#落語 #かまいたち #山内健司#ケンドーコバヤシ「肖像権問答」「売れねぇと思ってたやつ」
[音楽] [拍手] 肖権問答。え、どうもどうも。最近はね、 人の顔にも値段がつく時代でして、昔は顔 が売れてるなんて言葉は褒め言葉だったの に、今じゃ顔が勝手に売られてるって話が ある。便利な世の中になったけども勝手に 便利にされたらたまんない。いやね、ある 日芸人の山内さんがスマホ見てたらあれ ってなったんだそうです。自分の顔が 見覚えのない薬局の広告に出てる。 ダイエット商品ですよ。しかも構いたち 山内も愛用って書いてある。いやいや、 山内さん愛用どころか知らんがな。て変は そんなもんで山内さんあれこんなとこで俺 痩せたことになってると芸人がネタで太っ たり痩せたりするのはいいけど勝手に商売 に使われちゃ笑えないで吉本のホームが出 てきてオタクどういううちのタレントの顔 を使っとるんですかと薬局もいやちょっと 文言を変えたんで、政府かとってどこの ルールだよ。文言書いたら政府って泥棒が 今日からお借りしましたって言ってるんで 犯罪じゃないですようなもんだ。しかもね 、その薬局よりによってダイエット商品に 山内さんを使った。相方の浜が行ったん ですよ。なんでよりによって山内やねん。 中村安さんとかなら分かるけどって。 これがまた的確。世の中には肖像権以前に イメージの敵材的ってもんがある。そりゃ 山内さんも起こりますよ。中村あんなら 使わへんくせに俺ならええやろって思っ てるやろって。そうそう。これが日本人の 悪い癖。まあこの人なら怒らないだろうっ て線引きが甘いんです。芸人だから笑って 済ませてくれると思ったんでしょうけど、 芸人の顔だって商売道具です。包丁職人の は勝手に使うようなもんですよ。で、これ がすごいのは吉本のホームが動いたって とこですよ。普段芸人のトーク番組のノり でうちのマネージャーがっていうのは聞く けど、ホームが動いたってのはなかなか 聞かない。いかにも吉本が本気出したって 感じ。もうホームが歩くだけでBGMに ドンドンってなってそうだね。でもね、 この話ただの肖像権の問題にとまらない。 現代のガルさんの象徴でもあると思うん ですよ。写真も言葉もコピペッ感覚で使う 。昔は看板絵描くにも職人が1匹ずつ描い てたんですよ。今はAIがパッと作る。 本人の許可取りました?って聞いたら、え 、ネットにありましたよって。いや、 ネットは許可症じゃない。勝手に載せて 勝手に宣伝。こういうのがまかり通るのは 便利の代償です。便利になるほど人は めんどくさいことご視する。確認、連絡、 許可全部すっ飛ばしてこれくらいならいい でしょの連続で面白いのはね、浜が山内 使っても売れへんでって言ったとこ。あれ 通列ですよ。つまり売る気があるのか 疑わしいって。もしかしてその薬局本気で 売りたくなかったのかもしれない。逆に うちの商品うさ臭く見せたいってなら天才 ですよ。広告としては。でもそれを逆手に とってタレントの顔を無断使用したらこう なりますよと。山内さんが全国ネットで 話した時点でその薬局全国の反面教師です よ。まさに笑いで殴る制裁。男子師匠なら こいうでしょうね。バカ野郎。笑いにし ちまった時点でお前の勝ちだよ。そう。 怒りを笑いに変えるってのは芸の極み。 怒りのエネルギーをそのまま放つと喧嘩に なる。でも笑いに変えたら人を動かせる。 薬局だって今頃やべえ。公務部も怖いけど 世間の笑いがもっと怖いって思ってるはず 。ただね、これ他人ごとじゃない。俺たち もSNSで勝手に写真載せてる。この人と 飲みましたって。相手がえ、供給身って嘘 ついたのにてなったらそれも一種の肖像権 侵害です。だからね権ってのは芸能人だけ の問題じゃない。 人の顔に許可という見えない寝札が ぶら下がってる。結局のところ世の中顔の 使い方が雑になってるんですよ。昔の人は 顔を立てる、顔を潰すなんて言ったもん です。今は顔を拡散する。いい加減に しろっての。で、最後に1つ。もし次に誰 かが俺の顔を勝手に広告に使ったらそりゃ もう訴えないですよ。むしろ自分で 書き換えてやりますよ。この商品使って ません。でも聞くかもしれません。でね、 これが現代の落語化の生き方。怒るより 笑いで返す。だってね、笑いってのは人の 顔を救う唯一の権利だから。 お後がよろしいようで2幕目売れねえと 思ってたやつ。いやあ、世の中ってのは 分からねえもんだよな。だってよ誰が ハリウッド師匠が売れるなんて思ってた。 あの全身タツみたいな体でもまねとか言っ てるおっさんだぜ。普通なら コンプライアンスのゴミ箱に投げ込まれて 終わりだ。 今回の話の発端は剣道小林。けこばが言っ てんだよ。雑魚師匠は無理やろなと。おい 、そこみんな思ってた顔すんな。あんたも 思ってたろ。俺だって思ってたよ。いや、 思ってたっていうか売れるって言葉の意味 がどんどんわかんなくなってんのよ。昔は よ、売れるってのはちゃんとした芸をやる やのことを言った。話ゲーなら落語、漫才 なら店舗と間、コントなら構成 ところが今の時代売れるってのは何か 受けることをやったやつだ。中身なんて誰 も見ちゃいねえ。見てるのは切り抜き派と TikTokの秒数だ。雑魚師匠が ブレイクした時もな。俺は思ったのよ。 ああ、今の日本はもう笑いのガソリンが 狂気で動いてるんだなって。で、健康場だ よ。あの人は自分で言ってんだ。自分は 行けると思ってたって すごいよな。自分で自分を信じる。これは 芸人にとっちゃ1番大事なガソリンなんだ 。だけどそのガソリンもよ、満タにし すぎると爆発すんだよ。けコ場画がまだ 売れなかった頃、深夜でわけのわからねえ コとやってた。筋肉ケージとかエロ坊ーズ とかあれ俺が審査員なら即出勤でも今じゃ そのバカ正直さが芸になってる。人間って のは不思議なもんで真剣にバカやってる やつが最後には1番かっこいいんだ。で、 雑魚師匠。あいつはもはや説明不能の世界 。故蝶もまねっつって桑た啓介を出たらめ に歌ってるだけ。でもそれが受ける。なん でか時代が疲れてんのよ。疲れた人間は もううまいなんて求めてない。わけわかん ねえけどすっきりするってのを求めてんの ?温泉でも瞑想でもなく雑魚なんだよ。 癒しが赤熱がみんな思ってたよ。売れな いってって笑ってたけどさ、あの人の時代 は努力が報われるってまだ信じられてたん だ。でも今は違う。ずれてる奴が救われる 時代だ。そう考えるとけコ場と雑コ師って のは昭和と令和の接着面みたいな芸人なん だよ。昭和の根性と令和のバカバかしさ 両方持ってる。つまり笑いってのは進化し てるようで実は原点解棄してんだ。何も 考えず笑えるって最高の知性なんだよ。俺 が弟子に言うのよ。 芸人は分かってる風をやるな。分からねえ けど面白いをやれって。それができねえ やはいつまで立っても分かる人にしか受け ないゲをやってる。で、そういうやに限っ て世間が分かってないって言うんだ。違え んだよ。世間が分かってないんじゃない。 お前がずれる勇気を持ってねえんだ。 雑こしは無理やろなって言ったのは実は 自分へのツッコみでもあんのよ。あの人 自分も同じくらい行かれてるって分かっ てる。だからこそあいつは無理って言葉に どっか自分の不安がにんでる。人は他人に 言う言葉で自分の弱点を喋ってるもんなの よ。でもその無理やろなら売れた瞬間に 反転する。 あの時代の空気が変わった。それまでの芸 の正しさってやつが雑誌の顔面でぶっ壊れ たんだ。そういう意味じゃあの瞬間笑いの 歴史が1個ずれたのよ。多分落語の歴史も そうだったんだ。最初にくすぐりを入れた やがいた時、あいつは落語を壊してるって 言われたろうな。でも今それがガになって んだ。つまり笑いってのは非常識の理例な んだよ。非常識が次の常識になる。その 繰り返し で次に無理やろなって言われてるやまた次 の革命を起こすんだ。そう考えると売れ ないと思ってたって言葉。これ世の中の 希望なんだよな。だって売れないと思われ たやつが売れるってことは 今無理やろなって言われてるあんたにも チャンスがあるってことだ。だから今日の 落ちはこうだ。無理やろなって言葉を言わ れた時こそ芸人のスタートラインなんだよ 。売れないやつほど笑いの未来を握ってる 。え、俺、俺も昔男子に言われたよ。お前 は無理だって。で、今うるせえ。まだ途中 だよ。 [音楽] [拍手] [音楽] ສ
@落語 #かまいたち #山内健司#ケンドーコバヤシ「肖像権問答」「売れねぇと思ってたやつ」
「肖像権問答」
──えー、どうもどうも。最近はねぇ、人の顔にも値段がつく時代でして。昔は「顔が売れてる」なんて言葉は誉め言葉だったのに、今じゃ「顔が勝手に売られてる」って話がある。便利な世の中になったけども、勝手に便利にされたらたまんない。
いやね、ある日、芸人の山内さんがスマホ見てたら、「あれ?」ってなったんだそうです。自分の顔が、見覚えのない薬局の広告に出てる。ダイエット商品ですよ。しかも「かまいたち山内も愛用!」って書いてある。いやいや、山内さん、愛用どころか知らんがな。使ってへんわそんなもん。
で、山内さん、「あれ? こんなとこで俺、痩せたことになってる」と。芸人がネタで太ったり痩せたりするのはいいけど、勝手に商売に使われちゃ、笑えない。で、吉本の法務部が出てきて、「お宅、どういう了見でうちのタレントの顔を使っとるんですか」と。薬局も「いや、ちょっと文言を変えたんでセーフかと…」って、どこのルールだよ。
「文言変えたらセーフ」って、泥棒が「今日から“お借りしました”って言ってるんで犯罪じゃないです」って言ってるようなもんだ。
しかもね、その薬局、よりによって“ダイエット商品”に山内さんを使った。相方の濱家が言ったんですよ、「なんでよりによって山内やねん。中村アンさんとかなら分かるけど」って。これがまた的確。世の中には肖像権以前に、“イメージの適材適所”ってもんがある。
そりゃ山内さんも怒りますよ。「中村アンなら使わへんくせに、俺ならええやろって思ってるやろ」って。そうそう、これが日本人の悪い癖。“まあ、この人なら怒らないだろう”って線引きが甘いんです。芸人だから笑って済ませてくれると思ったんでしょうけど、芸人の顔だって商売道具です。包丁職人の刃先を勝手に使うようなもんですよ。
で、これがすごいのは、「吉本の法務部が動いた」ってとこですよ。普段、芸人のトーク番組のノリで「うちのマネージャーが」って言うのは聞くけど、「法務部が動いた」ってのはなかなか聞かない。いかにも“吉本が本気出した”って感じ。もう法務部が歩くだけで、BGMに「ドーン、ドーン」って鳴ってそうだね。
でもねぇ、この話、ただの肖像権の問題にとどまらない。現代の“軽さ”の象徴でもあると思うんですよ。写真も言葉も「コピペ」感覚で使う。昔は看板描くにも職人が一筆ずつ描いてたんですよ。今はAIがパッと作る。「本人の許可取りました?」って聞いたら、「え、ネットにありましたよ」って。いや、ネットは許可証じゃない!
“勝手に載せて勝手に宣伝”──こういうのがまかり通るのは、便利の代償です。便利になるほど、人は“めんどくさいこと”を軽視する。確認、連絡、許可──全部すっ飛ばして“これくらいならいいでしょ”の連続。
で、面白いのはね、濱家が「山内使っても売れへんで」って言ったとこ。あれ、痛烈ですよ。つまり“売る気があるのか疑わしい”って。もしかしてその薬局、「本気で売りたくなかった」のかもしれない。逆に「うちの商品、胡散臭く見せたい」って。なら天才ですよ。広告としては。
でもそれを逆手に取って、「タレントの顔を無断使用したら、こうなりますよ」と。山内さんが全国ネットで話した時点で、その薬局、全国区の“反面教師”ですよ。まさに、笑いで殴る制裁。
談志師匠ならこう言うでしょうね。「バカヤロウ、笑いにしちまった時点でお前の勝ちだよ」。そう、怒りを笑いに変えるってのは芸の極み。怒りのエネルギーをそのまま放つと喧嘩になる。でも、笑いに変えたら人を動かせる。薬局だって今ごろ、「やべぇ、法務部も怖ぇけど、世間の笑いがもっと怖ぇ」って思ってるはず。
ただね、これ、他人事じゃない。俺たちもSNSで勝手に写真載せてる。「この人と飲みました〜」って。相手が「え、今日休みって嘘ついたのに!」ってなったら、それも一種の肖像権侵害です。だからね、肖像権ってのは、芸能人だけの問題じゃない。人の顔に、“許可”という見えない値札がぶら下がってる。
結局のところ、世の中、顔の使い方が雑になってるんですよ。昔の人は“顔を立てる”“顔をつぶす”なんて言ったもんです。今は“顔を拡散する”。いい加減にしろっての。
──で、最後にひとつ。もし次に誰かが俺の顔を勝手に広告に使ったら? そりゃもう、訴えないですよ。むしろ自分で書き換えてやりますよ。「この商品、使ってません! でも効くかもしれません!」ってね。これが現代の落語家の生き方。怒るより、笑いで返す。
だってねぇ、笑いってのは、人の顔を救う唯一の権利だから。
──おあとがよろしいようで。
2幕目
「売れねぇと思ってたやつ」
いやぁ、世の中ってのは、わからねぇもんだよな。
だってよ、誰がハリウッドザコシショウが“売れる”なんて思ってた? あの、全身タイツみたいな体で、「誇張モノマネ」とか言ってるおっさんだぜ。普通ならコンプライアンスのゴミ箱に投げ込まれて終わりだ。
で、今回の話の発端は、ケンドーコバヤシ。ケンコバが言ってんだよ、「ザコシショウは無理やろな」と。
……おい、そこ、みんな思ってた顔すんな。あんたも思ってたろ。俺だって思ってたよ。いや、思ってたっていうか、「売れる」って言葉の意味がどんどんわかんなくなってんのよ。
昔はよ、売れるってのは“ちゃんとした芸”をやる奴のことを言った。話芸なら落語、漫才ならテンポと間。コントなら構成。
ところが今の時代、売れるってのは「何かウケることをやった奴」だ。中身なんて誰も見ちゃいねぇ。見てるのは「切り抜き映え」と「TikTokの秒数」だ。
ザコシショウがブレイクした時もな、俺は思ったのよ。
――ああ、今の日本はもう、笑いのガソリンが“狂気”で動いてるんだな、って。
で、ケンコバだよ。
あの人は自分で言ってんだ。「自分はいけると思ってた」って。
すごいよな。自分で自分を信じる。これは芸人にとっちゃ、一番大事なガソリンなんだ。だけど、そのガソリンもよ、満タンにしすぎると爆発すんだよ。
ケンコバがまだ売れなかった頃、深夜番組で訳のわからねぇコントやってた。
「筋肉刑事」とか「エロ坊主」とか、あれ、俺が審査員なら即、出禁。
でも今じゃその“バカ正直さ”が芸の芯になってる。人間ってのは不思議なもんで、真剣にバカやってる奴が、最後には一番カッコいいんだ。
で、ザコシショウ。
あいつはもはや“説明不能”の世界。
誇張モノマネっつって、桑田佳祐をデタラメに歌ってるだけ。でもそれがウケる。
なんでか? 時代が疲れてんのよ。
疲れた人間は、もう「上手い」なんて求めてない。
「わけわかんねぇけどスッキリする」ってのを求めてんの。
温泉でも瞑想でもなく、“ザコシ”なんだよ、癒しが。
関根勤が「みんな思ってたよ、売れないって」って笑ってたけどさ、あの人の時代は“努力が報われる”ってまだ信じられてたんだ。
でも今は違う。“ズレてる奴が救われる”時代だ。
そう考えると、ケンコバとザコシってのは、“昭和と令和の接着面”みたいな芸人なんだよ。
昭和の根性と令和のバカバカしさ、両方持ってる。
つまり、笑いってのは進化してるようで、実は原点回帰してんだ。
“何も考えず笑える”って、最高の知性なんだよ。
俺が弟子に言うのよ。
「芸人は“わかってる風”をやるな。“わからねぇけど面白ぇ”をやれ」って。
それができねぇ奴は、いつまで経っても「わかる人にしかウケない芸」をやってる。
で、そういう奴に限って、「世間がわかってない」って言うんだ。
違ぇんだよ。世間がわかってないんじゃない。お前が“ズレる勇気”を持ってねぇんだ。
ケンコバが「ザコシは無理やろな」って言ったのは、実は“自分へのツッコミ”でもあんのよ。
あの人、自分も同じくらいイカれてるってわかってる。
だからこそ、「あいつは無理」って言葉に、どっか自分の不安がにじんでる。
人は他人に言う言葉で、自分の弱点をしゃべってるもんなのよ。
でも、その「無理やろな」が“売れた瞬間”に反転する。
あの時代の空気が変わった。
それまでの「芸の正しさ」ってやつが、ザコシの顔面でぶっ壊れたんだ。
そういう意味じゃ、あの瞬間、笑いの歴史が一個ズレたのよ。
たぶん落語の歴史もそうだったんだ。
最初に“くすぐり”を入れた奴がいた時、「あいつは落語を壊してる!」って言われたろうな。
でも今、それが“型”になってんだ。
つまり、笑いってのは“非常識のリレー”なんだよ。
非常識が次の常識になる。その繰り返し。
で、次に「無理やろな」って言われてる奴が、また次の革命を起こすんだ。
……そう考えると、「売れないと思ってた」って言葉、
これ、世の中の希望なんだよな。
だって、「売れないと思われた奴」が売れるってことは、
今“無理やろな”って言われてるあんたにも、チャンスがあるってことだ。
だから今日のオチはこうだ。
――「無理やろな」って言葉を言われた時こそ、芸人のスタートラインなんだよ。
売れない奴ほど、笑いの未来を握ってる。
……え? 俺?
俺も昔、談志に言われたよ。「お前は無理だ」って。
で、今?
うるせぇ、まだ“途中”だよ。
