「院内で津波が渦を巻いていた」屋上にSOS掲げた病院の今 患者200人の命を救った行動とは<南浜中央病院の15年・前編>【東日本大震災15年】
2011年3月11日、宮城県岩沼市にある南浜中央病院は津波の直撃を受け危機的状況に直面しました。そんな中、およそ200人いた入院患者をどのようにして守ったのか。命を救った「備え」がありました。
「なんだこれ…」押し寄せる黒い濁流
「ここですね」病院を案内してくれた南浜中央病院の高階憲之院長。建物1階の柱には津波が押し寄せた痕跡が今も残っています。15年前の光景を鮮明に覚えています。南浜中央病院 高階憲之院長:
「津波だということで水が流れてきて、ベッドなどが置いてあったが、(濁流の中で)渦を巻いている状況だった」病院は海から700メートルの場所。あの日、スタッフが撮影していた映像があります。病院提供の映像より:
「車流された。やばい」
「なんだこれ…」車やバスを押し流しながら迫る黒い濁流。津波は院内にも流れ込みました。高さ3メートルに達し1階が水没しました。
患者をシーツにくるみ移動
津波が来る直前、職員らは、およそ200人いた入院患者を2階以上に避難させました。停電でエレベーターが使えなかったため、患者をシーツにくるみ、階段を何度も往復したといいます。女性職員:
「職員もだったけど、患者さんが冷静で誰ひとり取り乱す方がいなくて」
男性職員:
「(職員で)誰もやめようという人はいなかった。これはやむを得ないことだと思った。すごく大変」実は震災前のハザードマップで、病院まで津波は来ないとされていました。しかし、1年前の2010年にあったチリ地震津波を踏まえ、津波警報が出た際は、念のため患者らを2階以上に避難させると決めていたのです。この備えが、命を救うことにつながりました。南浜中央病院 高階憲之院長:
「(震災時)この地震ではひょっとすると津波が来るかもしれないということで上に移さなきゃいけなかったよねと。患者さんを2階以上にあげなくちゃいけなかったよねという声が複数の人から出た」
しかし、病院は孤立「水、食料がない」
患者の命は助かりましたが、周辺の道路は津波で浸水し病院は孤立状態。次は「生き延びる」という課題を突きつけられました。当時、高階院長が頼ったひとつがラジオです。tbcラジオに寄せられた当時のメールとそれを読み上げる音源が残っています。当時のラジオ音源:(2011年3月11日午後10時40分頃)
「岩沼市の南浜中央病院です。入院患者は無事ですが、水、食料がなく医薬品もありません。入院患者の救助をお願いします。院長の高階さんからいただいています」南浜中央病院 高階憲之院長:
「まず無事だということを伝えないといけない。一番関心があるのはそれ。患者さんが無事ですと。あとになって無事で良かったですと患者さんの家族から言われて良かったなと思った」さらに、一夜明けた3月12日、職員らはある行動を起こします。石灰を使って屋外に「SOS」の文字を書いたのです。看護師:
「外部に連絡をとる手段もなくて石灰があるねって話になって書いてみた」
「生きてるよ、人がいるよみたいな」
「ヘリコプターの音が聞こえるから連れて行ってもらえるんだろうなと」このメッセージを空から見つけた人がいます。JNN取材団としてヘリコプターに乗っていたTBSテレビの藤森祥平アナウンサーです。TBSテレビ 藤森祥平アナウンサー:
「見るものがすべて信じられない、想像がつかないような景色が眼下に広がっ
ていまして」
突きつけられたのは、津波被害の現実と自身の無力さでした。
【中編を読む】「リポートするだけの自分に虚脱感」屋上のSOS上空から伝えたアナウンサーの葛藤
【後編を読む】「患者さんが一人でも戻るなら自分も戻る」津波で孤立した病院 現地再建で地域医療支える
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https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2517042
