天才アーティストを襲った悲劇。アイドル売りされた竹内まりやが壊れた理由と37年後の奇跡
1984年、後に世界を揺るがす一枚が生まれます。
竹内まりや「VARIETY」
現在でも彼女の最高傑作と語られるこのアルバム。
しかし当時、その裏にあったのは「成功の果ての崩壊」でした。
1978年にデビューした竹内まりやは、
「SEPTEMBER」「不思議なピーチパイ」などのヒットで
一気にスターへと駆け上がります。
しかしその一方で、本人の意思とは違うアイドル売り
バラエティ番組では過酷な企画を強いられ、
心も体も限界へと近づいていきます。
そしてある日。
朝起きると、声が出なくなっていました。
活動休止そして山下達郎との結婚。
ここで“アイドル竹内まりや”は終わり、
“アーティスト竹内まりや”が始まります。
この動画では、
・デビューからヒット連発、そして違和感の正体
・声を失うほど追い詰められた当時の状況
・山下達郎との出会いと支え
・アルバム VARIETY 制作の裏側
・全曲自作という決断と覚醒
・「もう一度」「Plastic Love」が生まれた理由
・シティポップが世界的ムーブメントになるまで
・約35年後、YouTubeから世界へ広がった奇跡
まで、
竹内まりやの“転落と再生”の物語を辿っていきます。
「VARIETY」は単なるヒットアルバムではありません。
AOR、R&B、ボサノバなどを取り入れたサウンドは、
後に“シティポップ”として再評価され、
世界中の音楽シーンに影響を与えました。
特に 「Plastic Love」 は、
YouTubeをきっかけに爆発的に拡散し、
言語も国境も越えて愛される楽曲へと変わります。
実は、この曲は当時、
アルバムの中の一曲に過ぎませんでした。
だからこそ、この物語は面白いですよね。
知る人ぞ知るアルバム曲が、数十年後に世界を変える。
竹内まりやが選んだ
“自分の音楽で生きる”という決断が、
時代を越えて評価された瞬間でした。
〜製作者コメント〜
この動画は、シティポップブームで
竹内まりやを知った人にこそ届いて欲しい動画です。
1980年代の竹内まりやが、
苦悩の果てに素晴らしい作品を生んでいったかの物語を
知ることで、もっと音楽を楽しめるようになると思います。
ぜひ最後までご覧ください。
あなたの好きな竹内まりやの曲は何ですか?
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