「動画」などというものを、今では人は、いとも簡単に用いるが、30年ばかり前は、家庭用のごくシンプルなビデオ・カメラでも30万円くらい(笑)したものである。一瞬を切り取る「写真」には、被写体の「表情」を読み取る技術が必要だが、ビデオカメラなら、長回ししていれば、いずれ相手が「面白い」ことをしてくれるかも知れない、その分だけ気楽で、「素人」に向いている。
笠智衆が、お茶をずずっ、と啜る、原節子が、「あら、そんなことなくってよ」、と、二回、繰り返す、・・・、いや、そんなシーンが小津安二郎に本当にあったかどうかは(笑)、知らない。そんな「長回し」のために、かつての映画ならば、高価なフィルムが膨大に消費され、現像、焼き付け、などという作業に途方もない「労働」が投入されていた。今では(笑)、8ギガバイト、SDカードとかいうもので、解決するのである。
オキナワオオカマキリ(カマキリ科)、少しも動いてくれないから、そんなことを考えた。