(再)太田監督の新作映画ー12月公開。自らの脳梗塞・体験を映画化!7年ぶりの劇映画。
スタート。 え、映画監督の太田です。え、相変わらず 病人もやってます。えっと、あれ、あれ です。えっと、昨日の日曜日はもう大激の 日で、えっと、もういろんな方から、え、 FacebookやTwitterXで、 あの、お便り、え、コメントをいただいた んですけど、本当にありがとうございまし た。え、と言いますのはもうずっと内緒に してたんですけれども、えっと、実は今年 の12月に、え、僕の新作下映画が、 えっと、見えます?え、もしも脳梗速に なったならという映画が公開されます。え 、監督病気で寝込んでんのにいつの間に とったのみたいな、えっとね、質問や コメントたくさんいいて、え、あ、ある、 ある人たちは、いや、なんかまだこうね、 体調悪くてこんな暑さでも外も出れなくて とかって言ってたのに、いや、なんだ、 感知してたんだ。いや、もうなんかいつの 間にそんな元気になったのとか言われます が、え、元気にはなっていません。病気の ままです。ね、じゃ、え、そんな、じゃ、 なんでそんな映画取れるのという話になる んですけれども、えっと、で、その話を 今回したいと思います。え、ていうのはね 、あの、ちょうどこの脳梗速起こして、ま 、あの、脳梗塞で本当は1番は心臓が原因 なんですけれど、何回もその話をこの、え 、YouTube番組でさせてもらいまし たよね。一時期もそういう脳速とか心臓病 の話ばかりしていてどんどんあの再生回数 が下がっていってえしたんだけれどもあの までそんな時にねえまもう回最初から話す とえ最初は2年前の4月1日エプリル フールに濃骨が起こしてえ目がほとんど 見えなくなったんです。もうピンボケで もうこんな感じで脳結局脳が脳梗速って いうかそこの脳が死んだんですよ。え、で なんで脳が死んだかって言ったら心臓機能 が低下してでドくんドくンと血を流し出し ま、あの押し出して流し流しますよね。 チ人層ってその役割ですよね。その機能が 20%まで下がって普通だったらドくン ドくンと流せるところがドックン ドックンしょぼしょぼしょぼみたいな 20%ですかね。半分とかじゃないんです よ。20%も下がってそのことで血をこう 体に回せなくなってしまったのでえの やっぱ上ですからね。こう一応押し上げ なきゃいけないんで届かなくなってで、え 、血管が、え、血管で血が止まってしまっ て、ま、あるいは詰まってしまって、で、 えー、一部の脳が死んじゃったんですよ。 で、それに僕は気づかずに、う、目が見え ないと思ってで、ま、目にも症状が出てた のに、ああ、疲れてるからだとか思ってね 、まって1週間後にどうせ病院行くし、 ゆっくり休もうとか思っていたら脳速だっ たっていう。それが2年前の4月1日。夜 によってエプリフールにそんなこと起こる かっていう。で、そっからがもう本当にね 、地獄の日々だったんですけど、ま、そう いう話何回かしましたよね。で、その治療 、え、病院外をしながら、治療をしながら 、え、で、とにかくあれだったの手術、 あの、要、要は今言ってる心臓機能の低下 が原因だったんですけど、あの、例えば それで駐射してピシュって ドドドドンドドって元気になったりしない んですよ。で、それもやっぱりこの、ま、 1番の問題この映画監督生活なんですよ。 僕7人本前から働いて、もうボンクレ正月 ボクレ正月か。うん。え、なしで、もう 夏休みも春休みもなし、土日もなし、 サイズもなしでもうずっと仕事して1分の 絵が終わったらレギスト俺のように明日の 賞の終わったて言ってバタっと倒れて3 ヶ月間寝込んだりっていうもそれの 繰り返しをこの1817年間やってきたん ですよ。だけど、ま、若かったんで、それ でまた3ヶ月ね、混んだらまた復活して、 あの、復活の時でやられたんだけど、 やっぱ60超えるとやっぱもうダメで、で か60超える前からもう無理しすぎて やっぱ7人も働くと7人分疲れるんでね。 で、とうと心臓機能が弱ってしまってって ことだったんですけれども、え、どうもっ て話持ってことしたんかな?えっと、そう で、ま、あの、それで、え、手術するにも 、え、で、要は調べて、あの、家庭てる 検査っていうのって、こう血管にこう 下入れて調べると、要は血管動脈がね、3 つ出てるんです。心臓からその3本大き 太い3本が全部詰まりかけていて、もう ちょっとしたら完全に詰まったらもう すごい地獄の苦しみだったらしいんですよ 。だけどやっぱ体でよくできていてでそれ を知らせるためにえーなんて言うかな前速 最初前速だったんですよ。ま、心臓前速 だったんですけど、もう席止まらなくなっ てももうそれもまた地獄の苦しみでその後 今度脳梗速にな、え、脳じゃない目が見え なくなってっていうのはなんかそれによっ てあ、お前 大変なことになってるぞ。もう心臓 そろそろ止まるぞ。なんとかしなあかんぞ と思っていう指令を土言とせんといかんて いう指令を出して、証拠を出してたんです よね。で、それは僕分からずに寝てとね、 ゆっくり休めば治るだろうとか思っていて 偉いことになっちゃったっていう。って いう風なことがありまして、で、ま、あの 、原因が分かって、え、手術、手術、えっ と、ね、あの、する前だから、ま、 ちょっと、ま、とりあえず原因が分かった 段階の頃だったと思うんですけれども、 この経験でもそんな僕本当ね、病気した ことなかったんですよ。も生まれたこの方 手術したこともないで歯もねあんまり悪く ならなくて歯医者にもあんまり行ってない でそれからえ入院したこともないませぜ あれですよすぎてえ薬飲むぐらいのもん だった。もう本当太田はふみだしえなんて 言うかなあの砂漠に投げ出しても生きて 帰ってくるとかって友達には言われてて あの本当大きな病気もしたくない骨もおら ないしっていうねあの飛行機をしても僕 だけ助かるんじゃないかぐらいな感じだっ たんですけどいややっぱりそんなこと全然 なくてここまでもボロボロになってるとは 思わずにね とした時にあのま色々考えたんですもしか したらもう映画館監督特業続けられなく なるかもしれないなっていうもその治療中 にね、で、目も見えなかったしで、もう こんな、ま、心臓機能が、あの、ま、徐々 にまだまだ危険値なんですけどね。あの、 何年もかければだんだんあの、昔にはなら ないけど近くはなってくると、ま、お医者 の先生も言っててするんだけども、昔 みたいに7人分働いてとかもう絶対無理な んです。今度こそ終わりっていう。で、 何よりあの大先輩のあの尊敬する大島監督 、あの朝まで生でバやろって言って誰も 議論したら叶わない大島のあげさっていう 。だからあの人も同じ病気だったんですよ 。で、あの人も脳梗速起こしてえ、で、え 、1発目そ、それでその後コメンテーター もう喋りくそうに喋りながら コメンテーターに復帰してごハット映画 撮ったんですよね。で、でもその後にまた 濃厚、脳梗速って繰り返すって言うんです よ。して今度は車椅スになって手が動か なくなって、え、結局引退されて何年か前 なくなりましたよね。だから僕も同じこと になってもおかしくないなって。今こうし て喋れるようにはな、最初、喋れなかった んですけど、喋れるようになったしね、 歩いたり、あの、両手も動くしっていう。 だから死んだ脳があれだったんですよ。 えっと、手を動かす脳だったら手が動か なくなる。で、よくの人ってそういう濃厚 でいらっしゃるんですけど、でいうのは足 が悪いんではなくってその足を動かすため の脳が死んだ場合も多いって言うんですよ 。だから司令灯なんで脳が死んじゃうと あの喋るためのあの司さどる脳とかその 指令党が壊れてしまうとそれができなく なってしまう。で、僕の場合は、えっと、 喋るの脳ではなく、書くと読むの脳だった んですけれども、それがね、え、死ん じゃったんで書くと読むができなくなった んですよ。で、でもね、それがもし、え、 手を動かすとか歩くとかっていうとこだっ たら今もう完全に映画監督引退ですよね。 みたいなことあって、え、色々考えた時に 、え、ま、最初はですこのまま続けて いけるんだろうかって。もしこのまま絵が 仕事できたらどうするの?他何もできない ですからね。人負けに、え、また脳速を 起こして今度は車室とかになった人も本当 に何にもできなくなって、あの、映画の 仕事なんか絶対できないですからね。え、 近所のコンビニのバイトだってできない ですし、っていう風なこと考えたりした時 に、は、そうだ。これを映画にしようって 思いついたんですよ。っていうのは本当の おこそっていうのはよく聞くね、あの言葉 だけれども具体的にいろんな友達に聞いた んですよ。そしたらあ、そうそうそう。 うちのねおじさんもね、脳梗速でとかいや 、あの僕の上司もね、脳梗速であのなんか 入院したことあるんだよとか。いやいや私 もとかっていうね。だから脳梗速って実際 増えてるらしいんですよね。なんかそんな 中でも誰に聞いても脳って具体的にどう いう病気でどうすれば脳をしたいいの かって誰も答えられない。いやよくわかん ない。よく知らないとかま僕自身知ら なかったんであの寝て直そうとかバカな ことおってで結局目はあの両目とも半分 失明してびっくりした。おなんか襲撃され たかと思った。うん。で、あの、もう すごく今補充して杖持って歩いてるんです けども、すぐ人にぶつかってしまったり、 あの、下になんか なん、なんて言うの、あの、あるものに 引っかかったりするんでね。 だけれども、そうだ。あの、そんなに みんなが知らないだったらでも結構多い 病気、病気というか症状なんですよ。だ から、あ、これ映画にしようと思って、で 、まず1つにはその脳速とかと知らしめた いっていう。だから僕知っていれば目もね 、早くにそのゆっくり寝てあの治療、あの 、なんかゆっくりすれば治るだろうと思お うっていうの知っていたら即に行けば目は 失明せずに住んだんですよ。し、知らない から1週間も部屋で寝ていて病院ね、え、 20分ぐらいで歩いてけるとこにあるのに ね、行かなかった。バカだな。だから知っ てれば違ったんですよ。だからそうなった 時にどうすればいいのか、何が原因なのか 、えっと いうことを分かる映画作るといいなと思っ たんですよ。で、2番目には、え、そうし て病気になった時にもうずっともううちに いるわけですよね。時にいろんなあので、 あのFacebook友達が僕毎日更新し てたんで、あの心配しておさんどうしたん ですか?監督大丈夫ですか?もしもし生き ていたらあの何でもいいから短くてもいい からあの更新してくださいとかって言って 奥の方が心配してくれてであこれはいかん というのでで ま事情ま書いたんですよ。あの、え、 脳梗速を起こして、えっと、今大変なこと で言って、で、それ書いたのもね、もう 病気したが1ヶ月後ぐらいで、で、最初は 書けなかったんですよ。で、ペンで書くと もう本当書けなかった。で、あれであの パソコンだとなんとか短いのはかけて1行 とか2行かけて、え、の高速でとかで字の 間違いとかも多いし、漢字が思い出せ なかったりしてっていうのもあったけど 書いて、え、したらした皆さん、ああ、 大変ですねとかって言って、え、してくれ たんだけど、その後にあの、だから、ま、 え、考えてよく心配ね、病気のことを あれこれ言っちゃいけませんよ。またこの 話出すとめっちゃ仲良くなるから、この話 も散々したしな。え、ま、それでネットし た時に病気のことを言うべきじゃありませ んよって人といや心配です。どうなんです か?何か応援できませんかっていう人両方 いたんですよ。で、え、結果的にその応援 してくれる人、えっとね、もう2つまた 分かれて1つはもう何にも知らない病気の 知識もない。医学的知識じゃないの。ああ 、してください。こうしてください。これ はやっていけません。これをやって くださいとかって言って1つもね、役に 立たないっていうのが毎日こっち字が読む のものすごく大変なのにもう嫌がて嫌がら せもたくさん来たんですよ。もうなんて なんでこんな時にそんなこと明らかに親切 じゃない。 だけど役に立たないのと明らかに嫌がらせ でえ、なんて言うかな。あの 以前その話たくさんしましたからまっ ちゅう時はそれと別に本当にこう知識経験 があって色々アドバイスしてくれる人たち もいてね。ではねあのそういうこと言う べきじゃない。人に迷惑をかける心配を かけるなとか言ってくる人がいてでその人 として悪気はないんですよ。あの、まあね 、そういう病気の方あるか言うべきじゃな いっていう考え方ってのは日本にはあり ますからね。ただそれは日本の昔の風習で あって、あの近所の人とか家族がいるとか いう風な状況であればあの人様にね、あの なりましてんとかね、目見えへんねんと かって言わなくて心配させなくても周りの 人たちが気してくれるからね。でも今あの 日本都会もここは都会じゃないけれども、 ま、あの関東県内でえなんであのでおまけ にあのま住宅街でもうそういう風な、え、 メッドタウンみたいなとこなんですよ。だ から近所好きはいないんですよ。だから僕 何も言わない誰も助けに来てくれない。何 もしてもらえないっていう。だからひたし たらあ、あの昨年餓視して病気じゃなくて 餓視してたかもしれない。外出れないです からね。も、あの、目も見えないし、言葉 も出ないしで、買い物にも行けない状況で 、あ、もう子供は死んでくのかなみたいな 時期あった時に、あの、 人に言うべきではありません。心配をかけ ていけません。そ、1人で死んでいけって ことなのかみたいな。で、そういう時に 言ってくれる人たちが食料を送ってくれ たり、え、色々こと教えてくれて僕は 生き延びたんですよね。だからそう日本の 古いなんて言うかな習慣人に迷惑かけちゃ いけない、え、心配かけちゃいけないって いうことはあるけれどもそれはやっぱり今 の日本の地方社会ですらで、え、通用する ことであってやっぱ都会ではも通用しない のにそれを押し付けてくる人たちはなんか もいてね、でもね、考えたらそういう ことってなかなかわかんないじゃないです か。こういう経験しないと。よし、これ 映画にして、つまり病気のことっていう こと、別に周りの人との対応、もう本当に 役に立たないことあり、これ言ってくる人 たちがいる。でもその人たちの廃気を探っ ていくとまたいろんな理由があるんですよ 。で、またその、え、田舎の人たちからな 、あの、あのね、あの、その病院のこと 言うなって、でもその人たちには古い習慣 昔ながらのがあるけれども、それが都会で は通用しないってことに分かっていないと か、あは、なんかね、やっぱこれ映画の テーマだなと思って、で、さらにその、 えっと、あの、なんて言うかな、介護、 介護って、ま、年ってね、あの、おじい ちゃんわちゃなって、こう、え、なんか車 で、え、なんていうか、BANで迎えに来 てくれて、そういうセンターみたいなとこ 連れてってくれお風呂入ったりというの ありますよね。街歩いててもそういう住宅 が歩いててもそういう風なあの見たりする ことあったんでなんとなくはしてあ、そう そううちのうちのじいさんじゃない 親父親父が今そういうもうなんていうかな 介護月の老人ホームえていうのをホームに 今入ってるんでそれ見学に行った時もさ ああこれ今こういう風な施設やえっと サービスあの対応があるんだとか思って ねえしてて自分が下手した親父の隣の部屋 に僕が見ることになったかもしれま、そこ は、え、ね、体が悪い人じゃなくって、年 取った人たちの、ま、ホームなんで僕は まだ入れないんですけれどもね。うん。だ からそうした時に今までこう気づかなかっ たこういう病気ということ、それから介護 ということ、イ療ということていうのを 病気になったことで同時にいろんな知ら なかったこと体験したんですよ。で、 さらに、えっと、これ出さで、だからそれ をね、映画にしてみようと思ったんですよ 。だから主人公が、え、映画監督で、で、 あの、もうもでね、張り目指すぞとかって 言ってたやつが脳速になって病気になって のどうしていいかわかんなくなってで、 嫌がらせのね、こうメールや連絡も来たり するし、あるいはこう助けてくれる人も私 もいてみたいなでなので、あ、そもそ、 あと友達、友達なんかでも太田がそんな 病気になるわけねえだろうっていうね、 もう誰も僕が言っても死んだね、脳細なっ てって、あ 速かよとか言って、あの、冗談きついぜ みたいな感じで、あの、不見だと思われて ましたからね。で、あの、またその中でも ね、あれなんですよ。あの、え、 サラリーマンやってる友達っていうのが 本当に無神経っていうか、あの、 踏みつけるようなこと平気で言うんですよ 。で、悪いやつじゃないんですよ。で、 なんでかっていうと、色々それも調べて いくと分かって、やっぱ商売やってる人と か自衛の人っていうのはすごく心配して くれるし、映画やってる、映画やってる、 こう、僕のあの、本当もう本当悪友と言う べき、もう本当に僕好きかなこと言って、 もういつも仕事する喧嘩してたやつがいて 、そういうがわざわざ見舞いに来てくれて 、もうすごい嫌なやつですよ。なんのに すごい気を使ってくれて、いや、お父さん そこ、そこ、あの、断になってますか?気 をつけください。いやいや、目は見え るって言ってるでしょって。見えづらい だけで見えるって言ってんね。いや、そこ 、そこ、そこやばいですって言って、で、 あ、じゃあ駅まで送りますよ。もう わざわざね。本当ありがとうございました 。いや、いいです。大丈夫です。もう早く 打ち帰って休んでくださいと。いや、 こんないいやつだったんだっていうかね。 っていうのはやっぱり映画会って人に 気遣いする仕事なんで、やっぱりあのそう いうことをやっぱり表現してなんて言うか な、対応できるんですよ。で、サルマンの 人たって自分のこと精一杯でとにかく なんて言うかな、相手の気持ち考えずに物 をつけろみたいなやっぱり会社なんかも 多いから。そうすると人の気持ち考えて たら仕事できないからどんどんね、あの なんかやっぱりそういう気を使う人の 気持ちを考えることしなくなっていくから 日常でもやっぱり相手のことをどうなん だろう大変なんだろうかえ今何に困ってる んだろうかて考えないんですよ。言われ なきゃ分からないっていう人がやっぱ会社 に多かった。だから病気になったことで いろんな社会いろんなこうあの吉社会の 部分が見えてくる。これいいなと思ってね 。で、あの、ま、ずっと日記はつけてたん ですけど、それずーっつけて、で、あ、 それね、今、あの、ちょっと他のブログ、 あの、沖縄競争局、沖縄競争局、え、 ブログの後ろにやってたんで、それ ちょっと分離して別っこにこの、え、もし も 速になあったブログの作ったので、そこ今 順番に移籍してるんですよ。だからそれ 読んでもらうと、その、え、僕の東病生活 がもう毎日書いてるだからリハビリも書い て毎日書いてたんで病人になって脳梗速 なってするとどういう状況なのか、どんな 困ったことがあるのかっての全部書いて あるんでね。ま、原作ですよね。見て いただけるっていう風にはしてるんです けれども、だからね、それじゃこうあの、 あか、伊丹監督なんですよ、そもそもの、 あの、始まりは。で、伊監督もお葬式って いう映画最初にデビューしてますね。あれ も奥さんのお父さんが亡くなった時に、え 、その葬式参加出た時に、え、感じた なんかこう葬式ってこんないろんななんか 奇や悲劇があってドラマチックだなって いうことで作ったかな。で、その後の今度 はあのまるさんの女っていうのはそこのお 葬式で設けたお金がもうみんな税金で持っ てかれてしまってなんだこの税制システム はっていうのはこんだけ俺たち頑張って 働いたのにっていうそれをあの調べてる うちに丸サ国税市相部庁殺部っていう存在 を知って作ったのがマルソナでさらに今度 は今度あのなんていうかなえか顔切られて あのヤザ え、した事件があった時にそれをこう、え 、モチーフに作ったのが、え、誰かな、 丸タイの女だったかな?ていう風にね、 痛みさん自分の経験何かあったり、事件が あったりひどい目にあったりした全部映画 にしてるんですよね。で、それは僕は伊 さんの映画全部見てるし、あの、行った時 に、あ、そうだ。あ、同じように僕も病気 になったの。その病気何が作ればいいん だって。だ、これ調べてね、病気の人訪ね てやりでどのおさどんな感じなんですか? 1番困ったことは何ですかとかやっても なかなか大変だし、なかなかの病気の話と かやっぱしてくれないことも多いんでね。 取材も大変なんですよね。ところが自分 ですからね。 で、でもね、あの、脳死んでるし、忘れ てっちゃいけないから、あの、全部 書き止めてって、で、あと入院した時もね 、全部写真撮って、あ、記録写真、記録 写真、証拠写真違う、違う、違う。えっと 、うんと治療写真いっぱい撮って後で撮影 する時にこんな感じの、え、あの、セット 組んでとか、こんな感じでやってとかって いうので、あの、つく、あの、準備して もらったり衣装とかね。例えば手術する時 はどういう服装をするのかっていうので、 で、そういうのを調べた上で、え、実はね 、シナリオを書いたんですよ。で、もう極 にもうその映画とか撮るとかって言ったら もうもう本当いろんな人に反対そんなこと やってる場合じゃ、あなたまだ病気なんだ からとかって言われるし、え、逆に良く なったと思われて、あ、もう早く借金 返せって言ってきたり、あ、あのなんか、 あの、だったらこう仕事くれとかって言っ てくるやつもいるので、なんかとにかく その映画撮るって言ったらもう元気になっ たと思われるんで、でも元気になってから 取っちゃダメなんですよ。悪いうちに取る からこそリアルなやっぱ元気になると病気 の時の気持ち忘れちゃうじゃないですか。 で、かっと言って本当に病気のど真ん中に いる時ってさすがに取れないんでちょっと 良くなった頃にえー シナリオ書いてでそれもねも長期間撮影 できないしあの夜も7時過ぎると日が くれるともう大体なくなった雨なんですよ 。普通ね、夜中までてっぺって言います けど、12時1時、2時まで撮影したり するんですけどね。そんな体力ないんで。 だからもう短い期間で、ええ、それもこう 短い期間で短い時間で1日のできるかなと 思ってでもこう病人がずっと部屋にいる あの話なんでできるんじゃないかなと思っ てでしていたらま、あるあの同士家さんが あのだったら金出すよって言ってくれてで あの映画ってね、ちっちゃな映画でもお金 かかるんですよ。で、でももそう出して くれるっていうでよし、それじゃあそれで やらせてもらいますって言って作ったのが この、え、 もしも脳梗速になったならなんですね。 どんだけ喋ったかな というね。あの、ま、順にまだまだ公開は まだ12月今夏で暑いですけど、あの12 月なんでライブか。それも新宿が12月な んで、え、多分他の大阪名古屋その他の 地区は、え、来年1月以降、1月2月に なると思うんですけれども、まず東京で1 発で入れるっていうことが決まったんでね 。いや、これは嬉しいなと思ってね。でも ね、あの大島監督もね、尊敬する大島監督 も濃厚速の後にごハットっていうあの松田 ゆ平君主演えっとたけさんとかえっと出た あの最後の酒ありますよね。あれ取った後 に2回目の濃厚速引退してるんで僕もこれ 取った、え、濃厚速ま復帰して取った後に またあの復帰、復帰じゃないや してこれが異作になるかもしれないって いうね。だから本当気をつけなきゃいけ ないんだけれどもでもとにかもうあのまま もだって前に劇映画取ってからもう7年で 7年ぶりの劇映画なんです。だからね、 もう本当これが作になっちゃうかもしれ ないけれどもうでもそのことによって、え 、残くなって僕みたいにもこうならずに、 え、もう少しこうなんていうかな、あの 、いろんなあの早く知ることで治療したり あの予防したり、え、対応したりすること もできるんで、あの、そういうことをこう 知ってもらうだけでも意味があると思うし で、単にその医療的なこと、病気のこと だけじゃなくって病気になったことでね、 やっぱ気づいた人生の大切なことがあるん ですよ。うん。だからあ、そうだ。そう いうことが大切なんだっていうことにね、 本当60超えてから気づいたっていう。で 、それがやっぱ1番のテーマなんです けれどもね、そういうこと伝える映画なん でね、本当にね、是非見ていただきたいと 思います。えっと、また何回か渡ってこう 詳しくね、まだライブ先、3ヶ月先です から、とりあえず、ま、あの、そういう ことで、で、今、今病人に戻ってて、あ、 大た絵が取ったからもう元気になって復帰 したんだと言うけど、いや、もう脳は死ん だまだし、目は半分しか見えないし、心臓 機能はあの危険値のままで、ま、相変わら ず病人なんで、あの、それ誤解されてね、 ちょっと仕事手ってくれよとかって言って こられるのがね、いやいや、できないでき ないっていう。ああ、それこそね、いい作 になっちゃうからっていうね。うん。もう 今本当外にも出れない状況なんでね。です が、え、ま、とにかくあのこれが、え、 今年末に公開できることになったので、 まずはお知らせます。で、細かなことは また徐々に少しずつ、えっと、お知らして いきますので、うーん、 な、何て言うんだっけ?最後質問、あ、 またこんな話もしていきますね。ちょっと 違うよな、今回は。うん。ね、ということ で、え、12月、12月公開を目指して 頑張っております。またこの話もしていき ます。 [音楽]
🔴ブログ「もしも脳梗塞になったなら」闘病日記ー連載中
太田監督、2年間の闘病生活。これが映画の原作
こちらです=>https://takafumiota.seesaa.net
(太田隆文監督ープロフィール)
映画監督。1961年、和歌山県生まれ。大阪の高校を卒業後。東京で助監督を経験。その後、1985年からアメリカ留学。1987年、南カルフォルニア大学・映画科に合格。
1990年帰国。アルバイトをしながら、シナリオを書く日々。1995年、「アルティメット・クライシス」で脚本家デビュー。その後、数本のVシネマのシナリオを担当。2005年に「ストロベリーフォールズ」で映画監督デビュー。
青春映画「青い青い空」「向日葵の丘−1983年・夏」「明日にかける橋ー1989年の想い出」を脚本、監督。2013年に山本太郎が出演した映画「朝日のあたる家」を制作、監督。
低予算映画なのに毎回、有名俳優が出演。常盤貴子、藤田朋子、田中美里、津川雅彦、長門裕之、宝田明。太田作品後にブレイクしたのは、芳根京子、谷村美月。
2023年に脳梗塞でダウン。2年に渡る闘病生活。両目ともに半分を失明。脳の1部が死に。心臓機能が20%まで下がる。現在はリハビリ中。