1:08付近〜黒澤作品全般のエピソード
3:36付近〜「羅生門」の解説
13:48付近〜「羅生門」のエピソード
<追記>
1:30付近の「一晩で、野原を花いっぱいにしろ」という黒澤の要求の話ですが、季節は秋、どこにもマーガレットなどの花はなく、困ったスタッフは、遠景の花をちり紙(今でいえばティッシュペーパー)で作ったそうです。大変な労力だったでしょうね。
1:52付近。たった一言「弓矢の狂乱」で片付けてしまいましたが、あれだけの弓矢が飛んできて、三船敏郎に当たらないのは、よほどうまくテグスを準備したと思われます。技法としては「矢を中空にして、そこにテグスを通して的に固定し、射る手法」だそうです。それにしても、一つ間違えば大怪我ですから、さすが世界のミフネでも怖かったでしょうね。最後に三船の首にグサッと刺さるシーンは、スローで再生してもどう撮ったのかわかりません。何しろSFXやCGがない時代ですから、今でも不思議です。
(もっと怖いのは、
で紹介した、小林正樹監督「切腹」の本物の槍が飛んでくるシーンです(4:07付近)。
どうやって撮ったのか?主演の仲代は本当に怖かったと思います。しかもこの映画、真剣を持っているのですから…。一つ間違えば、自分の指とか切り落としちゃいますよ〜。)
3:05付近の馬の疾走感ですが、ここでも道に灰を巻いたそうですが、なかなか大量の灰がなく、スタッフは灰作りだけで数日を要した、という話もあります。
14:30付近の瓦の話は、真偽のほどはわかりません。瓦の一枚一枚にに年号を彫り込んだ話は、話題作りのための単なる噂話かもしれません。
15:50付近の溝口の「山椒大夫」での安寿の入水シーン。写真が見過ごされてしまいそうなのですが、「手前の草木の真っ黒さ加減」にご注目ください。ここでも宮川は墨汁を使ったそうです。
なお、動画では詳しくお話しできませんでしたが、「羅生門」の本当のクライマックスは、ラスト、捨てられた赤んぼうから肌着を剥がし取ろうとする下人を制して、その赤子を抱いて雨の止んだ「門」を去っていく木樵(杣売り)の志村喬の姿なのかもしれません。
どんな悲惨な時代でも、子どもは希望の象徴なのです。
黒澤は、どんな映画にもヒューマニズムを忘れていません。
謝辞:
ストーリー関しては、ウィキペディアの内容を一部引用しました。
また、「羅生門」の分析にあたっては、大里恭一郎氏の「芥川龍之介・『薮の中』を解く」(1991年、審美社)を参照(一部引用)させていただきました。
黒澤作品全般のエピソードについては、
黒澤明著/「蝦蟇の油: 自伝のようなもの」 (岩波現代文庫 )
ドナルド・リチー著/黒沢明の映画 (現代教養文庫) 1993
「仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版 」(文春文庫) 2017
を参照(一部引用)しました。
「藪の中」についての専門家の意見
学者らの説によれば、作者は「すべてのモラル、すべての真実に疑問を投げ付けることでアナーキーな自分の心情を吐露したかった」とか、あるいは、「最初から事件の真相などというのはさしたる重大事ではなく、告白の欺瞞性を通して現実社会の裏側を透視したかった」とかいった解釈が主流ですが、それではあえて作者が3人に殺人を犯したと告白させている必然性がありません。
この小説を難しくしているのは、かえって後世の「不条理劇」に影響された学者たちではないのか。芥川が言おうとしていたことは、実はもっと単純で、誰の心にも思い当たるような、人の心理の”あや”だったのではないでしょうか。
【大里恭一郎氏の「芥川龍之介・『薮の中』を解く」(1991年、審美社)によれば、芥川は大のミステリーファンだったといいます。大里はこの本の中で、芥川の作風や”小説”というもののもつ根源的な問題に触れながら、証言の事実はいく通りあっても真実は一つと断定し、「薮の中」を芥川会心の推理小説であると決め付けています。実は氏の結論も、”真砂”真犯人説なのですが、古い文献や原作の一字一句をつぶさに検証しながらの詳細な分析は大変興味深い考察です。是非ご一読をお薦めします。】
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