(再)山本太郎さんと再会!(改訂版)=12年ぶり。原発事故の映画「朝日のあたる家」以来ー政治家の太郎さん😁
よいスタート 。映画監督の太田です。えっと、いや、 あさ、もう一言、え、え、最近はすっかり 病人のおです。えっとね、あの、いや、 病人なんですけれどもね、やっぱ仕事もし なきゃいけなくて、えっと、本当月に、え 、つかね、週に1回とか、まあ、どうなん だろうな。月に月に45会って言った方が いいのかな。え、こう、あの、仕事させて もらっていて、で、そんな中でそれで ちょっとここしばらくはね、あの、そのお 仕事はね、えっとね、政治家さんの インタビューが多かったんですよ。ま、 政治絡みのあの、あの、ま、番組っていう か、あの、プロジェクトなんで、で、それ でね、なんと、え、あの、え、山本太郎 さんをインタビューするっていう風な、え 、機会がありまして、でね、なんつ言って も僕のどこあるかな、あの、もこの辺に 出るかな。え、朝日の辺りっていう映画で 、え、出演していただいたあの俳優さんで ありで、今は令和新撰組 のボス組長。こんな言い方しないか。代表 か。代表代表であるね。もう今やもうお下 されるの若手政治家さんなわけで。で、 その本太ハロさんにインタビュー、ま、僕 がインタビューするわけじゃないんです けれども、あの、インタビューに行くお 仕事のディレクションを入って、いやいや いやいやいや、なんかこれもやっぱり1つ の運命だなと思って、え、というのはあの もうね、これご覧になってる方みんな知っ てると思いますけど、今言ったように、え 、山本太郎さん 俳優最後の仕事っていうのが僕の、え、 あの家だったんです。原発事故描いた映画 で。で、それから、え、立候して、え、 議員になって、で、その後に令和新撰組を 結成して、え、今やどんどん飛び飛ぶ飛ぶ を遅く落とす勢いでガンガンガンガンあの 伸びていって、今確かね30代男性だった かなにアンケートすると立憲民主党に負け ないぐらい、え、あの、なんていうかな、 あの、指示率があるっていうね、あの、 本当に次の選挙が楽しみだなっていう。 またさらに多分今もかなり増えましたから ね。あのメンバーメンバーっていうのかな 。えっと、儀績数を取りましたから次 もっと行くんだろうと言われてますしね。 で、僕ももうその映画が朝日なれ映画が 終わってからもうずっと応援していって なんかね最初のえ、1番最初に選挙出たの が朝日の朝日がね、え、2013年だった んです。確かね、2013年か14年に 多分13年だったよな。え、太郎さんが 立候補して、で、それの第1世が、え、 新宿であったんですよ。で、それを僕は 応援しようと思って、こうカメラ、カメラ 持って、ビデオカメラ持ってって撮影して 、で、それをYouTubeで配信して 応援しようと思ったんですよ。だから、ま 、僕も原発問題はやっぱ多くの人に考えて もらうきっかけ作るために、え、朝日の 辺たりで作ったし、え、太郎さんはやっぱ それをまず最初は原発にやっぱ興味を持っ てアクションを始めてで、 もうこれではいかんぜよっていうので やっぱり政治家あって、で、政治家あって も政治家自分があっただけじゃやっぱ 変わらないっていうので、え、令和新剣線 組を立ち上げて、で、原発だけじゃなくて 他にもこの国はいろんな問題があるので、 やっやっぱそれを解決していかなきゃいけ ないってことで、え、頑張ってるわけです けれども、だから僕も何か応援したいなっ ていうのね、何もね、あの、差額なね、 寄付もできないし、貧しい映画だから。で 、考えた時に、ま、応援に行ってその凱旋 行ってもったら頑張れっていうことは できるけど、なんかもっとできないかなと 思ったんで、え、ビデオカメラ、ビデオ カメラを持ってって撮影して、で、この ずっとYouTubeそもそもあれだよな 。僕がこのYouTubeを始めたのって た太郎さんの応援から来たのかな?それと も映画の予告編を配信するためやったのか な?あ、ま、えっとね、あ、でも同じ頃だ と思うな。うん。で、え、それから始めて この僕が出てきてこうえっと1人で いっぱい喋ってるっていうのはもう ちょっと後なんですよ。で、もうその令和 新君の以前ですから太郎さんのえ、あれよ 、あの演説を取ってテロップ入れて配信し てたんですよ。だからね、これの僕のこの 青ズ映画者チャンネルって言うんですけど 、ずっとね、もう何年ぐらいやって、3年 か4年やってるんですけど、最初の頃行っ てみると、あの、あの、山本太郎単独ソロ だった頃ソロとかっていうのかな。あの、 だった頃の演説とかも入ってるし、もう 賞金の頃の令和新撰組のね、え、令和祭り とかも撮影したもの入ってて、え、で、 それもね、あの、よく令和公式っていうの も後にできる。あ、だから令和公式できる 前から僕は実はね、配信してるんですけど 、令和新撰組公式の、え、動画で、あの、 そういう、え、なんて言うかな、凱旋とか 、え、スピーチとかを通ったのを配信して ますよね。で、それ以前から僕はね、あの 、あの、太郎さんのは撮影して配信してる んで、かなり初期のこともあって、少し前 にね、そのあれよ、えっと、1番最初の 新宿第1世、もう12年前になるのかな。 うん。っていうのを、あの、少し前に ちょっとさ、再配信したら、なんかみ、皆 さんめっちゃ懐かしいとか、いや、もう令 和以前の山本太郎の演説って初めて見たと かいう風なんでね、結構反あったんです けど、でもその時って本当に今やね、あの 、令和で太郎さんが演説するともう ものすごい駅前に人になりますよね。もう なんか民族大移動みたいな状況になる けれども、もうその頃って本当ね、1番 最初なんていうのはもうもう56人とか しか集まってなくてで、僕が撮影してると 太郎さんと目があってですね、変装してっ たんですよ。やっぱりね、あの、もう すごい気を使う人なんでで、ああ、カドも みたいなことをね、余計な気を散らせたく ないんで、えっと、3、 サングラスかけてで、帽子かぶっ てで、あ、もちろんこんな令和のこんなの 来てないですよ。あの、あの、下っぱじゃ ないですけど、病人なんで。それで、えっ と、取ってたんですよ。で、こ、ここした わかんないでしょ。合わかんないのにね。 なんかあのすぐバレてね。で、あの1番 最初もう1番最初のそのインタビュー時に えつかってで苦出さないまでもああ監督 どうもみたいな感じでとかって言ってくれ てね。いやいやもうなんかそんな演説し なきゃいけないのにと思ってでそれ以降ね あのもうずっともうそういう選挙の旅に 行ってたんですけれどもなもうずっと離れ てでカメラってあの望遠望遠で取れるん ですよ。応援で取いて、それで あの遠くで離れ撮影してで、あ、新たも 応援来ましたとかって挨拶もしないように してで、そのうちね、こうその新宿の時で もその第1戦の時は56人しかいなかった んだけれども、ま、そっから午後から多分 午後の日曜日だったと思うんだけど、そう するとどんどんどんどん人が集まってきて して、で、もうね、それでもう1年2年 あの経っていったらもうすごいあのなんて いうか徴収になってきてあお、僕がかもう 隠れて隠れてやらなくても普通にやっとっ てるだけでもあの人ゴミに紛れて分から ないぐらいになってきたんででもそうして ねもこの12年あのま、選挙ある度たびに 応援に行ってたんですよ。だけれども、ま 、本当に声かけてそんなね、えっと、余計 ななんか僕と話したり挨拶する時間が もったいないから、えっと、なるべくね、 で、それその後に今度は、え、並んで記念 写真大会をするようにもなってきてした時 にやっぱりあの、そう知らない人たちに やっぱりあの太郎さんの演説を聞いて もらって、それであ、山太郎でいいこと 言うなとかって、で、写真撮ってした時に ここうね、皆こう見せますよね。こうやっ てえ、あなたはおやろと写真撮ってきたん だよとかって言ってね。いやいや、なんか 意外にうん、映画で見るよりお、お、2枚 目だったよ。だとだかって言って話題にな るっていう。だからそうなったところで 言う時に、あの、僕がこう話しかけたり、 え、なんかうん、する時間とかもったい ないし、僕はほっといても応援しますし。 で、別に太郎さんにお礼を言ってもらい たいわけでもないんで。てね、やっぱ他の 議員とかね、あの、政治家に比べてね、 もうあの人はあの本当に自分の欲得とかえ のためにやってるわけじゃないですからね 。だって考えたら分かりますけどあの今 議員やってるよりも役所やってた時代の方 が彼もあの収入多かったんですよ。で有名 なりたいっていう風なこともよく言うけど 有名もすに有名でしたからね。もうだって あれにもタイガドラマにも出てましたよね 。んだったかな?新撰組。新撰組じゃ何 だったかな?あ、新撰組だったと思うんだ けどにも出てたし。で、朝ドラ2個こにも 出てた しも国民、 国民レベルの国民レベルのっていうかな、 国民的俳優だったわけな、すでにも。で、 あの、収入もあったしたらそれ全部捨てて 、あの、政治家になって、あの、日本なん とかせねやかんということでやってるんで ね、よく言われるそういう風な、あの、 売名行為とかあの、金儲けなためとか全く 当たってないっていう。だからそれで僕も お仕事してね、あの、あのずっと何度も話 もしましたしね、やっぱ映画の職てやると やっぱ本音とか本質がよく分かるんでその 時に、あ、この人やっぱ真剣だし本気なん だなっていうの分かってたんで、え、今更 僕があのなんかその太郎さんに声かけたり 、あ、頑張ってくださいとか言う必要ない と思う。でも離れってんですよ。で、あの 、初期の頃に確かね、えっと、まだ令和 やる前に、え、太郎さんが応援していてい た、えさんが行ったんですよ。で、僕も それを時ももうそれ見に行ったっていうか 、あの、応援に行ったんですけれども、 なんかね、すっごいぶり上がってたんです けれども、結局その人はあの当選しなかっ たんですよ。で、なんでだろうと思って 考えたけど、僕言ってて分かったんだ けれども、応援に来てる人たちがそのある 、こう有名、あの、ま、芸能人に近いよう な人だったんだけど、その人は人気はあっ たけどそこの凱旋に来るのはその人の ファンとか指示者なんですよ。で、そこで はぶわーっと盛り上がってるように見える んだけれども、結果的にその、そっから 広がっていかないんですよね。だから現場 に行った時はそうや勝てもう勝てないや あの盛り上がってんなと思ったんだけれど もあの意外に表が入んなかったっていうで うーんやばいですよこれはとか思ってた けど太郎さんって結構考えてる人ですから ね。やっぱりそれをやっぱり理解し抜いた んですよね。だからそれ後に例えば太郎 さんがここ例えば新宿駅前で、え、凱旋し ますって言ったら応援している人たちが来 てくれるんだけれどもでもやっぱりそ同じ ように増え増えないんですよ。それじゃだ からそれ以降ね、えっと、告知、告知が もう当日とか前日になって、え、何々駅前 駅とかね、北海道であります、九州であり ますとかいう風な、ま、ゲリラ、ゲリラ、 え、戦法を取り出したんですよ。っていう ことで、例えば駅前で話した時、ま、致名 度ありますからね。お、誰なんか、なんか 演説してるな。お、山本太郎じゃんって、 どんなことってか、ちょっと聞いてみよう かとかって聞いてさ、やっぱ話面白いし、 すごくね、テレビ新聞が言わないことを やっぱ伝えてくれるで、あ、なるほど、 なるほど。うんとか思って、え、理解して もらえるってそう、ちょっと令和寄付 しようかなとか、いや、次やっぱ 例入れようかなとかいうことになって くるっていう。これ見事なやっぱり戦法 っていうか、あの、やり方で、で、だから それをやっぱりね、学んできてるのずっと 僕はもう初出場の時からずっと必ずあの 応援に行ってるんでね、見ていて、ああ、 考えてんなと思ってね。で、一時期ね、 小沢一郎さんところ、え、どこだったかな ?えっと 、民主党じゃなくって自由党、自由党だっ たかな?ま、名前何回かかってますけど。 って言ってやっぱり小沢さんからもすごい 学んでるしで、そのやっぱり信的なその やり方っていうのはやっぱ小沢さんから 学んだ部分が多いだろうっていう。で、 その時に太郎さんをすごく可愛がり色々 教えてくれたのが今、え、沖縄県事の デニーた木さんなんですよ。で、電さん 元々あのそこの、えっと、小沢さんところ の、ま、ナンバー2的なあの存在だったん で、で、それで太郎さんに色々そのあの 政治家のあの色派からを教えてくれた らしいんですよね。だから僕はそのまた 映画、あのこの時沖縄シリーズを撮って ましたからで、その度びにえっと沖縄行っ てあの知事、知事訪問、あの沖縄のね、 基地問題とか、え、沖縄線のが題材だった んで、あの表系訪問して、その時に、え、 デニー知事と話した時に太郎さんの話し たらそしたらそ太郎はね、よく勉強してる よとかって言ってでいうのやっぱりね、デ さんも色々教えてるし、それはすごく学ん でそれをちゃんと今活用してい るっていうでそもそもやっぱ小沢さんの 発想だったり戦略だったりっていう風な こともね学んでいるっていうの聞いてたん でああなるほどなあと思ってねいうのをね もう本当デビューデビューじゃないから ずっと見てたんですけどあのえっと初当選 からずっと見ていてでまなぜかねそういう 元ま僕がま太郎さんの映画に出てもらっ たっていうだけのあのまスタートだったん だけどなんか令和あの候補者の人たちも そういうことであの山本太郎の最後の映画 を取った監督だってことで、あの、僕の ことを、あの、知ってくれてる人たちも 何かいらっしゃって、そしているとね、 今年に入って話が長くなりましたが、今年 に入って、え、今年に入っててか、つい この間、その今やっている仕事で、え、 あの太郎さんをインタビューするっていう 仕事を頼まれた僕がインタビューするじゃ ないですか。インタビューする仕事僕は さっき言った仕切りだけ、え、カメラここ にして照明こういう風に当ててで、あ、 ここのこの位置に座ってもらって、この 椅子机のあれからこっちから取りましょう とかっていう、それディレクションのだっ たんですけどね。それでそれであの山本 太郎さんインタビューっていうのでええと か思ってで、え、この間ね、 国会、ええ、技童、え、国会議員会館かに 行ってきたんですよ。でもここしばらくね 、他の人たちもインタビューしてるんで、 何回も言ってるんですけれどもね、議員 会館って言っていやいやいや、まさかこの この流れで太郎さんと再開すると思わな いって12年ぶりですよね。だから朝日の 当たるの舞台挨拶をした時に、え、東京で 映画館の初日だったかなに、え、来てくれ て、それもうん、来てくれて、そこで一緒 にトークショーやらせてもらったんですよ 。で、その時以来ですよね。あの、そう いう風に面と向かってお話するのは。で、 その他の時とかっていうのはさっき言った ように僕はなるべく邪魔しないようにして 離れて取って黙って帰る忍者のようにあの 光あるところに影があるま忍者のっていう 感じでえってたんですよね。で、1回、1 回だけね、あの、こうやって撮影終わって からそ、太郎さんがそ、あの、え、 いろんな人をこうお話ししたり握手して あったり、え、その頃はまだね、あの、え 、写真、記念、記念写真撮影っていうのは やってなかったからやっててもそんなに 並んでなかったんですよ。で、その後太郎 さんがその、ま、上手の人たちまだ残っ てるからそのぐるぐるぐるぐる回ってたん ですよ。で、僕撮影してたらなんか神さん もそこまで太郎さん来てて、え、やばとか 思ってどうしようかなと思ってで、と思っ てあの、あの、え、あたさんどうも思って 、あの、映画でお世になった太田ですと かっての忘れてるかもしれないなと思って 言ったら、さ、監督このも来てくれてまし たよねって言われて、で、そうなんです。 そ、その時の、その数日前にやった別の 駅前でやったやつも撮影に行ってたんです よ。その時は隠れてね、バレないように 帰ってたのにバレてと思ってね。いや、 よく見てるなとか思ってね。うん。バレて 、でもそれ以外はもう本当にバレないよう になるべく離れてぞとせしてたんで、あの 、近づくことは5mのに近づくことは なかったんですけれども、えっと、去年、 あ、そうそう、去年言った。去年はその 八幡あさんと大石明子さんの両方とも関西 、大阪地区なんで時の、え、撮影に行って でそれを配信するって応援するため大阪 まで行ったんですよ。で、ま、元々僕は あの関西出身だったんでもアンチラ詳しい んで行ったらたまたまね太郎さんが来てい て応援で来ててちょ倒れた時ですが入院 仕掛けた時ですよ。あの、体悪くしてで、 入院せずにその日のうちにまた出て応援説 行ってた時でそれで難波難波で、え、太郎 さん、え、違う最初大一さんの応援で、え 、シアターセにある大阪の僕の映画いつも やってくれる映画館があるんですけどね。 シアラセブっていうそこ層のシアトラセブ の近所で、え、あの、おいさんがトークと いうか、そのスピーチした時に来て応援し ていて、その後太郎さんは今度、え、大阪 の駅前のところに行ってやるっていうので 、で、それも先回りして撮影して、え、し ててだなんだけども本当すごい人であれ でって言ってて、あの、その時も声かけ なかったんですけれども、ま、それで久々 にね、12年ぶりに、え、ま、まともな形 で、ま、で言うと僕はインタビューしない んでね、あのどうもお久しぶりですとかっ て言ってあのあかどうもとかって言って くれてまインタビューしようとしたんです けれどもでそれでその後にもう時間もう すっごい忙しい人なんでね時間15分しか もらえなかったんですよ。であのもうそれ なくてもこう次7月7月に衆議院戦あり ますよね。で、それ の参議院戦、あ、もう次のその準備も次 こそ、あの、あの、 もっと合格、合格っていうのを、あの 、ざ籍数を増やすぜっていう感じで、もう すごいかけていて、今もそういう凱旋活動 とか日本飛び回ってるんですよ。か時間 ないんでね。もう10しか取れません けどっていうことだったんで。で、その だけもらってで、なんかゆっくりとね、 昔話したりこちめながら最近はどうでっか とかっていうそういう全くないんで、もう 入ってきてしたらもうなんです。もう監督 のです。お久しぶりでしたとかって言って で、それでもう今日今回これとこれこの話 だけですからとかって言ってその説明ま、 ディレクターと説明してこちら インタビューのあんたさんです。手お願い しますとかって言ってもう初めしてで15 分経ったらもかりの人が元開けに来てね、 もうとにかく早く次の仕事が待ってる からっていうですしたんだけれどもでその ま、帰りにもうなんかあ、どうも ありがとうございましたっていう感じで 本当ね、昔の懐かしい話をしたりえのは なかったんですけれども あのま、最後にあのたさんまたあのカメラ 持ってえ街当演説応援に行かせてもらい ますとかって太郎さんに監督去年も来て くれてましたよねって言われ てなんで気づくんだよとか思いた。あの、 去年ってことはその去年の週3参参議院戦 の時で、えっと、八ハさんと大石明子さん を僕が応援に行った時にたまたま太郎さん が来ていて、さっき言ったようにソロでも 、え、お1人でも、え、そういうあの凱旋 やったのを取りに行った時にあ、カント来 てるわっていうのをね、気づいたんだろう なと思って、よく見てるなと思ってね。 やっばれてえらって言ってね。うん。で、 またカメラを低下してもらいますとかって 言って、え、もう彼もドって帰ってって、 もうそんな懐かしい話とかするまなかった んですけれども、でも、あの、ちょっと、 あの、ま、記念写真だけ一緒に久しぶ12 年ぶりに記念写真撮ったんですけど、だ その前って言うとも12年前の朝日の 当たり家の時に一緒に舞台挨拶したの、ま 、カメラマンっていうか、あの、その シールの、え、宣伝の人が撮ってくれた 写真以来なんでね、ま、10年ぶりに こんな写真撮ったがね、え、こちらになり ますね。こちらっていうね。いやあ、なん かね、2人ともアため2人ともね、 めっちゃ年取ったなと思ってね。で、僕 なんかま、昔12年前に朝日の辺で撮った 時、監督した時って髪黒かったですからね 。でももっと太ってるし。ま、ただね、こ この写真は、えー、もう舞台挨拶で日本中 飛び回って、え、いた時でもヘロヘロだっ たんですね。こう太ってるっていうよりも 顔がむんでるんですよ。で、それで東京、 え、東京の豚初日じゃなかったんでね、 太郎さん。で、東京はもうね、すごく何 週間も上映して何ヶ月もやってくれてした 時に、え、途中で時間取れたんで来てくれ た。その時のやつなんだよね。でもあの 太郎さんのこの新しい方の写真見てもなん かやっぱりね、顔がやれてね。いや、お 疲れたなって感じもしますよね。だから 両方2人ともあの年取ってて年取ってか やっぱりなんかやれてて大丈夫かなみたい な気はしますけれどもまそんなでね本当 12年ぶりにまあねそれよりもこう久々に こううん昔の仲間と会ってみたいな感じで ま相変わらず頑張ってるしまちょっと健康 心配だなと思ったけどこっちも十分に ボロボロなんでねこっちの方が多分ひどい 状況なんでね。うん。と思いますけれども ね。ま、そんなことがあったんで、 ちょっとこ、あの、このYouTubeで ご紹介してみようかなと思いました。うん 。なので、また次のね、選挙になっても きっとカメラ持って応援に行って、あの、 令和、あの、伝えていこうと思うので、 えっと、是非ぜひ、あの、ちょっとその辺 も、え、期待していただければと思います 。またこんな話もしていきますね。では また。 [音楽]
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予告編 https://youtu.be/szZRg9Ylqvc?si=H3hBF8C9IAY57qf7
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シネファクトリー記事=> https://www.cinema-factory.jp/2023/11/20/37726/..
(太田隆文監督ープロフィール)
映画監督。1961年、和歌山県生まれ。大阪の高校を卒業後。東京で助監督を経験。その後、1985年からアメリカ留学。1987年、南カルフォルニア大学・映画科に合格。
1990年帰国。アルバイトをしながら、シナリオを書く日々。1995年、「アルティメット・クライシス」で脚本家デビュー。その後、数本のVシネマのシナリオを担当。2005年に「ストロベリーフォールズ」で映画監督デビュー。
青春映画「青い青い空」「向日葵の丘−1983年・夏」「明日にかける橋ー1989年の想い出」を脚本、監督。2013年に山本太郎が出演した映画「朝日のあたる家」を制作、監督。
低予算映画なのに毎回、有名俳優が出演。常盤貴子、藤田朋子、田中美里、津川雅彦、長門裕之、宝田明。太田作品後にブレイクしたのは、芳根京子、谷村美月。
その後。社会派ドキュメンタリーを監督。
「ドキュメンタリー沖縄戦」「乙女たちの沖縄戦」「沖縄狂想曲」を監督。2013年に脳梗塞でダウン。1年に渡る闘病生活。両目ともに半分を失明。脳の1部が死に。心臓機能が20%まで下がる。現在は静養中。
ブログ
https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp
