【影の車】結局、岩下志麻の魅力に飲み込まれる松本清張映画の異色傑作!!
 
 [音楽] え影の車を映画化するにあたって野村橋本 の2人がですねもう明確にリファレンスと してうんあげてた作品があってそれが ローズマリーの赤ちゃんなんですねで ローズマリーの赤ちゃんを見ることによっ てうん逆に影の車っていうのがよりあ なるほどそういうことかといや本当こう なんていうのかこう人のこうちょっとこう ま形的なところをねじりじりじりじり じりじりじりじり焼いてくるんですよまあ 悪質な映画ですね本当に質ですね本当ま僕 が言うその嫌がらせ映画ってやつですよ とにかくうんうんうんしかもこ川又この 素晴らしいカメラワークっていうそうそう カメラいいんですよカメラがカメラやっぱ 川こすごいよねすごいすごいすごいあれは あこれから何か送るよなこれはがもう すごいわかんのね開示風に言うとざわざわ ざわざわていう感そうそうそうそうそう またね岩下島がねこれ見たらびっっくり するよ可愛いじゃんえむちゃくちゃ可愛い じゃんその岩下島のもう溢れんばかりの 魅力がこの映画の橋本野村プランを割と 壊してると思いますそうですかね [音楽] えということでえ今回はえ1970年の 小竹映画影の車についてえ色々とお話しし ていきたいと思いますよろしくお願い いたしますはいよろしくお願いしますはい はいえっとこの映画えっとですねえっと 松本成長の潜在光景というえ短編ですねえ ヒドルでとも40ページもないような本当 短い短編なんですけれどもえまそれが原作 になっているとでその短編集のタイトルが 影の車ということではいえあのいうことで え脚本はですねまおなじみのえ橋本し そして監督が野村義太郎そしてさらに音楽 が明田川泰というですねまいつもの メンバートですねはいねもういゆ成長トオ ですね本ね成長映画のねもう第1任者が3 人集まってるっていう感じではいでっとね これ原作自体は1961年にま発表され てる短編なんですけれどもえ割とこう企画 に時間がかかってまえ9年9年後のえ増加 ということなんですけれどもえっとですね 今回あのまあねちょっとまサスペンス ミステリーも次やろうっていう企画をね まっていてはいはいはいまそん中でま同じ 野村ヤ太郎の事件とかねあとまあとま横溝 聖主の本人殺人事件とかまその辺が ちょっと上がっていてまその辺もまキキ やることにはなると思うんですけれどもえ チャンドラさんの方からこれは影の車 だろうはいそうですはいいうねえ僕は割と 事件だったらすぐできんですけどももう 暗記するほど見てるんで言ったんだけど いやいや影の車でしょうとはいはいはい いうことでねあのでそれなぜそう思ったの か今回影の車って初めて見た感じですか 初めてですねうん推薦した段階では見て ませ んなんで推薦したのかよくわからないん ですけれどもただえっとまず僕の方から 結論から言うとあのね影の車を選んで もらって大変今回準備が本当面白かった ですああはあはあははうんつまり今までも 影の車ってのは何回か見てるんですけれど もまあのま僕は割とうん好きなもちろん 映画ですけどもそのいより影の車っていう のがどういう映画なのかっていうのが非常 に改めてよく分かったというかですねなの でええあのこの動画もね今見始めた人影の 車見たことある人もない人もいるかとは 思うんですけれどもはいあの見た人はあ そういうことかと思ってもらえるかもしれ ないし見てない人にとってみればああ じゃあ見てみようかなと思ってもらえたら 嬉しいっていうはいそうですねはいねはい というとこなんですがンドラさんのじゃあ まずえ第1印象というかうんそっから聞き ましょうえっとですねあの誤解を恐れずに 言えばうん長い映画でした長い私うん私 初めてですあのま あのサブスクで見たんでDVDとかあの いわゆるこう映画館とかで見たわけじゃ なくてサブスクでね自宅の今で見たんで うんうんうんうんあのね5分起きぐらいに 時間確認してました見てる間時うんうん うんうん耐えられないんですよえ耐えられ ない そうでねあの5分起きぐらいに見てあまだ こんだけしか立ってないみたいなねそう いう映画ですこれ初めてです私こういう 経験 あおうんうんいやだからあの長い映画って 言っても決してこう眠くなったりとか つまんねえな長えなとかっていう感じでは なくて目が話せないまんまえまだ終わん ないまだ終わんないっていう感じ で あのこの映画は1時間半ぐらいだっけうん うんあの見てましたね本当うんうんいやだ からそういう意味ではひょっとしたらあの 野村吉太郎や明田川ヤや橋本と中にじガに なってしまったうん うん今となってましうんうんうんはいはい はいはいなるほどなるほどうんうんまある 意味ですね今日この影の車っていう作品を こう紐解いていくというかですね深掘りし ていくにあたって実はその干渉の感触って いうのはままさにある意味でその作者の 製作者のま術にはまっていると言って いいと思うんですよねうんはいはいであの まずですねあの提としてね僕やっぱ影の車 っていうタイトルがねあの僕原作通りにし た方が全然いいだろうなと思ってて潜在 光景の方うんいわゆるそういう映画なん ですよいやそういうお話なんですよね 当たり前だけはいうんだけどもその おそらくだけどもま短編州のね表題が影の 車だから本をま売るにはねやっぱ影の車 映画かみいな方が分かりやすいっていう ことでねまつけてるのかなあるいは潜在 光景ってちょっと難しいと思ったのか 分かりませんけれどもうんまむしろですね あの潜在光景という作品だということを 片隅においてこの後もお話聞いていだいた 方がま分かりやすいということがままず1 つえそれからですねえこれはなるべく早め に言っときますけれども えっと今回その影の車というねその作品論 を えいわゆるなんてかなこう整理するために ま過去の資料とかにも当たったところを うんえ当時のね公開当時のえキネマ順法に えま橋本し松本成長も入ってたかなえっと えそれから野村吉太郎えそれからえ加藤号 岩下島はいはいはいをえ白井吉の視界でね こういわゆる対談ま記順ではよくやってる ことなんですけどうんえという記事がです ねまあったのでまそれを見たところえ影の 車を映画化するにあたってうんその野村 橋本の2人がですねもう明確にあの いわゆるリファレンスとしてうんあげてた 作品があってそれがローズマリーの 赤ちゃんなんですねえそうなるとですね これちょっとローズマリーの赤ちゃんも チェックしないといかんなとはいはいはい いうことになっねうんうんで僕もね ちょっとホラー映画は苦手なのでロズマリ の赤ちゃんは見てなかったのでもちろん 作品自体は有名なんで知ってましたけれど も今回改めてあ影の車のね元になってる 部分があるんだったらうんって見たんです けれどもでびっくりしましたねあのあそう ですかいろんな意味であのうんつまり いわゆるこう なんてかなホラー映画と言いつつもまある 種のねこうグロテスクだったりその物理的 な何か知武器が飛ぶとかいうことがうん いわスプラッターとかも一切ない一切ない うんうんえどちらかというと普通の日常が ほぼほぼ続いていくうんはいはいはい映画 なんですよねうんうんあのうんでねあので ローズマリーの赤ちゃんを見ることによっ てうん逆に影の車っていうのがよりあ なるほどそういうことかとうんうんえいう 風に分かったででその分かったっていう 部分の1番分かりやすいところを言うとね どうしてもこの影の車っていう映画この キャッチコピー的にねそのいわゆるあの6 歳の子供に殺意はあるかみたいなキャッチ コピーになりがちなわけですよでで当然お 話自体もそこに集約していくのでうんね あかもこう少年に殺意というものが存在 するのかというのがテーマかのようにはい 見えがちなんだけれども実ははいそれっ てマクガフィンに過ぎないんだなりで マクガフンっていうのはまヒッチコックが 言ってるねその事件が起きるきっかけで それは何でもいいんだとうんうんうんうん そま分かりやすい例を言えばマイクロ フィルムみたいなもんだとはいはいはい はいはいそのマイクロフィルムの中身って いうのは説明する必要はないんだとうん そのマイクロフィルムの中身なんて説明し たって面白くないそれよりもそのマイクロ フィルムがどんな事件を巻き起こすかって いうのが映画的なのであるという意味での マクガフィンだからあのそういう意味では ねあの今までもあのそういうこう子供に 殺意はあるかあの発生しうるかっていう 観点で見てたらどうもなんかこうあなんか こう尺としない後味だなと思ってた人も 多いと思うんですよ今日はねそれをね スキッとしてもらい ますまスキットしない映画なんですけども あんまりスキットしない映画ですはいいし スキットしないでくさいそれはローズ マリーも含めてねうんはいうんうん含めて ねうんしたらねやっぱりねローズ マリーというのがそもそもじゃあどういう 映画なのかっていうところねまお話すると 影の車っていうのは割とこう今日のお話で 最初っからなんかこうこう柔軟体操的に こう分かりやすくなってくるかなっていう ところつまりねこうローズマリーの 赤ちゃんていうのは あの結局ですねま言ってみればあれですね あの例えばスティーブンキングなんかで モダンホラーっていう言葉がねはいうん ありますけどもこモダンホラーっていうの はねまでもこういわゆるこうそれまでの ホラーじゃないホラーっていうことですよ ねモダンホラーていわゆるこうネオホラー みたいなことですよね言ってみればね じゃあそのネオホラーってのはどういう ことかっていうことをざっくり言うと つまりその1960年代から70年代に かけて特にそのあれですね第2次対戦に 参加したようなしていたような進諸国を 中心にやっぱり時代がこう社会世の中が こう大きく変化していってたうんうん時代 だったわけですであのヨーロッパではこう 福祉政策みたいな戦後政策が暗証に 乗り上げたりだとかアメリカではねもう ベトナム戦争が泥沼でもうあの反戦運動と かをねどう抑えるかみたいなもうことに なっちゃってる時代ですよねで同時にその ええ特に日本で言えばま高度成長期の人口 移動によってえなんて言うんですかねその うんいわゆるこう地方の社会はえちょっと こう崩れ気味になってくるしえうん人口が 急増したところでは新しいコミュニティっ ていうものがこうまだまだこううん初期 段階にあるうんつまりあの時代によくあっ たねこう隣に誰が住んでるのかわからない みたいなねうんようなうんあのそういった こう日常の不安みたいなものが大きい社会 でも小さい生活権でも割とこう渦巻いてい た時代背景の中ででえこれも日本を例に とればあの結局ねあれなんですよね僕その 映画市で言うとえっとですねあの怪談映画 っていうのがまホラー映画じゃないですか 日本で言うとあそうですねはいね谷怪談 怪談に代表されるでこれがね調べだあの 僕がざっ調べたとこによるとあの大手5社 があの制作した え怪談映画のおそらく最後っていうのは 1968年のうんえ藤村司法が主演した えっと怪談幸女郎とえと山本佐尾が取った ボタン道路っていうのがねこれが一応僕が たどってったらあのま最後の方なんですね うんうん68年ね68年そのそうそうこう まさにねその辺で怪談映画っていうものが ね消えてくんですよスクリーンからねうん うんうんうんまもちろんそれはテレビに ちょっと引き継がれていくって部分はある んだけれども少なくともこう映画工業的に はもう成立しないジャンルになっていたと いうのととおうんあのオーバーラップする ように日本では怪奇ブームっていうのが すでに始まっていてまそれは端的に言うと 水木しげですよねゲのとか悪魔君とかって いうブームがもうすでにその辺から始まっ ていてはいはいはいはいというようなで実 はこれねあの今並行して横峰聖主の本人 殺人次元の企画を進めてるんだけれども はい実はそれってそっちで実は調べてた 情報なんですよ僕の中ではあなるほどはい うんうんでそれがね影の車にも割と 使える情報なんだなっていうの今回 うんうん分かってうんそうだからゆえにだ から影の車っていうのはだからそういう 意味で言うとやっぱねホラー映画なんです よあれはいはいはいねはいうんでそうなっ てくるとやっぱりねあの野村太郎の フィルモグラフィーで言えばま鬼畜とえ 震える下と多分こう野村ホラー3部作 みたいなああはいはいはいはい1本うんで まさにさキャスティングをさあの島とさ 小川ていうさ鬼畜 コンビ鬼畜鬼畜コンビていう言い方は ちょっとちょっとあのお2人ちょっとね ちょっと誤解を招く言い方ではあるです けどはいねですけどもうんうんでも やっぱりホラ映画っていうものはそれは 例えばゾンビの映画だったとしても やっぱりそれってある種のこう社会心理を 描いた映画なんですよねホラー映画って いうのもねままさにゾンビなんていうのも いわゆるこうアメリカでねこういわゆる こうニュータウン的なところのる社会不安 みたいなものをねま象徴するものとしてと いう絵描き方もあるわけなのでやっぱ ホラーというのはこうむしろ時代のその 社会的な心理と結びついてないと面白く ないうんホラーはうんであるがゆえに 例えばま四谷怪談なんていうのはま完全 懲悪ですよね古くいねまそうですはい因が 王法とかねはいはいはいはいうんま番長さ 屋敷にしても何にしてもね悪事を働いた人 が罰を受けるみたいなまなんかあるそう いうねうんうんいうあれなんだけども ちょっとそういうものでは割り切れない 社会にどうもなってきたそういうことでは ねこう人々の不安とかそういったものを うん に新しいタイプのホラー映画が登場してま それのいわゆる切りになったのがローズ マリーでありま橋本の村コンビ特にあの 橋本しって割とこう音量系とかねはいはい はいはい好きな人ですからねうん割とね 八墓村もね祟の話にしちゃうぐらいぐらい な人ですからやっぱりね感度は高いんです よその辺のカルと感度が高い人たていうか うんもうもう本当にねあのちゃんとさんに も読んでもらいましたけどもあの2人が 仕切りにローズマリーローズマリーに言う んですよねはい言言う言う言ううんで しかも本編にすら出てくるっていねあね うんそううんあの僕もね今回ねひ順4まで ね聞き流してたんだけれどもあの小川まの ねフラワーアレンジメントの教室の生徒 さんたちがね雑談してる中でねあの シャロンテト事件の話をしててねそうそう そうあの監督なんて言いましたっけあの ローズマリーの赤ちゃんのでしょととかて 話をねあねなんかあんなおばさんたちが なんでねロマンポランスキーの話をしてん のか ねでさであのあのシーンの直後にさすぐ 3億円事件の話とかでさあのそうあのそう ポランスキーの話をさごまかすかのように さなんか3億円事件の話にすぐ映るんだよ なんかねうんなんかねうんまそれはいいん ですけれどもそれぐらいやっぱり切り離せ ないえこの作品がローズマリーうんという ことはですねえででもちろんそのいわゆる こう新しい社会の変革に対する不安という のはエクソシスト以降にも引き継がれて いくはいわけですうんうん当然ねそれはね うん うんそのえなんですがただねこう エクソシスト以降ってね結構この ローズマリーと影の車みたいなものから またちょっとこう5年も経つとやっぱり 描き方が変わってっちゃうんですよね つまり皆さんご存知のようにエクソシス トっていうのは結局ま悪魔対神父みたいな 神みたいな悪魔払いみたいなそういう対立 構図みたいなものになっていてそれを倒し ていくっていうま割と分かりやすいって いうとあれなんですけれどもそういう構図 にまなっていくところがこのローズマリー とえ影の車っていうのはそういういわゆる ィとしては作られてないですよねそれが ひってあのさっきのチャンドラさんの感想 に戻っていくわけですねいやあのちなみに ですね今回あのローズマリーの赤ちゃんも 見たんですけれども感想としては全く同じ です同じでしょ全く同じでしょ感覚にして また5 分30分も残ってるみたいなそんな感じ ですマリですはいだだからそういう意味で はねまあ橋本の村コンビはまあるし成功し てるローズマリをねうんの本か取りにはま 成功してるというようなねえことだと思う んですけどまそれは一言で言うと何かって 言うとですねつまりこう誰かが例えば斧を 持ったやつがあま斧を持った少年たは今回 出てきますけどもこうそれがねこう 追いかけ回されるようなはいはい恐怖だと か実際にこうね武が飛ぶととかいうじゃ なくてそもそもそのえっとその時代背景を 元にしたホラーの表現というのが日常生活 の中にじわじわじわじわと漂う不安感だ からうんおのずと映画もずっと不安感に 包まれてるわけですよずっと不安なんです ね不安なんですだからあのだから是非ね あのあのローズマリーもねセットで見て ほしいんですよねそのでこうドラさんと 同じ体験をして ほしいっていうのはねていうのはね本当に ねあのねローズマリーもね最初若夫婦がね なんかこう新規を探してうんあのなんか こうマンションに中古のマンションをね見 に行くんだけどもうんもうねあの辺で なんかなんか家具が移動移動してある みたいなさそうそうそうそうそううんね なんかちょっと気になることがあるわけ ですようんうんなんかこうちょっとずつ気 になることがあるでなんか隣のうに行っ たらいやなんか明らかになんか絵が外して あったとかはいはいはいはいとかなんかね ちょっとずつねなんかこうイラうっすら イライライライラしたものがねちょもうね 冒頭数分目からねちょっとずつ積み上がっ てくるんですよねそうそうそうでそのうち にねあのね隣のね変な老夫婦がねやたらと ピンポンピンポン来るわけですようん うんうんなんかそう余計なものを持って はいねうんでそうで中にはさあの変なこう チョコレートムースみたいななんか変な カップに入ったねデザートみたいな持って くるんだけどもなんかこれがこうね主人公 がねあの食べるとなんかこうクソまずい なんか土みたいな味がするみたい な壁みたいな味がするとか言ってでも旦那 旦那の方は美味しいよこれパクパク食べ てるけども奥さんも耐えられなくなって なんかねあの膝上のナプの上に全部と開け て捨てちゃうわけですよねまもうこの辺が ねもう大体皆さんもなんだ分かると思い ますけどもうんうんつまりねこの嫌な感じ なんですよ嫌な感じにそうそうそうそう 次々とだけども隣のその老夫婦なんかは うん明らかに親切で何かをやろうとしてる んですよはいはい全員なんですね全員なん であくまでもだけどもそのローズマリーっ ていう映画はあの主人公の女の人目線の 映画だから見てる方もなんとなくうぜえな このババみたいな感じになってくわけです よだだねそこが狙いなんですよ ポランスキーのそこが狙いなんですよね うんそのいわゆる そのなんて言うのかなこう新しいこう近隣 住人になれないどころかむしろこうなんか 勘に触るみたいな感じがこうずっと続い てってでそれが結局妊娠した後にそれが こう急速に深刻な問題に発展してわけなん ですよ後半にねうんそうしかもそれも なんか3婦人家も通ってたとこはやめて いい先生紹介するからつって紹介された 先生がさまたなんかちょっと変な変なんだ よねなんかねなんかねあのうんうんなんか 非常に克服のいいさなんかこう絵画に出て きそう絵に書いたような名義が出てくるん だけどさ逆にそれがそうそれがさなんか嫌 な感じがするんだよねなんか ねまた言うことがさこう何育児あの育児書 とかは読むなよみたいなことさそう育児書 なんか読んじゃだめだとかねそビタミン剤 なんか飲んじゃだめそうそうビタミン剤と か飲んじゃだめだなんとかそうっていうの を飲めみたいな言うんだけどさねねで ちょっとちょっと一瞬ネタバレになります けども許してくださいねこれ実は全然関係 ないようでいて影の車にも繋がる話なん でわあの意図的にしてますから聞いて くださいねはい結局ねその薬がね後にね あのほらなんだっけあのああ悪魔崇拝者の 本っていうのが出てきてねそん中にその草 が出てくるんだよねそのねうんうんていう ねうんうんでそんなもののミックス ジュースをね毎日届けてくるわけですよ隣 のババーがなんかねっていうようなそう いうまえあれのこうなんつうかま最高 サイコスリラーというかホラーというかね まなんてつうんでしょうかねうんメンタル ホラーっていう感じですねなんかねうん うんなんかね あのなんて言うのあのほら一般的なホラー 映画いわゆるこう何日の金曜日とかそう いうやつだとうんうんあの当的に怖いやつ がドガシンとかやってくるわけじゃない ですかそうじゃないんだよなんかねこう ブブの上ありをじりじりじりじりじりじり じりじり こう嫌な感じがクブのありでじりじり じりじりじりじりじりじりずっとこうし てる感じなんだよ ねあの体感的にはああ うんだからこう決もういいからこうちゃん と来てくれよみたいなそんな気持ちにな うんそれがねこのつりの赤ちゃんていうの がそれについて何がこう傑作垂らしてる かって言うとそれが 結局そのえ主人公の被害妄想なのかどうな のかっていうのが最後の数分間までわから ないっていう描き方なんですよねここが やっぱりみそなわけですうんでここで結局 影の車にえちょっと急にこう移行します けれどもはいあのま必ずしもねあのあの ストーリー自体は別にローズマリーと同じ なわけじゃないのでモチーフとかはだいぶ 違うんですけれどもまそういった表現方 手法ですね表現手法というのを借りてきて でそれをこう松本成長の潜在光景っという ものにミックスしていったはいはいはいで より具体的に言うとさっき言ったみたいに 潜在光景っていうのはねその40ページも ないないような短編ですからうんあの ほとんどのなんだよね主人公のはいはい はいはいま独白体による会話の分っていう のはま冒頭にちょっと出てきますけども うんちょろ途中からは割とねうんそう経緯 をね字の分でずっと書いていくっていうだ けどもそのえ今回その橋本しはえそれを ですね大幅にこうオリジナルの ダイアローグで繋いでいっているはいはい はいはいでまさにもうその部分部分からま ローズマリーというものを意識して書かれ うんうんうんででそれはすなわち簡単な こと言うとさっきから言ってるように何で もない日常会話の積み重ねであるとはい はいいうことなんですよねうんその何も こうトリッキーなことは別に全然言わない はいねうんでであのさっき引用したその キネマ順法の中でね特にねその加藤豪岩下 島がね非常に演技するのが難しいとうん うん いうわなんですよねつまりこううい演技で あっちゃいけないその自然な演技だけども うい演技じゃないのをやるのはうまい なきゃできないんじゃないかとかいう地連 マみたいなことをね加藤豪がね言ってて 割と面白いんだけれどもうんで結局リ リハーサルにリハーサルを重ねて半年経っ ちゃったとかって言ってたねなんか野村 なんかそんな感じだったねうんねそうだ からなんていうか映画としては中型映画 みたいなちょっと見かけなんだけれも非常 に手間のかかったあのとあとコンセプトが 狙られた1本であるとはいはいそうであ うんであるがゆえにねまお好みは見た後の お好みは様々でしょうけども戦列な印象を 残す1本であることは間違いないと思い ますこの作品はいはいはいはいうんうん うんだと思いますねまその辺を中心に ちょっと色々とえ読みとえていこうかなと いうね見たら忘れられない映画ではあり ますね 見たら忘れられない映画ま鬼畜と並んでね やっぱりねなんなら夢に出そうな映画です ね本そうだうんうんでねあのしかもねま この後ゆっくり順番にお話してきますけど もそういったある種のエグだけではない あのうんあのね全く違う視点いわゆる70 年代のあの時代の空気を捉えた映像という 意味でも割とよくできているこれはうんの 楽とにあの時代の空気感を知ってる人に とってみればまあるの懐かしさを強烈に 感じるうん映像というものもま多分に出て くるという側面うんねでそれとかあとは まああのまあの2人がねあのまダブル主役 と言っていいぐらいねだと思いますけども どっちが主役っっていうよりはねあのあの 岩田島と加藤号ね加藤号がねうんそうそう そうだと思いますけども 白語りで最後にえっと僕の方でそれをこう どんでん返し的にひっくり返しますんで 最後まであの見てください最後まで見ると ああじゃあやっぱり影の車見ようかなとえ いうことにちゃんとなりますんでねなんか こううんそんな嫌な映画をわざわざ見るか みたいでもねわかんないんだよね最近割と ねそういうこうバッドエンドとか嫌な感じ のあのドラマや漫画がねなんか増えてると 思あの聞きますんでうん割といいかもしん ないですよ時代の流れ的に今影の車来てる かもしんないっていうあい来てる来てるて 来てるそうそうそうそうねコメントで鬼畜 もやってくださいとか言われたらねまどう しようかと思っちゃうんますけどね本当に ねそんなんばっかり見なきゃいけねえのか みたいまいいんですけれどもじゃえ ちょっとじゃあ本編論というかですねま その辺あのいわゆると前提あともう1つね して言えばやっぱり1970年っていうの はまさっき時代のえ変わり目って言いまし たけどもま日本の映画業界の大きな転換機 でもあったわけですよねでこの後やっぱ大 A日活がま倒産に追い込まれていくっと いう時代ですからで特にま 1960年代後半からやっぱりその大手5 者の映画っていうのはなんかつまんねえな みたいムードになっていたとこれは橋本が ねやっぱ対談の中で言っていてやっぱ独立 プロ作品の時代がま来ていてでそれこそね 三船敏郎とか勝慎太郎とかえ石原裕次郎と かもう役者自体がもう独立して プロダクションとして作品を作っていく みたいなねま誰でも知ってるので言うとま 子連れ狼とかはいねあとま黒部の太陽とか 裕次郎と三船のねとかねうんまそういった ものがま出てくるわけなんですけれども うんうんあのえなんですけどもえっとまあ 大手5者でもねやっぱりいいものを作れ るっていうところを見せたいという意気 込みもとかそうそういういろんなものは 結集したうん作品であるとえいうことで うんうんでどの辺から行きましょうかね この影の車やっぱりトップシーンから行き たいですねあのトップシーンはすごいです ねいきなりあの電車の車内から始ま るっていうあそうあそううんうんうんあの 音楽も何にもなしでいきなり電車の車内の 音から始まってなんかこうドアのところに もたれかかったこう黒ブチメガのクブ メガネで七さの加藤5がなんかこううん うんねあの立ってるっていうねそっ からあれトップシかなりお金かけてるよね なんか色々ねバリバリた察もう野村察好き だからさはい事件事件のオープニングも察 じゃんだってああそうかそうかうんそう そうそううんうんあれあれ武蔵野線かあれ あれ電田園田園都市線ですとしてかはい はいはいはいで藤藤川かっていう駅も実在 しますうんああうんうんうんうんでただ 最初に映った電車がうんあれ違山手線だ山 だよねうんそううんだから乗り継いでって いうところだから多分ねあの日本旅行がね 新宿店かなんかなんですよ多分あれ日本 旅行はいはいはいはいあの加藤号が務める あれがねおそらくねうんでおそらく渋谷で 乗り換えてっていうま野村組が常にやる あの電車の乗り換えを丁寧に取 るっていう砂の器でも出てきたね うん途中の駅で乗り換えてるだけだろタバ がって いうそうあの妙なエがそこで芝居が入る みたいなねそう砂の器の場合には旅情なん だけどさまたね今回はねそうじゃないんだ よねどっちかっていうともう彼の彼の いわゆるこう淡々とした日常生活みたいな ものうんうんうんそういうものを表すで あのなんて言うのかなこう結構ねそっから ねうんざり感が出るんだよいきなり ああいいいいポップシーンだって言ってた のにそれがこううんざりっていうあのうん だからあの いいトップシーンだっていうのはそういう のがよく表現されてるあのシーンだいう うんうんうんいわゆるこうつまらない日常 が非常によく表現されてるうんうという 意味であれは結構ねあの結構なこう鋭い 切れ味のうん芯だと思いますけどもうん うんうんそうなんですよあのね野村吉太郎 ってねあの本当ね切れる時の切れ味が本当 に映像うん派っていうかうんあの良くてで あれもねあの小竹マークのところから電車 の音がしてるんですそうそうそうそう そうそうそうそうそうそうそうねそうそう 築真っからで入ってくるのがねそうそこが 割とギミカなところでつまりねあれってね あのつまりなんていうかな映画が始まり ましたよじゃなくてうん彼の生活っていう のはずっとこうでしたよっていうののの 途中から突然あの彼の人生にカメラが 割り込む的な入り方だと思うんですよね うんうんあの感じうんそうそうそううん いやうまいなと思いますよねああいう ところはねさすがですよねうんうんうん そうでそその後まあの田園都市線から えっと一旦バスに移ってんでまたそのバス も察ししてねそうそうそうそうそう察して ますねうん でねいや単にね殺マニアっていうわけでは なくてあれは明らかに理由があってつまり どういう土地なのかを見せてるんですよね うんそうだねうんうんはいはいだあれがだ からあの割とね成長もねま潜在光景はな なんか私鉄沿線ぐらいな描写しかないん ですけどもま割とこう文字数のあるこう 中編長編だと成長って割とこう風景描写を するわけですはいはいはいはいはいその土 がどういう土地であるのかいうとこねうん つまり今回はそれが重要なんですよねその うんうんつまりつまり一言で言うとえ いわゆる新しく広がりつつ当時広がりつつ あったいわゆる通勤券ベッドタウンの割と こう外終焉部ぐらいなところうんはいはい はいうんだからあの劇中あの子供がね なんかああのあの窓をガラっと開けるとさ ブルドーザーがこう増成してるうんそう そうそうそうそう増ッが入るでしょしる でしょうんそうそうそうあれなんかは ストーリーと関係ないのに何かなと思うか もしれないけれどもまつまりそういう当時 あったそういう割とこう首都圏の終焉部に どこにでもあったそういうねうんそう造成 値が見えてるような深海地であるとうん つまりその古くからのコミュニティがない 場所ですよねそうそうそうそうそうそう うんうんうんいうようなところでしかも 加藤号はその隣町のあ隣の停留所の今度 あの後段住宅に住んいう設定でねでここれ もま言ってみれば似たようなもんですよ やっぱりねうんうんうんでただあの原作の その潜在貢献にはあのその辺のことっての は一切出てこないんだよねちょっと返な あの時間がこれくらいかかってちょっと 返品なところみたいなきちしかなくって うんでそれがねこの映画ではまあのそう いう光景もそうなんだけれども人物につい ても大幅に本当こう膨らませてこう肉付け がされてるうんうんねそれがそうそうそう そううんうんそこはやっぱりあの橋本 しなんだろうけれどもうんでやっぱりね こうやっぱ聖地をねやっぱよく他あの他の 作品も成長をよく読み込んでる感があって おそらくね原作者も満足の脚本かだと思い ますよ脚本だと思いますよあれはうん そうそうこういうことこういうことていう うんうんあ察とかも含めてねうんだ具体的 に言うと加藤5っていうのはこれはえっと 協力っていうことでクレジットも出ます けれどもえ日本旅行はいはいですねはい えっと今 JTBかうんJTBですね今のね日本旅行 でえっと岩下島の方がこれは原作通りであ えっとね加藤号はなんかつまんない会社 ですよとかしか言わないんだけれどもあの え日本旅行って かなりつくっていうか繰り返し出てくるし えっと岩下島の方はえ保険の外交員という ことで原作通りなんだけれどもこれがまた 東京生命っていうねタイアップしてはいめ のはまあの2000年頃に破綻して なくなっちゃったんですけども今はないん ですけれどもうんあのというようにまあ なんて言うかなやあのまリアリズムって いうかねうんはいはいうんなところでを 抑えているうんうんでそのバスの中でえ はい岩下島に声をかけられてはいはいはい ねあの千倉の浜島さんじゃないですか みたいなねはいはいはいはい 来るわけですよねもうもう全てはあのあの あそこから始まるわけなんですけどもうん うんうんまそれでねちょっとうちにあの 寄りになりませんとか言ってでそこには6 歳児の子供がいてはいでそこにこう足し 通うようになっていってでこう肉体関係が 出ていってだけどもその子供はどうも懐か ないとうんでもその懐かない理由は私には よくわかるとうんうんがねうんで自分の 母親も父親が死んだ後にねそのなんかおじ さんみたいな人が詰めてきてはいうんうん みたいなえで自分もそのなか懐かなかっ たっていう経験があるから非常によく わかるんだとうんうんいうようなことがね こうま言ってしまえばほぼそれの話なん ですよはいはいはいうんうんラスト10分 前までほぼその話なんですよはいうんそれ の日常を描いているといううんうんうん うん感じですよねプラスその団地に住ん でるその奥さんの小川はいのシーンとまね 職場とこの3点をこうぐるぐる回る映画ね うんうんだそういう意味で言うとほとんど ね加藤号とえ岩下島のま2人芝居でまほぼ 8割ぐらいな感じうんはいですねうんです ねうんうんまたね岩下島がねこれ見たら びっくりするよ岩下島んびっくりしなかっ たですか最初見たびっくり何びっくりって 何あそうかもう何回も見てるからそう思わ ないい違う違いいやいや言ってみて ください何いや岩下島がね岩下だどだから どうびっくりしたかを教えてほしいあ 可愛いじゃんえ可愛い じゃんあのねむちゃくちゃ可愛いじゃん だから言ってるじゃないですか僕はもう前 から前に言ったことないですか僕はあの 岩下島あの特にあのえ影の車よりも前の 時代にあの例えばあの山田幼児にも2本 ぐらい出ててバがタンクでやってくるとか えうんあと花はめの映画に2本ぐらい出て たりとかまた文芸映画とかにも出てくるん ですけどもはいああの ねそのあの し島が見れるねギリギリの作品ですこれは はいはいはいはいうんうんもうちょっと 立つとねまたねちょっとこううんそのね年 相にまた変化してくので岩下島疑惑とか そういう感じになってきちゃうだよね疑惑 はま随分後だけどねうんうんうんま言って みればあの我々が持ってる岩下島のイメー ジってのはあの疑惑のさあのこう別の女的 なさ弁護士みたいなそう いううんなるほどね疑惑とかねうんそう じゃないんだよこのイたねやったら 可愛いそうなんですよい本当本当なんて いうのかグラっと来ちゃうっていう感じ ですねなるほど うんあのですねじゃあ僕はちょっと今日の 3部構成の第3部で言おうとしたことを もう今言います今言いますその岩下島の はいもう溢れんばかりの魅力がはいこの 映画の橋本野村プランをうん割と壊してる と思い ますそうですか ねそうですか ねおつまりねつまりねこれね特に原作読む とねうんああの思うんだけれども実はね 原作のねあの安子の描写って全然違うんだ よ はいはいそうですはいうんあのいわゆる 中年らしいコブのみたいなはいはい描写な んですようんうん全然違うでしょうんうん 言ってみればまああれだよねあの今で言え ば宮崎義子まちょっと年行っちゃってる けどあとはだったらば藤田ゆみ子とかそう いうりとかそうそうそうそうそうそう そうそうそうそうそんな感じなんだよね うんうんうんそうそうなんだですよだから 本来ならば藤田由子とか宮崎義子とかで 描く方がはいひょっとしたらローズマリー には近いのかもしんないまでもさあの ローズマリーのさヒロインもさいい加減 可愛いよねあれ可愛いですミアファーロね はいはい可愛いですねいい加減可愛いけど ねねうんそそれといわゆるあの割と対抗 できるのはやっぱり岩下島っていう なくもないですけどもちょっとだだ話が ほんでるのでちょっと戻しますけどもはい いやつまりねつまりこういうことなんです よねあのねさっきからね延々とローズ マリーの赤ちゃんまで引き合いに出して 日常の恐怖だねね社会心理社会不安がどう だ時代の変革がどうだね近社会がどうだ 色々語たを並べてきました私もさっきまで ねはいはいところがねあの岩下島がはい フェロモンを出しすぎてるがためにねはい はいはいはいハの車ってほぼ砂の女みたい な話になっちゃってるんですよ あれ砂の女ですからね分かります砂ね安倍 工房原作はいはいはい原ひで岸田京子で 映画化もされてます見た人はねちょっと 笑えてもらえたと思うんだけれどもはい あれねあれあれ岩下志のさ有り地獄になっ ちゃってんだよあれねえ そうだよねそうでしょ話がそうなんだよ はいうんそうだからうんうんうんそうだ からね結局ねあロースマリーの赤ちゃんと いうコンセプトとね岩下島のフェロモンと ね6歳時に殺があるかっていう映画の コピーのこの3つがねねはい整理できない からみんな影の車って何の映画だったん だろうっていうね後味が残るんだと思うん ですよ僕 これね僕はそこを今日すっきりさせたいん ですよこの動画ではいはいはいうんそう いうのはね一時期ね結構ね影の車ってね 深夜枠でね割とテレビやってたんですよ影 の車って夜の12時代とか1時代とかね うんだからね割と割と見てる人いるんじゃ ないかなと思うんですよはいはいうんうん なんでねででそん時はこうねあまりにも ほら画面のこうなんていうかこう吸引力が 強い映画なので見ちゃったんだけどもね 結局何の映画だったんだろうみたいなさ うんうんことで言うとですねその何だった んだろうの原因はおそらく今の3つの要素 がこう微妙に分離してるからいはいのが 今回私の1つの解釈ですねはいはいうん うんじゃあだからと言ってそれが空中分解 してるかって言うとうんそれがね結局ね あのこう野村の気のない演出ワンカット ワンカットの積重ねそそしてあの2人の 演技力加藤ゴトねうん言わしてしまう演技 力そしてそこにですよねあの白田川安の メロディが乗ることによってねなんかね こう作品世界への没入感が高いがために うんねこうなんなんていうのかな一定の 一定ところじゃないかなり濃厚な余韻が 残るんですやっぱりやっぱりなんかね行な 余韻っていうのはこの映画にぴったりな うんねねそれは指示します はいうんうん濃厚な余韻ですねはい濃厚な 余韻を残すでそれのそれの主犯格はも やっぱり岩下島だなとはい岩下島ですはい うんうんうんああれはもう明らかにあり 地獄だなとはいはいねだからあのこうほら あの定からさらに15分かかるんですって 言って歩ってくる坂道がね何度か映るじゃ ないですかうんうんねあれはだから砂の女 におけるあのこすり鉢はいはいはいあの あり地獄なんですよ要はだからうんねうん うんあそこにこう加藤号はねもう王なしに 引きずりだでそういう風に思うとね2度目 にバス停でもう1回会うあのバス停町の ところで会うでしょ駅前ではいうんはい はいねおやあの1度会うと割と何度も会い ますねつって近寄ってくるじゃないですか あの岩下島があれあれがさあれがさなんか 作戦に見えるんだよね岩下島のなんかね わざずわざと来るまで待ってたんじゃない かぐらいなに見えるんだよそう思うと うんうんうんはいはいはいうんねうんうん 本当はそう思っちゃいけないんだよ本当は そういう話じゃないねそう話じゃないんだ よもちろんね うんでもね2回3回見れば見るほどねもう ねあの岩下た島があり地獄にしか見えなく なってくるんですよはいはいはいはいうん うんそう うんあのだからねいや本当演出とかこう 画面映画として非常にちゃんとしてるので あんまりそういう感じもしないんだけれど も下手したらよめドラマだやいやだから いやだからね一時期ね深夜でよくやって たっていうのはそういう意味でそういう 意味で割と視聴率が取れてたんじゃないか と思うんだよ今今思うとはいはいはい エッチドしねうんうんそうそうそうそう そういやだからさ後のさなんだっけあれと かですよなんだっけほら渡辺純一のさ なんかああはいはいはいはいはい落園失落 園とかさうんああいうのがなんか流行る じゃないですかうんはいはいはいはいうん あうんうんあと後になんだっけあの午後3 時のなんとかっていうあのうんあったよね 佐藤巧斎藤巧と小野まち子だっけうん なんかあはいはいはいはいはいはいあった あったよねあれとかさそうそうだからだ からこれまた大4のキーワードが出てきて そうこうこう不倫よろめきドラマみたいな ものとして消費されていたって いうねねまた第4のキーワードが出てくる うんうんいや絶対深夜枠ってのはそれ目的 だと思うよね深夜枠の防衛うんそうそう そうそうそうそううんうんだからねあのだ からねこれこれ当時もねあの工業的にも まあまあ成功してるんですよこれねヒット してるんですよねこれねこ ねだからねそその辺ねやっぱりノーブレ シテロってねプロデューサーとしての勘所 は非常にいいのでその発光ださにしてもね うんうんはいはいうん プロデューサーてで実際ねその白田さんに しても八墓村なんてだって犬神の1.5倍 ぐらい叩き出してるからね工業収入ねあれ 20億行ってますからね当時ね村ってうん だからやっぱそういうだからなんのこう1 つのコンセプトでは作らない単に ローズマリーの赤ちゃんをモチーフにした いっっていうのはそれは映画の映画作家と してのそのいわゆる設計図の段階での話で あってで彼の中には同時に工業っていうの も同時に同じぐらいの比重であってうん そうでそそれをねこう混ぜこぜにして小竹 だったらもうしまちゃんしかいないだろう ていうところでね持ってきたがためにあの こうクラクラするようなうんするような 映画がですね結果しかもしかもこう川又こ の素晴らしいカメラワークっていうそう そうカメラいいんですよカメラがカメラ やっぱ川又こすごいよねすごいすごい すごいあれはあれは見事ですよ本当にうん うんうんすごいですだってただ単にさバス 停にバスが止まってさ加藤号が降りるだけ のカットなのにさあの夕日のさ半逆光 みたいなやつでさもうあんだけでもさなん 額縁に入れて飾れるような1枚絵じゃない ですかあれだけでもうんうんしかもそれで ねなんて言うのかなあこれから何か起こる よなこれはっていうのがもうすごいわかん のねそうそうそうあの開示風に言うと ざわざわざわざわっていう感そうそうそう そうそうざわざわざわざわっていう感じが 常にややちっちゃのねかきもちでねざわ ざわってね出てる感じがちゃんと出てるん だよねうんうんうんうんだからあの かっちりと構図を決めてるようでいてどっ か不安を呼ぶような構図に多分なってるん ですよおそらくうんうんうん絵的にもね うんうんうんそこはねすごいだからそう いう意味ではなんかま後にね影の車って 23回ぐらいはテレビドラマ化されていて でまそん中の1本は僕も見てるんですけど も えっとなんていうのかなまあテレビでも できるようなはいはいはいはいスケールの 話ではあるんですようんうんでもね やっぱりねうんやっぱりねその後の いわゆるドラマ版とはねなんていうかな 作品のはいなんていうかなこう質感が全く 違うやっぱり映画ああうんうん映画って いうつまり映像っていうもちろんねさっき 言ったみたいにこうダイアログのとか演技 自然なね日常の演技これも大事ですでも ねん あのも当然ね今回だって潜在光景っていう のを表すためにその多多層分解っていう やたらめんどくさい技術まで使ってるので ねそうあれもなんかよくわかんないよね なんかこう光の3元色に3本のフィルムに 分解してそれをちょっとずつずらし ちょっとずつずらして合成するみたいな うんしかも出来上がりを見てみないとどう なるかわからないからやってみてダメだっ たら取り直しみたいなことやってるんだよ ねなんかねはいはいはいうんもちろんそう いうかなりこうギミック度の高い映像も もちろんなんだけれどもはいでもあのいる 日常何でもないシーンをね取るところでも 割とねあの本当に映画的例えばねあの団地 内のその加藤豪のね家の中でその小川海が ねフラアレンジメントで生徒さんたちを 呼んでってわさわさやってるじゃないです かうんであれさ 1回目とさ2回目でさ生徒が増えてるんだ よね ああなんかねこうイライラがこう増量し てるんだよ絵的 になんかねなんかさ3ぐらいしかいない しかもその3人と34人の1人がさねね 安城野村明子っていうさまとにかく こう絶妙ななんかこうあのけたたましいね 中年主婦を演じさせたらもう右に出るもの がいないという あの野村明子がもう最初からもうなんか セッティングされていてはいはいでなんか 2回目か3回目映る時には今度はカメラが 後ろのなん隣の部屋に引いてて手前に34 人ぐらい新しい人が増えてるんだよね つまりあの分加藤号の居場所はどんどん なくなってるんですよ物理的にねうんそれ をねさげなくやっぱり映像でちゃんと見せ てるっていううんうんだそう意味ではね あの小川の部分の描写が足りないっていう 批評もあるんだけれどもはい僕はもうあれ で十分だと思いますあの加藤豪の心理を 描くには十分だと思いますねもうあれだけ でもねうんあの原作だとほとんど描かれ ないんだあの奥さんそうむしろねうんうん いやだから あのこのハの車のこうなんて言うんのかな 原作からやっぱり大きく違うとはそこだよ ね奥さんがあの加藤号のえ浜島の奥さんが すごくこう丁寧に描写されてるうんうんて ことなんだよねしかもあの性格まで ちょっと変えられちゃってるんだよ浜島の 奥さんうんあの浜島奥さんあの加藤号の あの旦那さん大好きなんだね ううんうんうんあの原作の方だとそんなに こう奥さんはもうそんなに僕に関心ないの かなみたいなあの感じ でねあのはまあの加藤号は捉えてるけれど もでも映画の方だと全然そうそうじゃない んだよねあのまだひょっとしたら子供 ぐらいできるんじゃないのぐらいの感じで うんうんうん あの加藤5にこうペットで甘えていきたり するんだよねうんうんうんうんうんうん うんいやだからもう加藤こふざけんじゃ ねえよみたいな感じんですけど なんでなんでこんないい奥さんいてあ あいました島の方によめいてんだよみたい なそんな気スらしてくるんだけどさうんで もさなんかさあのそう思うのと同時にさま これは引っかかるよなっていうぐらい岩下 島があり地獄なんです よだからねすごい変なバランスなんだよだ とにかく本当にうんはいはいはいはいうん しかもね小川ってのはさちょっとしか出 なくても割と押し出しの強い役者さんじゃ ないですかあの人ってねうんうんだからさ であれもさあのタイトル入る前からあの さりげなくだけどもあのあの奥さんとの 関係性やキャラクターが端的に表されてて はいいやあとかっ今日珍しい人とあったよ とか言ってちらの人でねとか言ってうん ああ言ってのさへえとか言って掃除機ガー そうそうそうそううんねうんもうあそこで もうわかるっていうさうんうんそうでその 後はもうフラワー教室の生徒さんがさもう ぞくぞくどんどこどんどこ入ってくるわさ しかもその傍でさなんかあれだよね正教の 流通機構の問題とかに取り組んでるなんか あれだよねそうそう牛乳値上げの問題に そうちょっとプロシビンっぽいことやっ てるよねなんかそうなんかねなんか点の 泣き言なんか聞いてる場合じゃないわね みたいなんかすごいすごい電話してるよね なんか ね うんでしかもまあのねあの想像力豊かに すれば要はあの浜島家がこうだ団地の中で ねあの浜島県っていうのがそのフラワー アレンジメントの教室っていうことで多き さんのたまり場になってて でそこであの牛乳のその値上げ問題みたい なのがこう出てきちゃってで馬島の奥さん はそれにも首を突っ込んでしかもなんか こう うんちょっとこう頼りにされてるみたいな そうそうそうそうそうだ割とねうん割とね うんうんうんこうリーダーシップを取って まあのフラワーアレンジメントの先生だ から勢いそういうことになっちゃうのかも しんないけれどもなんか割とリーダーうん を取ってそういうことの戦闘に立ってやっ てるみたいなうんうんでそういう姿を見せ られるとやっぱりこうあのなんて言うのか な気の ちっちゃい合としてはあのええみたいな 感じになっちゃうんだろうなとは思うんだ けれどもまだからその辺はね非常に細かい ところで描かれていて例えばこう近藤洋介 のね友人と喫茶店で話をしてる時にはい どうなんだうんはとか言っていや忙しい だけだもうもう忙しいばっかりだよみたい なねちょっと言うんだよねちょっと言うん だよねうんとかねそのだとかあとはもう これはもう見てる見てるとそう思え るっていう部分だけれどもそのなんかね なんか小川の奥さんのななんか想像してた 奥さんと多分違ったんじゃないかなみたい な雰囲気もあるだよねうんうんなんとなく ねうんうんそういうのもあるしもうん もっとなんて言うのかおそらく加藤号とし ては家庭でこう家事をまずやってみたいな 感じの奥さんを想像してたのかなみたいな そんな感じはちょっと匂ってくるよねあの 岩下島が割とそういうタイプなのであの うんうんうんうんこの映画の中でそうね うんうんうんうんうんまあとねこれ余談な 余談にはなるだけれども割とねこう当時 書いてる橋本もそこまで意識してなかった だろうけれども割とするどいなと思うのが 結局ねあの団地っていうこう新しい コミュニティの中でこういわゆるこう自分 でこうコミュニティをこう作っていってる わけじゃないですかこの主婦の人たちが はいうんうんうんうん実はねあれ80年代 90年代になってあの問題が実は再浮上 するんですね と結局ねあのいわゆるあのドラマで言えば 加藤号がああとこう23年経って定年退職 した時にうんうん旦那さんには コミュニティがなくなっちゃうんですよ 会社るそうでも奥さんには10年20年 30年っていうコミュニティがあるんで その奥さ連中であっちこっち旅行に行っ たりとかしてるいうことがね80年代から 90年代にかけてね割と起きたんですよね うんうんうんそうだからそうだからそう いう意味でもねあれはね割とね当時のその なんていうかこうあの時代観察としても 正しいんですよねあれ割とねうんうん うんうんで割と鋭い脚本だなあれ オリジナルですからねあそこはね完全に 映画はいはいはいうんうんうんだからそう いう意味ではねこうま原作にも出てくるっ ちゃ出てくるんだけれども実はその 岩下島の家に行くたびに何かご馳走を毎回 食べるよね3回ぐらいはいうんうんうん1 回目がすき焼き2回目がなんか肉のなんか 味噌漬けみたいなやつはいはいうんであ 違うカかな2回目はカこんなのはちくらに しかないと思ってましたよつってるななん とかみたいなあそうだそうだガザミだ ガザミをガミかうんとあとこう肉の 味噌漬けみたいなのとかさやたらとこう 食うじゃないですかはいはいうんで僕ね あれねこれは想像だけどもはいあの ローズマリーの逆定なんじゃないかなと 思ったのねローズマリーってさあうん口に 入れるものってことごとくこう悪魔のもの じゃないかっつってさ拒否するでしょうん さっき言ったそのチョコレートムース みたいなってクソまずみたいなうんもう もうあれあの時点であのこう何あの アパートのあのなんかコミュニティに入れ ない感みたいなもをさま関節的に表現し てるわけじゃないですかなんと剣をって いうかうんであとこうね体に妊婦にはいい からって飲まされる謎のミックスジュース みたいなさ気持ち悪い気持ち悪いやつうん もう毎回捨てるみたいなやつうん変な薬 飲まされたりとかっていうのも飲んだふり して捨てて捨ててるみたいなさそれの真逆 なんだよねこの影の車の場合には原作に 描かれてる以上にとにかくこうあの だしかもさそれプラス副菜で何なんだろ あれなんか地の時代に食べてた漬け物 みたいなうんぬか漬けだよねぬか漬けそう そうぬか漬けみたいなのでこあ美味しい おいしいこれ美味しいですねとか言うのっ てそうあのローズマリーの真逆なんだよね 逆にねうんうんうんうん僕はねだからあの やたらとね登場人物がテレビを見ていると かいうカッがあったりとかも割とローズ マリーからのパクりだと思うねうんあそう ですねはいはいあまあのローズマリーの 赤ちゃんの場合はあれは旦那さんが役者を やってたあのコマーシャルに出て るっていうことであの一生懸命眺めてたん ねうんうんうんうんうんうんあの影の車で はやたらテレビ見ててしかもなんかこう 後々になってこう加藤号とあの6歳の息子 の一か君のこう対立点みたいなことでうん うんうんそういう小道具としてこうになっ てきなってくるよねうんだんだんとうん うんあとね僕ねこれローズマリーもま もちろんなんでテレビを見てるかっていう 理由はあるんだけれどもでもさあの僕もう 1つ意味があると思っててやっぱりさその テレビっていうものがさそのなんて言うの そういうあの個人の空間化していくって いうかはいはいはいはいはいいうねま当時 ねまあの日本だとこう貧しいからこうなん てつのあのお茶のまお茶のまでテレビって いう言葉があったけどもでもそれも裕福に なってくと実はテレビから分散部屋と テレビがセットで分散化個別化してく時代 に入ってくでしょ80年代とかに入って いくとはいうんはいうんだからねそういう 部分もあるかなっていうそのうんうんご 近所どころか個人個人もねその はいるであのだから影の車の中にも出て くるけどもあのちょっと出てくるけども あの当然みんなが見たいものって本来同じ ものじゃないからチャンネル争いっていう のがあはいはいはいうん逆にねうんでで影 の車はチャンネル争いじゃないけれども なんかこれは子供の見るもんじゃないよ みたいなてガチャガチャてやると子供が 無言でガって戻すうん元元に戻しちゃうん そうあの辺にだから子供だろうと何だろう とやっぱりその家族だろうと何だろうと やっぱりそのなんてかこう1人1人の個体 っていうものがねやっぱりもう分離し始め てるんだていうこともちょっと匂わせて はいいるという部分があるかなとこれは ローズバリーも含めて思いましたねうん うん結局絵的にはさあの旦那はさテレビを 見ることによってさ奥さんの方とは逆の 方向を見てる絵になるっていそういう構図 も含めてねうんうんうんうん割とそういう 風にいう意味ではトレースされてるかなと 思いましたね影の車でもねうんうんうんだ そういうことの積み重ねはいですよねうん だねあのそういう小道具レベルのことで 言うと実にあの影の車の中ではいろんな大 がなされててあの一6歳の一君があの最初 こう刃物を持ち出す包丁を持ち出すって いうのは実は彼が工作をやるためうんなん ね工作をやるために自分はうちが貧乏だ からそんな適当なあのうんナイフとかも 買ってもらえなくて包丁で木を削っていた みたいなうんうんことをやるんだけれども うんうんあのでこの影の車の中でも当然 そういう格好でるんだけうんそれに対して 加藤5はねあのプラモデルを与えるんだよ ね ううんああなるほど うんうんでそうな何かあひょっとしたら こう建一は何か作りたいのかなみたいなの でこうやたらとね23回買ってくるようん うんうんうんうんブブロックみたいな買っ てきたですよねなんかねブロックああそう だねブロックも買ってきてたねうんうん うんうんうんうんでしかもなんかこうその うちねあの最初に買ってきた立派な飛行機 のプラモデルはなんか壊されちゃって捨て られちゃってるなんか捨てられ てうんでそれに対してあの健一君はその木 で持って こうほ包丁で持って木を削ったりとかあと 斧で持ってブランコを作ったりとか斧と ローブでねなんかそういうこう結構 ワイルドなうん感じでうんうんそういう ところで こうこう大祀というか要はま加5を拒絶し てる感をなんかこううん地味に地味に描い てくんだよねそうそうそうほと明確な対立 点にはしてかないんだよしてないんですし たろそううんだからねそういう意味ではね 時々ね別にふっとね素直にうんとか言っ たりするんですよあの子供はそうそうそう そうそうそうそううんでスキーのシーン なんかはさわあスキーだスキーだみたいな 感じになったりとかしてるからうんうんだ からそこもまたローズマリーを投資してる ところではいはいつまりどっちなんだろ うっていううんうん うんことなんですよ常にねはいはいはい うんうんだから加藤号は明らかに自分の ことを拒否しているとうんねいうことを どんどんどんどん膨らましてくわけなんだ けれどもはいはいはいはいうんでもさ でもこの子供の反応ってどっちなんだろ うっていうのがねうん常に出てくるんです よそのスキーもそうだけれけれどもうん うんうんだからそういう意味では最後のな それこそ最後夜中にね斧を持って立って いるうんていうででそれに対して殺意を 感じてえ浜島がつまり加藤号があのそれを 取り押さえて首を閉めるこれが殺人未遂と なってしまうわけなんだけれどもはいうん ねまあどこまでが被害妄想なのかとはい はいうんそうだから6歳時にはねに殺意は あり得るかといういう前段階でまず議論し なきゃいけないんですよあれはいはいはい はいうんうんそううんうんでしかもさあの ややこしいことににさあの潜在光景って いうそのタイトルからして要するにま加藤 号も昔にそういうこう殺を抱いた覚えが あるからあのそうこの子も殺を覚えるだろ うっていう あの言うのと共にうんその昔自分もおじ さんがその自分が嫌ってたおじさんが釣に 行く時だけは嬉しかったみたいなことが 書いてあるんだ原作にもこれ書いて そうそうそうそうそうそうそうそううんだ からそれっていのは例えばこうスキーに 連れてったらこういだとかドライブに連れ てったらこうゃだとかそういうところと こう重なってくるんだよねだからその辺が ね事態を一層ややこしくしててそうそう そうそうあのうんあの加藤5がこうなん つうだろな自ら激震暗記になる種を ばらまいて行ってるみたいなそんなある うんうんだからそういう意味ではさま アリスなんかその何振り込め詐欺の心理に 近いっていうかさなんかなん正常化バイア スっていうのはなんていうかさつまりあ やっぱりそうなんだやっぱりこれも同じだ これも合ってるやっぱりこいつは俺を憎ん でるんだね結果ね俺に向かってえいわゆる 斧を持って立っている俺を殺そうとしてる んだっていうさうんあくまでもそのその 浜島のとにかく妄想の肥大化っていう側面 は否定できない流れになってるとは思うん だよね映画の作りとしてねうんで実際だっ てさ実際さね6歳の子供が斧振り回して 殺せるかって話なんですよはいはいはい うん物理的にうんうんうんうんいやでね しかもねあの念の言ってることにねあの これこれもやっぱり原作と徹底的に違う ところなんだけれども原作であの浜島が 少年時代におじさんを殺したやり方って いうのは紐をちょっとこううんピント張っ てそれにおじさんが足を引っかけて海に 落ちちゃったっていううんうんうんおじ さんの後ろ側でこう紐を引っかけてねで それでおじさんが海に落っこっちゃった みたいなことなんだよねだからそれを むしろなんて言うのかな斧を強調するよう な方向で映画はなるほど調あさ斧ねうん うん斧をねはいはい分かりましたわかり ましたうんうんうんだからそこはもうあの これはもう橋本野村のこう演出っていう ことなんだけれどなんだろうけど映像に おいそうえそうだねそうだねうんうんうん だからそこで斧っていうものをこう一層 こう強調して こう真相心理にすり込んでるんだよねそう そうそう は見てるものにもちょっと擦り込まれすぎ ちゃっ てねで結局検地にも殺意があったんじゃ ないかって思っちゃいがちなんだけれども そうそうそうそうそうそう実はねそうじゃ ないんだあれはあくまでもだから僕はこの タイトルは潜在光景にした方がよりはい はいはいうんいい意味での余白ができるん じゃないかなと思ったそういうとこなん うんうんうんだ影のね影の車ってはねま 成長お得意の特に意味ののない中的なね ネーミングだと思うんだよこゼロの焦点と か目の壁みたいなねあの成長的なね影の車 って何そんな日本語あんのみたいなさでも さやっぱりほらタイトルってね見る人に とって重要な作作品の最初のとっかかりだ から影の車って何かを意味してるんだろう なとはいとなるとさこう影とか車とかって ことを考えるとさこう何かさこうそういう そうあの島が浜島がこう少年時代なものが もう1回再現されてい るっていうによってね自分がそれこそ因が 王法じゃないけれど も同じうん同じ立場によって自分が殺され そうになってるというはいことを思って しまう潜在光景なんですよはいはいはい そうですね言ってみればそうそうだから あのいわゆるこう少年の殺とがいう タイトルじゃないんですよ潜在光景って うんうんうんうんうんうんあくまでも浜島 の脳内のことを言ってるんだよねタイトル がうんだから剣一に殺があるかどうかって いうのはだからマクガフィンだって冒頭で 言ったのはそういうことなんだよね結局ね うんうんうんうんだからもうあの浜島に とっては自分が受けないよと言って変えた チャンネルを元に戻しちゃうような少年が 斧を持ってたってだけでも十分なんだよね うんそうそうそうそううんそれでもう なんて言うのか逆上しちゃううんうんじゃ じゃあそれうんじゃあそれによって何が 描かれてるドラマなのかっていうのを ローズマリーと合わせて遡っていくとはい やっぱりそこまで身近な人間ですらね やっぱりうんそのなんていうかなこう信じ 信じられないっていうかはいはいうんいう ようなねあるその不安不安だよねうんなん か上がってくる不安みたいなものはいうん うんうんなんだけれどもだから何度も言う ようにねそこが岩下島とのさらに不倫関係 っていうその今回ローズマリー的なものを 成長でやろうとしたがためにはいそのね こう不倫というものがついてきちゃった はいでそうなってくるとそこにはもう ちょっと生々しい現実的なドラマで やっぱりほらこれうんは今でもね割とこう 犯罪とかでしょっちゅうことだけどもはい はいね結局そのあのなんだろうあの再婚 相手との間でうまくいかなくて子供が犠牲 になるっていうパターンっていうのはねま 脈脈とはいうんあ起きちゃってるわけなん だけれどもそういう現実の事件が後を立た ないがゆえにそういうドラマとしても成立 しちゃってるっていううんところなんだよ ねはいそれがすなわちうんそれがすなわち 取り調べの時に芦田の刑が言うねそうね 2人がねが良ければ子供が犠牲になるのか とねそういう事件が後を立たないとうんま 確かにそれはあの彼から見たらそうなん ですよつまり世間の目から見たらねはい はいはい本当必要に芦田慎は加藤のあれ あのうち少年にも殺は子供にも殺はあるん だっていうのを必要に否定するよね本当に そうするうんうん うんさあまたあの子役がさすごいよねて いうかさ うんうんねあの対談であの岩下島がね撮影 中も何考えてるかわかんなかったですあの 子 って元々ああいう子なんだみたい なあれはすごいめけてきたよね本当だよね 本当にねどっちとも取れない感じがさ本当 によ表現できてるようん うんいやでもあのまあまた話が戻っちゃう 感じだけれどもうんあの今このキャトを見 て本当最初に思ったのはこう小川と岩下島 は逆なんじゃないかみたい ああそれは考えたことないなあそうですか うーあの今回っていうかこの影の車って いう映画の中では小川まの奥さんが割と こう加藤号大好きだったりするので あんまりそんな感じはしないけども原作 通りの奥さんだったら岩下島うんなんじゃ ないのかなみたいなああいう冷たいこう あんまり旦那の言うことを聞いてないこう 感じうんうんっていうのはねでむしろ なんて言うのかなこう小でちょっとこう 肉感的でみたいな乗ってのはやっぱり小が 意じゃないですかまそうだねだそれを逆に してしまったがためにさねなんか松本成長 の世界なのに安倍防っぽくなっちゃっ たって いうそ機械な現象が動きちゃったら結果的 に うん本当この岩下島はいいです いいよねいいです本当にいいよねいいです はいうんうんそうなんだよねだから僕もね 逐一岩下島の全作品を見てるわけではない から何とも言いがいけれどもはいまああれ だよね賠償知恵の切り子と同様さこう唯一 無のうんそううんあの2人のこうそれぞれ 唯一無のねうんそれが両方とも成長だって いうまたねちょっとこう何とも言えない ところなんだけれどもねうんうんうんあと あれかなあの原作との総意点っていうこと でえ言うとあのまこれは映画としてしょう がない面があるんだけれどもあの浜島が 逮捕された後のことが割とちょっと多めに 語られてるっていうのそうだねそうだね うんうんうんうんあの取り調べのシーン なんてのはもう原作の方では全然ない話だ しちょっとだけあんのか取り調べの最中で 終わっちゃうって感じですねああはあはは うんうんでもちろん岩下島がこう岩下島が こう事情聴取されてるなんてのは全くない こないうんないうんうんでもあの事情長手 の岩下島もまたすごいんだよなあれもな すごいすごいねあれねうんあれすごいね うん芦田慎介に散々攻められてさうんうん この事件の被害者は1番の被害者は誰だと 思うねそれは浜島の奥さんだよとか言って なんかこうい島 みたいうんそこもさ僕ちょっとひね りっていうかはい本当はそこはひねってる んじゃないかなちょっと見るたびに思うん だけれどもはいはいはいうん さあ1番のね1番の被害者は誰だと思うっ て芦田言った時にさあ誰って言うのかな誰 って言うのかなちょっと一瞬0.何秒思わ ないなんかあいや思います思いますうんね うんしたらさ剣一じゃないんだよねそう そうそう剣一じゃないうんうんうん剣一 でしょだから浜島の奥さんもねうん被害者 だけどもうんだってだってけはほ本当の 被害者ななんだしうんうんねそれ以上に 浜島の奥さんが被害者だってことはないん だよ1番のって言ってるからね ああうんつまりさあの辺に結局あの芦田の 刑事のこのピントのずれ方みたいなものが さ一貫してうんあるかなっていうつまりさ これは割と鬼畜を取る時の野村太郎の同機 にもなってくんだけれども結局その子供 っていううんものがねやっぱりそのうん うんあのあまりにもねこう警視されるはい はいはいはいうんというねうんことをねま 鬼畜の対談の時なんかにはまかなり力説し てるんだけれどもねうんだからそこを 深読みすると実はあの刑事の言ってること もねなんかちょっとおかしいんじゃない のっていうはいはいはいうんつまりあの 刑事の言ってることていうのはさ割とさ ゴシップ的なこと言ってんだよねある意味 まあはい確かにそうですねうんうんうん 割と世間の噂みたいなの代表なんですよ 尋問というよりははいはいはいうんうん うんうんだてさ実際にその斧でさ子供がさ 殺人できるかどうかどれぐらいの資金距離 にあったのかねいたのかねなんかさそう そういうさなんか物的証拠の話なんかして ないんだよねはいはいはいうんうん子供 なんか殺すわけがないむしろさねお前らは ねなんか2人で不倫してね楽しくやってた んだろうみたいなうんうんうんうん込みだ よねどっちかっていうと根拠根拠がうん はいはいはいうんなんか割と下世話なんだ よねあの尋問なんかねうんうんそうだだ からこそ1番の被害者は奥さんだって言い 方になるわけですよああうんやっぱり不倫 の挙句に1番かわいそうなのは浜島の奥 さんだろうみたいなはいはいはいうんうん いや違うよどう考えても一でしょだって これでねあのうなんてつうんだあの母親 だってさどうなるかわかんないこんな事件 に巻き込まれてうんね保険会社首になるか もしれないじゃんさああはいはいはいうん だからさやっぱりあのあの映画のラスト シーンがやっぱり子供で終わるっていう のっていのははいはいはいはいはいうん やっぱりねそれは考えてるかなとは思うよ ねうんうんうんあのの奥さんだとか言っ てるけども子供あれ明らかにもうあの母親 いないじゃんあれはいいないですいないよ ね1人になっちゃってるよねうんそうそう そううんうんうんいうところまで考えると ねうんだから芦田慎介の言ってることも 一貫してなんなんだっていうこう感じかな うん うんだから結局誰誰1人として真実に たどり着いてないんですよだからそのうん はいはいはいそうですねうんねそううん うんうん結局元はといえば加藤号のこの 生活何の特にこう何満たされてなくもない んだけれどもちっとも楽しくないっていう はいそれこそトップシーンに戻ってくって いうかねうんうんうん うんこういくらでもこう深読みができ るっていうかいやいくらでも深みができる っていうんじゃないなそれは違うなうん えっとなんと言ったらいいのかなこういや そうかこうか一筋まではいかないっていう のがうんそう一番言いえてるかなそうそう ねだからそれが元々がローズマリーの 赤ちゃんから来ているあるシのうんこう どっちなんだろうこれはっていうところを 投資してる上 に岩下島っていうですね変な変数がい 掛け算になっちゃってるプラスその いわゆるこう不倫破綻物っていういわゆる こうBQメロドラマ的なあるしこ下世話な 割とこう人気ジャンルみたいなものが ローズマリーの赤ちゃんにプラスされて しまったがためにはいはいうんででプラス こう少年の殺意みたいなキャッチコピーが 混ざり混ざり混ざってうんうんまああと もう1つね大事なとこはねローズマリート の避で大事なとこはねオカルトっぽい ところがもうなくなくなっちゃったところ だ といたあるよ えあの閉じ込められた ところあいやいやオカルトっぽいっていう のはあのほらローズマリンの赤ちゃんって いうのはその悪魔崇拝みたいなことじゃん ああていうのがこうあのバックボンとして あるじゃんうんあの奥さんがそれをてこう みたいなうんうんこうことがあるわけ でしょでもうんこのなんて言うのか な影の車っていうのはそういうものが一切 ないんねあくまでこう日常の中こう普段 身の回りにあるものの中だけでこう どんどん行っちゃってもちろんそのあの 閉じ込められたっていうのはあるんだ けれどもそれっていのも別になんて言うの かないわゆるこうオカルティックな話では ないわけでうんまあなんだけどもあの 閉じ込められてる 時にうん窓を開けよう開けようって必死に あっちこっちの窓に行くと行った先行った 先で子供が出てくるっていカットがある じゃあははははははあれはなんかこう怪奇 映画の手法だなとは思うまあそうだねうん あそこだけはねはいでも最後ガラっと開け た時にさ割と遠くの方でボール遊びしてる よねはいはいはいうんだからあれもだから あれなんだよね浜島の妄想なんだよね強烈 なうん言ってみればはいはいはいはいはい うんまあまあ別な言い方をすればねあの 子供が閉じ込めたんじゃないかということ の資格表現とも言ってもいいかと思うんだ けどもだからね結局あれもねちょっとやり すぎてるいわゆるリアルなドラマなのに あそこだけ急にホラー演出になってること もちょっと誤解を 招くやりすぎ感があるかなうん うんそうだねあれはちょっとこんなを招く ないあれちょっとこんなやちょっとやり すぎたかなっていう気はしますねあそこは ねうんうんちょっと過剰サービスっていう かうんうんでもさあそこを入れたという ことによってやっぱりはいあの影の車って いう映画を野村吉太郎がホラーとして 撮ろうとしてることはよくわかるよああ はあはあはまうん あの本格ミステリーではもちろんないし はいはいはいうんましてやサスペンスでも ないこれはホラーホラーであるとうんはい はいうんうんいうことだよねうんうんうん だからこう松本聖地原作でしかも影の車 っていう中身が想像つかない抽象的な タイトルでうっかり見るとあのとんでも ない世界にこう引き込まれていくっていう はいはいうんうんこう罠ののような作品 ですねはいはいああの今更ここまで来た からもう行っちゃいますけれどもあのあの 視聴者の皆さんに行っちゃいますけれども あの影の車は出てきませんから劇中 にあの途中でちょっとドライブ行きます けれどもあれ影の車じゃないですからあれ は別に影の車じゃなくて普通の車ですから あれ時者ですからね うんうんうんそうそうそうそれがね やっぱ非常に混乱を うめうん色々ねそうそうあのそうだからね こう混乱を招く要素がねありすぎなんです よこの映画色々と色々とありすぎうんうん うんだからねそういう意味で言うともう1 つさっきもちょっと言ったけどももう1つ 全く視点を変えるとはいねもう1回言う ようだけどもやっぱね1970年という あの当時のはい不っていうものを味わうと いうことに割り切ってみれば割とねうん こうね特にこう我々なんのはまあ5歳の頃 の映画だけどもはいはいはいうんねああ あの時代ってなこんな空気かみたいなね またあの音楽がさまたいつものアクタ川の 感じと違ってさはいはいうんなんかこう メロドラマ調っていうかさあのそうそう そうそうそうそうそうそうそうなんかさ うんあのスキャットのさうん 感もう時間バリなんかビシバシ当時間が こう伝わってくるっていかさうんうん割と あの紅葉の山のハイキングに行くシーンと かね割といいんですよねこ当時の感じでね 当時の日差しの感じが割と出ていて うんそうだから日差しっていう意味ではね だから例えば団地を1個こうインサート するにしても建物をそのはいなんかこの窓 ガラスに太陽が反射してるしてたりだとか うんとかね そのなんでしょうねあのね結局さあの当時 ってほら高い建物とか密集間とかないから さ今よりもさはいうん日差しがあるんだよ ね日常生活おああはいはいそうですねはい ねうんだからねそういう感じはね全体的に 多分あると思うねうんうんうん駅前の定と かでもさ割と日が当たってるじゃないです かはいはいはいはいね今のま藤川駅前は どうなってるかわかんないけどもま場合に よっちはねなんかそういうこう二重になっ てる駅とかもあるし最近は割とね日陰に なっちゃってる駅とかもあるぐらいだから そういう意味ではね全体的に日当たりが まだいい時代っていうかうんどのカットを 取ってもね割とこう空や太陽が見えてい るっていうんねあのあのバス停のねあの夕 にしたってさ今あいうに見えないかもしん ないよねあの場所であはいはいはいああ いう風にはねなかなかああいうねだって橋 の橋のこう直線ラインの向こうがもう夕日 だみたいな景色ってさう多分あんまないよ ねうんはいうんうんうんみたいなねそう いうある種のこううんこう教習感をこう 呼び起こすようなカットと音楽みたいな うんうんものとしても見れるんですけどね はいはいはいうんうんしやっぱりねあの 仮装分解やったねあの映像の何とも言えな さあのちくらの はいやだ ねやだねこれまたさまたあのちくらの絵が さちいさカメラワークがすげえいいんだよ あれまたそうそうそうそうそうそう そうそうすげえいいんだよねあれね本当に あのさこうなんつうのあの現代のバスにか なんかに乗ってるこう車窓かなんかからさ そのまんまさワイプしてさあのねちくらの さ多分にさバッとなるところとかすごいよ ねあそことかねうんうんあの何磯磯みたい なところがさはいはい映るさあのところと かさうんうんいや本当こうなんて言のか こう人のこうちょっとこうま小神形的な ところをねじりじりじりじりじりじりり 焼いてくるんですよそうそうそうそうそう いや本当そうですようんまあ悪質な映画 ですね本当にそうですね本当ま僕が言う その嫌がらせ映画ってやつですよとにかく うんうんうん本当にねこう次から次へと嫌 な感じを畳みかけてくるっていねうんうん うん うんそうでそれをまただからその綺麗で あれば綺麗であるほどチクチク来 るっていうあたりにねやっぱりねうん川又 孝のねこう悪質なテクニックの高度差が あると思いますねかなりねうんうんいやだ からまあああいうことやろうと思ったら 本当ちゃんとやらないとダメなんだなと いうことがあ改めわりましたねいや本当に 本当にそうね本当にそうねうんうんうんだ からあのねあのホラーで予算もないからっ て言ってあやっちゃだめちゃんと算つけ てうんこうきちんとやんなきゃいいものに はなりませんっていうことですねうんうん 望んだ効果は得られないうんまあだからね まそういう意味で言うとねその善悪の対立 みたいなものにこういわゆる変換してい くっていう方がねまうん作りやすいのかも しれないだからやっぱりローズマリーの 赤ちゃんみたいなああいうこう全編ねこう 嫌がらせのようなホラーっていうのも なかなかこうなくなってくし影の車もしか りっていうところはねあのあるんだけれど もやっぱねまこれからのねやっぱ映画作り の人っていうのはねやっぱあの日本って いうのはちょっと見てみる価値はあると 思いますねそういうそうですねうんうん またね逆にねこれは今近年誰もやってない けどもこれ明らかに今使えるならこの手法 っていううんうんねうん特にねあの アニメーションなんかだとあのねその役者 だから加藤号と言わした島を持ってしてね 半年特訓したみたいなことを言ってる ぐらいだけれどもうんまたアニメーション とかだったら別なまたやり方があるかも しれないしうんうんうんまそういう意味で はねちょっと見てみると刺激はありますね 両方ともねなんうんうんし性があると思う ねあのそうそうそうあの普遍性があ るっていうことは要するにいくらでも 焼き直しるうていうことだろうと思うんだ よねうんうんうんあのだからそれはもう バンバンやってほしいですねうん今の人に はうんうんうんうんうん今の人っていうか 若い人にはどんどんこうま真似をしてこう パってほしい本ですよねし日本だね本当だ ねうんうんうん うんそういう意味ではねそれぞれ違う部分 も多々あれどもはいこううん大きくは 目指してる方向があの同じ作品のはいうん いわゆるうんまアメリカ版日本版っていう それぞれのねうん色々こう手法の違いとか モチーフの違いとかでままた全然違う作品 のはいはいはいそのテストにはなってる けれどもうんうんまたその比べながら見 るっていうのも面白いしま是非ねこう両方 セットで見てほしいかなというはいそう ですねはいはいうん感じですねうんうん そんなとこでございますはいはいはいうん いうところで皆さんあの是非影の車アンド はいローズバリーの赤ちゃんご覧になって みてはいかがでしょうかはいはい見て嫌な 気分になってください是非いやでもほら 岩下島見てればいいいい大丈夫大丈夫です 島いいですねはいはいいいですはいそう いうこと島本当に可愛いですから なんかやばいよね本当にね俺もあれやばい と思うねえなんかあのなんかただのバスト ショットなのにさうんなんか目から怪しい 何かが出てるよ ねねそういう意味ではあのある種の オカルト映画である とあれは岩下島のカット映画ですねそう いうそうですねはいえあそううんさっき あのも私の発言撤回しますあれは岩下島が オカルトなんですあということであね すっきりしたでしょねねほらすっきりする とこれが1番多分すっきりする締め方だな きっとね影の車のうんうんうんであの色々 あだこうだごタ並れてきましたけどもこれ は岩下島のオカルト英語でございますはい いうことでそういう意味でも貴重な作品に なっておりますのではいはいえあの当時の ね映画作人のある種こう実なんかこう わざとななんていうかなうん技が結集した はいはいうんあの傑作でございますんで うん是非とも見てまた感想などいただけ たら大変ありがたいますはいじゃそういう ところでありがとうございましたはいはい ありがとうございました H [音楽]
 
 松本清張原作の映画『影の車』を制作するにあたって、脚本の橋本忍、監督の野村芳太郎は、ホラー映画の金字塔『ローズマリーの赤ちゃん』を強く意識したという。
 『影の車』は本当に〈子どもの殺意〉を描いた映画なのか?
 『ローズマリー』と照合すると、違った作品像が浮かび上がる。
 そしてさらに!岩下志麻の妖艶溢れる存在感が、作品そのものを揺るがしていた……
★【チャンネル登録】はこちらから!!
 https://www.youtube.com/@showa40
 ★昭和40チャンネル公式〈X〉はこちら!
 https://x.com/S40_1965channel
★松本清張&ミステリーファンにはこちらもおススメ!!!!
 
 
 https://youtu.be/PshPWMAueg0
 
 
 
#影の車 #松本清張 #清張 #野村芳太郎 #橋本忍 #岩下志麻 #日本映画 #ミステリー #推理小説 #サスペンス #潜在光景 #映画レビュー #ローズマリーの赤ちゃん
 