【野村誠一写真塾No390】「野村誠一勉強会」第一期生の募集は、7月1日朝7時に開始し、わずか3分で満席となりました。秒で完売――正確には3分ですが(笑)、本当にありがたく、心より御礼申し上げます。
はい、こんにちは。カメラマンの村さ一 です。毎日ね、暑い日が続きますね。まあ 、今実家の方なんですけど、実家の方で 来るとですね、草をね、もう見るのがもう ぞっとするくらいで、ま、あっという間に 草が生えるんですね。今日はですね、早朝 の7時にワークショップの、え、販売が 開始されたんですけど、もう秒で、え、 完売となりました。ありがとうございます 。本当に。今回はね、新宿のですね、NS ビルのね、30回というね、高層フロア からね、長めのいいところから、え、やり たいんですけど、新学校出てですね、ま、 最初はインテリアの会社入ったんですね。 で、インテリアの取り方から学んだものが ポートレートにすごく大きな、ま、 きっかけになったんですよね。で、その時 のライティングをね、え、どうやってやっ たかとか、どういう風に考えでやったとか っていうことでね、ポートレートのね、 大事さっていうのは皆さんね、こうあまり こうご存知ないと思うんだけど、ポー トレートってね、スナップでこうね、記者 会見とか取ったりする時っていうのはある と思うんですけど、そういう時ってやっぱ どっかこう気持ちがこう入ってないんです よね。大事なことっていうのは表情をどう やって、え、取るかですね。もちろんね、 あの、知らない人とってもその感じがどう やってこう出るかっていうこと、それを 是非ね、皆さんがね、感じ取って いただけるようにと思うんですね。で、 自分はライティング、スタジオの ライティングも何も独学で全部やってきた ので、で、当時のやっぱフィルムの時代 っていうのは今みたいにコーティングが 進んでるわけじゃないし、フィルムです からね、フィルムっていうのは本当感度が 低いし、ま、多くてもね、160ぐらいで 大体100っていうのが多いので、今の磯 感度なんかすればね、34000上げても 平気でノイズが出ないなんていうね、その 時代からすると駆け離れてますよね。もう 1番低いのでも60ですからね。でも実際 自分が使っていたフィルムなんてのはもう 25ね、コダームなんてのは25、32 ですからね。ま、その時代から比べたら もう本当いい時代ですよね。レンズだって いいものは揃ってるし。で、そこでま、 自分はね、もうそん中からはね、全くの もう田舎もですからね。そっからね、一気 にこう投資を取るようになり、大ブレイク をね、え、することができたのが28歳 ですからね。貧乏当時はね、丸びなんて いうのが流行っててね、自分は丸びその ものでしたよ。で、自分は農家でしたから ね。農家なんだけど、ま、米だけはね、 もらって、え、醤油かけて、マヨネーズ ちょっとかけてみたいな感じで生活して ました。ね、その期間の中から得たものっ てのは非常に大きいからね。その中にいて 現のこととかどうやったらこの暑さの中で ね、いい現ができるかっていうのを本当 考えましたからね。で、こな間だメンバー の方もこのリールで現すかっていうか、 いやそれじゃないとワークショップの時ね 、どうしてそれはいけないのかっていうの も話しようと思ってんですね。今ある 40°なんてここまではなんなかったです けど35°ぐらいになってたからね。参、 え、締め切るともう中はもう自然と汗が出 てくるっていう感じ。そん中でやっぱ フィルム像プリント全てをやってきたわけ ですよね。で、その温度変化がね、もう 20°保てないってことも分かっていたの で、ま、そこで自分なりのね、やっぱり その現像のやり方とか画質の合数をどう やって変えるかとかいろんなことを研究し たおかげがね、結果的に、ま、早いうちに ね、女性士の表紙を取るようになったわけ ですけど、ま、こういうことも含めてね、 皆さんとこう共有する機会をね、いよいよ こう第1回っていうことでね、第1回って のはもう本当特別な感じがするので、え、 皆さんとね、共有できる部分は共有して いきたいと思うんですよね。たくさんこう 皆さんにね、共有できればと思うんですよ ね。で、ポートレートっていうのは簡単に 考えてると思うんですよね。雰囲気とかで 取ることが多いような気がすると思うん ですけど、実際自分がこう思ってるポー トレートっていうのは心が通じやないと いけないので、で、自分がね、あの距離感 、カメラの距離感なんてものはそんなもん じゃないと、もうとにかくこう心の距離感 だと感じるから取るんだっていうこと。 これをね、本当大地に考えて欲しいんです よね。カメラの距離感だなんて言ってたら もうそのモデルさんとね、意思の疎通 なんて絶対生まれないからやっぱりカメラ なんてもう近づがぐっと近づいてや るってことがあの1番大事ですよね。で 生前そうですね ミノルタのコマーシャルなんかやってる時 に写真のうまくなるコツはグッといる。 さらにグっといる。これがコツなんていう のをこシでやったったことあるんだけど、 距離感っていうのは大事なの本当心の距離 感ですよ。これね皆さん勘違いしちゃいけ ないのでやっぱりカメラってのはね、ここ にメーターとか出てるからこのメーターっ ていうの意識するんだけどこのメーターを 意識しちゃだめですよ。自分が取りたい 距離感の中でどうやって相手の気持ちが こう自分の中に乗り込んでくるかわけです ね。綺麗な女性なんかあったりすると ドキドキして顔がね、こう色々こう変わっ てくると思うんですけど、女性だってそう なんですよね。じゃあ俺を見てね、 ドキドキするか。ドキドキなんかするわけ ないですよ。話し方も必要だし、あとは ライティングも必要だし、取ったものを 見せることによって相手がどのように取っ てるかっていうことで、その取った瞬間、 それを見ただけで心がぐっとこう開いてく んですよね。大阪かなんかでね、撮影会が あってね、え、行った時にいろんなほら 写真家の人がこうやるわけじゃないですか 。で、自分はそん時はね、もうちょうど桜 のシーズンだったかな。だけど暑かった その日はね。で、暑かったから涼しいと ころって探してそれでやったらそれがなん だよ、この野郎大したことねえなってのは 聞こえるんですよ。向こへ行こうぜって 言ったからはい、どうぞ行ってくださいっ つって言って怒った人たちに対して撮影会 に行ってね、自分も撮影会は2回ぐらい 行ったことあるんだけど桜の撮影会とか そういうとこ行ってね、桜の人で撮るのは いいけど大体がもうね、顔に影が出てきて ね、桜の影が出てきてね、もう影だらけだ し、モデルさんは暑いし、みんなも暑いし 、たまんないわけですよね。快適にして取 るっていうのはそういうことだから、ま、 撮影してたら午後になったら人かりになっ ちゃってなんかあの野村がなんかすごい らしいよ。ポラ取ったらすげえのが取れ てるらしいよみたいな。もう伝わってくる からさすが関西だなと思ったんだけど。で 、どんどん来てそしたらもう撮影会って いうよりはもう俺との話になっちゃって、 ま、主催者の人がね、いや、撮影会やって くださいみたいな話だったんだけど、関西 の人ってね、撮ってる時に、あの、浮き 可愛いとかいうより黙ってるんだけど、あ 、いいね。いい、いい感じじゃねえなん つって取ってるんだけど、おい、後ろの おばちゃん、邪魔だよ。今撮影会してんだ からそこ通っちゃだめだよって。その瞬間 に自分はね、今はい。わちゃんって言った 時にあなたが言うことってのはそれ決して いいことじゃないんだよって話をしてたら モデルさんにじゃ聞いてみようとじゃどう 思うってそしたらモデルさんだってねそれ をいいとも悪いとも即頭はできないけど 口ごもってるんだけど自分がそん時思った ことっていうのは海外でもねまハワイでえ 撮影する時も公園で撮影する時も許可を 取るんだけど許可を取ってねやるんだけど 一般の歩いてる人邪魔していけないって いうね許可はもらうんだけど一般の人邪魔 していけないっていうその決まりが ちゃんとあって、やっぱりその守られて なくてね、取ってれば俺たちが自由なんだ と。だから後ろはもう邪魔なんだっていう 考え方じゃなくてね、やっぱパブリックっ てのはそういうものだからやっぱそこも 考えていくことによってで、そういう言葉 があることによってモデルさんってすごい やっぱり気持ちがね、やっぱりこう、あ、 この人すごい怖いとかと思っちゃうとその 人の方向く時にちょっとこうドキ巻きし てるのかどうかわかんないけどとにかく 表情までが曇ってしまうってこと。これが もう本当大事なことですよ。距離感って いうのは一挙にこう心を詰めてくってこと ですよね。京都にもね行ったら親子でこう 来ていて写真見たらすごくいい写真でし たら色々ねあのなんか自分の写真を参考に して色々やってみて組み写真もしてみたん だっていう話だったんだけどでそん時に 自分がそのお父さんに言ったことはこの子 たち才能持ってるなということはその いろんなこと言わない方がいいと思う。 そのこうしろ、あしろなんていうことを 言うんじゃなくて、もう好きにして伸ばし た方がいいっていうことですよね。で、 どんどん伸びてけば伸びてくだけやっぱり 良さが出てくるから。で、最近はね、ごを 取ったりとかそういうのがこうの軒並み出 てきてるからね、家族でそういう風になっ てくると写真をね、中心にしてやってくっ ていうことなんで、え、娘さんが高校生に なったので、じゃ、1人で来れ るってことなので、じゃ、来 るってことなで、もちろんね、高校生なの でね、通常のお金を取るわけいかれるのね 、ま、学りっていうことでね、あの、学 りってこういう時やっちゃいけないんだと 思うんだけど、自分はそん時にまだね、 中学生の時にこう見てたからやっぱり中学 生の時にも見ていた写真がちゃんとしてる のでやっぱりこのこのことを伸ばすために はどうするかったら余計なこと言わない。 余計なこと言わないで感じることだけ取り なさいと。並べる時も感じる写真と感じる 写真を並べなさいと。で、これはどうなん だって言ってで決してこれ間違いだって 言い方しないですよ。やっぱり伸ばして あげることによって2人ともね、どんどん やっぱり成長してきてね、そのお父さん また成長してきて、最近またそう取った みたいですけど、ま、こういうのもね、 含めてそのやっぱりどんどん成長するって いうのはこう形じゃないんですよ。カメラ とのレンズの距離感で距離感が大事にし ましょうとか距離感じゃない。感じること が大事なんですよ。感じなきゃいけない ですよ。どんな時でも感じることです。で 、例えばそれがピントがあってがあって前 がやっぱ冬時代ですよ。やっぱりその合っ てなくても要するにこれが感じてるから シャッタ切ったんだとていうこととそれを 後にねやっぱりその写真集を作る時になっ たらこれが組み写真になって生きてくる わけだしでやっぱりそのモデルさんが見て いただろう風景も必ず取らなくちゃいけ ない。これが写真集をね、やったことの 少ない、ま、カメラマンしたと多分こう いうもののって多分分かりにくいと思うん だけど、写真集を作るのにあたっても やっぱりこう大きなこうきっかけになっ てくわけですよね。で、こういうことも ワークショップの中で色々話してくしで 自分はもうね、自分の師匠がいるわけじゃ ないからライティングに関しても何に関し ても全部独学なんですよね。で、家庭に あるもの使えないだろうか。光はどういう 風に見えたらこれが綺麗に見えるのかとか 、もうとにかくいろんなものくっつけたり 、いろんなことくっつけて外したり、 いろんなことすることによって完全な オリジナルが自分のオリジナルが生まれ たってことですよね。ま、ワークショップ でね、まあ今回は、まあ、全6回なんです けど、ま、そん中でやることによって、 あとはワークショップで集まるとその人 たちのこう人間っていうかね、お互いに こう1つのこう我がを生まれてくるので ワークショップっていうかね、そのポート の撮影会なんかでこうお会いして話をする んだけど、そん時も余計こうじゃいけない 、あじゃいけないなんてことなかなか言う わけじゃないので、自分と同じようなね、 きっかけで伸びるきっかけをこうね、 できるだけ伸ばしてくということと、あと はそのね、写真の考え方っていうの、あと はライティングですね。どうやって自分は ライティングを工夫してこうやって作って きたかってことの市販品で色々出てます けど、当時なんて自分の当時なんて考えて みてください。今から50年前、30年前 なんてシがでそのね、え、ライティング 機材なんて出てるなんてことはまずない からとにかくね、そのそういうことも含め て、じゃどうやってそれを克服して光を どういう風に集めて放出するかことによっ て写真が変わるってことですよね。短い 時間の中でもやっぱり写真がただ撮るん じゃなくて、そこにやっぱり売礼いとか 相手の感情っていうのがこう入り込んで くる。マックスを引き出すことも短い時間 だからできないんじゃなくて短い時間でも やるってことですよね。これも今回ね、 色々こう話してきたいと思うんですけど、 朝7時から、え、ね、お待ちいただいて、 え、やった方もいて、中にはね、うまく いかなかった方もいらっしゃったと思うん ですけど、え、その方ね、改めてお会いし ましょうっていうことでね、 ワークショップを通じて、で、ワーク ショップっていうね、やっぱすごくこう、 あの、皆さんとのこうね、輪がこう 出来上がるし、やっぱり今回はね、1回を 5時間ぐらい取ってるので、で、質問もね 、含めながら作り方も全部ライティングの 作り方こういう風にやったら面白いでなぜ じゃこうしたかっていうこともま話して くるのと最上会でね気持ちよく小気味よく できるっていうのが何よりものことなので ということでね皆さんとお会いしましょう 。今日ありがとうございました。またお 会いしましょう。
写真家としての原点、そして軌跡
明日食べる100円も無かった——そんな時代に写真学校へ通い、卒業後すぐに奇跡のように就職が決まりました。
入社したのは、素晴らしい才能と感性を持つ方々が集まる素晴らしい会社でした。
そこでは、世界の巨匠――アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ヘルムート・ニュートン、ギィ・ブルダンなどを知るきっかけとなりました。
このことは、今も自分の中に生き続けています。
しかし、その会社は2年半で倒産。
否応なくフリーカメラマンの道を選ばざるを得なくなりましたが、振り返れば、この経験が人生において最大の転機だったのだと思います。
南回り、25歳のヨーロッパ一人旅
25歳のとき、思い立って1ヶ月のヨーロッパ旅へ。北京からカラチに一泊し、南回りでようやくフランスへ。そこからスペイン、スイス、モナコ、ドイツ、オランダと旅を続けました。なぜかモナコには3日間も滞在していました――あの地が、後にF1グランプリ撮影や写真集の舞台になるとは、当時の自分には想像もつきませんでした。
迷いと決断のはざまで
会社倒産後、アシスタントになるべきかと悩み、ある著名な写真家のもとで月3万円で働く道も見えましたが、生計が立たず断念。外人モデル全盛期の中、アートディレクターの長友さんから「君はポートレートがうまい」と背中を押され、グラビアの世界に飛び込みました。
そして28歳のとき、テレビ番組『11PM』に生出演。それを機に人生が大きく動き出しました。
独自に追い求めてきた“光”への考察が、のちに「誰でもピカソ」ビートたけしさんの番組出演にもつながり、ようやく“野村ライト”がひとつの形を持ったのです。
当時は、ライティグのことを毎日考えてましたね。
海外へ、そして数々の出会い
モナコGPでは400mmレンズを手持ちで撮影。すべてが初めての挑戦でした。
アイルトンセナをここで撮りました。
鈴木亜久里さんとは、カートの時代に撮影で知り合いました。
モナコのコースを一緒にある猪が、とても懐かしいです。
その後、桂木文さんの写真集がパリで大ヒットし、パリには何度もロケへ。スイスでは川島なお美さん、南仏ニースからパリへは森尾由美さんの撮影、
アレキサンドラ(当時6歳)の写真集はサンリオから出版されました。ドイツでは思うようなモデルに出会えず、急遽フランス行きを決めてパリへ。
その写真集の世界観に感動し、戻ってから、仕事もしていた女性誌『with』の編集者話したました。
すると、その話に涙を流してくださったのは、今でも忘れられない出来事です。
その作品は1年間withの連載となり、そして年末カレンダーにも採用され、多くの人の記憶に残る一冊となりました。
海外ロケも200日くらいな年も、400冊の写真集にも繋がり、そして今
年間200日以上が海外ロケ。ミスマガジンの創設に関わり、
南野陽子写真集は、42万部、斉藤由貴写真集は、23万部と、、写真集は400冊を超え、雑誌の表紙も数え切れないほど撮影させていただきました。
当時、濾過すのロケで、カート・コバーンをノーギャラで撮影し、写真集に参加してくれたのもこの時期。2年後、彼が亡くなったという報せに言葉を失いました。
あの頃、スタジオ経験もアシスタント経験もなかった自分が、やがてアシスタント5人を抱えるまでに至り、初任給15万円、交通費全額支給、年2回の賞与、食事も共にしながら写真を学び合う関係を築きました。
そして、今、新たなスタート
今回、7月1日朝7時に受付を開始したワークショップは、即完売いたしました。
ご参加いただく皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
会場となる新宿NSビル30階は、ロケハンを重ねた中で最も眺望が美しく、心機一転のスタートにふさわしい場所です。
このワークショップでは、今まで語ってこなかった「考え方」「人生の選択」「光への執念」、そして現場で体得してきたすべてを、惜しみなくお伝えしていくつもりです。
“なぜ、あの時あの選択をしたのか?”
“なぜ、あの一枚が生まれたのか?”
これまで歩んできたすべての瞬間を共有しながら、写真と向き合う本質を皆さんとともに探っていければと思っています。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
これからも宜しくお願いします。
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GACKT 南野陽子 一色紗英 斎藤由貴 小池栄子
雛形あきこ 西田ひかる 中森明菜 朝青龍
400冊以上の写真集 広告 CM 映画監督
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富士通、メナード、大同生命、朝日生命
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