須佐神社 出雲紀行10
ビロヤホじゃました。神社です。 [笑い] [音楽] くさちゃさんが追さんすごいやる気満んまでもうもうもうもう参拝始まっちゃいてるし ご最新は別のところにちょっとカ洗座で映られてるですな 佐の王様は はい 今おりになられてるですか? あのアマテル車というところに やっぱり甘る者なんだ なんかいつも一緒に一緒 になんかいらっしゃるんですね。 そうです。そうですね。テラスさん、 ここは二さんがご案内してくださいますので、ちょっと偶事さんを はい。 外れます。 はい。 ここは4回じゃなくていいですね。 [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] 泉全部締め縄名は太いんですね。 そう。 ここも太い。ずい ね。なんて言ったて?雲とか。 それはい雲だから。 雲だか。 雲はとにかく雲がいずれまくる口だから 吹っとくないってこと。 こんにちは。 こんにちは。こいました。初めましてお願いします。ます。 よろしくお願いします。 あ、 はい。 あ、賢者の裾。 そうです。 グジでいらっしゃるんですね。 はい。 私で79代目に すごい事がずっと 基本は代々うちが務めております。 ほんの一 時期だけあの明治の頃にその接性が良くないということでよそから偶事が来られたことあったようなんですけどほんの 12連で やめてしまわれて結局またうちに戻ってきたというのはありますけれどええ ちょっと私表出ましょうか あ須の見事になります 先祖様 そうですから出ますねと 須の方 かっこいい かっけえないすごい すごいすね。 あ、計図とかあるんですか? あ、ありますね。本当はご用意できたら良かったんですが、今ちょうど調査に出しておりまして。うん。 あ、 これになります。 うわ、長 長っていうかすご。 ま、本当は初代は手槌は品と言いまして、 稲田姫のご両親。 なるほど。なるほど。 ですね。 なんか土着の神様 でののみがそのゼト姫と結婚してということで 繋がっております。ああ、 そっか、そっか。なるほど。なるほど。うん。 だ、本来は稲県なんです。 はい。はい。 査生を、ま、世名乗り出したのがその明治からの話でして、それまではあの、ま、須の国 の誰それと名乗って うん。 うん。 で、うちもその正式にはそういう名乗ってるわけじゃないんですが、稲たのと首ですね。 あの、週 の第70年代目 でさのダソ という書き方をしてます。 うん。うん。うん。うん。さ、酒けでやりながら稲たちょっとやしい。 うん。うん。 なるほど。なるほどなるほど。 ま、あのがそのスノーの御の 魂が直接収まっているということで知名そのものが裾さ というんですね。 知名なんです。 はい。はい。 で、あの、ま、こちら今本がちょうど あの、宮があって回収工事にちょうど取りかかったところでこうやって今背根が出来上がって見えなくなってるんですけれど、 ま、これも、え、 1500 年代春久が建てたものと言われてます。で、ちょうど今年の 4月19 日も神様実はこっから出ていただいて、 お迎えにある天者という天マテラス総御神様お姉さんですね。 はい。はい。 がおられるとこに今収まっていただいて なんで本は今空っぽの状態 はい です。 ま、本がもちろんそのこの地方特有のあの、ま、出雲大さんにあの代表される代謝作りと言われるちょ高式の作りなちょっと今ね膜がかっちゃって見えにくいんですけれどはい。 で、県の文化剤にやってましてで、ま、何年こか大体 30年ごとにどうしても屋根が痛むので うん。 で、その修繕のちょうどこのタイミングがやってるところです。 で、うちで、ま、特徴というか、 ちょっと1 つ皆さん、有名なのがこの大杉さん 大きいすぎ。 大杉さんと呼ば。 そうですね。僕らは大杉さんで、 大杉さん。 はい。 説明には大杉と書いてありますけれど、 ええ、 ま、受例約 12300年。 うわあ と言われてます。 ま、うちの大事なご親目うん。 うん。 あの、この神社自体はもういいが分からないぐらい古い神社ではあるんですが、 この地に降りてきたのは、 あの、成暦800年代と 言われてまして、 うん。 それまではここのすぐ横のそこにちょっと小高い丘見えますけど、あの奥のにある あの宮野さと言われる山の中にあったそうです。 ああ。 で、その800 年代にコツの地に降りて社代を構えたと。 はい。 されてまして、大杉さんの例ともまあ近い。 ああ、 ちょうどその神様がおになられた時 からうん。ったのかたまたま生えてたのかわかんないんですけれどう ん。うん。 ま、その時からずっと一緒に この地にお見守ってくださってる大切な次になります。 [拍手] ちょっとこっちが工事の関係で狭くなってるんですけれど、昔はこんな囲してなかったんですけれど、ま、こうやって目もちょっとんできてますし、 [拍手] 目がすごいすね。 そうですね。 目がもう 昔僕らちっちゃい頃はここに腰しかけて生したりしてたんですけどね。 ま、参拝の方が増えて、ま、増えていただいたのはすごくありがたいんですが、やっぱりどうしても根を踏んだり傷んでしまうので、 20年ぐらい前にちょっと囲いをして、 え、しまいました。 [拍手] 川の背らぎが聞こえるんですね。 もうこの根はその川の 方にしっかり伸びてんでしょうね。水の そう、そう、そう。 そう。いつ雲大の芯の見、う柱っていうのもう はい。 はい。 大体このぐらいの大きさんじゃないですかね。これぐらいか。 こう考えるとすごい。 [笑い] かつてはもっと高さがあったんですけれど、これ嵐とか落雷でちょっと上が折れてですね。もう数十年前の話ですけど。 [音楽] あ、そうそう。へえ。あ、そうなんだ。 [音楽] はい。 昔の写真見ると本でように明らかにもう大杉さんだけニョキっと飛び出してると思いますけども、 最近はちょっと周りの木に埋まれてしまうような感じになっちゃってます。 でもね、ちゃんと根っこが残ってよかったですよね。 そうです。はい。 おっしゃられたように結構すぐ横川が流れてはい。はい。 うちはもうこれが普通だと思ってるんですけど、やっぱりよそから来られ豊かならぎが 結構珍しいねって言われる方も多いですね。 ちょっとね、本が今 高さ意外にありますね。クワット。 そうですね。 へえ。 高さがえっと10何だったかな?12m ぐらいかな? うん。 やっぱ代謝作りの 代謝作りですね。代謝作りの特徴がまずこの、ま、高式はもちろんですけど正面がずれてるんですよね。真ん中じゃなくて 真ん中には柱があるのでその右側に扉があります。 ああ。 で、あの我々はそこから入ってこの字型に移動して で中の内電と言いますけれど様大めしてる祠というか親城代は こっちを向いてるんです。 はい。はい。はい。 これ結構ね、ネットとかでもあの、言われてるんで皆さんご存知の方多いと思うんですけど、 なんか神様こっち向くじゃなくてこっちを見て うん。 こっちはどっちを目指してんですか?どちらを目指してるって意味なんですか? 方向ですか? はい。 法学的には、 ま、南向き、東向き であることが多いんですけれど、ここはちょっと綺麗に東西南北は向いてないです。 ああ、そ、法学ではないんだ。 はい。 特にその法学をできっちり決めて立てた感じではないですね。うん。 うん。 でもなんで正面向いてないんですか?そういう酒にい伝わってないんですか? これはもうあですね。代謝作り全部がそうでして うん。ああ、そういうもんなんだ。 はいはいはい。 ああ。 だから我々はもう入ってこっちに神様に向かってこう 横からてか神様の正面立つとなると横向きになるんですけれど。うんうん。うん。 うん。 ただ、ま、神社の正面はまでこちらですので、ま、参拝の方はもちろんこちらからあの入れたいたらいいとは思ってます。うん。うん。 よくね、こっちからちゃんと見なさいっていう方おられるんですけども、神さんこっち向いてるから。 うん。うん。 その必要は僕はあまりないと思ってます。 うん。うん。 うん。謝作りはそういうもんなんですね。 うん。そうですね。 だからもう出雲大の機能大に代表されるはい。はい。 横向いてるスタイルを そうですね。 同じくってことなんですね。 ですね。 うん。 もう昔からこうだったとしか僕はもう 知らない理由はちょっと分からないですね。 この人とかなくてこね。こっち側からお拝みなさいみたいな 書いてあります。 なんか言われたりする。うん。 そうですね。かさんはあれ国報ですのでね。本が あ、世界一古い神社ですか? はい。はい。 でかい古い神社って売りなんですか?売りっていうの変ですけど。 そうです。 ええ、 じゃあ本をちょっとぐるっと見ていただいたところでじゃあ あた中入っていただいてちょっとお見せしたいものがあってはい。 転車という先ほど言いました今あのご身体あちら収まってるんですけどまお姉さんのお野しですね。転象者屋敷という地元の人がいる場所は あったんです。 うん。 が 親城代の位置が元のねからない。 ちょっと本当はそれをちゃんと調べてね、なんか記録に残せればとは思ってるんですけど。 [拍手] うん。 あそこが一種の神ナビみたいな [音楽] そうですね。 扱になって ですね。あの、その奥にあの連覇島の立ってる大きな山、黒山という山がありますけど、あそこまでが神社の土地でして うん。うん。 あそこまでが一応聖地 という扱いですね。 うん。ひょっとしたらこっちであって 代謝作りで亀っちにこういう ガムからあっ あだからこっち向いてるんですかねかもしれないてこれを通して元宮を拝に向かうことに敗者たちがなるってこと かなそうやってみればそうかもしれませんね。 うん。 地面もこの辺面白くて上棚と呼ばれる土地があって、ちょっとその辺りなんですけどそれは昔それこそ お宮に上がれない人がそっちから神社を廃してた 場所とちょっと細かくなった場所が あります。 じゃあちょっと務所買っていただいてちょっとお見せしたいものがありますのでします。 やっぱ愚ジもね、このままなんだよね。 こうやってこうやると うん。神様の方にお尻向けるから 偶まるんだよね。あ あ。 あ、お宝か。 お宝。 ついに幻の。 ではこちらになりますが、あのヤ和田のオロはあのス野の見に退治されたとされてますが、そのうちに伝わるこの品が うん。 そのオロチの骨とされるものでしてはい。はい。 あら、ちょっとた。ちょしちょ。こちらになります。 うわ。 おお。 でか。 そうですね。結構大きいですよね。 こん、どの部分の骨ってことなんですか? おそらくは背骨のどこかです。 うん。 であろうと思われます。 ゴロチって骨ある? まあ、 え、蛇です。 生き物でも蛇にも骨あるあります。あります。あります。 あんなくにゃふくにゃして くにゃふくして道具で曲がりやすい骨がこう連結してるってことですか? はい。そうですね。 へえ。うん。 で、例えば、ま、蛇なんて本当骨もんですし、人間でも首のあの首とか腰の骨ってこんなもんなんですよね。 うん。うん。 全然 こんな大きいものって他にいるんですかね?セ オロ。オロチだから。やっぱオロチだから。 大丈夫だから。あの、 持っていただいても仕事 大丈夫ですよ。 マジ? 本当ですか? 結構ずっしりしてる。どうぞ。 うわ。 あ、 やば。いい絵だな。 うわあ、ずっしり。 うん。ですよね。 これがだからバーンともっとこう連結してたこと考えるとす。そう、そう。すごい大きさ。 すごい重量と迫力ですよ。 ええ。重す。 すごい。お、硬いんですか? あ、硬いですか? 硬いす。カチカチに硬いっす。 え、人間で言うとどこってこ人間の 分からないんですけれど、例えばここがちょっと若か状になってるじゃないですか。 はい。輪っかだから。あの赤状になってる椎骨って [音楽] 缶ついてる1番首の1番上の骨。 こっちの方ですか? うん。 腰の方か? ラッツのうちの1つ1 つのそう1番上の首の骨。 首の骨? 首。 うん。 へえ。本当硬いんですよね。 昔はこれはちゃんと文章では残ってないんですが、多分こういったとこ削って いわゆる流骨、ま、薬として、 あの、使ってたんではないかとも言われてます。 うん。 皆さん手に取られてい せっかくです。 これは、これが首だとだから さ、さっきの杉の木の右ぐらいはある首だったぐらいなイメージですよね。さったそうですね。 人間の首がこのぐらいに対してこのぐらいのさっきの大杉さんぐらいの首が 8 本あったぐらいのイメージですよね。 うん。そうですね。ま、オルスね、例える時に山のようなね、こう言われるので。うん。 へえ。 ああ、骨ですね。 ああ、骨ですね。 骨ですね。 ま、あの、私医者なんですけれど、父も医者、あの、すいません。はい。 権業でちょっとね、本当はあの古者がの偶事が権業してるのは恥ずかしい話であるんですけれど。 お医者さんでらっしゃい。 じゃあお医者さんの立場から見てもこれは ね、さっきね、そのとかお話しましたけれどもはい。じゃ、すいません。うん。 [音楽] 確かに。 ま、父と2 人でね、どこの船だろうねみたいに、ま、貫通しかな他には考えられんなとかいう話はしてましたね。 うん。 これ世界の動物から見ても うん。あ、Amazon の注類と近いとかそういうなんかそ、学術的ないろんな意見とか世界的に見てなんかないんですか? ちゃんと調査したことがないんですよね。 あ、そうな。 うん。うん。 これはうん。 うん。 ま、調査はしないで、ま、あくまで神社のね、伝わるお宝として、ま、我々は維持するのが使命かなとは思っているんですが。 ま、この土地最初の時にマノの御がその魂を納めたていうのがそもそも佐野の港が、ま、あの国の開拓をしてあちこち行ってで最後にここを訪れて、ま、あのご覧になるように山に囲まれたね、ちょっと狭い凡地ですけれど、ま、ここは静かでいい土地だから、あの私の名前を、ま、医とか木とか個別のものじゃなくても土地に名付けようと いうことで、ま、魂を納められたと いうのがこの神社の由 うん。 うん。 なので全国矢神社さんですとか、ま、大きな神社で佐野の祭りする神社かなり多いですけれど、 ま、直接佐野の魂が収まってるのはここなんですよと。 いうことになります。 うん。うん。 ふー。 [音楽] 素晴らしいす。こんなお宝を見せていてな、日頃の生活ですの血統として はい。 なんかなんか生まれてから感じることがおもおいやあ、それは。うーん。あまりそうですね。 ま、もう常に神社の近くにいるので、その実感できてないところはあると思うんですけど、やっぱりよそから皆さんこう来ていただいて、その神社の雰囲気が厳しいとか、 ま、リとしてるとか、あの、いう風に言ってくださる方多いんですけれど、地元にの人間、ま、特に私みたいにずっといるとあまりそういうのが分からないんですよね。 だからうん。 その皆さんを通じてその言う うん。うん。 の、ま、異厳というか うん。 を実感する というところは あるかもしれませんけれど、自分の生活に関してはちょっとうん、分からないですね。 うん。 いや、だってこんなでっかいもんですからね。相当腕。ま、 酒、酒に酔わせてね、あの、寝込んだところを切ってます。とにかく勇敢で うん。 すごいことですよね。 そうですね。 勇気。 うん。 有気いっぱい。勇気いっぱいというか、ま、暴れん坊のさんでしたからね。うん。 うん。 ここはなんか庶民将来みたいなもとかで よくご存知で、あの、おっしゃる通りで民将来の椅はまさにありまして、あの、うちの場合千葉と言いまして、あの、ま、予でもあるんですけれど、 [音楽] あの、うん。 締め縄の細いものを、輪っか状にしたものを、 あの、授けて、で、これを家の窓、角、あの、 はい。はい。 うん。門とかに掲げておきなさい。 うん。 そしたら民のということで病から守って の、 え、うちは2月の節分に あの皆さんに重要しております。 はい。はい。 予想ではあの6月今月、あ、来月の末 6月30 日の名越の大払いではい。はい。血枠ぐりしたりね、血漬けたりとかいうところ多いと思うんですけど、うちはその節分が うん。 その日になっています。うん。 へえ。 はい。 中野の黒文寺と同じですね。た、 どういうこと? 国分寺? あの、そ民書で有名なところがあるんですよ。うん。 ええ、ありがとうございます。いや、いや、い。この鏡はすごい。 これまたすごい龍の鏡。これまた何角形の意味あるんですよ。 12。 これはですね、実はその神社が特別に用意したではなくて、あのよその方がこの能だいぶ昔にしていただいたもの、それを、ま、綺麗いに塗り直して語っている。 ま、ここあの新職があの神社あのアイデンとか行く時にお払いをする あのお払いの罰をする場所 にはなるのでここに神様がうん。 ここにおられるわけではないんですけど うん。 でもなんか鏡であり、八角形でありっていう感じがすごく 不思議な感じ。うん。 やたの鏡みたい。 やたの鏡の形。すさっていう名前はすさの王みたいな名前だってよく言う人たりするのはどういう言葉音として意味があったりするんですかね? 色々言われてるさとか菅とか す々しいみたいな。 うん。そういう風な音だという す々しいから来てる。 す々しいよりはどちらかとアレスサブ 暴れ物とか あれサブのさから来てるってことです と言われますね。 なんかさという漢字にはさほど意味はなくて直期と日本初期であの表記が全然違いますけれどもうん。 ま、さという音自体はそういった い暴れん坊暴れ神様 はい。からという説が有力ですね。 ええ、 ま、暴れん坊でしたからね。神話の中でも。 うん。 うん。 さんはめっちゃ温こな。 そうすね。温 温め心でござ 病院も近くなんですか? 病院はあの出雲市の駅の近くでちょっとこっから 20kmぐらい すいません。仕事でやってなくて 何かつって 循環機ないかですね。 はいはいはい ありがとうございます。 ありがとうございました。ます。 [音楽] そりゃ驚いた。 反しでしょう。 そりゃないでしょう。 無夜 がまたくれば 朝がすぐに来て 正規末が来る。 Ja.
『出雲国風土記』にも登場する古社、須佐神社。日本神話でヤマタノオロチを退治した英雄スサノオノミコトがこの地に来て最後の開拓をし、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されている。
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