【映画 国宝】2度の曽根崎心中と鷺娘に隠された吉沢亮x横浜流星の心中ストーリー説《ネタバレ考察》 #moviemoving

2人の人生のま間にあるのはその地って いう教会線ですよね在日賛成として のこのアイデンティ日本では朝鮮人って 呼ばれてあっちに行けば日本人って呼ばれ て俺たって一体何なんだろうなそれだけ 真獣っていう歌舞伎の目は徳の死ぬる覚悟 が聞きたい足元でもう聞くがもうお前と 一緒に死んでいいよ死んでいいよって何回 もやるんですよすごい構成だなと 今からえっとネタバレありのえっと国報の 感想を話していきますねはいすごくいい 映画でしたえっとこの2025年のもう ベスト映画を最後決めるんだったらこの 映画は確実にえっと候補に入ってくる だろうなと思いますまここ最近の近年の 日本映画の中でも特に面白かったんじゃ ないかなと思いますでえ今これだけのえっ と工業成績があっていろんな人が見に行っ てる中でみんな結構満足度は高いんですよ ねでもえっとそのリサンいる監督が描き 続けてきた今までの映画の作品の流れって いうのを加してみるとまもうちょっと見え 方変わってくるのかなっていうところも あってまそれを今回ま話をしていきたいと え思ってるんですけどもこの映画ねこの 吉田一っていう人が書いたこの原作小説が まあって映画があるわけですけどやっぱ 小説版のやっぱダイジェスト映像になっ ちゃうともったいないわけですよでそこを リサインいる監督は考えてえ吉沢涼を フューチャーしてえ菊を主人公の軸に しようとでそれ以外のところをえっと結構 その選択と集中っていうところをしっかり 考えたえ映画の構成になっていたと思うん ですよでそ崎新住っていう演目があって その染崎新獣っていう演目が2回出てくる んですよねでその1回目で吉澤涼とその 横浜竜星の人生が耕えていくっていう きっかけになりえもう1回でその2人が また結ばれていくっていうえ伏線と回収に なっているとそしてえっと詐欺娘っていう えっと演目も出てくるんですけどその詐欺 娘という演目が2回出てくるこれまたねで その1回目は田中がそれをまえ演じていて えそれを子供時代の吉沢涼とえっと横浜 竜星が見るというパートですねそこでその 怪物的なえっと人間を間の当たりにして えー恐怖を感じつつも惹かれてしまうと いうことですねだからそこでその人間国報 というのはこういうものなんだという目標 を見せつけられると田中にねで田中ミが 演じてるえ人間国報にその目標を見せつけ られる1回目のその詐欺娘がありでこの 映画の3時間の1番ラストに持ってこられ たその詐欺娘がえ吉沢涼が舞うえっと詐欺 娘ですけどもそこでその吉澤涼は人間国報 になっているっていうことになっていて そこも伏線と回収になってるわけですね 小説版の最後の方には崎真住と詐欺娘では ない別の演目になってるらしいんですけど リサンいる監督がアレンジをしてそれ新住 2回という構成にしたみたいなんですよね そこにもかなりあの良かったと思いますね その原作のものを映画が超える瞬間って いうのがたまにあるんですけどもこれは 完全にその類いだと思っていてだからこの 映画で見た方がいいと思いますねなんか 映画を見て小説読む人の方が多いんじゃ ないかなと思いますその小説が めちゃめちゃすごいから映画もすごくなっ たっていう感じじゃなくてこれは完全に リサンいる監督の実力がこの映画を完成さ せてすごい領域まで持っていってしまっ たっていうのがま今回あったのかなという のが僕のま全体的なま感想ですねでそれが とてもその分かりやすいその2人の男の 人生で描かれるっていうところであの テーマがすごく分かりやすいというところ もえ面白かったところですよねでそのえっ と国報という映画でリサンいる監督が描い てのは何なのかと言うとこの教会線という ことだと思うんですよこの教会線でこの 教会線の正体は何なのかと言いますとこれ なんですよチなんですよねチなんですよ この しという男と菊という男の物語ですけども この菊がま軸になってこの映画は描かれて いるということですでもこのえ菊と俊助は お互いもう兄弟のように育ってきてお互い 高め合ってこの芸を磨き合ってえ同じ渡辺 県に育てられてもうね義兄弟ですよね言っ たらね血は繋がってないんですけど義の 兄弟として育ってきたでえっとある日えっ とそこそこ成長した時に渡辺県があのある 事故をきっかけにまそんな大した事故じゃ ないんですけどなんか車でなんかあの 事故ったかなんかでえっと歌舞伎ができ なくなった時に大学として普通はし本しあ 俊助をえっとそこの大学に立てないといけ ないんですけどそこに菊を抜擢するという ところでこの2人の人生変わっていくわけ なんですねえそれに対してその寺島しのぶ がやってるその渡辺県の奥さんはそこは 春本が筋とか言うてあの抵抗するんです けど渡辺県は片くにし俊ではなくえ菊を 抜擢するとこれは菊の方がその女方を 演じる技術が高いとでえっと自分の息子 だったとしてもその技術の高い方のでを 抜擢するべきだろうという判断だったと いう風なま表現になってましたけど そこで染崎真獣っていうのをえ演じるわけ ですよで1回目のそ酒真住がありましたで そこでその染崎真獣を演じてもう限界突破 した演技を見せるそのあの菊を見てですね はもう俺は歌舞伎の世界に生きていきたく ないということでえ高畑みを連れてえい なくなりますそこから何年も経ってですね 何年もそのえ俊はいなくなって逃亡するん ですねでその間菊王しかいないんですよね で菊王しかいなくて渡辺県はずっと菊王と 一緒にやってきてで菊王をもうその後の後 後継にするという発表をするんですけど その発表会の最中に渡辺県はえ死んで しまうんですよね病気で死んでしまうとで えその後菊がじゃあ後をついでやって いけるのかというとそれがねなんか菊の 技術自体は完璧に近いんですけど 周りがついてこないというかなんか人間性 的にやっぱりかけたところがあるのか うまくいかなくてですね渡辺県が残した 借金の問題もあってですねうまくいって ないとそこにね俊助が帰ってくるという ことで やこしくなってくるんですよねその ちゃんと正当な血をついでいる俊助が帰っ てきてしまったええ菊はえっと渡辺県ナア とのそのえ花市一家をえうまく運営できて ないというところでえそこでまた変化が あってえの方がえその家に残って気候は そこから弾き出されてしまうんですよねで 気候には血がないんですよね自分を守って くれる血がないっていうセリフがあるよう に自分にはその守ってもらえる血がないん ですよ俊助は外に出てて自分よりもえっと 女方の演技は下手くそでもでも血があるん ですよねだから俊助の方にその家は 受け継がれていくという残酷な結果になっ てるんですよね でえっとその後またその染崎真獣っていう のが2回目のやつがあってっていうことに なって流れていくんですけどもこのね2人 の人生の物語ですけどもこの2人の人生の ま間にあるのは圧倒的な壁としてその存在 するのがその地っていう教会線ですよねだ からき候があの初めてその渡辺県の大学と して染住に出るそのもう初日の時にですね あの歌舞伎役者っていうのは自分で自分の あの化粧をするんですけどもえその化粧が ねできないんですよねもう手が震えて化粧 ができないんですもうやろうと思うんです けどもああ手が震えてできないっていう時 にしが大丈夫かなと思って見に行ったら もうそんな状態ででもう俺俺にはもう血が ないからもうあのお前の血をコップを いっぱいに入れてグビグビと今飲みたいん やって言うたらあのし介がお前にはゲが あるやないかって言うて慰くめてくれる シーンがあるんですけどあの俊助からすれ ばあのよその子が転がり込んできって自分 の未来が約束されていたのにその後継に なるえ自分をおいてですねえっと渡辺県が 大役にこいつを選んだっていうその肉気 相手でもありながら 義の兄弟みたいな存在でもあるということ で肉みたいけど憎めないんですよね肉み たいけど憎めないそいつが本当にもうマジ で困ってる時に自分は励ましてゲがあるや ないかて言ってそあの送り出してあげるん ですけど本番を見ていたらもう見てられ なくなって外に出てもうそのまま 行くらましてしまうっていうねあのシーン がいいんですけどねそのもう絶対に超え られないこの地っていうところをえドラマ のま軸に持ってきたという印象なんですで それを思えばですねここに繋がってくるん ですけどやっぱりね在日賛成として のこのアイデンティティっていうところで このリサンル監督のこの1回目第1回の 挑戦長編映画はあのさっき紹介した ちょンっていう映画なんですけどでえこの 映画からもしてもですねやっぱり血を ずっと描いき続けてきた監督でもあるん ですよねやっぱりこのえっと在日 賛成っていうこのアイデンティがから 生み出される映画の視点っていうのがある と思っていてこのなんかね一歩ちょっと 引いた視点から 物事を見ているその物事の切り取り方って いうのが映画でものすごく出てると思うん ですよそれがこの国報ですごく生かされて きてるとさっき言ったあのこのし介と菊王 の物語ものすごく生かされてきてると思う んですよそれは今までずっとえっと初期の 作品からこの距離感っていうのをうまく 扱ってきたえ物理的な距離感とか心の距離 感をうまくこう使ってきたえリサンいる 監督はなぜそこまでそれができるのかって 言うとあのこのリサンいる監督自身がそう いうものの見方ができる人だからだと思う んですよねそれはやっぱりこの彼のその 監督のこのアイデンティティがえそれを 生み出してると思うんですよでこのえっと 青って書いてこうちょンって読むねえ ちょンっていうこの監督のデビュー作品 ですけどもここで出てくるこのえセリフ ですねこんなセリフが出てくるんですよ これはねいつ出てくるセリフかと言うと 主人公がま野球部の主人公でで野球部に 入りたいというクラスメートが来るんです よねでその人もま朝鮮学校なんでま当然 なんですよでえそれがねこな間だ 韓国に帰ってえっと親戚とで久しぶりに あったらその親戚は韓国韓国語しか喋れ ないと自分は日本人日本で育ってるから 日本語しか喋れないんだけどえこの日本人 と韓国人の違いって何だろうなみたいな話 をずっと1人で語り続けるシーンが中盤で あるんですよそこでね日本では朝鮮人って 呼ばれてあっちに行けば日本人って呼ばれ て俺って一体何なんだろうなていうシーン があるんですよここでね続ぞとするわけ ですけどこれをね国報でもやってるんです よねはこの日本ではって呼ばれて あっちに行ったらだから朝鮮に行ったらえ 日本人って呼ばれて俺たちの存在って一体 何なんだろうなっていうこれを国報で俊助 と菊の話でやってるんですよねとえ僕は 思いましただから歌舞伎っていうのは必ず そのえま寺島しのが発言してるんですけど 寺島しっていうのはお父さんが本物の人間 国報ですからえあの世界を知ってるわけ ですけどこの映画ではその血が繋がって ない菊を抜擢するっていうところから人生 がやっぱ変わっていくわけですけどあんな ことは本当の株式会ではまずありえないっ て言ってるんですよまずありえないとまず え寺島がこの国報という映画で言ってた ようにしが抜擢されるにも決まってるし 周りの人もみんなそう思ってるし今までも ずっとそうだったんですよだから血が 繋がってない人を抜擢するっていうのはよ その血が繋がってる息子よりもそいつが うまかったとしてもえそっちのを抜擢し なくてその自分の血の繋がってる息子を 抜擢するっていうのがもう筋なんですよね でいう世界の中でその菊が抜擢されてしま うっていうところがこれが物語のまドラマ のね起点になってるわけですけどもこの地 という地が流れてるか流れてないかって いうこの境界戦はもうこれはね死んでも 変えることのできないことですよねそれが このえっとデビュー作品で出てくるこの 日本では朝鮮人って呼ばれてあっちに行け ば日本人って呼ばれて俺たちって一体何な んだろうなっていうセリフこれからもね 繋がってるんですよねだから国報っていう 映画はリサンいる監督の最高傑作であると 僕は思うんですけどもそれはなぜかと言う とこのデビュー作品のこのセリフから ずっとこれをずっとこういうようなことで やり続けてきた監督が歌舞伎の世界という 究極極限の世界の中においてのこの地と いうものを表現するっていうのを映画で 今回やったわけですでそれが全部繋がって てこれ以上のところていうのがもうない からなんですよねこの歌舞伎の世界以上に それを表現できるところでないと思うんで だからすごいね今回ねきだきまでもう 登り詰めてしまったのかっていうとこなん ですよでえこの 皆さんも映画見た人はもう分かると思うん ですけどこれはね絶対的なね地というのは ね絶対的なこのへたりであるという風に 描かれてましたでえこの絶対に超えられ ないこの地というこの壁があるわけです けどもこれがリサンいる監督の映画におい てはすごくねドラマ作りの基礎にもなって くるというところなんですよでえ国報って いう映画は原作はあるにしてもそれをどう いう風にこう料理して映画に変化させて いくのかっていうのはリサイル監督のこれ 腕次第っていうことなんですけどもその腕 次第中でこの地という絶対にこう超えられ ない変えられないものっていうところが 2人をわか分つえーこのへたりをになって いるというところででえここをこのドラマ の起点に持ってきて聞くの話をやっていく というところがリサンいる監督のま言う たらセンスなんですよねそこがやっぱりね すごくいいんですよいいんですやっぱで 分かりやすいんですこの地っていうのは 分かりやすいじゃないですか僕ら見てる方 にしとってもでもこれって永遠の課題って いうか超えられない問題ですよねで今 世の中的にはねこのアイデンティティ問題 ってのがいっぱいあってですねいっぱい あってそのみんなねそのアイデンティティ で苦労してるでもうなんだもう アイデンティをのこと考えすぎてもう心を 病んでる人とかもいっぱいいるん世の中の 中でこのアイデンティティを土球に捉えて こう歌舞伎の世界のアイデンティティって いうのはもう1番のねこの極限状態におけ るそれなんでえそれを映画にして るっていうところがこの今のこのご時世に この国報っていうのが出てでそれが めっちゃ売れてるわけじゃないですか今で 評価高いわけじゃないですかみんなそこに ねやっぱりね共鳴するところがあるんじゃ ないかなと思うんですよねみんなね やっぱり自分のアイデンティ俺はこういう 人間なんだ俺自分らしく生きていきたいと かえ思う中でじゃ自分らしさって何なん だろうとか自分は一体何者なのかとかいう ところに悩む人が多い中でこの国報って いう映画はそれを土直球に捉えてしかも それをなんていうか美化しないっていうか えそのまま残酷にもその血のえあるもの地 がないものをえ描いてくるっていうところ にま魅力があるのかなと思うのであの別に 今のトレンドに乗っかった作品であると いうわけではないんですけどこの普遍的な テーマを土長でやってるえこれが今の時代 にもマッチしてですね偶然にもそこも 良かったと思うんですよで 一方でそのこの映画の中ではその言った ようにその血があるからじゃあいいで血が ない人はま勝負に負けるとかそういう単純 な構図になってないっていうところも魅力 的でこの 横浜竜星がやってるキャラクターこのし介 っていう人は血をついでるんですけど渡 お父さんの渡辺は糖尿病でえ糖尿で目が 見えなくなっていて最後猛していっ で舞台の上で活結してえ死んでしまいます けどもその糖尿っていうのがえっと 受け継がれてしまうわけですよね横浜にで 横浜は糖尿がきっかけでえっと足を切断し てしまうわけですで偽則になって最後また 染崎真獣を1回でもいいからやりたいと いうことでやるんですけどもでえもう片方 の足もなくなって命も最後はなくなって しまうというえ結果になるわけですでその 糖尿病っていうのはこれについてくるに ついてきたおまけですよねだからこの花井 半治郎えこの渡辺県が演じてる花江炭治郎 の息子であるという運命についてきたこの 病気でもあるわけですよねだから地という のはあるからプラスになってるわけでは なくてその呪いでもあるわけですよねその 親は選べないわけですよね人間っていうの はだからその親の元に生まれたっていうの はもうね生まれた時から私たちの人生って 始まってるんでそこを選び直すことは絶対 にできないわけですよねでそこのテーマに なそれがテーマになってるのがこの映画な のでその血はつがえっと血をついでるから 良かったとか血をついでるからえついで ないからダメだったとかそういう単純な話 ではなくてですね血をついでるものだから こそ背負わないといけないものがあ るっていうところもあるんですよねそこも 良かったんですよでこの国報という絵が 新珠っていうのは2回出てくるんですけど それ新住っていう歌舞伎の演目はえ特兵と いうですね醤油屋の男がですねなんか借金 をしてですねままあんまりね6でもない やつなんですよでもねその男のことが好き なねこの主人公の女の人はですねその特米 っていうのと自分は死ぬ信住するんですよ でえ真獣ちゅうことなんですけどその国報 っていう映画の中で出てくるこの先真住で 出てくるのは女の人が働いてる飲み屋に 特米に金を貸してるなんかあの男が飲みに 来るんですよで特米の悪口を言うんですよ あいつは6でもない男でね最低な男でねて でも実はこの女は店で特米をかまってて の下に隠してるんですよねでその下に隠し てる特兵が実はその話を聞いてるんですよ そのえ特米の存在をそこにいて るっていうことを知らない男とこの女との 会話を聞いてる特米っていうことでその中 で女は特米に私と一緒に死んでくれる覚悟 があるのかどうかっていうのをえ確かめる というシーンがえっとこのえっと国報と いう映画で何度も出てくるんですねでそこ でね僕様の死ぬる覚悟が聞きたいとか言う んですけどだからその特様の死ぬ覚悟だ から一緒に私と死んでくれる覚悟をえ聞き たいんですよねその一言が聞けたらこの女 の人は嬉しいでもそれがあるってことは 自分とこの特様は一緒に信住しないといけ ないっていう話なんですよねその真獣が できるっていう大好きな相手と一緒に真獣 できるという喜びとそして一緒に死な なければいけない悲しみっていうのが 入り混じった演技をするんだって言って 渡辺県にえがしかれるるっていう主があり ますけどもこの徳様と死ぬる覚悟が聞き たいていうかいうところなんですけど これを初め1回目のえ新住では渡辺県が 事故でできなくなったのを菊が大役になっ てこれをやるとで特兵の役はえ男の人別の 人がやってるというのでその舞台は成功 するっていうのが1回目で2回目の真獣 っていうのはえ横浜竜星が演じてるその 俊助っていうのがえ糖尿病で足を切って しまってえ片足が義則になっててこの女方 の方をやってるとじゃあえっとその器は俺 がじゃあ特米をやるって言って特米をやる んですけどあそこでねあそこでこの女方の 方の人が足を あのドンドンってやるシーンあった覚えて ますあの足をドンってやって見せるんです よでその足に特米がねあのま何えっとこれ 足だとしますえ俊助の足がドンドンって 言って死ぬ覚悟を確かめてるわけですねと 死ぬ覚悟を確かめてるわけですよでえ私と 一緒に死んでくれるかい私と一緒に死んで くれるのかいって言ってずっと聞いてる わけですよそのえ足元に隠れてる特米にね ほんだらその特米がこの足を持ってね うーん てやるでしょあのうーんてやるのは 何なんだとえまた私はですねこれあの映画 館で見て思ってたんですけどなんかこれは なんか質要になんかこのうんって顎をね こう足に当てるやつやるなと思ってたら あれはあの首をえあなたと一緒に切ります よっていう演技でそういうえ演目なんで すってこの崎真獣っていうのはでその足が もうあの俊助の足がね 片方は義則になってるわけです片方はもう ね糖尿病で切断して途中でないわけですよ でこっからは偽則になってるんですよでの 方はどんどンっていうあれができないから 反対側にあってでえ唯一残ってる片方の足 でそれやってるわけですけどえその特米の 目線からしか見えないんですけど 特米の目線からしか見えないんですけど その特米を演じてる菊の目線にはそのし介 の生き残ってる方の足が見えるんですけど その足も 糖尿病に犯かされていてエし始めてい るっていうのが 観客と聞くには分かるんですよねそのもう 自分の義兄弟ですよ自分がだから愛した その兄弟でえかつえっとライバルでもある その人生を追い込やったその宿的でもある けども自分の最愛の兄弟でもあるえその介 の足がねもうね残りの1本しかないのに その1本の足がねもう腐ってるんですよね その腐ってる足を顎にねこう当ててねあの お前と死ぬ覚悟があるんだえ俺はえお前と 死ぬ覚悟があるんだとで一方で俊助はです ねその菊側の時にやって自分ができなくて 自分はもうそのあの演じてる姿が 見れなくて高畑みとね逃亡してしまった あのそれ先真獣の時以来にですねえあの あの時のリベンジをやってるわけですね 自分がその女方をやってるわけですよで様 のる覚悟がっていうのをやりやりたかった のにやれなかったそれを今初めてやれてる んですよそれを菊く相手にやれてるんです よねで菊くはもうそれをそのえお前と一緒 に俺は死ねるよっていう足をねこう持って 首に当てる演技をやってるその足は腐っ てるでもうし介は自分の念願が叶ってるで ももうそれが最後のそれだけ真獣かもしれ ないっていうところでえ最後でその真獣ね それ真獣のクライマックスでえキおとその し介が真住するシーンがあるとえ相手の首 を切って自分も首を落とすっていうシーン があるとそこでねあの 走ってねこう退上していったりするんです けどその前に走って退上するその走って 退上するのも片足が息速でもう片方の足も 腐ってるから痛くて歩けないんですよそれ をもう引きずりながらですね退場してい てっていうねもう壮絶なシーンがあるん ですけどあの演目がねそれ真獣という真獣 物語であるというところがまたね泣かせる んですよだからねこれはね国報っていう 映画はどんな映画なのかと言うとこれね 愛像劇だったと思うんですよねあの男が その芸に生きて芸に死んでいく男の話でも あるんですけどでも介助と菊の間の物語 っていうのはこれ愛像劇なんですよし助 っていうのはもうね本当にね多分ねのこと をね愛してるんですよその別にゲイとか そういう意味じゃなくて愛してて本当に 親愛のなるえっと一緒に今まで人生過ごし てきた義兄弟だったと思うんですよでえ 菊くもし介のことはすごく憎い憎い相手で もあるんですけどでもえ俊助がいなければ 今の自分もいないのでその助はすごく最愛 の義兄弟だからお互いにそれはもうすごく ね総子相愛状態なんですよでもねそのね 片方の俊助はね足が腐って死んでいくとで も介助がいたら自分は歌舞伎の世界では 上がれないわけですよ俊助がその家をつい でいくわけなんでねそのね微妙なね男同士 のねこの愛と憎しみのこの絡み合いみたい なのをやっていくというところがねこれは ねとんでもないことをやったなとで聞く ところによるとえこの真獣っていうのは 原作では1回しかなくて2回ないんですよ ねでそれを最後のラストシーンラストの そのクライマックスっていうのをえっと その崎真獣を2回目持ってきたっていう ところはえリサンル監督のアレンジだっ たって僕はなんかインタビューかなんかで 見たんですけどリサンいる監督もやばいな とね真獣するだから僕ねあのね2回目の 染崎真住の時に菊くも死ぬんだと思ったん ですよ菊くも死ぬんだと思っただってこれ 真獣ですから真獣ですからえ愛する俊助と 一緒に自分は気候は死ぬんだとその死ぬか あの助がねもうほんまに自分の命を燃やし て1番最後に出した渾心の染崎真獣で 死ぬる覚悟が聞きたい言うて足元でもう 聞くがもうお前と一緒に死んでいいよ死ん でいいよって何回もやるんですよあれで もう絶対気候は死んだ一緒に死ぬんだなと 思ったんですが死なないとラスト ラスト聞こだけ生き残るんですね俊助は もうその後けなく死ぬんですよでえっと菊 だけが生き残ってしまうとそして人間国報 になるとでそれでどうなるのかって言っ たらこれなんですよ気候は人間国報になり ましたでえ自分が捨てたあの時のえっと娘 がえっと大人になっていてそれと再開する とでお父さんあのあの時のえ選択は ひどかったとあの時は思ったけどもえ お父さんは人間報になれて良かったんだと 私はもう今では納得してるんだよみたいな ことがあってですねで最後のですねこの 詐欺娘を舞うんですよでこの詐欺娘という のは2回目の詐欺娘で1回目は田中がえ 子供の時の菊と俊助介に見せたあのもうこ 人間国報の姿をこうまざまざとこう見せた あの詐欺娘があってこの2回目の詐欺娘を 菊が舞うということなんですけど詐欺娘 っていうところに意味があると思っていて 僕はさっき言ったように染崎新住が2回目 あったと2回目のその真獣で介助と菊は 信住するとだから共に死ぬとえいう終わり になってえこの映画が幕を閉じるんだと僕 は思ってたんですがえ生き残ったと気候 だけ生き残ってだけ死んだとで古来 真獣っていうのはねお岩さんってある でしょおさんとかってあの一緒に真獣して くれると約束してたのに相手が死んでくれ なかったから女の人が妖怪になって化けて 出てくる井戸からこう化けてね皿を皿の 洗ってるこう枚数を数えて出てくるん でしたっけなんですよねだから男と女が 恋愛の先に一緒に死のもうこのまま俺たち 一緒に死のうと約束したのに女が死んだ後 に男がおじけついて死ななかったっていう ところからその初め先にえ死んでえっと 約束を破られた女が無念の気持ちから妖怪 になるっていうのがこう妖怪の誕生ですよ ねで日本では昔からその妖怪のその女の 妖怪っていうのは大体恋愛のも連れで約束 破られたり男にこうひどいことされてで 特に信じもっていうのは男に約束破られて 自分だけは先死んで男は生き残ってしまっ たっていうのがきっかけになることが多い んですけども その 真獣を持ってきた後のこの詐欺娘っていう のはですね 詐欺娘っていうのはですね恋に破れた娘が ね娘が死んでその恋に破れて死んだ娘の 霊コンが魂が白となって現れるんですよで その白がですね未練と悲しみを体で表現し て回うっていう話なんですよね分かります かあの時なかったからなんですよこれ は分かりますかだからしとあの時一緒に 死にたかったんですよ死にたいっていう その劇の中では思ってたけどでも自分は その前に悪魔と取引してるわけですよね芸 のいだきに登り詰めるためには全てを捨て ても大丈夫なんでゲのいだきを俺に くださいと悪魔と取引したのがえおという 男なんですだから自分をの最愛の義兄弟で ある俊助と死を共にしたいという気持ちは あったけども死を共にしなかったわけです よねそのしさえも悪魔に売り渡してるわけ ですよで自分はどうなったかて言ったら 人間国報になったわけですよねだから願い が叶ったわけですよその代わり全てのもの を俊助も家もえ全てのものを 悪魔に渡さないといけなかったそのしえ菊 が生き残ってしまった菊の人生を表現する のがこの詐欺娘なんですよだから恋に破れ たその娘の霊コンがっていうところがあの 俊助とのま恋恋ではないかもしれないけど もその最愛の相手のとの関係がえ破れて しまった自分が生き残ってしまって俊助 だけが死んでしまったそれを食いてえ詐欺 のえ姿で現れた菊王がですね未練と悲しみ をあの俊助を思ってですね最後待ってるん じゃないかという風に僕には見えたんです ねそれがこの最後の詐欺娘であったと思い ますだから菊王がえっと吉沢涼はこの シーンを取る時にね詐欺娘をえ投資で踊っ たらしいですだから映画で僕たちは見てる のは編集されたその部分部部分部部分で見 てえっとBGMの音楽とかも流れますけど え実際の撮影ではもう1番初めから吉沢涼 が投資で踊ったのを取ったらしいんですよ ねだからすごく迫力があってですね吉沢涼 もすごくもうこの息までよく足したなと 思うんですけどもなんでこの監督がこの2 回目の染崎新住の後に2回目の詐欺娘を2 回ずつでそれぞれ持ってきたのかっていう 意味はえ僕僕の解釈はですねそれ真住で 一緒になかった最愛の相手を持ってえ その未練と悲しみをえ詐欺に詐欺の姿とと して現れたえこの娘をがえっと踊って最後 死んでいくというこの詐欺娘に込めたん じゃないかなということなんですでそれが えリサンいる監督がえこの原作えっと国報 え吉田一さんが書いた国報っていうのを 解釈して映画に再編集したえどこをえ省い てどこを取ってどこをオリジナルにするの かっていうところをやった結果がこうなっ てるわけですからねそれがその繋がりを えっと作ったんじゃないかと思いますだ から原作がどうなってるかちょっと分から ないんですけども映画のえ映画で変更が かかったっていうことはあるんでねこの この演目を選んだってところはねなんか それがすごいなとで最後のシーンで吉澤が 1番最後この詐欺娘っていうのを終えた時 に感じたことその美しいということですよ ねその美しさっていうのはどういう美しさ なのかあのていうのがえっとそのもう吉沢 にしかやっぱ見えない美しさだったと思う んですよねだから最後のその美しさって いうところはこの観客の私たちが理解でき ないもう本当にその独特の世界というかだ から今までのそのリサンいる監督の作品で 行けばえっとルロの月っていうのがあって その松坂通りと広瀬鈴のその間の中でしか その見えない世界みたいなのを描いたわけ ですけどそれと同じで吉澤涼とその横浜 竜星が演じたこのし介と菊の中にしかない この2人だけの2人だけで完璧なこの世界 っていうのが あったんじゃないかなと思うんですよだ からと言ってそのなんか男同士の恋愛を 描いたとかそのゲイっぽい感じのなんか そういうなんかなんて言うかなそういう ような話では全くないんですけどその魂と 魂のその繋がりにおいてその吉澤とその 横浜竜星が最後そのえ崎新住でねだから 新住っていうのは1回目と2回目があって 1回目はその吉沢涼とその横浜竜星このえ 菊と介助の人生が分離するきっかけになっ たわけですよねを耕えるきっかけになっ た先真住が最後は2人を結びつける きっかけになった2回目の染崎真獣があっ て片方だけが生き残ってしまった悲しみの 詐欺娘が今回のこの2回目の詐欺娘になっ てるとするならば すごい構成だなと 思うわけですよで結局はだからあの横浜 竜星がいたその俊助の一族だから花井 半治郎のこの一族っていうのはあの壊滅し たわけですよねだからあの 渡辺県のそのもう1つ仙台があの花池を えっと創設してで渡辺県が2代目の半治郎 で3代目半治郎をえっと気候が都合うとし た時にえ渡辺県は舞台の上で死んでしまっ てでそっからえっとえあれですねえ花半 ですねえ俊助が帰ってきてまた家を継ぐっ ていうことですけどその俊助もまたえっと 一緒にしばらくはやってたけどもえその末 に糖尿病化きけで死んでしまうとだから 結局菊がこの家に転がり込んできて あくまで取引した結果が結果でえこの花池 っていうのはもう完璧に潰されてるわけ ですよねそれを全て潰してでもやっぱり 気候はこの美しさを追求したかっただから 自分が極道の世界に生きてて子供の時に お父さんを目の前で殺されるあの時の雪の 風景っていうのはずっとこの男は忘れられ ないわけですよねあの時にあの小学あの小 学校ぐらいの時の器はねお父さんが死んで いく時に美しいと感じてたってことでしょ これあの最後のその神吹雪があのお父さん が自分のお父さんがねヤザのお父さんが 死んだ時と被るっていうことはでそれが 美しいっていうことはそのお父さんの死様 がすごく美しかったってことでしょだから お父さんが死んでこもう悲しいっていう よりもお父さんが死んで美しかったって いう印象だけが残ってるわけでしょでこの 詐欺娘で自分がそれをもう1度見ることが できたわけですよその何を何なぜこの えっとなぜこのえ気候がもう1度その お父さんが死んだ時の美しさをもう1度 味わうことができたのかと言うと自分が 愛してきたもの愛してきた女高畑みもえ 愛してきたえっと女えっとあき子っていう 女もいましたでえっと芸子のえっと三愛が やってた女もいましたそれも全部捨ててで えっとが俊との関係もえも死んでえお世話 になった渡辺県も死にえ自分が憧れた人間 国報のえ田中も死にえ全てえの国に送った わけですよね聞くが言え言ったらね全て その自分がゲを極めるために悪魔に全てを 自分が持ってる全てのものをえ気候はえ 悪魔に売り渡してしまったその打ったえ 払った代償の引き換えとしてこの美しさを 見ることができたそれだけのためにこの人 ねやってきたとだからこの菊くというのは もう人間ではないんですよねもこの時点で ね人間ではなくもうジョーカーになって いるとえ人間をもう捨てた存在になってい てえもう完全に普通の人間がたどり着け ない境地に行ったとそれが人間国報なん ですよねこのえ作品におけるま実際の人間 めっちゃええ人やったりするかもしれない ですけどそれまでまた別に置いといてこの え国報という映画においての人間国報と いうのは人間が普通の人間がどれだけ 頑張ってもたどり着けない境地に何も持っ てなかった人間がたどり着くには何どこ までのものを捨て捨ててえそこに たどり着かないといけないのかっていう ところも1つのテーマになっていてそれが ですねリサイル監督が今までずっと描 き続けてきたこの境界線この地というえ 自分の地というえこえ絶対に超えることが できない絶対的なこの壁をえ超越するって いう終わり方なんですよね最後ねだから今 までずっと超えられないものとして存在し てきた壁を描いてきた監督がこの国報の ラストのラストの最後の詐欺娘の10え 10分くらい10分未満のシーンでえ最後 にその血を超えるっていう結果を持って くるっていうのは すごかったですねもう何からなりまでね 好きがない 完璧なえ作品え完璧なえリサイル監督の ですね歌舞伎をですねこう見せられたと いうねすげえ映画だったなと思いますはい はい以上がですねえ僕のですねま国報の 感想ですね良かったですねはい [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手]

こちらの動画は6/15放送分の切り抜きです。全編はこちら → https://youtube.com/live/yoSn6BNsgdI

< 放送内容 >
先日楽しみにしていた李相日監督の新作「国宝」を観に行きましたが、さしぶりに食らいました。
この映画の衝撃は「PERFECT DAYS」にも匹敵すると言えますし、
私の生涯ベスト映画でもある「アマデウス」にも匹敵すると思います。
そんな神映画「国宝」を送り出してくれた李相日 監督とは何者なのか?
吉沢亮 ✕ 横浜流星をはじめとする「国宝」の魅力解説はもちろん、
過去の作品も振り返りながら李相日監督の魅力に迫っていきます。

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#国宝 #吉沢亮 #横浜流星