伊藤伝右衛門も私財を投じ、女学校を創設していた。白蓮が25歳
も年上の男との政略結婚に、不本意ながらも応じたのは、女学校
経営への淡い期待を抱いていたからだとされる。自分も「筑豊の
カートメル」になれるかもしれない、と。