【報道1930スペシャル】日本人と“軍隊” ~いま見つめる戦後80年の自画像~【8月31日(日) #報道1930】

[音楽] を日本の終戦から 80年終以来 [音楽] 80 人々のみな努力により今日の我が国の平和と反栄が続き上げられました。今も戦下が耐えない世界。 [音楽] 揺れる日米同盟。 Jap 緊張高まる東アジアというものは国や国民に危険が及んだ場合には自分の命を帰り見ずに任務を遂行しなければならない。いつも言われてます。生きて帰ってきてねというのは。 しかしその存在は曖昧なま。 自衛隊が軍隊じゃないと いうのは不自然でしょう。日本では いわゆる軍隊ではない。 実力生国際的には軍隊国内的には違うでは一体何なんだ? [音楽] 私たちは自衛隊の何を語り何を語ってこなかったのか。 どうしても意見を持つことが怖くてもう議論自体を放棄してしまった方が傷つかないんじゃないかって 世の分断を深めているのであれば最初から興味を持たない方がいいのではないかなと思ってしまいます。軍事組織が社会の中から忘れ去られててまあなんかいるんですよね。 でもなんかよくわかりませんというよりは自衛隊というものに対する改造度はもっと上げるべきだ。日本と同じハ戦国のドイツは今全く違う道へ。 [音楽] 最強の軍隊にする。 かつてナティスの対当を許した国。 歯止めとして根くリ念。制服を着た市民とは何なのか。 従うべきでない場官の命令には従ってはならないのです。しかし空の対当はどう影響するのか。 私はドイツの愛国者です。長兵制度の復活を目指します。 民主主義の国の軍隊は何のために存在する のか。 軍人を内がにしたことがその後の戦争と ファシズムをま、あの呼び寄せた。実際に 戦ってくれるのは自衛隊の人たちなんだと 。ここまで私たちも分かってるんですか? 覚悟しているんですか? あの、僕は実は陸爆時代からも考えてるん ですけども、 自衛隊はこれからも戦争しないのかな? あるいはするのかな。 部自衛官を育成する学校で今も使われる教材には特攻軍人直有などの文字 [音楽] 幽霊が出てきたと思ったんですけどね。 幽霊が 旧日本軍の思いをつなぐ陸上自衛隊元トップが明かしたことは [音楽] 自衛隊が何のために国のために命をかけるんだという。 ただ便利なようにね、使われてどうせ なくなっても国なんか、え、別に何もって くれない。 [音楽] こんばんは1930松原浩司です。 野原リ奈です。 報道1930。今夜は特別遠征で2 時間にわってお伝えしてまいります。さて、戦たちは何を見て何を見てこなかったんでしょうか。同じ愛戦国ドイツの軍隊を貫く制服を北た市民とは一体どんな理念なんでしょうか。そして自衛隊の中で今何が起き隊員たちはどんな思いを抱いて最前線に立っているんでしょうか?え、今日は戦後多分資されてきた問題と向き合っていきたいという風に思っております。 [音楽] 今夜のゲストをご紹介します。京都大学大学院の教授で国際政治学者の中西さんです。 よろしくお願いします。 よろしく。 自衛隊制服組のトップ統合爆料長を務めた織涼一さんです。 よろしくお願いしますよ。 ドイツ出身の翻訳でエッセイストのマライメントラインさんです。 はい、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 東京大学先端科学技術研究センターの準教授でロシアの軍事や保障政策がご専門の小泉優さんです。 はい、こんばんは。よろしくお願いします。 え、戦後80 年守ってきた平和をこのまま続けることはできるんでしょうか?同じ戦国ドイツの軍隊への取材も交えまして、私たちは何を今見つめみ直すべきなのかを考えてまいりたいという風に思っております。まずはこのデータから入りましょう。原さん。 はい。こちらはもし戦争が起こったら国の ために戦うかという調査です。世界数十 カ国の大学研究機関が共同で18歳以上の 男女に聞いたものです。この中で最も多く はと答えたのがベトナム96%です。 そしてその下ですがアメリカは59%。 そして今回注目するドイツは44%でした 。では日本はどうなのか? 91の国と地域で再下です。 1つ上のリトアニアは32%ですが日本は 13%でした。 はい。この数字色々評価分かれるとこだと思いますが、それでは実際に国防を担う最前線の自衛隊員たちは今どんな思いを抱いているんでしょうか?まずはこの VRご覧いただきましょう。 空に侵入しようとした相手国旗に接近する F戦闘機パ。 そして 期待を揺さぶり警告を続けます。 F戦闘機の最大速度は速の 2.5倍。 これは航空自衛隊が行っている訓練です。 沖縄県橋 町の奥にそびえ立つのはレーダー。 このレーダーで24時間の警戒監視をして います。 ここは航空自衛隊南航空方面。 日本 周辺の安全保障の最前線です。星島孝志二空位 28歳。 F15戦闘機のパイロットになっておよそ 2年になります。 今装着しているものはこれは体ジースと言って字がかかる時に中に空気が入るようになってるんです。 戦闘機の操縦中は強烈なGがかかるため パイロットが失進する恐れがあります。 この特殊なスーツが下半身を圧迫し、脳へ の血流を確保、失進を防ぐのです。 緊急時には5分で離陸できるように基地に はスーツを身につけた隊員が常に待機して います。 [音楽] 航空自衛隊の緊急発信は2024年度で 704回。 特に中国軍の無人機への対応は23年度の 3倍となり、中にはミサイルを搭載できる 無人機もありました。 今年6月、政府は政党防衛や緊急避難に 当たらなくても無人機を激墜できるとの 見解を確議決定。 隊員たちはより実践を意識する状況に強い 緊張を強いられています。 生きて帰ってきてねというのは言われて まして、妻も今日が最後になるかもしれ ないので、毎朝どんな時間でも起きて行っ てきます。 いてらっしゃいは言ってくれます。 反対に 隊員を送り出す側も 任務をしっかりとマトした上で必ず帰ってこいという風に思います。 ご家族の方は覚悟ができている という風に思ってます。ま、今日行くったらおかしいですけど、あの、なくなることもちゃんとあの伝えなきゃいけませんのではい。 常に命を意識した任務。 訓練中の事故などによる自衛隊全体の準職 者は去年8月までの1年間で32人に登り ます。 [音楽] 1954年に発足した自衛隊。 戦力の不保持などを定めた憲法球条との関係から未だに軍隊とは位置づけられていません。 [音楽] [拍手] 1970 年代には一部の自治体で隊員が住民登録を拒否されたり 20 十歳になっても成人式に参加させてもらえなかったりするなど冷たい視線にさらされたこともありました。 [音楽] そして後80年の今 災害派遣8割の国防 2割ぐらいなのかなっていう印象ですね。 災害のイメージが強くなっていますが、自衛隊のシュタル任務は国防。選手防衛は変わらないもの、敵基地攻撃能力の保有など防衛の強化で自衛隊の任務は複雑で多様になっているのです。 [音楽] [音楽] 陸上自衛隊ネリ間中屯地。 [音楽] ここには18歳から30歳まで67人の 新人隊員がいます。 気象から10分以内に着替え集合です。 567 おが小さいお 新人隊員の移動は常に走り。 最近朝もあって体力使うんでしっかり朝食べて体力をつけてみます。 それ れ れ引けば 午前中は座で少獣の基礎を学び [拍手] 午後は屋外で少獣を扱う際の正しい姿勢や 照準の合わせ方などを習得していきますよ。 彼らが所属する部隊は主と東京の防衛や災害対応が主な任務。何かことが起これば新人といえども前線に立たなければなりません。 [音楽] 今のあの若い隊員にどうしてあのJ官に なったのかっていう風に聞くんですけども なんか人の役に立ちたいとかこのままでは 自分がダメな人間になるからしっかりした 人間になりたいとかっていうのがもうほぼ 大多数で国を守りたいっていうのは実は 少数派なんですね。 団体で訓練を重ねるうちに変わると言い ます。 やはり訓練とか団体生活を通じて、ま、敵にやっぱやられたくないとか、あの自分の仲間を失いたくないとだから一生懸命訓練して強くなるんだったよ。 [音楽] [音楽] 午後5時1日の訓練が終わります。 食事お風呂入って、ま、その後結構自由になるんですけど、ま、その時間は戦闘服、作業服をちょっとアイロンけしたり、次の日に向けて感長感も磨いたりしてます。 新人隊員に与えられた部屋は 8人部屋です。 最近のあのクーラーのあの設備がされたりですね、ベッドのマットレスが新品になったりで、その他やはりプライバシーのあの空間確保といった観点からパーテーションも今徐々にこう導入されています。 自由時間になればようやく携帯電話の使用が許されますが、隊員が 1番望むのはあのWi-Fiの 環境なんですが、来年度末までに Wi-Fi環境が整備されることとなって います。 少しずつですが、対遇改善を目指している 自衛隊。 しかしそれでも自衛官の成り手は大きく減っているのです。猛暑日が続いた今月上旬航空自衛隊イル基地 北ビットの中も取ってもらっても構いませんが SNS にアップするのだけはやめてください。 それ引く時はこう 入体に興味を示す若者らを対象に見学会が模様されました。 家族としてもやっぱ公務員ですし、安定するので やっぱ賛成してくれる声がやっぱ多かったですね。 私はあのフリーターをもう 7 年ぐらいやってて、ま、ちょっと安定した仕事にきたいっていうのが大きいです。今自衛官の確保が困難な状況が続いてます。 2024 年度に自衛官として採用できたのは計画した数の 65% にとまります。さらに入ってくる人が少ないだけではなくやめる人も後を立ちません。中途都退職者は 30年間で過去最多となりました。 これが多分ちっちで母。 そこに21 年間勤務した自衛隊を今年 3 月に退職した岩本拓也ヤさん。きっかけの [音楽] 1 つは地元の人からかけられたある言葉でした。 熊本自身の災害派遣任務を終え東地の門番をしている時のこと。門の前になんか [音楽] 6人ぐらいの5 年配の方があの来てでただ通りすぎてただけなんですけど門に立てた私に対して自体なんてもうやめてしまいなさいてあなたも [音楽] 1 人の人間なんだから自分の大事にしたさっ言われたんですよね。 んと思ってパッと見たらその時に炊き出ししてた時に感謝してくれてたおばちゃんたちだったんですよ。結構ショックでしたね。 [音楽] また将来の不安も。 自衛隊の多くの人の丁年は 56 歳。一般企業よりもはるかに早い丁年です。 そうですね。ま、みに言われます。 として知られる第一空艇団に所属していた木村優一さんは 最就職するにも自衛隊ならではの理由から難しいのだと言います。 やっぱ僕らって命令されないと動けない。 そういう風な隊員に育っちゃうというか、 言われてないのに動いちゃいけないって いうのがやっぱ基本ルールなのでやっぱ 民間の就職先はそんな人は求められない わけですよ。あんまり。 今年4月に退職し、現在は農業を営む樋口 さん。 防衛大学校を卒業後、上級式指揮官としての道を着々と歩み、将来は陸場自衛隊のトップである爆僚長をも指せる立場でした。 で、やっぱ自分自身も愛国心はあった方だとは思ってはいるんですけど、自分に部下がついて自分の命令で部下が死ぬかもしれないから、ま、そう本当に任務になったら、ま、そういう命令だってしないといけないですし、 [音楽] [音楽] しかし上司や政治家は本気で国防のことを考えていないのではないかと疑問に感じたと言います。 [音楽] 今のこの国の政治家は本当に国民のこと 愛してたらこうなってないだろうって思う ことがちょっとありすぎてでその人たちの 命令で動くってことはおそらく自分の保針 のために自衛隊使うんだろうなっていうの がもう僕は思ったのでだったらそこに命 かけたいとは思わないと思ったんですよ。 はい。自衛隊員たちが置かれた今の現状を 抑えておきましょう。し原さん はい。自衛隊の仕事は増えています。災害 への対応、そして海外派遣など多に渡って いる上、最近では国防の中でもサイバー 防衛や反撃能力、そして無人の激墜も できるようになるなど任務の幅も質も 変わってきています。しかし人数ですが昨 年度の採用人数は計画の65%にとまって います。なぜ隊員が集まらないんでしょう か?まず初人休見ていきますと、例えば 東京都の警察官、そして消防士が22万円 を超えているのに対して自衛官は 17万9000円とおよそ4万円の差が あります。そして多くの自衛官は56歳と いう年齢で丁年を迎えますが、中途退職者 も多く2023年度は過去30年で最多の 6258人となっています。元自衛官の 木村優一さんは長く自衛隊にいた場合の最 の難しさについて自衛官は命令されないと 動かないよう訓練される。そんな人は民間 の就職先から求められないと話しています 。 堀木さん、自衛隊の任務の幅が広がっていて質も変わっている中で自衛官の採用というのは難しい状態、そして人数としてもなかなか厳しいという状況が続いていますが、この中でこの任務の幅の広さというのに対応していく難しさというのはどういうところなんでしょうか? そうですね、あの、組織というか自衛隊としてあの戦力というか任務を達成していくという面から見た時にはやっぱり人が基満ですからあのその付近の過去をどうやっていくかっていうの非常 あの、大変というか重要な要素だと思います。で、任務も任務も拡大してきてる要素は湾ン岸戦争というか平成に入ってからもう大体これぐらいの幅が入ってきたんだ。で、今言わなきゃいけないのは先ほどおっしゃった質の問題とそれから、 え、航空自衛隊のパイロットの方が言ってましたけども、本当にこう現実的に厳しい任務に向き合ってるんですね。 だからそういうこう実践的なあのこう状況になってきたというのが拡大の質の 1つだと思います。 しかもかなり専門的な知識を要求されるよう でこちらの宇宙サイバーとか反撃能力無人鬼機ですね。ここの部分は拡大した中で機能的な部分ですね。 あの作戦の機能的な部分それがものすごく増えてきた。 で、これは自衛隊だけでじゃあできるかというと、また難しい部分があって、官民官カ官というあの立場でも考えなければいけない、そういう任務だと思ってます。 それにしても木さん丁年が56 歳というのはなかなかこれ若者からしたらですね、将来どうしようという感じに そうそうですね。 なるかもしれない。 ただ、あの、自衛官の現場で求められる体力というのはだんだん今 寿命が伸びて皆さん元気になってきてますから。 そうなんですけど、やっぱり体力というのは基本だと思うんですね。で、雨が降っても風が吹いても、ま、そういう中でやらなきゃいけないのに 完暦を過ぎた人がそれに任務として求められてもフェクトということを求めるにはかなり難しい。 だからその付近のバランスもうちょっとまた年齢を伸ばすという風に聞いてますけれども 聞いてますけれどもやっぱりそこのバランスというのを考えながらやっていかなければいけないなという風に思ってます。うん。 そう中西さんいかがですか?もう単員数はなかなかまない。そして少子家によってこれからもおそらくどんどんまどこの業界もそうかもしれませんが人が足りなくなってくる。 しかし、あるべきことは専門性が高まり、しかもかなり、ま、前線で危険なもの増えてくる。この現状どう見ますか? いや、あの、おっしゃる通りだと思いますね。今あの、織木さんもおっしゃったように、あの、平成、え、 1990 年頃から、ま、あの、自衛隊の任務っていうのがだんだん拡大をしていて、最初は、ま、 PKO にカンボジアから出ていく。それからあの、 95 年の阪神淡路大震災から、ま、災害対応というのが、ま、従来以上に大きくなる。 そして2001 年にはあのテロの問題というのがグローバルな問題になるということで、ま、どんどん広がっていたんですけれども、ま、 2010年頃からまた1 つこう変わってきて、え、あの、特に、ま、南性重視とか中国の対当とか、ま、あの、今では大国競争っていうのが、ま、世界で言われるようになったんですけど、そういう状況に対応するということになって、あの、え、テロ問題とかはちょっと敷きますし、それから、ま 災害対応についても本来は、ま、今あの石 総理なんかが言われてるような形がいいか どうか、ま、別にして、あの、必しも、ま 、自衛隊でなければならないっていうもの ではないかもしれないんですけれども、ま 、やはりあの日本の社会の中で最も、ま、 あの緊急時に対応できる組織としては自衛 隊しかないということで、そういう任務の 方は、あの、かなり残ったまま今度は、ま 、大国競争ということで、とりわけ、ま、 中国とか北朝鮮とか、ま、あの、ロシアと かそう ま、リアルな軍事的教威の問題に対応しないといけないようになってきて、今、ま、あの、対業改善とかそういうことでやってるんですけども、なかなかそれで追いつくかどうか厳しい状況になってるような、あ、ように私は思ってます。 そうですか。 うん。 これです。皆さん先ほどVTR でもありましたけど、ま、Wi-Fi をやくというですね、あったり、あるいは、ま、訓練中はなかなか使えない。普通のホワイトとかだったら、ま、ま、仕事中にちょっと見たりできるわけですね。 しかも船で、ま、開示になると何ヶ月も、ま、海に出たら、ま、友達に会ったりもできなくなるとなかなか若者に受けがい仕事とはなかなか言えないかもしれない。この後の深でどうご覧になりますか? そうですね。あの、私も時々防衛大学校で講義してくださいとか言われていくことがあるんですけど、 ま、本当に普通の若者たちなんですよね。 で、急にこの人たちが 2025 年の日本の生活から切り離されておっしゃるように何ヶ月も家族とメールができないとかっていう環境に置かれると確かに厳しいだろうなと。 ただ、ま、その点に関して言いますと、例えばその開示の練習艦隊は最近あのスターリンク載せましたよねからその公開中も最低限のやり取りは家族や友人とできるようにとか、ま、もちろんこう秘密保持との兼合いとかあって難しいんだと思いますけど、 ま、そういう努力はこれからもやってくんでしょうと。 で、一方でこの22 万人という自衛隊の規模をどう考えるかだと思うんですよ。 で、確かに大きくはないんですけど うん。 例えばそのヨーロッパの軍隊とかそれから中東ですとかロシアを覗く旧ソ連れの国々国々とかその辺で考えてみると 22 万人って実は相当大きな軍隊なんですよね。 で、ま、多分これから先まだこの人間は減ってくんでしょうけど、そこをじゃあどう補うのかというような例えば無人家であるとかですね、 AI 化であるとかってことを、ま、考えるのが 1つの方法なのかなという風に思います。 で、もう1つは、あの、平人 22 万人なんだけども、友人どのぐらい増やせるのかって論点があると思うんですね。 22 万人っていうと大体回線前のウクライナ軍とほぼ同じぐらい なんです。え、ウクライナ軍21 万人ちょっとだったんですよ。回線前の水準で。 で、ロシア軍も、え、実は回線前 90万人、うち地上兵力36 万人ぐらいなんですよね。 うん。うん。 ただそれが戦争になるとやはり急素連の国々は徴平性なんかもあるので予備になる人がいっぱい これをウクライナ軍いきなり80 万まで膨らませてくるとロシア軍も 150万人まで膨らんでくると 日本はこの有時に膨らむ余地が極めて小さいんですよね。ですからこの平事の看板の数と 有次の同員数というもう1 個別の指標も考えなきゃいけないと私は思ってます。 うん。新井さんから見るとどうですか?ま 、Vにしたがかつては、ま、例えば成人式 にもですね、出さしてもらえないという 冷たい姿勢浴びた時代があったりかと思え ば災害でものすごい活躍で、ま、国民から 見るとものすごい、ま、好感度が上がっ たり、ただトリンフルの左分まで、ま、 やらされたりですね。ただ本の方でどれ だけ理解が進んでるかというのはまだまだ もない。まさかどこですか?日本の自衛隊 という。 私は日本に来て驚いたのがその一般人のミリタリに対するなんかタブーシだったんですよね。なんかあんまり話題にしたくないとか、 ま、他の、ま、世界の国みんな、ま、軍隊を持ってる中で日本はでも自衛隊を持っているっていう、ま、特殊な事情じゃないですか。 で、その特殊な事情の意義とは結局何なのか、ま、これを持って日本は何がしたいのか、何を目指してるのかっていうのが、だからこそもっとこう学校の授業の中でみんなで議論するとかから始めないと多分ね、そのタブみたいなものも変わらないんじゃないかなっていう気がするんですね。 うん。そこはドイツと全然違うとこですね。 全然違うんですね。ま、どうやっちだったらなんか割と一般人もその好き嫌いは別としてですね。 好き好き嫌いはあるんですけど、ただま、その軍隊は、ま、必要だよねっていうのが、ま、一応一般的には広まってる感覚そこら辺にすごく違いがあって、なんか日本の場合だとこう、ま、入退したら、ま、そこの先に何かこう、ま、事故にあったとか場合はなんか自業自得みたいな本当に冷たい目があるような気がしている。それはちょっと酷なんじゃないかなと思います。え、続いては歴史的な転換点を迎えているドイツから私たちを何を学べいんでしょうか?原さん。 [音楽] はい。 同じ戦国の日本とドイツ戦後 80 年の歴史を遡って見ていきたいと思います。まずはこちらです。先ほどありましたが、戦後最も厳しい安全 保障 環境に置かれているという日本の自衛隊です。 そしてこちらはヨーロッパ最強の軍隊を 目指すと宣言し、人員の大幅像、そして 長平性の復活の議論が始まっているという ドイツの軍隊です。 このドイツの軍隊は20年ほど前、日本の 自衛隊のイラクの派遣と同じくらいの時期 にアフガニスタンに軍隊を派遣しました。 そして初の海外派遣など歩みを続けてき ましたが、国民との距離という点が日本と 大きく違うように見えています。この違い はどこから来ているんでしょうか?日本の 自衛隊の創設は1954年です。一方、 ドイツの最軍日はその翌年、1955年 です。 この時に掲げられたのが制服を着た市民という理念でした。今も軍を貫くこの言葉に私たちは注目しました。 え、湖のそばで地元のお祭りが今行われています。で、こ 8 月上旬がまず訪れたのはドイツ南部にある防電庫です。 この湖で着水訓練をしている落下さん部隊 がリクルト活動を行っていました。 軍への入隊に興味があるという若者たちが 集まっています。 パラシュート訓練は年に1回必ず 絶対ではないですがキャリアのために年に 1回程度は参加してますよ。 共演習をするのですか? この3日間でおよそ200 人から相談を受けたとリクルートの担当者は言います。何歳から軍に入れるのか人休や規則訓練の期間。その後どのような選択肢があるのかといった質問をよく若者から受けます。 軍に入退する若者は増えています。 [音楽] この半年間で1万3000 人が入退し、前年から 3 割近く増加しています。背景にあるのはやはりロシアの脅威です。 [拍手] [音楽] [拍手] 強さは侵略を抑し、 弱さは侵略を招く。 [拍手] [音楽] 戦後80 年の今年、ドイツは欧州最強の軍隊を目指すと打ち出しました。 ナチス時代の反省からこれまで軍事力の 増強に慎重だったドイツにとって大きな 転換点です。 2度とナチスを呼び起こさないそうった ドイツの取り組みとはどのようなものだっ たのでしょうか? 私はその象徴とされる場所に行ってみまし た。 え、ドイツ連邦議会のすぐそば首都 ベルリンのまさに中心部にこのホロコース と記念費があります。え、つまり自らの 過去の犯罪と今もそして将来も向き合い 続けることを示したということになるわけ です。 敷地はサッカーコート2面分。ユダヤ人 犠牲者を追するホロコースト記念費は過去 の責任を心にとどめ続けようとあえて連邦 議会のそばに作られました。訪れた市民は 思いに過ごしていました。 過去から解放されることはできません。 しかし苦しみから解放され救われる唯一の 道もまた過去にあるのです。 過去を記憶し、思い起こすこと。過去と向き合うことなしに現在も未来もないのです。これは私たち自身とこの国の根底にあります。 [音楽] 過去と向き合うことなしに現在も未来もない。この過去の克服はドイツの軍隊においても求められたのです。 [音楽] 戦後10年が経過した1955 年戦の最前線にあった西ドイツは最軍日を迫られます。 [音楽] 兵士諸君たちは過去の影と現在の問題がもたらす、極めて困難な面している。 [音楽] [音楽] この時周辺国の理解を得るためにも重視されたのがナス時代とは全く異なる軍隊を作ることでした。 [音楽] その中心になった人物がいると聞き、北部の町ハンブルクに向かいました。あ、もう入り口にバウディの弊社という風に書いてあります。 [音楽] ドイツ軍の試観学校です。校舎に入るとすぐに出迎えたのが これがバウディシンのモニュメントです。 ボルフグラフフォンバウディッシンナチス時代にドイツ陸軍の三房証拠だった人物です。 [音楽] 戦中イギリスの捕虜となったバウディシン 氏は収容所の中でナチスと軍の関係につい て考え続けたと言います。 これは戦後70年の節目にドイツ軍が作成 した映像軍のあり方を議論した様子を再現 しました。 地方の修道員の部屋でナチスに荒がった人 たちと共にバウディ氏は議論に議論を重ね たのです。 その時まとめられた文書を入手しました。 古い軍隊を1から作り直さなければいけ ない。 そして掲げられたのが制服を着た市民と いう理念。 制服を着た市民とはナチスに盲目的に従っ た軍のあり方を問い直すものでした。 バウディシ氏が若い兵士に語りかける映像 が残っていました。 政治的に考えることができず、倫理感も ないものは兵士という職業を成し遂げる ことができない。 氏を間近に見てきたマ氏の老前さんはこう 説明します。 若者は兵士である前に独立した一市民で ある。この言葉が大切です。 市民として兵士は軍隊にいるのです。 つまり兵士はかつての帝国時代のように 軍隊にいる時に市民であることを忘れるの ではなく、 市民であり続けるのだということを意味し ています。 兵士である前に市民である。 その教えは現在のドイツ軍にも引き継がれ ています。 人の厳に背く官の命令には従ってはならない。重要なのは私たちの内面です。なぜ戦うのか、何のために戦うのか、その限界はどこなのか。 要するに自分の頭で考える兵士を育てると その通りです。 上官の命令に従う際は自らの両親に基づいて判断するようドイツ軍は定めました。 私たちがあった現役の兵士も制服を着た市民についてこう語ります。 [音楽] 制服を着た市民は軍の DNAの一部です。 [音楽] 制服を着た市民を実践するためにこんな取り組みも行われていると教えてくれました。 [音楽] 兵士は制服を切れば電車台が無料です。 私たちも市民ですという姿を見せているのです。 [音楽] ドイツの国防省は 5 年前から兵士は制服を着ていれば無料で電車に乗れるようにしました。貸化されるのはとても良いことだと思っていて、若い兵士も制服で外に出ると立ちいい振る舞いも変わってきて模範的な行動をするようになります。 [音楽] 高齢の女性やビーカーに手を貸したり、命令や指示がなくてもこういう姿が自然に生まれる。これも制服を北た市民の意味するところです。 [音楽] さらに、 え、国防省の一角に戦後なくなった兵士を追する施設が設けられています。え、ここは市民がつでも参加できるようにとここにあった壁をなくして開かれた空間にしています。 この施設は戦後海外派遣などで純職した 兵士を追するために作られました。 ブロンズ版には亡くなった全ての兵士 3400人余りの名前が刻まれています。 施設は一般に解放され、私たちの取材中に も市民が訪れていました。 隣接する建物にはバウデ氏の考えと共に軍 の戦後の活動が記されています。 [音楽] 置かれていたノートには多くの市民が兵士 への感謝の気持ちを書き残していました。 平和と自由を守って命を捧げた兵士たち のことを思います。 しかしここに来て大きな問題が起きています。戦後ドイツが抑え込んできた空の対当です。 え、ドイツ軍は2023年に62 人の兵士を解雇しました。極的な思想を持っているというのがその理由です。 政府の報告書によればある兵士は大けの場でハイルヒトラーと発言。 [音楽] またある兵士は虚空政党、 [音楽] AFD ドイツのための選択肢の熱心な指示者で差別的な発言を繰り返し解雇されたと言います。 [音楽] ドイツでは現在配多的な主張を掲げる極空政党 AFDが第2 等を占め、今月政党の指示率ではトップに踊り出ました。 [音楽] 彼らが政権を取った場合、欧州最強を 目指すという軍隊はどうなるのでしょうか ? かつてドイツ軍の大佐を務めていたAFD の議員にとうと 私は愛国者です。 ドイツで生まれ育ちました。 憲法軍の指導部は再び軍隊らしい軍隊に なってほしいと思っています。 虹色の旗多様性のために戦いたいのでは ありません。兵士たちは黒、赤、金の旗、 つまりドイツのために戦いたいのです。 AFDの議員はくとも4年後には政権を 取ると語ります。盲目的な復従はしない。 そんな市民という軍の伝統はどうなるのか 。私は取材の途中で聞いた現役の軍人の 言葉をぶつけてみました。 AFDの式の元に入ったら自分たちは抵抗 するんだとまで言ってる。これについては どう受けられ政治に対する中性が求め られる軍隊が抵抗することは私たち民主 主義のシステムの中ではありえません。 する兵士は軍にいるべきではないのです。 はい。あの、井さん、あの、やはり取材してみてですね、ドイツでいいかにはその AFD に対する警戒心が強いのかというのが、ま、行く前に想像した以上にやっぱり強いなと感じたんですね。 例えば先ほどの最後の、ま、インタビューの中に通った質問の中で現役のある兵士がですね、 AFD がもし政権を取って指揮に入るなら抵抗運動やるんだとヒットラ時代に一部の兵士がやったようにという風に言ったんですね。そのぐらいリアルでは脅威なんですか? でも共栄だと思いますね。だから、ま、あの、世論調査では今、ま、 1位の政党になってたりもする 26%なんですよね。 で、その26% の人たちはすごく指示してるんですね。 でも残、え、ですかが、え、大反対なわけなんですね。で、ものすごく今社会が分断されていて、だからすごくもう抵抗しようとしてる人はしてると思うんですよね。 だからこの後どうなるかで、ちょうど松原さんがドイツに取材に行かれたタイミングその直前に AFT のその裏マニュアルが実は大けになってきて、ま、こうしてこれから政権を取るんですっていうなんか 3 リステップのプログラムあったんですけど、 ま、そこはやはりこう、ま、簡単に言うと分断を煽る というのが未知だったんですね。うん。 だからまあ4年後っていうのが、ま、その AFT からそれと多分あり得なくはないシナリオなのかもしれないですね。 うん。ああ。 中さん、ま、ドイツが、ま、最強の軍を作るんだとこないだ宣言した。 うん。うん。 あの、ま、もうすでにですね、主演の国もドイツに対してそういう風に、ま、ロシアの共有威にちゃんと力してくれと、そこに依存はないと思うんですが、 ただAD がこう政を取ったドイツがその最強の軍を持ったらと この辺りはどう考えたらいいんですか? あの、やっぱりヨーロッパで今お話があったように、ま、あの、ロシアのウクライナ進行があっていこう、あの、ヨーロッパの軍事力を強化するためにやはり、ま、ドイツがより積極的になってほ [音楽] から今のメル政権にあのドイツあの軍化の方針が出てこれはヨーロッパ諸国でされてるのは間違いないと思います。 うん。 VTR にありましたに、あの、戦後のドイツの軍というのは、市民と国家と倫理同徳っていうものを両立させる、それを両立させてきたのは基本的にわゆるこう西側的価値の中に、ま、あの、埋め込まれているっていうことだったと思うんですね。で、その中である、あの、ドイツでもしされてきたのがナショナリズムとナチスの問題。 ま、ナチズが悪いっていうことには、ま、あの、論はないんですけれども、それがドイツの伝統的なナナナショナリズムとどれぐらいの関係にあったかっていうことはずっと論争があったんですけれども、ま、冷戦の時代からあの冷戦後にかけてその問題はあの倍パされてきたんですね。 だけどAFDが出てくる。そしてあの 今アメリカのトランプ政権が軽視する政策 になってきているというような中でドイツ においてこのナショナリズム問題がどう なっていくかということはま、 ドイツ人自身にとっても大きな課題だと 思いますしヨーロッパの人々にとっても やっぱり潜在的にはあのま、あの念を持っ て見ている部分があると思います。うん。 まさんもう1個伺いたかったのはですね、 あの先ほどVTRはしましたけど正規軍と いうかあの市兵は増えてるんですね。 ただ、あの、映性を導入しようじゃないかと議論がある。ただ調映性を若者は賛成してるかというと、私も街でかなり聞いたんですが、いや、戦場にはなと、ま、基本的に日本の町で聞くのと多分変わらないんじゃないかなという、この辺りはどう考えたらいですか?リアルに。 でもリアルにその通りだと思います。いろんな世論調査見てても 1番若い層、ま、30 歳ぐらいまでだとやっぱり徴平性の、ま、再稼働は望んでいないということになるんですね。 で、それ上の世代だとやっぱり、ま、ウクライナ戦争などを見て、ま、必要だよねって、ま、ちょっとその半分諦めてるのかわからないんですけど、あるいは、ま、すごく理性的に考えて、ま、 必要よね。仕方ないよね。でも、ま、自分は対象外題よねってのは多分ね、同時に思ってると思うんですね。 ただ、ま、上の世代、ま、ちょうど私もまだあの高校生だった頃、まだね、徴平ってあったんですよ。 うん。 だから、ま、その世代の人だったら、ま、まあまあまあ、そういう調平、ま、あっても別になんか、ま、いいんじゃないかなっていうのが 1 回経験して、ま、まあまあ大丈夫だったんだからっていうのがあるかもしれないんですけど、 興味深いのが、 あの、今の若い人たちか、ま、社会全体なんですけど、もし映性道によりするんだったらもう決まってるんですけどうん。 の場合はやっぱこう女性も関わってほしいよねっていうのが今までになかった傾向ですね。 それは一番み望んでるんで。 私も男女病等の国なんだから女性持って声多かったですね。 あ、本当ですか?やっぱり。 うん。はい。それではですね、日本との違いをちょっと見るためにも先ほどあった制政府を北市民改めてどういう考え方なのか抑えておきます。しさん。 はい。まずドイツ軍の伝統国家の中の国家と呼ばれるなど社会からした強大な存在。それが軍隊でした。 兵士は常官からの命令に絶対復従。そうし た土上がナチスの対当につがったとも言わ れています。そして戦後ドイツが最軍を する際にこうした軍隊が社会から孤立した ということを反省して生まれたのが制服を 着た市民という理念です。常官の命令に 盲目的に復従するのではなく自ら考える 兵士のいる軍に変わったんです。 痴間大学校共官のクリストフ 氏は命令が人間の尊厳に背くものである場合従ってはならないと話してくれました。 はい。実あ、ごめんなさい。どうぞ。はい。 そして先ほどもVTR にもありましたけれども兵士が制服を着ていれば鉄道の運賃が無料になると こうすれば市民との交流の場も増えるということで兵士が軍隊の大使として考えるとこういうことなんだ。 うん。はい。 実際にですね、上官の命令に逆らって抵抗していやでも抵抗した兵士の方が、ま、正しかったと認められたケースもあるそうであります。織木さん、この軍の関係どう見ますか? あの軍全体から言えば、あの、市民の市民であれということは 戦前の軍隊というのはドイツとか日本とか、 え、覗いてもほとんどの国は 市民ではなかったと思うんですね。 はあ。 そ、その傾向が強かったと。うん。 戦後になって、ま、こういうあの時代にもなる環境も変わってきた中で各国は軍隊軍人というのはあの市民であれという 社会人であれという、ま、そういう風にしてあの各国取り組んできたのじゃないのかなと。ただ違うのはやっぱり戦争に負けたナスを死体にしたドイツとそれから日本の場合ですね。 うん。 日本のここはやっぱりあのお互いにより市民ということは努力してきたと思って それ日本自衛隊です 日本は日本の場合もそうであって理念として制服を北しめということは打ち出してませんけど 自衛隊そのものが認められてないんですから だから逆に言えば自衛隊の方から自衛隊の方から国民にいかに溶け込んでいくかという 要するに愛されるとか親しまれるとかいうキャッチフ 例ありましたけども、 そういう関係でどちらかというと自衛隊が働きかけて自分たちがあの外の市民に働きかけていくという、ま、そういう環境じゃなかったのかなと思ってますし、 あのはい。制服を来てですね、こう町に出て交流すると、やはり弊社人聞くとですね、町で声かけられてありがとうございますって言われたり、ま、交流が確か生まれてるそうなんですね。 だからも全くその通りで、だから今まで自衛隊の場合はなかなか制服を着て出てくるというのは環境的に難しかったと思います。今徐々に出てきてます。だから米軍あたりもサンキューフォ your サービスとか言ってどっかスーパーに行ってもあの制服を着てたらそうやってありがとうねという風に言ってくれるんですね。そういう環境にもうちょっと日本の場合もなりたいねと。 だからそれが先ほどのそのあの処遇とかなんとかの話にかわってくるんですけど。 [音楽] はい。 処とかなんとかよりも以前に、 え、自衛隊のさんたが誇りを持ったりプライドを持ったりするような環境情勢をしていかなきゃいけないという風に思ってましたね。の VTR の中のその募集ポスターには、あ、民主主義のためならあなたはどこまで頑張れますかって書いてあったんですね。だから本当にやっぱその民主主義がメインなんですけど、 それが募集ポスターガーンとあるわけですね。 そう。それがま、軍の募集ポスタなわけなんですね。 で、そこででもAFT の政治家が出てきて、あの、なんかちょっと真逆のことを言うていうか従うのが中心なんです。 健康は許さないっていう感じでしたね。だからその民主主義の解釈次第でなんかそこが変わるのであればちょっと難しいなとはちょっと思いましたね。 これさん実際取材してですね。確かにドイツはもちろん美しい物語ばかりじゃないし、ただ組の時にですね、定的にやっぱりなチと切り分けるということで議論してこういう考え方を産んだ。もちろん支援国の理解得るってことのためにも必要だったんでしょう。 で、それと同時にですね、今もこれをなんとか、ま、伝統引き継合うというかなり強い意思をやっぱり感じたんです。このやつに含めてどういう風にご覧になりますか? まあ、なかなかですよね。この軍隊の大学でその軍文人が場合によっちゃは命令に逆らうこともう ありうるっていう風に教えるってなかなか珍しいんじゃないかとは思うんですよね。 でもこれはもう人間の尊厳に背くものである場合って言ってるわけで、まさにそのナチスがやったある民族丸ご絶滅させましょうみたいなものに直面した時に うん。 あなたは従っちゃだめだよということだと思うんですよ。 うん。 で、それはもう本当にそうだとそうだろうと思う一方でなかなかこれ軍隊を運営する上で難しそうだと思うんですよね。 なるほど。 つまり本当にドイツ軍人、ドイツ連邦軍の軍人が制服を市民でドイツ社会を代表するんだとした場合、 ドイツ連邦軍の約1/4はAFD を指示してるはずなわけですよね。 うん。うん。 で、それを熱烈に指示する人たちが考える両親っていうのと、あんなもの絶対ダメだって思っている残り 3/3/4 ぐらいの人たちが考える両親ってのは相当変わるはずなわけですよね。 なるほど からその自分のじゃあ感が言ってきたことがそういうもうとてつもなく受けるらんないもんであった場合 うん。 それを本当にこう両親に従って私は言うこと聞きませんと言って組織回るのかっていうとうん うん。 なかなか難しいところがあるような気がしますし でも実際にまメ令だからなと言って従った結果があのナチスでもあったわけですよね。 え、 から、ま、私はう、このぐらい言わないとそもそもそう軍備する言い訳立たなかったのかなというような感じも ちょっと思いつつも持ちました。あの、原則的にはとてもいい念だとは思いますけど。はい。 ゆさん、自衛隊の中では場合衛によっては浄化のメ令にも逆らっていいんだ。これ教えますか? いやいや、それは絶対教えないですね。 という、あの、政党であればですね。 ただこの間違ってるという認識だとした時にはちゃんと意見やって感に それ言えそります。 それはもう法的にもそうなってますし、そうやらなければけ で、そこに、え、最終的に歌詞があったりなんか、命令に貸なんかすると当然ながらそれ変更あるかもしれないし、 え、基本的には、あの、う、あれですね、意見士に受けたにしても うん、 総合的に判断して上の指揮感が正しかればそのまま行きますけれども、ま、そういう制度はあると。うん。なるほど。 はい。それでは続いてはですね、自衛隊を見ていこうという風に思います。ご覧いただきましょう。 私たちは何を見つめてこなかったん でしょうか。ご覧いただいているように ですね、これ実はあの戦前のですね、急軍 のOBの組織開行者というところ、そして 陸時のですね、OBの幹部OBの組織陸習 会というところが2014年一緒になり まして陸習開行者ということになりました 。自衛隊のOBたちはなぜ軍の思いを 引き継いだんでしょうか?理事長に就任し た元事トップに話を聞いてあります。ご覧 いただきましょう 。 陸場自衛隊のトップである爆僚長を務めた子義さん。 平和の高級的な平続とですね、これから例に対する感謝の気持ちを表すということで、え、つも通りお参りさせていただきたいと思います。 14 年前に体感したひ子さんが在職した時代。 それは戦闘状態にある国へ初めての海外派遣や東日本大震災の災害派遣など自衛隊の存在が大きく転換した時期でもありました。 [音楽] 戦後80 年いろんなあの編線がありましたけども、ま、今平和が溜またれてるのはですね、私は、え、自衛隊がしっかりとですね、指示をじてこが大きな要因だと思います。 [音楽] 日子さんは去年 4月旧 陸軍OB会の開行者と陸場自衛隊元幹部の [音楽] OB会陸集会を合流させました。 名前を陸習開者とし理事長に就任 現役自衛官の立場では言えない思いを大弁したいと考えたと言います。 現役だけではですね、解決できない大きな日本の問題があると伝ってこれに対して少しでも後輩のために役立つような 元々明治時代に設立された開者は旧軍商の親睦会でした。戦後一旦解散したもの [音楽] 1957年に復活。 [音楽] 機関士には旧陸軍OBが戦争への反省や 自己批判などを気候していました。 [音楽] 南金事件についてこんな記述も 言葉はない。 旧日本軍の縁につがるものとして中国人民 に深く浴びるしかない。 しかし世代が変わっていくにつれ、旧陸軍 の皇帝派が増えていったと言います。 犯罪を犯し続けたんだと書いてあるのが今 の教科書なんです。 さらに社会でも90年代から2000年代 にかけて新しい歴史教書を作る会が登場 するなど 戦争を巡る歴史認識を見直す動きも見られ ました。 開者でも歴史修正への動きが強まっていったと言います。爆 [音楽] 2018 年まで開者の理事長をしていた元陸長の富沢ヒは当時の雰囲気についてこう話します。 [音楽] 開者の先輩たちは帝国陸軍の 先輩方がやったことで中で言われなきお辱 は我々は晴らさないいかないって彼ら盛に 行ってたんですよ。で、それはね、あの別 に反対することはない。言われなきお辱は ね。 だけどやっぱり言われ言われあるお辱もあるだろうと。 歴史修正の動きに違和感を抱く自衛隊 [音楽] OBもいる一方で 開者に歴史修正主義が入ってきたとこういう風な分析もあります。 これについてはどうお伺いですか? やはりこう戦後やっぱりちょっとおかしいんじゃない?あまり行きすぎたこう気分陸軍悪魔論っていうことに対しても もう少しこうちょっと冷静な目で見てやっていけないか 現在およそ2000 人を超える元自衛隊幹部などが入っている陸開者なぜ自衛隊の元幹部たちは旧軍の思い [音楽] を今引き継いだのでしょうか。実は旧軍との接近は自衛隊の創設。 [音楽] こう指摘するのは陸場自衛隊の幹部学校で行使をしてきた軍事研究家の大木た志さんです。 [音楽] 1950年に朝鮮戦争の突発により急遽 警察呼び隊が作られたため軍の商候クラス も入退。そして軍の精神が自衛隊に 引き継がれたのだと言います。 自衛隊を作る時に、あ、我々の旧陸会の やったことをどう認識するのか、我々は それをどう受け継ぐのか、あるいは受け継 がないのか、我々はどうあるべきかという 議論を、ま、自衛隊はというより我々日本 国民はしてこなかった。 [音楽] これは番組で入手した防衛大学校の教材 唐卒。 リーダーシップを学ぶ防衛の講義の 1 つに使われていますが、そこには戦前の軍の教えも [音楽] 第1 は幽霊が出てきたと思ったんですけどね。 はい。幽霊はなぜですか? [音楽] 番組で入手した防衛大学校の教材盗唐盗卒。リーダーシップを学ぶ防衛の講義の [音楽] 1つに使われています。 表紙には令和4年度とあります。 第1 章は幽霊が出てきたと思ったんですけどね。 幽霊 は中身的にはどういう中身になってる?ま、 それは例えばですね、ちょっと驚くべきなのは軍人直有 教育直後が 軍隊は天皇に絶対的中性を尽くすべきと解いた軍人直有や天皇への設を尽くすことを特教える教育直後が材の参考資料に紹介されています。 [音楽] さらに日本人の特性という項目には 日本人の特性をまとめると過の通り自己犠牲の精神を持って忍耐強く頑張る。多くの日本人のアイデンティは新党でありの精神である。 [音楽] [音楽] 防衛大学校は私たちの取材に。この教材は 大学側が作成し、現在も学生たちが使って いる。 軍人直由教育直後は明治以降の軍人教育の 歴史的背景を理解するための参考資料だと しています。 その日本人はこの特性というと戦前の 精神主義のようなことをやっぱりどうして 思い出しますよね。ええ、 日本人なら勝てるんだみたいな。え、 ええ、非科学的、私的、独然的、え、つまり、え、日本人っていうのはこういう優れた特質があるからそれに従っていや、しかしその日本人の特質ってどうやって証明するんだと。日本人には素晴らしい美得があるとか、もともドイツでね、ドイツ人ってのは優れた特に見した民族であるなんて言った日にはもう大変なことになりますからね。 [音楽] それではなぜ軍の思いを引き継いだのか。 [音楽] その軍を学ぼうというのはある人その天皇の軍隊にへの思考みたいなものに接近してるんじゃないかと見えるわけですね。これどうですか?天皇陛下の軍隊に近づけるというようなことはですね、さらさら考えてりません。 それまさしく強調しておきたいのはそこなんですけど、ただ旧軍から全く学ぶ学うことはないのか失敗だけかという話ではない。だから攻撃とか防御とかとかこういう演習やっててもの人は初対長はこういう風に決心したんだろうな。 本当に弾が来る時に俺行けるかとこういうようなですね我々でしか分からないんじゃないかと。子さんは実践を経験している軍とつながる気持ちがあると話します。 [音楽] 陸軍ではないけども陸軍のいいわゆる先森としてのですね、松という風に私は自分してますけども、そういったものの気持ちをしっかりあの対応してこうという気持ちで 日子さんたちが旧陸軍 OBと合流したもう1つの大きな理由。 それは国のために命を捧げた人たちへの 慰例だと言います。 陸習開者の主な活動の1つが安国神社の 参拝です。 今年も4月に140人が参拝しましたが、 ほとんどが自衛隊の幹部OBでした。 箱子さんが慰例にこだわるのは現役時代の ある経験からでした。 [音楽] 2004年自衛隊として初めてとなる戦闘 状態にある国への海外派遣。 武装勢力が対立していたイラクへ送り出す 部下が死ぬかもしれないという思いがあっ たと言います。 その時の千人バりが今も北海道の中屯地に 残っています。 家族や支援者が脱い退員に送られたもの。 [拍手] 今でももう涙が出るぐらいですね、嬉しい 方ったのはですね、本当にあの自衛隊を 応援してただ一言無事で帰ってきて ください。 こういう一言を残されてですね、あの、見送っていただいた。 [音楽] しかしこの時政府は どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域かと今この私に聞かれたって分かるわけないじゃないですか。 危険な地域なんだけども、政府の答弁はですね、危険でないから行くんだと。 うん。 いうことで密かにですね、看護系は持ってありた。 それから遺体でしっかりご遺体をしっかり守ってエバーミングをやり方とかですね、こういったものを学んでですね、絶対彼らがもし帰ってきた時には本当にあのしっかり迎えして、え、やるぞという気持ちはもう本当にあったんです。 [音楽] さらにそれから7 年後、東日本大震災翌日には福島第 1原発事故が発生。 政府は当初メルトダウンはないと説明していました。 [音楽] 発生から6日後 本当に政府は何も我にね、ある日突然ですね、自衛隊水を巻け うん。 水を巻いてくれという話があったわけです。なんだ、今まで大丈夫だって言ってたんじゃないかと。 日子さんは祈るような気持ちで部下に放水 を命じたと言います。 隊員が被爆しているかもしれんけどもこれ をもしやらなかったらこれは私らの使命だ と思ったんです。急軍だっていうこと 分からないでも突撃しんていうことがある 。 自衛 隊員がいわゆる戦した時に国は何をしてくれるのか。自衛隊員と旧軍の兵士の慰例を重ね合わせたと言います。 [音楽] 自衛隊とその軍が結びついてはいけないとかね、断絶すべきだとか政党性があるとかそういう話ではないんですよ。 気持ちとして後輩たちになんとかしてやり たいな思いがあるのですから、個人的な 提案としてですね、安く人に合死する道を 開いてもらえないかと。 準職した自衛隊員は現在東京市一ヶ谷の 防衛省の敷地内で祭られています。 ここには訓練などで亡くなった2112人 の名簿が納められています。 [音楽] 総理が出席し、毎年追道式が行われますが 、 普段一般の人は立ち入ることができません 。 自衛隊を私たちがどう位置づけるのか。 軍隊と国民の関係は過去から学ぶことが 多いと政治学者の井上俊和教授は指摘し ます。 第一世界大戦が終わった後っていうのは、 ま、世界的に、ま、平和とデモラシの時代 が訪れて日本でも、ま、軍隊なんて無用の 超物だとか、あの、軍人は試しぐらいだ みたいなそういうあの社会の風潮が起きた んですね。 で、青年商候たちはお見合いがあっても、ま、あの人柄はいいんだけども、やっぱり軍人さんじゃねえということでお見合いが断られたりとか、軍人を内が頭にしたことが、え、軍人をいたずらに刺激した結果としてあいうテロやクーデーターを起こし、その先に戦争が起きたんだと。 井上教授は軍隊を軽視する風潮が陸軍の 一部の暴走を生み226事件に そしてその先の太平洋戦争につがったのだ と言います。 軍をま、内城にというか、ま、平和の時代 に少し追い合った時代があった。そして それがあるし、ルサンチマンを1920年 代軍人たちんでしまった。そういうところ でいわば汚れ仕事を自衛隊に押し付ける ような感覚はどうかなということなんです よね。まさかの時に備えるための事実の 軍隊というのがあって、で、その人たちが なったら戦うんだと。で、日本は長兵性が ないわけですから、え、実際に戦って くれるのは自衛隊の人たちなんだと。 そこまであの私たちも分かってるんですか?覚悟しているんですか?あの市民として国民としてそこまでのことを考えての自衛隊の人たちに対する態度なんですかと。 [音楽] 戦後80年の今自衛隊に対する理解は 深まっているのか? 憲法上も曖昧でそして国民の理解もまだ進んで必ずしもその本来の仕事での理解が進んでるわけじゃないとそうした中のあるその寄り所のなさがその亡くなった後はきちんとやってほしいという寄り所みたいなものを求めるとそういう気持ちに戦ってる部分はありますか? うん。あります。うん。 ただ便利のようにね、使われてもう極端には死んだらおそうか知らないなというそれではもう自衛隊員に対して僕は申し訳ないと思ってんです。どうせ亡くなっても国なんか、え、別に何もってくれない。も何も関心でいつか忘れられて存在になる。 そうすと命をかけてですね、え、この国を守ろうというようなものが本当になくなるんではないかと思います。 はい。安神社への参拝実は現役の自衛官たちも、ま、行ってるケースがあるんですね。ちょっと見ていただきたいんですが、この写真は昨年ですね、海上自衛隊の現役幹部 165 人が政府姿で参拝をしたという写真であります。 さらに去年には陸時の現役間村これも22 人が雇用者を使って集団参拝していると いうケースもあります。さて、森さん ちょっと伺いたいんですが、あの子さんが おっしゃった最後のVRの使った言葉が とても印象的だったんですが、ただの 便利アとして使われてと、先ほど冒頭から 見てきた災害なんかで鳥の殺処分だったり 、いろんなことに使われ、それでも国民の その理解が進んでるとはあまり思えない。 こ中で命をかけざるを得ない状況が 生まれる。で、政治家たちは危険じゃない とこに行ってもらうんだと、ま、言いはる 。そういう中でじゃあ亡くなったらどこ にってくれるんだと。そこきちんと国は やってくれるんですかと。そういう思いを おっしゃってたんですね。これは共容共有 されますか?ここの部分というのは。そう ですね。あの、え、命をかけてという、ま 、先生やるわけですけれども、先生です けども、なる時ですね。はい。 はその身を呈して一応断る時には目を停して責任えを果たしますというのが平たく言えばそういうことなんです。この先制というのは一方的な私自身で言うとボランティアの先制じゃないんですね。 うん。 占制というのは相手があって先制してるわけだから国に対して国と個人が命のやり取りって言ったらおかしいですけどもそこのそこのこの契約という言葉は良くないかもしれませんがそういうことだと思うんです。 ということは一応ことがあって、え、残念ながらこの死亡したりなんかした時にそこまでやっぱりきちんと国として面倒を見てくださいと うん。 ということは一般的な話としてはそれはもう完全に完全にというか一般的な話ってありうるしそうしなければいけない話だと思うんですね。 そこの部分がですね、ま、子さん色々伺っていろんなことが、ま、思いはとてもよくわかった分もある一方で じゃあでも安国にってほしいという部分がそこはどうも私に分からない部分があったんですね。 で、その軍への思い、先森としての、ま、命をかけたっていうことで、ま、後に、ま、日本も窮軍に頼るしかない部分で、ま、ま、ものを勉強するという中で、そこの部分っていうのはなぜ安くじゃなきゃいけないと思いが生まれるんだと思われますか? ここのところはですね、あの、個人によっていろんな考え方があると思うんですね。 ですから、あの、戦没者なり関係者を痛む慰例をするということはこの安に限らず千川フもありますよね。千川地もあるし、それから全国の陛下がい出になる 8月15 日の全国の戦闘式もありますよね。 それから先ほどあった自衛隊の中には純職者の慰例もありますよね。 ええ、 だからこういうことをどういうにして整理をしてこれからその慰例をやっていくのか見たに感謝して経由を表していくのかということはやっぱりこう静かなできちんと整理しなきゃいけない話でこれを必ず一緒にしなければいけないとかですねと思うんです。 ただ安国に関して申し上げればその 2646 万ですかね、柱以上の方々が、え、母新戦争、日進戦争、日路戦争、それから先の対戦でなくなった方をまってやるわけですね。で、それはそれできちんと我々としてはお参りしなければいけないと私は思ってます。 だからうん、 あの、そこはどうですか?ごめんなさい。ドイツであればですね。 夏とやっぱり切り離すで生まれてそこはまかなり多分なってると思うんですね。つまりそう考えると日本はですね、やっぱり最組の時に、ま、軍との繋がりというのも先ほど出ましたけども、やっぱり徹底的にそこ議論を怠ってきたからじゃないかという、そういう見方も出ると思うんです。そこはいかがです。 確か確かにあるね。ただそのナチスと切り分けなければいけないというのと日本の場合の旧立海軍と自衛隊のところを分けなきゃいけないって話全く違うと思うんですよね。 はい。 あの、私の場合は、あの、私はそう思いますし、ま、そこは切り分けた話でやらなきゃいけないという風に思ってます。ただ あの、例えば自衛隊の OB なり見た時には、あの、考えた時にはやっぱりこう祖告のために、国のために身を停して、え、戦ってきたんだ、亡くなったんだと。 そういう見たに対しては私 JあのOB としてはもちろん引き継いでて、 え、やっていかなきゃいけないしできればできればというか本当の意味で言えば一般国民もそうそういうこの見たに対して、え、こう入れをしていくということはこれはもっと進めていかなければいけない問題なんじゃないかなという風に思ってます。 小さん、あの、一種、ま、日本はですね、もしをしたらと いうというのはあるし、選手という言葉もあるし、多分主されてきたようなとこがあると思うんですね。 その辺りを怠ってきた部分がですね、ま、一時国立のですね、ま、慰例の施設を作ろうというのもあって結局うまくいかなかったもりました。ただその辺り怠った部分がこういう思いをさしてるのかなっていう風に見方も出るかもしれない。 この辺りはどうぐらいになりますか?あるいは慰例についてはどういう風なすべきだと思われますか? あの、さっきVTR の中で井上先生がこうお話しさしされてたその、ま、その対象デモクラ機に日本の軍隊がいじけちゃったって話があったわけですよね。 ま、なんかその戦後の自衛隊にもそれと似たものはあるんじゃないかなっていう気はするんです。つまりこう 憲法第9条、特に第2 項を素直に読んだら自衛隊もあっちゃいけないんですよね。 うん。うん。 だけど現実には必要だからああいうものが存在してきてでも日本の伝統的なリベラルからするとそもそもやっぱりあれは存在するべきではない。 え、自衛隊というのは日本の安全に起与するのではなくて、あ、自衛隊の存在とか日米安保の存在がむしろ日本を危うくしてるという現説がずっとあり続けてきたわけですよね。で、どう考えてもやっぱこれ国防のに当たってる人々から見て面白くないんだと思うんですよ。 で、他方でじゃあやっぱり自衛隊とかその 同盟とかの抑視力が日本の戦後の安定を 保ってきたと私はそう思うわけですけども 、でもなんかやっぱりそれがまだ憲法で きちんとその存在が認められていないが ために参照基準が大日本帝国とか 大日本帝国海軍になっちゃうって部分は あると思うんですよね。うん。で、ま、私 はその大日本帝国がやったことってのは さっきその出てきたVTRの中の言葉で 言うと、言われなきお辱もあるけど、 やっぱり言われお辱もあると思ってるん です。そこんとこは本当にフラットに見て さ、あの、反省しなきゃいけないんだけど 、こう日本型リベラルに対抗する伝説って いうのが、あの、いや、そうではなくて、 我は、あの、あの戦争では基本的に間違っ ていなかったって話になっていきがちなん ですよね。 で、結果的にこう、なんて言うんですかね、私から見るとどっちもこう同意できない 2つの方向に分かれていってうん。 いや、結局日本という国家を守るために、例えば日本の民主義とか日本の憲法体制を守るために存在している軍事力があって、で、もしもその人たちが場合によって命を落とした場合ってのは国家として検証すれば良い、慰例すれば良いというのが私の考えなんですけど、なんかどっちにも行きにくいんですよね。 なんかどっちの考えから見てもなんかそれは寂しい。 またはこう軍国主義の復活と見えてしまっていて結局安国に行くか行かないかって問題になんかいつも終練してっちゃう気がするんですよ。 あ、 でもあの自衛私もあの個人的に知ってる人の顔だけを覚い思い浮かべてもクリスチャンの自衛官っているんですよね。 うん。 あとあの総加学会議院の自衛官っているわけですよ。で、特に総加学会の人って絶対神社の式またぎたくないわけですよね。うん。 だから、あの、国家のために命をかけている隊員の方々のその努力とか場合によっては犠牲に報いるってことはそうなんですけど、その場所は安くんでなきゃいけないのかなっていうのは私は極めてきんで、 なんかこう日本の あれですね、国民の負託に答えてって先制するわけですよね。自衛官。 だからやっぱその国民の不託に答えて命をかけるんだったら慰例する場所は何かこの国民との関係において作られた場所でなければ私はこう筋通んないんじゃないかという風に思ってます。 もちろんそん中でいや私はやっぱり安神社にられるということが 1 番こうなんつうんですかねんであるとそれが 1 番もし私に何かあった場合の慰めになるんだって人は安君神社でいいと思うんですけど うんうん あのそれしか選択肢が事実上戦前なかったわけじゃないですかではない方がいいだろうなと思いますのことを考えるためにお 2 人の言葉をちょっと抑えておきましょうさん はいお話を伺った井上教授日本の意識についてこ このように指摘しています。自衛隊に関し ては給軍を美化する気持ちも分かるがなぜ 軍部が国を謝らせたのかを継承することが 大事とし、一方で私たち国民に対しては 実際に戦うのは自衛隊員だと自覚し理解す べきだと話していました。そしての大き さんは民主主義家の軍隊という点に関して 自衛隊は何を守る軍隊なのか日本はドイツ のように徹底して議論してこなかった。 そこを考えるところから始めなければならないとおっしゃっています。うん。 確かにこのなぜ軍部が国をましたのか、これがちゃんと継承されてるだろうかという問井上されてる。先ほどの膨大防衛大学の、ま、戦前の軍の教えみたいなものを、ま、教科書にあるということにも果たして大丈夫なのかと思う。やっぱり居酒ざるなし果たして衛隊は何を守る軍隊なのかと。このをですね、民はきちんと議論してきただろうかと。 自衛隊というものを目の触れないようにしてあまり議論せず何を守る軍隊なのかと民主義の中でのとても大事なですね。中西さん はい。 我々も怠ってきたんじゃないかといかがですか。 あの全くその通りだと思いますね。 ま、これは本当にいろんな要素が絡んでるので簡単には言えないんですけれども、ま、 1 つはやはり、ま、あの、戦後日本が、ま、戦争が終わって、あの、幸福をして、え、このあの憲法ができたのは翌年なんですね。 [音楽] 1946 年で、ま、その時戦後の体制ってのは何なのかっていうことを、あの議論しないまま、ま、いわゆる国体事から朝天皇性っていうものの意行とあのお見合いで憲法球条っていうのが作られたと。で、え、ドイツの場合には 1949年なんですね。 ですからもう冷戦が始まっていたんですけれども、あの日本国憲法はそれが始まる前にできた理想主義的な憲法で、え、その実際の日本安保体制っていうのは冷静が始まった後、日米安保、え、あのビデオの中にあった警察自衛隊から自衛隊という風になったんですけれども、ま、結局その戦後の体制っていうのが何なのかっていうことをはっきりしないままに憲法が規定されてそれをそのままあの維持 [音楽] したままで中身だけを変えていった。だからあの思考停止というかあの突き詰めた議論をしないということで進んできえきてしまった面があると思います。 うん。うん。 ま井さん日本のこういう、ま、あの今みでこう議論してきた党についてはどんな風に思われますか? ま、ツイートはどのような形でしたらいいのかっていうことだと思うんですけど、例えばこうアメリカと比較するとなんかとにかくこう軍人は英雄ヒーローなんだっていう。 で、ま、そうすると、ま、そのヒーロたちのための墓地があったりするんですけど、ドイツの場合だとそういうあの軍の墓地ってないんですよ。 だからやっぱこう国によってそこら辺は全然形が違っててもいいんじゃないかなと思うんですね。どうやの場合だとじゃあそれ何のための軍なのかっていうのがやっぱ民主主義と国民のための軍なのでやっぱこうそのツイトは大けの場で行われないとダめだっていう考え方に至ったんですね。やっぱこの一般市民と軍との関係性なんですよね。 ま、そのために、ま、それは近年ではあるんですけど、こういうような施設ができてきて、で、ま、そこはツイトの場 そうですね、あの、自衛隊の中にもやはりメモレルゾーンというのがある。ただ一般の人は入れないようになってるわけですね。だ、ドイツは壁をとっ払ってつも行けると確かに我々が言った時にもちゃんと言ってて、あるし、感謝の気持ちを述べていて、中のノートにも本当にありがとうって言葉がたくさん書いてあるんですね。 なんかそういう形はなんか日本もなんかもしかしたらなんか向いてるかなとは。 この人たはじゃなんでくなったのかっていうのもそれだから知りたいってあるかもしれないですけどすごく大事な ところだと思うんですね任務でどういう仕事をして亡くなったのか訓練中でも別にいいんですよ何があったのかなそこでのやっぱりそのこの仕事に対する理解も深まるんじゃないかなと思います。なるほど。織木さんま井上さんは自衛隊にはそして国民にはという思いをあの述べていただきました。 はい。 あの、織木さん政治にもおっしゃりたいことがあるんじゃないです。そうなんですね。あの、要素としてこれからその安全保障なり自衛隊を考えていく中で やっぱりこう自衛隊と国民だけの関係ではなくて 成軍関係と言いますか、政治と軍の関係ってものすごく大事で本当に気になるのは政治だと思うんですね。 だから政治と自衛隊と国民が総合信頼信頼関係がきちっとできるということが 民主義の軍隊を作ること自衛隊を作ることにもなるし え政治もそれでシビリアンコントロールをきちんとやっていけるということだと思います。 だから要素にN 先生がおっしゃることにこれこのこの 2 点にプラスしてやっぱり政治に対して、え、どういう風にしてきちんと管事していくかでそれは政治が安全保障になり自衛隊を勉強してもらわなきゃいけないし理解してもらわなきゃいけないとでその上で自衛隊をオペレーションしていただくということが 1番の基本だと思うんですよね。 うん。 あの、それ、それが基本になって自衛隊も国民もその自衛隊に対する認識が深まって理解が深まっていくということだという風に私自身も思ってます。 うん。 やはり政治がきちんとやっぱり向き合うべきだということですか? そう。で、あの、先ほどの慰例の話にしても、 あの、やっぱり全てそこは政治にきつくと思うんですね。で、慰例をどちらかというと、 ミキ総理あたりから人化人家というそのマスコミ化してる。 政治化してる。 それから60 年の中総理が参拝をされる。そこに、え、中国韓国が、え、こう反発をしてくる、ま、そういう中でこう純粋に慰例というのは本当に純粋にやってもらわなきゃいけない話なんですね。先ほどのその宗教の話もありますけど、じゃなくてそこに外交とか政治とかマスコミとかて入ってきて ええ、 ちょっと私歪んできてるみたいな気がするんです。で、それを全倒にしなければいけない。 そうしないと三は浮かばれないんです。 それそれそれとやっぱりこれから一生懸命をかけてやろうと人たちがうん の そのなんて言うんでしょうがいいというかやりがいというかそれは生まれないと思ってますね。 はい。ドイツそして日本その異なる歩みを見てきました。さて最後に皆さんに一言ず伺いたいと思います。今後何が我々にとって必要なんでしょうか。 中西かでしょう? あ、ま、あの、これまありましたけど、まずやっぱりあの戦争までに至る経緯っていうのをあの冷静に客観的に分析する、美化するでもなく、また否定するでもなく見るっていうことが必要だと思います。ま、例えば私の見方では安国神社っていうものがこれだけ大きな存在になったっていうのは日路戦争っていうのを明治政府が比較的こう、あの、政府ができてから早い段階でやらないといけなくた。 え、で、徴兵した兵士たちを、ま、あの、 国外で死なせてしまったことに対する、え 、慰例医者として安国神社っていうのは 非常に大きなものにして、え、したという ことが背景にあったと思います。ま、そう いう意味では、あの、金橋もあの安国神社 っていうのは日本の伝統そのものではない わけで、そうしたことも、あの、あまり これまで議論してこなかったことだと思い ます。 で、やっぱり今の世界情勢を考えると我々はあの日本自身がどうしていくんだっていうことをもっと考えないといけないし、自衛隊の人はもちろんですが、あの、国としてやっぱり考える、やる宿題がたくさん今、あの、生まれている時期だと思います。 はい。織さんいかがでしょう? はい。え、私も、あの、未来のことにちょっと関して申し上げますと、やっぱりこれからやっぱりますます厳しい戦略環境になっていく中で、 やっぱりあの長い時代の始まりだと思うんです。 で、あの、始まっていくと思うんですのじゃないかで、そのためにはやっぱりあのう、国家のという、あ、国家という言いますか、やっぱり自分ごとして現実をしっかり見つめて、 え、覚悟を持ってもちろん議論をして進めていかなきゃいけないという風に思ってまして、我々よく行分離で考えますけれども、その日本が国際社会の中で平和国家ということを追求することと、それから現実に足 をこう置いて、 え、即するために自衛隊のような安全保障を考えてくとこれは対立する問題じゃなくて 絶対立させてはいかない話だという風に思ってます。ま、そういうことを進めなきゃいけないと。で、その基本になるのはやっぱり国民の決意だと思うんですね。で、先ほどから政治とか自衛隊とか言ってますけども、根本は国民の決意だという風に思いますから、ま、そのところをみんなで議論者がやっていくということは大事だと思います。 はい。さんいかがでしょう。 はい。 ま、民主主義の、ま、軍隊とは何、何なのかについて話したんですけど、でもあくまでそれは理念であって、おそらく民主主義を守る軍隊でないといけない。なんかそうじゃないとやっぱりあの高いあの戦闘能力は、ま、保ってないんじゃないかなとは私は思います。 はい。 そうするとこう理性とか同技を一脱しない形での戦闘力の高い軍隊はこそれは両するのかっていうことについては、ま、みんなで考える必要があるんじゃないかなとは思いますね。 うん。 ですか。さ田小部さんいかがでしょう。 そうですね、私あのちょっと前に申し上げたことをもうちょっと引き継いで申し上げると うん。 やっぱりあの堀木さんおっしゃるにこれから日本の取環境がもっともっとおそらく厳しくなっていくろうだろうという中でうん。 1 つは力の論理を真正面から見据えなければいけないと思うんですよね。それはやはりこう軍事バランスがある程度平和を担保するということは [音楽] うん。 なかなか戦後日本で言われなかったけど、そのことはもう前提として議論せざ得ないと思うんですよ。 はい。はい。 ただじゃあその軍事バランスさえ保てればいい国なのかというわけでもないはずで例えばその核力を持って国家の安全を担保してるって意味では北朝鮮なんか理想的なになるわけですよね。 [音楽] でもやっぱ北朝鮮に住みたいわけではないわけだと思うんですよ。 やっぱりその軍事力を使って何をするのかって理念の部分、さっきその大きさんの発言出てきた何を守る軍事力なのかっていうその国家のグランドデザインとか私たち自身が自国に望むものというものを 考えるのやっぱこう軍事力ってその自分の国の鏡みたいなもんなんじゃないかなということを改めて思いました。うん。 はい。さてほど道ご覧いただきました。 80 年私たちはきちんと見つべるものがまだまだあるということを実感いたします。この番組が今後の議論の何らかのきっかけにならばいいなという風に感じております。皆さん今日はどうもありがとうございました。 ありがとうございました。 木党 私歩ける状態じゃないんですよね。だけど ここへ来ると不思議とまあまあ歩けるん ですね。ここに来れば 使命を果たしたという 感じがいたします。 戦没者追道式 3列車の9割は戦後生まれとなりました。 空の体験などをこさんやお孫さんと話す機会っていうのはあるんでしょうか? あの、ある時ね、そのことをちょっと漏らしたことがあったんだけども、全然聞いてくれませんでした。 関心がないということです。いい。 [音楽] 頑張れ。 うあ、できた。 [音楽] [笑い] [音楽] 戦後の時の写真とか見ると、あ、こんな感じだったんだ。結構昔だなって感じちゃうんですけど、こういう場所ってどういう風に変わると思いますか? [音楽] な、多分こういうでかい道路にすごい戦車とかがいっぱい走るのかなって思います。 [音楽] 両親に私も育ててもらいたかったし、両親に甘えてみたかったです。日本の岩の平和がずっと続きますよ。平和というバトンを [音楽] 5年生と6年生の皆様に託します。 戦争はとても残酷だから、今この平和なところにいるのがとてもすごいことだなと思いました。 うん。 どういう時になんか平和だなって思う時ありますか? 空が海晴だったりとか普通に世間話できたりするとかそういうこと。 [音楽] 核兵器禁止を話し合うば、繰り返される プーチン氏の核の脅しに今年 諸国の姿はなくなりました。 この夏初めて広島を訪れたノーベル委員会委員長。どうしても伝えたいことがあると語り出しました。 [音楽] 1 つだけお話をしてもいいですか?手にしたのはオリスル。避団教の人たちの平和への思いは国境を超えていると言います。 [音楽] [音楽] ノルウェイの若い少年は 避団教の人たちの言葉に深く歓明を受け 揺さぶられました。そこで彼は今夢中に なっている3Dプリンターでオリズルを 作りました。 日本から遠く離れた国でも新しい世代が 被爆者のストーリーを聞き、何が起こった のかを理解し、その知識の松明を次の世代 へ受け継いでいくため、そのシンボルとし てオリゾを作ったのです。 これからも 続けるため

8月31日(日)に放送されたBS-TBS「報道1930スペシャル」の番組内容を配信します。

『【報道1930スペシャル】日本人と“軍隊” ~いま見つめる戦後80年の自画像~』

自衛隊は何を守るために存在しているのか
同じ敗戦国のドイツとは全く異なる80年を歩んできたことが
現地の取材から明らかになりました
いま日本に必要な選択とは・・・

<出演>
#松原耕二 #篠原梨菜

<ゲスト>
#中西寛(京都大学大学院教授)
#折木良一(元統合幕僚長)
#マライメントライン(ドイツ出身の翻訳家)
#小泉悠(東京大学先端科学技術研究センター 准教授)

<ナレーター>
#安元洋貴
#早見沙織

#戦後80年 #自衛隊 #軍隊 #ドイツ #国防

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