「東京物語」「青い山脈」などで昭和のスクリーンを彩り、42歳の若さで引退、伝説的な存在だった女優の原節子(はら・せつこ、本名会田昌江=あいだ・まさえ)さんが9月5日、肺炎のため横浜市の病院で死去、95歳だった。横浜市出身。葬儀は近親者で済ませた。
会社員の家庭に生まれ、高等女学校2年の時、義兄で映画監督だった熊谷久虎氏に勧められて日活多摩川撮影所入り。1935年の「ためらふ勿れ若人よ」で映画デビューを果たした。原節子の芸名は、同作の役名がお節ちゃんだったことにちなんで付けられたという。初々しい演技と、目鼻立ちのくっきりとした美貌で注目され、37年にはドイツとの合作映画「新しき
土」の主役に抜てき。その後、東宝に移り、山本薩夫監督らの作品で演技の腕を磨いた。
戦後、黒沢明監督の「わが青春に悔なし」で、苦難のうちに敗戦を迎えるヒロインを熱演。続いて、同監督の「白痴」、吉村公三郎監督の「安城家の舞踏会」、木下恵介監督の「お嬢さん乾杯」、今井正監督の「青い山脈」など、実力派監督の作品に相次いで出演、スター女優の地位を揺るぎないものにした。
松竹の小津安二郎監督作品の常連で、49年の「晩春」以後、「麦秋」「東京物語」「東京暮色」「秋日和」「小早川家の秋」で、日本人の理想ともいえる美しく慎み深い女性像を具現化。小津作品になくてはならない女優として作品世界を支えた。このほか、成瀬巳喜男監督の「めし」などでも好演した。1962年、「忠臣蔵」に大石りく役で出演したのを最後に、42歳で引退。その後は長年、神奈川県鎌倉市内でひっそりと暮らし、生涯独身を通したとされる。映画関係者との接触も断ち、表舞台に一切出なかったことが、神秘性を高めた。写真の撮影日は不詳 【時事通信社】
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