2025年9月7日 朝の礼拝式

[音楽] うん。เฮ [音楽] [音楽] 帝国が参りました。市の2025年9月7 日朝の礼拝式を前走って取り行います。 [音楽] 音量ね高切 [音楽] 礼拝への招き 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に 向かって喜びの叫びをあげよう。見舞いに 進み感謝を捧げ額の根に合わせて喜びの 叫びをあげよう。主は大いなる神。全ての 神を超えて大いなる王。深い地の底もう うちにあり。山々山々のきも主のもの。海 も主のもの。それを作られたのは主陸も また見手によって形作られた。私たちを 作られた方主の見舞に膝まずこう共にひし 不拝も主は私たちの神私たちは主の民主に 養われる胸御のうちにある羊今日こそ主の 声に聞き従わなければならない栄光の神を 賛備いたしましょう。最の546番です。 ご記立できる方はご記立ください。 栄光の人の神は完全に正しいお方。どんな に小さな罪も意味嫌われ怒りをれます。 しかし同時に哀れみ豊かの方でもありその 罪私どもが素直に認べ告白し許しを求める 時許してくださいます。まず礼拝のしりに 従って先週集会の罪を教会共同体全体告捕 し許しを祈り求めましょう。愛する 兄弟姉妹主イエスキリストの戒しめを聞き なさい。心を尽くし、精神を尽くし、思い を尽くしてあなたの神である主を愛し なさい。これが最も重要な第1の置き手で ある。第2もこれと同じように重要である 臨人を自分のように愛しなさい。立法全体 と予言者はこの2つの起き手に基づいて いる。また次の約束の御言葉を聞きなさい 。自分に罪がないっていうなら自らを欺て おり心理は私たちのうちにありません。 自分の罪を大やきに言い表すなら神は真実 で正しい方ですから罪を許しあらゆる富義 から私たちを清めてくださいます。です から今人の心を探り知られる神の見舞罪を 告白しましょう。 と一緒に物作り主全ての人のさき主であられる神を 私たちはあなたの聖なるしめに従わず失れた羊のように見舞いで [音楽] 思いと言葉と行いにおいて罪を貸し あなたの身怒りを招いたことを深く悲しんでおります。 に飲んでおられる父を犯かした罪を憎み悲しむ私たちにあるみを注いでください。 主 イエスキリストにおいて私たちを許し見たによって生まれ変わらせ皆の境のために生きるものとならせてください。 [拍手] 主 イエスキリストの皆によってお祈りいたします。 あーメン。 ではしばらく心の中で具体的な罪があればそれを告白し許しを祈り求めましょう。 うん。 十字架と復活の主キリストによる罪の許し の宣言 あなた方は各々真心から自分の罪を食い イエスキリストにおいて提供された神の あるみを許しに寄りすがろうとしています 。 このように心から食い改めてイエスキリストに寄りすがる人には父とこと精霊の皆によって罪の許しを宣言します。ご一緒に [音楽] あーメン。 あメん。 主キリストによる罪の許しの恵みをいただいて感謝の思いから教会の 3つの重要な文章問都心情 10 回主の気の順で感謝を持ってまいりましょう。言は子供の教会版です。 主都信情私はこの世界をお救いになった主 何でもできるお父さん神様を信じます。私 はお父さんのたった1人の子、私たちの 救い主イエスキリストを信じます。イエス 様は精霊によって宿り乙女マリアから 生まれポンテオピラトの元で苦しみを 受け十字架 につけられて死にお墓に入れられ読に下り 3日目に死んだ人の中から復活し天に登っ て何でもできるお父さん神様の右の席に 座っておられます。そして永遠の命をいく ものと滅びるものをさくためにまた来られ ます。私は精霊を信じます。聖なる1つの 教会、信じる人の交わり、罪の許し、体の 復活、永遠の命を信じます。あーメン。回 私は主の神エジプトで奴隷になっていた あなたを自由にした神である。あなたは私 の他に神があってはならない。あなたは神 の姿を形にしようとしてはならない。 あなたの神主の名をふざけてしてはなら ない。安足に大切にし神のために使い なさい。 あなたの父母を敬としてはならない。してはならない。盗んではならない。臨人について嘘を言ってはならない。人の持ち物を欲しがってはならない。 [音楽] 主の祈り。 天にいらっしゃる私たちの父さん。 あなたの名前が褒めえられますように あなたの身国が来ますようにあなたの考え が天で行われる通りこの地上でも行われ ますように私たちに毎日必要なものを今日 も与えてください。私たちの罪をお許し くださって私たちも人を許すことができる ようにしてください。 私たちを悪い誘いに合わせず悪いものから救ってください。 国と力と栄光はいつまでもずっとあなたのものです。 あーメン。 あメん。 では今朝の片キズムの歌 56番、57番それぞれ1 回ずつ歌います。 [音楽] 神様おられます。 感謝 すること 神と人 を愛して使えて歩むこと 使える道を知るために神様言葉を 教えてくれる 感謝に生きるその道を [音楽] それではご起立できる方はご立いただき見を持ってる神を賛備いたしましょう。変化の第 24編です。 [音楽] もの より も皆 のものなり 主はその 大水 の上 に た に 主の山 に登り せに立つ 心 も記憶 いつは 変わ [音楽] 虚しき戻りは心を寄せるもの人は主の祝福の恵み [音楽] [音楽] を受ける。 の主をしたい [音楽] ヤコブ の神 の 身かを尋ぬる もの 起こし の声 長 を目げよ。 [音楽] のきたら音れるかいにたけ強き主なりこしえごと [音楽] [音楽] [音楽] を上げよこのきたら音はたれなるか万のこそは坂境 [音楽] [音楽] [音楽] なり どうぞお座りください。お祈りをしましょう。聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな。 万群の主 み父と巫女と精霊なる密にして1つなる神 を あなたは祝福に満ちた唯一の主権者王の王 主の主唯一の不思の存在近寄りがい光の中 に住まれる方誰1人見たことがなく見る こともできない方 ととしの主権はあなたのものです。 天皇父よ、あなたの愛と恵と哀れみに 満ち溢れるご支配の中でこの市の2025 年も9月最初の日安足日をこの地上にあっ て迎えることが許されました。 すでに暦みの上では秋ではありますが猛暑 の日がついております。天の父を豊かに 哀れんでくださり、今週も熱中症様々な 健康被害からお守りください。また台風の 季節となりましたけれども豊かに哀れんで くださり、また人な被害からこの地上をお 守りくださいますよう心からお願いを いたします。 前脳の右の大座にます復活の主よ。あなた はこの安足日も招きの御言葉によってこの 地域の様々なところからこの街道に私ども をこのようにお集めくださいました。今私 どもはあなたの十字架の死による罪の死の 恵みの中で誠に義なる聖なる天の父の見舞 に立つことが許され天の父の身を平安の うちに仰ぎることが許されております。 今天井にあってもあなたへと喜びの礼拝が 下げられております。数えきれない天使の 大軍そして常に天に召された数えきれない 信仰の先輩がともにこの地上のこの街道に あってハレルヤとあなたを礼拝できます こと心から感謝を申し上げます。 しかしこの地上の私どもは天井の先輩とは 違いまして未だ罪に汚れており先週も罪と 戦いで魂疲れ果て傷つき弱って今ここに 戻ってまいりました。あなたはそのような 私どもに宣言くださいます。私は復活で あり命でありを信じるものは死んでも 生きる。生きていて私を信じるものは誰も 決して死ぬことはないと アーメンよ。私ものうちに宿っておられる 精霊にあってあなたを通して天の父といか に交わることが許されあなたの永遠の命の 交わりの中で私のものし癒され慰められ 励まされ元気づけられますこと心より感謝 いたします。 見た清き神よはこの後の聖書の御言葉の 朗読分説教を手段としてまた本日は生産 霊点を手段として巫女イエスキリスト並び に恩とのいよいよ豊かな交わりをお与え ください。そして巫女イエスキリストに あって罪許されて永遠に生かされている その喜びで満たしてくださいまして勇気と 平安豊かにお与えくださり新たにこの世界 へと派遣くださいますよう心からお願いを いたします。 主を同じくして取り行われている小階礼拝 式に祝福してください。本日講大に派遣さ れている中根博物先生による御言葉の説教 を通してまた本日は生産の霊点を通して クアナ海道に集うお1人にもあなたの 交わりが豊かれありますように 伝動のあなたが派遣くださったこの北地方 に住む人々が1人でも多くあなたをこそ 生ける誠の死と知りまた崇めることができ ますようにこの2つの胸の伝動活動を豊か に祝福し用いてくださいますよう心からお 願いをいたします。 平和の応よ今朝もこの地上の平和のため 取りなしの祈りを下げます。今週もこの 世界に主イエスキリスト中心の平和かにお 与えください。願くは政治の勤務めを託さ れた方々特に各国のリーダーたちを確別に 帰り見てください。この地上で争いの体内 地域を確別に荒れんでください。また巨大 地震はめとして津波大雨洪水原発事項など の人災によってこの地上の多くのたちが 被災しておられます。豊かにあれみ助けて くださいますように北朝鮮にお照ら立ちさ れた方々がそれぞれのご家庭に1刻も早く 立ち帰ることができますようどうかその道 を1刻も早く整えてください。 日の仕様、この街道での礼拝式に集われる お1人、また今インターネットで在宅礼拝 式を守っておられるお1人、さらにはこの 教会に関係するお1人1人、子供の教会の 子供たちとそのご家庭それぞれに今週も あなたの祝福を豊かに急いでください。 本日礼拝式に出席できない方々を伝えて ください。特に心に体に弱望をれる方々を お伝えください。今施設にある方や自宅 療用中の方、また隣国韓国にある方々を 特にお守りくださいますよう心からお願い をいたします。本日やめえず日常勤務に なる方もあなたが共にいて支え導いて ください。この礼拝式を最後まであなたの 恵向い手においにします主の皆により感謝 して祈ります。あーメン。メン。 では賛美化の280 番を持ってる神イエスキリストを賛備いたしましょう。ご立できる方はご立ください。 どうぞお座りください。 では今朝の死なる神イエスキリストからの 語りかけに耳を傾けましょう。今朝は新約 聖書コリントの新と手紙に第4章7節から 15節の見言葉新約聖書の329ページ です。 新約聖書329ページコリントの新手紙に 第4章の7節から15節の見言葉日本聖書 協会新共同薬聖書で朗読をいたします。 ところで私たちはこのような宝を土の器に 納めています。この波外れて偉大な力が神 のものであって私たちから出たものでない ことが明らかになるために私たちは司法 から苦しめられても行き詰まらず徒方に くれても失望せずしいげられても見捨て られず打ち倒されても滅ぼされない私たち はいつもイエスの主を体にまとっています 。イエスの命がこの体に現れるため、 私たちは生きている間、絶えずイエスの ために死にさらされています。死ぬはずの お好みにイエスの命が現れるために。こう して私たちのうちには死が働き、あなたが のうちには命が働いていることになります 。私は信じた。それで私は語ったと書いて ある通り、それと同じ信仰の霊を持って いるので私たちも信じ、それだからこそ 語ってもいます。エスを復活させた神が イエスと共に私たちをも復活させ、 あなた方と一緒に見舞いに立たせて くださると私たちは知っています。全て これらのことはあなた方のためであり、 多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念 に満ちて神に栄光をきするようになるため です。以上でございます。 では皆さんハレルヤ ハレルヤ 主エスキリストは全世界の誠の王様です。十字架の市から復活なさって罪の力死の力また闇の帝王悪魔に勝利をしてくださいました。そして勝利の王様として天皇大と凱旋なさったのであります。 ですから皆さんスルスむコルダ スムコルダ 今こそ私たちの心を高くその天井の王ざにいらっしゃる勝利の王様イエスキリストへとを向けましょう。そしてそのイエス様は今目には見えませんけれども精霊にあって今この礼拝式にしでもあります。さらに私たち 1人1人に宿っていてくださいます。 この方から命のパン、御言葉をいてさらに本日は生産のパンと逆月きもいただくことで私たちの父である神と主エスキリストからの恵みと平和とが皆さんにいよいよ豊かであります。改めておはようございます。 おはようございます。 本日はニハせよ高だ。 さて、井原茂先生をご存知かと、 あ、茂明先生でごめんなさい。日原茂明 先生ですね。おご存知かと思います。 え、この方はクリスチャンドクターであり まして、ま、長寿の恵みに授かった方で ありますが、もうすでに2017年に、え 、105歳で亡くなりました。105歳 すごいですね。で、その日原、え、先生が いくつになっても今日が1番新しい日と いう、そういう著書の中で、え、最初に 終わりのことを考えよという文章があるん ですが、その冒頭を次のように、え、書い ていらっしゃいます。これをお知らせし ましたね。 人間の体は初詮。やがては土に帰る土の器 です。その土の器に何を入れるのか。その ことは生涯を通して問いなければなりませ ん。もし土の器に健全な心を宿すことが できたならばその心こそは口い宝となるに 違いありません。体は廊下し、最後には闇 衰えることがあったとしても、もし健やか な心を体に宿し続けることができたなら、 老人は自分の周囲からのひ護に感謝し、 謙虚に過去の即籍を帰り見つつ、今日も 生かされたことに対して感謝の祈りを 下げることができるでしょう。という風に 書いてですね。 ところで、その人間の体、 これが土の器と呼ばれますのは、主なる神 様が人間を土の散りからお作りになった からでございます。 で、その最初の人間がですね、え、罪犯 かした結果人間は死んでその土に帰らざる を得なくされました。 で、その人間が土のちびから作られたと いうことは、え、創世紀の第2章7節に 書いてある通りなんですが、え、そこを 確認しておきたいと思います。え、その 創世紀第2章の6節のところからお読みし たいと思います。前の方に、え、移ります のでそこをご覧になってじゃご一緒にお 呼びしましょう。 はい。 しかし水が地下から湧き出て土の表を全てした。 しる神は土頭の地で人頭を形づりその花に命の息を吹き入れられた。 人はこうして生きるものとなった。 さあ、この土のチと聞きになるとどんなイメージでしょうかね。 散りでありますので普通はですね、土埃り とかゴミとか紙くずなどこれを意味するん ですね。チりというのか、あのチもツもれ ば山となるの散りということなんです けれども、 ま、しかしこの時なる神様がお持ちになり ましたこの土の地理でありますけれども、 これどうやら土のようでありまして、特に この前の説との関係で言いますと、水に よって潤っている上等な粘土のようなん ですね、実は。ま、ゴミのような土地では ないということなんです。この時神様が 主な神様は当期のようにその上等な粘土を 練り上げて人間をお作りになったという ことであります。 で、主なる神様はその花にご自分の命の息 を引き込んでくださいました。 ここがあの他の動物例えば猿なんかとは 決定的に違うところですね。で、こうして 初めて生きる人間となったという風にそこ に記されています。 で、このところにその人間というのが他の 動物とは違いまして、特別に作られている んだ。そのことがよく示されています。 人間というのはよく主なる神様の想像の 冠りである。そういう風に言われてます けれども、 しかしながら人間っていうのは、ま、土で 作られておりまして、その意味他の動物も そうなわけですね。ですので人間も他の 動物も同じ土属であります。土に属する ものですね。 で、主なる神様はその人間に対して、え、 この世界特に生き物を納めるようにとご 命令くださったわけなんですが、創世紀の 第1章の28節に書いてあります。それ よく文化命令とそういう風に呼んでます けれども、このご命令はどんなご命令かと 言うと、この世界をすることではありませ ん。 思いのままにシャんです。 他の生き物を納めながら同じ土族として共 に行きなさい。これが文化命令なんですね 。 つまり主なる神様の所有であるこの世界を 大切にしなさいということなんです。 ま、それはともかくとして 人間っていうのは神様によって尊く作られ たんでありますけれども、同時に体は他の 生き物と同じように土の器でしかなく もろく弱いということ。これを湧きまえる 。このことが大事でございます。 で、そういう私たち土の器の人間がその 健全な心を健やかな心を宿すことの大切さ 、それをひ原先生は解いてくださったの でした。 この本日の聖書歌詞の冒頭コリントの新党 の手紙2の第4章7節の見言葉をこれは 先生は一般向けに言い換えてそのように 教えてくださったんですね。その7節って も ところで私たちはこのような宝を父の器に 納めています。この波外れて偉大な力が神 のものであって私たちから出たものでない ことが明らかになるためにとなります。 で、日原先生はその宝というものを、ま、 健全な心という風に読みえたのであります けれども、 この元々の聖書の文脈ですと、このような 宝というのは一体どんな宝のことなん でしょうか? さて、直前の説、え、第4章6節のところ でございましたが、こう書いてありました 。第4章6節 闇から光が輝き出よと命じられた神は 私たちの心のうちに輝いてイエスキリスト の身顔に輝く神の栄光を悟る光を与えて くださいました。 神は私たちの心のうちに輝いて云々と書い てございました。 で、この時のそのパウルの心の内を指して みたいんですけれども、 主ダ神様による天地創像の宮の中でもその 最初の宮ですね、ま、光の創像、それに パウは思いをはせました。 で、このこと書いているうちに主な神様に よる創像の宮の中でも終わりに属する、 つまり人間の想像その宮へと思いが至った のでありましょう。 で、この6節の私たちの心のうちにと書き ながら土の器というこの表現が与えられた のではないかとそう察します。 で、その6節に神は私たちの心のうちに 輝いてイエスキリストの身顔に輝く神の 栄光を悟る光を与えてくださいましたと こう書きました。なのでこの心のうちと いうこの表現は土の器と言い換えてもいい と思います。 そうすると土の器に納められている宝と いうものはこれ何より 主イエスキリストの福印を悟らせて くださる精霊ということになってまいり ます。 特にイエスキリストが自分の主つまり自分 の主人であるとそう悟らせてくださる精霊 の力ということにこの文脈ではなって まいります。 なので日原先生はその健全な心をですね、 え、土の器に宿すことの大切さ、それを 解かれたんでありますけれども、この聖書 の文脈によるならばイエスキリストが主で あるというこの信仰を精霊が与えて くださってこそ人間は誰しも健全な心とさ れるんだとこういう風に言うことができ ます。 心も含めて体というものはもう土の器で あってもろく弱いんですね。 体は廊下し闇に衰えることがあるもので あります。 そして死ぬとこの日本では仮想にふされ ます。 まるで白い陶期の破片のようになって しまうわけですね。 そしてお墓に埋葬されてやがて土に帰 でそんな私たちそのものから 湧いてた力によるのではなしにですね 私たち土の器に宿っておられる精霊の力に よってこそ つまり神様の波外れて偉大な力によって こそイエスキリストを我が主我が主人と信 告白できるんです。 私たち自身が土の器です。 我ら土の器 ですので 自分が弱くも脆ろい存在であるこのことを はる必要は全くないんです。 今日もちょっと朝の子供の教会で話題に なったんですが、廊下を嫌う必要も全く ないんですね。 土の器なんですから。 で、土の器として作られていて、さらに罪 の影響もありますから、これは、ま、当然 の現象になってくるわけな。 しかし私たちには この世の金や銀とはくれべ物にならない。 好めない宝が収められている。 神様の波外れた偉大な力精霊が働いている 。 このことにこそ私たちは感謝しようであり ませんか?皆さん パウロたちはイエスキリストこそ我が主が 主人と精霊の力によって悟らされていまし た。 そして精霊の力によって自分自身は主 イエス様の下べでしかないんだ。そう 悟らされていました。もう自分は精霊に よって用いられるしかないんだと。 なのでコリント教会の新徒たちはその パウロたち自身の力パワーによってイエス キリスト我が主が主人とまた自分自身を 守べ精霊の器であると信じ告白するに至っ たわけではございません。全ては精霊の力 精霊のパワーですね。 罪人を食い改めと導き主イエス様に信頼さ せ復従の精霊であります。その精霊の パワー、力によることが明らかとなるため にこそ パウロたち土の器に、そして今日の私たち 土の器に精霊というこの得ない宝が納め られている。 ところでパウロたち土の器には精霊が宿っ ておられたのでその精霊の力によって次の ように大胆に告白できました。8節9節で ございます。 私たちはから苦しめられても行き詰まら ず方に暮れても失望せずいられても 見捨てやられず打ち倒されても滅ぼされ ない。 このところから次のことを教えないです。 イエスキリストを我が主我が主人と信頼し 、復従するそういうクリスチャンの人生と いうのは何も無病を即裁のような何事も ない人生ではこれありえないということ ですね。 先週学んだヤの手紙の文脈ですと人生は いろんな試練の連続でございます。また 悪魔による誘惑の連続でもございます。 で、このパウロのような人でさえ 主様にいよいよ信頼し、いよいよ復従する 人とされるためにいろんな試練に会いまし た。 また主イエス様から引き離そうとする悪魔 のいろんな誘惑にあったのでございます。 しかしながら彼は精霊の力を頂いてどんな 場面でも例え罪を犯したとしてもパウルで さえも罪を犯しました。その罪を犯したと しても食い改めてイエスキリストを主する ことが許されたんですね。 主エス様に信頼し、復従するがゆえに迫害 にあって 自分は生きる望みさえ失ったんだと。そう パウロは正直に書いてるぐらいです。第1 章8節にそのような率直な告白がござい ます。しかしながら 土の器に宿っておられる精霊の力に助け られて 司法から苦しめられてもいつまらず方に くれても失望せずしいげられても見捨て られず打ち倒されても滅ばされなかったん ですね。 このことは何もパウロには限りません。 今日の私たちも精霊の力によるならば 試練にあっても忍耐できます。また悪魔の 誘惑にあっても守られて、そして人生を 振り返ってそのことは私たちも最終的に 告白できることでございます。 主イエスキリストの福印に伴う精霊の力と いうこの上からそれをさらに言い換えて 10節、11節に次のように書いてあり ます。 私たちはいつもイエスの死を体にまとって います。イエスの命がこの体に現れるため に。私たちは生きている間絶えずイエスの ために死にさらされています。死ぬはずの 好みにイエスの命が現れるために。 今回のこの御言葉をですね、あらかじめ じっくりとこう読んで、え、牧想されて、 で、この石教を聞いておられる方はですね 、もしかしたらあることにお気づきかも しれません。 これ何かと言いますと、 主イエス様のことを言うのに今までは主 イエスキリストとかですね、キリストと いう表現だったのが実はここに立って イエスというこういう表現が使われている んですね。 14節にもイエスという表現が出てきてい ます。 決してパウロはこれ適当に使ってるわけ じゃないんですね。ちゃんと考えて使って います。 で、このイエスという名前、 ま、女性ですとマリアのようにですね、 当時ユダヤ人社会ではポピュラーな名前で ございました。ま、ちょっと古いかな。 日本ですと。太郎君とかは子ちゃん ちょっと古すぎるかな。 イエスの意味は死は救いでございますが、 これヘブライ名ですとヨシアっていう風に なるわけですね。 ちょうど今子供の教会でヨシアの話が 終わっています。師の話に入ってます けれども、あのヨシアですね。 で、たくさん鬼ましたイエスさんと区別 するために私たちの主イエス様の場合は その出身地の名前をくっつけてナザレの イエスという風に呼ばれたわけでござい ます。他にもイエスはいっぱいいたんです ね。 え、エブサリムのイエスとも元いたかな、 いろんなこう町のイエスがいっぱいいた わけですね。で、ナザレのイエスという風 に私たちのイエス様の場合は呼ばれている わけです。 するとまたまたそのパウロの心のうちを 察するにパウロはこの箇所を書きながら ですね、 私たちの体土の器へとこう思いをはせて いるわけでございますが、ここに至って パウロは 私たちと同じく 弱くも脆ろい土の器となってくださった 誠の人間としてのイエス様へと思いが至っ たのだと思います。そしてここでイエスと いうこの表現を使っ で私たち土の内に納められておりますのは 主イエスキリストの福印に伴う精霊の力な んですがこれは次のように言い換えること ができましょう。 私たちと同じ土の器となって私たちの代表 として十字架で死んで住の罰を受けて ください。 さらに私たちの初保第1号として栄光の土 の器へと復活くださったイエス様の福印を 悟らせてくださる精霊の力 ちょっと長いですね。やいこしいですね。 解決に言いましょう。 十字架と復活のイエス様の福印を悟らせて くださる精霊の力ね。完結に で、そういう内容の福印というものを精霊 の力によって信じ告白できるようにされて いる。 10節の体。これは土の器のことであり ます。 なので私たちの体父の器は十字架と復活の イエス様の福印を悟らせてくださる精霊の 力というものを好ない宝として納めている んですね。 え、11節のこの身というものも土さの ことでございます。 で、この11節に死という表現が出て まいりますが、これあの自然のことでは ございません。 前の説の10節の死、これも自然のことで はございません。この10節のところは 殺害という意味の言葉が使われています。 なのでこの11節、この死というものは あの処刑による殺害のこと、軽視のこと ですね。つまり十字架系で殺されること。 私たち土の器が十字架と復活の主イエス キリストの福印を信じ告白できるようにさ れているのは今までもお伝えしたように 精霊の力によることです。 で、精霊は私たち土の器が信じ告白できる ようにしてくださるだけではなしに。 何より私たち土の器を誠の土の器である 十字架と復活の主エス様と結びつけて くださいます。 なのでこの11節の 私たちは生きている間絶対えずイエスの ために死にさらされていますというのは これパウロがあのローマの真の手紙の第6 章で使っている表現を使いますと 生きている間ずっと精霊の力によって 私たち罪に汚れた古い土の器がこのお方と 一緒に十字架に貼り付けにされて真で葬ら れるま器でありますので破壊され続けると いうことですね。 そして11節の 死ぬはずの好みにイエスの命が現れるため にというのは精霊の力によってこの復活の 方に結びつけられてこのお方にいよいよ似 た人とされてでやがて終わりの時が来ると 罪れの全くない栄光の土の器へと復活させ られるためにということでございます。 ま、その時が来るとこれ依前として土の器 であり続けるんですが、決して死ぬことの ないその家に土に帰ることもない。主 イエス様のような栄光の土の器とされて まいります。 もうその時が来るともはや白い配変になる ということはもう2度とないわけですね。 さて、12節に注目しましょう。 こうして私たちのうちには死が働き、 あなた方のうちには命が働いていることに なります。 これいつも水曜日の気当では、え、この 説教する御言葉の木想をですね、え、し てるんですが、その時 意味がわかんないわという方がですね、 結構多くいらっしゃるんですね。こうして 私たちのうちには死が働き、あなた方の うちには命が働いていることになります。 私たち土の器に納められているこの偉い宝 によって 精霊の力によっていうことですがまず 私たち自身のうちで 11節に書いてあることが現実とこうなる わけでありますけども このことは私たち自身に限らずに私たちが 述べ伝える十字架と復活の主イエス キリストの福印の聞く隣にも実は同じよう に精霊の力が及んで起こることなんですね 。 コリント教会の新徒たちはパウロが 述べ伝えた福印を聞きました。そして彼ら のうちでも精霊が働いて彼らも十字架と 復活の主様と結ばれたんです。そして パウロたちのように主エス様の永遠の命が 彼らのうちで輝いたんです。働いたんです ね。え、古い土の器が破壊され続けて主様 に似た新しい器へと作り替えられるという ことがコリント教会の真徒たちのうちでも 起こったわけでございます。ま、そのこと があなた方のうちには命が働いていること になりますというこういう風な表現で意味 されているわけでございます。 で、今日私たちもこのパウロたちのように 精霊の力を受けているならばその信じて いるところを信仰というものを告白せざら をは得ません。13節です。 私は信じた。それで私は悟ったと書いて あると、あ、語ったと書いてある通り、 それと同じ信仰の例を持っているので 私たちも信じ、それだからこそ語っておい ます。 皆さん信じているならば沈黙してるわけに はいかないんですね。 これは言い換るならば伝動しないわけには いかないということなんです。信じている ならば 信じていて伝動しないってのはこれおかし のことなんですね。 私たちは毎週一の礼拝式に出席して自分の 信仰を大きな声で告白しています。 つまり人心情を自分の信仰の言葉として 告白してますね。 これもちろん信仰告白の機会です。 しかし同時に世の人々に対する 伝動の機会では 皆さんこの自覚をお持ちでしょうか? コロナ禍を経てこの礼拝式が インターネットで配信されるようになって ますその心情骨格が伝動の機会でもある。 このことが明らかになってます。 私はこの世界を作りになった主何でも できるお父さん神様を信じます。私は お父さんのたった1人の子、私たちの 救い主イエスキリストを信じます。私は 精霊を信じます。 皆さん、私たちの進仰告白、この インターネットに乗って今全世界を発信さ れてるんです。 これは主様の世界伝動の一環でもあります ね。 イエス様は全世界に行って全ての力と福印 を述べ伝えようとしちゃった。その世界 殿動の一環です。 普段どうやって伝動したらいいかと悩ん でる方がいらっしゃると思います。 まず礼拝式で 大きな声で賛美化歌うともに 人心情自分の信仰として告白してくだされ ばと願います。これも誰もができる世界 電動ですね。皆さん世界伝動に預かってる んです。 皆さんの信仰の告白。この街道からこの インターネットを通して全世界へと発信さ れている。 是非後ろに座ってる方、この前のマイク ここにあるんですよね。ね、ここに届く ような大きな声で主と信を告くださればと 思います。 これは素晴らしいことですね。 またその伝動の機会でもありますので、私 はやっぱりその首都信情とかそういうもの 今まで文護役でありましたけれども、それ が現代ご訳。ま、子供の教会版であります けども、それに翻訳されて告白されている 。とても意義なことだと思います。 別に自分たちのその信仰を内輪で確認する 時は別にその文護役のいろんな首都信情と か主の時でいいと思うんですけれども、 やっぱり世界伝動というそういう視点から ですね、やっぱり現代語に翻訳されている ということはこれ本当に大切なことでは ないかと思っています。 さあ、ところでこの12節を書きながら パウロの心のうちに 聖書に書いてある御言葉が思い浮かびまし た。それは紙辺の第116編でございます 。 で、この13節の括弧の中は、え、紙辺の 第116編の10節と言われてますけれど も、 実際そこを読むとかなり違うことが分かる んですね。 で、この時パウロの心のうちに浮かんだの はそのギリシャ語に翻訳された第116だ からだと言われてます。 で、今日の私たちが使用しているのは元々 そのヘブライ語から日本語に翻訳した シェンなのでありまして、ま、違うわけな んですね。で、今日はちょっとその 新共同薬の支辺の第116編、その8節 から11節のところ、そのところを読み たいと思います。旧約聖書の956ページ 前の方にも映し出されておりますけれども 956 ページ 聖書お持ちの方は956ページの紙辺の第 116編の10、え、8節から11節 かなり違うということが分かりと思います ね。 節から11 節じゃあご一緒に読みしましょう。よろしいですか? 3はい。 あなたは私の魂を死から私の目を涙から私の足を突き落とそうとするものから助け出してくださった。 命あるものの地にある限り私は主の見えに歩み続けよう。 私は信じる激しい苦しみに襲われているという時も不安がり人は必ず欺くと思う時も ね10 節ねだいぶ違いますね。ま、要するにこの詩人は試練に会っている時も神様に信頼し復従して神様をこそ我が主我が主人と 信じ白格するんだとこうだっています。 で、この詩人に働いたのと同じ信仰の霊、 つまり精霊がパウロにも働いて十字架と 復活のイエス様を我が主が主人と信じ、 告白し、復讐できるようにされている。で 、今日私たちも同じ精霊の力を頂いてる から十字架と復活のイエス様を我が主我が 主人と信じ、告白し、復従できるわけで ございます。 ま、そして今日の、え、手紙、今日の聖書 箇所に戻りますけれども、 14節のところには主イエスキリストに 信頼し、復従する者たちの共通のゴール。 これが示されています。 これは、ま、今日の私たち共通のゴールで もありますけれども、で、そのゴールと いうものは私たちは聖書通して知られてい ます。この14節主エスを復活させた神が イエスと共に私たちをも復活させ、 あなた方と一緒に見舞に立たせてくださる と私たちは知っています。 主エス様を栄光の父の器へと復活させた父 なる神様が 終わりの日に主エ様と結びつけられてる 私たちをも栄光の土の訴えと復活させて2 枚に喜びと平安のうちに立たせてください 。 この共通のゴールは終わりの日の究極の ゴールです。 で、主様に信頼し、復従するものにとって は この生きている間の全てのことが この究極のゴールへと至らせるために駅と されてまいります。 シル神様による試練はもちろんであります 。悪魔による誘惑もでございます。 悪魔にとっては本位そのものでしかないと 思いますけれども、しかし主なる神様に よって最終的には駅とされてまいります。 で、その究極のゴールが示されている 終わりの15節に注目いたしましょう。 全てこれらのことはあなた方のためであり 、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝守 の念に満ちて神に栄光をきするようになる ためです。 私たち父の器に取りまして究極のゴールは 私たち自身が主様に似た栄光の父の器と 復活させられる時でありまして私たちが 豊かな恵みを受ける時でありますけれども それは何よりも主なる神様への感謝の念に 満ちて 主なる神様にこそ栄光が着される時です。 にして1つなる神様道精霊にこそ栄光が 着される時でございます。 それは主る神様こそが全世界に中心となっ て崇められ褒めたえられる時でございます 。 私たち土の器がこの究極のゴールへと 向かって健やかに歩むことができる秘訣。 それは本日の聖書箇所に従ってお伝えした 通りでございますけれども、それは精霊の 力を頂いて聖書に証しされている十字架と 復活の主イエスキリストに信頼し、復従 することでございます。 日原先生は最初にご紹介した著作をですね 、一般向けに書かれました。なのでその 健全な心を育成する具体的な秘訣次のに 書いていらっしゃいます。 これはね、 それは良き本を読み、ゆかしい音楽を聞き 、そして何より大切なことは感性を高める 良き人との出会いを持つことです。 私たちとって何より大切なこと、 良き本を読む、本の中の本、聖書を読む こと。 そしてその聖書を通して誠の父のうは誠の 人間であって同時に神様の巫女である イエスキリストと出会ってでこのお方こそ 我が主我が主人と信頼し復従することで ございます。 皆様改めてこのお方とイエスキリストと 出会うことへと私たちは導かれています。 精霊の力が豊かに働いてこのお方にのみ 信頼し復従するこの新しい1週間であり ますよ。たえ様々な竜で土の器が衰えて いようと精霊の力によって主様に結ばれて 健こやかに歩むことができますように祈り ましょう。 愛する主ですよ。 あなたは私ども罪に汚れた父の器を永遠の 滅びから救い出すために 罪汚れを覗いては私もと同じ土の器なって くださり 私どものために十字架で破壊されまた3日 目に栄光の土の器へと復活なさって今は天 の王にいらっしゃいます。そのあなたと 精霊によって結ばれて 栄光に輝く父の器であるあなたに似たもの へと作り替えられているその幸いを覚えて 心から感謝をいたします。 が過婚衆戻んだ時もあなたにがっちり結ば れてあなたに心から信頼し、復従しながら 天の恩師の見舞を目指していくことができ ますように 私ものうちに納められているこの得ない からあなたの精霊が豊かに働き続けて くださいますように心からお願いいたし ます。主の皆によって感謝して祈ります。 あメん。メン。メン。 それでは賛日美化の249 番を持ってなる神イエスキリストを賛美いたしましょう。ご立できる方はご立ください。 生産の例点を取り行います。 [音楽] り [音楽] [音楽] お [音楽] [音楽] ます。 [音楽] [音楽] あ [音楽] あ 。 おと 検診の印として献金いたしましょう。ご 報酬をよろしくお願いいたします。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] 深いのなる神様。今日も愛する兄弟姉妹と 共に礼拝に進ぎさせていただき感謝いたし ます。こちら先生を通して御言葉いただき ました。本当にこの父の器に豊かに精霊を 注いでくださり 心から感謝いたします。どうぞこの1週間 あなたに信頼し復することができますよう にどうぞ導いてください。また今日は生産 の義に預かりまして感謝いたします。 イエス様の苦しみとかなりそして復活の 気候をまた覚えさせていただき心より感謝 いたします。ただいまお届けしました金い ておりますの一部です。どうぞあなたの ご用のために用いてください。感謝して イエス様の名前によってお祈ります。 あーメ。 それでは法によりまして、え、ご報告と申します。え、本日の集会は午後の新半から定期紹介。その後定期出す会がございます。え、集会の集会でございますが、今週も通常通り 9月10 日の水曜日午前とに、え、聖書の学びとみの会を行います。 え、右のページに参りまして報告の欄で 本日午前鈴木明田ちょ道は所に出張です。 え、中回大会関連で9月14日の手術の 夕方から15日の月曜日の午後にかけて 仲回のチャーチキャンペというのが名古屋 協会に行われます。え、大初は小中学生で 今年はですね、新都研修会が吸止のために 新都研修会内で行われている小中学生の別 プロムが教育委員会主催で行われることに なっております。お祈りにお覚えください 。え、自週9月の14日、え、ユース クラスは通常通りを行います。またその 礼拝式は今度はコヘレトの言葉の第7章 から説教いたします。また午後の1時半 から子供の教会との合流でみんなの礼拝が 異なります。え、桑原伝動士は引き続き中 へのご報です。何か皆様の方でご連絡とか ありますでしょうか?よろしいですか? はい。 じゃ、省映の541 番を賛備し、出頭構想を持って朝の礼拝式をあります。どうぞご起立ください。 [音楽] た の [音楽] に 時り 見え みさえメン。 [音楽] これらのことを話したのはあなた方が私によって平和を得るためである。あなたがには世で苦難がある。 しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に 勝っている。罪の力、死の力、悪魔に勝利 宣言をしてくださった主イエスキリストが 今週も精霊にあって共に出かけてください ます。だから安心していきなさい。勇気を 持ちなさい。弱い人を助け、苦しむ人に手 を貸しなさい。全ての人を遠びなさい。主 を愛し、主に使え、精霊の力によって喜び なさい。主があなた方を祝福し、あなた方 を守られるように主が身かを向けて あなた方を照らし、あなた方に恵みを与え られるように主が下をあなた方に向けて あなた方に平安を賜るように主イエス キリストの恵み、神の愛、精霊の交わりが あなた方一道と共にあるようにあーメ ആമൻ [音楽] [音楽]

説教「われら、土の器!」長谷川潤牧師
コリントの信徒への手紙二 4:7~15