【トークノーカット】妻夫木聡、広瀬すず、窪田正孝、大友啓史が登壇 映画『宝島』 完成報告会見
宝島キャスト監督の皆さんです。改めて 大きなアクションお願いします [拍手] 。よろしくお願いします 。さあ、まずはお1人ずつご挨拶をお願い します。まず初めにご紹介するのは姿を 消した英雄オの親友で彼の行方を負うため に刑事になった主人公ググスク役つさんお 願いします 。皆さんこんにちは。つです。今日はお 集まりいただき本当にありがとうござい ます。え、この映画はご存知の方も いらっしゃると思いますけど、2回ほど、 え、流れまして、ようやく3度目の正直と いうことでこうやって完成することができ ました。本当に今日という日が、ま、完成 報告会見ということで、え、今日を迎える ことが本当に考え深いです。え、今日は 最後までお付き合いください。よろしくお 願いします。ありがとうございます。 続きまして、の恋人である教師親になって彼の帰りを待つ役瀬すずさんお願いします。 はい。え、ありがとうございます。山子を演させていただきました広瀬です。本日は足を運んでいただき本当にありがとうございます。とっても短い時間ですがよろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。 続きましての弟でありヤザになって兄の背中を覆う霊役久保田正さんお願いします。 え、皆様こんにちは。え、霊をやらせて いただきました穂高隆です。えっと、今袖 から今日予告を今先ほど一緒に見させて もらったんですけど、懐かしい気持ちと 本当になんかどこかこうたるような気持ち が一緒に本当に不思議な気持ちで今ここに 立たせてもらってます。えー、宝島の話を みんなで楽しくお話して皆さんに伝えられ たらなと思っています。今日はよろしくお 願いします。よろしくお願いします。最後 に大友士監督お願いします。はい。 です。あの、今日はありがとうございます。 [拍手] あの、妻君が申し上げた通りですね、本当の企画は成立するまでにいろんなことがありました。右曲接があり、う、本当諦めこうかなとかいろんなことを思いながらなんとかたどり着きました。もう俳優たちが本当に、え、この企画をちゃんと待ってくれて、え、素晴らしい 演技をしてくれ。そして今日皆さんにこうやってね、披みできることを本当に心強くして嬉しく思います。 今日1日よろしくお願いします。 お願いします。まずはついに完成した本作皆さんもご覧になったと伺っておりますが、その感想まえること言えないことはあると思いますがつさん はい。 さっきねなんか監督も右曲接あったね、 ついにこの日を迎えた完成した本作ご覧になっていかがでした。 ま、まだ客観的に見れてない部分はあると は思うんですけど、まずはあのこの作品が 持つうん、圧倒的な生命力ですね。それを 本当に感じましたね。シンプルに見終わっ た後にあ、生きてかなきゃいけないなって 心の底から思いました。なんていうか死と いうものに対してこう僕自身は元々なん だろうな、もう死っていうものは終わりを 意味するものだとどこか思ってたけど なんていうかうん死があるこそ性があると いうなんか死がこうなんか生き生生きる 生きとし物の家庭になるものなのかなと どんどんこう受け継がれていく何かって いうのは僕たちは思っていてそれに支え られてもしかしたら僕たちは生きてるん じゃない だからこそ精一杯生きていかなくちゃいけないってなんかそういう思いがすごく湧き上がりましたね。はい。ありがとうございます。広瀬さんはいかがでした? そうですね。あのとってもいい意味ですっごい疲れました。 あの、監督にはもうすぐドっといろんなものを暗いすぎて、あの、 疲れましたってすぐ言ってしまったんですけど、本当に血が騒ぐようなシーンがとても多くて、あの、自分がなかった、知らなかったシーンもたくさんあったので、これは大変だっただろうなって、あの、いろんな撮影の日々 濃厚だったなと思い返すなんか瞬間もたくさんありましたね。 うん。うん。 もう今の聞くだけでも早くったりしたいっていうなんか早く食らってみたいともうすい疲れでいい疲れが [笑い] ええ。はい。え、久さんいかがでした? 見てですよね。そうですね。でも本当につ さんもおっしゃりましたけど、多分本当 こうみんな全力で生きていて多分今の死 っていう価値観とは多分比べ物にならない とこのこの死という概念が多分彼らにとっ ては全然今と違う感覚なのかなって思って いてもしかしたら次の瞬間命を奪われるか もしれなかったりでもその死が多分 隣合わせにあるからこそ全力で今を生きて いるその青年たち、若き命本当に沖縄の うちのみんなが全力で生きて るっていうことのこの思いというものが すごいこうやっぱ客観的に時間を超えてみ た時にその生きてる魂みたいなものを すごい感じたのが大きかったですね。 もう感想から皆さんの熱い思いがもう溢れ出して監督 いかがでした?今のキャストの皆さんの見終わった感想を聞いて。 あの、ま、原作を手に取って読んだ時のこう、もう一気に読んで、あの、なんて言うのな、やっぱりみ、みんなが今言ったようにその生きるエネルギーっていうのを通に感じたんですよね。 あの時の分の情絶さも含め沖縄に宿る魂が そのまま現代の我々に直接こう全ての言葉 、全てのテレン手札を通してね、我々に軸 を超えて語りかけてるみたいなパワーを 原作から感じたんですね。で、やっぱり それをどうやって映像に生かしていくか、 あの、いろんな、あの、人生いろんなこと がある中で、あの、僕も含めてその日々 それでも人生は続いていくし、生きていか なきゃいけないし、生きていくんだという ことをね、その決意を1人1人がこう日々 自覚しながらで、その生きていくという 決意を誰かと連帯し、共有しながらで、 それが大きなパワーになり、1つの歴史に なり、それが我我々の今にも繋がっている ということ。それをね、なんとかして作品 でそのこれが映画というメディアが本当に ふしいのかどうか分からないけれども映画 を通して皆さんに少しでもこう彼らの人生 をですね、追体体験してもらいたい。 それはなんか笑いにとってすごい力を生きる力はエネルギーを与えてくれるんじゃないかというそこの確信をなんか役者たちがそれをね感じて演じてくれたんだなっていうことが今伝わってきて うんすごく改めて心強く思いましたはい 今の監督の話からもなんか色々断片を拾い集めていくとやっぱり今取るべき見るべき物語だという監督そういう思いあるんですよね もうずっと今だと思ってね2年3 年経って大変だったそうそう はいはい え今やっぱり見てほしい映 今やんなきゃいけない。今逃しちゃうともうタイミングがなくなっちゃうかもしんないって思って。 ああ、 もう早く見てほしい。た9 月来てほしい。え、そんな監督の思いも詰まった映画にそのキャスティングされてオファーが届いた時皆さんどう思われてそしてね原作ま代本に脚本に触れてどんなとこに魅力をつ様感じたんですか? そうですね。ま、僕自身、あの、この、え 、小座という、あの、沖縄の小座という町 が舞台になっているんですけれども、ナダ 早そというあの映画を以前やらせて いただいた時に、その映画でも、え、小座 という町が舞台ですごく僕自身縁があるお 話だなっていうのは本当に最初に頂いた時 は思ったんですよね。で、恥ずかしながら この原作自体もまだ読んだことがなくて 読ませていただいて読ませてもらってから ああ、なんていうかもしかしたら自分は どこか導かれたかもしれないとうん。多分 役者さんの中で小座で撮影したことある方 いっぱいいると思うけどうん。僕は奈良 早々で出会った小座と小座の人たちと未だ にずっと仲良くしてて、ま、なんか1番 知る自分だからこそこうこの映画をに導か れたんじゃないかなっていうなんかどこか 運命的なものを感じてやっぱり今なお続く 問題っていうのは沖縄にはいっぱいあるし 、あのそういう現地の方々の言葉になら ない声っていうのを芝居に変えて表現して いかなきゃいけないんじゃないかなって いう、そういう使命 感みたいなものは最初感じましたね。 ああ。え、じゃその役をつさんがやるって、その沖縄の友達だったり仲間が知ったら、お、ありました。なんか ああ、なんていうか冷静になんなんだろうな。うん。本当に静かにもうただただ応援してくだくれたっていうことですかね。支えてくれたっていう表現でもあってるかな。 [音楽] ま、その1 番最初に沖縄に役作りに行った時に親友が 2人いるんですけど、2 [音楽] 人に頼って行ったんですけど我をこう見に行きたいと言って連れて行かれたところを 2 つ我慢行ったんですけどちびち入りマというとことっていうところは 1 つは、ま、実際に亡くなれた方がいいっぱいところで、 1 つはたまたま英語が分かる方があの亡くならずに住んだ方々が我でその我を右終わった後にあのもう 1人の親友とバトンタ してどこに連れてかれるかも全然打ち合わせしてなかったんですけど美術館というとこに行ってあの丸き妻という方々の子が書いた沖縄線の絵っていうのがあるんですけど はい。 その絵をこう見に行ったんですよね。 そしてそこにしとちびちの絵もあって なんかどこかこう僕が来るから2人で相談 してこういう風な段にしようやってたわけ じゃないのにこうなんだろうなやつたって 通字やってたっていうのがすごく嬉しかっ たし僕はその絵を見てやっぱりなんだろう ないろんな勉強してくるけどもっと勉強で 知ることよりも大切ななんかうんその声 がどんどん入ってくるっていうか うん。 絵を見てすごく僕はもう涙してしまって動けなくなっちゃってなんか 1 番うん。感じなきゃいけないものを最初に 2人がくれたから それがすごく僕の支えとなって最後までありましたね。 うん。導かれるようにって話。 はい。そうですね。はい。 そ、広瀬さん、オファーを受けた時、そして本作に触れてどういうとこに魅力を感じられましたか? そうですね。私自身も沖縄の作品をに 携わらせていただいたことがあって、当時 自分がその時お芝居役を通して体験した こととなんかこう、ま、今つまさんも おっしゃったように沖縄にある問題みたい なことを体験するって、表現するって なんかすごく覚悟のことであり、すごく 難しいことだろうなと思いながらも原作 読ませていただいた時になんかこの登場 人物が男性がとても多くてその中にこう 本当に太陽のような存在でこう食らいつい て生き抜いてやるぞっていう山という女性 がすごく眩しくて なんかこの角度をなんか自分ができたら いいなってとても素直 に思ったのがあのおファいた時に思ったん ですけどなんかうん。そう、やっぱ難しい なって。すごく苦しかったし、すごく濃厚 な毎日を過ごしていく中でもどんどん いろんな感情にまた出会え てなんか楽しいと言ったらあれですけどお 芝居というものに対してああなんか なかなか出会えなかったこの エネルギッシュな感覚があのこの現場で 体験できたなって思うシーンもあったりと かしてうん。 面白く楽しく苦しみながらちゃんともがきながらも演じさせてもらえたことはとてもあの嬉しい経験だったなと今思います。 さ、久保田さんはオファーを受けた時の気持ち、そして本作から感じる魅力的な部分どこです? そうですね。うん。ま、本当にこう霊と いう役を演じさせてもらっていて、ま、 やっぱ兄という偉大な音という兄を持った なんかこう偉大なんだけどいつも自分の目 の前にいてなんかどこか多分彼はその コンプレックスを抱えてい て うーんレイという名前で呼んでもらうより も多分の弟っていう風な感覚の方が多分 みんなの共通認識は強かったりとかなん そういうことをすごい事連マとして感じて いたし、偉大なる兄の尊敬もあったしでも その偉大ゆえにあの人生を狂わされたとも この3人は思うしでまやっぱこう時代も 戦争の当時のことを題在にしたこの作品を 演じるのって多分役者にとっての価値って いうのは多分今置かれてるさっきも話した こう死という概念っていうものの価値観 っていうものが多全然違う価値が違うと いうことをそもそも認識しなければいけ ないというか。だからなんかすごく、まあ 、今の予告の中でも結構暴力シーンとか あったんですけど、暴力がしたくてして いるのではなくて、それしか選択肢が なかっただけで、でもやっぱその時代を 生きてるっていうのはそういうことだから 、なんか今はすごく便利だし、誰とでも いつでも会話ができるし、でもその便利 ゆえに失って気づくなくなってるものも 確実にあると思うから、なんかそういう ものをこの役者という仕事を通として、 あの、大友監督の元でこの宝島という作品 を演じた時になんかそこの価値観という ものを改めてなんだろうな。うん。原点に 帰るじゃないけど人間ってここまでこう 行きざをあら々しくうん。表現できると いうか生きていけるんだなっていうものが 多分すごい画面から出てるのかなっていう のはずっと見ていて自分は感じました。 なるほど。 つまさん、あの、皆さんのお話からやっぱり、ま、当時もそして今にも続いてるかもしれないそのいわゆる思い現実というもの向き合う、ま、そういった今扱いながらもただあの奪ったものを困ってる人に配ったりとかあとやっぱり多分見てるから方からしたらその仲間のその関係性というのが非常にこう多分痛な部分もあったりとかエンターテイメント的な要素もすごいですよね。 いやあ、本当にすごいと思いますってか、なんかすごい一言みたいになんかすいません。 自分があの演じてるんですけれども でも初めて見た時あ友監督ここまでのことやってたんだっていうのが あ やってる時はいまいち気づいてなかったことがこう画面を見てうわこんなことまでやってたんだっていうね知らされるっていうのもあとスちゃんもさっき言ってたけど自分の知らないところでもあこんなシーンあったっけとかこんなこともやってんだっていうようなねやっぱそういうちゃんとしっかりエンターテイメントとしてもこうお客さん しっかりとこう友監督の頭の中で描けてたっていうのはやっぱもうすごいなと思いましたね。 監督に伺いますけども、今ね、まさか そんなところまでやっていたとはという、 それには思いも含めたいろんな準備もあっ たと思いますが、本作にあたって、え、ま 、こんな、ま、手掛けるたびに準備をした とか、まね、現場でこんな苦労したとか 聞ける範囲で結構ですんでありますか? なんかこれあの時代の沖縄を多分描け なかった理由っていうのはアメリカ地下と いうねの沖縄をどう表現するかっていう ことが様々な家でめちゃめちゃ大変。 メインは美術ですよ。そして基地の存在、 あの基地というものすごく広い土地をどう 表現するのかと同時に、ま、当然これあの 20年ぐらい続いたわけでアメリカ統地下 の沖縄というのが全てのルールがある意味 琉球の文化、ローカル文化とアメリカの僕 らが知っているね、アメリカ文化との告な んですよね。だアメリカ文化をしっかり 描くということ。 有給文化を描くのはもちろんだけど、それと退治するアメリカの文化、アメリカの文化ってのはやっぱ車音楽ですよね。あの、なんかそれで言うとまず車がねないんだよ。あ、 日本にこのいわゆる当時アメリカの、え、風、そう、沖縄で走ってたこのビンテージカーが あ、じゃ例えば車が好きな方から見てもおっていう風な車が走ってたり。 そう。あの、ビンテージも全部右ハンドルにもう例えば改造してた。 なるほど。 あの、アメリカのジープとかあの軍の車もそうです。やっぱりあの時代を描く映画、この時代とぶつかった青春像を描く映画だから嘘ついちゃダメなとこたくさんある。で言うと車も本物を用意しなきゃいけない。 おお。 そして小座暴道という最後のクライマックスでは着先映像見て車ひっくり返して燃やしちゃうんだよね。わゆるビンテージと言われる貴重な車を。 いや、あの、あまりにすごくて今ちょっと笑いそうになってます。 そんなものを燃やして いや、だからそれは見ていただきたいんです。つまりそういうことの 1つ1つに どういう風にこう覚悟を決めてくか。 いや、それ相当の覚悟がないとできないですよね。それは [音楽] はい。だから状況資料とか調べたりとか、いろんなコンディションを調べたりとか、当時の文化とか音楽とか調べるのは簡単なんですけど、調べるのは実現するのが 1番難しい時代、1 番難しい舞台なんじゃないかと思います。 でもそれ嘘ついちゃったらこの映画は役者をそこに置けない舞台になっちゃう。 だからなるべくそこをちゃんとした舞台設定を作るっていうことが 1 番大変だったかなと思いますね。はい。え、その小沢ボードについては後ほどまたもうちょっと伺うと思うんですが、あの広瀬さんにここで伺います。先ほど、ま、面白くやっぱ役者ね、俳優としてもその楽しいやりがいなる舞台だったけども苦しかったなんて話もありました。 あの、感情を爆発させるシーンなどもあったかと伺っているんですが、どういう思いでその現場に望んで撮影現場いかがだったんでしょうか?いや、なんかこれは頭で考えてもできることじゃないというか、だからこそ真を通したり、いろんなこう沖縄に滞在している時間でいろんなものに触れたり見たりしてでもなん なんかドキドキずっとしてました。でもなんか割と監督はテイクを重ねていろんな角度からたくさん取るイメージだったんですけど はい。じゃないじゃない。 いやも言いたいことは言った方がいいと思いた方がいいです。大丈夫大丈夫大丈夫。 感情が結構山子はそのおんちゃんへの感情をとても言葉にしたり、体でこうぶわって出すシーンが本当にずっと続いて多くって うん。 その時は割となんかこう何日か分けて取る撮影の時も段りを見たら監督がこれ一発で今から全部取ろうみたいな感じで なんかすごいテンション上がってくださってて本当に 1発ほぼ1発であそうですか1 連でできましたよね。 [音楽] ちょっと僕の歴史あまりないことなんて言わせてもらっていい? 5 日が用意されてたあのシーンを2 日で取っちゃったから。え、2 人の久保田君と。 あ、そういうシンがある。シーンは 結構激しいなんか感情がうわってぶつかっ。 これ最高ですよ。 もう2日だけでオッケーってなって、 もう最高ですから。これ久保田さんにも伺っていいですか?ま、詳しく言えないでしょうけど、その感情を爆発させるシーンのその撮影とかって。 そうですね。 本当に、ま、みんなそれぞれやっぱりさっきも言ったけどおんちゃんという存在にそれにをそれぞれの道からこう探してあの生きていくからみんなが多分正義なんですよ。 うん。 その正義同士がぶつかっちゃうからもうどうにももう衝突するしかないんですよね。お互いに間違って話してると思ってないからで、そこにプラス感情も乗るしだからね。 どう取るのかなって思ってたんですけど、一瞬で終わったよ。 2回くらいで終わっちゃったね。 でもなんかやりきったみたいな感じちゃんとあって ね、本当にはい。 で、監督もこれ最高だってなって 監督は基本的にあのお1 人ですっごいテンションを お1人で あの監督の監督のブースと現場の温動さちょっと違う時がよくあるんです。 現場は結構こうこれからどうやって取ってこうとかもうちょっとこう最初からもう 1 回振り返るんだったらもうちょっとまた美術の準備とか色々直さなきゃいけないものとかあるんだけど監督はやっぱりもう自分の世界に入っていらっしゃるのでちょっとこうあ、まだまだまだまだまだっていう感じのことは結構ありました。 あ ね監督いやもうテンション上がる自信多かった。すごい。 それぐらい良かったね。 いつにも待ちてかった。あ、良かった。 え、そしてつさん先ほどからもう監督の話もありましたが本当にリアルな当時の沖縄というのを再現して特にま、皆様にもちょっと最後の方ね、ちらっとご覧いただきました。クライマックスの小座暴道のシーンでは はい。 エキストラの方の数がまあ2000人 そんなに来たんですか? いや、僕知らなかったです。そんなに来たんですか?ま、でものべ 2000人ぐらいはいたっていう1 日じゃないですよね。さすがに わからないですよ。そ いや、いや、税ですよね。 そうですよね。 いや、確認しとか監督呼びそうですもん。それですよ。いや、もう初日、ま、どこまで行っていこうとかわからないです。小座ボードのシーンをどう取るかっていうのは結構ね、皆さん議論されてて、千葉の方に大きいロケットを組んでやるっていうのが最終的に出た結論だったんですけど、 なん結構街丸ごと作ったみたいな話 みたいなことをやろうとしたんですけどね。だけどギリギリになってちょうど沖縄の撮影をやってるぐらいの時かな。 やはりなかなか難しいと。 ま、天候にも左右されるし、エキストラさんも夜の撮影になっちゃうんで、エキストラさんをそこにまずそもそもずっと何日も集めるのは難しいし、夜中まで撮影したらみんなね、疲れちゃうだろうし、 なかなかいろんなことを考えたら難しいっていうことになって、ま、スタジオ撮影しようってなったんですよ。でも初日スタジオ撮影で見に行った時にああ、なるほど。 こういうことをやろうとしてるんだっていうのはなんかこうすごく見えたんですよね。スタジオ撮影になったからこそ好きなことやるぜっていうそのなんか逆の発トの転換って言いますか?大友さんの 監拓の発展がすごい見えて もう俺はやるぜってもうね止まらなくなっちゃってうわ。 で次の日にはちょっともうエキストラ 200人増やしてくれみたいな。え、 うわあって200人から増えるんだ。 ももすっごいっぱいいたんですよ。初一でもね。 ええ、ええ、 だけどんどん増えてって、でもやっぱりそのなんていうかね、なんだろう小座ボードって僕その沖縄に役づりに行った時にいろんな方に取材させてもらったんですけど小座暴道自体を暴道だって捉えてる、捉えてない方も結構いらっしゃって ま、実際に経験された方はそのなんだろうあ、ただ憎しみやりっていうことだけの思いでこういうことが起こったわけじゃないっておっしゃってるかもやっ は当然いたんですよね。で、ま、当時の方々がどうや、どういう風な感情でその場にいたのか、どういう意味があったのかっていうのはすごく僕の中でも想像しきれない部分があったんですよ。うん。 だけど実際この小沢暴道のシーンを取ってる時にこう監督を含め演出部がみんなにエキストラさんにみんなにこう演出してるんですよ。あの大きな出身の方々が戦闘に立ってこういう思いであれしてるんだって言ってみんなこう先動してやられてたんですよね。 なんかいろんな憎しみや悲しみやこううん 、喜びも含めていろんな感情がもう 入り混ざって混沌とした中でその感情が ドア1つの塊になって流れてくって様を間 のにして結構しびれましたね。あ、これが 大友さんがやりたかったことなんだって いうのはすごく思いましたね。 もう見終わった後も1 番それは感じましたけど いやすごいなと思いましたね。切っても切り離せないシーンにはなりましたよね。 ま、監督からもそのシーンちょっとね、言える範囲でも [音楽] あの小座暴道って本当小座騒動とも言われてる、あの人によって捉え方が全然違うんです。それで沖縄のあの平和なねの穏やかな方々が戦後ボ暴道を起こしたのってあれ 1 回だけなんですよね。しかもあの夜深夜の 12 時に始まって朝7時に自然解散してる。 なるほどですよ。やっぱりこうお酒の勢い もあったり、色々外から来てる人の煽りも あったりしてやっぱあの一晩に皆さんがね 、いろんな感情をぶつけてんの。あの言葉 にならない自分たちの感情とか思いとかを 。で、そこの感情っていうのはあの一般的 に考えるとああいうのって怒りだけと捉い がちなんだけどいろんな人がいたんだよね 。やっぱこう調べてくとあの本当に勝ち足 を踊ってるだけのグループとかもうみんな がそこでこうカオスになっていってる。 やっぱそのカオスの状況こそやっぱり アメリカ統地下のに置かれた沖縄、これ 沖縄という部隊じゃなくてもみんなそう なったと思います。あの時代そこに不遍性 がある。必ずしも怒りだけじゃなくて いろんな感情のごった谷がここでね、 うわっとこううねりのようにこうどこに 自分たちでも向かっていくかわかんない ような感情のうりっていうのを作るって いうことですよね。だからどうやって現場 を逆に言うと混乱させるかということが僕 にとっては演出的なテーマ。僕も理解でき ないとこまでどうカオスに持ち込むかって いうそこの中でグスクの芝居、山子の芝居 、霊の芝居、恩の芝居がね、どういう風に 際立ってくるのかということ。リアルって のはそういうもんですよね。演出かなんか がコントロールしようと思っちゃいけない ことも世の中にはいっぱいあるんで、その やっぱこの歴史とか沖縄を取り上げ るってことはやっぱりしたかぶりして取っ ちゃいけない。 だからどこの方向に行くかわかんないけど、なんかその流れをどうこう作ってね、そこに役者たちを放り込んでどういう感情が出てくるかを僕はずっとこう黙って取りたかったっていう気分が本当に正直なところですね。はい。 え、心してスクリーンで見たいと思います。はい。え、それではここで、ま、本日残念ながらお休みになってしまいましたが先ほどから名前が何度も出ていますさんからメッセージが届いております。 皆さん、え、キャストの皆さんように ちょっとモニターを前にね、出しており ます。はい。よろしいですか?はい。さあ 、それでは皆さんはスクリーンをキャスト の皆さん、え、監督の皆さんはモニターを ご覧ください。どうぞ 。会場へお越の皆さん、こんにちは。長山 です。え、今日はあの出席できずに申し訳 ありません。え、今回平田宝島、え、 すごく 長い時間がかかりましたがやっと、え、 完成することとなりまして、え、僕は あの先であのリーダーであるポンという役 をしたんですけれども、ま、始まる前から 、ま、そのこのプレッシャー、この役を 演じるということの重圧にどう向かってっ ていいのかということの葛藤だったんです けれども、もうどっかでもう大友監督に それとキャストの共演したつ君、久田君、 鈴ずちゃんにもう全部委ねてもいいかなと いうようなつもりで、え、身を投げるよう な気持ちで、え、今回は役に挑めました。 え、そして完成した作品 を拝見した時に何度 のう累線の弱い私は、え、ボロボロに、え 、死者で周りの方々にバレないように波が 吹きながら見ました。これ本当にたくさん の方に見ていただきたいなという作品に 仕上がっていました。なんで本当に、え、 今から、ま、監督とつさんは、えっと全国 に回られてくるなんで、ま、僕も タイミングがあったら是非一緒に行けたら なと思っております。 え、そ服ちゃまたどこかね。お ちゃんだ。おんちゃん。 おんちゃんで引っ越したんすかね。 なんかね、海外に引っ越しちゃった。 最後だけ何かね、またつかお会いできたみたいなこと。 え、 おんちゃんリアルまだ役づりが続いてんですか ね。ですかね。ちょ、皆さん改めてこの作品における長山さんね、どういう存在でした?つまさん。 いや、もう、ま、長山A太君とはもう本当 に長い付き合いでお互い20歳ぐらいの時 からもう何回共演したんだろうっていう ぐらいあのうんの間柄なんですけど、もう 彼がいるっていうだけで僕にとっては すごく心強いし、今回、ま、彼がおん ちゃんを演じてくれるってなった時にもう それだけでどこか僕の中ではっきりとこう おんちゃんっていうものを追いかけること ができるだろうなっていう自信があったん ですよね。ま、実際こう、あの、A田君が 本当魅力的なおんちゃんを演じてくれた おかげで僕はもう本当おんちゃんの影を 追ずれを希望にしてにして生きる意味とし て僕がずっとこのグスクという役を演じて きたんで本当に感謝していますし、もう彼 に助けられましたね。うん。で、ひさんは いかがでした。はい。そうですね。本当に 作品を拝見してもちろん現場で目で見た時 も感じていましたけど、どう見ても ヒーローでとってもその姿がかっかっこ よくやっぱりついていきたくなるような そんな姿をたくさん見させていただいてエ さん自身もなんかこの作品に自分がどう 存在していくかみたいなことをずっと考え られてたのがそれがグランクイン前から ずっとおっしゃってたのなんかそれが すごく印象的でもやっぱり感性見ていや これはAさんしかいないなって追いかけて 思い続けてよかったなって思うような おんちゃんが存在していてはいすごく なんかご一緒できて嬉しかったなと思い ます。久田さんはまお兄ちゃん役でした けどもAさんね。そうですね。でも本当に あの多分Aさんじゃなきゃできなかった おんちゃん偉大なるおんちゃんだと思うし ま沖縄で本当誰よりもこう大きい背中で誰 よりも自由に誰よりも風のように駆け抜け てるあの姿っていうのは今でもずっと残っ てますね。はい。ありがとうございます。 さあ、そして先ほど長山さんがメッセージ でさらっと言ってましたけども、あの重要 な情報がございました。つま吹さんと監督 が全国を回れるという話はされてましたが 、ここで発表がございます。なんと本作を 全国の皆さんにお届けしたいということで 、なんとつ久さんが 宝島宣伝アンバサダーに就任する決定し ました。ありがとうございます。あ、 名刺ができてる。ありがとうございます。 名刺も作らせていただきました。宣伝かね 。ありがとうございます。これをなるべく たくさんの方どんどんお配りして届けねえ え意気込みをお願いします。 はい。えっと、何回台本読んでも宣伝なアンバサダーアンバサです。バサ 名前が覚えられなくてすいません。ええ、 とにかくあの、もうあの映画をね、撮ってる時からこの映画は是非しっかりと皆さんの前に至ってもう実際生でこうなんだろうな、会いに行ってしっかりと宣伝したいなと思ってうん。なんか宣伝って言い方もなんかちょっとなんだろうなぐらい僕にとってはもう映画をちょっと超えてる存在になっているんですよね。 [音楽] もうなんか間の当たりにしてもらいたい、 体験してもらいたい、感じてもらいたいっ てどこか思ってるところがあります。あの 、僕がウォーターボイズという映画をやっ た時に、あの、その当時まだ日本映画って あんまりヒットがしていなくて、もう いろんなとこ監督と一緒に回ったんですよ ね。その土地でこう映画をみんな好きに なってくれて男の子がシンクロするみたい な感じでこうなんとなくみんな見に来て くれていや是非応援しますって言った 年土地でその映画がその人のものになっ てくのを僕はすごく体験していてあの時の 感じたことをまたこの宝島という映画でも できないかなと思ってまさしくこの映画は そうあるべき姿なんじゃないかなって。 この映画は、ま、沖縄部隊にしています けど、日本の物語す、そして皆さんの物語 だと僕は思っています。人生のバトンの 物語でもあって、どんどん受け継がれて いきたもののっていうのを僕たちは未来に バトン渡さないといけないと思ってるん です。だから僕は、ま、1 つそのアンバサとして今回就任しますけど、皆さんに次回にこの言葉を届けていって、そして映画を見てもらいたいと少し長めではありますけど、あの、 就人の挨拶がね、 必ずは 見る前にトイレに行ってくれということだけ伝えて、 ああ、それアンバサとね、 じゃないとちょっと途中で抜けられるとね、なかなか厳しいとこがあるんで、あの、見逃してはもらいたくないの あのに行こうと思ってます。今のところあの 6月にね監督と鈴ちゃんと一緒に まずねはい。沖縄6月7日ね沖縄プレミア そうですね6月7日沖縄プレミア あ、それひ瀬さんも はい。それをあ、言っちゃだめでした。これ 言っていいのかな? いや、言っていいんです。今勝手に急に安発だが急に思い立ったわけじゃないですね。びっくりしましたけど。今 本ん当すいません。大丈夫。危な、危なかった。 危なかった。ごめんなさい。 すいませんでした。 あの、はい。沖縄をヒットに全国北海道 あ、もう今決まってるところ申し上げますと。沖縄もちろんのこと。静岡、富山、長野北海道がまずは決まっておりまして、それ以外に全国もいろんなところに回っていく予定になっております。 そうですね。ありがとうございます。危ないと思って全部 そうですね。言わないと言っちゃいけないこともどんどん言いそうな気がしたので ということになってますんで。はい。 お待ちいて、お待ちしていただければはい。 で、ひ瀬さんもで、久さんもどっかに多分ね、 います。お、 沖縄ちょっとあれなんですけれどはい。 ちょっと馳さじます。ハさじる。はい。 だってさっき長山さんもどっかに必ず行きます。 そうですね。つかどこかでまた もう僕先の崎々のドニーチョンスケジュールは全部埋まってるんで アンバサダーとしてアンバてはい。 もうずっとどこかに土日はどこかに行ってあの皆さんに届けに行くんで はい。皆様のお近くに多分ね行くという思いますがではここで改めて宝島宣伝としてあ いやいやいやこれからもう1 回閉めですか? 最後一言最後最後一言の後にあの松コミの皆様からの質疑音があるんで なるほどなるほど言いやつお願いします。 えっと、こんなになんて言うんですかね、 だいぶこう映画のキャンペンって最近 あんまりなくなってきちゃったんですけど ね。こうやってあの自分の作品、自分が出 ている作品を持って韓国時と一緒に いろんな場所に行って実際生の声が聞こえ るっていうのがあのなかなか体験できない ことなんであのま撮影中自分から発信して はいたんですけどそれをあの実行して いただいたあの政作チームの皆さんも本当 に感謝しています。 なので、あの、皆さん全国で待っていてください。必ず皆さんにお届けします。 よろしくお願いします。 ありがとうございます。頑張っていただきたいと思います。 [拍手] ありがとうございます。ではここから質疑応答のお時間に参りたいと思います。え、マスコミの方々からの質問をお受けします。 あの、先ほど色々撮影現場についてのお話 伺っていましたけれども、改めてつ吹さん と広瀬さんと久保さんに、あの、大友監督 からどんな演出があったのかについてお 伺いしたいんですが、あの、特に印象に 残ってる、もう強く印象に残っている演出 があればお聞かせください。お願いします 。あれ演出なかなかったこといやいやない ことないんですけどないんですけど。 いやあ。 なんだろう?な んだろう? 風のように失走して欲しい。上がれましたね。それだけじゃないんですけど。こ うん。うん。風のように。うん。 もういっぱい行ってきますか? いやな。 パッと思いついたことどうだろうな。 いや、細かくいっぱいいろんなこと言ってくださってたのは確実なんですけど。 いや、そうです。うん。 アンバサダーに比べてはれ悪いか。さっきはすごいはれ。 ちょ、鈴なんか 先にえ、いや、そうですね。 すいません。え、でも演習お芝居 うん。 はというよりなんかこう現場のその沖縄の方々のこの温度とかなんかこうそういうこう うん。あ、これ言っていいのかな?あ、 体調じゃないかな。 いや、つまさん本当に デモのシーンとかがあってあ あああ、先ほどもちらっと出てました。そのシーン。はい。はい。 その時のこう向かってる先をこう自分が頂いた資料とかじゃなく他に監督の持ってる情報を頂いたりとかその場にあの方言の先生 [音楽] とか そのお友達先生のお友達の方お友達というかなんか周りの方とかが来てくださって なんか その言葉をみんな直接このシーンのこがなんか見てて泣けましたって ああ 監督に伝えてくださった温度を一緒に伝えてくださったりとかしておなんか演出というよりなんかこう向かう方向性 ああ 確かに監督ってあんまりなんかこうしたいと思ってるんだよねっていうのがすごい多い印象がうん あったかもなんか確実にこうしてくださいっていうことを言わないんですよ 監督の頭の中でこういうものが見えていてなんかねあっち の方に行って欲しいんだよねみたいな感じで確実に向こうに行くっていうことよりはうん。 役者が動いた方向にカメラもついてきてくれるというか。 あ、 で、どうしてもこうやってみてあ、そう変わってなんかどうしてもこう腑に落ちないところがあって監督に 1 回相談しに行って大事なシーンだったんですけど行ったらあ、やめよう。うん。 段取りからやり直そうって言って、段取りから全部やって それまでや組んでたもの全部さらちにしてやってくれたのはすごい印象的でした。 うん。 やらしてくれるんだと思ったんですけど、 で終わってから絶対こちらが良かったからありがとうっておっしゃってくれたのあったんですけど。 なんかうん。確かにそうだよね。 確実にこうして欲しいみたいなのは うん。確かに なんか多分僕たちが今分からないっていうぐらい多分うまいこと引き出せ引き出してもらってるんでしょうね。 うん。うん。 だから多分うん。こういう風にしてくれ。ああいう風にしてくれ。 こういう感情で言ってくれとか、こうなんかあんまそういうのをやらないのかもしれないですね。どちらがというと待ってくれて出てくるのをひたすらこう うん。見守ってくれてるというか うんうん。 その代り出るまではオッケー出さないぜっていうこうなんすか。 あ、なるほど。はい。 だから、ま、ものすごくお互いにずっと大変な時もあったりもするけどって。 まあ、まあ、まあ、まあ、そうですね。あ、 え、監督君、すいません。 あの、ほ、首ぐるぐる回してる場合じゃなくて、ちょっと家族今お話なんかこうしは言わないけどっていう 僕はやっぱり役者の死体が出てくる瞬間がすごく好き。 ああ、 いろんな状況をできるだけ作ってできるだけ自由に動けるコンディション作ってスタッフも含めてね。で、そこで何がまさにその無責任って思われちゃ困るんだけど何かがこう生まれてくるんだよね。 やっぱ心の中でそれぞれの俳優の中で俳優として僕はあの撮影妻君は知ってるし田君もねあの鈴ちゃんも知ってるけど役になった役になったそれぞれというのは用いスタートの果てにしか見れないですよ。 うん。 なので役になった瞬間にどうなってくかっていうことをうん。 うん。なんかやっぱり新鮮な気持ちで自分も捉えたいっていう思いはあるので なんかこうあんまりこう勝手に自分の意見を押し付けたくないっていう思いは確かにある。だからもう時間がたくさんあればね、僕に時間をください。だからあのずっと待ちながらいろんな可能性を試しながらあのそうそこでベストの着点を探す。 ああ、いいお話でした。ありがとうございます。 いい話か。大丈夫か?え、時間ください。ありがとう。よろしいですか?はい。 えっと、キャストの皆さんにお伺いしたいです。えっと、本作では 20 年に渡る、あの、皆さんの関係が描かれるとのことなんですけど、えっと、共に過ごされた撮影期間での印象的なエピソードがあったら教えてください。印象的なスペソ そうですね。 何を何をし 何を何をし出てた気が 何をし何を やめたんですかなんでやめるんですか 言っていいことかどうかわからなくてす引がわからないですか えっと印象に残ってることでしたっけ 主エでエですね20年間20年間の 演じの中でね 撮影期間の中で あてことはあの本作ってちょっと離れてもいいってことなんですか ていうかそうですね、役者の皆さんがどういう風な関係性で過ごされたのか。 あ、なるほどなるほど。いわゆる撮影の裏側ではなんかこんなこと。 あ、今考えるとスーちゃんと一緒に俺の親友の家に行って うん。うん。 久田君と一緒に俺の親友の家に行ってるけどみんなでご飯ってしてないね。 そう。俺ね、お、すずちゃんとご飯食べてない。 食べましたよ。食べた。 食べてないよ。食べた。 あ、それはさ、終わってからでしょ? いやいやいや。え、あ、沖縄で、 東京ででしょ?沖縄でえ、いや、沖縄で 行かすみたいなみたい。 本土の方行きました。1 回行きました。なんですか? 美味しかったよね。あれ、おいしかったです。 覚えてる?はい。思い出しました。 思い出した。そんな話ちょっとあ、じゃあ親友の絵に行ったりして。 そうなんです。それじゃ別で。 そう、そう、そう。で、 さんの親友に招待していただいて。 あ、そうですか。 まるで初めましてなのに、初めましてじゃない感覚でもウェルカムに あ、やっぱ沖縄の方皆さんも そうなんです。美味しいお鍋をいただきました。 そう。おひさんもいて はい。私もあのクラックイン前日にお邪魔して みんなで一緒にカチャを踊らせていただいて うん。はい。 すっごい楽しいね。 本当になんか自分も昔から知り合いなんじゃないかっていう錯覚になるほどのなんか温かくてフレンドりでこうわファミリーみたいなものを すごく感じて そのままにできたので ああ逆良かったですね。 そう、なんかカチ足をいっぱい東京でも練習してて、沖縄でもやってたんですけど、 なんとかこうリアルなその沖縄のこう空気というか沖縄の方々がやるカチの匂いっていうものをなん感じたらいいなっていうのを僕のあっちの親友とお話をしていて、そしたらうちに来なよって言われて すごいですね。 で、一緒に行ったんですよ。 あ、 行って、あの、友達ある程度みんなでご飯をしてる時に、あの、友達が三振を引き出したんですけど、みんなで誰も踊らなくて、うわあ、すずちゃんだ、すずちゃんだ。沖縄の友達の家族がああ、 Aだ、 Aサッカーしに行こう。サッカーしに行こうってサッカーしに行ちゃって、 え、言っちゃった。 サッカーしに行ちゃみ。 え、しばらく帰ってこなかったです。 全然もうただ俺の友達があの三振を引いてるっていう感じに 1回になっちゃった。 物がし響き。 いや、その、その友達のあの義りのお母さんとかが確かあ、お姉母さん、あ、違う、違う。ん、お姉さんの、あ、違う。なんかなん、ま、親族の方がそのなんて言うですか?勝ちの先生もやってるっていうので、じゃあなんか色々教えてもらえるかなんて言ってたんだけど、あすずちゃん見てるわ。見てるってなっちゃって で、作家しに行って [笑い] そうそう。ただ三振が聞こえてくる回みたいな。ま、あれ、あれで面白かったよね。 面白かった。すごい温暖かくて。 あ、ま、距離感がやっぱなんかちょっとこう違う感じ。起きた。距離感。 はい。3、4 時間ぐらいたけど本当に帰る10 分前ぐらいでだけでした。勝ち足のやれたのは。 そう、そう。 最初何でもいいのよって自分が思うがままで大丈夫って言われてあれみたいな。 面白かった。 すごい優しくて面白い家族でした。 この話よかった。かっ、 ありがとうございます。 え、あの、妻さんが以前にコメントで、あの、この映画を、えっと、映画だけに終わらせたくないみたいなことをおっしゃってたと思うんですけど、あの、そういう意味でのこうに込めた意味と言いますか、メッセージ届けたいことなどをちょっとお聞きしたいのですけど。 そうですね。うーん。やっぱり映画ってうん。 1 つのビジネスではあると思うんですよね。 お客さんが見に来てもらって、お金を払っ て見に来てもらって、初めて成立するもの ではあるんですよ。でも見てもらって、あ 、良かった。で、終わりになって欲しく ないなっていう映画で世界が変わるわけで はないとは思っているんですけど、この 作品にはそれを覆す生命力があるんじゃ ないかなって僕はちょっと信じてるんです よね。映画の力ってまだまだどこか底ん じゃないかなって。うん。僕は、ま、本当 臭いですけど、映画の力をどこか信じてい て、今回だからこそ、ま、あの、 キャンペーンという形になって全国の方に この映画を直価に持っていきたいなって 本当に思っているんですよね。うん。 なんていうか、見た方々それぞれ思いって いうの違いはあるかもしれないけれども、 必ずあ、生きてかなくちゃいけないって 思える作品にはなってると思います。それ がどういう形になるか正直分かりません。 だけど過去もなくなかったことにはなら ないし僕たちは前に進むしかないんだけど でもその言動力には確実になると僕は思い ます。ま、 それですか ね答えになってませんか大丈夫ですか 大丈夫よろしいですかありがとうござい ます。あ、ここでお時間ですいません。 あの、まだまだ質問ね、したいという方 失礼いたしました。最後にすいません。 つさんも何度も挨拶してますけども、これぞこの感染国会の最後の指名というまずこれ監督から、あ、 監督からまずはいただき監督から監 督からです。もう指名の指名でございます。さんはい [音楽] はい。えっと本当今日はね、ご来場いただきまして本当に感謝しております。ありがとうございます。え、自分で言うのもあれですけど、渾新の作品です。あのこの 6 年間の時間とですね、あのモてるものをこう全てこの作品にかけてんだ感じです。 で、ま、本当に俳優たちの芝居もね、あの 、それじゃさっき言った程度僕は興奮して ね、見てたもんね。ギャギャ言いながら 喜んで、あの 、そうすごくね、こう、あの、手応えの ある芝居が取れている。そして多分沖縄が 舞台なんですけれども、あの、これは多分 、あの、むしろ日本中の人に是非ですね、 見ていただきたい。そこは特別スペシャル なことばかりではなく、誰もがその教遇に 置かれたらきっとそうしたであろうこと、 そしてきっとそうしなければ我々は生きて いけないんじゃないかというそのこう なんていうの最後の一戦みたいなねところ というのをちょっとこう映画を通して、え 、探っている映画かなと思います。えね、 1人でも多くの人に届けるために今回は あの日本中走り回ろうと思ってますんで 是非よろしくお願いいたします。 今日ありがとうございました。 ありがとうございました。 では最後につまさんます。 はい。え、改めまして今日は本当に来ていただいてありがとうございます。え、あの本当見終わった後に僕はこの映画は人生人生のバトンの話だなと思いました。え、人には受け継がれていくものというのは確実に存在していて、過去の人たちの思いやろんなものが僕らを背負って生きています。 それを含めて僕たちは今を精一杯生きて いかなくちゃいけない。そうを僕は本当に 心から感じました。え、1人でも多くの方 に本当に見てもらいたい渾新の作品だと 思っています。え、あと何いえかな。 ちょっとそう、大体のことはもう言ったと思うんで、あの、え、そうですね、 9月19 日、え、公開にですよね。9月19日 公開。え、それまで本当に監督と一緒に、ま、もしチャンスあったら鈴ジアんや久田君も一緒にあの全国をかけ巡りたいなと思っています。え、先ほどおっしゃったようにあの英語、映画というものだけで終わらせたくないという思いは本当に真実です。 え、応援家っていうようが歌にあるように この映画応援する日本を応援する映画で 荒れるような存在になれたりなと思って ます。あの、副題にもありますというその 言葉の通り、え、みんなのあの元気を与え られたらいいなと思っています。どうか、 え、9月19日まで応援よろしくお願いし ます。今日はありがとうございました。 ありがとうございました。 以上で感染予告会見終了させていただきます。つまさん、広瀬鈴さん、久保田正さん、そして大友士監督でした。ありがとうございました。 [音楽]
妻夫木聡、広瀬すず、窪田正孝、大友啓史監督が登壇!2025年5月5日 丸の内TOEIにて開催された映画『宝島』 完成報告会見の模様をトークノーカットでお届け!
劇場公開:2025年9月19日
作品情報:https://www.cinematoday.jp/movie/T0029940
公式サイト:https://www.takarajima-movie.jp/
配給:東映/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
©真藤順丈/講談社 ©2025「宝島」製作委員会
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