新婚の夏目雅子を鎌倉の自宅前で前田忠明さんが独占直撃! 昭和59年9月9日

様々な役を演じることで女優として幅を 広げていったナ正子。 翌1984 年には女として大きな節目を迎える [音楽] 作家移住院し静かさんとの結婚である はいがいいんじゃないかどうにでも なんかでっていうの初めてですよねっての日に焼けちゃってるすとも美しいですね。 [音楽] 本当おめでとうございます。 どうもおめでとうございます。 どんな家庭を作りたいですか? 本当にあの年中お友達が出理してくださって あのワイワイ騒げる。ま、私 1人で10 人分ぐらいは騒げるんですけど、もう本当にあの明るい楽しいお家を 口の重い人をこう自分の方に向けてくるね。で、最終的にこう結婚をね、決めさせるね。この辺というのは何ですかね?コツはぐだけですね。 あ、もうしたいしたいと。 したい、したいっていうか うん。 あの、したいって言うと嫌われるんで、 あの、 楽しいと思うけどなあみたいなのをずっと言い続けているのが多分だんだ、こう何度も何とも感想させてこうだこうコマシャルのようにこうなんかさしてあ、 コマシャルのように 1984年7 月妻となったナ子はどんな新婚生活を送っていたの [音楽] 会見からおよそ2 ヶ月後、新婚の正マ正を独占直撃した。 [音楽] おはようございます。 おはようございます。 なんかこちらに映られたということで是非お話伺い伺いたいと思ってきたんですが 新婚の夏目正子を直撃した 10分間のスクープ映像。 ずっとね、仕事休んでるんで、 カメラマンの方たちが見えるとね、嬉しいようなね、なんかどんな顔していいのかわかんなくなっちゃっ。 いつから仕事お休みですか? えっと、実際には瀬戸内少年野球団 はい。はい。 が、えっと 4月の末ぐらいに終わりまして はい。 で、それからコマーシャルなんかは取ってんですけど、ドラマがずっとお休みして。 あ、そう。そうすると本当に、ま、お休みという感じがするわけね。 そうですね。なんかセリフを覚えたりもしないでいいし。 そういう意味じゃやっぱ気がまるというか。 休まりすぎてなんか顔がデレーってなっちゃったような気がしてね。 うん。 朝鏡見んのが怖いです。 どうですか?新婚気分は。 気分は上場ですね。 上です。 例えばね、やはりここへ移ってきて全然知らないとこへ来て、あの、なんか不合なっていうか、不便なことってあります?いや、 この辺は買い物でもね、この辺はご用機器機の方が あの、大体見えてくださるんで、 あの、そんなにこう困ったなっていうことはないんですけど、すごくらないことで困ってんのは青虫がいっぱいいるんですか?あ、 それで郵便局によ 行く用事があんですけど、郵便局の前になんか口なしかなんかのすごく綺麗な気があるんですよ。 それに青ムがいっぱいたかってんですよ。 なんか全然行けなくなっちゃって。 あの海の見えるところへその新規を構えたいって言ったのはひ院さんの方でしょ。 うん。そうですね。別に木さんが海の見えるところっていうんでもないんですけどはい。 私も田さんもあの海が好きなんで はい。 なんとなくこう今まだ散歩なんていう気分にならないんですけどね。たくさんあの荷物が散かってるんで。 はい。 でもこれから秋とか冬にかけてね散歩海なんか散歩ゆっくりできたらいいなって思うんでやっぱ海の見えるところがいいねなんて。 うん。そのために入籍もなんか 1ヶ月ぐらい遅れたっていう風に。 そうです。 なかなかオタクが見つかんなくてマンションうん。 なんかもいいんですけど、私お化けとかね、すごい怖がりでね、マンションってまるっきり隣の人とか何をしてるのがそうですね、ないんで できれば普通のオタク で、あの、ご近所にお米がね、なかったらね、お米貸しができるようなねところに住みたい。前昔から例えば上野だったら夜中の方とかに住みたいなと思ってたんです。 で、鎌倉ってすごくあったかい街でね、あの、ま、自分の願いっていうのかな。そういうご近所付き合いとかができるようなところっていうのを探してたんで うん。 だからちょっと遅れちゃったんですけど。 なるほど。 ところでね、あの、もっと具体的に新婚生活ちょっと教えてもらえませんか? え、具体的に朝ね、 はい。 大体ゴミの日は 6時半頃来て それで ゴミだったら大変なんでしょ?生ゴミとその現物とかね。 そうなんですよ。この先の方へね、 ずっと出しに行くんですけど、 それを出しに行ってで、 8時15分から うん。朝のテレビ小説をロマンスを見て それで 8 時半からおはようデをやってる面白いのやってる時は見て ありがとうございます。ハービオス い本当なんですよ。それでね、見て で、 それから洗濯物したりとか はい。 と、お昼は何にしようかなとか、じゃあ野菜のなくなったものをご用機器の人に電話して足してもらったりしてるうちにお昼になっちゃってで倉してるで、お昼食べて片付けてるうちになんか夕飯の支度をしなげらんないぐらいかな。 全部スピードがあるんじゃないですか。それ早いじゃないですか。 もう本当にここ23日前までね、 夜寝る前に腰が痛いなんて思ったらね、 ああ、そういえば今日1 日椅子に座ってなかったなんていう時 だから手際が悪くて なんか1つやってる間に母たちなんてもう 1つ2つ3 つぐらいのこと一緒にできますでしょ。で、それをやってるとご飯なんかかけてると忘れちゃうんで、お味噌汁ともう沸騰しちゃってブクブクになって煮詰まっちゃったりとかね、してるんですよ。 [音楽] それを食べさせてんじゃないでしょうね。 さして、して 1 番今まででね、すごくおかしかったことはね、お菓しってたら木さんにしてみれば 3 ラなんですけど、日やっこ食べてたらね、 食べてる間に中からおが出てきちゃった。かわいそう。 カメラマンが笑いながら取ってるよ。でも ほら、 揺れてる、揺れてる。 気持ち悪くなっちゃって私の方が自分の中入ってわけじゃないのに。 はあ。 あ、それから青虫がもう絶対やろと。 そうなんですよ。それもね、あの、野菜洗ってる間に見つかれば良かったんですけど、 そうじゃなくって、もういい加減食べてる間にね、風節の間を塗ってね、入れてきた青いのが 生きてる。動いて 動いて気持ち悪い。思い出しただけ。 ああ、 やっぱ慣れないからね。でもこうやって見ると本当の若さんっていうか、普通の奥さんみたいな感じがするんだけども。 そうですか。 あのね、でもなんか奥さんって呼ばれるのがね、 ピンとこなくて、 配達の方たちなんか奥さんとか言われると はい。だって奥さんでしょ? え、そうなんですけど、奥さんって母のことだと思ってた。今までね、うちにいると奥さんとか言われると母がはいとか言ってるんで。 うん。 自分が奥さんだと思わないからぼーっとしてると奥さんですよ。なんて言われてね。ああ、私ですかとかでもなんか奥さんって言われたりさっきもね。 うん。 あの、主人は朝から出かけてるんですよ。なんてね、主人とかいう言葉がね、使う。すごく使いたいんだけど、 使う時になんとなくこう、恥ずかしいなみたいなね。 うん。 感じがして、でも奥さんとか主人とかっていう言葉って 結婚した人じゃないと使えないから。 そうですね。 ずっとあの、よくあの、うちの母の友達とかはね、うちのがねって言って話してますでしょ?うん。 いいなうちのがねっていう話が早くできるようになりたいなと思ってたん。 うん。 でもまだうちのがね、までは お尻が座ってないんで、 あと5 年ぐらいしたらうちのがねって言えるようになると思うんですけど。 うん。なるほどね。だけどそういう風にうちの主人がとかね、あの奥さんって言われた時本当に何かこう結婚したんだなっていう喜びってそういのあんでしょうね。 そうですね。 やっぱりなんか、あ、奥さん、奥さんってすごくなんかいい響きでしょなんて。いい響きでしょって男の人に聞いても分からないですけど。なんか そりそうですよ。結婚しないの奥さんって言えないもの。 そうですね。なんかすごくいい響きでね、 結婚してよかったなとかって思いますよね。 なんか奥さんとかなんか夕飯の片付け物をしてる時にね、 後ろでテレビの音が聞こえたり、 あの、た木さんが仕事してる、こうなんと後ろになんかこうなんかこう そんなんかありますでしょ?こう影が動いたりそういう時がやっぱり 1番幸せだなとかも。悩ましいな。しかし でも買い物なんか自分でもこう下げていくこともあるんですか? 自転車で、 え、こっから自転車乗ってくの? はい。 でもみんなじゃあ振り向いたすでしょう。 いや、全然そうでもないんですよね。 そう。 ええ。 ああ、すぐ分かっちゃうでしょ。 うん。分かる時は分かっちゃうんですけど、あんまり鎌倉の方ってこう声かけてきたりとかあんまりなんて声かけてもまさこちゃんとか言ってえ。だから全然 うん。じゃ、本当の奥さんなり切っちゃったわけね。 なんかマイペースでこの辺の近所あの文房具屋さんとかあの郵便局小包み出しに行ったりとかしてるんですよ。 おめでた。まだですか? それがねよく聞かれるんですけど、 まだまだ なかなかそういうところまで かないですか? うん。あの、しばらくやっぱり自分のことがうまくできるようになって うん。 それで旦那さんのお世話もうまくできるようになって でそれと仕事がうまく両立できるようになってそれから考えようかな。 考ね。 さっきもそのちょっとこうボケてきたみたいだなんて言ってたけども、じゃあ女優な正子はいつ頃からですか? え、これはね、すごく自分でも楽しみにしてるんですけど、 1月稽古の2月に西武劇場のパルコの 7回で愚ろかな女って今まであの、私 よく先生の役とかそう硬い 女の人の役とかが多かったんですけど結婚してねなんか奥さんの役とかっていうのも似合うようには やりたいんですけど、全然そうじゃなくてなんか下着をつけてないようなね、なんか抜けた女の子の役をね、翻訳もなんですけど はいはい あの福田一郎さんの演出でするんでそれがすごく今から楽しみでね、ブクブクにそれすごくねほっそりとしてるあのなんか金髪の女の子の役なんで今のうちにシェイプアップして太らないように気をつけ いくらが太りました。 そうですね。ちょっと太ったみたい。 やっぱりね、それだけ幸せなんでしょうね。 うん。 遠慮しなきゃとか思うんですけど。 どうもごちそうさでした。 どうも今後ともよろしくお願いします。 すいません。ごめんなさい。 いや、そんなじゃあまたす。 はい、どうもバイバイ。 幸せそう。 [音楽] 1984年9月、前田中さんが取った夏目 正子新婚生活のスクープ。 あれから31年が経った。2015年9月 、再び鎌倉を尋ねた。 スクープ取材をしたあの場所は今どうなっ ているのか。 いや、かなり久しぶりですよ。久しぶりどころかもう 31年来てないですね。 あ、ただね、こういう木を見るとこの根こをやっぱ覚えてますね、これ。 あ、あ、確か確かこの近くですよ。 あんまり変わってないですか?これ 変わってないですよ。変わってないです。あっちも変わってない。ここ全部変わってないです。 昔はアスファルトじゃなかったなあ。砂利道だったんですけど。あ、これですね。この石田旅、これは変わってません。 おお。 このままです。 当時のまま。 はい。 え、それは覚えてますか? これ覚えてます。こういう砂利道の中にこれがあったんですから。 ああ。 ですからここを行ったんですよね。 ああ。 どういう感じで行って、ただこの黒ベ、こちらがですね、こんなうちはなかったんですよ。 [拍手] わーっとした壁なんか竹何だったかな。壁が並んでてあ、これですよ。ここ。そうです。僕はこの辺にいたんですよ。 31 年前にナ正子を撮影した場所。壁の色などは少し変わっているものの当時のおかげは今も残っていた。インタホもね。うん。 [音楽] 実際さんが来るのかいるのかいるのかいないのか来るのか来ないのか分からとにかくもう 1かバか うん 押してみて もうないかもしんなかったんですね。 そうですね。なかったら終わりしたらはいっていう声が聞こえてちょっとお待ちくださいって言うんですよ。 うん。 そこで僕はここで待ってたんです。 はい。 このままこうしばらく待ってほんの 2分です。 うん。 そしたら本当にすっと出てきたんですよ。 ま、この道をこう歩はい。とことことこってきてどうもお久しぶりですっていう最初の言葉だったと思うんですね。 [拍手] ま、いろんな話してくれましたけどもね、本当にあの芸能人じゃない普通の綺麗な若さんっていう感じでしたね。 うん。うん。うん。 今でも思い出しますね。 それはよく聞かれるんですけどもないですね。比べる方がいいない。独特の美しさっていうか独特の雰囲気がある昭和の女優さそういう感じです。 [拍手] [拍手] もうオンリーは はい。やっぱり夏は夏子を 1人そういう感じです。 [拍手] 31 年ぶりに訪れた鎌倉でナ正子に思いをはせる前田中さん。そしてある場所へと向かった。 [音楽] それは オナコードさんは あの私たちがあの知り合ってからずっとあの今まで何かにつけて相談に乗ってくださった方がいいらっしゃるんですけどあのちょっとお名前はあの普通の方なんで申し上げられないんですけれどもはい。 あの、鎌倉の方でずっとお世話になってる方に、あの、泣していただいて はい。え、 婚約会見でナ子が語ったナコドの存在。 [音楽] こんにちは。 前田中さんは鎌倉に住む 2人を訪ねた。 創業40年鎌倉小花市 な夏目正子の中堂を務めたのは三倉健二 秀子ご夫妻 夫だった異院さんが行きつけの もうほとんど毎日だよ。 え、毎日。 ほとんど毎日。 ほとんど街ですかね。 ほとんど、ま、夕方、ま、昼間、あの、お仕事、ま、書いたり色々して、ま、お 1 人ですからやっぱり湯プラっと出てきてというずからちょっとね、鎌倉まで で、その時にじりさんが夏目正子って知ってるって言われて、 え、つ頃ですか?それは。 え、帰らっしゃってから割と時すぐの頃ですけれども はい。 で、あの、知ってますって言ったら、じゃあ今度連れてくるねって言われて、 ほお。 で、なめさんとナめさんのお母さんといらっしゃったのがその年の 12月ですね。 その年の、 その年の12月です。 お店のどこにお座りになるんですか? 大体この辺か。まあ、いっぱいですと 1番座敷の方ですね。座敷大体大体ここお 2人の場合はこのお席ですか? そうですね。はい。 はあはあ。 初めて正子さんを連れて来られた日の印象って覚えてます? え、あの真白なすごい木川のコートを 12月ですからね。 はい。はい。 来てきましたから。え、こんな鎌倉のね、内者のお寿司屋さんに来るのにそんな格好してくるの?女優さんってそうなの?みたいな。そういうちょっと最初はそういうちょっとこういう引いた感じはありましたですけれど。 その後はもう全然もうスエットにすっぴのスエット うん。 そういう本当にラフな格好ですね。お化粧もしないでいらっしゃってましたけどでもやっぱり目立ちましたね。 うん。これ方もやっぱりここで座られるとこうパッと鼻がされる。 全然違いますね。 全然違いますね。 うん。 まこちゃんはね、またそういうね、色々気使うんですよ。 あ、そうか。 はい。お客さんにも気使うしね。うん。 ちょっとでも忙しくなるとね、母さん消て ちょっと動いてね、くださった。 お茶、お茶出してそっち入っちゃうんですか? そっち入っちゃうんです。 もうなんでもないの? すっとだけ そういうのがすごいなと思ってね。 あ、そうですか。 はい。 地元の人もね、本当に あの記にお付き合いしてあのオタクに伺ってお食事したりとか はい。 ま、小花て今ぺもね、ま子ちゃんとじさんが始めてくださったので、え、それで地元の若い人たちとお付き合いも広がって、 まさちゃんはね、やっぱりお酒が強かったですね。 お酒。 お酒。 日本酒。 日本酒。 これと同じですね。 そうです。 じゃ、ちょっと僕が それが、それがお気に入りで ええ、うまいもん。 美味しい。 うん。 もう酔った姿は見たことなかったんですけど、 1 回か1 回最後のその結婚してあの山口のさんのお家にをご挨拶に行って帰ってきての時ですね。 ほっとしたんですかね。 ほっとしたんですよ。もう飲んで すごい飲んだ。 飲んで歌って初めて見ました。 お はい。 それだけ嬉しかったんですよね。 ね。 なんでご倍人というかね、見届け人と言いますか、立合人と言いますか、どういう秘殺からそうなったんですか? お仕事関係の人にね、頼んだ方がいいんじゃないの?私たちはその プライベートの付き合いはね、いくらでももうするんだから、そういう外のあれでね、あの、やられた方がいいんじゃない?公 的のお付き合いがあるわけだからね。 そう、そう、そう。いや、もうそういうことはね、一切なくて、何でも知ってる私たちにあの相談もできるし、ま、これからことがあると思うからあの分かってるね。お父さ、ま、お父さんとお母さんって呼んでましたから。 あ、お父さん、お母さん、 お母さんて呼んでましたから、 あの、お父さんとお母さんにやってもらいたいっていうことで、 あの、ま、私たちはね、工事してましたけどうん。まさ子ちゃんがそうってね。うん。 [音楽] 両家の身内とコ度だけで行われたユ能。幸せそうな顔が今も目に浮かぶという。 [音楽] もう本当に嬉しそうでしたし、そのピンクの着物もとっても似合ってましたしね。もう本当に嬉しそうでした。 ヒロ炎っていうのはしたのかな? いや、してないですね。 してないですよね。ええ。ええ。 そうするとその皆さんが集まった時の人が はい。 もう唯一そこで じゃもう拾えも兼ねてということになっちゃうんですよね。 そう。そうですね。 もう本当にまずこちゃんが結婚したくてね、したくてしたくてしょうがなかった。 私なんか本当お仕事するんだったらね、自由の方がいいんじゃないみたいに思ってましたけど、そうにも話しましたけど、いや、もう結婚したい。どうしても結婚したいつ。うん。でも本当結婚してよかったですよね。 ナ正子の幸せの絶調に立ち合った 2人。 その時はまだ最も悲しい瞬間に立ち合う ことになるなど知るよしもなかった。 しかし1985年9月11日 休憩骨水性発血病で夏正子は帰らぬ人と なった。 [音楽] まさ子は短くも充実した人生を全力で 駆け抜けた。 愛する人々からありがとうの言葉に送られ て天国へと旅立っていった。 [音楽] まだ27歳という若さだった。 [音楽] まあ、びっくりしたし、残念だったしね。 うん。かわいそうでね、彼女がうん。やり たくて、やりたくて、やりたくてしょうが ないだろうと思ってさ。うん。 その、そのことが1番辛かったんじゃない かと思うね。 悔しかったと思いますよ。 たくさんやりたかったことがあると思い ますしね。 本当にあの 27っていうのがもう本当に残念ですよね 。 30歳のなめさんも40歳のなめさんも 綺麗だったと思いますよ。 どういう役をやったでしょうね。 うん。会いたかった。本当はね。最後毎日でも会いたかったです。夏め正子の中鎌倉の三倉は夫移住院静かさんと一緒に最後を見取ることになった。 [音楽] [音楽] で、朝さんがもうずっと外に病院から外に 出てないので、あの食事に行きたいって 言って、じゃあどっか近くのホテルに朝食 行きましょうって言って3人でタクシーに 乗った。しばらくしてたらえて大きな声 出すんですよ。あって言って。それであの 携帯なんかなかったですからタクシーの 運転士さんにちょっと悪いけど急いでもう 1回京葉病院戻 うん。 それですからうん。戻って 食べ戻って でもやっぱりあれでしたね。 それはなんでしょう?じじさんの何かな? 何でしょうね。あっていう声でしょうね。 うん。3人だけ私たちと3人ね、4 人なって で、最後のP っていう音が私は今でも忘れられなくて、 あの、 あの、P ーっていうのは、あの、機械のあの音でしょ? そう、そう。 あの、あのがね、もう今でも忘れなくて、それで お父さん、お医者さん呼ん、呼んでちょうだいって言って、あの、本当に最後はお医さんもいらっしゃらなくて、私 3人だけでしたあ