「昭和の歌姫100人を歌う」No.076 尾崎亜美 / マイ・ピュア・レディ / オリビアを聴きながら / 流れ星が好き / 蒼夜曲(セレナーデ) / cover:伸[nobu] With 仲間達

皆様、こんばんは。「昭和の歌姫100人を歌う」No.076です。今回は、「尾崎亜美」さんです。今回は、彼女の楽曲の中から、個人的に好きな4曲を選ばせて頂きました。その中でも、4曲目に入れた「蒼夜曲(セレナーデ)」が一番好きです。尾崎亜美さんは、1957年(昭和32年)3月19日生れの、現在68歳です。夫は元サディスティック・ミカ・バンドのベーシストでミュージシャンの小原礼さんです。尾崎亜美さんは、一般では、小林麻美が出演した資生堂 ″スプレンス クリスタルデュウ″ のキャンペーン・ソング「マイ・ピュア・レディ」が有名で、その他の曲はそんなには知られていないかもしれませんが、
芸能界の中にファンクラブが出来るほど、芸能界では「神様」扱いされているアーチストです^^
多くの方への楽曲提供をされていて、
松田聖子さんの「天使のウィンク」「ボーイの季節」や杏里さんの「オリビアを聴きながら」、髙橋真梨子さんの「あなたの空を翔びたい」、
松本伊代さんの「時に愛は」「真珠のイヤリング」「恋のKNOW-HOW」「流れ星が好き」「シャイネスボーイ」、
観月ありささんの「伝説の少女」「鏡の中のUTOPIA」、南沙織さんの「春の予感 -I’ve been mellow-」岡田有希子さんの「二人だけのセレモニー」などのヒット曲も彼女の作品で、女性アイドルだけでなく男性アイドルなどもこぞって彼女に楽曲提供をお願いしていて、
それで芸能界の中では「神様」と言う扱いになっているようです^^
僕個人的には、今回ラストに入れた「蒼夜曲(セレナーデ)」という歌が大好きです。
ちなみに、母親である尾崎暁美さんは創作袋物作家。主に時代物の西陣織の帯を用いて袋物を制作し、各地で作品展を開いています。
尾崎自身によると真の処女作は(出身校・衣笠中学校の)「衣中音頭」だと言う事です。
1976年、シングル「冥想」で東芝EMIよりデビュー。
芸名の「亜美」 はフランス語で「友人」を意味する「ami(amie)」に由来し、これは高校生の頃から「自分に子供が出来たら子供に付けようと思っていた名前」ということだそうです。
任谷正隆プロデュースでアルバム『SHADY』を発表、ポスト・ユーミンの最右翼と呼ばれました。
同年発表されたユーミン本人のアルバム『14番目の月』にコーラスとして参加していて、
ユーミンとはデビュー時から現在まで40年以上の交流があり、実の妹のように可愛がられています。
1977年、3rdシングル「マイ・ピュア・レディ」が資生堂のCMに採用されヒット、一躍注目を浴びます。
1985年、アルバム『10番目のミュー』で第27回日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞。
また、「パピ」という名前で日清焼きそばU.F.O.のCM曲「Wuper Dancing」を発表しています。
更に、2007年、プロ並みの料理の腕前を生かし、料理本「尾崎亜美のうちごはん」を講談社より出版。
懐かしいディスコグラフティーと共にお聴き頂ければ幸いです

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現在、僕や歌のパートナーの新二郎さんの大切な歌仲間であり大先輩でもある女性が癌と闘っています。
僕達は医師ではないので、彼女に対して出来る事に限りがあります。
そこで新二郎さんと相談して、お百度参りの代わりに、
「昭和の歌姫100人を歌う」と題して僕はPOPSと歌謡曲、新二郎さんは演歌を中心に、
昭和デビューの女性ボーカリストの歌を100人カヴァーし、彼女の完治を願いたいと思います。
癌の治療はとても辛いですが、現在の医療はかなり進歩しています。
どうか一日も早く完治しますように。
昭和の歌姫たちの懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。
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初めて聴いてくださった方へ。
改めまして、はじめまして。伸(nobu)と言います。
私のページに来て下さり、有難う御座います。

僕はもう10年以上前になりますが「喉頭癌(声帯にできる癌)」を患い、声を失いかけました。
その1年前に初めての癌を患い、再発からの転移でした。
定期健診を欠かさなかったお陰で、初期の段階で見つかり、
すぐに処置をして頂き助けて頂きました。
しかし、暫くの間、歌うどころか喋る事すらままならない状況になりました。
当時の私は、喋る事も仕事の一つだったため、
それはとても辛く悲しかったです。
もしかしたら、もう「声」と言うものには頼れないのでは?
そんな思いを持ちました。
声が出せなくたって目だって見える。耳だって聞こえる。
体だって自由に動く。
何だって出来るじゃないか!そんな風に自分に言い聞かせた時もありました。

医師の「ある程度までは声は戻るよ」と言う言葉を信じ
喉を使っても良いと言われてからは、リハビリをして
毎日、家の近所の日の落ちた船着き場に車を止めて
大好きな中島みゆきさんの曲や、徳永英明さんの曲を聴きながら声を出す練習をしました。
思うように声が出なくて悔しくて泣いて車を叩いた日もありました。
誰にも聞かれたく見られたくなかった。
だから車の中は僕のリハビリ室でした。

その甲斐あって、医師も驚くほど回復し、
現在では喋るだけでなく歌う事も出来るまでになりました。
確かに、以前の自分の声ではなくなりましたし
今でも1曲全てを声もかすれずに歌う事は難しい時もあります。
でも、大好きな歌が歌えます。
友人の医師達や支えてくれた周りの人達に心から感謝をしています。
そして無理だと言う僕に、何度ももう一度歌おうと強く勧めてくれた大親友にも!

そして2013年7月にまた、新たに疾患が見つかりました。
とても症例の少ない難病だと告げられ、同年10月には障害者となりました。その為、定期的に入院生活を強いられています。
明日はどうなるか解りません。

「負けたら終わり ではなく あきらめたら終わり」
「笑って生きるも一日、泣いて生きるも一日、どうせなら笑顔で」
この二つは私の座右の銘です。

世の中には、色んな病や悩みなどと闘っている人達が沢山いると思います。どうか諦めないで下さい。

私は大好きな歌を笑顔で歌ってここに載せて行きます。
ここには沢山の歌の上手な方々が掲載されています。
私の歌はその方々には程遠いものです。
でも、歌えるようになりました。
良かったら聴いてみて下さい。
そして何かの切っ掛けにして頂けたら嬉しいです。
ありがとうございました。