『秒速5センチメートル』は松村北斗によるオトナな実写化!新海臭を脱臭した意義とは【ネタバレ感想/レビュー】

秒速5cm のバレ感想行っていきたいと思います。 はい、お願いします。 ただでさえやっぱりね、アニメの実写化って色々難しいですけれども、 え、ま、特に深海作品っていうもうあの美しいアニメの絵きみたいなね。 はい。そうだよね。 え、しかもね、秒速ってやっぱそこなんですよ。肝っていうのは 風景描写。 そう、そう、そう。とにかく美しい絵でそうそうそう。バーってもうゴリ押すっていう作品なんで あれを超えられるのかっていうのはまずね、苦しい戦いがあるんじゃないかと思いましたけどね、僕は。 うん。なんだけどまたもやですね。 うん。 松村北斗さんが出てる映画に外れがねえなと。 うん。 だからまたもよ、この松村北斗がもう全部解決してんじゃんっていう。 今年はもうね、北斗さんがずっと駆け抜けてるね。 そう、そう、そう。 ほ画の大。 いや、あのね、この人やっぱすごいっすね。 ファーストキスといい。凄まじかったね。 ああ、やっぱそうですか。そっちも。 いや、もう原作より好き。 あ、本当?そっちは原作より好き。うん。原作を超えたね。 あ、本当。 うん。 ま、役者はもちろんすごいと思いますけれども、単純に俺はその物語のアップデートがいいと思いました。普通に。 うん。うん。向けというか。 大衆向けだしね。脱されてたんですよね。あのさが ね、ちょっと自然な物語として 再構築してるってのはあるんで、 それをさらに主演を松村ホ斗さんでやるっていう。 そうね。 ま、これがね、あ、うまくいったなっていう。 そうね。 その今回ね、その役者の演技というか、その演技トーンですね。 うん。うん。うん。 含めすごいナチュラルな ナチュラルね。 あのトーンで統一してるんですよ。 ま、それ松村北斗さんだけじゃなくてね。うん。そのみんなそういうテストなんですけど。うん。そうだね。 うん。ま、やっぱりこの主演の松村さんがガチっとそのトンを決めてるから うん。うん。 ここがね、やっぱぶれないのですごいいいんですよね。うん。 あの、やっぱりこのな、何て言うんですかね?こう、例えばちょっと、たどたどしい感じで言うとか、 うん。うん。うん。 あの、ボそっと言うとかね。 あ、ちょっと一瞬噛んだりとかするとかなんか本当に超ナチュラルでその場で喋ってるような感じにする。 ま、これは岩けの全てかもそうでしたけれども。 ファーストキッスもそうだね。 そう、そう。ファーストキプスもそうだし え。あれやられたら全部いい。うん。居酒屋のシーンも良かったし、最後の毒白のブラレンダリウムでいうところも良かったしね。 うん。ね。そうね。 うん。あの人がずっと喋ってるとこはもう名シーンにならざるを得ないよね。 今回と分け今回は ほとんどモノログがなくなってるんですよね。 ほとんどないね。 そうそうそう。だから今回そのモノログを廃したことによって はいはいはい。 ちゃんと言葉で伝えるっていうことが 非常に大事なテーマになってると ああ いうことなんですよ。 なるほどね。 そうそうそうそう。 もうラストシーンでね、ちゃんと言葉で伝えてくれてありがとうみたいあったしね。 そうなんです。そうなんです。 だ、この映画本当にそこが守備一貫してテーマになってるですよね。今回 つまり最初に住物館みたいなとこ行ってで長にあなたが残したい言葉ですか?て、 そっから始まるこの話。 うん。うん。言葉の映画なんだみたいな掲示がまずあると。 そう、そう。で、最後あそこにメモを貼って、 え、ちゃんと伝えて うん。うん。 終わるという話なんで。うん。 そうだね。 もうこの話のテーマそこなんですよね。 はい。はい。はい。 うん。 で、このテーマ設定は元の秒速にはなかったものですね、完全に。うん。 で、だけど僕はこのテーマ設定が非常によくできてるなと思いましたね。 おお。 で、なぜかと言うと、それはやっぱりモノログをするってことは、 ま、より、ま、映画らしくなるっていうことですよね。映像で客観的に伝えるってことなんでうん。はい。はい。はい。うん。 で、それによって要はそのモノログさっぴーた分ね はいはいはい。 自分の中でうまいた言葉をちゃんとこう整理つけられるかとか ね。それをちゃんと向き合ってアウトプットできるかっていうところをそのものをテーマにしちゃったっていうね。 うん。うん。 うん。で、だからこの松村北斗さん始めこの作品でいんなキャラクターが いろんなこう場所でね、それこそ居酒屋だったりとか最後プラネタリウムそうだけどなんかちょっと隣合って会話するっていうシーンがかなり反復されるっていうことになっていて、 ここでこう一生懸命なんかこうたどたしくもね、 なんか色々思考錯誤しながら、え、言葉を紡ぐっていうシーンが非常に意味を持つ、非常に大事な作品になってる。 そう。 だからこの松村ホさん初め本当にその場でなんか考えて喋ってる感じっていう ことが非常に大事なんですよ、これね。 うん。うん。クライマックスのあのプラネタリウムのさ、松村さんの話にもあったけどさ、普通になんで僕は明りに会いたかったのかみたいな時にさ、もう話がしたかったん言ってたもんね。 あれ別になんか好きと伝えたかったみたいな感じになってないもんね。 そうだね。そう。 うん。で、それもだって原作にないでしょ。 うん。そうですね。 やっぱ言葉っていうのは結構やっぱ大事ですよね。あの映画ではね。うん。クライマックスほだからね。だってそうなんです。 そうなんです。今回だからそこのちゃんとその全てを実写テイストでリアルにするっていうチューニングが流れていてうん。 だからもう馬正直になんか全部原作からセリフトレするみたいなことはもちろんしてないっていう ことなんですよね。 うん。ま、抑えるとこは抑えてるけどみたいなね。 そう、そう、そう、そう。でもその抑えてるところもちょっとやっぱり、ま、あの 100mのさ、あの財の 5尾みたいな話じゃないけどやっぱチューニングしてるんですよね。そう。実写で実在の人が喋った時になんか違和感ないような感じで 全部こう微調整してるていう。 うん。 ま、例えばもう本当に全編そうなんで、あの、あげると切りないんですけど、 ま、例えば原作でいうコスマノートですね のところでそのバイク壊れちゃって僕も歩くよみたいなこと言うんだよね。高がね。 で、この、ま、細かいとこですよ。 これその原作だと なんかちょっと歩きたいんだみたいな、ちょっとなんかこうセリフっぽいんだよね。やっぱり いいセリフっぽい感じう感じなんだけど シーンの終わり感あるよね。次のシーンで歩いてるとこに移行する時のセリフ。 そう、そうなんです。そうなんです。 だけど、ま、今回は、ま、ちょっと歩きたいみたいな うん。 ナチュラルな 感じになってる。うん。うん。うん。うん。言い方だけでもこんなに違う。 そう、そう、そう、そう、そう。あとはその、ま、またコスマノートのになっちゃいますけど、なんかシャツをね、ちょっと引っ張って 言いたいんだけど言えないみたいなそうそうシーンあるんだけど。 で、あれで、ま、シャツ引っ張るはやるんだけど、 原作は行かないでみたいなことをちょっと言うんだよね。 うん。ああ。 あ、で、なんでもないみたいな。 聞こえてないに取られちゃう。 そう、そう、そう。で、今回は言ってないですね。それね、言ってません。 引っ張ってあ、なんでもないっていう。 うん。ま、あの距離で行かないで聞こえる。 そう、そう。聞こえちゃうんだよ。だから あれ本当にそのままやっちゃったら超違和感満載になっちゃうからやんないって。そう。こういう細かい住人。うん。 うん。これはね、ま、でも、ま、当たり前のことだけどできてない映画ってのはいっぱいありますから。 生じ原作があるからさ、やっぱそれをやるのがいいんだと思った人もいるだろうしね。 うん。すごいなっていうか、 普通になんかここなんかアニメっぽくねみたいなのが一切なかったのがすごいんだよね、俺。 そう。切ないんだよね。 しかもその深海作品ですよ。 そうやろ。 あのモノローグで埋め尽くされてた深海作品をね、実写映画化した時にこんなナチュラルになると思わないですよね。 だからあのね、2 人がなんか草減でね、進路の神をこうて飛ばしいとかありますけど、ああいうところもなんか原作だとやっぱり顔をね、切り返して割とこう寄り目でね、甘ず酸っぱいシーンみたいになってるんですけどでも今回気になってるんですよね。そこがね、 なんかいや、俺もなんか別に迷ってばっかだよみたいな ところで、ま、ちょっとそこだけ寄るみたいな感じになって、めちゃくちゃ自然な感じになってるっていう。 あ、なんかうセリすよ感になってない。うん。 いや、マジでね、この人の、ま、アザベンチって俺めちゃくちゃ好きなんですけど、それのね、やっぱ良さがい、十分にこの会話の時にはね、あの、発揮されてたなと思ってて。 そうね。そうね。うん。 うん。やっぱ引きでやるんすよ。 なんかそのインタビューでもあるけど、この人写真家でその人物を撮るってよりかはその人物の周りの背景も全体として取るみたいな人なんですよね。 うん。 だから結構引きを使う人で映画になってもでやっぱそのになると割とその本とここぞって時だったりとか逆にその表情でそちょっとアドリプっぽい時にちょっと寄ったりとかするのよ。 うん。なんかその映画らしくない時逆に だからすごいナチュラルに見えるとそれがね、ま、今回その 2人のシーンでも発揮されてたし 本当にあの@ザ ベンチまんまのロケーションでやってるとこもあった。 そうなんですよ。 だからこの作品ね、奥山さんの作品であるっていうことがすごい意味を持ってる作品にもなっててね。めちゃくちゃあの 2 人で並んで会話をするっていうシーンがいっぱいあってですね。うん。それ最後のプラネタリウムもそうなんだけど だからすごいアットザベンチ的なポーズがいっぱいあるっていうね。 座って会話しも マン@アットザベンチだっ マン@ザベンチのベンチで言ってるとこもあったし見てるシーンとか。 そうそう。あのだからちゃんと大事なことをこう着かさずに言うっていうね ことはこの映画すごいテーマとしてあるんですよね。うん。うん。うん。うん。 だからそのたどたどしくもなんかこう言葉を紡うとするっていうね、それ自体がね、その実在のそこにある人が実写で捉えるっていうね ことがすごいパワーを持ってる作品なんですよ、これって。 うん。やっぱアニメってやっぱ全部コントロールされてるからさ、それがこうバチっとはまるとやっぱすごい快解になるっていうところがあるんだけど、この実写は逆にそのコントロールできなさっていうか、やっぱりそのなんかこう気持ちを言いたいけどなんか言えないとかそういうニュアンスですよ。 そこをむしろメインに添えるっていうのは、 ま、非常にこう成功法というか、 そうね。 うん。実写でやるからにはっていうとこがあったと思うんですよね。 確かにね。で、モノローグとかで言いどんだりしないからね。 実写でやっぱ言葉として発するからやっぱ出てきちゃう気持ちの揺らぎだったりなわけだからね。 そう、そう、そう、そう。 で、あの、居酒屋のシーンのさ、宮崎青さんがそれ着かして言わない方がいいよみたいのあったじゃん。あのシーン俺もね、すごいいいなと思ってて。なんでかって言うと、普通に、ま、今回のテーマにもいいつつ普通にこの秒速 5cmってめちゃくちゃ自分の話じゃん。 そうだね。そう、そう。 すんげえなんかモノログ、原作、モノロぐっせえなとかちょっと思ってたんだけど、 それダメだなって思わせてくれるっていうかさ、やっぱ自分の大切だと思ってたりとか、後悔とか未練とかずっと引きずっちゃってるものは大切にするべきだよ。自分だけはみたいなこと言うわけじゃん。 だからなんかすごいこのなんて言うのかな、秒速 5cm っていうコンテンツ自体を結構肯定してくれる第 3者が言ってくれた感じがするんのよ。 それはめちゃくちゃ本質ついてるなと思いますね、僕も。 つまりそのこの作品というのは秒速 5cm っていうね、めちゃくちゃ深海誠さんの、ま、ある種プライベートフィルムというか、ま、小説的な側面が強い作品なんですよ。 それを第3者が 実写映画化するという企画なんで、 つまりそのめちゃくちゃ主観だった話にこう他者が在して語り直すという そもそもそういう企画なんではい。 うん。だからこの作品もそのニュアンスになってるわけですよね。 その第3 者があなたはちゃんとこう自分の気持ちに素直になっていいんだっていう。 確かにいろんな第3 者が色々さ、アプローチしてくれるよね。 そう、そう、そう、そうなんですよ。 会社のなんか先輩、上司とかあとなんか長とか そうないもんね。一切。 そう、そうな、そうなんです。あの元の秒速ってのはとにかく自己完結して ずっと自己完結、自己投水、自己連っていう そこで100% 閉じてる話だからそれがなんか開きのってめちゃくちゃその行くとこまで行くとああなるっていう過去のある種呪いですよね。 うん。 もうあれあの瞬間完璧だったのにっていうもうそれ思い込んじゃう自分の呪いみたいなものをどうやってこうけじめつけるかってところ。 それをけじめなんてつくかいと。 あ、 もう俺はあの美しい曲に一生閉じこもるんだっていうね。 うん。うん。 そうしないと俺は生きていけないんだっていう開き直りで最後終わる。 そのままめちゃくちゃ後ろ向きじゃんって。 でもその後ろ向きをめちゃくちゃこう行くとこまで行くとなんか全進してるように見えるっていう このなんか矛盾したエネルギーっていうのがすごい肝なんですよね。 でも今回はそこの前進するってと同じなんですよね。つまり着地点は同じなんだけど、 それどうやって前進するかってとこにそれはちゃんと他者がそこに開在して自分の本心だったりその言葉っていうのを打ち明けるつまりその自己完潔の話だったものが他者への怪示の話になってくる。はい。 このだから真逆のアプローチででも同じ到達点に行くっていうとこになってでそれなんで真逆にしたかっていうとやっぱりその元がさもう深海誠のその溢れるパトスというか その情熱みたいなものをぶつけた作品だったわけなんでそれやっぱりそのまま第 3 者ができないわけよね。同じ方向目指したら絶対勝てない。 そうそう。そこで勝負は絶対できないんで。 うん。そうだね。 だったらこういう風にするっていうのは僕はすごいなんて言うんですかね。こうクレバーだと思うし、ま、そうあるべきだなと思いましたね。 うん。そこもうまく噛み合ってるよね。 そのそもそもアニメからその実写映画っていう時点で媒体が変わるわけじゃないですか。だからアプローチもそのモノログだったものをその第 3者との会話にしていくとか。 でもそれはその深海誠さんがモノログでめっちゃ熱量おりゃってやったからあれには勝てないからそっちのアプローチに行ったってとこともリンクしてるし。 うん。そうそうそうそうなんですよ。 うん。色々いいよね。そっちの方が そうそう。だから全てこの必然性ある作りなんですよね。これって。 ああ。だから今回ろんなね、そのキャラクターが新しく出てくるわけじゃないですか。 うん。 なんか途中まではずっと君と同じなんだなっていう感じで出てきてるんですよね、僕が思うのは。は、 例えばその宮崎蒼井さんとかのさ、第 2パートで原作で、出てきた人が、 あの、今回は元彼の話が出るわけじゃないですか、カラオケで。 うん。うん。 あの人によって、あの、私の姉ちゃんはめっちゃ変わったみたいな人によってものすごい変わることがあるんだねみたいな 話をした時に、あ、これた君もじゃんみたいな。 うん。 だからそのた君だけじゃないんだ、こういう人っていう感じがするんですよ。 うん。 いえられなかったみたいとも重とかあるしみたいなていう感じでその今まで出てきてるキャラクターはま、他者ではあるし観ではあるんだけど結構そのた君と重なってる感じがなんだよね。 その中でま、もう最大の客観的な存在として第 3者としてもう今の 30 歳になった明りさんが出てくるっていうのはすごいこの映画にとってはすごい必然性があると思ったんですよ。 うん。うん。 だからなんかすごいその新しい要素だなとも思わなかったというか。 うん。だからそういうだから本当にま、自己完潔の話だったんだよね。最初は。てのはでそれがその本当に客観の世界をちゃんと描くって話になってるから、ま、非然的にそういう人は出てくるよねっていうことだし、ま、それ明かり分かりでやってるでしょっていう ことなんで、ま、そういうことですよね。それは、それはそうだと思うしね。 そうだね。 うん。 だからなんか、ま、その元が好きだった人はね、人と会話してなんか心情を取ろするシーンが多くなって、 ま、最後もさ、プラネタリウムでさ、 自己開示するってなんかもうあるじゃん、あれセラピーじゃない?うん。 あ、そうね。 うん。そういうのがクライマックスに置いてんのがなんかこう説明的だなって思う人いると思うんですよ。 うん。なんかそういうところをさ、全く描かずにバーってその最後開き直るっていうねところのエネルギーが良かったのにって人はいると思うんですよ。で、それもうおっしゃる通りだと思う。 だけどこの映画そこで勝負してないんだよね。 うん。うん。うん。ま、原作の方が爆発力あるかもしれないね。 その最後のクライマックスのあのミュージックビデオのバーなところの瞬間風みたいなのあるかもしれないけど、ま、こっちはこっちでなんかそのだんだんと積み重ねられてる感じはするよね。 うん。非常に物語的になってるっていうことありますね。 ま、あとはね、原作はその 3部立建てっていうか3 勝建てになってて、 あの、オムリバス形式なんですよね。 うん。 だからこれはいや、そのもう自系列順じゃないですか?ま、第 1 章、その花賞っていうのでもうあの時も完璧な瞬間みたいな経験しちゃったっていうのがあって で、その第2 章で、ま、別の人の視点が出てくるんだけど、ま、彼のことを好きな子がいるんだけれども、ま、彼は全くそこに気づかないっていうね。 うん。で、あの、世界の描き方、つまりその、ま、美しい系描写とか同じなんですよ。 なんだけど、その高き君は全くその世界に目もくれずに、ま、ずっと日記打ってるっていうことがあって、このギャップがあるわけですよ。 つまりそのもう第1 章である種こう呪われちゃったんですよね、彼はね。 はいはいはい。 で、それが他の視点で見るともうあ、この人呪われちゃってるわっていう。 この客観のそのギャップが際立つってのが第 2勝ですね。 うん。あの瞬間がいいってずっとずっと携帯の方見てね。 そう、そう、そう、そう。でもずっと止まっちゃってるっていう。 で、第3 章で大人になって、ま、自分もちょっと客観的な立場になって で昔を思い出して、でもそれでもずっとあの頃の思い出を俺はパッケージしてたいんだっていうねことが爆発するっていう。 ま、そういう、だからずっとこの高君が呪われちゃったっていうことを追体験させる構図なんですよね。自系列順にね。ていう、ま、本当に主観の語り口だったんですけど。 はい。はい。はい。 今回はそこ大人編、ま、だから第 3章に軸足を置いて、 え、その、ま、あくまでその大人の目線で再構成するっていう。うん。 ベース30歳の東野の君で行くってこと。 そう、そう、そう、そう、そう。追体験ってよりは、ま、やっぱそこも客観になってるよね。うん。 ま、そもそもだけど東野君自体も客観になってるから大人になってね。 で、ま、それは映画っていうのは、ま、観よりのメディアだからね。 うん。うん。 うん。だから僕はこれは本質的には第 3章を実写したっていう うん。こがま正しいんじゃないかなっていう。うんうん。確かにね、 気がしてて、だから最初に秒速 5cm ってバーンってタイトルが出るのは、ま、二重に正しいなと思うんですよね。つまりこの映画自体そうだし、 そしてこれは第3章の実写ですって。 うん。うん。 バーっていう3 部の中になんかちょいちょい回送入れてるみたいな構成になってんじゃん。 回層を入れることによって結構映画って停滞しがちじゃないですか。 うん。 でもなんかすごいこの映画の場合はそのが全然停滞感に結びついてない感じがしていいなと思ったのは やっぱこの映画の中であれは思い出じゃなくて日常ですって言ったのに集約されるけど このやっぱそのあかりさんと高木君の 2 人にとってはあの回層が全部今に繋がってるから必然的に物語もそういう構成になっていくというか過去に送でその約束だよここで会おうねって言った話が現在にそのまま繋がっていくというか う うん。そういう約束したから、今、あの、また会うかどうかの話が現在で展開されていくってなってくじゃん。 だから過去の回層がなんか普通に今のメインタイムラインのストーリーを進めるあれにちゃんとなってるから だから全然その停滞してる感じもしないし、 あとはそのなんかその現在と実感を出すためにその同ポジで結構今のカットに行くじゃん。 あの幼少期の高木君から横側の今の高木君のカットに同ポジで行ったりとか うん。 そういうシムレスに編集の技法とかもあってなんか全然停滞してる感じはしなかったなってのはまず良かったなと思ったところ。うんうん。だ、それはさ、その過去のそういう回想をどう捉え直すかがこの話のテーマでもあるからね。ね、 本当にその待ち合わせに行けるかどうかみたいな話になるのは違うよってことなんですよね。 うん。だからそこがその自分の今の日常になってるよってとこにちゃんとそれは落ち着けるかってとこが一種のだからその階層ってのもすごいそこの物語の商点になってるからうんうん。うん。 それはあるよね。 いや、そうそうそう。 うん。 で、そこのその子供時代の美しい情景みたいなのもちょっとその扱いが変わってるっていうか、 つまりその子供時代の頃はなんか、ま、手持ちカメラが多くてまさに子供の頃のね、美しい思い出って感じがするんだけど、大人パートはどっちかというとフィックスが多めになっていくわけですよね。もう原作はさ、要はその全部がこう人しく美しいっていう で、それを、ま、第2 章ではちょっとスルーしてるっていう描写にもあったりしてるとか、で、それが第 3章では改めてそこに開き直って、 もうこうするしかないんだってとこに行くっていう。 だからそのずっと美しいのが繋がるっていうのが意味があるんですけど、今回はそこにま、変化をつけてるわけですよね。 うん。それをこの美しいと思ってた思い出をどう捉えなすかっていうね、だ、 そこはちょっとその捉え方を変えてるっていうのはあるかなと思いますね。うん。確かにね。うん。 あとなんか普通にあの風景のその美しさ、切り取る美しさもいいと思ったし、あの、ま、人物を寄った時にね、うん。 人工的にエモショナルにしているみたいなところもあ、良かったなと思ってて、 風がね、ちょっと吹いたりとかさ、 あ井りさんがレンタルショップでそのパッケージ見てる時に無駄に無駄とか言わないけど、あの、なんかパッケージがキラキラしてるじゃないですか。ああいうの入れたりとか、ま、多分あれは現場連の照明一工毎回やってると思うんですけど、 そういう部がやっぱね、いいな。 なと思いましたね、僕は。 うん。で、ここで大事なのがその言葉っていうファクターなんですよ。つまりモノログローグをして、ま、主観がその客観になったわけなんで。 そうね。 で、この原作のモノログローグってのは要はその完璧な思い出っていうね、 そこになんか言葉を置いてきちゃってそこで伝えられなかったっていうことがあるわけですよね。このたき君てのは。うん。はい。はい。はい。 で、それがずっと気っかかっていて、 その伝えられなかった言葉の反動として モノログがバブバっと入ってるっていう。 はい。はい。 そういう作りなんですよね。あれてね。 そうね。うん。 手紙もどっか行っちゃうしね。 そう、そう、そう、そう。で、それでもうどうにもなんないわけですよね。結局ね、その言葉ってのはそのなんか認めてくれる他者とかも出てこないし。 うん。別に伝えられもしないし。 そう、そう。で、水野さんとも、ま、自然消滅しちゃうみたいな話なんだけど、でもそういうこう自兵的に閉じこもって、閉じこもってでもなんかそれを美しく思い返すしか俺はできないんだっていう開き直り。 うん。 それはもう別に的なそのなんか解決じゃないんだけどでもそれ観客もそこに体験させてあのじしてあの第 3章でバーってこう来ると あ、までもなんかこんだけこう美しくその誰にもこう振られれたくない正域としてずっと持っときたいって気持ちってあるよなみたいなそうだ そこにこう強引に持ってかれるっていうねそういう作りなわけですよ。 そうだよね。なんかそのいやいやいつまで過去に登場こもってんだよって感じにやっぱならないね。 俺らもう そうだもうここまで行っちゃうとさ、 あ、もうま、そうなるかっていうね。 そうだね。もう で、それは要は深海誠さんの欲望そのものじゃない? それも過去にこういう完璧な体験をしちゃったと思い込んだっていうね、そういうものがあって、そういう原体験が それをさ、ずっと引きずらいてさ、うじうちじうじして青臭いままいるっていうね、どうしようもない大人になっちゃった俺はと。はい。 で、それどうすりゃいいのって言うと、こういうさ、秒速っていう作品を書いて うん。うん。 そこでもうバッと発散させるしかないだろうって。はい。はい。はい。 それそのがそのとして最後提示されてうん。 で、そういうエネルギーがバーって解放されることがそれ自体がハッピーエンドなんですよ。うん。 うん。それによってあ、なんか解放されたかもっていう感じになる。別に話としては高君はどうなったかってそう話じゃないですよ。別にだけどその表現自体でああっていううん。そうね。ドラマじゃないよね。 そう、そう。ドラマじゃないんですよ。もう表現で語るってこと。 点結というかもうなんかうわ、もうなんか作者が気持ちよくなってるみたいなことが感じたらもうオみた。 そう、そう。それがハッピーエだっ。 それはそれでね、すげえってなる。 まあそうね。それはそれですごい体験だよね。 そう。なんでそういう目線でね、まだ見てない人はちょっと見ていただきたいんですけど、 でも今回はそれをだから客観用にしたんで、それができないから高木君がそのね、ちゃんとこの前へ向けるかっていうところを表現でどしゃじゃなくてちゃんとドラマでやってく 最初この高木君はま、だから雑談を嫌ってるっていう描写があったりとか、ま、だから言葉をつげない人っていう風に描写されるわけですね。 うん。うん。そうね。 で、あの、居酒屋のところでね、 あの、要は日記書いてましたみたいな話があるじゃ。 で、あそこで、あ、これちゃんと言うんだみたいなこと思ったんですけど、つまりその有けを見るとちょっと怖くなるみたいな。 あれで要はその世界と自分の繋がってる証を探してましたみたいなこと言うだね。 うん。うん。うん。 これはね、あの、深海誠、イズムそのものというか、ま、あるし、その種みたいなセリフなんですよね。 ええ、 つまりその世界ってのは個人も自分とこの世界が中学校しに繋がると思い込んじゃう青臭い動を扱ってるものを世界系みたいなういうわけですけど、 ま、これそのものですよね。その種明かしのセリフじゃん、それ。ま、深海作品ってね、ま、秒速に金らずそうですけど、まあまあ宇宙の描写とかね、 桜川とか、ま、雪川とかさ、ま、世界のその、ま、美しいあの上景描写っていう、ま、やったら出てくるじゃない。 それと、ま、やったらその、ま、自兵的な 1人、自分語みたいな。うん。うん。 は、その自分と世界が繋がってて欲しいっていう。それはつまり遠くにいる誰かと僕は繋がってるんじゃないのっていう。 そういう風に思い込みたかったということなわけですよ。 うん。うん。うん。うん。そうね。遠距離恋愛だからさ。うん。ま、なんかこの地球上のどっかにはいるわけじゃん。 うん。 だからこの地球上で繋がってればもう彼女とも繋がってるって風に思いたいのかね。 そう。そう。そう。気持ちあるんだろうね。 その宇宙要素が結構増されてますけれども、ボイジャーっていうのが出てきて孤独な旅が始まるみたいなね、セリフがありましたけど、 ま、そういう完全に重ねてるわけでしょ、自分ね。ていうのが最終的に このプラネタリウムが最後クライマックスの舞台になるじゃん。 その要はその世界っていうのが彼の周りにずっと寄り添ってくれるもの、 ま、それは思い出だったり遠くのあの人だったりっていうことが片を書いてずっと君の日常としてあるんだよという そういう位置関係になってく、再配置されるっていう映画なんですよ。 繋がるとかじゃなくて言うじゃんみたいなこと。 そう、そう、そう、そう、そう。で、それは劇中で明りが言うあの思い出じゃなくて日常ですってこと言うんですね。ま、これが本当にその、ま、高木君が最後に決着するそのものなんでね。 うん。 そういう距離感に世界を捉え直すという話なんですよ。 はい。はい。はい。 うん。ま、めちゃくちゃ大人の話になってるという ことなんですよね。 例えばその秒速5cm っていうこのタイトル自体も演出として色々ちょっと使われてまして ね。だからそのなんかプラネタリウムでね、 えっと、明りがそこにいた子供にね。うん。 はい。はい。5 っていうワードを言うて。で、それが君にちょっとこう伝わるっていうね、その子供を通じてあれ秒速 5cmって 感じで伝わったりとか、 ま、あるいは高木君のそのプラネタリウムの解説、ま、それも言葉じゃない。 その言葉が、ま、関節的に明りにこう伝わってるとか、 あるいは岩船駅で最後別れる時にね、明りに言われたセリフっていうのが 1個1 番最後のキーバードになってるわけですね。この物語の それが館長を通じて、ま、関節的に思い出されるって話になってて うん。そうね。 だからその高君がなんとか俺が明りを探さなきゃダメなんだってめっちゃ自分で主体的に行動していかなきゃダめとかじゃなくて普通に自分が全く意識してない時も赤りさんを感じるようなそのセリフだったりとか経験が周りから勝手に自分に伝わってくるみたい。 そうそうそう。そういうねんですね。で、それって要はま、その明り側にしてみれば、ま、彼女にとってもそういうだから昔の思い出みたいなのが彼女の日常になっていて うん。 そういう日常の中で彼女は前に進んでるんだっていうことの裏返しじゃない?それってね。 うん。を通じて伝ったりしてるわけだから。 うん。それは高くも同じってことです。 そう、そう、そう、そう。だからお互いのこう思い出っていう日常にこうなってるよとちゃんと うん。ていうのが最後こう示されていくっていう話になってるんですよね。うん。 そうね。 だからその肝心のあのワンマータイムワンマチャンスっていうもうあの印象的なねそのどこで流れるかっていうことを考えた時に原作はさ開き直りのとこで流れるね。だけど今回はそれがクライマックス手前に設定されてるわけですね。 つまりそこはあるしその乗り越えられるべきのタイミングで設定されてるわけです。 うん。 だし今回の後はその船駅で何を明り最後言葉かけたのかってとこがあるクリファになってるんだよね。うん。 だからその実写版でそのどこに力点置いてるかってのがすごい変わってるわけですよね。 うん。うん。うん。 だからこの話のゴールっていうのは言葉を伝えることじゃないんだよね。 うん。 そこに確かにあった言葉を抱きしめて生きていくっていうそっちがゴールなんだよっていう 話なんですよ。 うん。そうね。 ま、今ちょっとコメント来たんですけど、えっと、コスモナウトのパートでワンバータイムワンバーチャンスがカラオケだけ流れるのは、ま、原作に対してこの作品における戦率を外していくという宣言のようにも取れました。 で、えっと、高木君の回層からの流れだったので、ま、隅田にフォーカスが当たるのはや不自然に思いましたが、ま、森ナさんの演は良かったんですね。 ああ、はあ、は。だ、あれは誰が思い出してんのかみたいなこと考えちゃうとちょっとよくわかんなくなっちゃ。それそうだ。ま、 結構いや、良かったですね。すごい。 普通になんかその恋愛の扱う映画としてその単純にあなたのことが好きとか嫌いとか結ばれるとか結ばれないとかそういうのがゴールになってるんじゃなくて その一歩先のレイヤーというか あなたと出会いたことで今の私がいますとか うん あなたはもう大丈夫ですよって自分を単純に肯定してくれる存在みたいな 感じの落年どりに行くのが結構好きなんですよね。 そうね。そう。うん。 あかりさんの30 歳になったありさんの今の描写が増えてるわけじゃん。 明りに出ない。 ことを後悔する男性っていうのに加えて新たにあの時出会えたことが今も自分を幸せにしているっていう、ま、恋愛感 でもそれってさ裏を返せば今のた君とは会わないっていうも断説を意味するじゃん結構。 だからそういう意味では今回結構これって残酷な要素が増やされてるっていうか あれだけたき君は今も後悔とかを抱えてありさんに対して生きてんのにもう明かりさんは次のステップに行っちゃってるのがもう匿名に描かれるわけじゃん。うん。まあそうですね。 なんだけど明りの幸せそがたき君との出会いによって今のとこに繋がってるな感がやっぱあるというか、 初店で隕石の話したりとか月のコーナー作ってさ、興味を持ってたりとかな、誰に対しても結構その明かりさんってフレンドリーな感じがするじゃないですか。でも実は昔の小学校の頃は自分はその明るいと思えなかったみたいな。 でもそれがその君によって変えられたわけでしょとかだからそういうなんかその君に会いたいとかじゃなくてその明かりさんからしたら高君が私を変えてくれた強くしてくれた人なんだみたいな 感じになってるから今私は幸せですよみたいなうんうん すごいあれはいい落としどな感じがするんですよ う アプローチなのか、そこに他者が開してそうなるかの違いでしかないと思う。 ま、確かにこっちの方が分かりやすくなんかポジティブな終わりだって思えると思うんだけど、そこは原作からしてそうだったよとは思うんですよね。うん。 だからあれはあれで要はそのああいうその開きなりを経てね、 この後それこそ今回実写で描かれたような高き君になってくんじゃないのっていう、そういう余地があるわけですよ、あれて。で、そこをちゃんと物語としてやったのが実写っていう 扱いだと思うから。 うん。そうね。うん。 分かりやすく今回の実写版の方が君と明さん 2 人とも幸せな感じになってる感じ伝わんだけど結局会えてないじゃん。普通に。 そうですか。そう。 それは別に原作と変わってないからさ。 それは原作もそういうことなんだよっていうあれになりますけどね。普通に。 うん。そうね。 ていうところで、だから最初のその宇宙っていうのは高き君が世界との接続それは引いては明りとの接続だよね。明りとの接続を求める孤独な空間だったわけですよ。彼にとってはね。 だったんだけどそれが宇宙っていうもののポジションが変わってくと。 つまりそのつもあなたの周りにあるもの だからプラニタニウムってのが最後こう劇場の観客見てる観客の延長戦上になってくっていうか つまりこういう世界ってのはあなたの延長戦上にずっとあるものだっていうね そうね そういうこの場所になってくわけですね最 それは引いては明かりとの思い出だったりあの頃を伝えられなかった言葉とかそういうものも全部ひっくるめてあなたの日常に今なってるんだよといううんうんうん そしてそれはあの子の日常にもなってるはずなんだよという うんうん うんそういう捉え直し方をしてくっていう話なんです この最初がすごいねあのタイトル がいいなと思って。 うん。うん。 あの、最初秒速って出る前に なんかあの桜がまずこう降って うん。 で、それがやらこう雪になって で、それが最後星になってくっていうね。うん。 あれがね、これ思い返した時に まさに形を変えてう ん。うん。 あなたのそばにいつもいますよという。 あ、 その暗示なんですよね、あれね。あ、はい。はい。 ね。桜を一緒にあの子見たいと思ったこととかそういう過去の大切な思い出てっていうのはその色々形を変えてうん。うん。 うん。 世界のある一部として、 そしてあの日常の一部としてはいはい。 あなたを形ってるんだよという。それが冒頭で示唆されてることだし。 うん。うん。うん。 あるいはそのあの好きっていうね、 モチーフがありますけど、 天文日記みたいなさあるじゃん。あれ、あの 2009 年版が出てくるところのなんかあのポップっていうかうん。 月に関することが書いてあって、 つまりその月っていうのは形を変えて あなたのそばにいますっていうことが書いてあるんですね。あのポップに。 うん。うん。 ま、まさにそういうことですよってことなんですよね。 だからその親月っていうこととか出てくるけど、つまり見えなかったりする色々形を変えて常にあるものだっていう うん。ていうモチーフなんですね。あの月ってのは 確かにね。それがあの高木君にとってはその明りさんの存在みたいなことなんでしょう。 そうそうそう。そういうことですね。うん。だから完全にそういう宇宙ってのもそういうモチーフになってるんですよね。 うん。なるほどね。 そういうことですね。ま、だからその逆に言うとその最後さき君とさ明りがさなんか現在軸で会えるかどうかみたいな すれ違い要素が今回増えてるじゃない。 うん。ああ。 だから一緒に飲みに行く約束したみたいなのが業でけない。 そう、そう、そうとかプラリタリウムもそうだしね。 うん。地味に冒頭のなんか木の国書店でのデート の時にもいたしね。鼻を挟んでね、向い側にね。 そう。俺逆にちょそこはなんか別にいらなくねと思いましたけどね。 うん。 だって別に今回会えるかどうかってのは本質じゃないよって話なんだからさ。 そうだね。 別にそこらしを増やした意味も別にないなと思っちゃうけど。 まあそれはそうかもね。 うん。 てか、なんなら僕はそのなんか感長越しにさ、そこにね、あなたと同じようなこと言ってる人がいましたよみたいなこと言ってなんかあ、明りかもみたいなさ、で、なんかその関節的に、あ、今でもなんか思ってたんだみたいなさ。 うん。うん。 ことがなんか伝わるみたいなもの展開すらないと思っちゃったね。 うん。 ああ。 だから本当にマジでさっきまでましたよみたいにしちゃうと なんかちょっとこの話にとっては LINEがずれてるなと思っちゃう。 そうね。 だから、ま、全然別の場所であの明り明かりで別の人生を過ごしながらも高く思ってるよっていうぐらいのが最後ちょっとカットバックで似的に繋がるぐらいなことの見せ方でも全然多かったんじゃないのと。 ま、まね。 そう、そう、そう。だからその僕が思ったのはその最後の、ま、その踏切りもすごいいいんだけど、なんて言うかな、その実写でやるとちょっとなんかアニメっぽいなとは思いましたね。あの、踏切りですがって、 あの、絶妙な距離、絶妙な距離感。 その後、すぐ電車来て、 そう、そう、そう。実写でやっちゃうとなんか幻想みたいに見えるんだよね。 うん。 だからなんかすげえ明りってのが君が成長するための記号存としてなんかちょっと見えちゃうみたいなね。あの原作は超希号だったわけじゃん。 で、それの最後を象徴として踏切りでもう 1 回出てくるっていうことなんで、あれはあれで良かったんですよ。今回それ実写でさ、ちゃんと客観の死体として描いた後にあれやっちゃうとなんかちょっと記合感がそこでなんか出ちゃうなみたいな ことは感じましたね。ちょっとね。あ、 そこは別に韓国しなくてもなと思いましたけどね。逆に ねえ。 だからその高き君が1 人でも良かったと思う。 うん。で、1 人で、あ、あの頃の電車の踏切りだみたいなので、あ、でもないなで終わりでも良かったと思。 うん。そうね。それかなんかその、それとカットバックで全然違う場所でちょっとなんか幸せそうに歩いてるあの明かりさんを映すとか。 うん。あ、それは全然いいと思うね。うん。だからそこをもうちょっと本案してくれよと思ったんですよね。 ああ、なるほどね。それはそうかも。 うん。そのだから結局その青臭いさうちうちしたその自己連に浸ってるようなほじれた荒男の話ってのは、 ま、一貫してるんですよ。原作からね。 うん。うん。うん。うん。 だからそのなんかちょっとしいな、この話ていうのは、ま、それが原則から引き継がれてることの証でもあるかなと思います。 うん。うん。うん。 僕個人的にはそこのなんか気さんにすごい自覚的にね、もう俺はあの時がすごい美しいと思っちゃったんだからさ、もう無理っていう。うん。うん。うん。 それをこうバーってアニメで解放するしかないっていう非常に素直な深海さんのね、個人的な思いが出てるっていう意味ではそこのなんかこう筋が通ってる感は僕は原作の方があったかなと思うんですよ。 うん。うん。 原作がもう本当に自的に閉じこってるからてもかったんだ。その開き直りが見てるこっちがあってされるって話だから。 でも今回はそのちゃんと物語にしようとしてるかゆえになんかわかんないけど荒男をなんかしてくれる。 そうそう話にはなってるですけど。ま、だからそこに別の気食悪さ僕あるなと思うんですけど。そうそう。けどなんかちょっといい話に見えちゃうっていうそこのなんかハレーションを起こしちゃってるって感じあるんですかね。ま、だけど深海誠を見やすく脱収して食べやすくしました。 以上のものにはなってると思うね。うん。 そういう青臭いその実連でしかなかったものが、ま、そのでしかないことが良かったんだけどね、現。でもそれでしかなかったものがこの実写家でその客観的に捉える対象になったことでそういう自己連備みたいなものが、ま、誰もがこういうなんか 1 回立ち止まってなんか考えたくなっちゃうよねとかね。それでちょっと前に進めないこともあるよねみたいなちょっとそのより不縁変的なものになってるなっていうのがあるんで。 うん。 で、これはやっぱり実写の意義と言っていいんじゃないかなと思いましたね。 そうだね。うん。確かに。確かに。 そう。だからその直近であのパストライブスって映画がありましたね。 うん。大好きです。あの はい。アメリカ映画。 うん。 あれがさ、ま、僕らもあのラジオやりましたけれども あれで僕が言ったのはこれキモくなくしたじゃんっていう。うんうん。ねえ。 だから まさに言ってた。 そう。そう。そう。じゃあ逆にもうそれやられちゃってるからさ。先に その秒速実写化ってなった時にあ、もうパストライブあるじゃんってなっちゃないかなっていうことがあったんですけれども、そことも差別化できてると思いました。今 うん。 これもね、あれも大好きですけど、これも大好きで違う予があるなって本当に思ったよ。 うん。そう。パストライブスってのは、ま、本当にさ、めちゃくちゃみんながもう鼻から大人なんだよね、あれって。もう、もう全部解決しちゃってる人が 1回もう1 回あって、ま、でもそうだよねって言って終わる話だから、ま、すごいみんな大人話なんだよ、あれて。だからキモくない秒なんだけど、今回はそのたき君っていうのが、ま、圧倒的にさ、もうあの大人になれないね。 29歳だけど30 歳になってどうしようみたいなその原作の住時間ってのはま、投集しててそこをなんかみんながケアするっていう気食悪さあるんですよね。 だから気食ない秒ではないのよ。うん。だからそれ気食なくしちゃうと秒速じゃなくなっちゃうから。 うん。だけどそこをま実写で実際に実態のある役者が演じるってことでよりなんかいろんな人とか自分を重ねられるような話になってくっていうか。 あ、そうね。 うん。そういうメリットというか意義はあったんじゃないかなとは思いますね。 うん。それはそう。 そうでこれはさ、要はその今の深海誠さんにも描けないことじゃない。 つまりその昔のさ、それこそ秒速を作ってる時にはこういうアプローチはまずできなかったわけじゃない ね。じゃあ今の深海さんができるかって言うと それはもう今もうまさに彼の興味って全然違うとこに行っちゃってるから大衆がもうみんながこうなんか浄化されるような素敵な話を紡ぎたいっていう方に言ってるから 今の新海さんに描けるかというとこれもできないわけですよね。 うん。 つまりそのめちゃくちゃ深さんのプライベートフィルみたいなものを他者がして今実写化することでその青臭いものを大人目線で不化するっていう うん。 話にできたってのはその意義はすごいあると思うんだね。 うん。 ま、だから分かるんですよ。その原作が好きだった。ま、僕も好きだしね。好きだった人はなんかその薄まってるなとかなんか分かりやすくなりすぎてるなとかめちゃくちゃ心情言うやんとかそういうのは分かるんですよ。 うん。でもむしろそこを売りにして本質は変えずにっていう話だから、 ま、僕は全然そう。 こういう語り直しの作品として評価したいなとは思いますけどね。 そうね。 うん。 うん。で、これを見ると 逆にこの原作がね、受け入れられなかったって人は改造度が上がるんじゃないですかね。 うん。うん。ま、原作もこれと同じなんだよって言ったらね。 そう、そう、そう、そう、そう、そう。だからその 2種類の楽しみ方ができるし うん。いいんじゃないでしょうか。 うん。うん。うん。今年はさ、深海さんの新しい映画やんなかったから今年は 3 年ぶりにこれがあってよかったねっていう。うん。ああ。まあ、そうね。つぎとしてね。 つなぎとしてね。3年は持つね。またね。 まあね。はい。そういう感じで秒速5cm の感想でございました。 はい。聞いてくださった皆さんありがとうございました。 ありがとうございました。

映画大好き兄弟によるネタバレ感想ラジオ。今回語るのは、『君の名は。』『すずめの戸締まり』の新海誠監督による劇場アニメを実写化した『秒速5センチメートル』。邦画の全てを解決する「SixTONES」の松村北斗が今回も良すぎ! 適度に新海作品の臭みを脱臭し、オトナな良作に! 実写化ならではの語り口の変化とは? そもそも秒速の本質とは何だったのか? 今回も深掘って語ります。「この人やっぱすごい!」

※このラジオは2025/10/11にXのスペースで配信したものです。

兄:しの( https://twitter.com/mouse15278 )
弟:ばんぼ( https://twitter.com/babonbobonbo )

0:00 絶妙にチューニングされた実写化
1:17 台詞と演技のナチュラルな調整
8:35 自己完結から他者への開示へ
13:45 オムニバス形式から変化した意味
18:23 「言葉」の扱いが変化している
21:10 セカイとの距離感を捉え直す話
30:09 それでも気色悪い部分はある
35:21 総括:第三者による実写化の成功例!

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