田中麗奈、戦時下の駆逐艦長の妻役 映画『雪風』小滝Pと平和訴え

1314年前ですか、連合官司令長官山本 伊6という作品を作った時に、え、原作と 監修を反道和俊さんという歴史家、今も、 えっと、お亡くなりになったんですけど、 反動さんに教えて色々お世話になった時に 、え、今度雪風という船を勉強してごらん なさいと言われたことが今回のきっかけ ですね。 小たさんとは初恋いという映画が 1番最初ですか? はい。田中さんが18歳の時に そうですね。 え、オリジナルであの田博幸さんとこの 2人が、 え、主演の形で やった映画ですけども はいはい。 え、そん時の田中さんからずっとご一緒してます。 お仕事。 そうですね。 その初恋いもですし、本当にあの初恋いは、ま、 18歳であの高校を卒業して 1 作目であの頑張っていきましょいというデビューの作品から 2 作品あ、すいません。懐かしい話でした。 なので、あの、あ、私もやっとそのなんだろう、女優さん、東京の生活が始まったとか、あの、 頑張っていきそうですね、初恋の前に卒業式が終えて、 それで卒業式を終えて一生合わせがあってという形だったので、本当に新生活スタートの時で、で、そんな中本当に田博幸さんだったり、原田さんていう大 とご一緒して、もうたくさん吸収もう毎日してチ延熱が出るぐらいだったんですけど、 そういう本当に自分とっても大切な作品であの小滝さんとご一緒しまして、その後あの山桜も篠原監督とやはりまた 2作目になるんですけども 時代劇が初めてだったんですね。 はい。 あの、もう歩き方から佐査からもう、もう本当に 1 からそこで学んでいったので、それも初めてのスタートの時に小滝さんで、 小崎さん、 まあ、干長というのはほとんど海での生活ですし、寺タル館長というのはアメリカに不妊していた経験もあって、海軍平学校時代に結婚したという設定になってるんですが、ほとんど 2 人でゆっくり過ごす時間はなかったと思うんですけれども、あ の田中寺奈良さんの奥様役をお仕事としてみてどういう風にお感じになりましたか? あの、そんなに皆さんもご覧になってお分かりのようにずっと最初から最後まで出てるわけではないんですね。 ところがあの今回、え、 250 人の命を引っ張っていく館長の妻ということでしっかりあの、え、スクリーンに焼きつけてかなきゃいけない。 それはね、もう本当最初から田中さんしかいないと思いました。で、しっかりとその、 え、ご自分の、 え、役割を全倒されたと思います。 うん。 あの、田中さん、山桜では置き物を着てその書が大変だったということですけども、もう今回の雪風見ていて、あの、置き物のお姿とか その立ちい振る舞いですとか、 そして戦前の奥様というのはこんな感じになったんだ。 もちろん僕ら知りません。知りませんけどもこのような感じだったのではないのかなというのがものすごく見事に演じられたと思うんですけども、ま、サドをやってらっしゃるんでね、置き物とかそういうのはまあ大事だと思うんですけどなでございましたか。 でもその佐の先生もあの現場にいらっしゃっていたのでやっぱりその佐の先生にあの本当に 改めてま、座り方であったり旦那様のお迎えの仕方であったり あの本当に細かく教えていただいたんですね。目線目線であたりま、立ってお迎えする、座ってお迎えするとかいうところであったりとか ま、その時代時代劇と言ってもやっぱりその時代 そうですね。 江戸じゃないですしですね。そう、明治昭和あの本当に あの環境時代 それから地位と言いますか相手とのその関係性の中で書作が変わっていくので なるほど。 ま、作藤ね、あと日もやっていましたけどそれだけではやっぱり足らない部分がやっぱりあるんですよね。 その映画としての自分自身のその立場といますかそこはやっぱりあの佐の先生にあのしっかり教えていただいたりもちろん小さんもやっぱりこの 2人の関係性ということで あの そうですね、もう武士に使える妻というようなあの形で うん。 あの、どちらかというと、その武士の妻に近いようなそういうあのうん。 そうですね、立ち姿というかまいてっていうことはおっしゃられていましたよね。 あの、田中さん盾も学んでらっしゃったのでやってやりました。はい。 そうですね。はい。盾もやっていましたよ。そっか。そっか。 はい。 ま、あとその佐査というのが時代によって変わっていくだろう。 だから時代交渉ってやっぱりその辺厳しくご覧になる方もいらっしゃるし、時代交渉の先生などもいらっしゃると思うんですけども、だからことを考えなきゃいけないんですね。プロデューサーそして脚本家の方っていうのは、 あの、いろんなことを考えるんですけども、 1番大変なのは俳優さんですね。 カメラの前でやっぱりお芝居しなきゃいけないので うん。 なんだかんだ言っても我々はカメラの裏感にいますから。 やっぱりさんもそうですけど、こういう時もやっぱりそのカメラの前で 1番あのお芝居いする方が 1 番しんどいのでなんとか僕らはそれに答えれるようにしとこうというような感じですね。 いかがですか? いや、もうとんでもないことです。もう本当にあの、もうこの雪風っていう映画の撮影に入るまでもたくさんのもう資料であったり、もうあのお調べになったり準備っていうことが多分 90% ぐらいじゃないでしょうか。俳優がやれることなんてもう 10%ですから。 からでもやっぱりそのそこまでずっと高めていただいてもう船ってね例えたりしますけどもそこ船をもう作るところから始まってあのまそのプロデューサーの方だったりあの政作の方々はやられてるので私たちは本当に乗ってどんな風にその海を渡っていくかっていうところですから やっぱりそれはもうとんでもないですよ。 本当に あの、こさんが作った資料的なものをやっぱりご覧になったですか? はい。あの、あの、本をお貸しいただいて はい。あ、 海軍の家族ですね。軍の家族の。 あ、海軍。はい。僕も僕もあの、もしまいました。 それが本当にあの家族の生活をあの描かれていてはい。はい。 どんな風にその海軍の方の、ま、家族、子供たちもどういう生活を日々を過ごしてるんだろう?どれぐらい会えないんだろう?お父さんたちが帰ってきたらどんなことするんだろうっていうのがあの娘さんが日記で書かれているんですよ。そう、そう、そう。 それもうありありともう本当にあの絵になってうか、あの、 浮かぶようなことを書かれていて、海で遊んだとか うん。うん。 あの、引っ越しがすごく多かったとか うん。うん。 住む場所もね、変わっていくことだったり、 なんかそういうのがでも生き書かれてたんですよ。家族っていうことに関して。自分が見る父親ぞっていうか、そこが本当にそうですね。時代が変わっても環境変わってもやっぱり家族は本当に家族であの一緒に過ごしてる時間っていうのはキびやかで温かいものでなんかそういうのを見てすごくほっとしました。 うん。え、今から20年前に博幸さんと 一緒に暴国のイ術スという映画を撮って ました。その時に2人で全国キャンペーン する中で、え、国益って何だろうと、え、 よく国益に指するとか国益のためにとか いうことがこの頃あの完税交渉で出てき ましたが、え、2人でその時出した国益と いうのが子供たちの幸せな未来。多分これ が国益なんだろうと。 え、そのためには、え、絶対に戦をしてはいけない。戦をしないように、え、我々が、え、小さな力ですが頑張りたいと思ってこの映画を作りましたんで、 あの、本当に世代を超えて見ていただける映画ですね。 あの、私の娘ももう少し年齢を重ねたら 一緒に見たいと思いますし、あの、本当に 身近な人に進めていただいて、一緒に今 本当私たち幸せでなって噛しめていただき たいなと思います。あの、普通が1番 いいっていう言葉が、普通がいいなって 言葉が本当に私は身に染みました。ま、 私たちがあの平和に生きてるこの日常は 先人の皆様があの望ん一生懸命あの作って くださった未来ですしこうなったらいい なって思いのも本当に日々あの国民のを 守るためにすごくあの命を削ってえーそう ですねを尽くしてくださったこのその未来 が今私たちがあの未来にを頂いて過ごして いるっていうことのなんだ 改めて感謝の気持ちが湧いてきます。渡せるようにきたもの。 あなたが触れた日

田中麗奈、小滝祥平プロデューサー、上柳昌彦フリーアナウンサーが26日、都内で行われたニッポン放送「上柳昌彦 あさぼらけ」 映画『雪風 YUKIKAZE』特別試写会に出席した。

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