芸人目指した弟の飛行機が墜落「本当に陽気でした」40年目に姉が手にした遺品「ひしゃげた10円玉」日航機墜落事故

日期墜落事故から明日で40年です。 FNNは異品と向き合うある遺族の思いを 取材しました。 今の気持ち本当に会いたいなっていう気持ちしかなくて 1985年8月12日本航空 123便が高のに墜落 520 人が犠牲になりました。埼玉県に住む小林子さんは事故での加藤弘之幸さんをしました。 [音楽] 博幸さんは21歳の若さでした。 人を笑わせる子でした。 容気でした。本当に容気でした。 [音楽] ひゆ幸さんは中学生の頃から視聴者参加型のテレビ番組に出演。お笑いの道を心します。都内の小パ部のステージを中心に活動し、テレビや雑誌などにも登場。 まさに夢に向かって走り続けていました。 初めて会った人でももう忘れないみたいな強烈なインパクトだったですね。 こう語るのは当時弘雪幸さんとコンビを組んでいた 寺かふさんです。は不思議ですよ。いきなりですもん。 海水欲とか行くじゃないですか。じゃあ寺ラ野からやろうぜってそこでいきなり賞を始めるわけですよ。 で、その頃結構ちょくちょくテレビとかも出てましたんで、あ、なんか見たことあるやつだなみたいな感じで。 しかし別れは突然訪れます。 飛行機に乗る前に電話で 8月15 日に帰ってくるからその時に会おうねっていうのがあの弟からの電話の最後。 [音楽] ひ幸さんの死を受け入れられなかった小林 さんはこの40年品を直視できなかったと 言います。 かひっこり帰ってくんじゃないかなみたいな手に取ることは 40 年間なんか認めたくなくてできなかったんですけども 事故を風化させたくないとの思いから 40 年にして初めてじっくりと手に取ったと言います。 私が驚いたのがあれとこのもう 10円玉こんな曲がっちゃってんの?玉 飛しげるように形が変わったコイン 事故の衝撃を物語ります。 1回笑うと嫌なこと1 回なくなるよっていうのが弟の口癖だったので声を見た時に胸がいっぱいになったんですけれどもって進まなきゃいけないのかなと思うたんですけども涙を込み上げてきましたね。 あれから40 年小林さんの願いは人を乗せる仕事をしている以上は命を乗せているわけだから私たちの 40 年の思いを胸に入れて運行こしていっていただきた [音楽]

日航機墜落事故から12日で40年です。
FNNは、遺品と向き合うある遺族の思いを取材しました。

小林由美子さん:
今の気持ち、本当に会いたいなあっていう気持ちしかなくて。

1985年8月12日、日本航空123便が御巣鷹の尾根に墜落。
520人が犠牲になりました。

埼玉県に住む小林由美子さん(66)は、事故で弟の加藤博幸さんを亡くしました。
博幸さんは21歳の若さでした。

小林由美子さんは、博幸さんのことを「人を笑わせる子でした。陽気で、本当に陽気でした」と話します。

博幸さんは、中学生のころから視聴者参加型のテレビ番組に出演。
お笑いの道を志します。

都内のショーパブのステージを中心に活動し、テレビや雑誌などにも登場。
まさに、夢に向かって走り続けていました。

当時博幸さんとコンビを組んでいた寺門史明さん(62)は、「初めて会った人も、もう忘れないみたいな。強烈なインパクトだったんです。海水浴とか行くじゃないですか。『寺門、これからやろうぜ』って、いきなりショーを始めるんですよ。そのころちょくちょくテレビとかも出てましたんで、(周りの海水浴客も)『なんかみたことあるやつだな』と」と語りました。

しかし、別れは突然訪れます。

小林由美子さん:
飛行機に乗る前に電話で、「8月15日に帰るからその時会おうね」ってのが最後の電話。

博幸さんの死を受け入れられなかった小林さんは、この40年、遺品を直視できなかったといいます。

小林由美子さん:
ひょっこり帰ってくるんじゃないかみたいな。手に取ることは40年間(博幸さんの死を)認めたくなくてできなかったんですけども。

事故を風化させたくないとの思いから、40年にして初めてじっくりと手に取ったといいます。

小林由美子さん:
私が驚いたのが10円玉。こんなに曲がっちゃって。

ひしゃげるように形が変わったコインが、事故の衝撃を物語ります。

小林由美子さん:
「1回笑うと嫌なこと1回なくなるよ」ってのが弟の口癖だったので、これを見た時、胸がいっぱいになったんですけれども、弟のためには笑って進まなきゃいけないのかなとも思ったんですけども、涙がこみ上げてきました。

あれから40年。
小林さんは、「人を乗せる仕事をしている以上は、命を乗せているわけだから、私たちの40年の思いを胸に入れて運航してほしい」と願っています。

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