Hand in Hand ゲスト:武田玲奈 #1
ハンドインハンド 福島県岩市出身の武田れ奈です。3月11 日は私が中学2年生ぐらいだったと思うん ですけど、上級生の卒業式だったので ちょうど早く終わって学校が家に早く帰っ てきて母と2人で家にいて私はその時 ギターにはまっててギターの練習をして ました自分の部屋で。で、そん時に聞いた ことない着信音をみたいなのがなって、 なんだこれと思って、なんか避難して くださいみたいな書いてあったので、一旦 机の下に隠れたって感じです。で、 めっちゃ揺れてなんかいろんなものを抑え ながら自分の部屋の鏡とかテレビとか抑え ながら揺れ収まるの待って。でも母もいた のでまだ1人じゃなかった分怖かったは 怖かったですけど母がいたのでま良かった なっていう思いと父は仕事だったのでその 後すぐにどうにかして連絡取って無事だっ てことが分かってみたいな。父、その日に 帰って来たのかどうかちょっと思い出せ ないんですけど、その日か次の日かには 帰ってきてるはずです。でもライフライン 止まっちゃったりしてたのでテレビみ見れ てなかったんじゃないかなって思います。 その時すぐには多分ちょっと経ってから こんなことになってるんだみたいなだった と思います。あの、海沿いに従子が住んで たりしたので、まず従子大丈夫かなって いうのが心配になって、でも大丈夫だって いうことが分かったので、それは安心した んですけど、その津波のこととかもそこ まで詳しく知らなかったので、私の住ん でる地域が山沿い、山の方だったので、 現実身がなくて、なんかずっと現実身が なかったです。でもちろんその地元は地元 なのでやっぱりこう慣れしな昔から通って た海とかもすごいことになってるみたいな ことはテレビを通してみたのでなんか自然 の恐ろしさみたいなのは感じた気がします 。で、しばらく家にいてうんとライフ ライン全部止まっちゃったので水とか組に は行ってたんですけどでその中で原発の ことが出てきたので親が避難した方がいい んじゃないかみたいになって車で埼玉の方 におばあちゃんちゃあるのでそこにみんな で移動しました。特に説明はされなかった 気がするんですけど、で、私もよくわかん ないまま移動したって感じですね。原発 っていう存在もはやその時に初めて知った レベル。そこまで身近なものでもなかった ので。で、あ、なんか危険なものが出てる らしいみたいな。なので避難した方がいい らしいみたいな。じゃあなんか顔とか ちょっとこう隠しながら車乗ってねみたい な感じで言われてあ、分かったみたいな。 で、隠しながら乗ってなんか大丈夫かなと か思いながらでも詳しいことは特に説明は なかった気がします。わかんないです。 ちょっと記憶があんまりないんですけど。 あ、でも無事かっていうメールのやり取り は友達とかとしてましたね。ちょうど 春休み入る前ら辺だったと思うんですけど 、まず福島から埼玉のおばあちゃんちに 避難してで、そのまま多分晴れ休みに入っ たのでどんぐらいだろう?1ヶ月ちょっと ぐらいは埼玉にいたと思います。テレビみ 見ないようにしてたのかもしれないです。 もしかしたらこう親とかが見ててすごい なんか泣いてるのを見てて私は見ないよう にしてました。多分その状況をなんかこう 気持ちを動かされたくないというかなんか 避けてたんだと思います。ちょっと一番 心配だったのは猫をお家に置いてきてその 地元に親族が残ってたりしたのでたまに こうお家に来てくれて猫のお世話とかもし てくれてたんですけどその残してきた猫も めちゃくちゃ心配でした。
「Hand in Hand」では災害被災地の復興への歩み、再生に取り組む人たちのストーリーをお伝えします。
今回と次回は「福島サポーターズ」と題して福島ゆかりの著名人が、いま伝えたい・いまオススメしたい福島のことをその方ならではの視点で語ります。
今回お話を伺ったのは福島県いわき市出身、俳優・モデルの武田玲奈さんです。
2011年3月11日・東日本大震当時、中学生だった武田さん。震災発生時とその後の避難生活について振り返ります。
