要約
イースターから数えて7週目の日曜日、ユダヤ教の収穫祭の日。弟子たちが祈っていると、一同に聖霊がくだり、彼らは大胆に語り始めました。「(あなたがたはイエスを十字架で殺したが)神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」(32)。
エルサレム在住の人たちに加え、祭りのために各地から多くのユダヤ人が来ていました。彼らは皆聖書の知識を持っていましたが、そこに預言されているメシアがイエスであることを知りませんでした。彼らは心を打たれ尋ねました。「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」(37)。ペトロは「悔い改めなさい。めいめいイエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(38)と答えました。ここで語られていることは、別々のことではなく、聖霊がもたらす新しい生活様式です。その中から悔い改めと罪の赦しを取り上げましょう。
<新しい生活様式(1)悔い改め:気付くこと>
悔い改めは、自分は悪い人間だったと認めるということではなく、神の愛に気づくこと、その愛を知らずに悲しませていたことに気づくことです。聖書の「罪」とは、犯罪ではなく、「的外れ」という意味です。神の愛に対し無関心で、あらぬ方向を見ていることです。そして、十字架とは、神の痛みのあらわれです。十字架に出会うとき、いかに自分が神を悲しませてきたのか、それにもかかわらず、神は私を赦し追い求めてくださったのかを知るのです。悔い改めは「方向転換」とも訳せます。神の愛に気づいて神に向かって生き始める。これが新しい生活様式です。
<新しい生活様式(2)罪の赦し:恐れが取り去られること>
コロナが怖いのは、ワクチンも治療薬もないからです。コロナに対する恐れは、死にたいする恐れですから、コロナが終息して差し迫った脅威は無くなったとしても、本質的な恐れや不安が無くなるわけではありません。コロナで死ななくても、人は必ず死ぬからです。
人はなぜ死を恐れるのか。死が未知だからです。また、漠然と死後の裁きを予感するからです。しかし、聖書は告げます、イエスは神が人となってこの世に来てくださったメシアであること。私たちの罪がイエス・キリストの十字架によって赦されたこと。そのことを信じるならば裁きを恐れなくても良いということ。主イエスは復活なさって、十字架が神の子の死であることをお示しくださいました。聖霊はその真理を今、私たちにもたらしてくださっているのです。罪赦されたものとして、恐れないで生きる。これがもう一つの「新しい生活様式」です。
<結語>「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」(39)。自分は神から遠いと感じておられる方があるなら、あなたこそ神様は招いておられます。新しい生活様式を始めましょう。
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