日航ジャンボ機墜落事故40年 遺族ら慰霊登山520人追悼 (25/08/12)
日機の墜落現場となった上野村の小たのオ には今朝早くから遺族らが慰例登山を行い ました。 今日は朝7時頃から遺族や友人などが イレート登山しめが降る中の斜面に天在 するお目指しました。 泣き人を思いながら雨で抜かるんだ登山道 を一歩一歩踏みしめ、時折り手すりを掴み 、息を整えながら登る高齢者もいました。 事故で父の新次郎さんをなくした神奈川県 川崎市のう野さ子さん65歳です。 事故を次の世代に伝えたいと娘や孫3世代 で訪れました。 ちょっとでもこう、あの、記憶が継承されて、ま、そういうことでなんか、あの、毎日を大切にして安全に気をつけてっていうなんかのそのちょっとした糧なればいいなという風に希望します。 出張を終え、大阪に帰る途中に 29 歳で事故にあった小沢高幸さんの母標には大好きだったビールとタバコが備えられました。 亡くなった小沢さんの兄西村文春さん 76歳です。 40年前、事故生の 5 日後にオに登り、壊れた期待のあちこちから煙が立ちる壮絶な現場を目にしました。 その時はあの、空がもっと夏でま、爽やったんですけどね。この景色は変わらないんですよ。 40年前と。なら 40 年経っても多分彼は、ま、ここにおるのかなという思いですよね。 うん。 俳優の黒木さんです。 事故で亡くなった宝塚音楽学校の同期生吉田ゆ子さんと仲が良く 40年の節目に初めてたのを訪れました。 早く来たかったんですけれども、 え、自分の中でこうどうしても認めたくないという思いが強かったので、ここに来たらなんか本当に認めなきゃいけないんだなっていう思いがあって、 え、ですけど実際ね、こんな本当に山、山の中 ね。うん。しんどかっただろうなと思います。 当時9 歳だった次男の健君をなくした宮島邦子さん 78歳です。事故の 4ヶ月後に伊族倉が参加する 8.12 連絡会を立ち上げ事務局長としての風化防止に取り組んできました。 一緒にこううん。歩んできたお父さん お母さんたちが亡くなって次の世代が、え 、ここに来てくれることへの感謝と もちろんもう上野村の人たちの感謝と共に やはり日本国が今日もこの行事に協力して くれたこと時がやっぱり40年経ってそこ で安全を作りたいって思いが1つになった のかなっていうのが今日はすごく嬉しかっ たし、またここを出発点にして次についた 繋げられとはい。そう思ってます。 午前10時45 分頃には墜落地点に立てられた証の日の前で遺族らが木頭を捧げました。 そして亡くなった方々へのメッセージをつけた 100 個の風船とシャボ玉を飛ばし空の安全を祈りました。 日本航空によりますと、今日は午後4時 までに81家族、合わせて277人が イレートを行ったということです。 [音楽]
日航ジャンボ機の墜落現場となった上野村の「御巣鷹の尾根」には12日、朝早くから遺族らが慰霊登山を行いました。
12日は、朝7時ごろから遺族や友人などが慰霊登山し、小雨が降る中、尾根の斜面に点在する墓標を目指しました。亡き人を思いながら雨でぬかるんだ登山道を一歩一歩踏みしめ、時折手すりをつかみ、息を整えながら登る高齢者もいました。
事故で父の慎二郎さんを亡くした神奈川県川崎市の内野理佐子さん(65)は、事故を次の世代に伝えたいと、娘や孫と3世代で訪れました。出張を終え大阪に帰る途中に29歳で事故にあった小澤孝之さんの墓標には、大好きだったビールと煙草が供えられました。
亡くなった小澤さんの義理の兄西村文晴さん(76)は、40年前、事故発生の5日後に尾根にのぼり、壊れた機体のあちこちから煙が立ちのぼる壮絶な現場を目にしました。
俳優の黒木瞳さんは、事故で亡くなった宝塚音楽学校の同期生吉田由美子さんと仲が良く、40年の節目に初めて御巣鷹の尾根を訪れました。
当時9歳だった次男の健くんを亡くした美谷島邦子さん(78)は事故の4か月後に遺族らが参加する「8.12連絡会」を立ち上げ、事務局長として事故の風化防止に取り組んできました。
午前10時45分ごろには墜落地点に建てられた「昇魂之碑」の前で遺族らが黙とうを捧げました。そして、亡くなった方々へのメッセージをつけた100個の風船とシャボン玉を飛ばし、空の安全を祈りました。
日本航空によりますと12日は午後4時までに82家族あわせて283人が慰霊登山を行ったということです。
