2025年10月5日 朝の礼拝式
[音楽] [音楽] ສ [音楽] 帝国が参りました。市野2025年10月 5日朝の礼拝式前走を持って行きます。 [音楽] ふ 。 [音楽] 礼拝への招き 主に向かって喜び歌の救いの岩に向かって 喜びの叫びをあげよう。見舞いに進み感謝 を捧げ額の根に合わせて喜びの叫びを あげよう。主は大いなる神。全ての神を 超えて大いなる王。深い地の底も手のうち にあり、山々のいきも主のもの。海も主の もの。それを作られたのは主。陸もまたに よって形作られた。私たちを作られた方主 の見舞に膝まずこう共にひれし不拝も主は 私たちの神私たちは主の民主に養われる 群れのうちにある羊今日こそ主の声に聞き 従わなければならない栄光の死なる神を 賛備いたしましょうの546番です。ご 記立できる方はご記立ください。 [音楽] どうぞお座りください。 栄光の失は完全に正しいお方。どんなに 小さな罪も意味に嫌われ怒りをすがります 。しかし同時に哀れ豊かなお方でもあり私 どもがその罪を素直に認め告白し許しを 求める時許してくださいます。まず礼拝の しりに従って先週間の罪を教会共同隊全体 で告白し許しを祈り求めましょう。愛する 兄弟姉妹、主イエスキリストの戒しめを 聞きなさい。心を尽くし、精神を尽くし、 思いを尽くしてあなたの神である主を愛し なさい。これが最も重要な第1の手である 。第2もこれと同じように重要であり、 臨人を自分のように愛しなさい。立法全体 と予言者はこの2つの置き手に基づいて いる。また次の約束の御言葉を聞きなさい 。自分に罪がないというなら自らを欺て おり心理は私たちのうちにありません。 自分の罪を公けに言い表せなら神は真実で 正しい方ですから罪を許しあらゆる富義 から私たちを清めてくださいます。です から今人の心を探りられる神の見舞に罪を 告白しましょう。 ご一緒に物作り主全ての人のさき主であらゆる神を [音楽] 私たちはあなたのせいなるしめに従わず 失われた羊のように見舞いで 思いと言葉と行いにおいて罪を犯かし [音楽] あなたの見怒りを招いたことを深く悲しんでおります。 荒れに飛んでおられる父を犯かした罪を憎み悲しむ私たちにみを注いでください。 主 イエスキリストにおいて私たちを許し見たによって生まれ変わらせ皆の境のために生きるものとならせてください。 主 イエスキリストの皆によってお祈りいたします。 あーメン。 ではしばらくしる神様の見舞いに静まって 心の中で何か実の罪があればそれを心の中 で告白し許しを祈り求めましょう。 十字架と復活の主キリストによる罪の許し の宣伝。あなた方は各々真心から自分の罪 を食いイエスキリストにおいて提供された 神のあれみを許しに寄りすがろうとしてい ます。 このように心から食い改めてイエスキリストによりすがる人には父とこと精霊の皆によって罪の許しを宣言します。ご一緒に [音楽] あーメン。 主キリストによる罪の許しの恵みをいただいて教会の 3つの重要な文章問首都信心 10 回主の祈り順で感謝を持ってきてまいりましょう。文言は子供の教会版です。 首都信 はこの世界をお作りになった主何でも できるお父さん神様を信じます。私は お父さんのたった1人の子私たちの救い主 イエスキリストを信じます。イエス様は 精霊によって宿り乙女マリアから生まれ 本テオピラトの元で苦しみを受け十字架 につけられて死にお墓に入れられ読みに 下り3日目に死んだ人の中から復活し天に 登って何でもできるお父さん神様の右の席 に座っておられます。そして永遠の命を いただくものと滅びるものをさくために また来られます。私は精霊を信じます。聖 なる1つの教会、信じる人の交わり、罪の 許し、体の復活、永遠の命を信じます。 あーメン。実 は主、あなたの神エジプトで奴隷になって いた。あなたを自由にした神であり。 あなたは私の他に神があってはならない。 あなたは神の姿を形にしようとしてはならない。 あなたの神主の名をふざけて口にしてはならない。 [音楽] 安足に大切にし神のたに使いなさい。 あなたの父母を敬いなさい。 殺そうとしてはならない。 してはならない。盗んではならない。臨人について嘘を言ってはならない。 [音楽] 臨人の持ち物を欲しがってはならない。 主の祈り。 天にいらっしゃる私たちのお父さん。 あなたのお名前が褒めたえられますように、あなたの国が来ますようにあなたの考えが天で行われる通りこの地上でも行われますように私たちに毎日必要なものを今日も与えてください。 [拍手] [音楽] 私たちの罪をお許しくださって私たちも人を許すことができるようにしてください。 私たちを悪い誘いに合わせ悪いものから救ってください。 国と力と栄光はつまでもずっとあなたのものです。 あーメン。 では今朝の家庭キズムの歌 62番から65 番それぞれ大きな国の木の下のメルディで歌いましょう。 [音楽] 1つ目の道め あなたにとって聖書 の神様がた1人の神様よ。誠の神様1人 だけ 1人 の神様を礼拝 いたしましょう。他には何も頼らずに めの道め どんな 形 を作ら ないこと あなたが礼拝するために 誠の神様は見えません。 見えない方をちにすると正しく礼拝できません。 [音楽] それではご起立できる方はご立いただき御言葉を持っていける誠のた 1 人の神様を賛備いたしましょう。変化の第 24点です。 [音楽] 黄 [音楽] 死にるものみたいに住むのみが全て主ほどない主はそのい [音楽] [拍手] [音楽] リスの上 に たし ゆに 主の山 に登り 聖に立つわたぞ 心 も記憶 いつわ ず 虚しき ものには 心 を寄せるもの [音楽] きっとは主 祝福 の恵み 救い のを受けよし [音楽] ヤコブ の神 の 身かを塗る こし [音楽] のよ 長 でああげよう [音楽] 動きから [音楽] は誰なるか 戦戦いに [拍手] 地強き主 [音楽] なりしえ のとよ でああげ え、心のきたら 音は誰 か軍 の主 は 三境 の どうぞお座りください。 お祈りをいたしましょう。 聖のかな。聖のかな?聖のかな?番軍の主 み父と巫女精霊なる密にして1つなる神よ 。 あなたは祝福に満ちた唯一の主権者王の王 主の主唯一の不の存在 近寄りがい光の中に住まれる方誰1人見た ことがなく見ることのできない方ほまれと としの主験はあなたのものです。 天皇の父をあなたの愛と恵と哀れみに満ち 溢れるご支配の店の中で 市の2025年も10月を迎えて最初の日 安足日をこの地上にあって迎えることが 許されました。 今年はかなり期間猛暑所の日が続きました けれども急に飽きくなってまいりました。 この急激な季節の変わり目体調を崩しです からあなたの支えを心からお願いいたし ます。 またすでに台風の季節を迎えております。 あなたのアーレム高のご主を心からお願い いたします。 天皇座にます復活のよ。 あなたはこの暗足日も 招きの御言葉によってこの地域の様々なところからこの街道にこのように私どもをお集めくださいました。今私どもはあなたの十字架の死による罪の許しの恵みの中で [音楽] 誠になる聖なる天の父地の見に平安のうちに都うぐされその天の父のカを見ることが許されております。 今天井にあってもあなたへと喜びの礼拝が 下げられております。 数えきれない天使の大軍すに天に召された 数えきれない信仰の先輩がともに今この 地上の街道にあってハレルヤとあなたを 礼拝できますこと心より感謝いたします。 しかし市場の私どもは天井の先輩とは違い まして未だ罪に汚れており 先週も罪と戦いで魂疲れ果て傷つき弱 終弱って今ここに戻ってまいりました。 あなたはそんな私どもに宣言くださいます 。 私は復活であり命でありを信じるものは 死んでも生きる。生きていて私を信じる ものは誰も決して死ぬことはない。 アーメン。ですよ。私もうちに雇っておら れる精霊にあってあなたを通して天の父と 居かに交わることが許され、 アナトの永遠の命の交わりの中で私も 魂やされ、慰められ励まされ元気づけられ ますこと心より感謝をいたします。 見たなる清き神よ。願うかこの後の聖書の 御言葉の朗読特に説教を手段としてまた 本日は生産の霊点を手段として巫女イエス キリスト並びに恩とのいよ豊かな交わりを お与えください。 そして巫女イエスキリストにあって罪許さ れて永遠に生かされているその喜びで 満たしてくださり 勇気と平安豊かにお与えくださってこの 世界へと新たに派遣くださいますよう心 からお願いをいたします。 主をなきして取り行賄っております桑道の 礼拝式の豊鷹に祝福してください。本日 後代に派遣されている中先生による言な 説教を通してまた生産の霊点を通して不な 街道に集うお1人1人にもあなたの交わり が豊かでありますように 選教の主年と3ヶ月 あなたが派遣くださったこの北製地方での 選教の身が豊かに盗んでいくことができる ようにしてください。 1人でも多くの進仰国戦でおける方、 ニュー入加入なさる方を起こしてくださっ て、この四日市の群れ、またクアナの群れ が主キリストの体にしくいよいよしっかり と作り上げられていくことができるように してください。 平和の王よ、今朝の地上の平和のため取り なしの祈りを下げます。今週もこの世界に 主イエスキリスト中心の平和豊かにお与え ください。 願くは政治の務めを託された方々、特に 各国のリーダーたちを確別に帰りて ください。 今この世界は化しております。この傾向は 今後も世の割に向かっていよいよ激しく なっていくことでありましょう。 は2つのものを1つにし、ご自分の体に おいてヘトの壁を取り壊してくださった主 よ、あなたのこの世界を豊かに哀れんで くださいますように 人類が争いよ核を用いて解決する愛な手段 を選択するようなことがありませんよう 悪魔の声を知り解けてください。地道な 話し合いによって今様々な紛争の解決に心 と力を尽くしている関係者を助けて ください。私どももなの祈りを忘れること なく平和実現のためにあなたの子供として 老することができるようにしてください。 様々な自然災害や人材によってこの地上 多くのたちが被災しておられます。主豊に 周りに助けてください。先日の四日市集中 合雨で水害にあった市民の方々を豊かに 周りに助けてください。 北朝鮮によって拉致された方々がそれぞれ のご家庭に一刻早く立ち帰えることが できるようどうか主与その道筋を整えて ください。 の使用この改道での礼拝式に集われるお 1人1人 また今インターネットで在宅礼拝式に扱っ ているお1人1人 さらにはこの教会に関係するお1人1人 子供の教会の子供たちやその後ご家庭 それぞれに今週もあなたの祝福を居かに 急いでください。教会の契約の子供たちが 主にあって健やかに成長なさることができ ますように。 本日この礼拝式に出席できない方々を抑え てください。特に心に体に弱を覚えている 方々を伝え導いてください。 今施設にある方や自宅療用中の方、隣国 韓国で両用中の選挙を特にお守りください 。 本日気になる方もあなたが共に支えてください。この礼拝式を最後まであなたの恵み会み手にお入で出にいたします。主の皆によって感謝して祈ります。 あーメン。 あメん。 それではご述できる方はごいただいて賛日美化 286 番持ってなる神イエスキリストを賛備いたしましょう。 [音楽] では今朝の神の神イエスキリストからの 語りかけに耳をお傾けましょう。今朝は 新約聖書コリントの新への手紙に第4章の 16節から18節の御言葉新約聖書の 329ページをお開きください。 オリントの新の手紙に第 4章の16節から18 節、日本聖書協会新共同薬聖書で朗読をいたします。 だから私たちは楽胆しません。例え私たちの外なる人は衰えていくとしても私たちのなる人は日々新たにされていきます。 私たちの一時の軽い観難は比べ物になら ないほど重みのある永遠の栄光をもたらし てくれます。 私たちは見えるものではなく見えないもの に目を削ぎます。見えるものは過ぎ去り ますが見えないものは永遠に存続するから です。以上でございます。 では皆さんハレルヤ。 ハレ。 ハレルヤ。 主エスキリストは全世界の誠の王様であります。十字架の日から復活なさって罪の力、主の力、またこの世の帝王、悪魔の頭を打ち砕いてくださいました。そして勝利の王様として天皇と凱旋なさったのであります。 ですから皆さんスルスムコルダ スムコルダ 今こそ私たちの心を高くその天皇勝利の様主エスキリストへとあげましょう。またその主耶エス様は今目には見えません。しかし精霊にあって今この礼拝式の場にもお越しでございます。何より私たち 1人1人の宿ってくださっておらます。 さあ、この方から命のパン、見言葉いただいて、また本日は生産のパンと逆月きもいただいて私たちの父である神と主キリストからの恵みはこの交わりに豊かに預かってまいりたい。そのように願います。改めておはようございます。 おはようございます。 え、無理かな?パス無理だ。さ、無理だ。 今私はですね、え、パウロ先生とは違い まして、あることでちょっと落胆してるん ですね。 NHK朝の連続テレビ小説のアンパンが 終わってしまったからでございます。 ま、いわゆるアンパンロスといった症状 じゃないかなと思うんですが、 このドラマは今でも子供に絶大な人気の アンパンマンの原作者 柳瀬孝志さん夫婦をモデルといたしました 。あ、柳内孝志と信ぶとの物語でござい ます。 で、このドラマをきっかけにしてですね、 私の本棚にアンパンマンの原作の絵本が ございました。これなんですけれども、 これを13年ぶりに読み返してみたんです ね。 で、最初にこれ読んだ時には全く気にも 止めなかったことなんですが、ま、その ドラマを見たせいかと思います。 後書きに原作者のあの柳瀬孝志先生がです ね、後書きを書いていらっしゃるんですが 、それが大変よく分かったんです。で、ご 紹介したいと思います。前の方にも 映し出されていると思いますが、このアン パンマンについてというので 子供たちと 同じに僕もスーパーマンや仮面が大好きな のですがいつも不思議に思うのは大格闘し ても着ているものが破れないし汚れない。 誰のために戦っているのかよくわからない ということです。 本当の正義というものは決して格好のいい ものではないし、そしてそのために必ず 自分も深く気つくものです。 そしてそういうステミの心なくしては正義 は行えませんし、また私たちが現在本当に 困っていることと言えば物価高や公害上と いうことで正義の超人はそのためにこそ 戦わねばならないのです。 アンパンマンは夜景小え、夜景小芸だらけ のボロボロの焦げ茶色のマントを着て ひっそりと恥ずかしそうに登場します。 自分を食べさせることによって植える人を 救います。それでも顔は気楽そうに笑って いくんです。 さて、こんなアンパンマンを子供たちは 好きになってくれるでしょうか?それとも やはりテレビの人気の方がいいですか?と こういう枠なんですね。 このアンパンマンが初めて登場しましたの は1976年でありまして、その頃私は中 学校の2年生でございました。 で、それ以前のですね、もう幼い頃から、ま、私の中のヒーローといえばやっぱりウルトラ兄弟とかですね、仮面ライダーだったですね。焼け焦げだらけのボロボロの焦げ茶色のマントを着てひっそりと恥ずかしそうに登場するヒーローだなんてやっぱ私も向きもしなかったんです。 まあ、見てくれというか、外見のかっこ いいヒーローたちが私の心をわし掴みで ありました。 で、そういうだけでやはり私たちはその目 に見えない中身のかっこよさと言いますか 、中身のその素晴らしさということよりも その見てくれのかっこよさとか外見の 素晴らしさ、ここに心を奪れやすいのでは ないかとそう思います。もう目に見える だけにですね、心を奪われやすい。 で、この本日の聖書箇所にてパウロ先生は 見てくれに心を奪われやすい私たちに対し て本当に見つめるべきものは何なのか、 目を急ぐべきものは何なのか。これを 改めて教えてくれています。 ちなみにその見てくれという言葉、え、 国語辞書で調べてみますと新しい気づき ました。 え、見てくれの件ですね。あ、語言でありますが、 さあ、これ見てくれなんですね。さあ、これ見てくれ。見てくれっていうのはさあ、これ見てくれ。これが語言だそうであります。ま、今日 SNS によるその見てくれ社会の中で本日の見は本当に大事だと思っています。 さて、第4章16節 だから私たちは落胆しません。例え私たち の外なる人は衰えていくとしても私たちの うちなる人は日々新たにされていきます。 冒頭のだからというのは直前の14節15 節を受けましてだからであります。 え、その14節、15節を意味します。 シエスを復活させた神がイエスと共に私たちをも復活させ、あなた方と一緒に見舞いに立たせてくださると私たちは知っています。 全てこれらのことはあなた方のためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満て神に栄光をするようになるためのです。だから私たちは楽胆しません。 [音楽] なんですね。で、その音節のところちょっと言葉を補って丁寧に 行ってみたいと思います。 主エスキリストを十字架の日から、あ、十字架の日から 3 日目に復活させた父なる神様が主エスキリストに精霊によって次きされている私たちをも この世の終わりの時に 栄光の体へと復活させてくださって主神様の見舞感謝と喜びのうちに立たせてくださ [音楽] だからという風に文脈ではなってまいり ます。 で、パウロはですね、私たちの体のことを 7節のところでありましたが、土の器と 言いました。 で、10節では体ですね。 で、11節のところでは死ぬはずの好みと いう風にどんどん言い替えていってます。 で、この本日の歌所に至りまして外なる人っていう風に言い書いています。 人によって個人差があるかと思うんですが、私も、ま、完暦前後からですね、この外なる人、ま、つまりこれは精神も含めた体の衰え、これを急激に感じるようになりました。 ま、50歳前後とは違いまして、何が急激 に変わったか。 若い頃はですね、ちょっとつまづいても おっとと バランス取れてつまづくことはなかったん ですね。 これらもう最近ダメです。 何年か前のことでありますが散歩しており ました。もうつまづいてしまってですね。 偉い目にあったんですね。もうちょっとで 顔面打つとこでした。もう眼鏡も粉なに 砕けるとこだったんですね。 ま、体の捉えをこう内かざるを得ないん ですけれども、 しかし今そんな体であったとしてもやがっ てこの世の終わりが来ますと、 ま、その時、ま、死んでいるかすに死んで いるかまた生きているか全く分かりません が、 主耶エス様と精霊によって継きされている がゆえに 主様のような栄光の体へと復活させられて 、で主なる神様の見舞 でその時具体的にどんな体なのかこれ全く 分かりませんけれども、ま、少なくとも 永遠に衰えることのない体とされてまいり ます。 病気のない体とされてまります。 なので今は体のえで内かざるを得ないのか もしれませんけれども、ま、しかしその ことを思いますとショックをこう受けすぎ て何かする元気さえなくなってしまう。 そういうことはま、ないわけですね。 落胆がしないということです。 外の人が衰えても落胆しないのは この世の終わりの時の栄光の体で復活と いう本当に素晴らしい望みというものを 与えられているからなんですがそれだけで はございません。 例え体を衰えていても 主イエス様に精霊によって継撃されている ならばこれ実際に今起こっていることなん ですが 私たちのうちなる人は日に日に新たにされ ていっているというこのことがあるからで もございます。 栄光の体の復活へと向かって日に日に今 導かれているということですね。 で、この、16節のこの人とは何かという ことで、もういろんな理解がございます。 もう仲回読むといろんなことが書いてある んですね。 で、ま、それを1つ1つここで紹介、え、 説明していると、ま、おそらく皆さん こがってしまうと思います。 で、今回私はハイルベルク進行問答に添い まして、このうちなる人を新しい命を理解 したいと思います。 新しい命というのはこれは目に見えない ものでございます。 だからさあ見てくれとこう今ここでご紹介 することはできません。 ゆえにその見てくれもですね、言葉で表現 することはできません。 で、このうちなる人というのを新しい命と いう風に理解しますと、え、先ほどこの 外る人でございますけれども、これは もちろん体のことも言っておりますが、 貪欲によって支配されました、つまり罪に 汚れた古い自分、これも含まれてくること でありましょう。 ま、そういうわけでハイルウェイク進行 問答の後読をしたいと思います。 え、十字架の市から復活なさった主様に 政令によって追されて与えられてまいり ます霊的な利益。これが次のように言われ ておりますので問の43と問いの45の ところそこを皆さんえ答えるところを読 なさればと思います。 後ろの方見えますかね?と 43 十字架上でのキリストの犠牲とから私たちはさらにどのような駅を受けますか? この方のによって私たちは古い自分がこの方と共に十に捨てられんで葬ぐられるということです。 [音楽] それによって肉の邪悪な欲望がもはや 私たちを支配することなくて私たちは自分 自身を感謝の生贄と物へ捧げるようになる のです。で、の45 キリストの蘇に私たちにどのようなもたらしますか? 第1 にこの方がその読みによって死に打ち、そうしてご自身の死によって私たちのために獲得されたに私たちを預らせてくださるということ。 [音楽] [音楽] 第2その 私たちのやしい命に呼び覚されていると いうこと。大私 のキリストのは私たちの祝福に 確かな保障であるということです。はい、 ありがとうございます。 で、この新しい命というのは、ま、この ような終わりの時ですね。これは目に メールからとうわけでございますけれども 、ま、今は古い自分を含んでいるその外 なる人の中でこの新しい命あるいはうち なる人、ま、確かに呼吸をしておりまして 栄光の体になって現れてるということを ですね、ここの町にしているわけですね。 なので私たちは今この段階でこれが新しい 命ださあ見てくれということはできません けれどもこれは聖書の教えでございます。 聖書の教えである以上これは目には見え ませんけれども確かなことでありまして でこの聖書の教えに支えられて体が衰えて も楽胆することはないんですね。 またその貪欲に支配された古い自分を含む 外なる人が衰えるということ。これ決して 投げわしいことではないと思います。これ 逆に喜ばしいことですね。感謝なことにも なってまいります。だから楽胆することは ない。そういう風に言うこともできると 思います。 さらに例えその観難の中であっても落胆は しません。 この観難は苦難とか苦しみということでも ありますけれども 主なる神様がお与えくださる試練っていう 風にもういいことができます。 で、この試練には悪魔による誘惑もつき つきまとうということですね。なので、ま 、要警戒ですね。ま、このことは、え、 そのヤコブの手紙を説教した時にお伝え いたしました。 で、いろんな試練の中では主の祈りにある ように悪より救い出すためへとこう祈り つつ主イエス様に寄りすがるというこの ことが必要でございます。 主様は精霊によってご自分と追求されて いる私たちにご自分にあるイエス様にある 忍耐力これをもお与えください。 なのでパウロ先生はコリント教会に確信を 持って次のように書きました。これは コリントの新という手が1の方であります けれども、第10章の13節の見言葉 前の方に映し出されてるかと思いますが、 あなた方を襲った試練で人間として耐え られないものはなかったはずです。神は 真実な方です。あなた方を耐えられない ような試練に合わせることはなさらず、 試練と共にそれに耐えられるよう逃れる道 をも備えていてくださいます。 この野れの道をも備えてくだせるので、ま 、忍耐できるという風にも言うことが できると思います。 で、本日の歌手に戻って、今度17節の ところで パウロ先生はですね、 やが抵抗に輝く体とされて実現します。 新しい命なる人、 それと今の体が受ける観難とを比べまして 次のように教えています。17節 私たちの一時の軽い観難は比べ物になら ないほど重みのある永遠の栄光をもたらし てくれます。 今の体が受ける観難というものはこれは ほんの一時期に過ぎません。 新しい命は永遠なのであります。 そしてその新しい命が復活の体で実現して 受ける栄光に比べるならば 今の体が受ける観難というものは軽いん です。 警備であるほんのわずかといった ニュアンスの軽いですね。 で、それに比べまして復活の体が受ける 栄光というものは、 今は比べるものがないぐらいに重みがある 。 両者を天秤にかけるならばどちらがガタン と下がるかこれはも言うまでもないことに なります。 え、ちなみにこの重みというのは栄光が 満ち満ちているというニュアンスでござい ます。の思い、やがて実現する神の国は ですね、太陽や月も必要でないぐらいに神 様の栄光で満ち溢れているんですね。 で、さらに神の中でも落胆しないのはこれ 何よりも神様が 一時の軽い観難を用いてくださってで 私たちに比べ物にならないほど重みのある 永遠の栄光をもたらしてくださるからで ございます。 主なる神様はこの世における万事も全ての ことをですね、特に観難さえへ用いて救い にとって生としてくださるということです ね。 私たちは日常生活の中で受ける観難、ま、 苦難、苦しみ、あるいは試練の意味という もの、それをもう普段から 聖書に聞いてしっかりと学んで心。これは 大切なことでございます。 特に悪魔の誘惑に陥ってしまって主イエス 様から離れないためにもこれは大切なこと でございます。 本日礼拝の後避難訓練を行います。え、ご 協力できる方よろしくお願いしたいと思う んでありますけれども 魂の避難訓練というかこれ大切ですね。 もういざという時のために 聖書から私たちにとっての試練の意味これ を悟らさ、え、悟らされたいと思うので あります。 で、試練と聞くといつも私が思い起こす証 があります。 ま、すでに亡くなったクリスチャン作家の 三浦子さんの証なんですが、 翌大胆にもこんな風に書けるもんだなと いつも関心させられています。 もう彼女は病気の連続でございました。 そういう身の上の彼女だったからこそこれ はかけることなんでしょうね。ご紹介し たいと思います。 私はがになった時にティリの神はも作られ たという言葉を読んだ。 その時私は文字通り天から一戦の攻防が 放たれたのを感じた。 神を信じるものにとっては神は愛なので ある。その愛なる神がが作られたとしたら その癌は人間にとって必ずしも悪いものと は言えないのではないか。 私たちは苦難を取り違えて受け取っている のではないかと私はティリの言葉に思った 。 神のくださるものに悪いものはない。 私はベッドの上でいく度もそう呟いた。 するとこの癌という神からの贈り物が実に 意味のある素晴らしいプレゼントに思われ てきた。 不難だと思って受け取っていたその大きな 重は目を大きく開けてみると神からの 素晴らしい贈り物に変わっていたのである 。 いつしか私は妙な言い方だが私が度々病気 をするのはもしかしたら神にエコひ記をさ れているではないかと思うようになった。 私は配結格石カリエス対方針がと次々に たくさんのプレゼントを神から頂いてきた 。そしてそのために私は平安を与えられて きたのである。この平安を思うと私は全く 神の皆さとしか言いような気がする。 主イエスキリストに精霊によって続きされ ているが故えに 主様にある平安というものが三浦子さんに は与えられたということですね。 さて、本日のゴール18節でございます。 私たちは見えるものではなく、見えない ものに目をそぎます。見えるものは 過ぎ去りますが、見えないものは永遠に 存続するからです。 この手紙の文脈ですと、この見えるものと いうのは、ま、9節の血の内であって、 10節の体であって、で、11節の死ぬ はずの好み、そして本日の16節外の人と いうことになりますけれども、 パウロ先生はそういう目に見えるものでは なしに目に見えないもの、つまり打ちなる 人ですね。として比べ物にならないほど 重みのある永遠の栄光へと信仰の目を注ぐ このことの大切さを教えてくれています。 で、その理由というものは見えぬものが 過ぎ去ってしまいます。これは一時的と いうことです。過ぎ去るという一時的と いうことです。それに比べまして打ちる人 など今は目に見えないものは永遠に存する からとこのように教えてます。 しかし何より私たちが信仰の目をべきなの は この地上の私たちと精霊によって繋がって くださって今目には見えませんけれども 確かに天皇の王座にいらっしゃる主イエス キリストでございます。 結局この方に一緒の信仰の目をことをし ないで私たちのうちなる人にとまって しまうならばこれは結局自分自身を 見つめることになってしまいましてまた いつの間にか衰えく自分自身を見つめる ことになってしまいかねないのであります 。 やはり外になる人の衰えばかりが気になっ てしまって楽胆せざらを得なくなって しまう。 私たちが信仰の目を急ぐべきなのは私たち と繋がっていてくださる主様でございます 。 だけど牧士お言葉ですがイエス様は目に 見えないじゃないですか。どうやって目を 急ぐんですか?質問が帰ってくるかもしれ ませんね。いかがでしょうかね。 主エス様がこの地上におられた頃、ま、 弟子のペトロたちは主イエス様が天に 引き上げられる 目の前の主イエス様に自分たちの目を急ぐ ことができました。 ま、主イエス様を肉眼で見ることができた ということですね。 しかし今日の私たちには主様は目には見え ません。 そんな今日の私たちにとって主イエス様へ と信仰の目を削とよ。は一体どうすること なんでしょうか? それは このような主の日の礼拝を中心として また日に日に聖書の御言葉を読んで聞いて 主イエス様の皆によって祈ること。 もうこのことが目には見えない永遠に存続 する主イエス様へと信仰の目を削ぐことに なるんですね。 もう手段はこれしかないんです。 またあとすでに信仰告白受けた クリスチャンであるならば本日この後に 準備されている生産の0点これに預かる ことですね。 この礼拝式において また日に日に 聖書を読んで聞いて祈る。このことで主様 へと信仰の目を吸うことになるんです。 ま、私の経験からこういうことをですね、 習慣化させるということにはこれはもう いろんな努力とか工夫とかあるいは誘惑、 また自分の弱さとの戦いこれが必要だと 思います。 ま、しかしながらその1日24時間のうち でこういうシ様との交わりの時間を設ける ことができますと人生本当に楽しくなって くるんですね。また充実感覚えるんです。 是非 こういった礼拝式はもちろん日に日に聖書 を読んで聞いて祈るというですね、この ことを習慣化してくださればとそのように 願っています。 主様は今目には見えません。 で、この方の地上のご障害につきましては 、特に新約聖書の福印書のそれぞれに証言 されています。 エス様の最後は十字家系という 見てくれは本当にひどく悲惨極なく実にかこ悪い最後でございまして天の父の神様は地上のヒーローとか超人とはほど遠い救い主ストをに永遠 の地獄からの救い主として私たちにおし くださったのであります。 そして主様は あの十字架系という 今の世の中では比べるものがないぐらいに 重たすぎる大観難を受けてくださったので あります。 ここに都私たち1人1人を罪による永遠の 地獄から救うためご自身を犠牲となさって くださったのです。まさに素心でありまし た。 しかしその大観論の後天の地の神様は やはり今の世では比べるものがないぐらい に重みある栄光で満たしてくださって 十字架の死から復活させ天皇のお材と 引き上げてくださったのでございます。 さあこの方にこそ今週も信仰の目を 削ぎつけたいそのように願います。 え、この絵本のこのアンパンマンの結びは ですね、 アンパンマンは今日もどこかの空を飛んで いますなんですね。 でも主イエス様はどこかではないんです。 今日の天の王座に この世界を恵み深くご支配なさってます。 同時に今日もまた今週1日1日も 精霊によってこの方に追されてるがゆえに 皆さんを1人1人といつでもどこでも一緒 に行ってくださいます。主イエス様は そして主イエス様時が来るならば今度は皆 さんを1人1人へと永遠の栄光をもたらす ために今度は目にメールお姿で天からおい でくださいます。さあ、このお方にこそ 今週も信仰の目を削ぎ告げることができる ように祈りを合わせてまいりたい。その ように願います。 天皇座の主ですよ。 あなたの見た精霊を与えられて御言葉と 祈りを手段としてあなたに継れて歩むこと のできる幸いを心から感謝いたします。 そしてあなたが天の父の愛する独り子で あるが故え あなたと追されている私もも未だ罪に汚れ ておりますが 天皇父に子なく愛されて生きることの できる幸いを心から感謝をいたします。 私もこの後 あなたの見舞 へと派遣されてまいります。 この世は見てくれは腰筋でありますが中身 はど毛な狼である悪魔と悪霊どもで 満ち溢れております。 願が今週もその中にあってもあなたを仰ぎ てあなたの御言葉に信頼し復従しながら あなたが約束くださる栄光の見国を目指す ことができますよう 精霊にあって大共にいて助け導いて くださいますように心からお願いいたし ます。 主の皆によって感謝して祈ります。 あーメン。メ。 ではごキできる方はごいただき賛美化の 284 場を持ってなる神イエスキリストを賛備いたしましょう。 [音楽] どうぞお座りください。生産の 0点を取り行います。 [音楽] Ja [音楽] ります。 [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] H [音楽] ສ よう [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] では続いて主エスキリストへの感謝の献心として献金をいたしましょう。ご報酬をよろしくお願いいたします。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] てなる神様また豊かな恵みが与えられた 感謝をいたします。目に見えるものでは なく目になるものにこそ心とめ々新たに たれ、え、これからも 信仰の日をいきたいと思います。感謝と 様わずかではありますがあさまった刺さるものご用のためにお会いください感謝様の場によってお祈りいたします。 あメん。 それでは周法によりまして、え、ご申し上げますけれども、え、個人的なことはまた例配式が終わってからということにさせていただきます。え、本日の集会でございますが、この礼拝式の後すぐに避難訓練を行いますのでよろしくお願いいたします。え、定期紹介 [音楽] 1時半からその後定期事会がございます。 今週も通常通り聖書の学びと祈りの会い 10月8日の水曜日午前と夕べに行います 。え、右のページで報告のでございますが 本日午前通木明田長老はクル連動士に出張 でございます。え、自州12日伊藤次郎 長路は出席キリスト協会において新党説教 として交談講師でございます。また15日 も土役協会においてのご報があります。 どうぞまたお祈りください。集会大会関連 で10月9日の木曜日から10日の金曜日 、今週ですね、スズメの宿の太田ぶ リトリートが行われます。10月28日の 火曜日から30日の金曜日、あ、ごめん なさい。木曜日ですね。木曜日に訂正 ください。第80回大会年度の第1回定期 会が政府中の進興協会において行われます 。 自週10月の12日でございますが、ユス クラスは午前9時半から行われます。え、 朝の礼拝式、え、地習は中根先生のご奉 です。また午後1時半からみんなの礼拝が 子供の協会との導入で行われます。私は クアヌ伝動士の方に出張です。何か皆様の 方でありますでしょうか?はい。 お母さん、 えっと、12月13 日に、えっと、またクリスマスの音楽祭をします。で、えっと、 10え、午後の1時半から3 時半ぐらいまでなので、あの、どうぞご予定ください。 それで、あの、何か、あの、音楽で神様を 参りすることで、あの、個人的に、えっと 、3年足物をしてことがありましたら、 あの、私とかあの長とかに あの、プログラムの是非よろしくお願いし ます。で、あと鈴風さんと合道合唱という ことで奇妙載せてという気のあの歌を歌う としておりますので、あのちょっと YouTubeとかで聞いたりとかして、 あのそれもあの是非参加していただきたい のでまたあのご用意くださいね。 よいしょ。はい。他によろしいでしょうか ?またじゃあ例配終わってからにさせて いただきます。それでは映の539 番を賛備し頭構想を持って麻の礼拝式をあります。どうぞご起立ください。 [音楽] 壁土りこ [音楽] にえ よるちみ込みためん。 [拍手] [音楽] これらのことを話したのはあなた方が私によって平和を得るためである。あなた方には世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。十字架ぬと復活によって罪の力死の力悪魔に勝利してくださった主エスリストが今週も精霊にあって共に出かけてくださいます。だから安心していきなさい。勇気を持ちなさい。 [音楽] [音楽] 弱い人を助け、苦しむ人に手を貸しなさい 。全ての人を遠みなさい。主を愛し、主に 使え、精霊の力によって喜びなさい。主が あなた方を祝福し、あなた方を守られる ように主が身かを向けてあなた方を照らし 、あなた方に恵みを与えられるように主が あなた方に向けてあなた方に平安を賜る ように主イエスキリストの恵み、神の愛、 精霊の交わりがあなた方一度と共にある ように。ആമൻ [音楽] う 。
説教「われら、目に見えないものに目を注ぐ! 」長谷川潤牧師
コリントの信徒への手紙二 4:16~18