2000年の優香。グラビア女王、CM女王、そして女優へ。テレビを完全制覇した『癒し系』という革命
2000年日本はAと失われた10 年なんて言われる時代の、ま、閉塞館の中にありましたよね。 はい。ミレニアムでお祭りムードもあったんですけど、その裏では経済の不安とか社会の問題とかがこう影を落としていた。 ええ、そうですね。そんな時代に多くの人がもしかしたら無意識に求めていたのが癒だったのかもしれないですね。 まさにその時代の空気を対現したというか癒し系ブームのまさに中心人物になったのが今回皆さんと一緒に掘り下げていくタレントの優香さんです。 ゆ香さん。 はい。1999年にCMでブレークして 2000 年はもう彼女の人気が社会検証みたいになって なりましたね。 ええ、他方面で活躍するスターに駆け上がったもう決定的な 1年でした。 今回はタレントの優香さん。 本名は岡部ひ子さんですよね。 あの、同性同盟の方ももちろんいらっしゃいますけど、 ええ、いらっしゃいますね。今日はタレントの優香さんがグラビアっていう枠を超えて女優、バラエティタレント、それから CM 女王としてどうやって時代のこう長時になっていったのか、その 2000 年の奇跡を一緒に見ていきたいと思います。 はい。まずやっぱりテレビでの活動、これが大きいですよね。女優とバラエティ、この 2 つの顔があの、非常に重要だったと思います。 うん。 女優してはタイプの違う 2 つのドラマに出たのがすごく戦略的だったなと。 ああ、ありますね。太陽は沈まない。当初主演の 20 歳の結婚。これはどういう狙いがあったんでしょうか? まずあの太陽は沈まない。これは社会派ドラマで滝沢主役だったんですけど はい。はい。 ゆ香さんは結構葛藤を抱える難しい役田やという役でしたけどこれに挑戦したんですね。 へえ。これで最高視聴率が 20.9% を記録して、さらにザテレビジョンドラマアカデミー賞の新人俳優賞も受賞するんです。 おお、すごい。単なる人気だけじゃないぞと。 そうなんです。演技者としての信頼性みたいなものをここでぐっと獲得したわけです。 深みのある役で実力を示したと。 ええ。で、そのすぐ後に今度は 20歳の結婚で初演。 これがまたガラっと変わって そうなんです。こちらは打って変わって彼女の持ってるわゆる癒し系のイメージを全面に出したラブコメディでした。 うん。 共演者も米川り子さんとか宮崎蒼井さん、坂口健二さんとかすごく豪華で 豪華でしたね。 これでタレントとしての人気。これをも万弱なものにした。 なるほど。 だから非評価からの評価とな人気と両方をしっかり取るっていう見事な連携プレイだったと思いますね。 後難折り混ぜてアピールしたわけですね。バラエティの方ではどうでしたか? ここもえっと注目すべき点が 2つありますね。1 つはやっぱり志村けさんとの関係。 ああ、志村さんと 志村X 天国に続いて歩形番組の変なおじさん TV が始まって、ここではもう単なるアシスタントじゃなくて変なおじさんの娘っていう役所でコントにも本格的に参加して あ、そうでしたね。娘役。 ええ。 トークコーナーの進行役もめたりして、志村さんとかダ長クラブさんとかと絡む中でコメディエンとしてのなんていうかスキルを磨いて うん。 これでお茶の間の特に中高年からの指示もぐっと広がった感じですね。 志村さんとのコンビネーションは何か見ていてこう微笑ましいというか安心感がありましたよね。 ありましたね。 で、もう1つ意外な活動もあったとか これがまた驚きなんですけど、当時社会現象にもなった云の本 はい。未来日記 そうです。人気企画の未来日記優香さんレギュラーだったんですけどシリーズの第 7 弾サマーデイズっていう会でなんと脚本を担当したんですよ。 えっと、脚本ですか? そうなんです。 それはすごい。タレントさんか脚本を書くって当時はかなり珍しかったんじゃ? まさにあの時代のわゆり癒し系のアイコン的存在だった彼女が恋愛リアティ賞の筋書きを作るっていう。 うん。 これは彼女のパブリックイメージとその想像性みたいなものを結びつけてユカグランドを他にはない唯一無理のものにした大きな出来事だったと思います。 へえ。恋愛を対現するだけじゃなくて作り出すこともできるんだ とそういう見られ方になった多彩ぶりを発揮したわけですね。 なるほど。テレビ以外もすごかったですよね。特にグラビアとか CMの存在感も。ええ、2000 年はグラビアクイーンとしてもまさに頂点を極めた年でした。 写真集がたくさん出ましたよね。 そうなんです。4月から7 月にかけて集営者、公談者小学館、ワニブックスと大手出版社からイノセントジップパーフュームキャラとでも立て続けに まさにラッシュ 出版ラッシュと言える状況でこれはもう彼女の健康的でグラマラスな魅力に対する史上の熱狂ぶり、需要の高さを示してますよね。 この写真集ラッシュの時期とさっき話に出たドラマ太陽は静まないの放送時期がちょうど重なってるっていうのは何かこう意図があったんでしょうかね。 ああ、それは非常に面白いというか重要なポイントですね。グラビアでの人気がまさに最好調っていう時期に女優としてのキャリアを本格的にスタートさせる タイミングが絶妙ですよね。 ええ、これはグラビア活動の集性として、ま、優秀の身を飾ると同時にスムーズに女優タレントへとこう軸足を移していくためのかなり計算された戦略的転換だったんじゃないかと。そういう可能性は高いと思います。 なるほど。グラビアからのその先を見据えていたということですか? そう考えられますね。そして CM。 CMもすごかった。 まさにCM女王でしたね。 グリッコ、ケンタッキー、エプソン、なるナショナルクライアントとの契約が次々と決まっていきました。 ジョージアのCM とかすごく印象に残ってます。 ああ、ジョージア。あれはもうまさに癒し系ブームを象徴する CMでしたよね。 うん。うん。うん。 彼女が出演するCM って単に商品を売るっていうだけじゃなくて、その時代のなんていうか、空気が求める癒しっていう感情をそのう 分かる気がします。 ある種の文化的な記号みたいな役割を果たしていたと言えるかもしれないですね。 雑誌の表紙もう優香さんを見ない日はないってくらいの勢いでした。 ええ、そうでした。週刊ヤングジャンプとか週刊プレーボーイとか主要な雑誌の表紙をもうずっと飾り続けることで常にメディアに露出続けるっていう変在性って言いますか。 どこにでもいるみたいな。 そうです。それを確保して今 1 番旬なのは言うからっていうイメージを社会全体にこう浸透させ続けたわけです。 そしてこの本当に怒涛の1 年を締めくくったのが権威ある賞の受賞でしたね。 はい。第37 回のゴールデンアロー賞の最優秀新人賞、それからさっきも触れましたけどドラマアカデミー賞の新人俳優賞 ダブル事賞 ええ、これらは単なる人気投票的なものだけじゃなくて業界とか非評価からも彼女のその幅広い活動と女優としての実力が公的に認められたっていう証になりましたね。メディアを横断した活躍がちゃんと評価された瞬間だったと思います。 いや、こうして2000年を振り返って みると優香さんのタイブレクっていうのは 単なる偶然とかラッキーとかなくて本人の 持つ魅力とか才能それから時代の求める 空気そしてかなり集なメディア戦略がもう 完璧に組み合わさった結果だったんだなと 感じますね。本当にそう思います。 女としてのあの信頼性とな人気、これを両立させたこと うん。 それからバラエティでの対応力とあの未来日記で見せたような意外な想創像性 はい。グラビアからの計算された転換、 CMでの圧倒的なイメージの素給力、 そして雑誌とかを通じたメディア露出の 最大化ら全部が同時平行で進んで、しかも お互いに影響し合ってあの有価現象 を作り上げていったんですよね。まさに 2000年のモデルでも言うべきような 完成したスター戦略だったのかもしれませ んね。へ、この1 年間の非常に濃密な活動があったからこそ彼女は一家製のブームで終わることなく、その後も長く第 1 戦で活躍する多彩なエンターテイナーとしての地位を確立できた。そう言えると思います。 うん。 2000 年彼女はただ時代の波に乗っただけじゃなくて、ある意味ではその波自体を彼女が作り出していたそんな存在だったのかもしれません。 なるほど。さて、ここでですね、皆さんに 少し考えてみて欲しいのですが、この熱狂 的とも言える2000年の1年間、これが その後の彼女の長いキャリアに具体的に どんな影響を与え続けたんでしょうか? そして最初の癒し系っていう大きなブーヌ のが、ま、落ち着いた後も彼女が長く活躍 し続けることができたその基盤っていうの はこの2000年にどう形作られたのか。 その辺りは皆さんなりに考えてみるのも また面白いかもしれませんね。
2000年、世紀末の日本に現れた「癒し系」という名の社会現象。その中心にいたのが優香だった。グラビア、バラエティ、CM、ドラマ…あらゆるメディアを席巻し、日本中を虜にした彼女は、いかにして時代の寵児となったのか。その輝かしい1年を追います。
00:00 2000年の日本と「癒し系」ブーム
01:29 優香ブレイクと社会現象
04:44 女優としての挑戦 ドラマ『太陽は沈まない』
06:08 バラエティで見せた天性の明るさ
08:39 グラビアクイーンとしての絶頂期
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