【小島瑠璃子vs後藤達也】本音告白90分…あの時「自分の人生はどうでも良いと思った」引退の真相…活動再開のワケとは?【ReHacQ】
結構メディア出られるのって久しぶりですね。 そうですね。はい。2 年ぐらい全くメディアに出ないで生活しておりました。 2009 年にホリプロタレントスカートキャラバンというオーディションに応募してそこでグランプリをいいてホリプロに入社しました。 はい。2015年とか429 本テレビ出演本数女性タレントで最多だった年もあったとスケジュールとかどうなってるんですか? 記憶がないんですよ。 そのごそっとないですね。これの部分は厳しいなっていう時期が長かったんですけど。 あ、このすごく出てた時期もですか。 この時期はタクシーも乗れなかったんじゃなかったかな。確か トリプライやめられてるんですよね。喧嘩別れとかでもなく円満対大なわけですか? はい。か、 2年3 枚ぐらい芸能活度も休止って言っちゃっていいんですかね? どういう決意だったんですか? はい。守られてたんですよね。本当に堀プロに囲入り娘だなって思ってる節があったんですよね。 責任知らずすぎないかって思いがふつふつ上がってた時に中国に留学をしたいなと思っ戻られてからは何したんですか? がっつり主婦してました。 夫の会社の経営が厳しい状況になったりとかして、今年の 2 月報道で旦那様が亡くなられたとあってインスタでもこう報告されていたと思うんですけどもその後小島さんのこう心境の変化ってちょっと差し使えない範囲で伺ってもいいでしょうか? 何もかも変わった。 私の人生はもう正直どうでもいいだけれども子供の人生だけはシングルマザーになったので家庭のことと仕事のこと、このバランスっていうのは悩んでますね。 [音楽] 未来に向けての生き方っていうのは今こうどんな感じで青を描き始めてるんでしょうか? うん。起業をしてみたいっていうとした夢っていうのは元々あったんですよね。あ、そう。 え、リハックスペシャル。はい。え、五藤達也です。えっと、本日のゲストはですね、スペシャルなゲストに来ていただきました、え、小島まるり子さんです。よろしくお願いします。 [拍手] 結構メディア出られるのって久しぶりですね。 そうですね。はい。2 年ぐらい全くメディアに出ないで生活しておりました。 はい。ちょっとあの外見の話するのであんま失礼いかもしれないですけど、髪の色がかなり明るく爽やかになられましたが はい。ありがとうございます。 ずっと黒だったんですけど はい。 ちょっと新規1点 ていうところではい。 金にしてみました。 なるほど。 はい。 素敵ですね。 大丈夫ですか?ありがとうございます。 ありがとうございます。あの、今回でもメディア出られてるってことはこれから割とこう出ていくっていうような感じなんですか? そうですね。はい。あの、活動を再開を 吸収をしてたっていうところなので活動を再開していこうかなと思っております。 [音楽] うん。あの、ちょっと是非ですね。 小島さん、ま、私昔からこうテレビでよく見てたんですけど、超マルチタレントじゃないですか。 どうしてこんな仕事ができるのかって素朴な疑問もあったので、あの、そこちょっと色々深掘りしていきたいのとにも関わらず休心止もされたのはなぜなのかとか、え、何してたのかとかですね。で、そこで改めて今後何してくのか [音楽] 普通に視聴者は知りたいこと多いと思うんですよね。ちょっとあの、ズバズバ色々聞いてくかもしれないですけど大丈夫でしょうか?はい、よろしくお願いします。 大夫お願いします。 で、あの、小瑠り子さん、こじるりさんのことを、ま、皆さんご存知と思いますが、結構ね、あの、今ここに手元に略歴みたいなのスタッフが用意してくれたんですけど、めちゃくちゃ長いんすよ。 も、あの、活躍があまりにすごすぎてで、これ全部読み上げてるとさすがにちょっとだらダラし過ぎかねないと思って、そ、小島さんの中でこの芸能活動されてた期間における、 ま、代表的なこととか、え、こう手道近に言うならどの辺がこう大事な自分のハイライトだったのかみたいなのもちょっとまず聞いていいですか? 自分で自分のハイライトを申し上げるところから始ま るんですね。 非常にちょっと恥ずかしいんですけど、 えっと2009 年にホリプロタレントスカートキャラバンというオーディションに応募して、 で、そこでグランプリをいいてホリプロに入社しました。はい。 ただホリプロタレントスカートキャラバンって早々たる先輩たちがいるんですけど はい。どういう人たちが出てるんでしたっけ? えっと、石原里さんとか ああ、 ふ田京子さん なるほどなるほど。 はい。綾瀬はかさん 初代は坂木原さん ああ、なるほどね。はあ。 森美ゆさんもいらっしゃって はい。というあと高畑さん はい。 早々たるメンバーなんですけれども ホリプロタレントスカウトキャラバンというのはグランプリを取ったからってその後すぐにお仕事がたくさん増えると正直私たんですけど場合もあればなかなかそうじゃない場合もあるて感じです。 もういろんなパターンがそりゃそうなんですけどね。 そりはそうなんですけど、3 年ぐらいは本当になかなかお仕事をだく機会がなくてはい。 へえ。 で、サマさんの現場にあの行かせてもらったりとかしてました。 ああはは。あ、サマズさんってホリプロなんでしたっけ?あ、そこで仕事もコラボが多かったっていうことなんですか? そうですね。えっと、私が出演をしない番組でカメラさんの後ろでサマずさんの現場を見させてもらったりとか。 あ、見るんですか?ました。 ではなくて勉強研修みたいなもんですか?そうです。 へえ。 でも本当に番組観覧みたいな感じなので、 当時高校生の私からするとものすごく贅沢な修行と言いますか。 ああ、 修行でもないですよね。 ああ、でも面白いかもしれないですね。やっぱ高校生ぐらいの年頃でそうテレビの撮影の現場って社会見学的にもなんかワクワクしたりしません。 そうですね。はい。 なんでお仕事いただけてなかったんですけれど、サマさんもすごくこう楽屋に 楽屋にも遊びに行かせて買がっていただいたりとか ああ、そうなんですか。出演前からでも仲良くしてくれるもんなですか? そうなんですよ。本当にあのお 2人ってもう出てる人柄のまんまの はい。 方々なのではい。遊んでもらったりとかして 売れてないなって思ってたんですけどすごく幸せに あのはい。堀リプロに大事に育てていただいてたなと思いますね。 え、その最初は15歳、15歳です。高校 1年生じゃ、15歳から18 ぐらいまではあんまり仕事がなかったってことなんですか? うん。そうですね。これはまずいっていうのは思ってましたね。 へえ。 これでもこうそういうオーディションのようなもので鼻話しくなって 3 年間静かだとあれちょっときついかなって一般的に思ったりしそうですけど、 その辺ちょっと途中でもこの世界じゃなくてみたいなこととかって考えなかったんですか? 思ったんですけど時すでにおしで全然勉強してなかったんですよ。 はい。 もうそのすごくこう周りに勉強頑張ってる子たちがたくさんいる学校だったんですけど うん。 その、あの、なかなか勉強してよし、じゃ、大学 になんかその憧れの大学に入ろうっていう時にどこにもなかなか勉強してこなかったなっていう段階だったので まずいなと思ってた矢先に、えっと、高校 3年生卒業してすぐのタイミングで SっていうTBSのスポーツ番組 はい。はい。 のキャスターに抜敵ですね。あれはもうあのオーディションだったんですけど。 ほほほ。 オーディションでな、たまたま受かって、あのお仕事をだけるようになっていきました。 うん。 そうですね。高校卒業した春でしたね。次から大学生っていうところで S1が始まりましたね。 え、それがなければ芸能界の道を 歩まなかったかもしれないですか。 十分あったんじゃないかなと。十分歩まないっていうことがあったと思いますね。 うん。 どれぐらい考えてました?そのスどどうしようか?学校大学にも今から行くのも難しいしとかってなった前どどういう思いだったんですか? うん。多分それを考えてる矢先に ふわっときたと。 はい。はい。 うん。 本当にありがたいタイミングでしたね。 うん。 TBS のスポーツ番組もやらせてもらってるので、 TBS の局内の方が私のことを知ってくださって ああははは。 で、それぐらいからそのグラビアも出していただけるようになったので うん。 それでバラエティでもちょっとずつお仕事をさせてもらえるようになってたっていう感じですね。 うん。 これでも本当にあのここに乗ってる話ちょっとさっきもしましたけど例えばグラビアもあり、スポーツもあり、トークバラエティもやってるし、結構この池神さんとこう政治 選挙番組とかでこじるり無双とかって言われてたじゃないですか。 うん。 すごい多様だなと思ってて、あの、ま、私その芸能界のことそんな詳しくないですけども、これだけいろんなことをこう率なくこなせる人ってそんな多くないすよね、多分。 うーん。 いや、もうこなせてるとは全然思ってなく毎回うん。 ま、考えてやらせてもらってましたけれど うん。 やっぱりそのスポーツ番組 で はい。 スポーツ番組でインタビューに はい。 たくさん行かせてもらったっていうのがすごく大きかったんですよね。あ、 それの応用を 政治のその池神さんの 選挙特板 はい。の取材では したっていうところが大きくて相選手のインタビューと政治家の取材って はい。 共通点というかシナジーあるんですか? ありますね。大いにあると思いました。 あのスポーツ番組日どっちも恩があったので はい。 えっとその手前毎週土日にスポーツ選手の方々にインタビューさせてもらってて うん。 で、定形分で聞くのって失礼じゃないですか。なのでその時の試合の内容を踏まえて その選手にこうお話を聞かせていただくんですけど、 それってその状況を踏まえてその方の そのお話を聞くって はい。 すごくこう、まあ、なんか選挙でどういう結果になったとか、花がついたのかつかなかったのかとか、そういうその 状況判断によって質問を変えるっていう練習を 5 年間週に2 回毎週やらせてもらったんですよね。しかもそのスポーツのジャンル問わずサッカーだけ野球だけじゃなくて 本当にいろんなスポーツに行かせていただいたんですね。 なんでそれは 本当に大きかったですね。その後NHK で番組も やらせていただくんですけど、科学者の方にインタビューするのもう すごくこう、私はもうライフワークだなと思うぐらい楽しくて ああで科学者の方と政治家って、ま、あんまり単純に一告りしちゃだめかもしれないですけど、キャラクターだいぶ違いますよね。 キャラクターだいぶ違うと思います。どちらかといえば科学者の方とスポーツ選手の方々が はい。 あの、お話をするっていうことの はい。プロではない方々じゃないですか? 全然お話 が上手な方もいらっしゃいますけど、上手じゃなくても結果を出していればいい方々じゃないですか? うん。ま、学者の方ですと、その学会の方に専門的な説明するのは上手であっても一般の人に説明するのはあんまりこうあの数踏んでない方も多くらっしゃいますよね。 そうですね。 そういう方もいらっしゃる中で、あの、な、何て言うんでしょう?その方の人生の、その方が人生をかけてやってる話を 聞かせていただくわけですよね。なので、 そこにこう経緯を払って聞くっていうところなんですけれど、政治家の方々だってやっぱりお話をすることもすごく上手でいらっしゃる方が多いので うん。 あの、とてもこうなんかなんて言うんでしょう?すごく褒めていただいちゃったんですけど、あの、なんて言うんでしょう?政治家の方がやっぱりちゃんとこう喋ってくださったからだったと思うんですけどね。 はい。確か政治家の方っても、あ、初めて会った時から窮地の中のような空気感持ち出す人多いですよね。なんかこうなんかあの辺あるしプロというか役者みたいなとこありますよね。 そうですよね。はい。 で、レポートっていうのは本当にもう目に移ったものをこうレポートしていくっていうことは本当スポーツとすごく似てるところがあったのでそうですね。今までこうやらせていただいたお仕事のところを要素をこう使って池さんのその選挙板 はい。 をやらせていただいたら 想像以上になんかあのお褒めの言葉を頂いたっていうことですかね。 うん。でもなんか私自身も日経新聞で記者 18 年ぐらいやってて、今はこうやってトークとかもやってますけど、人と話してこう、しかもアドリブで筒がなくやるのってこうめちゃくちゃ難しいというか、あの、 いや、とんでも、とんでもない、とんでもないですけど、いや、これ経験も多分バカずものすごくいると思うし、で、かつそのスポーツも、あの、元々例えば野球が好きであれば野球について話しやすいかもしれないですけど、いろんなスポーツやって知らない。 ルールすら知らないみたいな人とアドリブで合わせるなんてちょ私の想像からするとととてもできないんですけど 5 年やってたとはえな秘訣はあるんですか?ものすごくやっぱこう頭の回転がいいんですかね? 全部共通してるのはその人に興味を持つと スポーツ自体のルールが 100%理解しきれてなくても その人に興味を持ってこの方をもっと知りたいと思う はい と思った 思って聞いてることが多かったかもしれないですね。 なんで多分その 人と話すことが元々すごく好きで自分に今日とか自分にスポットライト当てていただいちゃってるんでちょっとドキドキなんですけど人のことをこう掘るっていうことが好きなんだと思いますね。 ああ。 なんで毎回スポーツに このスポーツに焦点当ててとていうかはこの選手の人っていうところでなんか気 興味を持って聞くっていうのは共通してたかもしれないです。科学者の方でも。 なるほどね。ま、その人の哲学とか魅力とか悩みとかもこう何かこう出るような感じになるっていうとこなんですね。 それがすごく好きですね。 ああ、結構なんかこのリハックの高橋さんなんかもよく言ってますけど、こう例えば政治家呼ぶにしてもビジネスパーソン呼ぶにしてもその人のやってる事業とかも聞くけどやっぱその人の人間性を炙り出したいっていうのになんかものすごくこう欲があるような感じで でこのYouTube だとこう尺も長く取れるじゃないですか。 で、例えばこう 5 秒間沈黙して微妙な表情をしてるのとかもこうそこにこう人間も出たりするところもあったりするのでゆっくりしたトークなんかはテレビよりもこう YouTube の方も良かったりするかもしれないのでなんかそういう良さとか感じたりしてるとこありですか、なんかちょっと重なるところがあった気がしますね。 うん。 おっしゃる通りですよね。うん。真っていうものってすごく人を表しますよね。 うん。 確かに。確かに。 なるほど。いや、 被振り出すって怖いですね。でも 今日もこれ全部ノーカットなので、あのはい。あの、ま、もう全部そのまま流れると思います。 はい。 でもあれですか、えっと、これ一時期はですね、これ資料によると 2015年とか429本 うん。うん。 テレビ出演本数女性タレントで最多だった年もあったということなんですけど。 うん。 これ普通に考えてスケジュールとかどうなってるんですか?体力とか睡眠時間とか。 あんまり寝てはいなかったですね。 はい。 記憶がないんですよ。その 人間って 寝ないと記憶が定着しないらしくて。 ああ、 寝てないとその期間の記憶がないってレディさんが言っててピンクレディさんと一緒にしちゃいけない。 世代じゃなくない? ピンクレディーさんと絶対に一緒にする。さんめちゃくちゃ忙しかった。 ピンクレディさんめちゃくちゃ忙しかったと思うんですよ。私以上に。でもピンクレディのお 2人もあの記憶ないって言ってて はい。それが分かる ね。その本当に私はもう全然あの、その何割もあの、あれですけど下のレベルですけどちょっと分かります。あの、あ、 ゴそっとないですね。 もう常に走り切ってるっていう感じ だったんじゃないですかね。感じです。 それでもこうこう人によってはその過去にもそういうなんかアイドルとかでもずっと走り続けてでも疲れちゃうとかもう何やってんのかわかんなくなっちゃってもうちょっと一旦休みますみたいなこととかしばしばあるじゃないですか。 そういうこうネガティブになっちゃうような時期とかってなかったんですか? なかったんですよ。そうなかったんですよね。 それ楽しい。走ってる。もう走り続けるだけでもしまうこともない。そういう感じなんですか? えっと今日の仕事のことしか考えないでやってる。今日の仕事のことしか考えないっていうのが うん。 口癖だったような。 へえ。 気がします。 明日のスケジュールを見ると今日のスケジュールがあのもしかしたら下で唯になっちゃってこの仕事がテンション下がっちゃうかもしれないからうん。 今日のスケジュールを感想することだけ考えるっていう風にやってたような 気がしますね。 あとはその精神的なところなんですけど うん。 どうだったんだろうな。本当に記憶がないんですけど うん。 もう気持ちが沈んでしまってどうしようもないっていうことは はい。 えっとないようになってたと思います。で、それは元々その辺りが強固な人間なわけではなく はい。 えっとお酒を飲んでたんじゃないかな。 あ、結構飲むんですか? お酒を飲んでたような気がします。 へえ。 その本当にちょっとしかない次の日の仕事までの間も一旦外に出てお酒を飲んでっていうので発散をしてたんだと思います。 うん。 なので睡眠時間がさらにそこで 1時間とか1 時間半とか減っちゃうのにえっと飲みに行ってたんだと思います。確か それもあんまり覚えてくない。 そうなんです。それはあのはい。 お酒元々好きなんですか?今も結構飲むんすか? うんと外に出た時しか飲まなくて、家では飲まないんですけど、友人と飲むの好きですね。 うん。 そう。あともう本当に堀がいい事務所で あ、そうなんですか。 その営業でとかその大人の方とか飲みに行くことがない。ゼロ。 あ、そうなんですね。 そうなんです。人生で1回もなくて、 あ、なんかあるっていう噂も聞いたことあるんですけど、 1回も行ったことなくて、 あ、そうなんです。いや、なんか私そういう業界のこと詳しくないですけど、勝手なイメージではそういうのすごく多いんだろうな。で、そういうところで頑張ってるからこそ色々番組出れるんだろうなって。 うん。 それでは堀プロの職員の方が例えばテレビ局とか 行ってくださってたんだと思います。多分私を置いて はい。 あ、でも堀プロはあれなんですね、すごくいい会社だったってことですか? いい会社でしたね。いい会社でした。 うん。 これ、これ後でちょっとお話も聞きますけど、トリプライやめられてるんですよね。 で、これは別にあの喧嘩別れとかでもなく円満対大なわけですか? もうあの、今でも連絡取っているマネージャーさんがたくさんいますし はい。本当に うん。もうそうですね。なしではホリプロなしではもう絶対にこういう風になってないと。 ホリプロってどんな会社なんですか? 一言で言うの難しいですね。 あの、マネージャーさんによってかなりそのマネージャーさんに権限が与えられている会社なので、マネージャーさんによって全くカラーが違います。 マネージャーはその1 人のタレントさんにも1 人がついてるって感じなんですか? そうです。基本的にはそうです。で、そのマネージャーさんを統括してらっしゃるチーフマネージャーさんがいてっていう形ですかね。 ああ、 基本的には多分どこもそうだとは思うんですけど、個人事務所とかでない限り。 うん。 も結構じゃその出る番組とかっていうのはもうその小島さんがこれ出たいとかこれはちょっととかっていうよりももうマネージャーが全部仕切ってはい。今日はもう収録ですみたいな感じは入ってますみたいなそういう感じの日常って感じだったんですか? はい。もう全くその通りで お仕事を私が選択するっていうのはないないですね。数えるぐらいしかないんじゃないですかね。さすがにやっぱり富士山登った 1 ヶ月以内でほルマナゾン走るスケジュールの時は一旦確認が来たような気がするんですけど [音楽] はい。 へえ。じゃあ、このどの年度においても、そう、もう基本その日、その日でやるって感じだったんですか? そう。はい。365日、24 時間を渡してましたね。 ええ、結構じゃあですか、その日、その日ってお話がされてましたけど、なんかこう長期的なプロジェクトでこう 6 ヶ月かけてこれやるとか、そういうのあんまなかったんですか? うん。マネージャーさんたちの中にはあったんだと思います。縦軸というか横軸って言うんですかね。横軸があったのかもしれないですけど。うん。 私はもうその日のゴールに向かって走ってるだけでしたね。これは今考えると そうじゃない方が良かったのかな。うん。 どうなんでしょうね。 うん。 結果論ですけど、 もうちょっとその自分で長期目標を持ってても良かったのではと今だったら思いますけどね。 ええ。 うん。 でもでも本当にもうあのすごくこういい芸能生活を送らせていただいたと思ってるので もう感謝ですね、本当に。はい。うん。でもその日々走り続けてたのでその多分辛かったことかあんまなかったってことですがあんまり覚えてらっしゃらないって言うとその当時逆にそのやりがいとか楽しさとかテンション上がるとかうんうん。 もうそれこそ芸能界にいると色々こう、なんて言うんですか?注目もされてやほやもされて、ま、お金も多分同世代で会社員で働いてるももらってる可能性も高いと思いますし、そういうなん色々こう 興奮したりですね、こう時にはこう天狗になっちゃうこととかもあるかもしれないですけど、その辺のこのせの力ってどうどうどうでしたか?強い せの力。そうですね。ま、マネージャーさんにはその天狗になるなっていうのはもう最散やっぱり言われてて はい。 うん。本当に今でもよく覚えてんのが悪気なくマネージャーさんのことをマネージャーって言っちゃったんですよ。 ほうほうほうほ。18 歳19 歳ぐらいの時かな。そしたらそれで雷を落とされましたね。 普段からそのマネージャーさんのことをマネージャーマネージャーって言ってるわけじゃないんですけど なんかの時に付け合わせれた時に出演中出演中に いや出演中じゃなくてホリプロの事務所にいた時でしたね確か その時はよく覚えてますね。 マネージャーとかとか。 そう、そう、そうです。まさにそういう感じ。 それでもう切れられたんですか? もう本当にうん。こんなに人に怒られたことないなってぐらい怒られましたね。 ええ。 あの、そうですね。その辺りはものすごく厳しくしつけていただいてたと思いますね。それは本当に 良かったなと思います。財産だなと思いますね。それをやっぱり自我が確立しきってない 10代の時から 10代そうですよね。 はい。やってもらってたのは本当に良かったなと思いますね。 あとはそうですね、聖のエネルギーっていうところだと、 ま、ちょっとお金、お金の部分は はい。 あの、そうですね、あの、なかなか手厳しいなっていう時期が長かったんですけど。あ、 なんだけど、そこはあの、ちょっとあんまり 多分はい。今日は置いといてですね。 え、いや、まあ、ま、もうちょっと喋ってもいいんじゃないですか? そうですね。あの、そうですね。それはもうちょっともらっておきたかったなっていうのは正直ありますけれどね。 特にこのすごく出てた時期もですか、 その時期はタクシーも乗れなかったんじゃなかったかな。確か。あ、テレビ局がタクシーると喜んでましたね、確か。 ええ、本当に。 そうでした。そうでした。それはでも事実なんで言っていいな、それは。 でもそ、それこそめちゃくちゃスケジュールタイトなので、 もうそのタクシーなんかもなんならもうハイヤーでも何でもずっとつけてるぐらいの感じのコアイドルかと思ってたんですけど。 ついてなかった。ついてなかったです。 それは本当に電車のだからその電車の何々から何々駅まで数百円っていうのを全部か書かないと会社からそれが降りなかったんで うん。 なんか3 枚にも渡って紙で手書きで全部書いてましたね。 どっからどこまで電車移動でこうでこう普通の会員みたいなことやってます。 もうあれ本当にもうもうあれが人生で 1 番嫌いな作業でしたね。交通費の生産が。 いやいやいやそう。数百円とか書く暇あってやっぱ寝た方がいいっすよね。なんか 書いてましたね。おろしい。今すごい怖い思い出がもうその交通費が本当に書くのが毎月トでしたね。 え、それでも交渉しないんですか?なんかも 交渉すれば良かったのかな?まあでもね、これ以上行くと本当にあの、今の堀プロとも違うかもしれないので、 堀プロに入ろうかなと思ってる人が怖がっちゃうかもしれないんですけど、私 15年前なので、 ああ、10、15年も前じゃないか、 123 年前の話なので、今はまた変わってるかもしれないですけど、 ちょっと逆に少し視点変えて、その小島さんの中のそのお金に対する うん。例えの [音楽] 10 代半の頃とかってお金がたくさんもらえることはま、誰でもお金は多い方が嬉しいんでしょうけどお金の欲っていうのは こう強かったのかとかどもしあったら何に使ってたのかとかその辺のお金の価値観ってどうでした?その頃 本当にタイプ分かりますよね。お金ってうん。 私は稼ぐのが好きで はい。 で、えっと、お金自体が好きでは別にお金自体がすごく好きっていうわけではなかったタイプだと思います。 あ、稼ぐとある評価の数値でもあるじゃないですか。そういうところですか? まさにそうです。 なんでそのな、何て言うんでしょう?そう、それが好きでしたね。そういうタイプだと思います。 お金自体にものすごく執着があるかっていうと、そうではなくて うん。 ていうことですね。 で、あとは何に使うかっていうのは うん。 うーん。引っ越し族で すっごい引っ越しにお金使ってました。もうもったいないっても。 え、どんぐらいの頻度で引っ越しするんですか? ええ、もうなん以内とかもうなんでなことしたんだろう。 引っ越し引っ越し。お金もかかりますし、手間もめっちゃかかりますし。 いや、もう返してほしい。だからうちの母がもう引っ越し屋さんぐらい引っ越しが得意になっちゃっていっつも手伝ってくれるんで。 引っ越し貧乏でしたね。 へえ。 引っ越しにお金使ってました。本当無駄だな。 都内での仕事ばっかりですから多分普通ま、都心のとこでそんな離れたところじゃない位置をこう移動するような感じですか?え、なんでそんなしたいんですか?引っ越し。 はい。なんか毎回引っ越さなきゃいけなくなるんですよね。ことがあって。例えば その白金の 8階建ての8階に住んでた時に へえ。 あの家に帰ると はい。家の中の温度が 45°だったんですよ。あるんですか? それで冷房入れればいいじゃんと思って冷房をガンガンにするんですけど はい。 うーん。なんかエアコン変えた方が良かったな、今思えば。そんなに効かなくて。 うん。 帰ってからもう本当に命の危険を感じるんですよ。暑すぎて。 うん。 で、引っ越そうってなりましたね。はい。 早いっすね、判断が。 じゃあ次は初めてタワマンに住んでみようと思って。 うん。 タワマンを借りるわけですよね。 そしたらタワマンの南側の過酷さというのを知らなくて [音楽] 日差しが結構 はい。高層会の日差しがすごく当たるところでで私冷房をつけたままにすると喉痛くなっちゃうので冷房消して寝たいんですよね。 なんで冷房消して寝ると朝方部屋の中が 40°になってて引っ越そうって思ったりとかその暑い問題は結構 2回はありましたね。 はい はい。 意熱くならなさそうな部屋を探すと。 まさに北向きをもう必死に探すっていう。 うん。 北向きじゃなかったとしてもなんかなんだろう北製とか ああ、 確かに特にタワマンとかだと視界がないので北の方がいいっていう人結構いますよね。 そうなんです。で、今考えたら南側しか はい。 秋の部屋がなかったなっていう。 みんな出てくんだろうなろうなっていうぐらいかっこな。 あ、そう。そっち人気が薄いんですか? 北側の方が多分人気なんじゃないかな。ちょっとわかんないですけど。 はい。 え、こんな話してていいんですか? あ、いいすよ。 いや、で、むしろあの小島さんのこのキャラクターというか人間性を知りたいすよね。 お、あの、多分今までってこういんな番組でその場その場ですごくこう、なんて言うんでしょう?番組の役割果たされてたと思うんですけど、小島さんってどういう人なのかみたいなものって意外と知らない人、人間性みたいなものずっとこう長時間、 それこそその引っ越しまくってるとかそういうエピソードとかも含めて意外ともしそういうところうん。確かに コンテンツになるんじゃないかという気がしてるんですけど。 あんまり喋ったことなかったですね。 うん。 そうですね。 ま、ちょっとなんかそのお金感とかも含めて、あの、ま、後であの、今後どうしていくかとかっていうところとがもう繋がってくると思うんで、ちょっとなんか雑な話も色々聞かしてくださ [音楽] い。はい。 でもお金はじゃあ、え、ま、お金の話ばっかりするのはあれなんですけど、えっと、引っ越し以外ってあんまそのなんか物を買うとかどっかの体験するとかで大きなお金使うことってどうだったんですか? 旅行は行けなかったので旅行ではお金使えなくて はい。 あとはそうですね、でもなんかそのアクセサリーとかバッグとかも一旦一旦好きないいな、可愛いなってものを買ったんですけど うん。 物もがすごくいいので うん。 その一旦買い切ってからはもう未だに全くもう未だに 10 年以上使ってるバッグとかありますけど いいものは長持ちするのでいいものを買って でそれを長く使うと 途中で買わなくなってるんですよね。 で服ももうこのブランドのものを着うっていうものが見つかったので [音楽] あんまりいろんなの買ったりしてなかったので うん。 本当に引っ越しだと思いますね。 お はい。 引っ越しとかそうですね。お皿とかですかね。お皿とか買うの好きですね。 家にお金をかけるタイプかもしれないですね。 ええ、仕事のモチベーションとしてはさっきそのお金を稼ぐっていうのは評価の物差しとしては大切だっておっしゃってましたけど、 こう仕事のモチベーションの順位というか それだけ突っ走しれたの炎というか、それは、それ何だったんでしょうか? それはお金ではなくて、もう確実に 毎日面白い人と会える ああ、やっぱり人が好きなんですね。 インタビューしたり、 出演しかり、 もう芸能界って本当にいい場所だなって [音楽] 思うのがよく出てらっしゃる、売れてるって言われる方、よく出てらっしゃる方ならす方なほど本当に人間性もいい人なんですよ。 うん。あ、分かります。すごくはい。 もうそれが私はすごく恵まれてることだなと思って。 うん。 あの、なので自分もたくさんお仕事をさせていただけるようになると周りで一緒にお仕事をしてる方が魅力的すぎて うん。 うん。そこが何よりのいいところですね。芸能界のその うん。 歴史上の人物と毎日一緒に仕事してると思ってたんですよ、本当に。 うん。うん。 もちろんもサンマさん、たけしさん、もう、もう本当に素晴らしい方ですし、会うと元気もらう、もう存在がパワースポットみたいな方々なので、それも本当にもうその、そういう方々も [音楽] 所さんもしびれましたね。もう本当に奇跡で うん。 たもさんのたもりクラブ出てた時とかも本当に嬉しかったし、たもさんそうっていうザレジェンドっていう誰が思ってもこの人歴史上の人物だろうなっていう方だけではなくて うん。 本当にそのスタジオにいる人たちがみんな一流 うん。 なわけですよね。 で、その場にいられて、その人たちと同じ時間を過ごして、 で、一緒にこの番組を作るっていう走る方向が一緒。 目的が一緒でみんなでやるっていうのが 楽しかったですね。で、あの、お友達が少しこう増えてきたりとか はい。 あの、 するとその収録のまんま何人かで飲みに行ったりするのとかがもう しびれるぐらい楽しかったですね。 うん。 今思い出すと鼻血が出そうなぐらい楽しかったですね。 そうですよね。でもしかもそういうあのサまさんたけしさんとかだけじゃなくてそういうスポーツ選手とかそれこそ科学者とかいろんなバックグラウンドの はい。 もさというかレジェンド才能のある人たちが集まって会えるってこれ一般の人本当できないことですからね。 本当にそうですよね。 あのね、スポーツ選手と連絡を絶対に交換するなっていうのを Sのスタッフさんに言われてたんではい。 選手の方と直接そのプライベートでお会いすることはなかったですけれど、ただ対面をして はい。 生の声を聞ける その方とお話ができて自分がその時聞きたいことを聞けるっていう はい。 時間をもらえてたの はもう本当に贅沢ですよね。 うん。 もう科学者の方ももうね、しびれる人ばっかりでした。 私プライベートで飲みに行くと はい。 チャンスがあるとすぐその私がサゼをやってた時にしびれた科学者の方の研究内容っていうのを話したがる兵器があるんですけど。 おお。あ、それ再現できるんですか? 再現って再現できるとなんかもう本当おましいですけど。 え、でもいいや、もちろんそのなんて言うですったとしてもそれでも説明できるっていうのはすごい理解できてるってことですよね。すごいっすよね。それ だってすごいんですよ。その30 分組なわけですよ。 1時間半てんですよ。 はい。 で、そのいいとギュっと30 分にしてるんですけど、私は1 時間半その科学者の方を 1人締めにできてるので うん。 それ入りますよね。 で、あともうVTR も収一なのですごくこう理解がしやすいように作ってくれてるのでまずそれを見てから お話を聞くっていうことをするんですけど うん。 もうね、すごい 確かにすごいいい教育にもなってるわけですよね。贅沢なね。 で、ま、教育にもなってます。もちろんなんですけど、そのなんて言うのかな、人生感が変わるぐらい しびれる科学者の方がたくさんいらっしゃいましたね。 あ うん。かっこいい科学者の方がいっぱいましたね。 うん。 そう。3S はもう自分でこう中国に留学に行くことを決めてでもう今日で最後の収録っていう時に うん。 もうテレビでこんなに泣く人いるのってぐらい泣きましたね。私たちを それ大げやそうだった。 あ、そうです。はい。そんなにそんなに泣きすぎだってぐらい泣いてますね。あの本当になんて言うんでしょう。なんかそうですね。 あ、もう心が引き裂かれる思いで 3S0は はい。離れましたね。芸能界全体もですけども、もちろんそれぐらいそう人に人の話面白い人の話を聞くっていうのが好きですね、やっぱり。 うん。 でもそうやって聞いてると普通に素朴に疑問になってくるんですけど、えっと何年前でしたっけ?中国留学するということで芸能活動も休止って言っちゃっていいんですかね? えっと、何年でしたか?2020、あ、 23年だから2年半前ぐらいですかね。 これ、いや、今の話聞いてると、いや、私自身もこうやっていんな方、今日もまさにそうですけども、こう、魅力的な方とお話できるのってすごいありがたいことで、そのなんかもうお金とかそういうもんじゃなくて、あの、会えないじゃないですか。 うん。 すごくあの私も今まさにすごく感じてたんで、その通りだと思ってたんですけど、じゃなぜあのその素晴らしいまがあるにも関わらずあえて休止 しかもあのまだまだお若い時期にどういう心境とかどういう決意だったんですか? はい。あの本当に芸能の仕事に向き合って毎日幸せでした。 なんですけど、やっぱりずっとちょっと、ま、コンプレックスっていうのかな。 お、 ずっとあったのがやっぱりもうちょっと勉強をしすればよかったっていう 後悔 みたいなものがあったんですよね。 あの、なんだ、なんで言うんだろうな。そう、便もうちょっと学びたいなという欲 うん。 うん。 あとはそうですね、やっぱり自分で自分で人生を選択していくことをしてみたいと思った うん。 のがあると思いますね。 ああ。 うん。あの、本当にこう恵まれてたと思うんですけれど、守られてたんですよね。 本に堀にすごく守ってもらってて、大切に育てていただいたなって思うんですけれど。 箱入り娘だなって自分のことをちょっと俯瞰で覚めた目で見ると 思ってる節があったんですよね。 ああ。なんで 堀プロを出たら確実に苦労するっていうの はなんとなく分かってたんですけど、学び たいっていうのとその守ってもらって支え てもらっているっていう場から一度こう 離れて自分は何ができて何ができないのか を知りたいなって思ったんですよね。 で、それはちょっと結構その実際に急勝する数年前からあ、 [音楽] は、漠然と思ってたんですよね。なんで突発的にっていうことではなく、 うん。少しずつもって そうなんです。本当にそうなんです。 で、中国語をその友達が習うっていう風に言ってたタイミングで [音楽] たまたまついてったら、 あ、語学って世界が広がりそうだなと思って英語でも良かったんですけど、たまたま中国語で うん。 で、中国語を勉強した後にその中国のロケが仕事で入ったんですよ。テレビの仕事で。 ほう、ほう、ほう。もうホリプロ離れてるわけですよね。 えっと、まだもう芸能生活してる時ですね。これ 2020 年ぐらいの話だと思うんですけど。 あ、そういことですね。はい。 で、中国、中国に渡って片の中国語をちょっと覚え立てなのを話してみたんですよね。 うん。 そしたら、あの、中国人の方って私すごくこう本当にね、先生なから苦手意識があったんですけれど、 中国語を片こでも話せるようになってからコミュニケーションを取ると うん。 すごく印象が変わったんですよね。 あ、そうことよくありますよね。はい。わかります。はい。 ありますね。本当にステレオなん、私がそのなんて言うのかな。うん。 私が理解をしていなかったっていうところと、あとやっぱり語学を覚えるってその国に対してのリスペクトを示せる 1 個の方法だなと思うので、それが伝わったってのもあると思うんですけどすごくよくしていただいて それで面白いなと思って中国って距離が近いのでその時まだバラエティの仕事とかいろんなお仕事やらせてもらってたんですけど隙間で 4 日間ぐらいお休みただいて 大変そうですけどね もう本当にお願いで、4 日間いいてネットで申し込んホームステイに行ってみたんですよ。 へえ。 北京の知らないおばあちゃんの家に 泊まりに行ってみたんですよね。中国をもうちょっとディープにしろうかなとか思って うん。 うん。そしたら本当にろんな常識がひっくり返えるようなこともたくさんあったんですけど うん。 その4 日間ですごく中国語が向上したのと、え、 あとその 周りの中国人の方たちにものすごく助けてもらった はい。 うん。があって面白いなと。まあでも芸能の仕事も はい。 癒さらせていただいてるし うん。 なんか面白い経験できたな。帰ろぐらい はい。ほうほう。 感じで帰りましたね。で、その後さっきお話した自分の足で何かをやった方がいいんじゃないかて。うん。 これはさすがに箱入りすぎないかと。世間知らずすぎないかっていう思いがふつふつ上がってた時に うん。 中国に行ってみるのはいいんじゃないかと。 うん。 中国で何をやるて具的にあって休止したわけじゃないんですよ。本当に。なんですけど留学をしたいなと思って 学びたいっていうのと中国でちょっと長期で暮らしてみたいってのがあってそれで中国に行くっていうことを決めてコリプロに調整をいただいて [音楽] うん。 でやっぱり1 度自分の力でやっていくっていうことも目的の 1 つだったのでけじめをつけて代謝をさせていただいてっていうところですね。 うん。うん。 なんですけど、ありがたいことにあの尊重していただいてちょっと仕事を続けて欲しいと思ってた社員さんもちろんいると思うんですけど、そこを本当に尊重していただいて 代謝をして ああっ っていうことですね。ただ連絡はずっと取り合おうねっていう風に話して謝しましたね。 ああ、それはでもその先ほどの話もうちょっとあの早い時期の話だとそのもう日々走っててネガティブな気持ちもそんな思うこともなかったっていうことですけど、 その対処する数年前からっていうのはこれま、ひょっとしたらですけどだんだんその仕事に例えばこう刺激を感じにくくなったとか、秋が来たとかそういうポジティブな目が弱まったりあるあるいはちょっともうなんか単純にもう疲れるなとかそういうネガティブな気持ちが出始めてたってことではないです。 最後の1日までなかったですね。 最後の1 日までなくて、その芸能仕事に何かこうな、何て言うのかな、何か負を感じたいたということは本当にないんですよね。 ああ、そうなんですね。うん。な んですけどやっぱり 30手前って はい。 もうすぐ30 歳だなって思ったタイミングってやっぱり一度自分のこと見つめ直したりとかってしませんか? うん。そうですね。はい。 なんかね、年齢って別に何歳になっても関係ないんですけど、なんだってやればいいんですけど、 一旦自分のことを見つめ直したんですよ。で、このその時まだ 20代だったので、20代のこの最後の 20代のタイミングでなんか 40 歳になった時にあれやっといて良かったなっていうことをやっといた方がいい気がするっていうなとした。 ああ。 うん。 なんかごめんなさい。マイク触っちゃった。あの、そう、そういうだから芸能の仕事に何か負の感情はないけれどもなんか焦ってるみたいな [音楽] はい。 今のままじゃけない気がするっていうなんかとした 焦りみたいなものはありましたね。 なのでなんか状況を変えなきゃいけない、飛び出さなきゃいけないんじゃないか。 もっと外を自分の目で見て知らないといけないんじゃないかと。やばい 40 歳のおばさんになるかもしれないみたいななんかその全然芸能界にずっといて素敵な方なんてたくさんいるのでなんですけど私の場合はうん [音楽] 堀プロにすごく守られてたのもあって 世間知らずすぎるんじゃないかっていうのをすごく思ってましたね。はい。 うん。なるほど。ま、確かにその日々ものすごく忙しくてこれま普通のビジネスパーソンもそうだと思うんですけど今日やらなきゃいけない。 たがあってのずっと走り続けてると思ってでそれ自体はやりがいがあっても 本当にその日々毎日こなしていることが 10 年経って振り返ってみてもその作業をずっと続けてて良かったのかって不安になる時ってやっぱあると思うんですよね。 うん。本当にまさにそういうことだ。 年を重ねに価値も変わりますし、人生のステージも変わりますし、なんかそこはあの迷ってる人って例えば 30代40 代のビジネスパーソンでもすごく多いし、最近、ま、エイヤで転職する人とかも増えたりしてるのもそういうことだと思うんですけど、ただそこってやっぱりこう決断がすごく大事ですよね。あの、強い決断をしないと結局変えられないですし、それこそホリプロにやめるっていうのって相当な決断がないと言えないことですよね。 うん。うん。本当に今でもごめんなさいともう思います。 その堀プロに対してうん。 やっぱりかなり強固に言わないと はい。 そう強いですよね。 状況をやっぱり大きく変えるっていうのはその歪を産んでしまうところっていうのが絶対にあるのでその調整は私じゃなくてやっぱり会社なきゃいけなくなってしまった部分があると思うので それは本当にすいませんでしたといううん ことですね。今でも思いますね。 まあでもそこは1 人の決断ですからね。そこは そうですね。 あの、そうですね。でもそのすいませんでしたとは思うんですけど、後悔はないんですよ。 うん。うん。 その後もね、この後もお話するかもしれないですけど、ことがあるんですけれど うん。 やっぱり1 人の人間としてあのまま守ってもらったままでいるよりかはそのかなり決断には悩んだんですけど 1 人でやろうということを選択してみて良かったのかなとは思いますね。 うん。なるほど。 で、やめられて実際留学いらっしゃったんですよね。どうどうでした? そうですね。かなり短い期間になったんですけど、そのプライベートのタイミングが重なって 4ヶ月間 うん。 上海に 行きました。 どんな、どんな留学生活だったんですか? えっと、大学の量に住んでいて外国人クラスに通ってて [音楽] うん。ふん。うん。 なので、そう、周りがね、すごく面白くて、あの、中華系の、両親は中国人なんだけれども、生まれた時からスペインに住んでて、中国語がいまい ああ、は、 ていう子が親が中国人なのに中国語喋れないなんてだめだ。夏休みの間ここに行けって連れてこられてる はい。 子たちがすごいいっぱいました。 ええ、もうみんなじゃあ中国語はそこまでうまくない子ばっかりという でも親が中国人の子たちなので私結構日本で自分で勉強してから行ったので 1 番上のクラスに入ったんですよね。そのレベル分けがあってき なんで1番上のクラスだったので あの全員中国語でやり取りをしてましたね。 うん。 でが中国人なのでこれぐらい中国語喋れるよっていう子たちと一緒に勉強をしてましたね。 そうですね。そのクラスは日本人は私だけでしたね。なので日本語を喋る機会が全くなくてすごく良かったですね。お、 あとはそうですね、フランスから来てる子もいたかな。 うん。 アメリカもたし。あ、あとはそうだ、イタリア、中華系イタリア人の子とかもすごいいいっぱい来てましたね。 はい。 あの子たちはイタリアで喋ってて楽しそうだったな。 うん。 とかはい。 でも短くなっちゃったっておっしゃいましたけども元々はもっと長くいるつもりだったんですか? はい。はい。と思ってたんですけど結婚をして [音楽] で、そのちょっとプライベートの兼合いで一旦短期で行ってみようっていうところになりましたね。 ああ。もうじゃ行く時からじゃ短くしていくってこと。 そうです。はい。短くして行きました。短期の [音楽] プログラムで行きました。はい。 うん。で、その 4ヶ月間のこう はい。 いった感想成果どうなんでしょうか? はい。や、もう成果というとその程度の中国語格の成果っていうだけじゃなくて個人生としてのっていう意味でもいいですけど。はい。 そうですね。 うん。すごく色ありましたね。うん。やっぱりうん。 知るとうん。すごく可愛がってもらって うん。 はい。 本当に可愛がってもらって、その言ってた大学が副端大学っていうその外国人はエントリーするのが全然簡単なんですけど、 中国人に生まれて副端大学に行こうとすると もう壮絶な勉強をしないと入れないような大学なんですね。 へえ。 そうなんですよ。ま、東大レベルの大学なんですね。 で、その副大学の普通のその4年生の方と か委員とかに進んでる学生さんたちが 外国人クラスの私たちとも遊んでくれたり とか、身の周りで困ってることとか、こう いうアプリがあると便利だよとかもう なんかお世話をお世話してもらってで 外国人クラスで私が最年だったんですよ。 ああ。え、20 歳前後とかが多いんですか? そうなんです。20 歳前後の子がすごく多くて、 で、もう本当に 28歳、29 歳でもう周りの本当に優秀な中国人の学生さんたちに 携帯はどうやって使うんだって言ったら はい。 もうそんなこともわかんないのかっていう顔も全くしないでこっちだよ、こっちだよって言って、ここでこういうカードを買ってって言って 学校から歩いて20 分ぐらいかかるところに一緒に歩いて はい。 うん。めちゃくちゃ暑い。 なんか汗になり一緒に行ってくれて で、このこのカードをこういう風に買ってこう設定してって、もう最後までやってくれてでなんか俺礼買おうと思ったらもうダメダめだめみたいな中国に来たらこっちが表なしをするっていう文化なのよって言って 大学生にパンを奢ってもらったりとかして 29 歳なんですけどみたいなごめんみたいな 感じで本当にこういい時間を過ごさせてもらいましたね。友達もたくさんできました。 すごい激変ですよね。でも本当そうですね。 うん。 で、中国の中国のエネルギッシュ守、 スピード感っていうものもすごく うん。 入ってくるものがありましたし、ただ中国の方々も自分の国にすごく課題を感じてる本音とかも 聞かせてくれたりとかしたんですよね。 中国はもうちょっとこうしなきゃいけないと思うっていうこととか。 うん。 うん。 政治的な話はもう全くノータッチでそういう部分の話ではなくなんかなんて言うのかな。なんか中国ってもっとこういうところがこうなったらいいと思うんだよねっていう話を学生さんたちがすごく雑談の中でも してくれたりとかしてあ、こういう風に考えてるんだなっていう。うん。 うん。あとは人をつぐスピード感がすごく早いのは うん。 中国のことを全部が全部見習うっていうことではなくピンポイントで見習うといいかもっていうポイントの 1つかなと思いました。あの 人と人をつぐのがすごくうまい ああ のはいいなと思いました。はい。 うん。 なんで私すごくこう日本が日本好きというか日本が良くなってほしいので中国のその盗めるところはないかなっていう目線でもちょっと見てたんですよね。 はい。 で、どっちがどうとかいうことではなく、その 1 個の強さのエッセンスみたいなのは人と人が繋がるスピードが早いっていうのはあるなと思いました。うん。 なんかこういうこと気になってるんだよねとか、こういうこと知りたいんだよねっていうのをご飯食べながら雑談の中ですると すぐこのv チャットっていうアプリを使って自分の身の回りのそれに関わる人を うん。うん。 繋いでくれるんですよね。 で、2 日後にはその人ともうランチの予定が入ってるみたいなスピード感だったんですよ。 うん。 日本人ってすごくやっぱり気を使う文化があって、そこもすごくいいところなんですけど、そう 紹介される方も迷惑じゃないかなってやっぱ私とかすごく考えちゃったりとかしてたんですけど、 そこから生まれる人と人が繋がった時に生まれる効果 うん。 なんかシナジーみたいなもの うん。 で、やっぱりすごく大きいなと思って なんでそれは私はなんかできたらいいなとこれから うんうん できたらいいなと思ってます。 うん。確かに、ま、日本人こう遠慮しがしだし、こう距離の詰め方もちょっと慎重になったりとか 逆にそのビジネスパーソンとかでこうまくこうなんか授業スピーディに回してる人ってその辺の繋げ方うまいですよね。 うまいスキルというかカルチャーみたいなものが広がってったらこれから色々テクノロジー AIとか含めて発展していく中でも こう刺激的なビジネスがどんどん生まりやすいかもしれないですよね。 うん。それがやっぱりその国レベルで活発に行われてるとなると あの人口でこの人と人の繋がるスピード感でやってたら 強って思ったんですよ。 確か確かに人口の数が違いますからね。 人工の数が違うところはどうにもならなかったとしても はい。 その学生さんたちもそのスピード感で繋がってたんですよ。ビジネスマンたちだけじゃなくて うん。 これが寝付いてるのかと思って うん。確かにそういう意味ではアメリカと似てるところもあるのかもしれないですね。中国はね。うん。 [音楽] それはちょっとやっぱりいいなと思いましたね。ちょっと悔しかったしすごくいいなと思いました。 うん。うん。 うん。 でも元々そのでもこうホリプロやめられてっていうのも先ほどの話だとこう あのなんて言うんでしょう?その小島さんの言葉で言うと箱入り娘的だったところからま自分で考えて行動するていうことをしたいっていうのがまず根源にあってま語とか中国っていうのはま、あくまでその中の 1 つの手段というか形だったと思うんですけど実際行ってみてですねよりもこう自分で動きたい考えたいっていうところに関しては走ってみてどういう気持ちになったんでし か、 練習が必要だなと思いました。 練習 はい。あの、 意思決定ってたくさんすればするほど多分精度が上がるんだろうなと思って [音楽] 制度が低いなって思ってましたね。 そうなんですか。 なんかあの失敗が多いなと思ってました。 でも中国生活始めるにあってももう小さな決断いっぱいありそうじゃないですか? そうですね。 自分でやっぱり考えて物事を決めていくっていうことにまずなれなきゃなっていうところから 始まって ホリプロを出るっていう時にもま、意思決定はあったんですけれどそのなんか自分の人生により責任を持つみたいなところはやっぱりホリプロを出て自分でやると思ったところからの方がうん。 うん。強くなりましたね。はい。 うん。なるほど。 で、その中国から戻られたのはご結婚っていうのがきっかけというか、 えっと、結婚してから中国に行きました。 あ、そう。結婚してから、そ、その間は 別居されてたんですか? そうですね。で、あの、遊びに来たりとか、 私も本当に短期で少し日本に帰ったりとかしながらでしたね。はい。 はい。で、4 ヶ月の留学は日本で生活ということですか?そうですね。はい。 ということですね。 日本戻られてからは何してたんですか? その時はですね。がっつり主婦してました。 主婦 はい。3色作っておりました。はい。 で、やっぱりちょっと夫の会社の経営がなかなか はい。 あの、厳しい 状況になったりとかして、ちょっと自分のそのやりたいこととか、 中国に行きたいだとかそういうことを優先している状態ではなくなったっていうところが うん。 現実ですね。 旦那様の仕事を手伝われたりもしてるんですか? いや、それはしてなかったですね。 ということではなかったんですけど、そばで見てたっていう感じですかね。 うん。 うん。なんか本当に簡単ななんかその事務作業だったりとかなんかの整理っていうことはやったりとかはしてましたけれどう ん。 でもそれでExel とかは使えるようにはなったのはありますかね?そのジ務作業でこう何か制理をしたりとかする時に うん。 ExcelとWord っていう感じの人間だったのでうん。うん。 うん。 その時点でなかかやばいなと思うんですけど、とワードをまずこう触れるようにはなりましたね、その期間に。はい。 なるほど。 あとは食費がかなり少ない中でも 3色ご馳が作れるようなスキルが ええ、 備わりました。 あ、そうなんですか。すごいっすね。 はい。 節約レシピとかめちゃくちゃ増えましたね。 え、1番自慢のレシピ何なんですか? 何でしょうね。 本当に一通りなんだろうな。ああ、あのアかけ焼きそばですかね。 ええ。あ、なんか難しそう。 難しくないです。難しくないです。 難 アかけ焼きそば。麺をパリパリに焼くやつが好きですね。 アかけ焼きそばかな。はい。 でもそう、その生活されてた時っていうのはそのどちらかというと元々話されてたこう自分で決めるとかっていうよりも割とこう主婦っていうことになってくるとその決めて行動っていうよりも割とこう静かな生活なイメージになると気もするんですがその時のご自身のこう [音楽] なんて言うんでしょう?こう日々のこの楽しさとかやりがいとかその辺ってどういう心境の変化が出るんでしょうか? うん。そうですね。あの子育ても始まってるので ああ、そっか。そっか。 母親になるっていう人生の中で大きな うん。 ま、ターニングポイントですよね。 はい。 それはなかなかこう今まで守護が自分だったのが自分以外の守護というか自分よりも大切ななんか うん。 その優先したいものっていうのが自分でこう家庭を持って夫と子供とっていうところで出てきたっていうのはすごく大きな変化でしたね。 うん。 うん。今話しててもこれが 2 年間ぐらいのことだと思えないぐらいなくな いろんなことが はい。あります。 でもその頃例えばその数年前の芸能界 で活動してた頃を思い返したりして、もう 1 回なんかやりたいなとか、あの頃楽しかったよなとかって、そういう回想みたいなものってどうなんですか? うん。ありました。ありました。やっぱりすごく楽しい世界だったなっていうのはありますしたね。 別にもう戻りたくないってわけではないんですね。 そうですね。 なんですけど、戻るっていうことは全くその時は子育てをしてでやっぱりその夫がなかなか大変な中でそれを支えて うん。 で、主婦をしてっていうことに必死で楽しかったなってレビ見ながら思って、あ、誰々さん出てるなって [音楽] 相変わらず面白いなって思って うん。 やらなきゃいけないことが山ほどっていう 感じですね。 うん。うん。うん。 なんで芸能界に戻る戻らないとかそういうことを考えている場合ではなかったですね。はい。 [音楽] 本当に忙しくしてましたね。 うん。 子育てって本当に忙しいですよね。 うん。自分で決められないとか突発的に対応しなきゃいけないこといっぱい出てきますから。 そうですね。はい。 でもすごくこう協力的な夫だったのですごく一緒に はい。 はい。子育てもその生活というかもで夫は事業も協力しながらやってましたね。うん。うん。 うん。なるほどですね。 うん。で、あの、ちょっと大変伺いづらい ところでもあるんですけども、あの、今年 の2月、あの、報道で旦那様が亡くなられ たとあって、インスタでもこう報告されて いたと思うんですけども、ま、その後こう 小島さんのこう心境の変化とかですね、 あるいは生活、人生の向き合い方ってこう どのようにこう変わっていったかとかさし 使えない範囲で伺ってもいいでしょうか。 あの、そうですね。 うん。あの、何も 何もかも 変わったというところはありますね。で、 ま、元々その 結婚した理由っていうものが今まではこう 自分の 人生 のことだけをやっぱり考えてきてたわけ ですよね。それをその自分の人生と同じ ぐらい彼の人生も見てみたいと思って結婚 をしたんですね。 で、 すごくこう 楽しかった。あの、彼と話している時間が すごく好きだったんですよね。うん。で、 いろんなことも本当に話していたんです けれども、ただその私の想像をはるかに 超えた多分 あの悩みっていうのはあったんだろうなと いう風には思いますね。で うん。 でもやっぱり子供はそれでも お腹が空くので、 それは ある意味救われましたね。その うん。 この子にご飯を食べさせなきゃいけない。 この子どうにかしなきゃいけないっていう のと いうのはありましたね。うん。 ただ かそうですね。どれぐらいだろうな。 うん。体がどうしても動かなくなって しまうという期間はありましたね。うん。 そういう時はもう本当にいろんな人の力を 借りてはい。家族だったりとか友達だっ たりとか親戚従んできてくれましたし 友達も幼馴染み5人で仲良くしてるんです けど飛んできてくれて私が そうですね あ今思ったんですけど本当に恵まれてるな と思うのは 夫が亡くなってから今日 で、私が独りっきりになる時間がなるべくないようにしてくれてましたね、周りが。うん。 本当に幸せなことですよね。 うん。 あの、そうですね。 で、ま、 心境としては、ま、あの、自分の人生と いうものにはあまりこう、 あの、正直前向きになれな方ですけれど、 夫もす、夫も私もすごくお世話になってて 、で、夫の才能をこうすごくこう買って くださってた方がいるん その方にあのそうですね、小島さん未来だよって言われて音がなくなった次の日だったんですけどでその未来っていう言葉がすごく私はその瞬間の自分とに駆け離れすぎていてあの嫌悪感すら感じたんですよね。その未来という言葉に対して。 で、もう私の人生はそれで答えたのが私が 私の人生はもう正直 あのもうど、どうでもいいだけれども やっぱり子供の人生だけは その明るく 影がなく あの 輝かしいものになって欲しいと思うという 風 に言ったらその方が小島さん順番が逆だよとお子さんにそういう人生を本当に歩んで欲しいと思うんだったら小島さんがそういう風になっていないと 子供はそういう人生は 送れないっていう風に言われたんですよね。 で、その時から体がなかなかこう思うように動かなかったりとかそういうことはあったんですけれども、でも未来という言葉からに逃げてはダメなんだなと私自身がうん。 子供の未来さえ良ければいいんですという ことは違うんだなと思って どうしたら その先のための行動ができるのか未来だよ と言われたその未来ていう言葉を少しこう なんて言うんでしょう などう未来なのかなとか何が未来なのかな とかそういうこと を考えるようにしましたね。 最初その未来っていう言葉で嫌悪感すら持ちかねないっていう状況から すぐには簡単にはやはり切り替わないですよね。状況も状況ですしやっぱりだいぶ長い時間をがかかってきたということなんです。 ですかね。でもそれを はい。 子供のためと言われた瞬間に はい。 あ、嫌感を覚えていてはいけないんだなということは理解をしたんですよね。 うん。うん。 で、それが子供のためなんだとしたらうん。でもそれが腑に落ちたその瞬間からもう考えることだけはやろうとは思いました。 うん。うん。 何か行動に移せるかどうかっていうのはもう少し後になったんですけれども何ができるかを考えることは言われたその結構すぐ後から考えましたね。 うん。 うん。結構こうやらなきゃいけない。やらなきゃいけないことがあうん。 その周りの身近な方をなくした方だったら多分皆さんお分かりになると思うんですけどやらなければいけないことがや目の前に散するんですよね。 うん。 そういうものも1個1 個これをこうなんて言うんでしょう?処理をして対応をしていくことも先につがると思って未来につがると思ってやって [音楽] いますね。 今でも今でもそれは続いているんですけどはい。 今はその未来という言葉にこう前向きに向き合える うん。 こう心の状態になってきてるんですか? はい。 うん。そうですね。 それはこういつ頃どういう感じでこう熟成されたというか。 いや、そう、それはもう未来という言葉を肯定的に捉えないと子供のためにならないと言われたその瞬間から 肯定的に捉えることにしましたね。 うん。うん。 だから夫が亡くなった次の日に強制的にしたということですね。 うん。 その方に言われて確かにそうなんだろうと。確かに私がすごく後ろ向きで未来という言葉に拒否反応を示して うん。 後ろ向きに後ろ向きに過ごしているということが絶対にこの子のためにならないと思った瞬間から うん。 変えましたね。 うん。 それは最初はすごく無理が生じてたと思うんですけどでもう それは腑に落ちた瞬間から変えましたね。 うん。 なんで3ヶ月後ですとか4 ヶ月後ですはなくて翌日に強制的に変えたっていう感じです。 はい。で、あの、その実際にその行動とかも今後考えていく、ま、今すでに始められてるかもしれないですけど、その未来に向けての、ま、別に仕事だけじゃないですけどね、こう生き方っていうのは今こうどんな感じでこうイメージ青を描き始めてるんでしょうか? うん。 難しいですね。 毎日悩んでます。本当に毎日悩んでて毎日苦しいんですけどもそれも人生なのかと思いながら 悩んでますけれどね。 うん。 で、小島さん、その未来、え、進んでいくにあたってですね、あの、こう、今こう、例えばこう課題とか悩みとか、こうどういったとこにこうモヤモヤしてるものがあるのかっていうのをちょっとお話を伺ってもいいですか? うん。そうですね。 ま、色々とあるんですけれども、その中でもやっぱりライフスタイルっていうのは ほ 子供がいる中で うん。 子供を育てながら自分 1 人でその、ま、その子をその、ま、シングルマザーになったのでその家庭のこととまだこれからやっていく仕事のこと、 このバランスっていうのはうん。 もうすごくこう悩んでますね。 うん。 うん。もうこれにこれが正解だという答えが出るとも分からない。出ないかもしれないし、ただずっと悩みながら周りの力を借りながら模索してやっていくんだと思います。 [音楽] うん。 うん。子供との 時間、その子供の成長を そばで見る、子育てをしていくという時間 と あとはその1人の、ま、仕事をする人間と して どういう ライフスタイルがいいのか、また子供の 年齢によっても変わると思うんですよね。 そう。はい。うん。 いや、もう正解があるのか分からないぐらいこれは難しい。 いや、本当そうだと思います。そ、よくそのワークライフバランスって言ってもこう数字で何十対何十みたいな機械的に分けられるものでもないし、それは時間だけじゃなくてこう物理的な労力とかあるいはあ、メンタル的なこう大変さとかもありますし、おっしゃる通りこう 年と共に時期によって変わっていくし場合によってうん。 週によっても教遇って変わったりする ところがありますからね。本当に正解って ないと思うんですね。振り返ればこの1 週間の配分は割と正解に近かったかもしれ ないてあるかもしれないですけど半年2年 3年あの正解のストラテジーみたいなもの 多分ないと思いますし ね。本当におっしゃる通り 悩みながら人本当に同世代とすごく たくさん多いと思います。うん。 もう本当にすごいと思います。の先輩たち はい。 で、今ってこうすごくこう先を言ってくれてた先輩たちのおかげで ね、そのいろんな状況が整って で理解があるはい。 社会にちょっとずつなってきてると思うんですね。 うん。 うん。 なんで本当にもう借りられるものは全て借りて うん。 も、そのなんて言うんでしょう?何かこうそのうん、ま、補助とか、 あとはサービスとか うん。 うん。 あとはそうですね、もう本当に家族がいないと成り立たないので、家族の手を借りて、サービスの手を借りて、精度の力を借りて うん。 悩みながらもなんとかやっていくんだと思います。 で、仕事っていうのはそういうなんて言うんでしょう?従来のそういうテレビに出たりとかっていうことはではなくて何がしかこう新しく起業するみたいな感じなんですか? えっとですね、あの、ま、私こ順王って説明するというところなんですけど [音楽] はい。 あの、ま、すごくこう夫がなくなる前も はい。 音がなくなってからも特に本当にこう いろんな方に助けていただいて でそんな中でこう私がずっと何か起業をしてみたいっていうとした夢っていうのは元々あったんですよね。 あ、そうなんですか。だいぶ若い頃から 小学校2年生の時になんかその はい。 文春に書いてたりとかしてたんですけれど。 ま、でも全然こうね、漠然としたものだったんですけれど、何かこういろんな方にこういう風に助けていただいてる中で なん人の 魅力にこうスポットライトを当てることはできないかなと。そのサイエンスゼロだったりとかスポーツ番組とか 政治番組とかでやっぱり人の話を聞くのが好きっていうのがあるので あ、中国の経験も関係あるかもしれないですね。 そうですね。はい。 人の繋がりに助けられたっていう経験がすごく多かったので 何かそういうことができないのかなと。 うん。 で、そこにさらにやっぱり事業にするとなるとその経済合理性って言うんですかね。 うん。 そういうものが成り立つかどうかっていうのも、 お金が回らないとどれだけね、あの意義のあるビジネスでもやっぱ続けられないですからね。 うん。 そういうところを、あの、今のアドバイスを受けながら検討しているところですね。も、本当に苦しんでますね。うん。 [音楽] なんかこう具体的な形っていうものがまだこうできてるって段階ではない。 はい。お話できることがなくてですね。あの、 はい。 準備してるものだったりとか、これ、これかなと思うものだったりとかっていうのはあるんですけれど。 うん。 はい。 そこがまだお話ができる状態ではないんですよね。逆にこれからこう働いていくっていう意味ではそのさっきもちょっと半分聞きましたけどその芸能活動というかこうメディアに出たりとか [音楽] でそれってそのそれこそいろんな人と話せるっていう意味では重なるところもあると思うんですけどそういう活動をこれから再開していったりするんですか? うん。あ、もうまさにで、その はい。 人の 魅力にそう人との縁をにすごく助けられてきてるので、そういう意味で芸能の仕事もまたできたらと思ってますし、あとはうん。 その人の魅力にスポットライトを当てるっていう事業もできたら嬉しいし、 そういう番組 に関わることができたらそれもまた嬉しいなと思って。 うんま。それぞれうまくあれは、ま、シナジーはありそうですよね。はい。 うん。 そういう形を模索していきたいなと今思ってますね。 うん。うん。うん。 これ例えば今後そういうテレビとかメディア出演みたいなものがを考えていくって言った場合にうん。 [音楽] 例えば堀とかもう一度その芸能事務所と にお世話なるとかってそういう選択肢ってありるんですか? あのお話をさせてもらって堀プロと はい。 はい。 で、森プロの中でも本当にいろんな方とお話をさせてもらったんですけれど、 いろんな話をした結果、 えっと、芸能のお仕事、やっぱりその人の魅力に商店を当てるっていうところを芸能のお仕事でできたらいいなと思ってるので、その活動の再開を はい。 考えています。 お、それは堀プロで なんですけど、堀プロには戻らないで、 えっと、個人事務所を お、 立ち上げて はい。 そちらでやっていくことにしました。 うん。うん。 で、あの、すごくいい出会いがあって はい。 あの、ホームページを作ってくださるすごくこういいチームに出会って うん。 あの、個人事務所のホームページが はい。 解説をします。 うん。え、個人でやるっていう道を選ばれるその理由っていうのはどう、どういう? [音楽] はい。そうですね。 やっぱり外を知りたいとか自分で選択をして自分の足で立たなきゃいけないよねっていうところは [音楽] うん。 ホリプロを出た時といろんなその後、ま、夫のこととか子供とかいろんなことあったんですけどそこは変わらないと思ったんですね。 なのでうん。 あの夫が亡くなってこう精神的にすごくこう弱った時とかも堀もすごくこういろんな方が連絡してきてくださって はい。 うん。 戻ろうかなと思った時もあったんですよね。 正直ありましたなんですけど子供を 1人で1 人でまの手を借りながらですけど一応シングルマザーとして育てていくっていうこと うん で外を見よう自分の足で立とうと決めたんだよね私はというところ うん とあとは堀プロの方とお話をした結果 戻らずに やるということになりました。 うん。うん。 はい。 元々おっしゃってたそういう箱入り娘的なことからこう出して自分でこう動いていくぞという決意の延長戦上で新たにこう芸能活動を始めるにあたってまで 動くというそういうところがやっぱり真としてあるというとこなんですかね。 そうですね。 うん。 あとはあの今日も一緒に来てるんですけれどマネージャーさんが あの幼馴染みに脱皿をしてもらいまして ほうほうほう はい。 あの、普通に企業に務めてたんですけど、 これからそのやっていくにあたって はい。 やっぱり隣で支えてくれていて、私のことをよく分かってくれている。 うん。 で、時にはやっぱり叱ってもらうっていうことも絶対に必要で うん。 で、そういう関係で小学校の時からずっと仲がいい幼馴染みがいるんですけど、その子にお願いをして一緒にやってくれないかと。 私に人生を預けてくれないかっていうプロポーズをしたんですけどはい。え、その方はあのホリプロ時代の芸能活動中はその芸能のお仕事では [音楽] 接点はなかったわけですか? 本当に全くあの芸能に詳しいとか芸能と全く関係ないお仕事を はい。 してたんですけど うん。ついてきてくれるっていう風に言ってで会社をやめてくれてその子を 2 人三脚ではい。個人事務所でやってこうと思ってます。 私でもその報道とかのテレビの仕事は多少知ってるんですけど、その 幅広いその芸能活動みたいなものって事務所のこの力っていまいちあんまりイメージ持てないところがあるんですよ。その要するに個人でどこまでできるのかっていうのが こういそれこそ視聴者目線で言うとですねそれってうまくできるのかその辺ってどういう実情になって私も教えてもらいたい 本当に手探りになると思います。 でもそれこそその幼馴染みの方もそこの指揮とか人脈が終わりなわけでもないてことですよね。で、でも小島さんの場合だと致名度もあるし、その SNS のフォロワー数とかも多いので、こう、あの、事務所の力借りなくとも自身でこう色々拡散とか、え、告知するツールがあるわけじゃないですか?これはその 10年前、20 年前とかと比べて違う個人の強みではありますよね。 そうですかね。 ただ個人事務所としての強みはですねと今ここでおしゃべりをできるぐらい あのすごく自信があって個人事務所で行きますということではないんですよ。 本当にいろんな方に教えてもらったりとか、あの実情をタレントはやってましたし、芸能にはいたんですけれども、そのどういう風に こう裏側が成り立ってたのかということも これから知っていかなきゃいけないと思いますし ああ、でもそっかでも逆に言うと小島さんそれこそ箱入り娘だったとご自身が言ってた通りでいろんなその取引き先との調整とか堀がやっていってくれたわけにその通りで は100000 電話ですけど、そか調整っていうのは実は割と素人に近いということなわけですか? そうです。なんでもう今回リハックさんに出演させてもらうのが天ワ屋です。 リハックで天夜ワ屋は大変だと思います。これ めちゃくちゃ緩いですから。これ本当基本的にあのそうですね。 マネージャーさんに、そのホプロのマネージャーさんに本当に分からないことは聞いてみようと思ってます。はい。 うん。 で、なるべくこう失礼がないように、あとはそのお仕事に迎え合うしてっていうのは はい。 あの、ま、そのホリプルにいた時からですけれどもきちんと誠実に はい。 頂いたお仕事をやっていくっていうところですかね。そこは崩さずに [音楽] やろうと思ってます。はい。 その人の魅力引き出すとか人との繋りを気づくとかっていうそのコンセプトはよくわかるんですけど、具体的になんか例えばこんなのやってみたいとか逆にちょっと言いにくいかもしれないしれないですけどこういう仕事はあんまりやりたくないとかですね。なんかその辺のこう判断基準みたいなのもってなんかイメージあれば教えてもらっていいですか? [音楽] それは芸能ですか の部分ですね。まずはそのはい。そちらの方ではい。 芸能部分芸能の部分ですとそうですね。うーん。 うん。やっぱりすごくこの近金で はい。 心がしんどいなっていうタイミングが多くあった。 [音楽] うん。 ので 誰かをこう うん。 誰のことも 傷つけたくないなっていうのはありますね 。 そうじゃない 仕事だったらあの何でも うん。 また本当に新たな気持ちで挑戦していけたらなと思ってます。 それはもうテレビとかYouTube とかメディアを問わずいろんなものをチャレンジしたい感じです。 あ、もういただけるのかいただけるものどういった仕事がいただけるんでしょう?本当にもう想像ついてなくて。 [音楽] うん。 でも結構その小島さんこう久しぶりにこうメディア出られてリハックも結構再生の回るプラットフォームでもあると思うので少なくともメディア関係者があ島 3 年仕事じゃ頼む文句は開かれてるんだっていうことになると色々なんか引き合いすごく強そうですよね。 どうでしょう?あのはい。 ホームページを はい。あ、ホームページ開くんですね。そこにじゃあお仕事のご依頼はみたいなのができるわけですか? はい。お問い合わせを はい。 作ってですね。それでもう立ち 上がってんですか?それは えっとなんとか間に合ったんですよ、この音の。 配信する頃にはできてそう。 はい。配信する日に間に合うということがさっき分かりました。 あ、そうなんです。 はい。 なるほど。 そうなんです。なので開いてますっていう風に言っていいと思います。はい。 はい。でもあれですよね。あの企業も考えてらっしゃるっていうことですけど企業ってやっぱり最初の運転資金だったりものを整備する。 それこそオフィスとか最初の初期費用ってすごくかかったり、ランニングコストも厳しくかったりすると売上がたないと厳しくなりがちですけども、その芸能活動っていう観点で言うと基本コスってだと思うんですよね。 極端な話その、え、なかなかこう売上が すぐに大きく立たなかった場合であっても その費用が出血するわけではないので割と 最初にこう始めるるっていう意味で 始めやすいでかつ小島さんのような元々 致名度スキル人脈が多くっていうので言う となんかこう 序盤としくり やすい感じのような気はしましたけどね。 うんうんそうなのかもしれないですね。 今その授業の準備をしていて、やっぱり在を持つっていうことだったりとか 場所がいるっていうことっていうのは本当にお金がかかるっていうのも うん。あの、実感してますので うん。 うん。 芸能活動の面でこうある程度起動に寄ってきてそっちからの収益っていうものがあればその事業の方にもこう回していけるっていうところがうん。うん。 あるかもしれないので。 そうですね。 うん。 ただなるべくやっぱりなるべく早く今準備をしてるんですけど事業の方もなるべく早くその会社だけで授業が成り立つ うん。 形を実現しなければなとは思ってますね。 うん。 その準備を今しているところですね。はい。 楽しいですか?準備はワクワク感がすごいのか、もうなんか心配なことが多いのか、大変で辛いのか、なんかいろんな感情があるかもしれないですけど ね。 やっぱり事業を立ち上げるのって楽しいって思う方が多いんですか? 私楽しいわ。正直 ワクワク感とかそういうことではなくて本当に毎日頭を抱えてるっていう感じですかね。すごくこう毎日考えて考えてうん。でもこれが楽しいのかな? 大変さと、ま、情熱 そうですね。そういうものはありますね、本当に。うん。 で、うん、今この考えていることっていうのが うん。 実現するっていうのを考えるともちろんワクワクはするんですけど うん。 ただ うん。そうですね。今どちらかといえばもう苦の方が大きい状態ですかね。 ワクワクルん事業を立ち上げられたらいいんですけど。 うん。 で、そういうマインドではないですね、今は。うん。やっぱりね、プライベートでも色々ありましたし、あの、体もそんなに告使してしまうと、あの、疲れてしまうところもあるかもしれないので、あの、 [音楽] それはもう120% 動いてます、今。うん。 うん。ああ。 はい。 も、あんまりこう、無理、無理されすぎない方がいいかなっていう気を少しますけどね。 ただ体はもうあの大丈夫です。健康状態っていうのはい。 はい。 本当に母の美味しいご飯をもりもリ食べて はい。 はい。 うん。すごくこう体は動ける状態になってますね。とっても元気に。はい。 そう。じゃ、あとはワークライフバランス的なところですかね。 うん。そこをきちんとこう調整ができるといいんですけどね。 うん。 ま、あとはちょっとこう、また事業とは少しこう切り離したと言いますか、 またちょっとあれなところなんですけれども、 今すごくこう精神的になかなかしんどいなという時期があった時にうん。 そのお茶を飲む時間にすごく癒されたんですよね。ちょっと お茶。お茶って 紅茶。何?どういうお茶ですか? うんと全てのですね。 全て全てのではい。 で、なんちゃを飲む時のホット一息つくみたいなものにすごくこう救われたんですよね。 うん。 で、もう少しこう知りたいなと思って、で、日本の農家さんに あの、尋ねていったんですけど、そしたら本当にこういろんなプロフェッショナルの魅力的な方がいて、そういう方々のお話を聞いてるのがすごく面白かったんですよね。 うん。 で、すごく奥深いなと。で、中国に行ってる時に留学中にちょっとこう中国茶を飲む機会が 日本にいる時よりも増えて、それもすごく美味しいな、面白いなと。 日本とまたちょっと違ったお茶だなっていうのもあって、それもあの中国の 勉強もして今あの資格も取ってみようかなと勉強してく中で、ま、あの資格もはい。 うん。 取得をするっていうところとか、あとはそうですね、中国のお茶の産地に家族に行ってもいいかと相談して、で、なんとかこう調整をしてくれて、この前南省に 1人で行ってきました。はい。 1 台地なんですけどお茶のうん。 面白い教授がいるっていうことで 云々症に うん。 お茶について何十年も研究してる大学教授に愛に云々難所に行ってきましたね。 ものすごく奥深い世界で知れば知るほどこれは知りきれないんじゃないかとは思うんですけどただ勉強するっていうことを元々好きだったりもするので方のこうお話を聞きながらお茶の世界の奥深さを今勉強しているということもしています。 うん。なるほどなるほど。 それもこう何かビジネスに発展するところがあるのかもしれないですね。 え、もしかしたらまだちょっと準備をしているっていうとこですね。はい。 はい。 ありがとうございます。 結構、あの、だいぶいい時間というか、すごく予定よりも時間取っちゃってすいません。なんかでもないです。こちらこそ。 なんかい、言い残したことというか、あるいはこう今後の仕事に向けてこうアピールしておきたいこととか何でもいいんですけど何かございましたらはい。 ないです。ありがとうござ ないですか?はい。 いや、せっかくなんで、じゃあ、あの、その芸能活動再開されるのであればこんなことなんかこう頑張りますじゃないですけど、こういうのやりますみたいな何でもやりますか?うん。 あの、なんかやっぱりこうスタフさん依頼をく方と うん。 こう対面をして はい。 どうして依頼をしてくださったのか はい。 何をしたらいいのかっていう話をお仕事の現場に行く前からコミュニケーションを取るっていうこと。 うん。が今までしたことないので、 まずはそれが楽しみですね。 あ、なるほどなるほど。確かに そうなんですよ。現場にもう本当にいろんな方に丁寧にお前立てをしていただいて当日にその場に書に行ってからのことしか私は知らないので うん。 その手前のとこでどんなお話が できるのか 番組を作ってる方とどんなコミュニケーションを取ってっていうところが楽しみですね。 うん。なるほどね。 はい。 分かりました。はい。 結構あのYouTube ってテレビでの収録とかと勝手が色々違うかもしれないですし、ま、リハックも YouTube の中でもちょっと特殊な番組かもしれないですが、あの 90 分以上話していましたが、いかがだったでしょうか? はい。 ご藤さんのこのな、何て言うんでしょう?柔らかさ。 はい。柔らかいすか? 柔らかいなと思いました。あの、きちんと聞いていただけかなきゃいけないことっていうのが今の私には すごく多かったと思うんですけれど、それは うん。 ま、あるし聞きづらいこともズバっと聞いていただいて、でもそれ以外はこのうん、なんか包み込んでいただいて、お話を聞いていただいてはい。あの、良かったなと思います。 [音楽] あの、 ありがとうございます。 なんて言うんでしょう?こうニュースみたいな話は慣れてるんですけど、芸能人の方と話すのとか本当慣れてないので、あの、ま、破綻しても知りませんよぐらいの感じで、あの、オファー受けてそれでもいいんだったなっていう感じでのこのことさせていただいたんですけれども、 どうもありがとうございます。ご父さんに聞いてもらってよかったです。ありがと。 いや、でもやっぱりなんかお話伺ってて、その過去とそれからここの 2、3 年間の話とこれからっていうのがすごくやっぱこう繋がるところも多いなと思ってですね。 ま、必死に走ってたその、え、芸能生活時代ただそのやっぱりその箱入り娘から出したいっていうのは 1 つのこう今日のキーワードだったような気もしていて、それがその、ま、これからのあの芸能活動 2.0 というかその事業っていうことに関しても自主性みたいなところがあのすごくあるなと思って聞いてみきしてる視聴者の方々もこう勇気づけられるところが多いんじゃないかなと思 思いますね。今って本とその 1 つの会社にもずっと勤務めてることが不安な時代になってきてるのでずっと会社にいるつもりだったけどもこのままじゃダめだとで 1年発起して30代とか場合によって最近 40 代でも初めての転職って増えてるんですけどそういうこう決断行動悩みでいろんな実績があっても新しいことにこう失敗を恐れず挑んでくっていうのは今増えてることだしそういう勇気を持つこと って大切な気もするんですよね。なのできっと、ま、今日の話はな、何て言うんでしょう?そういう幅広いビジネスパーソンあるいはこう子育てしながら働く人にも刺さる内容になったんじゃないのかと勝手に思っております。 [音楽] はい。そうなっていたら はい。 はい。 こんなに嬉しいことはないです。はい。 そうなっているんでしょうか? そうなってたら本当に嬉しいですね。 はい。 ありがとうございます。 じゃあ、えっと、本当にこれからのですね、え、芸能活動 2.0 と新しい授業はまだちょっとあの、定中ということで内容はまだわかんないですけども、あの、うまくいくことお祈りしておりますので、はい、今日はじゃありがとうございました。 ありがとうございました。 [音楽] [音楽] [音楽]
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今回は、約2年の活動休止を経て再始動した小島瑠璃子さんにお越しいただき
ブレイクの原点、芸能活動休止の決断、中国留学、そして結婚・出産・夫の急逝を乗り越えて、
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出演者:小島瑠璃子
後藤達也(元日経新聞記者 ジャーナリスト)
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