【名曲探訪】(#5 Part3)稀代のヒットメイカー「売野雅勇(作詞家)」のパーソナルに迫る!最も衝撃を受けたシンガー、「矢沢永吉」の凄さ!

え、さあ、こっからですね、数々の名曲を手がけられた売野先生のパーソナルな部分に迫ってまいりたいと思うんですが はい。 え、色々とね、僕も伺いたいことあります。 まず読書家でしたか子供の時から。 あ、子供の時はね、そんな読んでないと思う。 あ、そうですか。 ええ、えっとね、高校生ぐらいかな。 うん。 中学もま、パラパラはもちろん読むけど はい。はい。周りと比べて特にっていう多く呼んでる感じではなかった じゃないね。 あの読書家っていうか文学少年じゃなくて はい。はい。 あのスポーツ好きだったんでね。 ああ。 どっちかと大会系。 大会系ね。だから 中3年でしょ。3年4年って全部 全部あの試合のための練習っていうのをさ はいはい。だから10年6 年10年間やってたからさ。 ちなみにスポーツは 最初は陸場プ 陸場 で高校でハンドボール部それで大学でア アイメージが 全然違うんですよ。 違いますね。 うん。 え、じゃあその、ま、文章というか物かきにつがるうみたいなものってどの辺りから出始めたんですか? ま、大学生の頃だと思うんですけど。 はい。はい。 大学生の頃ね、ま、読書っていうの変だけど うん。うん。うん。 結構本読んでたかな。こ ジャンルはどういった本でした? あ、えっとね、大学の時は文学 文学。はい。 あの、忘れちゃった。あの、言うの忘れたけど、高校生の時はね はい。 ちょっと倫理学みたいな 人はどう生きるべきかっていうような本が大好きです。ええ、ええ、ええ、え。 それをね、随分読んだん、読んだことを覚えてる。 ほで、 大学入ってから、 え、大衛県とかね。 うん。 そういうの読み始めてうん。そっからかな。ちょっと うん。 文章がね、書くのが好きだ。好きになるのよ。 ほお。 書くことが。 なるほど。 あ、そでその後なぜかコピーライターなんですけど ええ。 大学出てね。 はい。 それであのああ、学生の時にね、あのフットボールや、あの人やってる時にシャンプーのコマーシャル はい。 の 企画募集ってのがあったのよ。 ええ。ええ。ええ。 テレビカコマーシャルの企画募集ってそれそれ書いたんだ。 はいはいはい。 エメロンシャンプー。 エメロン。ああ、懐かしいですね。エメロン。 はい。 それでそれが採用になってさ。 あ、 それそれはやってそれは実は放映されなかったの。 ああ、 そこの時点でボツになっちゃうんだね。どっかでわかんないんだけど面白くないかったらしくてボツになったんだけどフルフィルムは取ってたと。 うん。 で、あ、コマーシャルって面白そうだなていうのが 1 個あって、で、コピーライターに入ってくっていうはいはいはい 感じかな。 ああ。 では人生初の作っていうのは 作っていうのね、 何歳の時と これはね、 27歳から始めた はい。 八ね。 はい。 八士が相棒がいたわけ2人でね。 うん。 そうで、その相棒がその音楽の世界に割と通じたやつで はい。 それでさ、そいつがえ友智っていう人 はい。小さんはい。 うりちゃん曲書いてみてよって うん。うん。うん。 言われたのよ。 本当って言って 書いたのよ。 そしたらそれはボツになったんだけどね。それが 28かな。 うん。おお。8 か9 ぐらい。それが初めて書いた次第だよね。 あ、そうですか。 そう。ほい。で、あの、その後に、あの、シャネルズとかやってるディレクターから電話かかってきて、それと別にね うん。はい。 電話かかってきて、僕のコピー見て、見て、あの、い書きませんかっていう書いて、作やってみませんか [音楽] いうのがあって、そこで 川い裕子ちゃんっていう人だったんですけども はい。 それの曲をもらって、それにクで書いたやつを はい。はい。 このエッセンス、エッセンスを全部入れて はい。はい。はい。 うん。で、したらそれはすごい評判よってそれをずっと書いてたん。 はい。はい。はい。はい。はい。 だからそっから始まるんで うん。うん。 世の中に出るのは、ま、そのタイムラグがあったんで、シャネルズの、えっと、星のダンスホールなんですけど、最初に本当に はい。 採用になったのは東京チークガールっていう これですね。 で、うん。 これはあの、クともこう様にその全然違うバージョンですけども書いてあった。 はい。はい。はい。はい。 だから、ま、無駄なことしてないみたいな。 うん。 でもその先生の80 年代の一連のヒット局を見てるとやっぱタイトル恵の人であったり うん。 もっとそのキャッチコピーライターであるというものがカラーが出てますよね。 あ、そうだね。 あまりこう歌のタイトルというよりかは本当にもうタイトルがコピーのようなうん。うん。うん。もう チェッカーズなんてもね。 うん。 すごいですよね。 そうだね。そうだね。 その辺は他の職業作家の人たちとの差別化のようなものっていうのは すごくあったかと思うんですけども自分がその火用会においてあもう僕はもう今までいろんな仕事をやってきたけどもあ 1 本で行こうと決めたというかそういった作品ってあります。 やっぱね、エスカレーション。 はい。はい。 それから続く夏のクラクション。 おお。 この辺りかな? あの進んじゃないんだけど。 ええ、ええ。 あの平さんがね、京平先生が最初のうちの内頃でしょ。 はい。 で、その後ね、田原俊彦の曲を 2つくれんのよ。 はい。これはディレクターによってボツにされ に。 あ、じゃあ結構ボツってあるあるんですかね。 ある、ある、ある。 それでだてま、それで次にこうボツにされたにもかわらず可愛いなあこちゃんの曲をね、書いてって言われて はい。 それで稲垣さんの稲垣純一さんの、え、夏のクラクション はい。で、今度稲垣君やるんだけど うん。うん。 やらない仕先だけど 言われて書いたのがナスロプラクションでだから ここでさあ、あのああいう先生がね、 そういう人がなんか後立に使うってさ うん。 なんか才能あんのかな、俺って。 いや、多分絶対そうですよ。 共栄先生はね、あらゆる作家とタを組んできたわけで、その中で うん。 ビビッと来る新しいものを感じたんじゃないですか。 感じたんだろうね。 うん。 だからね、夏のクラクション書いてみんなが好きっていう感じだったのよ。 うん。 ね。 あの歌はかっこいい歌ですもんね。 うん。だからあんの時ぐらいにあ、作家感だ。なるんだって変だけどやってくんだっていう感じはありましたね。 うん。ああ。 あの、先生の歌って全くね、こう詫びしさがないっていうか、詫びしさ違う。あの、ちょっとあの、 言葉選ばずに言うんだったら貧乏臭さが全くないんですね。 うん。うん。 で、これはあの、言ってみたらね、火用会、火用局という世界においてはかなり新しい要素なのかなと思うんですよ。 うん。 それまで日本ってほら貧しさが美得みたいなところもあったわけですから別に貧乏がダメなわけじゃなくてむしろそうだみたいな うん うんの贅沢はあ必ずしも美しくないというのが あったんだけども売りの作品というのは何かねごく生活の豊かさみたいなものが作品に滲んでいるのかなとでこれが 80 年代という時代の象徴なのかなとい あ、 しますよね。今見ると。 うん。 ちょうど僕が生まれ84 年に生まれてるんですけど、 生まれた頃ですよね、おそらく。 うん。 うん。なので、その辺りもやっぱりヒットメーカー共栄が常に新しいものを探しているとしたらば、今 1番時代に似合う死をかける 1人だっていう風に思われたのかなと。 ああ、 ま、勝手ない。あの、 いやいや、その通りだと思いますね。あの、象徴的なのは、 えっと、ね、 サ田健二さんが1980年に、 ええ、 え、時を はい。1 月1日に、 ええ、ええ、 発表する。 はい。はい。 パラシュ ね。で、その時ってのはさ、あの YMOがよ、時ってるじゃない。 うん。 ほで、だから 70年代にの終わりにはもう 80年代が始まってる感じで キーワードは時だった。 はい。 ほで伊茂さんが時をやってでしょ。で、これは あの1 番頭に来たのはさだと思うんですよ。 うん。ああ。 先生がね、 あの、ずっとジュリー書いてにこの時をみたいなね、軽い歌で やられて という絶対思ったはず。 うん。うん。 それで、あの、 この時をやった人がね、僕にあの木崎さんっていうプロデューサーなんですけど、木崎さんがね、売野さんは ポップの悪さになってください。 ポップのアさん。おおほ。 だからここのキーワードはポップってことなんですよ。 はい。はい。 ポップに象徴される時、東京時って言ってみたり、 そういう軽さなんですね。 はい。 ポップっていうのはおっしゃる通り、全くおっしゃる通りの 生活感が気迫って うん。うん。うん。 あの うん。うん。 生活感を感じさせない。 はい。リアリティは横に置いといて。 そう。とりあえず置いといて。誰でもあるのよ、それは。ていうさ。 で、だからそれはいいからこっちの軽い方のね。 うん。せくさいていうのがこう ずあの主流になってくんですね。 ですよね。 うん。で、その ちょっと火用バージョンの中で言うとそういうその象徴がね、 あの、 価値観の変線遷の象徴が悪さから 売の上ってこう重心がちょっとだけ動くんです。 はい。はい。これがあの81年とか2 年とかえ になったんじゃないかなっていう風に思うんですよ。 僕その話を聞いて自分の読みが褒めてあげたいんですけども うん。 僕はま、火用局を 10代10代っても10 歳ぐらいから聞いてるんですけどね。 で、その中で割と早い段階から作家に興味を持ち始めたので 作家研究をし始めてたんです。 小学生の頃から その中で うん。 えっと、ま、これは物の例え方なんですけども、よくほら和生何々とかっていう言い方をしたじゃないですか。和生友ジョーンズとかね、マリンモロとかそういうので言うんであればうん。 [音楽] 80年代の誰々とか逆 70 年代の誰々みたいなのを自分の中でつけてたんです。そん中で うん。 え、80 年代の悪ゆは売野の正尾だって思っ そうそうなんだ。 で、え、じゃあ作曲家で言うんであれば うん。 80 年代の倉週一はセ沢弘明だなんていうのも、 あ、そうか。そう でも作風が似てるとかじゃないですよ。その立ち位 悪友さんが うん。 あの、テイストがね、 売野先生の中にもあるというのはご本人も思っておられたのは今すっきりしました。 うん。本当にあの、そう言ってたいね、あの、すごく ええようなことだと思ってすごく嬉しいです。 で、ただ、あの、そして、えっとね、悪さ尊敬してたからね、悪さんのことを。 はい。はい。 それで悪さの別荘にも遊びに行ったことあるし はい。 え、あの、悪さんのね、 現稿も読んだことは生言語 ああ ね。ほんであ、こういう字で書なきゃいけないんだっていうのさ、 オーダーメイドのね。 そう、そう、そう、そう。現稿しに うん。やね。で、表紙がついてんのよ。 はい。はい。にタイトルが書いてあって はい。 なんだった?宮子は春海のな冬の宿だっけ? 北の宿から。 あ、北の宿から タイトルがあってなんかこ 夜の星があってさ、こな でこたつみたいな絵がさ、上手に書いてあるんだよ。で、北の宿からてこう書いてあって表紙がパッとめくると あなた変わり あれがあってさ、こうやって書くのか。 これはまずあの見せ方大事なんや。 はい。はい。はい。 この演出っていう 演出ですね。 いいものはさらによく見せるっていうね。 はい。はい。 もうそれが必要なんだっていうのをすごい学んだんだよ。うん。 先ほどマイドサーカスで慰例の 2週間3 週間かかってしまったというお話を伺いましたが 80年代の あの火用局をバンバン書かれた頃 1 局あたり大体どのぐらいで仕上げられたんですか? えっとね大体ね平均 5時間ぐらいじゃないかな。5 時間ほ ださは 3時間で全部何でも書くって ええ23 時間でね仕上げるっておっしゃってますね。 うん。 で、僕は、えっとね、短いのもあるけど、 あの、2 時間ぐらいできることもあったけど、大体 5 時間ぐらいはかかってたんじゃないかな。 5 時間。 まず最初に取り組むことっていうのはそのど順的にはどういう順序になってるんですか? えっと、ね、えっと、曲を覚える。 曲を覚える。メロディを覚える。 メロディを全部覚えて自分で空で歌えるようにしといて。 そうで最初は不面見て うん。うん。 こうやってあの不明が読めるわけじゃなくてこう辿どっていけるようにしといて はい。 それでこれなしで こうやって歌えるようにしてぐらい聞いてう はい。 それが最初かな。それでその後にタイトルが出ればすぐに分かれば タイトル書いてタイトルから連想される うん。 ことっていうのを自分の記憶を騒動にして全部この 600日詰めの現稿子がね、 もう埋まるくらいにこう書く。 ああ、とりあえずまとめずに多めに書く。 うん。全部全部がともかく単語でも何でもいるんでこうやって書くわけですよね。で、大体これいっぱいになるという、 ま、1 番はもう完璧にできるな感じになるからこれを死にするっていうことかな。 はい。 ああ、そうなんですね。あ、でもその曲を うん。 覚えるっていうのはすごく意外でした。 うん。 なんかこうね、その作っていうのはその音符オタ弱士手とはまたちょっと別の作業なので うん。うん。 ああ、そういう捉え方もあるんだ。 だからさ、 なり響きの問題で うん。 これすごくいい響き。 このメロディに乗るとすごいよく響くね、 聞こえるねっていうさのがあるのよ。だからあのタイトルが決まっててもね、そのた錆の頭とかね、違う言葉の方がうん。 あの、ノりがいいとかなんかグループがいいとかっていうのがあると はい。はい。 それを優先させて ああ、 曲自体が良くなるようなっていうさ、そういう工夫を すごくしたのよ。 それはチェッカーズでものすごく僕は感じるかなと思いますね。 うん。そうです。 本当に覚えやすいし。 うん。 ノりに無理がない。 そうね。 チェッカーズも全部曲線ですか? あ、曲線ほとんど涙のリクエスト以外は。 あ、涙のリクエストは視線なんです。 視線。 へえ。 で、ただあの曲のノりっていうかね、あのリズム感とか うん。っ ていうのがすごく大事だな。 大事ですね。 響きがね。うん。 だからそれはあの誰にも負けない自信があったの。あ、 その響かせ。 はい。 そこがね、割とみんなは指摘しないけど うん。うん。 僕の得意なのは うん。うん。うん。うん。 そういうとこだったんじゃないかなっていう風には思うね。 それはきリスナーも感じてると思いますよ。 だから売野先生の曲はカラオケで人気なんですよ。 うん。うん。うん。要するに歌いやすい。 結果として 乗ってるから歌いやすい。あの歌に心へのない人でも歌えちゃう。 うん。 うん。その気持ちよさかなと思いますね。 うん。 やっぱりこうただ日本語がはまってるだけ音符に音符通りはまってるだけのものっていうのはうん。 ま、形になってるってだけであってそれは作死ではないよなと思いますよね。 うん。うん。うん。 うん。 そうだね。 そこがやはり名人芸なのかなと。 限りで人ゲ 平人ゲですよ、本当に。 さすがでございます。 [音楽] さあ、こっからですね、名曲ルーレットクのコーナーでございまして、こちらにターンテーブルというか、ま、レコードプレイヤーがありましてね、これが、え、ルーレットのようになっております。 これ回しますんで、先生のタイミングでストップって言っていただいていいですか? ストップ。 はい。なかなか止まらないんです。はい。え、これはね、 1 番というとこに止まりましたんでスタッフがランダムに用意しました 1番の質問はですね、はい。 こちら今まで楽曲に携わった中で最も衝撃を受けたシンガーは誰ですかという これは矢沢駅さん ああ、矢沢さんですか? え、どの辺りがありますか? あのね、あの要するに言葉って感を伝え感ね気持ちエモーション伝えるわけでしょ? はい。はい。 そうするとさ、自分が考えてなかったようなエモーションっていうのはね はい。 自分がこれぐらいの幅の振り幅で考えてた場感っていうのが矢さんの場合は歌っただけで はい。 ペンってこれぐらいになっちゃう。 ああ、分かる気がするな。 だからさ うん。 通り雨のあぶって言っただけで こ鳥雨のあぶって書いただけなのに うわっていうこれがさ、 分かりますね。その体験は叶わないけどしてみたいなと思いますね。 あの、聞いてるだけでもそれは思いますもん。 うん。 僕ね、矢沢駅さんの歌っていうのは、ま、ご自身で作曲なさるじゃないですか。で、普通に聞いてしまっているんですけど、矢沢さんの歌って矢沢さんしか絶対歌えないんですよ。 うん。 矢沢さんの気遣い、節回し、音の伸ばし方ってかなり独特だと思うんですよね。 で、それで成立している歌なので、 やっぱりご本人しか歌なせない。うん。 うん。 だから、え、先生のおっしゃった、この言葉がこう化けるのかっていうのはすごく 分かるような気はしますね。 うん。な、何でもない言葉でもね。 うん。 えっとね、違う歌ではね、み崎の向に花火が上がるよって。これだけなのよ。僕は書いたの。 はい。 そさ、もうそれだけでみさの向こう花火が もう絵は見えるのはもちろんだけどさ、そこで女の人がね。 [音楽] うん。うん。うん。 かつてのなんかわかんないけど、そういう悲しい 悲しい思いとかさうん 切ない思いとか愛しい気持ちとかさ全部入ってるような そういう 広がり なんでしょうね。すごくドラマを背負ってんですよね。矢沢えさんって。 僕極論ですね、矢沢さんが普通にインタビューを受けている動画を見るだけで後ろにドラマが見えるんです。 うん。うん。 何かこう雰囲気がある。 表されるもんではなくてうん。 なんでしょう?時には後ろに横浜が見えたりね。 うん。 なんかそういったそのうん。背景が 映画みたいなんですよね。 あ、そうだね。 そうだね。 ドラマチックだよね。 ドラマチックですね。ま、それはすごく納得ですね。 うん。 [音楽] はい。え、色々とお伺いしてまいりましたが、そろそろお時間となりました。最後にお伺いします。ウさんが作においてとされてることなんですか? もっとか。 うん。 えっとね、ドはね、手を抜かない。 手を抜かない。おお。シンプルながら。 でもこれ難しいことですね。 そうですね。 もっと頭にしとかないと。 そうですね。うん。 人間ついね。 そう。弱い。弱いからね。うん。 ちょっと緩んだりする。 はい。はい。です。やっぱり手を抜いちゃうとバレるもんですかね。 あのね、バれるっていうかね、ちょっと響かなくなるとこもあるしね。気合い入ってないとね。 はい。はい。はい。はい。 うん。やっぱさ、迫力とか うん。うん。 力とか言葉の力とかさ、気抜いてるとね、あんま出ないのよ。 うん。ああ、確かに ね。そうだと思います。 シンプルながらにして難しい MODドだと思います。そうですね。 わかりました。これはもう僕にも当てはまることなんで手を抜かずにやる時はやるんだという。 うん。 色々とありがとうございました。 ありがとうございました。 え、本日の名曲ゲストは作家売野正先生でした。どうも ありがとうございました。 [音楽]

CSミュージック・エア、ミュージック・グラフィティTVで2025年4月から放送開始の
昭和の名曲に深く迫る新番組「名曲探訪」!

昭和の時代を彩った名曲の数々。
後世に残る名曲を残した音楽家達の
この1曲、この1枚”マスターピース”について
昭和歌謡に造詣の深い俳優・音楽家の「半田健人」が、毎回ゲストを交えて
楽曲の魅力や、名曲誕生秘話に迫るトーク番組。

第5回目のゲストは、
時代を超えて愛される名曲を次々と生み出した稀代のヒットメイカー
作詞家の売野雅勇。

「涙のリクエスト」(チェッカーズ)
「六本木純情派」(荻野目洋子)
「2億4千万の瞳」(郷ひろみ)
「Somebody’s Night」(矢沢永吉)
「め組のひと」(ラッツ&スター)
「夏のクラクション」(稲垣潤一)
「美貌の青空」(坂本龍一)
「砂の果実」(中谷美紀)

などなど、昭和歌謡の大ヒット曲を中心に1500曲以上を作詞してきた
売野雅勇のパーソナルに迫る!

※権利の都合上、配信では音源を差し替えてお送りしています。

ミュージック・エア公式X
https://x.com/TV_MUSICAIR

ミュージック・エア視聴方法はこちらから
https://www.musicair.co.jp/how/

ミュージック・グラフィティTVの視聴方法はこちらから
https://www.graffititv.jp/pages/5106728/page_202107202313

#売野雅勇 #矢沢永吉 #半田健人