オタクのファッション史
はい、皆さんこんにちは。ブランド古の KLD広報担当のぐんぐん君です。今日は ね、オタクのファッション氏についてお 勉強していきます。オタクのファッション ションって言われておそらく多くの人が 想像するのが、ま、こういうスタイルとか こういうスタイルだと思うんですけど、 このオタク特有のファッションションって いうものがどこから来て定着したのかって いうことを調べていこうかなと思ってます 。オタクって言っても色々なオタクがいる んで一括くりにするのは何センスかと思う んですが、今回は2000年前後にオタク の大名詞的存在になった萌え文化周辺の オタクを中心としてオタクのパブリック イメージとかファッションとかに影響を 与えたと考えられる出来事を中心にお勉強 していきたいと思います。ま、後で話す けど、萌え文化周辺をオタクとすることに はまたこれも賛否両論あるんですけどね。 はい。じゃあ、まず80年代オタク誕生 オタクっていうのは何かにものすごく 詳しく掘り下げてる人を指す言葉という 意味合いが強いかなと思うんですが、この オタクっていう言葉が生まれたのが80年 代です。元々この頃のオタク的な界隈って いうのは今みたいなアニメ美少女みたいな 世界観というよりはSF色の強い作品を 掘り下げて楽しんだりする人が多かった そうです。もちろんいろんなジャンルが 好きなオタクがいるので、電車好きとか アイドル好きとかオーディオ好きとか色々 いたんですけど、当時はマニアとかの呼び 方で各ジャンルごとに分れてたそうです。 で、主に当時のコミックマーケットに参加 するようなマニアたちの中でお互いを オタクって呼び合う人たちがいて、それを 見た中森明夫さんっていうコラムニストの 人がそれをやして1983年に書いた コラムでオタクっていう故障でマニアたち のことをカテゴライズしたのが始まりだ そうです。でもこの時中森さんはオタクを 文化の外からライズしたので、SFファン も鉄道ファンもアイドルファンもその オタクのカテゴリーの中に雑に入れられて 一食にされてさらにはなんか暗いやつとか 社会性がないやつっていう特徴を持つだけ の人もオタクのカテゴリーに入れられて、 当時からこの呼び名は物議を醸してたそう です。でもそれが現代まで残ってて意味も あまり変化せずに使われ続けて るっていうわけなんですね。 この頃のオタクたちのファッションはと 言うと、特にファッション的な特徴は強く なかったんじゃないかと思います。なぜ ならば基本的にファッションに興味がない から実用性重視って感じですかね。でも コスプレっていう文化はすでにあって、 コミケとかのイベントで手作りの衣装を 作ってコスプレで参加する人っていうのは この頃からいたみたいです。作品で言っ たら松本レジの宇宙戦艦大和は1974年 にアニメ放送開始らしい、富の義之の気造 戦士ガンダムとかも79年に放送開始だし 、今から振り返ってもアイコニックで魅力 的なキャラクターは多くて、そういう キャラのコスプレを手作りでしてたみたい ですね。コミックマーケットって1975 年から始まってるんですけど、最初はまだ 二次創作の同人誌を売るっていうのが必ず しも主流ではなくて、この辺りのキャラ 人気が出てきて以降キャラクターの2次 捜作も盛り上がっていったみたいです。美 少女アニメの走りとしては、高橋瑠ミ子の うるせえ奴らが81年にアニメになって たり、80年代は作品の多様性もアニメの 技術も目覚ましい進化があって、後に 語り継がれる多くの名作が生まれた時代 でした。そんな感じで日本のオタク人口は 一気に増えていった時代だったんですけど 、そんなオタク文化を揺がす事件が起こる んですね。それが88年から89年にかけ て起こった宮崎事件ですね。犯人の宮崎が 東京と埼玉で4人後の幼女を誘拐して殺害 したっていう生産な事件だったんですけど 、犯人の自宅からアニメや漫画など多くの オタクコンテンツが欧州されたことから オタク人犯っていう風にメディアで報道さ れてオタクイコールロリコンで危険人物 っていうイメージが一気に世間に広まった んですね。元々みりを整えることにも興味 がなくて、若干挙動不審な人も多かった 当時のオタクたちにさらにファンタジーの 世界との教会線が分からないから犯罪者に なるんじゃないかっていう目も向けられて 、オタクっていう存在が一気に日陰のもの として位置づけられたのがこの宮崎事件 でした。この時代以降のオタクに対する 迫害はすごく長い間続いて90年代から 2000年代ぐらいさらに言えば2010 年代ぐらいまでこのオタクエの世間の 冷たい目っていうのは続いてたと思います 。はい。そんな中で迎えた90年代世間の 厳しい目はあったんですがオタク コンテンツとしては80年代の勢いに さらに和をかけて盛り上がっていきます。 まずみんなが想像する典型的なオタクの スタイルっていうのがあるでしょう。この スタイルが生まれたのがおそらく80年代 の終わりから90年代頃ですね。これが どこから来たのかっていうのは諸説あって 難しいところなんだけどぐんぐん君さに メタルの動画出したじゃん。その時に めっちゃ興味深いコメントもらってなるほ どって思ったのがあって当時ハードロック とかLAメタル的ファッションを取り入れ たバンドマンが楽器の町お茶の水に行く わけですよね。それを見た秋葉原のオタク がかっけてなって取り入れたんじゃない かっていう説があって、ま、オタクたちは そもそも他人のファッションに興味がある のかっていう謎はあるんですけど、そこ からさらに当時めちゃくちゃ勢いを増して た格ゲの影響も強いんじゃないかって話に なってて、そこ結構納得感あったんですよ ね。90年代ってアーケードゲームの主要 タイトルが次々に発売されてた時代で、 ストリートファイターの第1作目は87年 なんだけど2の発売が91年でそこから 一気にジャンルが盛り上がっていって同年 の91年にガロー伝説とかも出てるしオブ ファイターズとかも94年スタートですね 。バーチャファイターとか鉄拳とかの3D の格ゲも93年とか94年あたりに出て ました。ゲ戦だけじゃなくて駄菓し屋とか にも筐体が置かれたり、家庭用ゲーム系の 移植とかもあって、格ゲっていうものが めちゃくちゃ盛り上がってたんですよね。 90年代でその中でガル伝説の テリーボガードとかもうちょい後だけど ギルティギアのアクセルローとかこの辺り のキャラがハードロック的なスタイルを 取り入れてそれがオタクにも伝わっていっ たんじゃないかっていう説がありますよね 。確かに色わせて破れてるデニムとか頭に 巻いたバンダナとか指抜きのレザー グローブとかオタクの典型的イメージと ディティールが似てますよね。それとは別 にカメラオタクとか電子工作系の人たちが 実用性子で汗止めとしてバンダのを頭に 巻いてたのを取り入れたっていう説とか 指抜きグローブは仮面ライダーブラックの 南孝太郎からじゃないかとか諸説ある みたいです。あと90年代ってバンダナ じゃないけど8巻き的なものを巻いた キャラとかも多かったですよね。それも あるのかな?他にもこういう説あるよ みたいのあったら教えてください。あ、で もそもそも80年代から90年代は世の中 的にもアメカジブームでそのテイストが ちょっと遅れて両販転で手に入るように なってそれを長く着てたっていうのも多分 ありますよね。世の中のアカジブームは その後渋かじとか裏腹とかに進化していっ て尖っていったんだけどオタクの人たちは 微妙に80年代の残りガがある格好をし 続けてたっていうのもありそうですよね。 この辺りの時代のファッションとオタクの 自我が混ざり合ったスタイルっていうのは なかなか熱いと思います。あとこの スタイルのオタクって拙車とか何々で ござるみたいな口調で喋ってるイメージが 謎にありますよね。これはどこから来たの か謎なんですけど、多分当時のアニメ雑誌 の読者投稿コーナーとか同人士の後書きと かのこゆいコミュニケーションの場でこう いう口調を使うオタクが一部いたんじゃ ないかっていう説があります。まだ インターネットもなかった頃に限られた 仲間打ちの世界で濃く凝縮された コミュニケーションの1つとして生まれ たっていうかね。確かにオタクの各文章は 割と現代でも独特のノりがありますよね。 それが身かしてあのオタクのイメージが 出来上がったんじゃないかと思います。 この頃のオタクの一般的なイメージは80 年代の宮崎事件から90年代初島に卓八郎 さんとかが誇張されたオタクの姿をテレビ で演じたりしてまあめちゃくちゃキモい人 たっていう風に捉えられてたと思います。 しかしそんな世間の目を知り目に90年代 は他にもちょっと紹介しきれないほど オタク文化が発展しました。まずオタクの 祭点であるコミックマーケットで本格的に 2次捜索が盛り上がって規模が拡大しまし た。80年代の初めには1万人未満だった 参加者も90年代が終わる頃には40万人 にも膨れ上がってたんだって。秋葉原って いう町自体が飛躍的に発展したのも90年 代ですね。元々遡れは秋葉原って戦後の 闇市があった場所で、当時からラジオの 部品とかも流通してたらしくて、それが元 で秋葉原電気街って呼ばれる電気系の部品 のお店が集まってたんだけど、 Windows95が発売されて以降、 一般家程にもパソコンが徐々に普及するの と同時に自作パソコンなどを組み立てる ためのパーツの街として改めて人が増えて いったんですね。ちょうど同時期に愛行者 の人口が増えていた同人誌とかアニメとか ゲーム系の店も90年代後半以降増えて いって、電気プラスオタクコンテンツの街 として全国に知られるようになっていき ました。深夜アニメが本格的に枠を増やし ていったのも90年代です。それまでは アニメといえば夕方とかゴールデンタイム にやってるみたいなイメージで80年代に も深夜枠っていうのは細とあったんだけど それがドーンと太くなっていったのは96 年以降と言われてます。って言っても90 年代は夕方のアニメ枠も超強くて95年の エヴァンゲリオンとか97年のウテナとか 今から考えるとこれ夕方にやってたのって いう悪の強い作品もたくさんありました。 90年代の半ばって社会的にも不安と混乱 が大きかった年で、この頃からより内政的 で暗い作品も増えていった印象があります 。オタク文化券だけじゃなくて社会的に 正規末の閉塞感みたいのがあった時代なん ですよね。ファッション業界も徐々に ミニマル思考になっていったりしてオタク のファッションもこの後遅れて2000年 代に徐々に黒がキーワードになっていくん じゃないかと思います。プールで内向きな かっこいいキャラの数々が生まれたり、 中二病的な概念が生まれたのも90年代の 終わりとされていて、この頃から2000 年代に向けて徐々に内的ゼクールな俺的な 自我をまとうオタクも増えていったと思い ます。コンテンツの話に戻ると90年代は ファンタジーっていうものが流行してた 時代でもありました。86年にファミコン から始まったドラクエはもちろん他の超 名作RPGの数々とかスレイヤーズとか ロードストー戦機とかフォチンクエストと かのラノベ原作ファンタジーアニメが 盛り上がってたり少女漫画の世界でも マジックナイトレイヤースとかは正当派 ファンタジーだったしバスタードとか ベルセルクとかの重めのファンタジー漫画 も人気でしたね。への影響っていうのは 代々的にあるわけじゃないけど、小学校の 家庭家でドラゴンモチーフの再放を選んで しまったり、未だにドラゴンが巻きついた 剣のキーホルダーが欲しくなったり、大人 になってからもドラゴンモチーフに ときめえてしまったりっていう行為衣症を 抱えてる方も結構いるんじゃないでしょう か。あとあんまいないかもだけど女子だっ たらこういうでかい玉のアクセサリーに 引かれてしまうとかね。ゲームの話で言う と、いわゆるエロゲと呼ばれるPCで遊ぶ アダルトゲームが異常なほど発展してたの も90年代後半から2000年代初島です ね。18歳未満禁止っていう縛りを設ける ことによってエロはもちろんあるんだけど それ以外の誤ア表現とかうつ展開とかの 重い表現とか壮大なSFとかめっちゃ 泣けるシナリオをやったりとか割と複雑で 自由な表現ができる実験的な場として後に 有名になるシナリオライターさんとかが 誕生した場でもあります。実は女性の オタクのファッションに深刻な影響を与え てるジャンルなんですが、それはこの後 2000年代のとこでお話ししますね。 こんな感じで90年代はまさにオタク文化 が発展して変化していった時代ですよね。 特に後半からのダークで内的な作品の流行 は未だに人格形成に深い影響を受けて しまってるオタクの方々も多いんじゃない かと思います。はい。2000年代。 2000年代はオタク文化の民主家が進ん だ時代だと思います。まず2000年代 前半はネット環境が一気に整った時期でし た。ADSLの普及で家でも常時接続が 当たり前になって2チャンネルや個人 サイト、ブログなどを通じてオタク的な 情報が広まりました。それまでマニアック な雑誌とかイベントでしか共有できなかっ たオタク的なコードがネットを通じて全国 のオタクたちにも広がっていったんですね 。この頃からネットを返してライトな オタク層もオタク文化にアクセスできる ようになっていきました。オタクをオタク って表記するようになったのもこの頃の2 チャンネル初だったと思います。オタ文化 の一般層への貸化も進んでいきました。 2000年代初島のメイド喫茶バブルとか 2005年の電車男のヒットとかで一般 ピープルの目にオタク文化が触れるように なっていきます。電車男のヒットでオタク イコール犯罪者みたいなイメージが少し 難化したっていうのはありましたね。一般 層への浸透っていう意味で言うと、 2000年代頃から深夜アニメが若干 おしゃれになっていったのは注目ポイント かもしれないです。2005年から ノイタミナっていうフジテレビのアニメの 深夜枠ができて、いかにもオタクっぽい アニメだけじゃない出来のいいちょっと サブカル感のあるアニメが量産されたりと か新抱秋っていうアニメ監督がシャフトっ ていう制作会社を起点にして作ったアニメ 作品が結構攻めたスタイリッシュな作品で 話題になったりとか2000年代の終わり には慶音を始めとする日常系のアニメが 人気になったりとかアニメって火オタクの 大人が見ても楽しめるじゃんっていう流れ が徐々にできてきて、これまであんまり アニメとか見なかったサブカルソあたり から取り込んでいって人気を広げていき ました。主にアニメっていう媒体を中心に 盛り上がってコンテンツも一気に増えて いったのはいいことなんですがこの頃から オタクっていう言葉のニュアンスが何かに すごく詳しい人みたいな球同者のイメージ から萌えアニメを楽しんでる人っていう風 に変わっていきました。キングとして有名 な岡田俊おさんも2006年にオタクは 死んだっていう言葉を残してましたね。で 、2000年代のオタクの服装はと言うと 90年代半頃から広がり始めたダークで クールな感じのロールモデルを患らってる 人は多くて、こんな感じの超クールな 細かいエジプリントの服は一部で人気だっ たと思います。なんで基本的に服に興味が ないはずのオタクたちのところにこれが 届いてしまったのかっていうのは基本謎な んですけど、2000年代頃の鬼系とか メンズエッグの流行は少なからず影響あり そうだと見てます。こういう服って本来 言うたら当時のお兄系の人たちとかが来て そうな感じじゃないですか。2000年代 のそういう流行を受けてジャスコの2階と かの服屋さんにまでこの流行が届いて お母さんがそれを選んで買ってきてしまう みたいなそういう感じでオタクの元にこの 服が届いてたんじゃないかっていう風に ぐんぐん君は睨んでますね。ファッション の話で言うと2チャンネル初のアスキー アートとか痛い文言をプリントしたT シャツとかもこの頃流行ってました。これ はこのくらいの頃から印刷技術が発展して ショーロットでのTシャツプリントとかが しやすくなったっていうのもあると思うん ですけど、当時中野ブロードウェイとか 秋葉原に分かる人には分かる系のTシャツ 屋さんが増えてたのはよく覚えてますね。 そういうTシャツの流行にも感じること ですけど、個人的に好きなものを追求した 結果、オタクになってしまうっていうより は、オタク的行動を利習することによって 仲間との共通言語を持とうとするオタクが 増えていった時代だったと思います。 まさにオタクイズデッですね。でもネット の普及まで地方で寂しい思いをしてた オタクが多かったことへの反動でもあるか もしれないですね。2000年代の後半に ニコニコ動画が本格的に流行ったのもこの オタクの群れ化を加速させた要因かなと 思います。コメントが動画を流れる独特の システムによって同じネタが分かる人たち だけの疑似ライブ解場みたいな一体感が 生まれたのは革命的でしたよね。ニコニコ 動画で盛り上がった文化は多々あるんです けど、その中でそれぞれに打ちわねたとか お約束のリアクションが生まれていっ たっていうのは特徴的な動きだったと思い ます。さっきダークでクールなオタクたち のロールモデルの話をちょっとしたんです けど、オタクたちのロールモデルにも流行 の移り変わりがありました。2000年代 初島は今言ったような科目で傷を抱えた クールなキャラをロールモデルとしていた 人も多くて、ちょっとハードでやコスプレ 感のある格好も指示されてたんですけど、 2000年代頃になるとちょっと空気が 変わります。この頃に流行ったのは やれやれ系ですね。例えば瀬宮は憂鬱に見 られるようなはちゃめちゃなヒロインを 防寒しながらツッコミを入れる感じの キャラが人気になって物語の舞台も学園も が人気になっていきます。 エキセントリックなヒロインに対して主人 公は俺は何も特別じゃない。波風立てずに 日常をやり過ごしたいていう気持ちで一歩 引いて生きてるみたいなロールモデルの 変化はオタクの服装への意識も多少は影響 を与えたんじゃないかと思います。 ちょうどこの頃脱っていう言葉も注目され 始めました。オタク人口が増えるに従って オタク的趣味はあるけど社会に適用した いっていうオタクたちが増えてたんですか ね。90年代のところで話したチェック シャツ、色わせたデニム、バンダナ、 ウェストポーチみたいなオタクの パブリックイメージがメディアに取り上げ られて固定化されたっていうのもあると 思います。一緒にされたくないみたいな。 それでこうすれば人権ある見た目になれる ぞっていう手段が2チャンネルの ファッションだとか個人サイトを中心に 広がりました。遡れば98年ぐらいから 脱田シナ的なサイトはあったみたいですね 。タって実は結構奥が深くてファッション はこれを着とけば安心みたいな話から 始まってでも脱オタを目指すオタクたちが みんなそれを着るからチプ化していわゆる 脱っぽいファッションになっちゃうって いう自連マがあったりとかファッションを 一般人に近づけることで人権を得るだけ じゃなくて泡欲モテたいっていう欲望を 持つオタク向けに男としての自信を持つ ところからってことで生き方の根から難 するサイトがあったりとか、本質的には服 に興味のないオタクに向けてそれを習得さ せるっていうのはかなり難しいだろうなっ て思いましたね。あと2000年代半ば ぐらいって一般人の服もまだまだ洗練され てなくてこういう丸い系の服とかが綺麗目 カジュアルとか呼ばれてた時代なんでこう いうカジュアルっていうには変化球な アイテムが多かった時代の脱を経って結構 難しかったんじゃないかと思いますね。裾 を理解すとチェック柄みたいな副自体の 情報量が多くてごちゃついたものも多くて 結構そのまま身につけると事故りそうな アイテムは多かったですよね。みんな かなり苦労して脱タを目指してたんじゃ ないかと思います。あと女オタクの話を ここまであんまりしてこなかったんです けど、女性のオタクに関してもこういう 格好しがちだよねっていうのは存在して ます。女オタクに2000年代からよく見 られるスタイルでもはやちょっとミームに なってる格好といえばこんな感じ。 キャスケットソックス好きですよね。この スタイルってどこから来てるのかっていう のを調べたんですけど、まずこの オーバーニーソックスのスタイルは古くは 90年代のエロゲから来てるみたいなん ですよね。期源としてはかなり遡るんです けど、ま、でも90年代後半くらいから エロゲの中で妹キャラが増えてロリっぽい キャラクターとオーバーニーソックスの 相性が良かったんですね。で、幼いけど フェティッシュな雰囲気もまといたい。 オタク女子たちの一部がニースを取り入れ ていったっていうことなんじゃないかと 思います。キャスケットも独特ですよね。 のメインストリームではほぼ多分流行った ことがないのになぜかオタク女子たちの間 では定番とも言えるくらい浸透してる帽子 キャスケット微妙にSteamパンクな イメージがある帽子なんですけどこれは ちょっと流行ったきっかけっていうのは 見つけられなかったです。個人的に機能の 旅とかかと思ったんだけど昨日は キャスケットではなかったですね。ま、で も少年ぽさとかのエッセンスとして 取り入れられてる感じはあるかもしれない です。 でもキャスケットもNOXも2000年代 半ば以降のアニメではオタク女子が身に つけてる率が高いからかアニメの世界に逆 輸入されてアニメキャラのデザインに 取り入れられてるのではって思うような パターンも多いですね。 2010年代はさらに脱太が進んだ時代 です。2000年代に盛にネット上で議論 された脱なんですけど、2009年に 脱タクッションガイドっていう本が出版さ れたり、脱っていうものがメディア上で 貸化されるようになっていきました。 2000年代はまだまだガラパゴス的だっ た丸い系とかを模法するしかなかった 脱オタ界隈だったんですけど、2010年 代に入るとノームコアの流行がやってきて 究極にシンプルな服でいいっていう風潮が 脱オタの追い風にもなってたんじゃないか と思います。ユニクロとかもデザインが 洗練されてきて、とりあえずユニクロで黒 スキに買えばどうにかなるっていう時代が 到来するんですね。2000年代に学生 だったオタクたちがこの頃には社会に出て 溶け込む必要性が出てきた。っていうのも この脱オタムーブメントに繋がってる部分 はあるかなと思います。世間的な話で言う と2010年代の中頃にはクールジャパン 政策っていう日本のポップカルチャーを 輸出産業とか観光資源として海外に広めて いこうっていう政府の動きもありました。 ま、これは当のオタクたちはっていう感じ だったと思うんだけど、宮崎勤む世代の非 オタクの大人たちの見ル目っていうのは 多少なんかしたんじゃないかなと思います 。多少ね。オタクコンテンツを楽しむって いうことに対して表面的にはそこまで 風当たりが強くなくなってきたっていうか 。それで言うと2000年代にアニメの 視聴者層が広がったっていう話はしたん ですけど、2010年代はさらに一般層が アニメに親しむようになったと思います。 要因としてはやっぱりサブスクの力が強い と思ってて、2010年代半くらいから アマプラとかNetflixに加入する人 が増えてアニメに触れる機会が増えたん ですよね。こんな中でコナ禍が来て家で コンテンツに触れる機会が増えた中に アニメもあったっていう感じで、今では もうアニメとか普通に見るっていう非 オタクソの和コードとかは多いですよね。 2010年代初島のスマホの普及によって オタクコンテンツとの距離感が縮まっ たっていうのもありますよね。2010年 代はソシャゲの発展とか2.5次元の舞台 が盛り上がったりとか聖地巡礼ブームとか オタクの消費もおずと増えていった時代だ と思います。コンテンツのジャンルも多様 化してライトオタも増えたんですけど課金 する対象は昔に比べて増えたから沼まった 人の課金額の天井がドーンと上がったん じゃないかと思います。この頃になると コンテンツも多様でオタクのロールモデル も様々なんですけどなロー系が流行ったの は1つの大きな流行と言えますよね。 なロー系っていうのは主に小説官になろ うっていう小説投稿サイトで流行してた異 世界転生系とかそれにつなる派生系の コンテンツのことを指します。2000年 代はやれやれ系が流行って巻き込まれ型が クールだったんですけど2010年代は もはや死でリセットされてライセルで強く なろう的な今世は諦めちゃうっていう スタイルが流行りましたね。この頃に ティーンだったオタクたちはほぼ生まれた 時から不景気だったしもう俺を受け入れて くれる世界ごと1から作ってくれよって いうやるせなさを感じますね。あと90年 代に流行ったファンタジー的世界観を下敷 にしてるのでオタクなら一瞬で設定とか 前提知識が理解できるっていう面白いとこ にすぐたどり着けるっていうインスタント さも次第って感じですね。2020年代は コロナ禍以降の新しい消費スタイルが確立 されました。まず大きかったのはコロナで イベントやライブが一時的に止まったこと で配信ライブとかオンラインイベント同時 視聴会みたいな文化が一気に広まって在宅 のお仕活っていう文脈ができましたね。 この頃にはVTuberとか配信者文化も 完全に定着しててスパチャで直接お金を 投げたり推しに見つぐっていう構造が手軽 になりました。そこからおし勝活っていう 言葉も完全に一般化してアニメオタクだけ じゃなくてアイドル俳優VTuber どんなジャンルのファンでもおしかつって いう言葉で括られるようになりましたね。 オタクを辞任してSNSで発信するみたい のも昔よりカジュアルにされるようになり ました。それに伴ってオタクっていうのが 普通になった感じはありますよね。さっき もちょっと言ったけど、アニメとか普通に 見るっていう和コードが増えたことで、 アニメ見てるイコールオタクっていう線引 がほぼ消えて好きなものを好きって言うっ ていうスタンスがZ世代を中心に浸透して ます。ファッションの話で言うと板場とか の私はこれを押してますっていう主張を するアイテムが女性を中心に増えた印象が あります。元々はライブ会場とかで誰を しかを分かりやすくしておくことでグッズ とかがスムーズにできるとかっていう同期 があったと思うんですけど、最近はSNS 映えもするし、推しをもっと広めたいしっ ていう人も多いみたいです。今のこのノり って元々はジャニオタとかアイドル系とか バンギャの世界とかにもま、あった文化か なと思うんですけどこの中でアイドル系と アニメ系両者が混ざり合って2次元キャラ のイ葉みたいのが盛り上がってるみたい です。でも場で言うともっと前から濃い アニメオタクが同人イベントとかで買った グッズを重装備したリュックとか作って 背負ってたイメージもありますよね。より は違うかも。だけど、板バッグの原型は ああいうイメージとか板者とかかもしれ ないですね。でもこの辺りの女性オタクの 多様家についてはちょっと掘ったら1本 動画撮れるぐらい奥が深いので今回は ちょっと割愛します。2020年代は オタクの一般家によってあえてオタクで あることを出していく文化もあるし逆に 引き続き脱落しようと思えば両販転の レベルが上がっててコーディネートは要因 になってるっていう時代ですよね。でも やっぱり昔ながらの覚悟決まった濃い オタクの中には自分の着る服とか一切興味 ないっていう人も多いしオタク人口が増え た分そのグラデーションがより広く多様化 してるんじゃないかなと思います。はい。 ここまでオタクのファッションシをお勉強 してきました。結構頑張って追いかけたん だけど、オタクってアニメオタクだけじゃ なくて多様性があるし、こういう流れも あったよねとか、ここ違うんじゃない みたいな。もしあったらコメントで教えて ください。はい、じゃあまた見てね。 KLDのYouTubeチャンネルでは いろんなファッション情報を発信してます 。チャンネル登録と高評価してください。 今すぐに。また見てね。
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