松田聖子・・・思い起こせばあなたとの
出会いは二十年も前のことになりますよね。
当時CBSソニーのディレクターだった私は
ミス・セブンティーンというオーディション用に
送られてきたデモテープをチェックしてました。
全国大会出場予定の何十人というテープを
聞く中で大変ショックを受ける歌に
ぶつかったのです・・・それはまるで
夏の終わりの嵐が過ぎた後、どこまでも
突き抜けた晴れやかな青空を
見たときのような衝撃でした・・・
それは九州大会で優勝した蒲池法子
あなたの歌った気まぐれビーナスでした。
これは絶対いける!!
そんな直感が強烈な勢いで全身を
駆け抜けたことをよく覚えています。
ところが、すでにあなたは学校の規則と
おとうさんの反対により九州地区代表を
辞退した後でした。
どうしても気になり、あきらめきれなかった
私は結局福岡まで出かけて行ってあなたに
合うことにしました。
当日、ダークブルーのワンピースで
現れたあなたは、非常に清楚で品のある
たいへん大切に育てられた良家の
御嬢さんという印象でした(^_^)
何としても歌いたい、と話すあなたの
熱意に触れて、なんとしてもデビュー
させるぞと私自身の気持ちも
かたく固まりました。
そしてこのとき先日の直観は確信へと
変わっていったのです。
それからは芸能界入りに大反対の
お父さんとあなたとの長く厳しい
葛藤のはじまりでした・・・
あなたが上京してきた日のことを
よく覚えています。
福岡から飛行機でくるあなたを
出迎えに羽田空港に行くとお父さんに
付き添われて、ピンク色のビニール傘と
小さなミカン箱を手に、心もとなげに
たたずむあなたがいました。
あこがれの世界に飛び込む喜びは
束の間、見ず知らずの土地での先の
見えぬ将来に不安があふれて
いたのでしょう。
事務所などへのあいさつを終えて
お父さんが一人で久留米へ帰る
時間が近付くと、新宿の喫茶店で
あなたはしくしく泣き出しましたね。
お父さんが見かねて、一緒に帰るか、
とあなたに尋ねると、あなたは涙を
ボロボロこぼしながらも、帰りませんと、
小さく答えました。
親子の別れのつらさと切なさに私は
言葉を亡くして、ただ二人を
見守ることしかできませんでした(T_T)
あの日の風景は一生忘れることが
できないでしょう。
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上記の文は、かつて古館伊知郎が
司会を務めた某トーク番組で、
ゲストに松田聖子を迎えたときに
元CBSソニーディレクター若松宗雄氏が
番組のために松田聖子に贈られた
手紙を抜粋したものです。
この若松宗雄氏こそ歌手松田聖子を
最初に発見した人です!
この手紙が古館氏によって読まれるのを
聞いていて、これは若松氏の
思い出話という領域を超えた、
松田聖子に対する恋文のようにも
私には思えた。
特に印象的なフレーズが
”それはまるで夏の終わりの嵐が過ぎた後、
どこまでも突き抜けた晴れやかな
青空を見たときのような衝撃”と
いう箇所である。
このような激情交じりの詩情が
男性の心に訪れるのは女性に恋を
したとき以外にはないだろう。
もちろん若松氏は松田聖子の声を
聴いてそういう感慨が沸き起こったと
いう風にしているが、声を聴いて、
そして本人の姿を福岡で初めて見て、
その時に感じ、直感したことを
20年近い時を経て振り返った時に
夏の終わり・・
というイメージが松田聖子との
出会いの思い出として浮かんだ
心象風景だったに違いない。
なにせ松田聖子である。
芸能史に偉大な業績をやがて
残すことになる松田聖子との
ファースト・コンタクト。
彼女を見つけたのは自分だったという
芸能プロデューサーとしては最高の
幸福を得た自分の、松田聖子に寄せる
感謝の気持ちがひしひしと伝わる
素晴らしい手紙ではないかな?
ところで松田聖子が歌手になる
決意で上京したのは・・・
【後半は次の動画で書きます!】
おたのしみに!
#渚のシンドバッド #松田聖子郷ひろみ #松田聖子カバー