ティファニーで朝食を, by Wikipedia / CC BY SA 3.0

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『ティファニーで朝食を』(ティファニーでちょうしょくを、原題: Breakfast at Tiffany’s)は、アメリカ合衆国の小説家トルーマン・カポーティによる中編小説。
1958年にランダムハウスから出版された。
ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公を描く。
1961年にオードリー・ヘプバーン主演でパラマウント映画によって映画化された。
題名は主人公の言う「ティファニーで朝食を食べるご身分」というたとえで、当時ニューヨーク5番街にあるティファニーは宝石店であり実際のレストランではなかったが、映画の影響を受け2017年にブランド初となるダイニングスペースがオープンした。
映画版では冒頭で、(小説に描かれていない)題名そのものを直接的に表した「オードリー・ヘプバーンがティファニーのショーウィンドウを前に朝食を食べるシーン」がつくられた。
1943年の秋、無名の語り手はホリー・ゴライトリーと友人になる。
二人はマンハッタンのアッパー・イースト・サイドにある、ブラウンストーン造りのアパートメントの住人である。
ホリー(18 – 19歳)はニューヨークのカフェ・ソサエティ・ガールとなった田舎娘である。
したがって、彼女は働かず、金持ち男性と交際することで生活している。
彼らは彼女をクラブやレストランに連れて行き、現金や高価なプレゼントを与え、彼女は彼らの一人と結婚することを望む。
カポーティによると、ゴライトリーは娼婦ではなく、「アメリカン・ゲイシャ」である。
ホリーは厳選した私生活の逸話や、様々な物事への率直な視点で人々をぎょっとさせることを好む。
1年の間に、彼女は徐々に自分自身のことを語り手に明かし、語り手は彼女の奇妙なライフスタイルにすっかり魅了されていることに気づく。
ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれたカポーティは1940年代にニューヨークへ上京し、『ザ・ニューヨーカー』の下働きをしつつ作家志望として『ミリアム』など作品投稿を行う。
1948年には『遠い声 遠い部屋』でデビューし、翌1949年には短編集を刊行している。
『ティファニーで朝食を』は1955年ころから執筆を開始し、身辺事情や掲載予定の女性誌『ハーパース・バザー』から掲載を拒否されるなど紆余曲折を経つつ、1958年に『エスクァイア』に発表された。
主人公のホリーは、複数の実在する人物を混合したキャラクターだった。
社会階層についてホリーが見る夢はカポーティの母親、ホリーが抱く存在への不安はカポーティ自身のものである。
それにカポーティのマンハッタン社交界の友人だったキャロル・グレイス(別名キャロル・マーカス)、デザイナーのグロリア・ヴァンダービルト、ウーナ・オニール・チャップリン、グロリア・ギネス (en:Gloria Guinness)、そしてベイブ・ペイリー (en:Babe Paley)である。
キャロルは生まれは貧しいが、幼いときに母親が大手家電メーカーBendixの社長と結婚したことで富裕層の仲間入りをした女性で、作家のウィリアム・サローヤン、その後俳優のウォルター・マッソーと結婚した。
キャロルやグロリアや他の女性はカポーティにとって次々に入れ替わっているがベイブ・ペイリーは特別で、カポーティにとって彼女以上に重要な人物は存在しなかったと言われている。
彼女はCBSを創設したウィリアム・サミュエル・ペイリー (en:William S. Paley) の妻であった。
夫は彼女の友人たちなど大勢と公然と不倫をしており、ベイブはまるで囚われの身であったため、カポーティはホリー・ゴライトリーがそうならないようにしている。
日本では、2008年2月に村上春樹による新訳が新潮社より出版されて話題となった。
詳細は「ティファニーで朝食を (映画)」を参照 監督はブレイク・エドワーズ、主演はオードリー・ヘプバーン、共演はジョージ・ペパード。
トルーマン・カポーティの原作とは異なり、映画は主人公と語り手の作家との恋を中心に描いている。
製作者マーティン・ジュロウが映画化権の獲得のためにカポーティを口説き落とし、カポーティは、ホリーにはマリリン・モンローが第一候補として、映画化を了承した。
そ…