『ボクらの時代』『荒川静香×浅田真央 × 伊藤みどり』プロフィギュアスケーター プロフィギュアスケーター
[音楽] お集まりいただいて本当に 今日の僕らの時代は 日本女子フィギアスケート会を牽引してきた銀番のヒロインたち 初3人3 人記念すべきレアだと思いますねえ [音楽] 全然もう一方的にテレビの中の いやいやもう本当に そういやねま一応一応先輩かな いやもう大先輩ですよ なんかねもうすご まほちゃんがみさんの衣装を着てる印象というか思い出が強くて はい。初めての世界ジュニアと初めての全日本選手権はあのみさんの衣装を あの着させてもらって滑ったのはもう本当に覚えてます。 もう山田竜の山田先生のやっぱり考え方がやっぱりいいものはやっぱりちゃんと残してあるのでやっぱりそのいう受け継ぐのはもうまちゃんしかないっていうことで そう大切に来て頑張ってくれてたからそれはそれですごいこ私の方が 嬉しくて名誉なことで いやに宝物です あれは今 はい まおちゃん地にある あれはまた次あのかな子に次渡したりとかして お 繋がっていき のはえ、 へえ。 あの、オレンジのプリンジとかは、 あの、またかな子が来てたりとか ちょっとアレンジして はい。ちょっとアレンジしてとか みさんがトリプルアクセルを飛ばれてたから多分その山田先生のお弟子さんがみんな歴代トリプルアクセルまで練習をして成功させた人もいるし、それこそままおちゃんも当たり前のようにそこまで行くっていう多分感覚があったと思うんですけど、全国的には特別すぎてその地域に何があるんだろうってなんかすごいそこの地域に行ったら飛べるんじゃないかっていうなんか気がしてなんか秘訣というか いやもう完全に緑さ さんの存在は大きいですね。もう緑さん 目指して私たちのクラブみんなあの映像と かで拝見して私もこのジャンプが飛びた いっていうのもありましたしあとその3 回転を全部マスターできて3回転3回転も できたらまち子先生がトリプルアクセル やろうみたいな感じでそう言ったので何歳 からトリプルアクセルは 私は5年生ですね。それもっと若い時から 飛んでるからねえ、みさん何歳から? 私14とか15歳。1415歳のうち。 え、トリプルアクセル練習し始めてからどれぐらいで飛べるようになったんですか? 半年ぐらいかな? 半年。 でもすごい。 うん。半年ぐらいか。 半年。 半年ぐらいかな。 でもその服がかかりすぎてるから 3 月に世界選手権があるっていう時の明日から試合で出番っていう時にそれも東京で世界選手権がある時に足骨折しちゃって すごく連盟に怒られたん なんか松勢を疲れて歩いてるそう映像を見た記憶がすごいあ [音楽] うん まおちゃんは6 年生の延部山で うん 標が高いので 結構回転はあるっていうので期待していったら 6年生で確か、あ、5年生だ。5 年生でね、1年かかったんです、私。あ あ、 はい。5年生の延部山の時に 初めて飛べました。 へえ。 もう衝撃だったもんね。 もうだから愛知は日本代表とかじゃなくて愛知で行ってくれないかなって思ってる時代ありました。でも それ以外代表の時代もあったから前はありました。 はい。 行ったりとかしてたので。 だからもうシーちゃんて言ったらもう 次にこの子はオリンピックにチャンピオンになる子だよって私紹介されてるから もうそんな後にちゃんとその取れなかった私の銀メダルがちゃんと銀メダル取ってくれて行ってくれてるからの時代だからちょうど色々色々狭の時代だったんだ。 その時代に乗っていけたからやっぱり やっぱりその才能っていうのは私そこで常に崖けだったんでね。 常に崖けプチなんですよ。 ルール変更があって衝撃でしたよね。 ルールの変更ていうのは年 2004 年から導入され始めて世界選手権は 2004年が最後の6点 満点方式で2005 年からは今の現行ルールに変わってうん。 全く概念覆が されるような内容だった。だから そのルールに乗って、今のルールに乗っていない子はもう全部がこう 3 拍子揃ってないとテクニックだけじゃなくて 誰と戦ってるってよりルールと戦ってる感しかなかったですね。 [音楽] だからそれに乗っってたち時間とか 9時間とか はい。あちゃんなんかすごいほとんど 1日いたよね。 え、なんかでも先輩方がもう皆さん朝から夜までいたので多分緑さんでしょ。学校行ってないです。 学校行くよりもスケートの方が楽しくて ああ、 なので全然苦じゃなかったんですよね。 おちゃんずっとなんかスケートその後もずっと練習 リンクにいるリンクにいる。うん。 でもみさんもなんかそうだったのかなって勝手に思ってたんですけど、 私はあまり練習好きな人じゃなかったから苦手嫌いな人だったから。そうだった。 うん。でもやらされてた。やっぱり やらされてた。はい。 やっぱり世界に自分の演をするためにはこれだけの 120% やっぱりやらされててで自分の力は 80% ぐらいしかやってなかったかなって朝が私たちなかったんですよ。 ああ。 だから学校行く前に滑るっていう概念がない。 で、2年生の時朝あった気がします。 あのね、夏休みとか春休みとかそういう休みことになると そうですね。もう8時間9 時間なっちゃうけど、普段は いや、もう 多分先生の問題だと思うんです。先生が朝パチンコに行くから朝れはできないんですよ。長く雲先生がね。 あ、そういうことか。 そう、そう、そう。仕事があるからって言ってたから。 いやいや、でも そう、そう、そう。並ばなきゃいけないから。 その仙台画宿が覚えてる中で 1番きつい画宿だったんですよ。 ね、夏休みと春休みとか 画宿形態になっちゃうともうひたすら長くて いやだって朝6時とかから多分 9 時とかまでずっとスケーティングとかで私も途中でリタイアしました。 あれ全力でやらないんだもん。 そうなんですよね。 だから1 人ぐらいいなくてもわかんないっていう。で、みんなが疲れてきた頃に頑張るとすごい頑張ってる感が出るからそこだけ頑張ればいいっていう。そうコツがあるんですよ。あそこ行き抜く。 はい。 でも分からないで画宿で来ると全力で 6時からみんな頑張るからよし頑張れ。 あの長久保先生にすごい怒られたの覚えてます。 そうそう。 静かとか言ってすごい怒鳴られてたの覚えてますね。 なんか学校の生き抜きをスケートでしてスケートの生き抜きを学校でしてっていうあ 感じだったので逆にその学業終えちゃって大学卒業してからの方が苦しかった。 スケートだけになっちゃってからの方がずっとスケートじゃないですか? はい。 何で生き抜きをして うん。 あんまり生き抜きなかったかもしれないです。 なかでも楽しかったのかもね。スケートが ずっと楽しかったわけでもないんですけど子供時代は比較的楽しくちょっとオリンピック苦しくなったのぐらい? 16 とか うん。うん。 ぐらいでなんか楽しいだけじゃできないなみたいな。 分かり始め。 はい。 まおちゃんが初めて辛さを感じたのは何に辛さを感じた? 私は自分の思ってる演技ができなくなっちゃったんですね。試合で。 うん。16歳ぐらい。17 ぐらいですね。はい。 なんかやっぱり失敗するとそれがなんか恐怖になっちゃって うん。 こう試合で自分の思うような演技が全然できなくなっちゃった時からそれからなんか自分の体験変化とかでジャンプが飛べなくなっちゃって その時ぐらいから結構きつかったですね。 うん。 へえ。これは話してみないと分かる。全然 そんな風に外から見てたらまおちゃんは順調にこう育ってて、あの最初小さい頃は逆や緊張しお姉ちゃんは練習あんまりしなくても出ろです。 練習してるのに 試合でできないって感じでだったけど、それからはなんとか順調にこう伸びていったような気はしてたけどやっぱり 16歳17 歳ぐらいにはやっぱり辛い時期があったんだ。 ありましたね。はい。 それ見ててわかんない。ました。やっぱ深夜は 3年目ぐらいから やっぱ天身乱漫にこう スケートと向き合ってるだけじゃなくなってたのを苦能悩が見えてきた。 うん。うん。うん。 そう。それこそ練習できてる うん。 ものが本番になるとちょっと慎重になる感じ。 うん。 もっと簡単に楽しくやれてたところから見てた。 うん。 せかちょっと感じた。 はい。うん。それぐらいが結構スタートですね。なんか恐怖を覚えたっていうか。 うん。 でもそれぞれスケーターの皆さんやっぱりね うん。 そういう時期ってあると思うんですけど、みさんとかあの静かさんはいつぐらいにそれを感じたんですか?中学校に上がってぐらいからもう反抗期が始まってて でやっぱり親元離れて山田先生ところで一緒にこう生活をしてたので そのスケートの流れがうちに流れてくるのでもうそれの そうがなのでもう反抗ばっかりしてて その怒られたりうまくいかなかったものがどうしてもうちに帰ってき でも、ま、うちはうちでしなきゃいけないんだけど、やっぱりその流れが うん。 どうしてもたうん。続いちゃってた。私年はね、さ、 10 やっぱり134 歳ぐらいまでは思うようにジャンプも うん。 うん。飛べるしなんかあんまり苦労しなかった けどそこからちょっとやっぱり変化が体型も 気持ちも起き始めて高校 1 年生の時に長野オリンピックのあるシーズンだったんですよ。 うん。 だからそこまではなんとかその目標とか夢とかあるから その変化があってもなんとかかんとかや 入れてたけどそこから 1 回切れちゃったっていうのはある。満足しちゃったというか出たことだけ。 だけで。うん。 そんな時にそう。それこそ 14歳のまおちゃんがバーンと出てきて はあ。 で、すごい輝いて笑顔とかがね、見えてやっぱスケートってこうやって生きと向き合ってるからこそ輝けるんだなっていうのはすごい感じて、どうスケットと向き合うかってことをまおちゃんを見ながらすごいヒントをもらってやってましたね。 もう全然なんかやりたいとかやれるとかが希望が見えない時期だったので すごい希望 うん に溢れたまおちゃんの姿っていうのは うん すごく刺激的でした うんスケート人生振り返るんですけどあの時期が 1番良かったと思います 怖いものもないし インタビューさせてもらった時そういうんですけど試合でも できな Wupinwithheofdream tryournameonthemir [音楽] stillhangon likeaghostdon’t believeany yousaidwejustck [音楽] butIstillburnwhen ことできちゃうし。はい。 本当に楽しそうね。 どこ行ってもでスケートのことだけじゃなくて一緒にね行ったら ああ なんか会話とかがやっぱり社会人と中学生だから何していいかがわかんないから中国来てなんか楽しいことあったって動物園行きましたみたいなグランプリシリーズの時に 言っててそうだよな楽しんでるなと思って 試合前凱旋門登ったりとかしてたんですよに考えられない今だったら全然考えられないんですけど [笑い] [音楽] も朝到着便でその日練習来てなんか 3週ぐらいしたも トリプアクセルとか飛んでるから。 本当ですか?それはちょっと忘れちゃってた。な んだろうね。この私たちの影の感じみたいな。 無敵ですよ。するに書いてすごいなって。 リンクで作っちゃった。本当に。今 オリンクって作らせてもらったので 滑りたい。 滑りたい。お願い。 [音楽] 全日本フィギアースケート選手権 2024が今月20日に開幕。 オリンピックプレシーズンの日本選手ナンバーワンを決める戦い。トップスケーターたちの激闘が注目されています。 [音楽] 何連覇ですか? 8+1。8 連覇です。8+1+1っていうの で、ま、1回引退して復活して うん。 優勝できたので8+1かな?9だ。 そう9。9連 9かな。3、3人の中で、まおちゃんが1 番回数出てるかもしれない と思いますね。私12歳から出て、 1回給容して1回休んでるんですけど 26 で引退したのでそれまでは多分毎年出てると思う。 12 から26枚だから26 まで13 で1回休んでるのね。12 回ぐらいですね。 やっぱり全日本は緊張するよね。 からの全日本じゃなかったですか? もう やらなきゃいけない。ノルができて 国際大会より全日本語がやっぱり 1番緊張し ええそうです。私全然違って逆なんです。本 当 私なんか 大人になってからも なってからも 全日本大丈夫だったなんか子供の頃から全日本は絶対いいっていうなんか謎の自信があって ええ で海外行くとやっぱりその応援が少ないんですよね。やっぱり日本人の応援が少ないのでちょっと心細いんです。 日本帰ってきて試合出ると応援がすごいのでなんかすごいそれがパワーになって みんな大体最初は出たくて出たくて出て 23 年は楽しくできるんだけどそっから次の年の運命が決まることを知ってからは すごいプレッシャー大きかったですね。 いや、でもあのオリンピックの年の うん。 全日本は先行がかかってるのでそれはもう本当にうん。 もうオリンピックと同じぐらい緊張はしましたね。 私逆だ。 え、逆? もうそこでダメならだってダメなんだもん。潔ぎみたいな感じで。 さすがグールビューティとも先行方法が違ったから 全日本だったら 1 道に集まって決めるじゃないですか。潔ぎじゃないって思えたんですよ。もうこれで はい。 決まった順だよ。 でも結構フィギュアって若手のスケーターがこうどんどん出てくるやっぱイメージですよね。 うん。仕上げる力がね、ある。 うん。うん。なかなかこう20 代後半で活躍できるスケーターっていないのはなんでなんですかね。 でもでも選手寿命は伸びたよね。 うん。 やっぱり今トレーナーさんがついて栄養師さんがついていろんな 1人のアスリートに対しても随分 うん。そうだよね。その辺はだから選手寿命は伸びてると思うんだけどやはり若さの勢いがあるからさ。 うん。 でもそれこそまおちゃんとかあっことかが長く選手として 頑張ってる姿を見たから、あ、そこまで頑張れるんだっていう気持ちには今のね、その坂本さんとかもそうだけど繋がってるんじゃないかなとは思うんですよ。うん。 で、また新しい賞も2 人フレンズだったり、自分の賞であったり、マシしてアリンクまで作っちゃった。そう、本当にマシしてアさん 名前が すごくできるんだっていうところ。すごくない?私たちから見たの? いやいや、でも本当にご縁で 考えもできなかった部分ですよね。 はい。 やっぱりその貢献度はまおちゃんすごいことだよ。 うん。ありがとうございます。でもこっからだなとは思います。 やっぱりそのできてからがまた次のスタートだと思うので うん。 とりあえずできて良かったなと思うんですけど、こっからまた何か違う形でうん。 ね、スケートに貢献できたらいいなと思いますし、今しかできないことをやるっていうのは思ってますね。 うん。 はい。 まリンクから全日本選手を排出ね、 する日が来たらですね。 結構やっぱご縁とかもね、大切でそのご縁に恵まれたのでうん。 そうやってあのマオリンクって作らせてもらたので 滑りたいぜ。 滑りたい。 ぜひ来てください。滑りたい。 第1号所属で選手レジェンドスケーターで 本当 はい。もうく大会もできるぐらいの大きさなので 是非緑さん レジェンドスケーター お願いします。 てかみさん競技出てますよね。出てます。 今そのニュースを必ず夏はもうお恥ずかしながら未だにねってる 国際事合作一応ね、 ま、現金に対してプロスケーターとして仕事として滑って今は趣味として自分のライフワークとして滑っているから本当にスケートが楽しみながらこう滑れてる。 それをこう発揮できる場所が大会で 一応勝ってはいるんだけれどもでもリスペクトされるのはえ、 60代とか70 代の人がその人生のライフワークとしてフィギュアスケートをしてる人たちがすごいリスペレクトされてるの。 うん。 これは本当にフィギュアスケートはやっぱり人生を多華でる障害スポーツなんだっていうことをわかる。うん。 うん。 もう今は見てるだけじゃなくて誰もがピアスケードやりたいと思ったら うん。うん。 やれる時代。 うん。 ワールドワイドに。 普通。そう、そう、そう。で、普通だったら小さい時からじゃないとスケーターになれないとか選手になれないとかを 思ってしまうけれども今大人からでもフィギュアスケートが始まれる時代に うん。 なって、それのモチベーションを国内の大会でもアダルトの大会もあるし、そのどこにモチベーションを持っていくかによって出方が違うってもっと幅がフィギアス系とかの広がるところに今させてもらっているのですごくた楽しくうん。 そういうギアスケートがこう滑れている。 うん。 仕事じゃないし、 自分が好きで滑ってる。今だから若い頃に今戻ってる。 うん。 やっぱプロは仕事っていう感覚でした。 うん。 ええ、仕事じゃないの? 仕事ですけど。 うん。 相性を人と作りたいって思いがあって引退したせいか うん。 今の方がっていうのはありますけど、なんか実感があるというか 逆に競技の方が乗るまたんまおちゃんどうですか? 私うーん。え、試合も仕事って思ってました。 やっぱ背負ってるプレッシャーがもう 123歳から うん。うん。うん。 世界のトップを求められて常に注目されての だから逆に私もあのもちろんプロになってからも仕事なんですけど やっぱ スケートの幅は広がるので うん。 なんか楽しんで、ま、大変なこともあるんですけど自分がやりたかったらやるしもうやりたくなかったらもうやめてもいいわけなので うん。 そういう意味では今の方が楽しめてるのはあります。 うん。 まおちゃんが引退してからできた新しい趣味とかあります? うん。 あ、キックボクシング。 おお、出てたね。今ね、 キックボクシングはまっちゃって うん。 それエクササイズの一環ですね。 はい。そうですね。はい。 で、やってたんですけど、やっぱりちょっと足首痛くなっちゃって。 ああ、蹴りすぎちゃ、 蹴りすぎちゃって、で、やっぱシがあるので 1 回やめてたんですけど、またあのエバラス終わってから週 1で今通ってて、 楽しい。 それがすっごい楽しいです。 こうストレス発散で。 あ、もう完全にストレス発散ですね。 あ、 パンチしたり、 キックしたり すごい楽しい。 なんかやるならストイックにやる ね。ね、はまってしまいそう。 試合に出たいなと思って。 ええ、試合があるの? あります、あります。はい。あの、アマチュアの試合とか、 エクササイズだけじゃなくてもう戦う そうです。はい。 なのでまたちょっと戦う人だった。 静か君なんか子供産んでも まだスプロスケートしてるから両立なんかが どうしてる? できてない。 いやいやできて。 この前も一緒に素晴らしてもらったんですけどすごいパワフルだなと思っ うん。うん。 必死。また常に崖ですよね。も どっちか気をいめたらもう崖けって感じな。すごい尊敬スペクトできる両方率。趣味はもう今一切 [音楽] 持てる余裕がないので 目の前に来たことをやっぱり一生懸命 やっつけてる状態。 うん。 自分の時間はないですよね。滑ってで 滑ってる時間が自分の時間 子育てしてで別の仕事してってだと。 そうだから時間のやっぱ使い方だけが今 [音楽] 1番難しいなっていうのもあって うん。うん。 でもどれも今しかできないこと うん。 かなとはも向き合うこともそうだしスケートも限りがあるしうん。 [音楽] でもプロになったスケーターにうん。 うん。なんかもうスケートにこう一生懸命なりすぎて子供も持つない結婚もできないって言うんじゃなくて結婚しても子供がいてもなんかこんな必死だけどなんとかやろうという気持ちがあれば できるんじゃないかなって思いさんが今戦闘あねは歩んでるよね。こ れ結婚する選択肢とか子供持つ選択肢する選択肢っていう誰かの選択肢のうん。 うん。 なんか希望になれればいいなっていうのはあります。必死になる。 うん。はい。 日本のスケート界のね、歴史をこう皆さんみさんから始まってし静かさんがね、繋いでくださったので私もそれにつげていきましたし うん。 本当に 今度また次会のそうですね、次につげたいと思いますし、 リンクができてね。 うん。どんどん新しい子も多分出てくると思う。楽しみですよね。 ね。で、みんながまたスケートの先にどこに向かうのかも今楽しみ楽みだよね。その先がね。 [音楽] それでは今日も素晴らしい 1日を 俺たちだけでもやろうかって話してないもん。新聞で 新聞で知りました。 なお戦は継続の模様って書いてある。 [音楽] trustmytakethecall theence [音楽] though ones [音楽] somethingspininmy brainwhispersany don’tbescaredsl
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