【大河ドラマ『豊臣兄弟!』主人公・羽柴秀長解説】秀吉を天下人たらしめた有能すぎる弟
いや、ランセラせ、どうもミスター部将で ございます。本日は戦国時代人物解説 編でございます。はい、ついに来ました。 大ガドラマ豊兄弟主人公橋秀永の解説です ね。いや、以前もね、一度どうするイヤの 時に秀永の解説とか出してるんですけども 、あの時はまさかね、主人公になると思っ てなかったんでね。はい。で、今回はこの 秀奈永大ガドラマの主人公になったという ことで研究がね、色々進んできてですね、 色々なことが分かってきましたので、ま、 この今後ね、大ガドラマを見ていきたいと いう人が、ま、ある程度ざっくりこう歴史 上の秀がどういう人物だったかっていうの を知った上でね、見ていた方が大ガドラマ がね、分かりやすくなるかなと思いますの で、ま、今回は、ま、大ガドラマでは どんな風に描かれるかはまだ分かりません けど、歴史上のヒナがどういうね、送った のかという話を、ま、簡単に、え、説明 できればいいかなと思っております。それ では行きましょう。橋秀中の解説でござい ます。さあ、ま、秀長、あの、豊の秀吉、 え、秀吉の弟というのはね、ま、非常に 有名でございますけども、ま、その執 生まれに関しては、ま、ほとんどよく 分かっていないと。ま、というのも、ま、 お兄ちゃんの秀吉はね、その対抗機とか、 ま、秀吉は死んだ後に書かれてるものなん ですけども、ま、対抗機とかによって若い 頃こういう風な生活をしてましたよと、え 、色々こうね、あの、人から聞いた話だっ たりとか、ま、もしかしたら本人から聞い た話もあるのかもしれませんけども、ま、 高生の人たちが色々書いてるわけですよね 。それで、ま、秀吉というのはその幼い頃 に父をなくしてで、え、家が没落したので 、ま、出稼ぎに、え、行ったと家を出て、 元々が農民だったんじゃないかってね。ま 、ここに関しても諸説あって、もうよく わかんないんですよ。結局資料が残って ないからね。だ、こうこ実はこうあったん ですよって私も言い切りたいんだけど、 資料が残ってないから、ま、どうしても 想像するしかないんですけど、ま、 おそらく、ま、農民だったと。で、え、 お父さんがでも死んでしまって没落して、 ま、多分自分の持ってる土地だけでは、ま 、ちゃんと食っていけないとかね。ま、 もしくは秀義自身にもこの戦国時代です からね、あの戦国時代にそういう、え、 身分をね、こう乗り越えて下国場をしてい くっていう時代ですから何か人あげたいっ ていう気持ちがあったのかもしれませんが 、ま、家を出て、え、各地を、ま、放浪し ていたっていう風に言われています。じゃ 、一方、その頃、弟の秀はどうしていたの かっていうのは、え、一切分かりません。 記録がないからね。自分でも私はこういう 風にしてましたとかも言ってないし、周り の人も、ま、秀吉のことはね、え、書いて ますけど色々とやっぱカパに前登り詰めた 添加ですからね。ヒ中に関してはやっぱ 詳しく書いてないわけですね。だから、ま 、ここはもう想像するしかないんですけど 、ま、おそらくこれはもう私の勝手な想像 だと、ま、兄の秀吉があの、あちこちね、 放浪した後に最終的にやっぱ戻ってくる わけですよね。お母さんの中のところに 戻ってくるわけですよ。お母さんのとこに 戻って来れたっていうことは、ま、この家 は弟の秀長が、ま、守っていてくれたん じゃないかなと私は思ってます。だから もうね、兄貴は本にもうあっちたりこっち たりしたり好き放題やってる間に一生懸命 地道にね、家を守っていた、ま、弟だった んじゃないかなと。あ、そんな気がして ますね。はい。で、ちなみにこのね、秀吉 と秀永中永はお父さんがあ、別だとえ、 いう説がありました。これはあの対抗蒸機 とかにね、多分書かれてるのが元だと思う んですけど、秀吉のお父さんは木下や八門 っていう人でそのや門が死んでお母さんが 再婚したちっていう人物の、え、息子が 秀永だから秀吉と秀永はお父さんが別だっ ていう風なことを言われたりするんです けど、ま、ここは今の研究では、ま、否定 されてますね。それはその秀吉のお父さん が死んだっていう、ま、年代とその秀が 生まれてる年代とのこう合わないわけです よね。正合性がね。うん。秀吉のお父さん があの死んだ後に生まれてなきゃいけない んですけど、秀吉のお父さんが生きてる間 に、ま、どうやら秀が生まれてますんで、 だから、ま、おそらく一緒だろうと。同一 人物じゃないかなと。ま、結局今ある資料 の中からよく分からないんですよね。うん 。だから、ま、ここに関してもこの秀永と 秀吉のお父さんが違うっていうのも、まあ 、なんかその対抗機を元に作られた、ま、 あの、間違った通設なんじゃないかなと いう風に思います。ま、大価ドラマではね 、ま、おそらく同じお父さんの、え、兄弟 っていう風にね、描かれると思います。 はい。え、そしてですね、え、その後です ね、秀永は、あの、急にあの、信長の家臣 として、え、登場するんですけども、ま、 資料上で、あの、確かな資料上で最初に 名前が現れてくるのは、え、大ですね。大 の国だから、あ井長さを信長は、ま、 やっつけるわけですよね。その時秀義が 最前線で戦って、ま、その鉱石で秀吉に、 え、この、あの給料、元々、あ、仲マが 納めた両地が与えられるんですけど、そこ で秀永の名前出てくるんですよ。だから だいぶ後ですよね。うん。その対抗機とか だ、秀吉がその農民からどんどんこう出世 していく物語の中では色々あるわけですよ ね。ま、ミノのね、え、斎藤達を攻め るっていうところがあったりとかして、ま 、そういうところで秀吉はこう結果を出し ていって、え、あ、ので最前線任されてる みたいなところまで、ま、物語では言っ てるわけですけども、ま、確かな資料では 、ま、やっぱ出てこないんですよね。ま、 それはやっぱりその時まだ秀永も秀吉も おそらくその身分がね、大してあの、足 がるレベルなのかわかんないですけど、 あの、大したその身分じゃないから わざわざ記録に残らないわけですよね。だ からそのある程度偉くなったところで 初めて資料に登場すると、ま、もちろん 身長後機には一応名前もね、出てきたり するんですけど、ま、でもそれでも結構 もう年取ってからちゃんとね、資料の中に 名前出くるのは。だから、ま、ここもね、 あんまり詳しいことは分からないんです けども、ま、そこで最初に資料上出てくる 名前っていうのが、え、木下小一郎長秀な んですよね。これあの秀長っていう風に 我々はね、呼んでますし、ま、これが非常 に、ま、有名だと思います。ゲームとかで も大体、え、橋秀永としてね、登場したり 、豊富の秀永としてね、登場しますけど、 最初の名前長秀なんですよ。で、ま、これ 逆なわけですよね。ヒと長の字逆。なんで これ長が上かって言うと、ま、おそらく これは織田信長から長の字を与えられる。 ま、これって言うんですけど、そ、主君と かからあの名前をのね、文字を漢字をもら うってことはよくある話なんですけど、 おそらく信長から長野を与えられてると いう風に、え、見られています。それで 長秀だと。ま、だからあの秀永っていうの はその秀吉の家臣っていうよりは、ま、 信長の震進だったっていう風に考えられ てるわけですね。信長の過信だから信長 から、ま、長野をもらえるっていう話です から。うん。なのであの秀吉の過臣では なく、最初は秀吉も秀永も信長にこう使え てると。ま、ただ行動は一緒にしてますの で、あの秀吉のよりみたいな形で、え、 動いていたんじゃないかっていうね、言わ れてますね。うん。だからちょっとここ なんかあのちょっと感覚的になんかずれが あるというか、え、秀吉のケ雷いっって いうわけではないんだっていうところです よね。ここは結構意外かもしれませんけど 、ま、そういう体系だったみたいですね。 ま、だから他のその部将で言うと、例えば 柴田勝と前田都って柴田勝のところに より木としてね、前田都くっついてます けど、ま、でも前田都営は別に柴田勝の 過信ではないわけですよね。うん。だから 、ま、後の静県の互いとかのね、あの、 動きがあったりするわけですけども、ま、 そういう形態なわけです。だ、秀吉の家臣 ではなく、秀吉の来いではなく、信長の 嫌雷として、ま、秀吉に、え、の補佐をし ていたっていうのが、ま、小田神時代の 秀永の立場だと考えられています。で、 そして、え、そのを滅ぼした後にですね、 秀吉はあのモ里との外交の取継をやってた んですけど、ま、モ里が小田を敵退するっ ていうことになってしまったので、ま、 そういうそれまでね、外交をしてた相手が あの同盟を結んだ相手が敵になるっていう 風になった場合は、ま、そのケツを持つの は取継を担当していた人物になるので秀吉 がモと戦うっていうことになるわけですね 。それ中国地方の方に行きます。兄弟揃っ てね。はい。で、え、秀吉のこの中国攻め の中で、え、田島の国ね、今で、ま、兵庫 県あたりですけども、田島の国っていうの があって、で、そこの攻略した後にですね 、え、大垣騎士っていう人が守ってた武田 城っていうのを攻めを落とすんですけど、 その武田城の上代として、え、秀はそこに 入るということになります。だから、ま、 ここもその、ま、秀吉が任されてるんで、 だから信長から秀吉にこう与えられるわけ ですよね。田島の国っていうのがね。だ から、ま、本来秀吉が上司になるわけなん だけど、ま、秀吉はまだ他馬の国も閉定し なきゃいけないし、あの、別所長春が 裏切ったり、荒木村氏が裏切ったり、ま、 忙しいわけですよね。だから秀永が、え、 秀吉の変わりとして、え、田島の国の支配 をしていくということになります。ま、 この秀永のね、田島支配に関しても今少し ずつ研究が多分進んでると思うんですけど も、ま、その上代ですか、秀吉の代わりと して入ってるわけなんだけど、その発球さ れてる文女ですね。だ、その土地にいる人 たちに、ま、色々こう命令出したりとか、 ま、するわけですけど、ま、その文章は、 ま、ほとんど秀永のもの、秀吉のものが 多分全然ないみたいなことだったと思い ます。秀吉の八金文字が全然ないので、 秀吉の代わりの上という立場で田島の国に 入ってるけど、やっぱり秀吉忙しいんで、 ここはあの秀永に、え、一任されていた。 だ、事実上の、ま、田島の国の、ま、その 支配者に、え、秀永になっていたと考え られています。ま、とはいえは非常に短い んですけどね、2年ぐらいしかないです。 ま、その後本の辺起きて、え、ゴタゴタが ずっとあって、もう秀も秀吉ずっとその 戦いまくってるんでね。うん。モと戦って 、え、で、中国大害しして水秀と戦って 柴田活と戦って飯安と戦ってみたいな戦い まくってるんで、もうあっちこっち行っ てるんで、ま、田島の国の、ま、事実上 その国種だったんだけど、ま、実際その 本当にちゃんと支配した日数はかなり短い と思われます。だから大体もうほとんど 部下に丸投げっていう感じだったとは思い ますね。うん。だこの辺りはやっぱり秀吉 も秀永もその家臣がやっぱ少ないですから ね。元々その代々そのね家に使えてくれ てる人がいるとかいう多分家柄じゃない からほとんどその朝医療ねあのあ医料をま 乗って元々あ井の家臣でしたみたいなね 東藤高虎とかもそういう人なわけですよ。 元々あ井の家臣でしたみたいな人たちがま 、信長の名によってつけられてるみたいな 形ですからね。ま、ちょっとそのもっと こう一族とか過神団みたいなのがしっかり してたら、ま、もう少しね、支配もね、 しっかりしたっていう記録が残りそうな もんなんですけど、ま、多分そういう人 たちもいないんで、ま、ほとんどもう他の 武将に丸投げみたいな感じでやってたから 、おそらく記録があんまり残ってないのか なという風に思いますけどね。はい。ま、 そんな小田神時代があって、え、皆さんご 存知本能寺の編が起き、え、祝信長死ぬ わけですね。信長死んでその足内で、え、 中国大害をして秀吉と共に戻ってきて、で 、山崎の戦いで明けち水を打つわけですね 。はい。明地光との戦い、山崎の戦いと いうのはその天皇山っていうのが、ま、 言われてるわけですよね。今でも天皇山の 戦いとか言ってね、え、この天皇山を抑え た方が勝つ天皇山の取り合いだったみたい なことは、ま、昔は言れたわけですけども 、ま、実際は、ま、そういう風な戦いでは 、ま、なかったみたいなんですけど、その 例の天皇山っていう場所は実際あって、で 、そこにヒ奈が夫人していたと言われて ます。ま、その天皇山を抑えた方が勝ちみ なかったかもしれないですけど、ま、山の 上にジドっていうのは、ま、その併の基本 中の基本ですから、あの、非常に重要な、 ま、ところを、え、任されていた。ま、 ここには黒田官もいるんですよね。だ、 黒田官兵、え、このね、ひ永っていうのは 多分秀吉から、ま、かなりね、あの、期待 されていた、ま、戦力だったという風にね 、え、考えられます。そして明路御秀を 打った後はですね、え、清オ洲会議が、え 、あるわけでございますね。こう誰がどこ のね、え、国を納めるか。その信田が死ん じゃって三もいなくなったから、ま、色々 空地がいっぱいあるわけですから、これを 再編しましょうっていうね、え、こう教室 会議がありまして、で、ま、この教室会議 で、え、ま、諸々ろ信長の孫の散方師が、 え、小田の党手っていうことになりました よと。で、でも散方者はまだ金長でね、 子供何もわかんないからこの祝老たちで、 え、合議性でやってきましょうってことが 決まるわけですけど、まあ、大抵合義性 ってのはうまくいかないわけですね。あ、 やっぱりね、あの、もうこういう戦国の 時代ですから力の持ってるリーダーがあの 、ワンマンで経営してく方が絶対いいん ですよ。信長もうそれでこそ転換ね、 近づけたわけですから。ま、合議生なんて 、ま、無理な話で、ま、結局揉めまくる わけですね。で、信長の、え、三男の信 ですね。織田信。元々ね、完璧に容紙入っ てたんだけど、小田に戻ってきて、織田信 つって、で、一見兵天下っていうね、信長 天下部っていうね、天下を天下にブを敷 くっていうね、部で天下を収めるよって いうね、天下不っていうの使いましたよ。 それみたいな感じで一見兵下ってね、私は 結構このあのが好きなんですけどね、1つ の件で、え、耐平らげる転下をっていうね 、一見閉転下だからもう俺が転下部となる ぜって言ってるようもんなんですよね。信 はその明けち水秀の多の中でね、あの山崎 ので三秀を破ってますからやっぱその鉱石 、信長の敵を打ったっていう、ま、鉱石が あるからいや、俺が後継だろうっていう やっぱ自付があったんでしょうね。で、 そういうブイブイ言わせていくわけです。 で、その小田の投資である散方士を元々 小田の本拠であるね、あ、知場に、え、 置きましょうっていうことをみんなで決め たんだけど、ま、なんか色々なんか言い訳 してね、いや、まだ、あ、あ、市長は完全 に修理が治ってないからとかずっと自分の 岐阜のね、手元に置いといて、秀吉たちは 言うこと聞かないみたいなことをやってた んで、ま、ここ見解になるわけです。で、 こん時に、え、秀永は、え、通称をですね 、ミの神という風にね、改めてるわけです ね。ま、頭盟って言われるものです。ま、 あの、本来こういうね、なんとかの神 みたいなのを、ま、頂底からこう与え られるのが基本なんですけど、ま、この 戦国時代っていうのは結構あの、皆自由に 名乗ったりもするんですよ。もちろん頂点 から与えられるあのイ康みたいね。イ康は ちゃんとあの頂定から認められて三川の神 になってますけど、ま、あの、そういうの もなくなしでも俺はなんとかの神だみたい なね、言うってことが、ま、結構あったり するんですけど、ここで秀がミノの神って 言ってんですよね。だミノっていうのは その岐阜がある国ですから、ま、おそらく その信に対してね、お前ちょっといい加減 にしろよっていう意味が込められてんじゃ ないかなと思いますね。そのミノをその ミノの国士であるね、ミ野の神を自称する わけですから、ま、これをその一見閉天下 を使った信官に対する、ま、ま、敵体行為 というかね、あの、そういうアピールだと 思うんですけど、ま、ここでミの神を 名乗ってますと。で、え、この大会の中で 柴田活躍的になりますから、静のが起きる んですけど、ま、その時にも秀永は活躍し てます。この展開の時にはですね、秀永は 沢山条に入れられてるんですよね。その 愛年ね。で、沢山条、ま、後に三成の城に なりますけど、この沢山条って めちゃめちゃ重要な土地にあるわけですよ 。京都とその北大江、それから美野を結ぶ 中間地点にあるので、めちゃめちゃ重要な 土地なわけですよね。ま、ここを秀永は 秀吉に任されてるというわけです。秀吉に とってやっぱ秀長って非常に、ま、貴重な 戦力なんだなっていうのがね、これからも あの大会の中でもね、話出てくると思い ますけど、ま、すごい分かりますね。 やっぱ1番大事なとこに置いてるんですよ 。で、柴田勝と戦うぞっていう風になっ たら、静県を戦いの時には、あの、秀吉は その先線を離れてそのミ野の岐阜の方に いる信を威圧しにね、移動するんですけど 、その先線を知り解いてる間は秀永を静 だけ砦出に入れて、で、そこで、え、その 守ってるわけですからね、1番大事なね、 ところをね。うん。で、ものすごい、ま、 あの、森マ正とかね、強い部署が柴田君に もいるんですけど、ま、ものすごい猛こを 受けて中川清秀とか結構名のある部署がね 、打ち取られるみたいな、あ、かなり 激しい高になってるんですけど、ま、ヒ永 はしっかりそこ守って、で、秀吉が持って くるまで持ちこえたっていうね、ま、だ からしっかりね、え、いくらでも活躍し てるということでございます。で、柴田 勝井を打ち倒した後は今度は、え、織田 信勝ですね、え、信長の時代の信勝が、ま 、こいつが出てくる、車出てくるわけです よ。ま、ていうのもこの、ま、信を倒した のにはその勝のね、存在も大きかったわけ です。あの信が全然言うことがなくて、俺 が添加人だみたいな振る舞いをしてるのを おかしいだろって言って、あので、しかも 散方士もその信が持っちゃってるから、だ からこっちのその秀吉軍側のその、ま、 こう見越としてね、こう信長の次男の信活 が担ぎ上げられたっていうのがあったわけ ですよ。だから信勝にとって俺のおかげで お前ら信倒せたんだよねっていうのがある わけですよね。でも秀吉はここでもう 明らかにもう勝活とか無視してでもう散方 したら無視してるんですよ。別の坂本条と かね、あの滋賀のね大坂本条とかにおいて 自分は大阪城に入ってで大阪城で政務取っ てるわけですよ。だからもしそのあくまで 小田家の当手方士もしくは小田の両大え活 と共に小田を運営してきますよって言うん だったらま一緒にいるはずですよね。 例えば、ま、後にその豊富の秀と、ま、 家康が実質添加日とになってるみたいな 時期ありましたけど、ま、あの秀が大阪に いて最初はイ安もその五太郎として大阪で ね、政務取ってるわけですけど、ま、 やがて離れていくんですよね。それと同じ ような感じでもうそのあの散歩士いりませ んみたいな感じで予素に置いといて自分が 大阪城でえ、転下をしってくとだここに もう秀吉は小田の天下をもう私が乗っ取り ましたよってことをね、ま、実際宣言し てるようなもんだと思うんですけど、ま、 そういうことやってたので信活からしたら 話が違うやないかとね。あくまでお前は 小ざの過労でしょっていうことで、え、 ふざけるな。秀吉倒すって言って信活と 秀吉の戦いが始まってその味方として家康 が参戦してくる。これが小まきなくての 戦いですよね。で、この小まきな悪を戦い の時にも、ま、ヒ永は、ま、非常に活躍し てますね。ま、秀吉はその終わりの方で、 え、戦ってるんですけど、秀永は別道隊と して、え、伊勢方面をね、え、攻めてるん ですよね。で、伊勢の方にはあの活の、え 、本拠地がありますので、え、このと伊勢 、え、この2つのね、え、方面に戦ってて 、で、秀長はその伊勢の城を落としてその 後秀吉の方助けに行くんですけど、ま、 その、その間にね、秀吉はあの、え、みか を中入りしようとして、ま、失敗するって いうね、あの、秀具がボロ負けするって いう長点の戦いで、え、池田と森吉が 打ち取られるみたいなね、大敗をして しまって、ま、ギリギリ間に合わなかった みたいなことがあるんですよね。うん。で 、こん時に秀吉がもうちょっとやばいやば いってなって秀中を呼びつけてるんですよ 。っていう手紙が残ってるんですよね。 助けに来てくれっていう。だからやっぱ 秀長はね、本当秀吉にとって本当にもう 頼りになる味方だったっていうのがね、 ここでも分かりますよね。でも基本的には やはりそのま、戦力をね、あのこう分散 どうしても分散しなきゃいけないっていう 時にやっぱ家康安康とのぶ活両方と戦わ なきゃいけないわけですから。だからそう いう時にはこう別道隊の対象として、ま、 秀長をかなり、え、頼りにしてたっていう ねところがあったみたいですね。はい。と いうわけで、え、小まき投げ手の互い、ま 、色々ありましたけども、ま、最終的には その活が幸福してきたということで、この 戦いが終わって、この後の、ま、添ガビ人 は明日と共もに秀吉になっていくという ところですね。で、このタイミングで、え 、ようやく秀永は秀永に解明するんですよ ね。秀永は秀永中に解明するっていうと ややこしいですけど、あの、元々長秀だっ たっていうね、話ましたけど、長から秀長 に変いてるんですよね。だ、ここにもその 名前の意味がね、見て取れるわけです。 おそらくその長の長は信長からもらった 長野字ですよね。でももうこれから織田の 時代じゃないよと。これからこの橋のこの 秀吉の時代だよということで、え、長野を こうヒの下にするっていうね、この上下 そんな名前の上下でそんなん変わんのって 思うかもしれないですけど、やっぱ結構ね 、大事みたいなんですよね。やっぱこの 時代のね、人の方名前に込める意味って いうのは非常に重たいものがあるので、え 、長野字をヒの下にしてもう織田が仕組ん でその下の秀吉じゃないんだよ。秀長永 じゃないんだよというねことを、ま、示し てるわけですね。はい。で、ここで、ま、 もう完全に、え、この橋場、ま、豊富政権 と呼ばれるものが、ま、出来上がっていく というわけでございます。さ、そしてね、 え、これでその小田のゴタゴタ、あ、信長 が死んだ後の添加ビが誰になるのかって いう互い終わりましたけど、で、まだそれ に従わない人たちがいっぱいいるわけです ね、各地方にね。で、それをこれから秀永 秀義、この2人の兄弟は、ま、正当してい くっていうことになります。で、ここでも 結構やっぱ別道隊としてね、動くことが 多いですね。あの、秀吉はさっさなります 。にね、あの、北陸の方に行ったりとかし て秀長は結構、え、西とか南の方に、え、 攻めていくってことが多くなります。まず 最下根ゴ寺。ま、こいつらも、あの、元々 ね、信長からも結構攻められてはいました けども、え、秀吉にも従わないという態度 をね、出してましたので、ま、ここを攻め に行くっていうね、え、ところで秀永も 結構何個か白落としてます。で、その時に 、え、結構ね、あの、会場交渉を秀永がし たっていう記録が結構残ってて、ま、そこ でこれね、あの、田島の国の時もそうなん ですけど、あの、言うこと聞いてくれるん だったら、あの、機害は加えないよと。 あの、もしどうしても俺に従いたくないん だったら、ま、どっか、あの、別のとこに ね、行ってもらったらいいからみたいなね 。うん。ま、は向かってくるんだったら、 ま、滅ぼすけどでも幸福するんだったら 悪いようにはしないよっていうね、ま、 そういったような、あの、交渉をしてるん ですよね。これ田島の国の時も結構そうな んですけど、結構これがね、あの秀吉秀永 のあの侵略の中で結構見られるパターンか なという風に思いますね。あの逆はあの すごいいい条件を出すんですよ。結構いい 条件出してしっかりちゃんとこれからも あの雇用しますよみたいなちゃんとした その条件を出した上でえ言うこと聞いて くれるんだったら別に大丈夫だからっ ていうね。だ、このあの交渉術っていうの がこの秀吉秀永の、ま、天下とのこの迅速 な、ま、スピードのあの源だったんじゃ ないかなって私は考えてますね。うん。何 でもかんでもそのね、倒して皆殺しにする まで終わりませんみたいなことしてたら やっぱ敵もね、必死に抵抗するでしょう、 ま、なかなかその進まなかったと思うん ですけど、ま、うまいことこう出してる わけですね。アメト鞭のね、使い分けが うまいというかね。うん。で、逆らうん だったらもう徹底的に滅ぼすしみたいなね 。そういううまいこう交渉術を使って結構 城を幸福させたりしますので、ま、これは やっぱその中国攻め、ま、田島だけじゃ ないかもしれませんね。あの、他の色々ね 、鳥取とかね、え、ミ城とか色々があり ましたからそん中で、ま、培ってきた、ま 、海場術みたいなね、ものなのかもしれ ませんけど、ま、それは遺憾なく発揮され ています。で、さらにですね、この後四国 の調査部元地下ですね。え、彼もあの小ま の会いの時に飯安康側に加担してあの秀吉 に敵代してましたので、ま、やっつけ るってう話になるんですけど、ま、この 四国攻めの時にはですね、秀吉が体調を 崩しちゃって、え、熱出して倒れちゃうん ですね。で、それでヒ永が代わりに総大象 として、ま、四国に攻め込んでいくと。で 、ここでは、あの、追いのね、秀軍も一緒 に行ってるんですけど、結構あの、ここも 結構ものすごいね、あの、迅速なスピード で攻略してますね。ま、もちろんやっぱ 機内の兵力ありますし、ま、強かったって いうのね、あると思うんですけど、ま、 長鮮会元地だってね、あの土佐のね、一国 からね、四国制圧あと1歩手前まで行った 猛ですから、ま、それをこうあっさり倒し てるのでやっぱすごいなっていう風には 思いますね。で、ここでもあの面白いなと 思ったのは秀吉は結構もう調査外も元が 許さんみたいなマジでぶっ殺してやる みたいな不騒なこと言うんですけど秀長永 が秀吉にまあまあまあまあつってあの私が 交渉してあのちゃんと幸福させますから あのそんな不そなこと言わないでください ね。秀吉はだからあの病気直った後に四国 に自分も上陸しようということを考えてた みたいなんですよ。でも秀長がちょっと 来るなって言ってあのちょっとお兄ちゃん 来ないでと言ってですね押しめてるんです よね。だこういうことがやっぱ言えるのが ま永のま特殊性だなと思いますね。他の人 はやっぱ秀吉に何も言えないですよ。怖い からね。言えないんだけど秀長はそれを 言えてで実際秀吉もま、じゃあ分かったわ つってね、あの思いとまったわけですよ。 もし本当に秀吉が九州上陸してきたらね、 あの調査側をね、あ、これもう許されない かもしんないつって泥沼の戦いに発展して たかもしんないですけど、ま、秀永は うまいことまとめて、え、幸福させると いうね、いう形に至っています。で、 そして、え、秀長の最後の戦いは九州攻め ですね。ま、九州の島津とですね、激しい 戦いがあるわけですけども、ま、ここでも ですね、えっと、秀吉軍と秀軍では別れて ですね、新軍していくわけですよね。え、 秀吉がその西側、九州の西側からこう行っ て熊本の方とね、回っていくわけですよね 。で、え、ヒ永川は宮崎の方からね、え、 行くわけですね。ヒ雅の国からね、こわっ て行くわけですけども、え、秀永が、ま、 最後の最後にあの島のね、鬼島と呼ばれた 島ず吉と戦うんですけど、それが根坂の 戦いですね。ま、これはもう、あの、秀吉 軍が後的に優勢に進んでいて、え、そのね 、島津川は、ま、もうほぼ幸福するだろう みたいな状況だったんですけど、島義博は ですね、あの、最後に一死報えるぞつって 、え、このネジ代坂のね、え、ところで ですね、あの、城を攻めるわけです。宮 軽準っていうのが元々これ安心のお坊さん なんですけど、宮辺刑のその守っていた 砦出をですね、え、島津がですね、島ず 吉浩は九州を仕掛けるんですけど、ま、 そこで、え、藤高がね、え、その救出に 向かって、ま、助けてで、え、この島ず 義浩を撃退したっていうね、ま、ここに 関しては、ま、東藤高虎の結構手柄という かね、秀永はあの、結構お呼び越しだった みたいですけどね。やっぱ島ずのその、 もう最後の多分一撃だからちょっと危ない んじゃないかってね。下手したら宮刑 見捨てられるかもみたいな状況だった みたいですけど、こうね、藤堂高虎がそれ を殺そうとね、駆けつけて助けたというね 、話があります。で、もう最後のその一撃 もですね、防がれてしまったので、ま、 始末は諦めて、え、幸福すると。で、その 島ず側の過労がですね、秀永の人にやって きて、え、もう幸福しますっつってね、え 、あの、最後のその公和交渉をですね、 まとめるという形になってます。この時も 秀吉もね、あの、来てるんですけど、九州 にはね。でもやっぱ最終的にはやっぱ秀永 のところに行って、え、話をするって いうのはやっぱ秀永がこの外交の窓口のね 、1つだったからって、え、いう風に 考えることができるのかなという風に思い ます。はい。ま、ここまでが、ま、秀のね 、戦いの話でしたけど、ま、戦いだけじゃ ないんですよね。え、頂底との付き合い だったりとか外交とかでもね、え、活躍し てます。頂点に関しては、え、最終的に 12位、え、ゴダイナゴンまでね、 登り詰めてるんですけど、ま、 めちゃめちゃすごいことですよね。で、元 はだってお父さんも誰かよくわかんない ような没落した家のね、え、ね、農民だっ たかもしれないような人間が貴族のね、 もうめちゃめちゃ上の方です。で、多分 あの秀永はあの死んじゃったからここで 終わってるんですけど多分長きしてたら 内大臣ぐらいまで登ってたと思います。 あの家康とあのほぼ同格なんですよね。 この御大ナゴ言に認間する時もイ康と同時 に認間されてますので多分秀吉のその政治 構想の中ではこの家康もあの秀吉にとって は弟になってますので7点の戦いの後に え康と秀吉の妹の朝日がね結婚してあの義 の弟になってますんでま実際の実定である 秀永と義の弟である家康この2人がこの 豊富政権の領浴としてえ秀吉を支えてい くっていう形を多分構想してたと思うので あの多分普通に内大臣とかね、登ってたと 思います。ま、ただこう死んじゃったんで 最後なんですけど、ま、それでも12位 ですからやっぱすごいなっていう風にね、 思いますね。で、あの秀長はこうね、あの 京都のね頂点行って色々貴族とね、交流し たりとか、あの天皇とかにもね、あの当然 反映してますし、え、天皇からお酒ついで もらってますからね。テンパっていうのね 、頂いてますからやっぱすごいことだなと 思いますよね。なかなか天皇にお酒ついで もらうってなかなか難しいでしょ。 なかなか難しいっていうか普通にありえ ないでしょ。あ、それをやっぱ成し遂げ てるのはやっぱやっぱちょっとすごいなと 思いますしでやっぱこうね、あのその貴族 になったらあのま、あくまでね、ゴの ダイナゴンなんで、そのね、あの店員、え 、オーバーしてる分のダイナ言ではあるん ですけど、ま、でもあのそういう儀式とか ね、行われたりとか、ま、当然その 付き合いの多分飲みの席とかもあるわけ でしょうから、ま、そこのそのね、貴族と の付き合い方とかさ、勉強しないとさ、 できないすよ。いきなりやれって言われ ても。だから多分めちゃめちゃ勉強してた と思うんですよね。なんか秀長も、ま、 秀吉もそうですけどすげえなと思いますね 。それができたのが。うん。何にもない ところからまあでもね、やればできるもん なのかもしんないですよね。言ったら、 まあ、なんか自分ね、手前みそで申し訳 ないですけど、私だって別にね、どこの馬 の骨もしれない高々さ、YouTuber でさ、まともに大学だってまともに出て ないのにさね、そのね、大学の教授のね、 先生方だとね、お話ししたりとかしてうん 。結構、ま、緊張しますけどね。緊張する しわかんなかったりもすることも多いです けど、ま、一生懸命勉強してな何とかね、 話ついてるようになりましたけどうん。ま 、それ以上だと思いますからね。やっぱ その貴族とかと渡り合うっていうのはね。 だ、それすげえなと思いますよ。だから その戦とか戦いだけじゃなくていろんな 部分で、ま、ヒ中も努力してたんじゃない かなと思うとね、大変だっただろうなとか 思いますね。はい。で、それから、え、 外交ですね。この外交でもいろんな話が 残ってて、あの結構その上水改活とかもね 、ここには書いてないですけど、え、一緒 にお茶会やったりとかもしてますし、ま、 オ友総林なんかその九州攻めに行く前に、 ま、要は大友が北九州を元々は牛たんだ けどしまずにボコボコにやられてちょっと やばいですってなって、ちょ助けてくださ いっていう風に駆け込んでくるわけですよ ね。秀吉のとこにね。で、その時の対応し たのが秀永で、ま、有名な話でその秀永が オام総林の手を取って安心してくださ いっていう風に言ったらもう総林がもう 感動しちゃってね。それを部下たちにね、 いやもう秀永とはもう実感ですからみたい なね、もう魂の魂の絆で我々結ばれてます からみたいなこと言って大臣しなきゃいけ ませんよみたいなことを部下にえ言い伝え てるんですけど、ま、そういうね、あの 相手のね、こう心をちゃんと掴むね、術を 持ってるわけですよね。あとこう私が 面白いなと思ったやっぱモ本ですね。モ本 もあの京都に、え、秀吉にね、会いに来た 時に上落した時に日記を残してくれてるん ですよね。ありがたいっすね。モテルと元 の条楽日記が残ってて、で、それでこう こういう接を受けましたみたいなことは 色々書いてあるんだけど、そのま、京都で ね、秀吉と一通り、あの、受けた後に、え 、ちょっと奈良観光みたいな感じ来るん ですよ。奈良の方にね。そん時、あの、 秀永大和郡山の上司になってますんで、 奈良の方に来るんだけど、その時にその 秀長永があの迎えに来てくれたってこと 書いてるんですよ、日記にね。それがその 本当にその友も釣れずにだ、本来なら馬に 乗って来るにしてもその馬のこのね、あの 口取りつつてさ、あの口んとこに紐をさ、 こう持ってさ、歩く従車みたいなやつが いるわけじゃん。ま、そういうのと一緒に こう来るんですよね。普通はね。多分で 周りに嫌いとかもされてひなんか1人で来 たんだって。1人で馬飛ばして、あ、 テルもさんお疲れ様ですみたいなね。 こんな軽い感じかわかんないかもしんない けど、あ、お待ちしてましたよみたいな 感じでバーっと来てで、それをあの本と 1人であの馬でかけてきて迎えに来てくれ ましたってね、え、書いてあったりとかね 。うん。方はもう本当にもうあの朝から晩 までねその観光してお酒飲んでまた次の日 の朝から飲んでみたいなま結構すごいあの 手厚い表なしをね受けたっていうことがこ 記録に書かれてるんですけどまやっぱね ここはヒ永のすごいところだなと思います ね上手ま人の心を掴むのがうまいまこれは 秀吉はね人してよく言われてますけどま中 にもねまそういう部分があったというかま 兄弟そってやっぱそれぐらいのことがやっ たできないとねこ登り登り詰めることが やっぱできないでしょうからま中に関して はそういうあの出世のね、あのエピソード 秀吉みたいなエピソードは残ってないけど ね。その雑り温めるみたいなエピソードは 残ってないけど、ま、結構なんか色々ね、 やってきたんだろうなって思います。若手 の頃から。若手の頃から本当にその上の人 たちのね、あの機嫌をうまいこと取ってね 、あ、やってきたからこそやっぱ登れたん だろうなと思いますね。うん。それは やっぱすごいな。て、それがちょっとあの 見えるのがね、このモテル本のね、日記で 、え、面白いですね、本当にね。はい。だ 、本当ね、やっぱヒ永がやっぱりその長気 してたらこうね、また豊政権違ったんじゃ ないかって本当よく言われますけど、ま、 歴史にもしもはないから絶対にそれは言い きれないんだけどでもやっぱこれだけその 気遣いができてあの夜当たり上手ででね、 そのモテルモとかさ、上杉かとかも仲良く やってるさ、秀中がいたらね、ま、全然 違ったと思います。あと言いストも ちゃんとね、あの、やってますから、関係 性気づいてますから、ま、全然違ったん じゃないかなとかね、思っちゃいますよね 。はい。ま、そんなヒ永ね、最後なんです が、ま、これは前にその秀永をの動画を 出した時にちょっとね、あの、お話しし ましたけど、ま、秀永は結構お金好きだっ たっていうね、話は、ま、ま、有名なん ですけど、ま、それもどっからどこまで 本当か分かりませんが、ま、ただ1つだけ その資料にね、ある金絡みの事件で言うと 、え、熊野の在目事件というのがありまし て、ま、これはあの秀吉がね、あの東山に 大仏作るぞつって、大仏殿作るぞつって、 あのクマって木いっぱいあるからその クマノの木を、え、持ってきて、え、その 大仏園作るのに使ってたんだけど、ま、 そのクマノのその在目のあのやってた、え 、吉川平介っていうやつがいて、ま、 こいつがあの秀永の歌詞なんですよね。 っていうの、ま、秀永がその、え、熊野の ね、ある木の国も、え、秀永があの国に なってますから、ま、そこの担当の、ま、 平介が、ま、何かしらね、なんか詳しい これもね、具体的なことは分かんないんだ けど、ま、なんかやっちゃったらしいん ですよ。ま、金を着服したのか、その在幕 を売ったお金を着服したのか、ま、何やっ たかちょっとわかんないですけど、ま、 何かしらのこう不際があって処刑され ちゃうんですよね。秀吉に秀吉にぶち切れ られて、あの、殺されちゃうんすよ。で、 よっぽどのことやってんじゃんっていう 感じするんですけど、ま、具体的に何が あったか分からない。で、ここにもしかし たら秀永も絡んでて、なんか秀永やらかし たんじゃないか、ま、もしくは監督冬機な のか分からないけど、ま、何かあったん じゃないかっていうのを、ま、その動画で も話しました。ていうのも、その事件が あった翌年のあの、正月の宴の時にね、 秀吉があの、秀永に会いたくないみたいな 、あの、面会拒否するっていうね、あの、 エピソードがあるので、ま、ヒ永もなんか やっちゃったんじゃないかっていうね、ま 、その秀永の金好きなね、エピソードと 絡めて何かこの平介なんかやってたんじゃ ないかなという風に、ま、その動画では、 ま、話しました。で、ま、そう思ってたん ですけど、ま、どうやらここに関してもね 、やっぱ詳しいことは、ま、分からないん だけど、ま、後許されてるんですよね。 結局その、あの、面会拒否のがあった後に 、あの、秀永はあの、淀城、え、チ家です よね。秀吉があの結婚してチ、え、後に秀 をね、生みますけど、そのチのお城として ヨ戸城を作るんですけど、そこの不信を 秀任されてるんで、ま、本当になんかその 秀吉と喧嘩みたいなことになって、お前 許さんぞみたいな。だからそそれこそ後の 秀つぐみたいに秀中お前ぶっ殺すぞみたい な話にぶ騒な話になってたらさすがにね 秀吉も最愛のチちゃの最愛とかったら ちょっとねさんに怒られるかもしんない ですけどチちゃのそのお城をねあの作るの 任せてるわけですからそんな大事なお城り にね参加させるはずはないのでまあな誤解 が溶けたのかま仲直りしたのかねうんそう いうことがあったんじゃないかなという風 には思います。まこの辺りもねだから タイガドラマどう描かれるかね楽しみです よね。ま、ここに関してももう今後ね、 なんか資料とかデークでね、研究進むかも しれませんけど、ま、ここもちょっと、え 、1つね、ま、もう晩年ね、だからラスト の方の結構大きな、ま、事件だと私は思っ てるので、ま、ちょっとそこはどういう風 にかれるのかね、楽しみだなという風に 思いますね。はい。ま、そして、え、ま、 最後のね、大きな死ぬ直前に小田原の法条 士が、ま、秀吉に言うこと聞かなかったで 、色々トラブルを起こしたということで、 え、生を加えられるということになるわけ ですけども、ま、ここにはですね、秀が 参戦できなかったんですよね。え、もう 体調崩してしまって病気になって倒れて しまって、え、小田に行くことはできませ んでした。だから、ま、もしね、本当に ここ秀長がまだ動けたら、ま、それまで みたいにそのもう1部隊引きでね、え、 もう1部隊の対象、別の隊の対象として、 ま、言ってたと思うんですけど、ま、今回 は体調を崩してしまっていけなかったと。 だ、その代わりがおそらく、ま、イ康とか 務めることになったんでしょうね。うん。 で、イ康は、ま、大きい鉱石を上げてその 後の法量をね、あのね、ま、違され るっていうことになるわけですけども、ま 、この互いには参加することはできません でした。ま、ただこの秀永が、え、ね、 病床に節る間も秀吉はですね、小田原から 手紙を、あ、なんつか送って秀中大丈夫か つってね、病気良くなったみたいなその 手紙のやり取りをしてるっていうのもこの 手紙が残ってますので、ま、やっぱり、 まあ、2人の関係最後には、ま、修復され ていたのかなっていう風に思いますね。 うん。で、え、小田原生が終わった、ま、 秀吉を、え、秀ね、え、ま、迎えて凱旋を ね、祝って、で、え、その後もなく 亡くなってしまうと、え、今年52歳です かね。だ、ちょっと早いですよね。ま、 戦国時代なら、ま、50歳まで行けりゃ 十分という風には、ま、思いますけど、 やっぱこの後のね、え、まだまだね、豊富 政権いろんな問題を抱えた状態でね、え、 秀いなくなってしまったっていうのは 大きかったでしょうね。で、秀長が死んで しまった後にはね、線球も説伏させられ たりとかで、大いのね、秀雨もね、死んで しまったりとか、ま、本当になんか印刷な 事件が続くんですよね。ヒ永をね、市から ね、連続して。だから、ま、やっぱね、 秀永っていうその、ま、1つの両親と言い ますかね。ま、両親なのかわかんないけど 、ま、秀吉のある人の心の支えだったと 思うんですよね。困った時には、ま、秀永 が助けてくれるっていうのが今まであった と思うので、ま、その秀永を失ったって いうのはその、ま、結果論ですけど、ま、 秀吉、え、ま、ヒはこの豊富政権のね、 大きな、ま、損失だったんじゃないかなっ てやっぱ思いますね。うん。そんな単純な 話じゃねえだろうってね、思う方もいるか もしんないけど、やっぱ改めてこの秀中の 生涯を追っていくとやっぱそれぐらい そんな単純な話になっちゃうぐらいこの人 のあの抱えてた役割というか与えられた 役割っていうのはま、大きかったんでこれ 秀が失ったのはね、ちょっと本当に もったいなかったなっていう風には思い ますね。そしてやっぱり、え、秀吉の転下 ていうものはこの秀長があったからこそだ なって思いますね。あのスピード感を持っ て信長死後からあの全国を閉定していくっ ていうのは秀吉1人じゃま無理だったと 思います。いくらねあの黒田官兵とかま 優秀な家臣がいたとしても一問じゃないし その代々使えてるねあの家臣じゃないつい 最近味方になってくれた人たちじゃない ですかやっぱそういう人達ってやっぱ心の 底から信用できないと思うんでうん。ま、 唯一のねこう憎心ででかつこう能力の高い ヒ永がいたっていうのはやっぱすごい 大きいことだったと思いますね。うん。だ から秀永がいなければ秀吉のЄ加があった かどうか分からないっていうのは結構 大げさな話じゃないのかもしれないという 風に思います。大ガドラモン主人公になっ たからそういう風に言ってんだろうって 思う人もいるかもしれないけどいやそんな ことないと思いますね。やっぱその ほとんど何にもない、何も持ってないゼロ からスタートした秀義がやっぱここまで 飛躍できたのはま優秀な弟がいたからっ ていうことですね。ま、秀吉自身が めちゃくちゃ優秀っていうのは大前提で あるとはいえ、やっぱそれを支えたその 本当にね、あの信用できる身内血のつがっ た存在っていうのはやっぱ大きいですよね 。うん。いや、だから本当秀長が今回ね、 主人公になるということで、ま、その辺り もね、注目していきたいですよね。この 兄弟のね、絆みたいなね。すごいこう言っ ちゃうと口にしちゃうとすごくチープでね 、なんかよくある話だけど、まあでも意外 とそういうよくある話があ、ね、歴史をね 、動かしてたのかもしれませんからね。 はい。というわけで、え、本日はね、橋 秀永の解説でございました。今回ですね、 え、まだまだヒ永について語りきれてない ことたくさんありますので、ま、これから も豊兄弟のね、放送に合わせて、え、解説 動画どんどん出していきますので、え、 チャンネル登録、高評価よろしくお願い いたします。え、そして、え、私ですね、 今回この秀長の解説のね、本を書かして いただきました。漫画と図と地図で分かる 豊富のヒ永ということで、ま、今回話した ような秀永の、ま、障害がざっくりね、え 、分かりやすく書かれてます。あとこのね 、普段私の動画のサムネイルをね、書いて くだされてる、え、漫画のね、先生に、え 、漫画もね、こうやって書いていただき まして、こうやってね、え、漫画でも秀長 と秀吉のね、こう歴史を覆うことができる という、ま、読みやすいものになってます 。ま、もちろんその歴史学者のね、先生が ね、あの、書いた本とかね、こういうね、 論文とかね、こういうの読むのが1番いい んですけど、やっぱ最初初心者には ちょっとやっぱ難しいことが結構多かっ たりしますので、あの、最初ね、あの、ま 、歴史詳しいよとかね、私は大学で歴史 学んでましたよとかね、ま、そういう自信 がある方はあの、いいと思うんですけど、 ま、なん、これがタイガドラマきっかけで ね、ま、俳優さんのファンだからとかね、 なんかいろんな理由で大ガドラマを見ると いう人も多いと思いますんで、あの、 あんまり歴史詳しくないけど、大概楽しみ たいという方、やっぱね、歴史知った上で 見た方がすっと入ってきて、ああの、離脱 しにくくなりますのでね、これは、ま、 当社調べですけど、あの、私の解説を、え 、見つるとですね、対ガのリダーツ率が ですね、大きく低下するというですね、え 、データがありますので、是非、あの、ま 、そのお共にですね、こちら漫画と使いと 地図で分かるも是非お買い求めください。 え、概要欄の方にリンク貼ってますので、 え、Amazonね、え、楽天、ま、 もしくはね、あの、お近くの書店にもね、 もしかしたら並んでるかもしれませんので 、え、もし見つけたら手に取ってみて ください。というわけで、え、夕長の解説 でございました。それではまたお会いし ましょう。さらばちゃ。
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