分は日本で見る障害のある人たち は暗くて下を向いてるっていうイメージ だったでもここの選手村に来て パラリンピアンが堂々と胸を張って上を 向いて歩いていてそして明るく笑顔を そして明るく挨拶をしてくれるそういうの を見ると自分が勝手に下を向いて暗いって 思ってたんだなって思ったんですただもし かするとまだまだ世の中世界には上を向け ない下を向いている障害のある人がいるか もしれないでも私たちこういうことを経験 した私たちだからこそそういう方たちが上 を向いて明るく笑顔で歩けるような社会 環境を作っていかなければいけないと思っ たんですってその方がおっしゃったんです ねなんかそれを気づいてくれたのが1つ パラスポーツの魅力なんじゃないかなと 思いますあともう1つはいろんな障害が ありますがみんながそれをどういう風にし たら自分の有利に使えるかとか武器に 使えるかプラスに使えるかとかそういう ことを考えて自分たちのできる最大限の 努力をしていけるすごく可能性っていうの を感じてもらえるのではないのかなって それがパラスポーツの魅力かなって思い ました

2024年11月18日(月)〜22日(金)は、日本パラリンピック委員会運営委員・田口亜希(たぐち・あき)さんが登場しました。

1971年、大阪市生まれ。25歳のとき脊髄の病気を発症。車いす生活になりました。その後、パラ射撃・ライフルの日本代表となり、パラリンピックには2004年のアテネ大会から3大会連続で出場。アテネ・北京大会では連続で入賞を果たしました(アテネは射撃競技で日本選手初の入賞)。東京オリンピック・パラリンピックの招致活動でも活躍。現在は日本財団パラスポーツサポートセンター競技団体支援部ディレクターとして活躍するかたわら、今年はパリ2024パラリンピック競技大会日本代表選手団の団長を務めました。

現役時代に3度出場したパラリンピックの思い出、組織委員会アスリート委員と選手村の副村長も務めた東京パラリンピックでのエピソード、日本代表選手団の団長として同行したパリパラリンピックについて、印象に残ったシーンと裏話、射撃で日本選手初のパラリンピックメダルを獲得した水田美夏選手(混合10mエアライフル伏射・銅メダル)の快挙について、パラリンピックが持つ意義など、田口さんにいろいろとお話を伺いました。