「健くんと健太さんが結んだ縁」日航機墜落事故40年 震災遺族も慰霊登山続ける理由「これからの安全つくる」

曇空だった今日の群馬県上野村田村 高幸さん は今年も山を訪れました。 2人の長男健太さんは 77銀行に務めていた 25 歳の時東日本大震災の津波で亡くなりました。 そこ行きが切れておりますが、 ね、40年もここ本の山を環境整備して 守り続けてきたって大変なことだし、 声を上げるその力 すごいなって 改めて感じますよ。うん 。40年前の墜落事故の遺族宮島さんて 宮島さんとの出会いがきっかけで 2人は2015 年から慰登山を続けています。 でもそれはやっぱりあの やっと来た。 あ、そう。 およそ1 時間で墜落現場のお高の鬼に到着。 2 人は宮島さんの次男け君が見つかった場所に向かいました。ボールされて。 あ、あの ちゃんもうちのね、あのケツさんも野球少年だったんで、ま、そういった意味でね、ボールを持ってそれにあのメッセージをね、そうやって毎年置いてるけどね。 事故の遺族だけでなく事故や災害で大切な人をなくした人が集まる小の。 今年も起きました。 [音楽] これからの安全を作るっていう意味でもうこの繋がりってこれからすごく意味にあるものに繋がってくれたらいいなってあの感じたんですけどもね。 長なんですけど、 事故から40年。 小の鬼は安全な社会を求める人たちが思いを確かめ合う場所でした。

40年前の1985年8月12日、群馬県上野村の山中に日航ジャンボ機が墜落しました。犠牲になった520人が眠る「御巣鷹の尾根」に今年も慰霊登山をする東日本大震災の遺族の姿がありました。曇り空だった12日の群馬県上野村。宮城県内に住む田村孝行さん(64)弘美さん(62)夫妻は、今年も御巣鷹の尾根を目指しました。2人の長男、健太さんは、七十七銀行女川支店に勤めていた25歳のとき、東日本大震災の津波で亡くなりました。田村弘美さん
「40年もここ御巣鷹の山を整備して守り続けてきたって大変な事だし、(遺族たちが)声をあげるその力がすごいなと改めて感じる」40年前の墜落事故の遺族、美谷島邦子さん。美谷島さんとの出会いがきっかけで、2人は2015年から慰霊登山を続けています。およそ1時間かけ、墜落現場の「御巣鷹の尾根」に到着。2人は美谷島さんの次男、健くんが見つかった場所に向かいました。田村孝行さん
「健ちゃんと健太も野球少年だったのでボールにメッセージを書いて毎年置いている」毎年この日は、日航機墜落事故の遺族だけでなく、災害や事故などで大切な人を亡くした人たちが一緒に「御巣鷹の尾根」を目指します。田村弘美さん:
「これからの安全をつくる意味でもこの(遺族同士の)つながりは意義あるものになれば良いと思っている」事故から40年。「御巣鷹の尾根」は安全な社会を求める人たちが思いを確かめ合う場所となっています。

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