【視聴率王の異変】三谷幸喜“民放GP帯”25年のブランク—『合い言葉は勇気』から何が変わった?

一体どうしたのかという驚きとともに、三谷幸喜の名を冠した『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』が静かな船出になった事実だけは動かしがたい フジテレビの民放GP帯で25年ぶりの連ドラという話題性に対し、初回視聴率は5・4%という数字が冷ややかに突き刺さる ビデオリサーチ調べの関東地区・世帯という条件を踏まえても、期待値とのギャップは否めない 主演の菅田将暉、二階堂ふみ、神木隆之介、浜辺美波、菊地凛子、小池栄子、市原隼人、井上順、坂東彌十郎、小林薫、そして冒頭ナレーションに渡辺謙という豪華布陣が並んだ 主題歌はYOASOBIと発表された段階で、視聴前の熱量は確かに高かった 舞台は84年の渋谷、昭和59年の空気をカセットテープの質感ごと呼び戻すオープニングが印象的だ エンディングにクレジットされる【映像協力 チ・ン・ピ・ラ】が示すように、84年公開の同名映画からの引用が時代のリアリティを補強する しかもその映画の製作者にフジの前相談役・日枝久の名が並ぶという因縁までが物語の外側に重なる 制作側は巨大なオープンセットで当時の渋谷を再現し、初回のギャラだけで1500万円は投じたのではと囁かれるスケールに踏み切った 今期のフジがこの一本に賭けたという見立ては、布陣と投資の両面からも妥当だろう 一方で他枠を見渡すと、月9『絶対零度〜情報犯罪緊急捜査〜』はSeason5ながら今期の主演は沢口靖子、火曜21時『新東京水上警察』は佐藤隆太、木曜22時『小さい頃は、神様がいて』では北村有起哉が連ドラ初主演と攻め方は堅実だ 北村有起哉にスポットを当てる英断自体は評価されるが、総体として“超豪華”と呼ぶには距離がある だからこそ『もしがく』の顔ぶれはフジらしい勝負の札に見えた 鍵はやはり“三谷幸喜作品”というブランドにあったはずだ 『振り返れば奴がいる』1993年、『古畑任三郎』94年〜08年、『王様のレストラン』95年、『総理と呼ばないで』97年と、20%超を連発した実績は視聴率王の代名詞そのものだった NHK大河でも『新選組!』04年、『真田丸』16年、『鎌倉殿の13人』22年の3作を成功させ、映画『THE 有頂天ホテル』06年や『清須会議』13年までヒットを継いだ 三谷の号令一下、俳優たちが喜んで集結する構図は令和でも健在だと誰もが信じた 物語は、熱血で横暴な演出家を菅田将暉が体現し、劇団からの追放を起点に転がり出す WS劇場に舞台が移るや小池栄子がダンスで空気を変え、そこに二階堂ふみ、神木隆之介、浜辺美波が絡み合う 浜辺の父で神主に坂東彌十郎、用心棒に市原隼人、ジャズ喫茶のマスターに小林薫と、脇が脇であることを拒むほど濃い 客引きに井上順、テレビに映る芸人役に堺正章とザ・スパイダースの名コンビまで差し込まれ、冒頭で名言を語る渡辺謙が場を締めた しかし人物の密度と情報量の濃度が、初回視聴者の理解速度を上回ったのもまた事実だ 昨年7月期の同枠『新宿野戦病院』を想起させる場末感や、TBS『不適切にもほどがある!』を連想させる“昭和の暴言”のカタルシスが交錯する 三谷の自伝的要素を含むオリジナルだからこその熱と、記号が過密に並ぶ見せ方のせめぎ合いが画面の端々に漂っていた 期待とご祝儀で二桁、少なくとも7〜8%は取りたいという読みは業界の共通認識だったに違いない ところが現実の数字は5・4%で、視聴者の初回受容は予想よりも厳しかった 過去を紐解けば、民放での三谷の最後の連ドラ『合い言葉は勇気』は初回15・9%から第6話で7・4%まで落ちた前例がある つまり民放の短いクールで数字を維持する難しさは、当時からすでに兆していた その後、三谷は民放を見限ったわけではないが、重心をNHK大河に移してきた 大河は全50話、GP帯連ドラは全10話程度という器の違いが作劇の呼吸を変えるのは当然だ 三谷自身が「大河の5分の1で勝算のあるテーマを考えた」と語るように、短距離走の設計は強く意識されているはずだ ただし民放GP帯は視聴率を取ってなんぼの土俵であり、1%の重みは制作現場にとって無視できない そのブランクがもたらした感覚のズレが、初回の受け手との距離に現れた可能性は拭えない 変化は作り手の外側にもある 22年4月から三谷は『情報7daysニュースキャスター』の総合司会として“出る側”に身を置いている 作る側が出る側へ回ると、無意識のスタンスが変調する例はテレビ史に少なくない 勝負勘の微妙なズレが、演出の尖りや加減に影響することは現場の肌感覚として理解されている さらに作品内で菅田が吐くセリフが気にかかる 「笑いなんか必要ない」「なんでわかりやすい方向に行きたがるのか」「芝居はわからなくていい、理解しなくていい、感じてくれれば」 この理念が三谷の現在地に重なるのだとすれば、あえて分かりにくくしている戦略も読み取れる だが初回においては、理念の提示と感情の回収のバランスが視聴者の同時処理能力を超えた 情報量の豊かさが人物の魅力を覆い隠し、豪華キャストの相乗効果が一話の体積に収まりきらなかった VIVANTにも劣らぬ豪華さという枕詞は確かに正しいが、VIVANTが初回で観客の視線誘導を徹底したのに対し、本作は余白より密度を優先した “豪華”の定義を見世物から物語へと橋渡しする装置が、初回では十分に機能しなかった 視聴率が上がらない時代とはいえ、初手のハードルは存在する そのハードルを越える設計は物語の焦点化、人物アークの整理、笑いと痛みのリズムの再配分に尽きる 昭和の暴言を現代の感性で咀嚼し直す翻訳装置も重要だ カセットの擦過音や渋谷の雑踏が象徴する“記憶の質感”を、登場人物の関係性の熱へ還元できれば、見え方は一気に変わる 三谷作品における群像の妙は、もともと“誰の物語か”を一瞬で分からせる導線に宿っていた その導線を初回のうちに観客へ手渡すことが、次回以降の数字の再起動の鍵になる 一方で、民放GP帯における評価軸は単純な数字だけでは測れない 配信視聴やタイムシフトの重みが年々増し、初回の地上波指標は全体像の一部に過ぎない だからこそ“感じてくれれば”という矜持を保ちつつ、入り口の敷居を一段下げる編集と脚本のチューニングが求められる 役者たちの存在感は十分に立っており、画面の密度は豊作だ 問題は収穫の順番であり、観客へ渡す皿のサイズだ 25年ぶりという物語の外側のドラマ性に甘えず、物語の内側で勝ち筋を描くことができるかが試されている 初回はあくまで助走に過ぎない 第2話以降で関係線を絞り、菅田将暉と二階堂ふみの軸を明確化し、神木隆之介と浜辺美波の導線をテーマに接続できれば、作品のコアは自然と立ち上がる 豪華であることを“見せる”から“効かせる”へと移し替える編集は、三谷の職人的手つきが最も映える領域だ 視聴率王と呼ばれた時間は過去に確かに存在したが、現在の勝ち方は当時とは違う ゆえに求められるのは、自らの伝統芸を現代の速度に合わせて再配列する冷静さである その冷静さと大胆さが同居した瞬間、5・4%という数字は単なる序章に変わる 『合い言葉は勇気』がたどった曲線を繰り返すのか、あるいは新しい曲線を描けるのか まだ初回が放送されたばかりだ この密度と熱が、次回以降どのように観客の呼吸と同期していくのか、その過程こそが今作最大の見どころになる そして我々は、かつての視聴率王が現在形の勝ち方を更新する瞬間を見届ける準備ができている 動画をご覧いただきありがとうございます最新の動画や関連トピックの情報をご覧いただくには、チャンネル登録をお願いいたします

【視聴率王の異変】三谷幸喜“民放GP帯”25年のブランク—『合い言葉は勇気』から何が変わった?

フジ連ドラ『もしがく』は、三谷幸喜が民放GP帯に25年ぶりに戻った超話題作。菅田将暉、二階堂ふみ、神木隆之介、浜辺美波、小池栄子、菊地凛子、市原隼人、小林薫、井上順、坂東彌十郎、冒頭ナレは渡辺謙、主題歌YOASOBIという盤石の布陣ながら、初回視聴率は5.4%と予想外の低調。
舞台は84年の渋谷。昭和59年の雑踏を巨大オープンセットで作り込み、エンディングの【映像協力 チ・ン・ピ・ラ】が示す映画引用や、製作者に日枝久の名が重なる因縁まで備える。初回ギャラだけで1500万円級とも言われ、今期フジがこの一本に賭けた熱量の一方、情報と人物が過密で理解が追いつかないとの声も。
前例として『合い言葉は勇気』は初回15.9%から第6話7.4%へ低下。以後はNHK大河で成功を重ね、22年4月からは『情報7daysニュースキャスター』総合司会と“出る側”の顔も持つ三谷。劇中の「笑いなんか必要ない」「わかりやすさを求めるな」という理念が初回の敷居を上げた可能性があり、群像の焦点化と導線整理での挽回が鍵となる。
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