北海道岩見沢市 浄土宗西山禅林寺派「善光寺」 大久保瑞昭住職による短時間で聞けるショート法話です。 #仏教 #浄土宗 #浄土宗西山派 #ブッダの言葉 #法話 #お経
 
 「祈り」は、人間が、自分の力ではどうすることもできない、という無力を感じ、でも、「あの人のために何かをせずにいられない」と思った時に、起こってくるものなのでしょうね。

 合理的な現代人ならば、「祈ったからといって、事態が好転するわけではない。そんな行為は無意味だ」と言うでしょう。

 しかし、人間には、「自分の力ではどうすることもできない事態」が、必ず起こるものなのです。

 自分の努力だけでは解決しないことが、絶対に起こってくるのです。

 それを、仏教では、「苦」と説きます。

 生老病死の全てが「苦」なのです。

 愛する者との別離も、「苦」なのです。自分の力ではどうすることもできないのです。

 だからこそ、私たちは、祈らずにはいられないのです。

 アニメ『平家物語』の「びわ」が、言います。

「どうか安らかに、どうか静かに、何もできなくとも、祈る」

 亡き人が大切であればあるほど、自分が無力であると知れば知るほど、祈らずにはいられないのですね。

 もう、亡き人は、お浄土に往ってしまった。自分にはもう、何もできない、けれども、何かをしてあげたい。

 「どうか安らかに、どうか静かに」

 私たちは、誰しも、誰かを、「祈る」ことができるのですね。

 何度も、ずっと、祈ろう。
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