【トークノーカット】MIYAVI、石原さとみ、紗栄子が登壇!「第20回難民映画祭」オープニング上映イベント
宮さん、さ子さんよろしくお願いいたします。 お願いします。 よろしくお願いいたします。 では、どうぞおかけになっていただいてお話をお聞きしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。 お願いします。 お願いします。 え、さて、え、難民映画祭で 20回になります。難民映画祭が始まった 2006 年当時は紛争や外で故郷追われた人はおよそ 4000万人でした。 え、この20年間にその数は 1億2000万人を超え世界人口の 67人に1 人が避難生活を強いられています。まず UNHCR 新前大使の宮さんにお聞きいたします。 はい。 え、世界では戦争や紛争が各地で勃発し、また長期化しています。さらに世界各地で差別や分断も広まってるように思います。 こうした今の世界の状況や近年の目ま苦しい変化を宮さんどう感じていますか? はい。そうですね。ま、まずあの新大使やってますみです。よろしくお願いします。はい。え、ま、今日は本当にあの日本国内でもいい、え、支援をされてて、え、難波民モデに関しても、え、ウクライナの時からずっと、え、サポートをしてくださってる最子さんと一緒に、あの、こうやってステージに立てて声に思ってます。ありがとうございます。 [拍手] ありがとうございます。 あの、そうですね、あの、ま、実際、え、 戦争、え、紛争に関しては、え、こうやっ て今、え、SNSを通じても瞬時に世界 からの情報が入ってくる中で、え、自分 たちもね、紛争が起こって街が破壊されて 、え、ビルが倒れていく、え、景色なんか を見て、え、少し慣れてしまっていること に器具を感じています。自分自身も、え、 ま、世界中アメリカ、ヨーロッパ、アジア 、え、音楽家として、え、毎晩こうギター 持ってライブするんですけどね、本当にお 客さんと楽しい時間を過ごしてる時も、え 、SNS見たらそういった情報、え、動画 が送られてくる。胸を締めつけられますし 、え、自分の無力さを感じます。で、ただ やっぱそこはそれぞれこれと自分の中でも こう割り切ってうん。の生活をしていか なきゃいけないっていう中で、その世界中 が、ま、コロナを経てどんどんどんどん 分断化されていって、そしてその分断化さ れてていいんだね。今日日本もそうです けど、自分、ま、利己主義というか、自分 たち、自分たち、自分のことをやっぱ守れ ないと他人のことも守れない。そんなそう なんですけど、やっぱ分断化されてていい んだ、利己主義でいいんだっていうその 風潮に関してはすごく、え、器遇をしてい ます。はい。あの、宮さんは 2017年11月からUNH 新前大使を務めていらっしゃいます。 はい。 新前大使に就任されたきっかけやその思いをお聞かせいただけますか? そうですね、元々、え、自分も本当に難民問題に関しては全く何も知らなかったんですけど、え、それこそ映画の撮影を通じて、え、アンジェリーナリー元徳特と、え、出会って彼女の、え、ま、難民問題へのサポートと活動を見て、あ、すごいな。 実際ハリウッドもそうですし、第1戦で 活動してる彼女がね、子供たちも育て ながら、え、難民問題をしてる姿に勘明を 受けたし、自分自身もああ、何かやれる ことがあればと思って初めて、えっと、 レバノンという国に、え、行かしてもらい ました。あの、シリアが起こった後で、ま 、実際ギター持っていったんですけど、 本当にビビりながら、あの、もう僕なんか 行っていいのかとね、本当にあの、 いろんなテロとかも起こった場所で、 いろんな検問もあるところでそんぞりビた んですけど、本当にその自分がギターを 引いた時に、ま、子供たちのうわーって いうすごいキラキラした顔と彼ら彼女たち のパワーを感じて自分もあ、自分にも そして音楽にももっともっとやれることが あるんだなと思って、そ、そこからやらせ てもらってます。あの、さっきおっしゃっ たように本当に自分が始めた時も大体 6000万人、6200万人、300万人 だったのが今は本当にね、1億2000万 人超えてもう2倍近くになってる。ま、 そんな中で無力さを感じますけど、あの、 ま、こういった映画祭も含めて活動して いく中でいろんな仲間ができて、仲間と 一緒に、あの、それぞれの分野で、え、力 合わせてやっていければなと思ってますし 、ま、僕もアンジからすごく今でも いろんなこと学んでますし、強い女性がね 、さ子さんも含めてですけど、あの、 どんどんどんどんあの、こういった状況も 含めて一緒になって、あの、向き合って いければなと思ってます。はい。 はい。あの、今、あの、宮さんからもお話がったように、あの、 1億2000 万人を超えている。で、この数字がですね、今年後 80年ですが、第2 次世界大以降最も多い数字というのが今の現状なんですよね。 はい。さて、本日は2010年から様々な 自然災害や社会に対して支援活動を行い、 2019年には一般社団法人デを立ち上げ られたさ子さんにお越しいただいており ます。え、また国内のみならずウクライナ の人道機器シリアトルコ王子でも シンクザデを通じてチャリティオリジナル グッズを販売いただき、難民支援の輪を 広げてこられました。 さ子さんに、え、お話伺っていきたいと思います。 2010 年に支援活動を始められたきっかけは何だったのでしょうか?また支援活動を継続してこられた思いも合わせてお聞かせください。 はい、皆さんこんばんは。さ子と申します。 私が支援活動を始めたきっかけというのは 本当に小さな一歩だったんですけれども、 ま、両親の影響で、ま、一緒にお買い物に 行った先のあのお釣りをもらった時にレジ 横にある募金箱に募金をするっていう、 そこが私の1番最初の支援活動というか 寄付活動だったんじゃないかなって思って おります。で、あの、芸能のお仕事を始め させていただいて、初めて公けにその寄付 をするという、寄付をしたという事実を 公表したのが2010年のあの宮崎県を 襲った皇帝駅という地産業界に大打撃を 与えたあの時だったんですけれども、その 時は私が地元が宮崎ということもあって、 やはり地元が傷ついていく姿だったり、 弱っていく姿にあの本当に自分にできる ことは何かないかとあの考えさせられてで も私は蓄さの仕事をしてたわけでもないの で物理的に何か実際できることはなかった んですけれども自分にできることでま寄付 という形でその時に支援をさせていただき そのことをあのその当時まああの公表した ということは私にとってもすごく大きな チャレンジでした。その当時やはり芸能人 が何か寄付をしたということを公表する ことだったり、ま、ボランティアをしたと いうことを公表する時に、ま、偽という 言葉がすごく飛び交ってる中で、やはり私 も例外なく同じような言葉で、あの、 たくさん傷つきながらも、あの、表に出る 私が何かをアクションを起こして皆さんに こういうことが起きてるよって伝えること でうん、支援の輪が広がっていくんじゃ ないかっていうことを信じて、今日まで、 ま、発信も含めああの、行動も続けてきた んですけれども、その当時と比べると今だ とやはり他の方にあの支援をいただいて 指示をいいてこういう時の際に、ま、 芸能人が持つ急心力だったりとか発信力が あのすごい力になるんだなってことは15 年の支援活動を通じてあの自分自身が すごく感じてるところです。素晴らしい 心強いですね。うん。あの自然災害も戦争 や紛争も木のみ木のまま住み慣れた故郷を 追われ過酷な避難生活を送っているという ところでも共通しているかと思うんです けども、え、スザデち上げのきっかけに ついて教えていただけますでしょうか? またさ子さんにとって困った人がいたら手 を差し伸べるとはどんな意味を持ってるの でしょうか?はい。あの、個人でその15 年間支援活動は続けてきたんですけれども 、あの、天気となったのが2019年の あの千葉の暴走半島を襲った大きな台風 被害が、台風19号っていう大きな被害が あったんですけれども、その時に私は ちょうど九州で起きた、ま、台風が流れて いって千葉に届いたわけですけれども、先 に九州で起きた被災の支援に現地入りして ボランティアをしていて、で、東京に戻っ てくる、あの、飛行機で戻ってきたんです けど、空港に着いた瞬間にすごいたくさ さんのあのInstagramに ダイレクトメッセージが届いていて何事か と思って開いてみると千葉県の被災された 皆様からのレスキューの依頼のダイレクト メッセージでした。で、何が起きてるかが 分からずテレビつけてもネットを開いても その事実自体が何もあの発信されてない中 で、ま、とにかくあの、ま、被災支援長く 続けていく中で1日目から必要となる物資 をあの車の中に詰め込んで現地入りしたん ですけれども、もうびっくりするような 状況が繰り広げられていて、もう東海した 家の上を家族であの皆さんが必要なものを 探しながらいろんなものをこう掘ってる中 で、子供たちがあの靴は履いてるんです けど、瓦礫の中の釘が刺さって血をで流し てらっしゃったりとか、ま、皆さん本当に 木の木のままあの避難所にあの避難されて いて私が届けた避難物資ももう全然もう 間に合わないぐらいの数の方たちが避難さ れていてその時にあの初めて私はSNSを 使ってあの応援してくださってる フォロワーの皆様に今日と明日でこちらで 避難あ必要物資を募集しますの で、是非皆さんお申しりくださいって言葉を発信させていただきました。 で、そしたら、あの、その2日間で4t 15台分ぐらいの物資が集まって、 で、現地にその当日、翌日で様々な避難所にお届けすることができたんですけれども、ま、その時にちょっとネックになったのが、あの、行政によっては、自治体によっては個人からの避難あの物資を必要物資を受け入れることができなくって、やっぱり企業さんだったりとか支援団体からの物資しか受け入れられないっていう中で私はちょっと、ま、この顔が刺みたいな仕事をさせてもらってる [音楽] [音楽] というところで、ま、今までの活動履歴と かもSNSで残っていたので、あの、物資 を受け入れていただくことはできたんです けれども、やはりそういうレギュ、 イレギュラーの対応をしていただくことは 良くないなと思って、翌月にシンクザデイ という一般社団法人を立ち上げることに なりました。で、その誰かに心を寄せ るていうことがうん、私はすごく大切な ことだと思っていて、もちろんあの、 アクションを起こすこともそうなんです けど、どんな人でも、どんな状況かの方で も、やはりその方たちに対して思いを寄せ て自分にできることは何かないかと考える だけでも大きなことだと思っていて、それ がやはり支援活動の第1歩目なんじゃない かなとは思ってます。あの、2019年に メッセージを発信した時に私もあの、 Instagram拝見してものすごく 誠実な言葉で発信されていて、あのさ子 さんの行動に勇気づけられた方って たくさんいらっしゃったかと思います。 あの、今まで右を曲接ありながらもさ子 さんの強い思いで人々の心が動き、大きな 、え、支援の話ができたことを知ることが できました。 宮さん、新前大使としての葛藤 はい。 そしていをどう考えていらっしゃいますか?そして今後どのように活動されていきたいですか? そうですね、あの、ま、本当に今さ子さんおっしゃったようにあの思いを寄せるうん。 それってすごくあの簡単なようでなかなか できないというか、特にやっぱ難民問題に 関してはあの海の向こうの出来事なので なかなかやっぱその実情を知ることができ ない。だけど、ま、実際本当に現地に行っ てその状況を伝えられる、え、人間が、ま 、伝える。そして、ま、今日もそうです けど、あの、映画、え、こういった作品を 通じてその、ま、今日もこれ皆さんこれ からご覧になるんですよね。うん。あの、 ま、この作品に関しても本当にね、少年、 え、お父さん、え、若い女性、え、 いろんな、え、方々が、え、本当に それぞれのなんだろうな、人生の中で、え 、こういった大きな、え、局面を迎えて どう感じるの本当にトラウマになるような 、え、状況を、え、乗り越えていくんで、 僕自身も、ま、ちょっとネタバりになるの であんま、言わないですけど、本当にこの 、え、映画に出てくるお父さんとすごくな んだろう、本当 家族に対しての思いがすごくなんだろう 共感するそして胸が染みつけられるような 、え、思いを感じました。実際こういった 映画を通じて、え、そういったなんだろう 、え、現場での、え、悲惨な状況などを 伝えていくっていうのはすごく、え、大事 なことだなと思いますし、ま、こういった 機会を持って、あの、たくさんの人に広げ ていければなと。 そして、ま、小場を設けることで、ま、最子さんも含めてですけど、その、ま、国内国外含めてそう、そういった支援をしていく人たちがこう 1 つになっていける、え、機会を作っていければなと思ってます。はい。 あの、戦争や争のニュースを毎日目にするようになり、何か自分にできることはないかと思っている人たちに向けて、さ子さん、是非最後にメッセージをお願いいたします。 はい。 そうですね、難民問題だったり、環境問題 だったりとか、世界の大きな課題に対して 私にできることは何がないかなって考えた 時に、やはりあまりのことの大きさに自分 自身の うん、小ささを痛感してしまうというか、 自分1人がやっても何も変わらないんじゃ ないかなって皆さんも思ってしまうことが あるかもしれません。でも実際に先ほど私 がお伝えした千葉の事例のように私1人で は行かったその大きな支援が皆さんの思い が集まることによって大きなこととなって たくさんの方たちのま、物理的にも支にも なったと思いますし精神的にも支になった ように私たちが何か自分にできないかって 思いをはせできることをそれぞれが探して 行っていくことで社会は大きく変わって いくんじゃないかなと私は思ってます。で 、自分がやってみてうん、少しでもその 支援の輪が広がるように発信することだっ たりとか、あの、家庭の会話の中で子供 たちと話してみることだったりとか、そう いうことがその先の未来につがっていく 小さくて大きなアクションなんではないか なと思っています。 ありがとうございました。え、ここで道具 イベント第1部を終了いたします。 み新前大使には映画の上映後にもお話を伺いたいと思いますので、後ほどよろしくお願いいたします。 え、それではお2 人に皆様盛大な拍手をお願いいたします。ありがとうございました。 [拍手] お願いします。 お願いします。 どうぞ皆さん大きな拍手お送りくださいませ。 はい。 上映前よりか少し温かくなってるかなと思うんですけどは はい。本日はよろしくお願いいたします。ではお席におかけになっていただいてお話を伺っていきたいと思います。 よろしくお願いいたします。 します。 まず早速なんですが、 石原さんにお伺いしたいと思います。 はい。 あの、今回初めて難民映画にご参加いただいています。石原さんが南民映画祭に関わることになったきっかけとお気持ちを教えていただけますか? あ、はい。あ、石原です。本日よろしくお願いします。あ、いや、すいません。 [音楽] あの、あの、数ヶ月前の話になるんですが、あの、今年のハーバード大学卒業式でルオナジャンさんという方が生徒代表でスピーチされたんですね。 で、そのスピーチを見てもう震えるほど 大変明を受けまして うん。うん。 その彼女のスピーチの1節で、あの和役な んですけど人類は共に反映し、共に滅びる というフレーズがあったんです。 で、ま、世界中の苦しみや喜びは一部の人 だけのものではなく、私たちみんなに共有 されるものだという趣旨だったんですけど 、もう本当にその彼女のスピーチに感動し て、で、私にはこう2人の子供がいるん ですが、彼女のような視点を持つ大人に なってほしいなって本当に強く思ったん です。うん。この人のように世界の平和を 真剣に考えられる人になってほしい。 世界中の問題に対して自分ごとして捉えて 思いをはせるような人になったらどんなに 素晴らしいんだろうって。そういう人に するためにどうすればいいんだろうって 思った時にまずは2人の親である私自身が 変わらなければいけないと気づかされまし た。知ること、あと想像すること、語る こと、そして行動に移すこと。うん。彼女 のスピーチからその大切さに気づかれまし て、で、私の今後の人生の軸にしていき たいなって思ったんです。で、ちょうど そのタイミングで今回のUNNHCR南江 のお話をいただいて、もう本当に大変公栄 に思い参加させていただきました。本当に 本日ます。うん、ありがとうございます。 こそ ありがとうございます。 こちらありがとうございます。さて、え、皆様にもご覧いただきましたが映画春ツム、え、宮新前大使に感想をお聞したいと思うんですが、いかがでしたでしょうか? [拍手] はい。かがでしたか?うん。うん。ま、もう盛り上がりにくいですよね。あの、そうね。ま、その前に本当に今日ね、石原さんこうやって来られたこと僕たちもすごく嬉しく思ってます。 あの、先の、あの、さ子さんもそうですけど、本当に影響力あって、行動力のある方々がこうやって、え、登壇してくれること本当に嬉しく思ってますし、ま、ちょっと喋りにくいと思いますけど、こういう場所であの、ま、でも本当にさっきみたいな言葉をやっぱりね、こういうメディアを通じて、あの、見てる人たちは同じ思いだと思うし、自分も俺も子供いるし。うん。 やっぱり親になって何が変わるってやっぱり人生、 この地球の自分たちが死んだ先の未来への責任がうん。で、自分たちもやっぱり背中で 見せていかないといけない。うん。そういった意味ですごくその行動をリスペクトしてますし、本当にあ、あの、嬉しく思います。ありがとうございます。 ありがとうございます。 で、ま、この映画に関しては多分皆さん今あのご覧になったと思いますけど出しね、結構あのグリーンバックのあの うん。 ね、この映画大丈夫かなとちょっと心配になったんですけど、あの、映画の中に出てきてたあの落ですか?あの、 おそらく しかもなんか落がこうぐるぐる回ってなんかに貨物みたいなのをこうなんかぐるぐるしてたのがすごく印象的で、これ何なんだろうなと思ってたんですけど、なんかすごくそれがこの、ま、僕の解釈ですけど、この世界が抱える、堂々巡りのずっと同じような問題 を繰り返している僕たちの現状を表してる のかなと、え、見てて思いました。で、ま 、登場人物の中でも、ま、ペットボトルを こう拾って頑張ってね、生活してる少年と か、あとはあの、お前は奴隷だと言われて 、え、殺されそうになる女性。え、あとは ね、スマホで友達のことが友達が死んだっ ていうのを知らされた、え、男性、そして 家族をね、こう、ま、街が危ないから、え 、見送らなければいけなかったお父さん 本当になんだろう、同じ場所でも違う いろんな人たち、いろんな総理があって、 それぞれ本当にこのドキュメンタリーの中 でもその部分を再現するだけで涙が出たり うん。やっぱそれぐらいの強烈な体験僕 たちはやっぱ日本に住んでるってやっぱ そういう体験はしないけど実際にこうやっ て体験してる人たちがいるっていうことを 僕もやっぱ1人の父としてうん。未来が これからどうなるか分からないのに家族を 見送るってすごいやっぱりなんだろう胸が 締めつけられたしでそういった意味でま 今回のこの映画を見て改めてうん。こう いった人たちのやっぱり実情をうん。知る 大切さを感じたしで、ま、僕はその最後に あの少年たちがこのシのこのライオンに 乗って大人はま抜けだって言ってたのが すごくやっぱり刺さったというか本当だ なってうん。感じましたね。はい。 あの、ニュースだとなかなかその1人1 人のストーリーが分からないですけども、やっぱりこう映画を通して 1人1 人がどんな思いでいくのか、生きているのかっていうのを見るとこの難民支援に対しての考え方また 変化があるんじゃないかなて。 そう、すごい大事だと思ってて、で、さっき本当に医者原さんもね、この出る前 はい。 何を話そうって うん。 ね、一緒に話してて、 で、やっぱり日本におけるその移民とそ難民やっぱすごく難しい うん。 問題だし、ただやっぱりなんか移民は移民、波は民、一もやっぱできないというか、その 1人1 人の背景にあるやっぱ総理をちゃんと僕たちが紐解いて理解していかないとやっぱり問題解決はしないのかなと思いますね。 うん。 あの、石原さんは今回の難民映画祭で上映される作品をすでに何問もご覧になられたとお聞きしましたが、是非感想お聞かせいただけますか? あの、この六本木シネマで上映される作品を本当事前に拝見させていただいて本当にありがたいんですけど、あの、特に印象残ったのがこのバーリアン競争局という 映画があの、とても印象に残りました。 あの、難民が自分の村にやってくるというお話なんですけど、あの、ま、無意識の偏見だったり差別だったり、ま、社会風をユを交えてコメディとして描かれている作品なんです。 うん。 あの、あの、本当にあの、見てて思うんですけど、その、えっと、先生が生徒たちに 問う心があるんですね。 人種差別とは何かと で生徒たちがそれぞれ答えるんですけど最後に先生があの差別とは偏見や恐怖から生まれるものだと うん 知らない人が来るって怖いよねって知らないというのは恐怖なんだでも私たちは違うていうシーンがあるんですね うん もこの映画のメッセージだって私は感じました。 うん。 またこの難民だけではなくてこの世の中にある様々な問題に対して刺さるメッセージだなととても感じました。 うん。 あの、知ることの大切さとか知らないことの恐怖っていうことをすごく感じられる作品だったなと思います。 あと、えっと、あの海を超えてっていう作品があったんですけど、 あの、本当に見ていただきたいです。 あの、あの海を超えてっていうミステリーかのような構成で、あの、真実が分かってくるこの緊張感とこの美しい映像大皮がすごく印象的なんですけど、あの、あ、何言おうとしたんだっけ? でも味方がやっぱり映画作る人の見方だよね、それの。 はい。本当ですか? うん。 なんか見終えた後にすごく優しい気持ちになったんですけど うん。 もう考えられないぐらい悔しい気持ちになったんです。もうこの悔しい気持ちどうぶつけたらいいんだろうって本当にこう生き通りがあったんですけど UNCRの公式サイトに うん。 行ったら うん。 すぐに寄付できたんです。 うん。 数クリックで。 え、ブつけたの?じゃ、そこで もうでも映画を見て知ってこの想像してこの気持ちが変わったこの瞬間に 行動に移せることその先がもう道が作ってくださってるってことに本当に感謝したんですね。 うん。で、本当たった数クリックでできた 。このこのなん、途切れることがなくでき たっていうことがあの本当に支援をま な何て言うんでしょう。 なくできたことに対しての本当に皆さんの環境を整えてくださってるサポート力に本当に感謝だなと思いましたし、この気持ちを抱けたことにすごく嬉しいというか、 あの、見ていただきたいなって気持ちに強くなりました。 ご寄付ありがとうございます。 いえ、ほん、本当に本当に思いました。本当にありがとうございます。 ええ、あの、石原さんは以前からアフリカのケニアで井戸建設されたり、ウガダで紛争に巻き込まれた元子供兵の方々とも交流をされ、今でも進行を続けていらっしゃるとお伺いしました。 あの、アフリカウガンダから車で 9時間かかるあのグルーという地域に うん。 バーバラという友達がいるんですね。 うん。 私はちょっと年下なんですけど、あの うん。 彼女はあの子供の頃に拉致されて難民となって元子供兵少女兵として戦うことになりました。あのその当時の紛争は うん。 拉致したらまず自分の母親を殺させます。 そうすると心が崩壊して他人を傷つける ことに抵抗がなくなるそうなんです。 私は今とても幸せなんですけどでもこの 瞬間にも戦争や紛争それらがきっかけで 想像絶するほど苦しを受けてる人たちが たくさんいるって。 で、彼女バーバラさんはその後職業訓練を 受けて自立して今自分で整形を立てている んです。確実に支援が彼女を救いました。 あのまず映画を見ていただいて、想像して いただいて、この支援という形に行動に 移していただけたら本当に多くの命が救わ れるんだなと。 未来が作られるんだなと思いました。はい。 ありがとうございます。 あの、 もう今の、今の締めの言葉ですね。 いやいや、もう本当にもう少しお話を聞かせてください。あの、宮、みさんに伺いたいんですけど、これまでレバノン、ヨルダン、ケニア、バングラデッシュ、コロンビアなど世界各地の難民支援の現場を訪問してこられました。 現場で出会った人たちとの印象的なエピソードを是非貸していただけますか? そうですね、もう本当に毎回印象的というか本当に毎回衝撃を受けるし本当に今のエピソードやっぱり日本に住んでると考えられないことが世界では当たり前に起こってる。え、自分自身も、え、初めて難民キャンプに行ったのが 2015年。 ちょうどま、アンジェリーナと出会ってからもう本当に何も知らずに新大臣になる前に [音楽] レバ行かしてもらって やっぱ行くと結構やっぱりそのなんだろうね、日本にいるだけじゃ見えてこないってか本当にねきなりショッピングモール連れて行ってもらったらいや 3 ヶ月前テロあったんだよみたいなや連れてくないよって話なんですけどなんそういうそのな んだろう危険と隣合わせの生活をみんな当たり前にしてる でね、例えば第3下国定っていうあの制度 があって、こう、ま、難民としてあの違国 に、ま、避難してで、ま、そこでその難民 としてあのされてで、ま、運が良ければ また違う国にこう移住できるっていう プログラムがあるんですね。で、それもで もすごい小さい確率なんだけど、でも 例えば小さな女の子がおばあちゃんと一緒 に住んでて、で、お父さんは 多分国に残って、お母さんは違う男の人と 家庭を作って、おばあちゃんと一緒に住ん でる。で、その女の子だけだったら第3 カ国定住、ま、アメリカとかヨーロッパの 国に行けるんだけど、おばあちゃんと一緒 だったら行けないって。おばあちゃんは行 けって言うんだけど女の子は行きたくない 。 おばあちゃん置いていけないからっていうような家庭があったりで毎回やっぱり行くとすごいなんだろう心が通じることがやっぱいるというか結構まが合う子がいてで初めて行った時にま君ていう何歳だ? 78歳。そ、当時だから自分の子供と同じ 年ぐらいの子がいて男の子ででもすごい もうずっとついてきてもう帰るもうドアが 閉まる時までずっといて本当にもう俺も やっぱ帰りの飛行機の中でもう号泣する ぐらいやっぱ自分と同じ年代の子供たちが そうやってねそういう状況で暮らして るっていうでその子 次の年行ったら 会話をしたいもんだから 英語を頑張ってそうそうそうしてま言だと で、なんかちょっとこう1年経ってこう ちょっと悪びれてたというか、ちょっと こうとっぽい髪型になってて、で、なんか でもそういうのがどんどん積み重なってで 、ま、コロナがあって自分自身もやっぱり なんだろうなんだろう自分たちも大変だっ たじゃないですか。うん。やっぱ 難民キャンプに全然行けなかったし、ま、 当たり前に。で、ま、その時にやっぱ すごくね、自分地が家事な時に他人の家事 は助けにいけないなってすごく感じた。で 、正直難民問題に、難民支援に関しても やっぱすごくなんだろうな、自信が なくなってたしかいうか、ちょっと無力さ を感じてた時期で、で、2023年昨年か な久しぶりにじゃあ南民キャンプに行くっ てなった時にレバノに行こう。うん。 で、その、その男に頃に会いに行こうと思って行ったらいなくて、 あ、どこ行ったって聞いたら第 3ค่า国定住でウェーデンに行った。 で、それはだから喜ばしいことで、その子はラッキーというか恵まれた。うん。 なので、ま、会いなかったんだけど、あの、ま、せっかくだしテレビ電話でちょっと話をしたいで、彼が元々住んでたテントの前に行って、彼とちょっと電話をして、テレビ電話でうん。 ま、僕とは拝するんだけど、彼の友達もまだやっぱり同じキャンプにいるから、その子たちとこう一緒に会話をしてもらって、ま、そっちの生活どうとか、 あの、おばさん元気とか そういう会話をしてたのはすごいなんだろう喜ばしいことではあるんだけどでもそこには行けない子たちが うん。 いてすごくなんだろうな胸が締めつけられましたね。 うん。 そんな思い出があったりします。はい。 うん。うん。 では俳優としても活躍されながら社会課題にも向き合ってこられた石原さんから はい。第20回難民映画祭へメッセージを いただけますか? ああ、あの、 あの、以前出演したドラマのセリフなん ですけど、すごく印象に残ってるセリフが ありまして、 人なんて皮をげばただの肉の塊だっていう セルフがとても印象に残ってます。 あの、差別とか分断とか 強く意識されるようになってきましたが、 こうどんなに違いがあったとしても本質 を辿どればみんな同じ命であり人なんだと 私思うんです。 なんか あの、あ、うん。 な、何言おうとしたんだっけ?すいません。あの、ま、喋りたいことたくさんあるんですけど、なんかあの、人間ってこう分からないものに対してこう、こう避けようとする生き物じゃないですか? うん。 分からないものやことに対して。 でもこう自分の子供はにはこう 違いを恐れない怖がらない 視点を持って欲しいですし自然と外の世界 と繋がれる人になってほしいってすごく 願ってるんです。 最近こう今まで見えてこなかった線が見えるようになってしまっていて うん。 でもなんか喋っても無駄だって思わずにこう少しずつでも会話を続けていくことがこの見えてきてしまった線を消す力になるのかなと私は思うんです。 うん。 でも、あの、本日はもう遅いんですけど、 明日からまた 子供たちや家族と一緒に 命の尊さとか人を人として見ることの大切 さを伝えて語り合ってきたらなと思います 。あの、本日はありがとうございます。 すいません。 え、それでは最後に宮新前大使よりアーティストとして難民支援に関わってこられ、俳優としても活躍しているお立場から音楽映画が持つ力、そして今年の難民映画祭の期待などお話いただけますでしょうか? そうすね。いや、もう何よりも本当に真っすぐな言葉。ありがとうございます。 ありがとうございます。 すっごい緊張してたし君出る前 震えちゃった。 うん。喋りにくいよとは言っときましたけどいいや。 あの、ま、でも本当にこういう場所に 来られてすごい強い言葉、すごい真っすぐですごいピュアで、その言葉こそが人の心を動かすし [音楽] うん。 その言葉こそがこうやってメディアの方々が来てたくさんの人に うん。 伝わってほしいなと心から思うし、自分もなんだろう知らない。 何も知らずに南民キャンプ行ってで帰って きてテレビのね取材とかしてやっぱり知識 とか経験とかじゃないというか本当にどう 思うかどう感じるかその熱量で今石さんの ねやっぱり言葉を聞いてその熱を感じたし こういったなんだろう 種でここに来て まリスクというとあれですけどね今本当に 日本で移民の問題とかたくさんある中で ここに来られてまっすぐにその親としての 気持 うん。日本人、地球人としての気持ちを聞けて僕はすごく嬉しく思ってます。まずありがとうございます。 ありがとうございます。 で、まね、文化の力というのはもちろん自分も音楽家として音楽ね、やっぱりスピーチしてても聞いてくれない人は、ま、音楽してたら聞いてくれるかもしれない。うん。 で、こういった映画もそうですね、 やっぱりなかなか自分たちは実情を知る ことができないけど、こういった映画を 見ることで本当に、あ、こういう人たちは こういう生活をしてるんだ、こういう 気持ちで乗り越えてきてるんだってのは すごく分かることができる。で、今回、 あの、ま、20回目ということで、こう 20年間こう続けて来れたこと自体すごく 大きなことだと思いますし、ま、映画祭と 言ってもお祭りではなく、こうすごく大事 な機会、やっぱりこういう機会がないと こういう映画見ないしやっぱりね、僕も このとか聞やっぱりアベンジャーズとか見 に行っちゃうですか、やっぱなかなか やっぱヘビーだし方も勇気し うん 力使うし こういった機会があることでこの映画に も向けるし難波民問題にも、あ、映画を 通じて波問題に向き合えるそのことこそが すごく大事なことだと思うし、その作品を 通じてたくさんの人が、ま、知ること、 そして考えるきっかけ、そっから アクションにつがっていけばいいなと思う ので、皆さんも見て、ま、これ旧作品ある んで、急作品、いろんな人のストーリー 全然全部違うんで、あの、是非見てほしい なと思います。はい、ありがとうござい ます。ありがとうございます。ありがとう ございました。 様に、え、最後に一言頂戴させていただきます。まずはさ子さんからお願いいたします。 はい。はい。えっと、あの、決してニュースでは知ることのできないあの、難民の方の苦難だったりとか勇気だったりに触れ合うことのできる貴重な機会だと思っています。 あの、期間中に、あの、オンラインでも、 あの、ご視聴いただけるとのことなので、 是非皆さん1人でも多くの方に触れ合って いただける機会になると嬉しいなと思って ます。して、あの、私自身もそうなんです けれども、美力は無力ではないと信じ、 あの、心を寄せてできる範囲でアクション を起こすことが誰かの力になるということ を信じながら、あの、少しでも幸せの輪が 広がっていくことを願ってます。今日は ありがとうございました。 さ子さん、ありがとうございました。それ では、石原里さん、お願いいたします。え 、参加させていただきありがとうござい ます。あの、 映画をあの、見させていただいて本当に 様々な視点があったんですけど、あの、 事実を知るだけではなくて、そこに生きた 人々の心を知ることができて、本当に 私自身がこの胸がとても心が動きました。 で、あの、多くある中で、あの、1つのお 勧めなんですが、あの、先ほど皆様が見 られた、最初に見られたリストという鈴木 両平さんが出演されているリストという 作品を見えた後に、あの、海を超えて作品 を見ると、より想像ができますし、 とても心 がえられます。スネスの映画、 あの、見る時に相場効果と言いますか うん。 あの、リストでのあの、ま、 あ、はい。はい。 短編ですけど、あの時の映像だったりとか、それが繋がっ、 あの海を超えての時のドキュメンタリーの時に、あの、直接的な映像がないんですが、それがより想像できます。 あの、是非見る順番とか皆様見る作品だっ たり、どの作品から見るかとかって様々 あると思うんですけど、今後あのさ子 ちゃんも言いましたけど、あの、オン ラインでも視聴できますので、あの、是非 私はその見方は、あの、すごく あの、心が動かされますのでおすめだなと 思いました。本日はありがとうございます 。 石原さん、ありがとうございました。 え、では、それでは最後にみさんお願いいたします。 はい。え、ま、本当に、え、ご来場ありがとうございました。あの、ま、特に今日本では、え、移民問題がすごく、え、取り上げられています。すごくセンシティブなで、え、なんだろうな、あの、いろんな見方があると思いますし、え、日本としてどうべきかが問われている、え、局面にあるとも思っています。 え、本当の意味で、え、強くあることとは やっぱり、え、他人を受け入れること、 受け入れる強さを持つこと、それが、え、 本当の優しさでもあり強さだと、え、思い ます。ま、実際日本にいて、え、海の 向こうで起こってることはなかなか知れ ないけど、こういった、え、映画を通じて 、え、知ることができる。これはすごく 大きな文化の力だと思います。ま、本当に 今日は、え、さ子さん、石さん、え、招い てこういった形で、え、一緒にステージに 立てて、え、国内、国外いろんな問題あり ますけど、え、こうやって、あの、力を 合わせて、え、支援の輪を広げていくこと が大事だと思いますし、ま、知ること、 そして考えること、そこから、え、 アクションに、え、つなげていければなと 思うので、引き続きよろしくお願いします 。 ありがとうございました。
MIYAVI、石原さとみ、紗栄子が登壇!2025年11月6日 TOHOシネマズ 六本木ヒルズにて開催された「第20回難民映画祭」オープニング上映イベントの模様をトークノーカットでお届け!
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