【オウム教祖の娘が語る】森達也が聞く松本麗華の「人権なき人生」/銀行口座を作れず海外も行けない/「被害者がいるので…」とテレビは企画を拒否/「死刑は国家の計画的殺人」/密着映画を長塚監督が撮った訳

父の大砲の時は世界の崩壊ですね。て泣いてるのを無理やり笑いながら写真撮られたりとか私ってそういう存在なんだなっていう うん。感覚になっていきましたよね。 うん。今銀行講口講座作れるの? 銀行講座作れないですね。 特に死刑の問題とかそれからそのリガさん加害者家族の問題を追っかけていると思うのは我々の今この社会って議論のまだだいぶ手前にいる うん。 議論にたどり着けるための道を耕やしたいっていうのが 1番大きいですね。 被害者もしくはま、遺族のある意味での正域化みたいなね。 うん。ぱサ輪事件で加速したと思って基本 的人権がもうほぼ認められてないっていう 人生はこれまで送ってきたけど1番辛かっ たのは何ですか? 映画監督の森也です。え、今日はオム心理 教祖 朝原商校の三女松本リ香さんと、え、彼女 に密着したドキュメンタリー、 ドキュメンタリー映画を発表した長塚洋 さん。お2人をゲストに呼んで、え、 ニュースウィークの動画で、え、対談をし たいと思ってます。僕ね、いろんなこと やってきたけど、1番苦手なのはこの視界 というか、MCというか、あの、アドリブ ダメなんですよね。瞬発力ないんで。えー 、ただ、ま、この座組であれば、ま、僕が やるしかないのでかなりおみ苦しくなるか もしれないんだけど、我慢してお付き合い お願いします。え、じゃあ今日、え、 よろしくお願いします。よろしくお願い いたします。 すごく、ま、ありきたりな質問です。まず 2人の出会いから。 出会い というか、待って、あの、自己紹介しようか。ちゃんと 自己紹介。自己紹介はいつも大変困るんですけども、今心理カウンセラーをして、えっと、加害者家族を支援する、共に生きるの理事をしている松と申します。よろしくお願いします。 父があの朝原商ということであのなかなか行きづらい人生を歩いてきたという人間です。よろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。え、長つ用と言います。え、太平洋のようでよと読む長つ用です。あの、ま、最近自己紹介の肩書きがだいぶ自分でもよくわかんなくなってますが、映画監督と言いますけど、まだ 3本目です、今回でね。 で、ま、映像作家とか言ったり、ま、その 前は本当に映像ジャーナリストというか、 あのテレビのワイドショとかでもね、 ずっと仕事して、ま、オムの事件との 出会った頃もその頃なんですけど、ま、 そういう中で、ま、映画を作るようになっ た長塚です。よろしくお願いします。 僕もあの、ま、AとかA2 発表した後に肩書きにっていうかうん、人から言われる肩書きがすごくね、自分でもよくわからなくなってしまってノンフィクション作家とかさ、 うん。 ノンフィクションってクションじゃないって意味でしょ。 うん。それを作る人って一体 うん。何が何だか自分でもわかんなくて ま、そんな時期もありました。え、長塚さんも今そういう時期なんだろうけれど 飯を作るたびに悩みます。 うん。 そうだよね。もう、もう傾きなしでいいんじゃないか。 うん。 で、えっと、さっきの質問です。あの、そもそも 2 人のなんかな、慣れ染めて言いたくなっちゃうね。あの、ま、出会い、出会いも含めて、あの、映画に至った経緯を教えてください。じゃ、リカさんから。 [笑い] はい。えっと、ホームラム 90 というあの死刑廃止の活動をしているグループの若手の時にあの映画を見るということになってその時に望むのは死刑ですかという映画が上映されました。 で、その映画 を拝見したらうーん、ま、皆さん死刑を 望んでいるということで大変苦しい映画で 、え、監督、それを作った監督自体は、ま 、両方フェアに出す。 その望むのも死刑を望んでる人も望んでない人もフェアに出すっていうスタンスだったので、ま、内心怒りを覚えながらあの出会ったのが最初です。はい。 はい。あのリガさんが、ま、これやっぱりリガさんにとって大きなエックだったと思うな。 2015 年にあの事女というかね出してますよね。 あの、止まった時計でリカさんもその、それをきっかけに名前と顔を出すようになったのと、私もその望むのは死刑ですから考えないも世論という映画を作ったのが、ま、結果として同じ年だったんですね。 うん。 で、あの、その若手の連獣が私を呼んで、で、ま、ちょっと一応弁解させていただくと単に並列に出すんじゃなくて、その人たちが議論をするっていう映画なんで、そのことによってこう見た人がどっちの立場であれ考えて欲しい。 っていうのだったんだけども、ま、こん時 に若い人たちが順番にこう感想言ってくん だけど、私彼女がその出した人だっていう 認識はなくて、なんかこう突然私は当事者 なので言ったまま俯いてしまった人がいて 、え、この人っていう、あ、じゃ、その時 には分からなかったんですか?その時にで もね、あの、なんか点を出した人がいてう で、なんかフォーラムのなんかイベントとかにもちょっと顔出したりしてて、あ、この人がその人なんだっていう 感じでしたね。本人の発言が回ってくるまでは、ま、そこのメンバーも別にこの人が松本さんですとか紹介しないし。 うん。それが最初でしたね。 うん。うん。取りたいと思い始めたんですか? 彼女ですか?うん。 彼女を取りたいは、ま、映画見ていただく とあれなんですけど、分かるんですけど、 ま、原田正さんという、ま、知ってる人は 結構知ってる 自分の弟を保険金殺人で殺された被害者 遺族の方が、ま、私もそういう死刑の映画 を作ったり色々してたもんだから、ま、 交流があったわけですよね。で、私はリ香 さんもすでに個人的にコンタクトができて たっていうことを彼が知って、ちょっと 会って話をしたいんだけど長塚さんと言っ てきたのは最初ですね。で、割と私にとっ てこの出会いって本質的なものかもしれ ないと思って、なんか言語化はできないん だけど、とにかくカメラ回していいですか と2人に話をして、それぞれに話をして、 じゃあいいよということになってカメラを 回し始めたっていう、だからカメラを回し 始めたっていうのはそれがきっかけでいや その後ずっとリカさんを取ることになると は必ずしもそん時思ってなかったかもしれ ないですね。うん。でもとにかくこれは 何か取らなきゃいけないんじゃないか うん。うん。 で、それがファーストシーンにね、ま、 見た、見た方は分かるんですけど、ファーストシーンになっていくっていうことですよね。 うん。うん。 いつ頃から彼女をメインの飛者隊にしたドキュメンタリーって発想するようになったんですか? あ、でもその後しばらくしてで、えっと、原田さんと彼女の対話だけでもとにかくなんか短いもんでも番組にできないかとか うん。色々したりでその後あれですよね。 これまた話はなくなるのかもしんないけど、 今番組って言ったけどテレビってこと? テレビ?私はメインがテレビだったので うん。 テレビにのドキュメンタリーに提案してこうと。 うん。 ま、テレビのドキュメンタリーもう何ぼも作ってましたんでね。 なんだけども、ま、なかなか提案しても うまくいかないとかっていう初期の段階が あり、そして、ま、その後、それが 2018年の2月だったから、 その後3月になって、あの、リガさんの お父さんたち、ま、死刑囚があちこちに 位相されて、要するにこれはもう執行が 近いんじゃないかみたいな世の中がこう 空気になっていったじゃないですか。 で、その時ぐらいからこれはこの人はこっから戦ってくとになるしっていう風に意識したのは事実ですね。 うん。うん。ほんでその辺りからドキュメンタリーっていう発想 そうですね。が出てきた。 で、特に彼女にフォーカスっていう風に思った事実ですよね。 うん。うん。 テレビに企画持ってって、ま、要するに朝原商の参条、ま、かこアーチャリを飛者にしたドキュメンタリーですって言って、曲の担当どんな感じ? あ、で、これはちなみにお父さん試験になった後もまた持ってったりしてるんですけど、まあですよね。よく言うのはうん。やっぱり被害者もいるしねっていうのが 1番多いですよ。うん。うん。 で、被害所もいるよねっておっしゃいますけど、でもこの原田さんが彼女と息統合してるんですよっていう話をするとごめんみたいなね。だ、最後あんまり言語ができない向こうも うん。 ていうだから私が見るのは被害者というよりは、ま、視聴者世間なのかなっていう風に思いますけどね。 うん。でしょうね。ま、反発が予想できるからってことだと思うけど。 そこで良くしてたらもうメディア何もこう機能できなくなってしまうと思うんだけど、 ま、ちょっとその話は僕も色々言いたいことあるから後でしましょうね。えっと、ま、もう公開も始まって答えどうですか? 手答えは、あの、さっきもね、話してたんだけど、ま、もっとバッシングとか来てもおかしくないよねって思ってた分が うん。 全く全くとまでは言わないけども本当にま 、そこはわずかなものででね、あと やっぱり ありがたいなと思うのは、ま、新宿のケズ シネマでやってるんですけど、 世代層がそのオムの事件をこう身を持って 知った世代だから、今で言うともう50代 、60代になりますよね。 もうもちろん、ま、映画館ね、ご存知の通りドキュメンタリーの映画ってその値代年代層がたくさん元々来るわけだけどでもね 40代とか場合によっては30 代とかのあとやっぱり女性層が結構見に来て うんうん でつまりこれはありがたかなありがたいなと思うのはオム事件の映画とかオム心理教の映画というよりも 行きづらい1 人の女性を追ったんだという認識できっと見に来てくれてる うんうん そこがすごくねありがたいなと思っ うん。女性が多いって嬉しいね。 嬉しいですよね。 ね。うん。それが一番嬉しいね。えっと、でもリカさんの Twitter、まあ、今X かになんか来てない?もうこんな映画がふざけんなみたいな。 あ、1つも来てなくて。あ、来てない。 うん。 へえ。知らないのかな?そんなはずないよね。 応援してますっていう。 うん。うん。うん。 うん。やっぱ勇気をもらいましたとかってそういうお言葉いただいて逆に勇気を頂いてるっていう。 うん。何が変わったんだろう。 でも、でも社会がもし本当に変わったんならこの映画の価値は相当減るけどね。 確かに 社会は変わってないと僕は思うんだけどね。 あの、なんとなく森さん、これ私のはその人たちはもう次のターゲット見つけて うん。 そこを叩きに行ってるんじゃないんでしょうか。だからもう彼女を叩こうというよりは やっぱり彼女の人生をもう1 回見つめ直そうって人の方が今は動いてくれてんのかなっていう。うん。うん。 なるほど。ことですけどね。 あ、でも叩く人は簡単に変わらないと私んです。あの、だけどそうじゃなくてこう、 加害者の家族は悪くないよね。でもっていうなんかそこら辺のグレーゾーンで売れてる人たちにやっぱりこうきっかけをこの映画がねもたらしてくれたらいいかなっていう気持ちがあるので、ま、そういう意味ではありがたい。うん。 被害者がいるからねってこう口を濁す曲のプロデューサーみたいなのが 1番典型なんでしょう。 そうですね。うん。 あの、撮影中1番、1番大変な時期、1 番大変なこと、1 番苦難。これはもうちょっとこれ以上無理だとかそういうのってありました。 そう、それをね、なんだろうなって今 思い返すんですけど、ま、よく言えばいつ も大変だしいつもなんかでも淡々と続けて いたなって、それはやっぱりこうなん だろうな、関係性を作ってね、リカさんと 、ま、要するにその最初は信用できなかっ た私なんだけど、最初のその ドキュメンタリー取り始めた時に、 ドキュメンタリーだと意識し始めたその、 え、2018年の 66月。 そして、ま、お父さん試験になって7 月の頃には私だけじゃなくてリカさんでドキュメンタリーを作ろうとして動いてた人っていうのは何人かいたんですよ。 うん。僕も1人知ってる。うん。 うん。何人かいたんだけど、お父さん試験になったとこで結果としてみんな引いてしまって うん。で、それは1 つはみんな、あの、お父さんの死刑お父さんが治療されずに死刑になるってことに抗う松本リガさんを追っかけるという前提だったと思うんですよね。 ま、私も最初どっちかっていうとその 1人だったのかなと思うんだけど、 もう試験になってしまったと。で、 1つはカメラ向けられないわけですよね。 私もあの死刑執行の後ね、何回かあってるけどそこにア宮さんとか香川さんもいたりとかそこでカメラ向けらんないですよね。こないだア宮さんにその話をしたら当たり前だとそこでカメラ向けてたら私が発をしてたからって言われたんだけど 僕は向けてたかもしれない。 私はやっぱりそれができなかった。 で、できなかったけど、その間に考えて 考えて みんな引いてったけど、なんで私が こだわるかって言うと、ま、私はちょっと 今あの長い話になっちゃうんだけど、昔 ずっと事件取材をしてたわけですよね。 やっぱり加害者の家族っていうのをこう 事件直後に取材して、この人たちはどう 生きてくんだろうっていうのは多分自分に ずっと引っかかってたんですよね。 で、松本香さんがお父さん試験になった後にずっと考えて、でもこの人がこの後どう生きていくかっていうのもしかしたら私がそこは知りたいんじゃないかな と思ったんですね。うん。 で、それを話してで、そこは多分かってもらったからその後カメラを向け続けてるってことになった。 だから1 番どうなるかわかんなかったのやっぱ死刑思の後ですよね。そういう意味で言うとね。 うん。うん。うん。 え、その後はあったかな?でもどっかでやめになりそうな。 あ、もう私が1末だから去年ですね。 うん。 去年長塚さんが編集に入ってできたって 5月頃におっしゃって 大体できたよみたいなね。大体できたって 5 月頃におっしゃってで各国の映画祭に出されたりとかしてでもそれが 応募ね。出品は必ずしもできない。 はい。応募されたりとかしてでそれがどういう内容か全然わからない。 ああ、そうか。まだ見てない。 見てもないし。うん。 で、ものすごい長い うん。 長く取材していただいてるので、もう 100時間超えてますよね。 ま、超えてるでしょうね。 そういう中でもうイ用にも編集したらできちゃうっていう中で。 うん。 え、どうなるんだろう。私の人生はうーん。 うん。ま、落ち着いてきてるといえば落ち着いてきているけどこれでまた注目されて生きられなくなるかなとか。 あ、そうか。辛いってのは具体的に何か辛いことがあったというよりもやっと落ちかけてんのにこの映画でもしかしたらまた うん。またなんかあるかもしれない。 壊されちゃうんじゃないかっていう不安。 なん壊されるんじゃないかという不安もありましたし。 うん。 あとはま、やっぱりこう多くの人をまた傷つけちゃうんじゃないかっていう うん。 それはまあご遺族とかもそうですし、その うん。 元様なとかシトとかそういう非常に危い なんか辛い中生きていらっしゃる 方にとってどうなんだろうその 私が傷ついて生きてきたっていう 内容には多分なっていてその内容によって は トラウマが刺激されちゃうだろうなって いうう ことを考えてなんかちょっと中塚さんこれどうなんですかっていうことは 2回ぐらいお話しして うん。あの時期が1番ギクシましたね。 そういう意味ではね。うん。ギクシして 公開される前は飛者体が 1 番強いからね。だからリカさんが長塚監督にやっぱり私やもうこの辺が中止って言ったらまあ多分無理だよ。 だからそれは考えなかった。 えっと、長塚さんからは取り始めた時からやめたくなったらいつでも降りていいからねっていうことはうん。 言っていただいてたので、で、去年は降りるか降りないかっていう話を 2回ぐらいさせていただいて、 で、今年3月に初めて見たんですけど、 3 月の死者会ではもう、あ、長塚さんとは結構仲良くなったけど、これで決別しちゃうのかなとかって思って、もうすごいストレスで、私ストレス溜まると太っちゃうんですけど、なんか一気に太ってで、に行った なんですよ。 それ見終えてじゃなくて見る前に。ああ、はい。 見る前にで、ま、見てみたらなんだろうね。こう平坦でつまらない。ま、これはあの、 [笑い] あの森さんがいるから言うけど A もつまらなかったしってね言いましたからね、この人。 あの、うん。 あの、教団の人もみんなつまらないって言ってましたね。やっぱりこう うん。 作り込んでるなんかうん。 ノンフィクションじゃない。ノンフィクションじゃないと取られてる側からしたら面白くないっていうか。 うん。あの Aま、僕にとって1番最初の映画ですね。 1998年公開でこれを取って でやっぱり一応公開前には飛車体には見せなきゃいけない。で、あの撮影中は僕は絶対見せたくない。それは長塚さんも一緒と思うけどね。 でも、ま、ほぼ編集終わって、それを やっぱり、ま、ルールとしては飛車体に 見せなきゃいけないので、えっと、教団の 中で、あ、あれはどこの、どこの道場かな ?場所忘れちゃったけど、どっかでね、 あの、プロジェクター置いてスクリーン 置いて、え、上映したんだけど、ま、荒木 さん当然、ま、メインの飛者隊の荒木浩、 え、広報副部長で、え、アーチャリーかこ リカさんもいて、で、み ま、やっぱりこっちは怖いんですよ。何言われるか。で、特にやっぱり宗教絡みだ。 ま、絡みというか宗教ストレートですからね。だから、え、特に密境だからもうね、ま、だからそういう意味ではこうは困るとか、あのシーンはダメとか、ま、色々言ってくんじゃないかなと。 ま、その辺りでちょっとバトルになるかなと身構まえながらはやったんだけど、 荒木さんが全然もう表紙抜けで見終えて、ああ、別にいいんじゃないですかねみたいな感じで、 で、確かアーチャリーが向こうの方であなたがね、うん、 つまんない。 これ誰見んの?て言ってんのが聞こえてもうむかついたけど。だから多分そん時荒木さんに言われたのはいやもう僕たちはもう自分たちの普段の日常なので面白くも何ともないんだけどこれ世間の人面白いんですかねって言うからただプロデューサーのやに面白いと思いますよって言ってまそんなもんですかねみたいな会話した記憶はあるけどね。 ま、だから、え、今回も、え、見終えて何が面白いんだろうと本人思ったけれど、ま、でもじゃあ上映してくださいって感じにはなったのか。 そうですね。その消化するのに 1 週間ぐらいかかってうん。どうかなとかって良かったかな。なんかちょっと内容詰まりすぎて面白くなくないとか。 いや、これ2 時間も見る人いないんじゃないとかなんかこう つまんないよねとかって色々考えたんですけどでもまあがままの私をそのままあの作ってくださったんだなって。あ、それは うん。 見ていただいたらいいのかもしれないっていう変に作り込まれてないので、そういう気持ちになってで、 あの受賞のお祝いのお食事の時にあの音楽の担当の方とか編集の方とかともお会いしてどんな思いで編集してくださったかとかどんな思いで音楽つけてくださったかとかそういうこうドキュメンタリーの裏側を知ってよりあんこう大切にしてくださってるんだろって 思って、その思いの決晶なんだなって思うと、ま、なんかすごい大切な映画になりましたね。 うん。受賞を何かしたんですか? あの、アメリカの、ま、いろんななんて言うんだろうね、森様ご存知けど、世界に今本当に小さい映画祭とかもいっぱいあって うん。 で、特にね、今回ちょっと狙い定めたのはその人権ヒューマンライツのつく映画祭だったり、ま、うん。 賞取ったのはね、ライフ、ライフフィルムフェストっていうのかな。 要するに命生命をテーマにした映画とか命とかま、ライフだから人生という意味もあるんだけどうん。 そこで、え、キャプラの精神賞、スピリッツオブキャプラ 賞っていうのと、 それからあのドロドキュメンタリー長編部門編集、ドキュメンタリー長編部門作曲省ていうのをだきました。 えっと、じゃあちょっとあの松本さん、リカさんの、え、幼少期のことを聞きたい。 あの、ま、お父さんとの思い出色々あると思うけど、 1 番なんだろう、強いというか、大切なエピソードは何でしょう? はあ、なんだろう。ま、いっぱいあり、あるんですけど、私結構反抗機で父に対してもなんですか、あんまりいいタイルは取っていなかったというか。 うん。 そういうところがあったんですけど、アフリカの当時イールにあのボランティアに行った時に、ま、お腹が大きくなってしまって、もうすぐなくなりそうな子たちがいっぱいたんですよね。 それはリカ香さんはいくつぐらいの時? 私が9歳とかそれぐらいだと思います。 ボランティアってオム心理教自体がボランティアで そうですね。無心理教の医と看護師 うんうん何個分か医療品とか食料品とか うん 送ってでまそこの現地の人に応されそうになったり色々あったんですけどもだそこに行ってる時にまつものように過ごしてたら父がまこうやっていろんな経験が [音楽] ができて移植不重なく生きていけるという ことがどんなに恵まれてることかという ことを理解して欲しい言われたのはなんか 最近のニュースでこう普通に生きられない 子たちの話といっぱい出てくる時にうん なんて あの5万人生きてたのかなっていう風に 思う時に思い出しますね。うん。 歳だ。92年とか93 年とかだと思いますね。地下鉄サリン事件の 2年前か。 あ、ザイルに行ってたんだ。うん。 総選挙の少し後か。 うん。そうですね。 もうリ香さんは生体になってるじゃ。 そうですね。私は5 歳の時にあの大場のヨ画を成したということで 1回与えられてるので。うん。 成手したの? それはま、父基準ですからね。私からしたら成手してませんね。 何かこうマントラとか言えるの?その時は言えたの? ああ、それは言えるものはありはしましたけどマントラは誰でも言えますからね。 そうだね。僕だと言えるよ。はい。 そうなんだ。うん。 あの、今のはとっても、ま、ある意味でいい話だけど、もっとこう、麻原さんのなんかぶっちゃけた話。ぶっちゃけですか? うん。 ぶっちゃけ。いや、父がどうですかね?ぶっちゃけあんまり裏表のない。 [音楽] だってさ、家、家でもすごく異厳なるっていう。そういうタイプじゃないでしょ。 家でも異厳がないし、外でもそんなに異厳はなかったかなみたいな。 外では異厳あんじゃないの? ありますかね?あ、どうな? でもよく言ってたのはなんかほらやっぱりあのこれはできるようになられなきゃいけないんだよみたいなことは言ってなんかていうのは言ってました。 いや、私が父はあの教祖だからしっかりしてもらわなきゃいけない気がしてるんですけど父は無頓着で うん。 そこら辺のこうサマナがいる前で着替え始めたりとかして着替えるとかってすごいこう私からするとああさん胸毛見えちゃうよみたいなそういうの気にしないで着替い始めちゃったりとか うん そういうところはおいおいとかって思って見てましたけどあとはやっぱ目が見えないので [音楽] うん その洗面所綺麗に使えないとかそういうところがあってああやっぱり見えてないんだなとか思って綺麗にしてあげたりとか うんうんう うん。裏表っていうのはあんまりなかったですね。 うん。 その怒ってる時は怒ってるし、笑ってる時は笑ってるし。すっごい怒られたって記憶ありますか? [音楽] あーとですね。勉強しないのはすごい 9 歳ぐらいになって父が私が開かも読めないっていうことに気づきましてやっと。 で、その時から勉強しろっていう風に言われて うん。 で、嫌じゃないですか?妹と同じ内容やるんですよ。 で、妹はもうすごいね、すごいねって言われてもうなんですか、振動のように扱われて、 それに対してあ、チャリーはひがも読めないのみたいなことを言われる中、こう小学校 1年生の教科書からやるんですよね。 あ、青い空とかいいとかってやっていくのがすごいストレスで逃げ回ってやんないと父がしないを持って追っかけてくるっていう。 うーん。あ、じゃ結構厳しい面もあったんだ。 うん。厳しい面はあったんですけど。あ、 1 番怒られたのはその市内持って追っかけられて叩かれるんですけど、私生意きだったのでいいや、あんま大していたくないんだよねって言って言っちゃったんですよ。 誰にそれを聞いた父が手加減してるんだぞって怒ったことがありました。 うん。うん。 ま、どっちにそう教祖が生体を追いかけ回してしないで殴るってのはあんまりよろしくない。 今で言ったらも絶対虐待ですからね。 うん。うん。 えっと、以前にね、 95年3月に臨事件があって、 え、それから 朝原さんが逮捕されて何ヶ月後だっけ? 5月ですね。2ヶ月後ですよね。2 ヶ月後ですね。 で、どんどん、え、幹部たちも逮捕されて、 そこちょっといいですか?905 年の3 月皆さんからしたら連日地下鉄サリン事件の報道見てたかもしれないんですけど、オムの人たち見てないんですよ。 うん。うん。私たち知らなくて うん。 なんか噂でちょっとなんかあったらしいよ。え、何があったんだろう?よくわかんないねぐらいだったと思うんですよね。 なので私事件のこと語る時になんでそんな他人事なのって言われるんですけどその実感がない私にとって 911 とかの方がすごく実感があるんですよね。 なるほど。あの A の中でね、あの荒木さんがニュースをテレビで見てるシーンがあるんだけど、あれは後報担当なんで、あくまでも彼は特例としてそういったことを、ま、やってもいいって。それ、それが仕事なんですよね。 ただ一般の信者はほとんどこんなの見てませんよって言われたのは僕も覚えてます。 事件なので広方担当とかもなかったと思うので 見てる人がほぼいない。うん。 禁止されてたので うん。 で、そういう状況だったのでその皆さんよりも事件のことを知らない うん。のに強制操作が始まる。 うん。 ま、でも強制操作が始まってからどんどん幹部が逮捕されたり、え、村井さんが刺されて死んだりとか、あの辺りは当然全く知らなかったわけじゃないですよね。 うん。そうですね。そのままるまるさん逮捕みたいな話は入ってきて、もうなんかそれが日常になっちゃってああ、逮捕されちゃったんだ。また減ったな。 ああ、逮捕されちゃったんだって合計で 200人ぐらい逮捕されますよね。 うん。 なので私がこう小さい頃いっぱい遊んでもらったような方っていうのは結構逮捕されちゃって うん。うん。 うん。なのでそこは理解してましたし村井さんが視察された時はもうすごく同揺しましたね。あの なんかね、週刊誌で読んだ記憶ある。 きべさんかな?キべさんが逮捕された時に うん。 あなたがお兄ちゃんお兄ちゃんって泣きながらなんか あ、逆ですね。きべさんが釈放された時に あ、釈高とか あの1目会いたくて 追いかけても会えなくてあ、こうやって うん。 なんだろう。判決って終わっちゃうんだなっていう。 うん。うん。うん。 どんな思いですか?その頃どんどん自分の知ってる人が逮捕されて。 ま、やっぱり1 番の衝撃は父の大砲ですよね。あ、父の大砲の時はもう世界の崩壊ですね。文字通りもう世界終わった 感じがしてでも実際終わってるんですよね。 あの、壁紙とか床とか全部剥がされて ゴキブりとかネズミとかがこうわーって いってこう寝る場所も綺麗な場所がない ような状況で生活空間じゃないような ところで生活してるので うん。で、なんですかね、その当時の警察 官の方々も 、ま、配慮がなかったのか、こう父が逮捕 されて泣いてるのを無理やりこう 顔隠してるのを奪い取って笑いながら写真 撮られたりとか、ま、そういう なんだろうな。 ま、私ってそういう存在なんだなっていう うん。感覚になっていきましたよね。 うん。うん。あの、被害者もしくは、ま、遺族のある意味での正域化みたいなね。 うん。 え、それって僕はやっぱサリン事件で 大きく加速したと思ってるんです。で、理由の 1つはうん。 まずやっぱり、ま、臨事件含めて不特定多数なんですよ。標的がね。 つまり加者と被害者の因果関係がないわけてことは 自分が被害者になったかもしれない。 もしくは自分の父、母、子供 うん。うん。 夫、妻という意識を日本人はしかもあれだけの報道で毎日も朝から夜中までそういった特板ばっかりを見てだから事被害者的感覚を持ってしまった。 あとオ部の場合は競技というね、普通にやっぱり犯罪加害者がいて家族がいてという構造とはまたちょっと違って協議というものをみんな共有しててその協議がどうもう 人を殺戮したま理由というかメカニズムの大きな要因らしいってことはなんとなくわかるんでってことは同じ協議を信じてるこいつらも全員加害者だとまおそらくそういう落したんだろうな。 うん。 非常にうと被害者のみたいなものがね、ま、 95 年以降、え、加速してしまったと僕は思ってるんだけど、 そこ1ついいですか?あの、 殺人を犯す競技、犯してもいい。肯定される協議を共有していたっていう認識は残された私にはないんですよね。で、私ちだと思うんですよ、それは。 で、他の今普通に生活してる元の方々も みんなそのそんなまさか虫も殺しちゃいけ ないのに虫を殺しちゃいけないところで人 は絶対殺さないだろう信じていたのをま、 ある種騙されたっていう形だと思うんです よね。 なのでその共有同じものをオム心理教として共有していたはずが うん。何かこう事件 の主要なメンバーと私たちとれはすごく帰りした世界があったなっていう。 うん。うん。は今思います。なるほど。 まあ、ま、特にね、公安長がこう危険士するタントラバジラやか僕なの全然危険だと思わないし、ま、むしろマハームドラーの方が厄介だなって気はします。あの、マハームドラって要するに何があってもこれは、え、なんだろう、ま、自分に稼られた試練なんだと思っちゃうことですよね。あと宗教ってそもそも危険なんですよ。だって死とせをひっくり返すわけだから。だから宗教ってのは殺戮とね、え、とても、ま、相性がいいって言い方の変だけれども。 も、え、イスラムだけじゃないですね。 キリスト教仏教も含めて実はもう殺戮とは すごく、え、神話性が高い。だから宗教は そういう側面があるんだけど、今でも覚え てるオムの事件の後にね、テレビで、え、 有名なコメンテーターが人を殺すなんて こいつらの宗教じゃないよっていうなんか 絶叫してる男性コメンテーターがいて、あ 、全然この人分かってないなと。ま、僕も その時期全然分かってないけど、その 分かってない僕ですらそれは違うだろうと 思ってことあったりした。 けれどいい。ちょっと話書いて、あの、今銀行講座作れるの? 銀行講座作れないですね。 去年も拒否されてうん。な、なぜ? えっと、その時は担当者の名前も所属も一切何も教えてくれなかったです。 うん。うん。 あの、映画で出てくるのは総合的に判断してっていうところまで教えてくれて、松本千蔵の娘という以外に考えられないんですけどもっていうところまで踏み込めたんですけど、去年拒否された時はもうそこも言えない。もう剣もほどに。 それは全部の銀行、 えっと、その大手銀行がダメなのかなと思ってネット銀行も何個か 試してみたんですけどダメでした。 うん。うん。 ビザは取れるんですか?今 えっとビザはあの取れる国と取れない国があって 前アメリカ行きましたよね。 アメリカ行けないですね。 あれ前アメリカ行ってなかったっけ? アメリカは行けないですね。 あ、あれカナダか。カナダですね。うん。 うん。 カナダ行ったんですけど、そのカナダの事前都っていうの申し込んでたら 1年ぐらい返事なくて、で、 1 年後ぐらいにあなたがテロを起こしたり、カナダの国のスパイをしたり、破壊活動をする恐れがある人物なので、あの、許可できませんってことでカナダには行けなくなっちゃいましたね。 うん。でもカナダ局はそれはっきり言ったんだよね。 そうなんですね。 日本の銀行と違ってうん。 カナダは言ってくれたので ということは日本政府がカナダにそういう報告をしてるっていうのはっきりわかった。 うん。えっと事件から30 年過ぎるんだけど、え、その加害者の家族であるだけのリカさんは未だに銀行の口座も作れない、ビザも自由に取れない。うん。 さすがに住民票取れるようね。 住民表票取れるようになりましたね。で、 え、以前取れなかったんですか?住民表。 えっと、住民表入らないことがあるので、私は、えっと、八王子に以前住んでたじゃないですか。あの時は八王子市内で引っ越せるところ一生懸命探してて、 かつ八王子市内には 私が住んでることが知れ渡ってるので、 あの、ま、面倒見てくださってた方が、あの、都内に不動産屋があって、都内の不動産屋の物件をわざわざ探して うん。 借りて一緒に住んで面倒見てくださったんですけど うん。 そこもバレると出ていかないといけないってなるとまた違う八王子しないでっていう形で うん。引っ越しましたね。 うん。ま、あと映画の中ではね、大学から試験に合格したのに入学を拒否されたり就職もそうでしたよね。 つまり、ま、生存権、基本的人権がもうほぼ認められてないっていう人生をこれまで送ってきたけどうん。 1番辛かったのは何ですか? 1 番ですか?あ、難しいですね。そりはとても今こうあ、そっか。 私何回か自殺しようとしてるんですけど、 その、ま、1番 大人になってから自殺しようとした時に、 ま、死にかかったわけですけど、苦しい から死のうとするんですよね。で、 それでこう死にかけた時になんだろうな、 どう表現していくかわかんないんですけど 、一種のこう体験だと思うんですけど 苦しみの塊みたいなものがすごいこう一瞬 こっちの世界では一瞬だけども死にかかっ てるのでこう相みたいな時間が流れが 変わるんですよね。うん。で、その間に ものすごい苦しみがうわーってきて で 意識が戻って生きてると思ってショック で泣きするんですけどでも その時思ったのが あ、私苦しい時に自殺するのはやめようと 思ってうん。やっぱりこう苦しい苦しいで 自殺するとそうやって相マみたいなのが 襲ってくるのも苦しいものしか来ないから なんか死ぬ時もこんなに辛いんだなと 経験してでそういうのもあるので今こう 結構死にたい方とかのカウンセリングも させていただいてるんですけどまんとか その死にたいぐらい辛いところは生き抜い ていただきたいなと思ってううん。 私と同じ体験はしないできたいなって。 うん。うん。 いうのはありますね。その苦しみっていうことで言うとそれがものすごい大きな苦しい体験でしたね。 うん。あのお父さんが処刑された時に SNS で、ま、これ映画の中されてますけどね。 あの、おめでとうとかなんかそういうメッセージをリカさんにこう送ってくるうん。 やか、 もう本当にむかつくけど、腹立つけどでも多分あの時は実はなんかそんなに悲しくなかったみたいな言い方をこな間だしてたよね。 いや、あの、やっぱりかなりショックでそのおめでとうとか、 あ、そっちがね、 あなたもお父さんの処刑そのものよりも、 ま、どうなんですかね。もうあの時はんだろうな。 立っていられる限界を超えた感じがしました。 うん。電話くれたの覚えてる? ああ、そういう 遺体に面会した後に電話くれたんだよ。 で、なんかね、笑ってはいないけど、なんか声がそんなに落ち込んでないというか、 うん。 むしろは弾んでる感じで、で、今お父さんに顔を見たんだけど、なんか昔のお客さんみたいに痩せてなんか貧素になっちゃってみたいなことを うん。僕に言ってくれるんだけど うん。大丈夫かなと思った。そうですね。 ちょっとこれ今危ないんじゃないかなと思って。 うん。 そういう感じで限界来るとなんだろうな。悲しいことも普通に悲しめなくなるし、 もう執行された当日からなんだろう。あ、また戦い続けないといけないのかなって。父に会うためだけにもこんなに戦わないといけないんだなっていう ことがおかしすぎて うん。姉と笑ったんですよね。 うん。うん。 で、あ、これがリアルだよねって。 うん。 こう本当に辛い時って笑っちゃうよね。 って言ってたの覚えてますね。うん。 うん。えっと、僕はだから、ま、この映画、ま、 1 番見せたいのはあの時におめでとうとかね、よかったら見たいな、こう言葉を投げつけてきた奴らに 1番見て見させてやりたいけれど、 えっと、リカさんはこの映画によってどんな対話とかね。 え、変化が社会に出てきてくれればいいなと思ってますか? 色々考えたんですけども、ま、今回見てくださってる方が結構生きるのが辛い方が多かったりとか、私の Twitter のフォロワーの方って精神的に色々抱えてらっしゃる方とか多いんですよね。だ、そういう方に 辛いのはあなただけじゃないよ。 一緒に頑張ろうみたいな、そういう メッセージになったら嬉しいですし、あと はやっぱり死刑問題についてなかなか議論 ができない。私はあの Twitterで父は殺されたとかって 書いたんですよね。そうするとあなたの お父さん殺されてないよ。死刑になった だけでしょうんですよ。うん。で私から するとあの死刑の国家による計画的殺人だ と思うんですよ。 それが合法か違法かは置いておいて計画的な殺人だと思うんですけど、そこ自体も共有できない。 うん。 人を殺す経ではなくて、ま、死という経緯だなんだろうな。 うん。 死刑じゃないんですよ。あの、確定死刑囚、え、自殺を許されないんだよね。つまりでお詫び病をしますて言ってもそれは認めない。殺されなきゃいけないんです。だから本当は殺ですよ。 うん。うん。そうですね。 酒とかそういうもっとダイレクトな殺処分とか そういうダイレクトな 話になったらやっと伝わるのかなっていうこう死刑という言葉自体が綺麗なんだろうなっていう。 うん。うん。感じがするので。 あのほら情報が公開されてないこともすごく大きいから要するにどこかで誰かが綺麗に終わらしてるっていうことになってますからね。うん。 そうですね。うん。 そこがこう、あ、本当にどんなことをした人物であろうとも、ま、人間が殺される系なんだっていうこと。まずそこの国家による殺人悪、あの、人を殺した人への刑罰としての殺人だっていうところだけでいいので、まず共有したいですよね。 うん。うん。え、うん。 あの、最近ではもう死刑も回避して極系っていう言葉にしたりとかね。だからもう言いがひどい。でもう それによってやっぱどんどん実感を奪っているっての確かだよね。 あの、同じ質問、え、この映画によってどんな議論 うん。 どんな影響を社会は持って欲しいのか長塚監督は。 そうだからね、議論にしたいんだけど、最近本当この特に死刑の問題とかそれからそのリガさん加害者家族の問題を追っかけていると思うのは我々の今この社会って議論のだいぶ手前にいる うん。 だから議論にたどり着けるための道を多生やしたいっていうのが 1番大きいですね。うん。ね、あの、彼女 の今死刑のことで言えば、死刑のリアリ ティっていうのは、ま、我々はなかなか たどり着けないけれど、少なくとも家族が 死刑になった人を見つめることで、その リアリティに少しでもね、気づいて欲しい し、それからやっぱり加害者家族っていう 生き方をしなきゃいけない人がどれだけ 行きづらいのかと。で、それはさっきの バッシングの問題も含めてうん。 それって我々の社会の側がその生きづらさを作ってるわけだから。で、その問題っていうのは実は加害者家族の問題だけじゃなくって、ま、それこそ移民難民の話もそうだし、いろんな人の生きづらさを平気でこう祭り捨てることで私たちは今暮らしてるっていううん。 ことにまず気づくことで、だから私よく言うのは映画館を出る時にそうだ、松本に私は第 3 世で出ていかなくて別にいいと思ってるんですね。 うん。 あの、私はそれでも松本リ川を受け入り きれないけれども、でもそうやって揺れ てる私は何なんだろうと思って帰って くれれば、ま、それがいずれはちゃんと 対議論できるための道を耕すことになるの かなっていう問い道りですけどね。そう いう気持ちですね。ありがとうございます 。え、ナース監督松本リ香さんお2人を 呼んで色々話をお聞きしました。 え、次回もまたこの映画についてより深掘りしたいと思っています。え、ではここでおります。どうもありがとうございました。 ありがとうございました。 [音楽]

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■概要
地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教の教祖・麻原彰晃(2018年に死刑執行)の娘として生まれた松本麗華さんと、松本さんに密着した映画『それでも私は』を発表した長塚洋さん。その2人に、自身もオウムを題材とした監督作がある森達也さんが話を聞きました。教団内で「アーチャリー」と呼ばれていた松本さんは、父親が逮捕された当時12 歳。父や事件、「償い」への問いがつきまとってきた松本さんの人生を通して、日本社会の生きづらさや、加害者家族や死刑問題への「まなざしの地獄」を浮き彫りにします。

■目次
0:00 番組開始
0:53 森さんあいさつ&松本さん・長塚さん自己紹介
3:34 映画化の契機は被害者家族との対面
7:28 テレビは“オウム企画”を拒否する
12:17 「撮影後」が一番つらかった
22:06 竹刀で麻原彰晃に叩かれた
27:52 オウム・サリン事件当時のこと
35:06 いまだに銀行口座を作れない
37:50 人権がない人生/「苦しみの走馬灯」が押し寄せた
40:14 処刑後の父の死に顔は「お百姓みたいで…」
42:29 社会は死刑・加害者家族の議論の“手前”にいる

■出演
森達也(映画監督、作家)
長塚洋(映画監督、ジャーナリスト)
松本麗華(心理カウンセラー、麻原彰晃(本名:松本智津夫)三女)
※動画内で松本さんを「16歳で教団から脱会」と紹介していますが、ご本人は自分の意志で入会したことがないため「16歳で教団を離れた」という表現が正確でした。

撮影・編集:伊部和憲

▼森達也さんが「国家的な罪」と語るオウム裁判にフォーカスした後編動画はこちら:

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