【監督が語る】繊維産業の街として知られる愛知県三河・蒲郡市にスポットをあてたドキュメンタリー映画『わたのまち、応答セヨ』岩間玄監督が語る!!“非主流”の人々の挑戦と意義…活弁シネマ倶楽部#389

え、カ弁シネマクラブ、え、今回MCを 務めます映画活動で放送作家の松崎誠と 申します。 え、本日ですね、え、ま、ドキュメンタリー映画ということで、あの、の町せよという作品なんですけども、こちら監督をお招きしております。では自己紹介お願いいたします。 はい。え、ドキュメンタリー映画、え、渡応せの監督を務めました岩と申します。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。ま、ちょっとあの、本事実と関係ないんですけど、ちょっと今雑談してたらもろ同窓だってわかりました。 そうですね。 あの、同じ大学の同じキャンパスで。 そうですね。だから入学年度とか卒業年度微妙に違うですけど、多分もう同じ時期にあの辺うろうろうしてたと思う。 そうですね。そういうことで、え、 もう早稲大学の第一文学部。 そうですね。もう今は泣き第一文学部ですね。 そうですね。この久しぶりにあの大学に行ったら随分りしてて いや、綺麗になっちゃってね。 驚きましたね。スタバとかできてて。 あ、そうなんですよ。びっくりしました。 そうなんですよ。 全然関係ない話にすいませんけど、ま、あの、言ってた頃まだレボとかなかったでしょ? そうですね。暑かったですね。昔 全然今考えられない話でもういい雑談になってしまいましたけども、 ま、そういう岩さんが今回映画ドキュメンタル映画は はい。 ち応せよ。こうタイトルがなんか面白いですね。 ありがとうございます。 渡の町って、ま、渡の町で はい。 応せよ。応せよって呼びかけてるじゃないですか。なんかあれですよね。 あの、スパイガとかにありそうな対象ですよね。 これすいません。そもそもじゃあ後できっかけのほも伺いますけど、これ思いとしてはこのタイトルにどういう思いがこってるんですか? じゃあですね、ちょ、ちょっとその前にさん、僕ちょどうしてもちょっと今日最初に行っときいですか?ちょっとちょっと映画の本数から外れるんですけど、 ちょっといいですか?どうぞどうぞ。 実はそのこのカ弁シネマクラブさんって もののすごい音があってですね。 え、ど、どう、どういうことなんですか? もう今日ね、ここに呼んでいただいたことをね、とても嬉しく思ってんですよ。 そうなんです。 ちょっとこの番組に対するこう音礼をちゃんと言わなきゃ なんか市場初ですね。こんなことね。どんなですね。あの僕前作があの 2021 年に公開の過去はいつも新しく未来は常に懐かしい写真家森山大ていう、ま、絶対に 1度では覚えられない長いタイトルの あの映画を作らせていただいたんですけども あのこれがなかなかあのやっぱり公開に至るまで右直接ありましたね。 はい。はい。はい。 で、あの、ま、コロナの時にもにぶつかるん はい。はい。はい。はい。はい。 で、僕はあの2018年から19 年にかけてあの映画を作って2020 年のあの春に公開する 春から夏にかけて公開する予定だったんですね。 で、僕はあの、ま、それまであの、たくさんあの形で作品は作ってきたんですけども はい。はい。 劇場用映画としてはそれがデビュー作だったの。 はい。はい。 なので、ま、あの、肩に力も入ってですね、あの、もう自分のこう、思いをそこに込めて人生のあらゆるものをかけてですね。 はい。はい。 え、ま、その作品を作り上げたんですけども、さあ、いよいよ公開するぞっていう時に、ま、コロナにぶち当たりまして、 ま、2020 年の春ってちょうどね、緊急事態宣言が で、もう一斉に映画館がもう閉まってですね、もう映画だけでなくて、もう劇場やあのホールやもうとにかくエンタメ施設があの、今そんなことしてる場合じゃないと いうことで、ま、本当にあの、最もそのみんながエンターテイメントから、ま、一旦ちょっと距離を置かざ を得ない。時期にぶつかりましてはい。 で、ま、僕としてはあの、ものすごいそのこう方に力入れてよしやってやるぞって言って、ま、作った映画だったわけですけども、公開できないと はい。うん。いうことで1 面伸ばしたんですよ。 ああ。ま、でもあの時期ってそういう作業多かったですね。うん。 そうですね。 で、あの、ま、いろんなあの知り合いの監督からも、ま、連絡あって、ま、これこればっかりしょうがないと、ま、とにかく時が熟スのを待とうみたいなことを、ま、言われたわけですけど、 ま、なかなかやっぱりこうデビュー作なんだけこうそう簡単に、 いや、この公開の時期を逃したら次はないんじゃないかぐらいに、ま、思い詰めてるわけですよ。 うん。うん。で、ま、1年経ちましたと。 で、ま、ほとんどもう生殺しみたいな状態ですよね。 うん。 で、さすがにその1 年も経ったら、ま、コロナっていうのも、ま、落ち着いてるだろうと、 ま、誰もが、ま、思ったじゃないですか。 はい。はい。はい。 僕も、ま、思ったし、ま、僕の周りにいたそのプロデューサーたちもみんなそう思ったんですけども うん。これが2020 年の春になっても全くダメだったんですね。 全然そうですね。1年経った時に全く 目度が立たないというか、 全く目度が立たないっていう。 それで、ま、1 年すに公開を延期してるじゃないですか。 で、ま、劇場も、ま、皆さんこう、ま、作品を見ていただいた上で、ま、でも待とうと うん。 あの、大丈夫だっつってこう構えてくださったわけですけども、 1 年経ったけれどもやっぱりでも劇場が開けられないかもしれないと。 はい。はい。い、むしろもっと1 年前よりもっとひどい状態になってるかもしれないと いうことで、もう感染者数も増えてくし、もうあの、あちこちロックダウンがもう世界中で広がってて、でも東京なんかもう論外という感じ。 うん。まあ、そうでしたね。 で、とにかくその2021年のあの5 月にこれを公開するのかしないのかっていうことで、ま、吸った問題があったわけですよ。 うん。うん。 で、ま、各劇場さんが、ま、あの、すごく、ま、色々こうお悩みになったと思うんですけれども、でもこれはやっぱりかけようと、ま、こういう時だからこそ、ま、こういうその町を舞台にした映画を公開しようじゃないかっつって、ま、公開してくださったんですね。 はい。はい。はい。 だけど舞台挨拶ができないわけですよ。 あ、ま、そうですね。も、ほぼほぼ うん。あの、人と接触しちゃいけないっていう。うん。 はい。 で、そもそもその人をあのあそこにこう劇場の中に入れるということだけでも、ま、大変なこう大衛団なわけで うん。ま、席開けたりしてましたよね。 ソーシャルディスタンスで。うん。 そう。はい。で、そこに人が集まりすぎるのもなんだし、ま、舞台ちって舞台からわるのもなかなか困難だし、 あ、結構こんなつけちゃってね。うん。 そうですね。で、ま、舞台をするからって言うんで、その、こう、一跡飛ばしみたいなことで入れてたのをこう全部入れなきゃいけないみたいな。 これもまたあの難しいと いうのでうん。 あの、全く舞台ができない状態だったんです。 うん。うん。 で、僕はその、ま、ようやく公開にたどり着いて、ま、お客さんに見ていただいたんだけれども、わかんないわけですよね。そのお客さんのその直の反応っていうのがうんうん。 で、ま、もちろんそのSNS とかそういうところでいろんなことをこう、あの、褒めてくださる方、ま、たくさんいらっしゃって、それはそれでとてもありがたかったんですけど、こう人間が自分のこう肉体を通して声を走してい面白かったっていう風に言ってもらう機会がなかったんですよ、ずっと。 ま、ちょっと会えないもんね。 会えない。全く会えない中で、こ、ある日こう YouTubeをこう見ていてですね。 で、カ弁シネマクラブなんだろうと思って 見てみたら映画の家の森直さんと はいはいはい。 この主催のジョさんがですね はいはい。 いや、面白かったね。面白い映画見たよね。つってこう 2人であ、なるほど。 話していたんですよ。え、 で、僕何のこう呼び情報も知識も そこで取り上げてくださってるってことも知らなかったんでと YouTube を見ていたらびっくりしてうん。 もういきなりこういまを正してですね、こう襟りを正してこの人の話はちゃんと聞かにゃいかんと。 なるほどね。ジョさんとその森直さんが あの映画がいかに面白かったのかっていうことをそれぞれのお 2人がそれぞれのお2 人のこう立場でろんな角度からこう褒めてくださるんですよ。 構成が見事撮影がすごい良かったとかもう店舗が良かったとかとにかくかっこよかった。 うん。 で、それ聞いたらもうすっごい胸がいっぱいになって 僕全然ジさんって人も知らないし 森直さんももうお面かかったことは でももういきなりもう親友のような気かもしらも今すぐでライブじゃないでしょ。 [笑い] ライブ配信じゃないんだけども、もう今すぐこれどこで撮ってるのかも分からないけれども、この部シネマンクラブのなんかあのこうレガがこう組まれた 背景のとこにここの部屋じゃない方この部屋じゃないところにもう今すぐ飛んでいってこのジさんと [音楽] もう森さんにもう握手したい。 なるほどね。 でハグをしたいぐらいこう感謝の気持ち。 ま、その時期ハグしちゃまずいですけどね。そうです。 でもま嬉しいなと。 なんかこう、初めてこう人がこう自分の声を走していや面白かったよねっていうのを初めて見たんですよ。 まあそうですよね。初体験だったですね。 うん。うん。うん。 で、それすっごい嬉しくて、あ、なんかいや、こう面白か、面白かったよね。いや、面白かった、面白かったっていう風に言ってもらうことがこんなに嬉しいんだと思って本当になんか感動してですね。 はい。 で、そこに、ま、第2 作目の今回の映画でこう呼んでいただいたっていうのはもう嬉しくて 巡り合わせとして最高ですね。それ まずはこのジョさんと森直さんに感謝の気持ちを伝えるところから 今日のお話をしなくていいかん。 あ、ジはそこにいますから。 もうね、ジさんさっき初めて応援かかってもう城さん本当にありがとうございました。 すいません。森直じゃなくてす。 いやいや何しちゃいます。あの大学の先輩ですから。 いやいやいやいや、あの、ま、でもそうですよね。結局あの時期って多分ここの番組に関しても司法錯誤だったんじゃないかと思んで話せないから。 [音楽] ああ、そうか。 いや、結構僕もあの時期って映画祭とか色々関わってると映画祭もリモート開催せざるなくなると結局生のリアクションってわかんないじゃないですか。そうするとその時期にあの入戦した子たちの監督たちもかわいそうで結局現場行かないでリモートで繋いでとかになっちゃうから。そうですよね。 すごいあの時は昨日の毒でしたよね。だから 本当に なんかもう映画終わっちゃうんじゃないかぐらいの感じってそんなわけないんだけどそれはあったと思うんで確かにそういう時にねたまたま YouTube で見ると話に自分の映画が取り上げられたってのはそれはもうなんかすごい心にずしっときたっつのはなんか想像に固くないな っときましたね。あの本当にもう胸がいっぱいになりましたよね。 でもそっか。確かにこの番組そのものもどこまでこうゲスト入れていいかみたいなことやっぱり思考錯誤中だったんですね。 多分そうだと思います。 結構こな距離でできないじゃないですか。 そうですよね。 そうすると例えばリモートで繋ぐとしたて川 1枚じゃないけど距離できちゃうしうん。 だなんかね、やっぱりあの時期っていうのは大体ま、みんなさん苦しんでたなっていう気はすごくしますよね。 そうですね。 ださんと森直さんとあとま、もう1 人あの記順であの亡くなったあの山根さんが 偉くあの前作を褒めてくださ いさんがはいはい でなんかこの山根さんとジョさんと森直さんにはこう足を向けて寝られないっていう そうですよそうですよそんな思いで なるほど今日はじゃいらっしゃったと思うもうありがとうございます的にもいいお話が聞けたとい 終わっちゃってもいいぐらい嘘です。え、ま、そのじゃあちょっと話を町せようって。 ま、ちょっともう1回繰り返すと、 なんでこのスパイ映画みたいなかっこいいタイトルがあってちょっと思ったんですけど、これはそもそもこの、ま、あの、ちょっと制作の経緯とかもこの後伺いますが、このタイトルはそもそもどんな感じで思いを込めてこのタイトルしたのかという。あの、ま、これ全体がですね、やっぱりこう僕がこの町に対するずっとその呼びかけのスタイルを取ってる映画なんですね。 うん。その呼びかけに対して町があるいはその人があるいはその時間や、え、過去や未来や現在がそのどう答えてくれるのかと いう、ま、そのやっぱりキャッチボール、言葉と思いのキャッチボールという、ま、思いがあのこの映画の 1つのこう根換になっているので、 あの最初はの町だけだったんですよ。 あ、このタイトルが綿の町。 はい。 で、平がで渡って言って、ま、企画書もそういう形で、あの、最初書いてたんですけども、渡の町って言った時にもうそこだけでやっぱり 1つ完結してしまう、 ま、やっぱタイトルだったんですよね。 はい。はい。はい。ちょっとこう指摘で うん。ま、柔らかくて優しくて で、ま、ちょっとどこかご知映画っぽい匂いのす。 うん。ま、そうですね。うん。うん。 うん。 で、ま、こう、あの、ちょっと品のいい いい感じの映画。 そうですね。ひらがで渡の町で5 文字って結構なんかしっとり来てる感じ。 そうですね。うん。 で、ま、見る前から、ま、なんとなく、あ、ま、ガゴ郡の産業を部隊にした、ま、またの町県マ郡氏で、ま、日本一のかつて、ま、繊維の町だったところを舞台にした、ま、ご地映画なんだなというぐらいの、ま、感じで思われても、ま、しょうがないぐらいの、ま、優しいタイトルで最初ですけども、 だんだん僕の中で作ってくうちにこう、これはそう優しい映画じゃないぞと。 うん。うん。うん。 これはそんな簡単に住む話じゃないぞっていう風になっていった時に、ま、僕自身が、ま、 1 人のこう作り手として何度も町をこう往復するわけですけど。 そのやっぱりこう呼びかけても呼びかけてもその反応が帰ってこない。 うん。 で、反応がってこないってことはその、ま、何を取っていくことがこの映画にとっての正解なのかっていうことがやっぱり見えてこない。 うん。 で、そうするとだんだん焦ってくるわけですよね。うん。うん。 で、自分1 人だけで上いるのか、それともこの上先に誰かがこのことを待っているのか うん。 僕が取ろうとしている先に本当に取るべき人や時間や歴史や過去や未来っていうのが、ま、あるんだったらそれをやっぱり見届けたい。それを知りたい。 うん。うん。 だからだんだんその愛知県が我郡氏っていうところにカメラを向ける行為がどちらかっていうとあの撮影をしに行くというよりもま自分がその町に行って誰かの声を探しして歩いくっていう行為にだ変わってたんですね。 うん。 だから、あ、これは映画を作るということがイコール、ま、僕があの呼びかけてそれに対して何かが誰かが答えようとするこの更新記録なんではなかろうかと うん。 いうに思いがいったので、あの渡という単なるひが 5 文字から、ま、応答せよという風に、あの、僕の中で考えがだんだん熟成されてたっていう ところですね。 ま、人を探すというか、ま、音する対象というのを探して探してっていうことがやっぱあったわけで、だからそのちょっとその最初の方ってあのほらまこの我蒲郡士ってのは元々その 2000 年ぐらいまではあの、ま、も面使ったその維産業ってのがもう間産業だったのがちょっとこの映画の中出てきますけど中国とか興で安く作ら、しかもせいものを作らるってこと で、ま、ある種それまでの機間産業の位置 っていうのが、ま、今でも機関産業だけど も結局それまでの売上とかがもう上がら なくなっちゃったから潰れる会社が出てき たりとか廃業するとか出てきたりみたいに なっ てる街であるってのはまあありますよね。 で、だけどちょっとこれを盛り返す層って のは、ま、その自治体とかは考える中で あのなんだ、そのいろんなまだ残ってる あの、え、業者の方々若手集めて東京 ガルズコレクションを1年後に目指す みたいなとこだとこれだけで見てると僕、 あ、これでもワイドショのワンコーナーだ なぐらいの感じだったんですよ。 もしくはあの例えば30 分ぐらいのドキュメンタリーだったらこれ成立するなと思うけどこれどうすんのかなってちょっと見てたらそこからもう監督が人を探して探してっていう感じになってくるのがちょっとこうすごく意外というかびっくりしてやだから最初はでもやっぱりあれガルズックコレクション目指す人たっていうのから始まってんですか?これ企画って そうですね愛知県のガゴリ市のあの市の方から はいはい相談があってえ ま、車の一等を辿どっているんだと維産業が はい。はい。 で、やっぱりそのとは言っても産業がこの町の機関産業であることには、ま、変わりがないので、え、ここの、ま、繊維産業が元気になるような、ま、希望が持てるようなドリメンタル映画を作ってほしい。で、 1 つのモチーフとして、え、市内の繊維業の、ま、若手を集めて、え、東京ガールズコレクションに、ま、出品するんだと。 うん。 で、これはもう、あの、としてはもう1 台チャレンジ、1 台イベントなので、ま、そのことを1 つ、え、記録をして、ま、映画にしてもらえねえだろうかっていうのは、ま、最初のオーダーだったんですね。 うん。 で、ま、あの、土跡っていうのが、あの、プロデューサーで、 あ、T部長ですね。 はい。あの、ス電波少年のT部長ですね。 はい。はい。はい。このT 部長のところに最初その話が持ち込まれたんですよ。 はい。はい。 で、ま、T 部長が、あの、ま、僕のところに、え、ま、やってきて、ま、い、ま、各かく時間の話があって うん。 東京ガールズコレクションに出品するということらしいんだけども、 ま、それで映画になるかつったらならないよな。 あ、ま、初めからT 部長もそういうだったです。 Tそ位で、で、僕も最初は いや、ま、それは、ま、本当にね、正崎さんおっしゃるようにそのローカルニュースのね うん。あの、6分ぐらいのうん。 こうミニコーナーで、 え、取り上げるぐらいの話ですよね。 うん。 だから僕も、ま、それ聞いて、まあ、それ自体ではちょっとあの、映画にはとてもならないと思いますよと。 だから、まあ、どっかそのローカルの、え、放送局でニュース番組で取り上げてもらうぐらいのとこじゃないんですか?だって東京の人からすると愛知県ガ郡市の人が若手が集まって、あの、東京ガズコレクションに参戦するって言っても、東京の人からしたら何の興味もないな。全然関係ないじゃないですか。あ、どうぞぐらいの。 そうですね。 うん。あ、まあ、そうなんだ。参加したんだ。 え、ま、そういう風にして、ま、いろんな街がいろんなこう頑張りをしてるよね。ま、そうだよね。ていうので、ま、終わってしまう。 うん。 で、それはあの、それは、ま、が我ましの人たちには申し訳ないけれども、あの、ま、そんなもんですよね。やっぱり東京に限らず、あの、大阪にすよ、札幌の人にせよ、ま、それをそのニュースを聞いたところで、え、頑張ってるなとはそう簡単にはならない。 まあ、そうですね。うん。 だ、彼らはもちろんあの1 つの大きなチャレンジとしてあの取り組むべき価値はあることだとは思いますけども、ま、それをその全国に発信した時に、ま、刺さる人がどれだけいるかって言ったら、ま、かなり難しいだろうなってのは、ま、最初に思いましたよね。 うん。うん。だから、ま、T 部長が言うように、ま、難しいよな岩って言われて、ま、難しいでしょうと。 ただまあ僕は愛知県ガ氏って言ったことがなかったんで、 ま、あの僕も名前聞いてさ、ラグナが我ま郡とかあったじゃないですか。 それぐらいしかだからあれがゲロッパのなんか舞台だったなとかそんなことぐらいしかちょっと伺かったんで 大体あれが我マ郡って読める人も読める人もちろ普通に読めるんだけどもこれなんて言うの?が我軍っていうのみたいな。 いや、わかんないですね。 そんな感じですよね。 かかとか。うん。 うん。で、ま、それぐらいやっぱりこう基本的にはあんまり用事がない。 うん。 わざわざこの愛知県郡市に行こうっていう人って、ま、あんまりないだろうな。 そうですね。うん。 いう中で、ま、僕行ったことなかったんで、僕、あの、北海道生まれ、名古屋育ちだったんですけど、 同じ愛知県にいながら、 あの、が我ま郡って行ったことがなくて、 あ、そういう感じなんですね。 なのでまあまあだけど、ま、夜さん、ま、確かに東京ガルズコレクションだけで映画になるとは思えないけれども、ま、もしかするとその他にいろんな材料がもあるかもしれないから、 ま、ちょっと1 回行ってみましょうよつって行ったんですよ。 うん。で、ま、2 人で我蒲郡市に行って、で、ま、市の人たちがもうたくさん迎えてくださってあ、そうですね。うん。 それで、あの、もう1泊2 日でもう本当にその市内の戦関係の業者のところにこうあの連れてっていただいてで、 15分刻みぐらいのスケですかね。 それで、ま、こっちは面白いから、あ、そうなんすか。あ、じゃあでも車用になってた原因って 1 番何ですかね?みたいな話聞くとちょっとお時間がそろそろて言われて、じゃあちょっと待ってこれ移動してみたいなことで、ま、数者回ったんですよね。 うん。 で、車用になってるって言っても、まあ数十ぐらいはあるんですよ、メーカーは。 うん。うん。うん。で、ま、1泊2 日でこう見て回ってで、ま、あの、プロデューサーの土と T 部長と話をして、どう、どうかね、岩あ、でもやっぱ難しいですねと。 で、東京ガルズコレクションだけでも難しいと思ったけど、じゃあ他に材料があるかって言うんで、あ、こういうところにスポット当てれば映画になるんじゃないかというヒントがあるかなと思ったけれども、ま、なかなかやっぱ難しいですねと。 うん。うん。 だよな。じゃ、ま、ちょっと今回は、まあ、ご縁がなかったということで、 ま、断ろうとうん。 いうことで、一旦断ろうって話になったんです。 あ、はいはいはい。 で、土屋がじゃあ俺はちょっとあのこれからリモート帰りがあるんで うん。 あのなぜこれが映画になるのが難しいのかってことについてはあの岩の方から説明を してもらうんでって言ってま、市の人たちにバーティるいるんですよ。 はいはいはい。で土がま、中座をして で市の人たちがやっぱ監督難しいですかねって言われたんでまあなかなか難しいですね。 あの、TGC トルアーズコレクションに出るっていうことだけではもちろん難しい。でも、ま、他にじゃあこういう業者の人たちがいて、こういう工夫をしているっていうことも、ま、もちろんその 1 つのパッケージとしてやってやれないことはないけれども でも、ま、それは、ま、1 つのその産業文化、プロモーション映画みたいなものにしかならないし、その劇場で、ま、お客さんにあの、お題を頂いてかけるような一般映画ってのは、まあ、難しいと思いますよと。 うん。 いう話で一旦お断りをしたんですけども、ま、あまりにその市の人たちが切ぱ詰まった、 ええ、状態でいらっしゃるんで うん。 じゃ、どうしたらできますかね?みたいな話もだんだんなってくるわけですよ。 はい。はい。はい。 で、僕もじゃどうしたらできんのかな。で、ま、考えても考えてもいいや難しいよとこれは。 うん。うん。 で、わゆるなんかこうプロモーション映画みたいなものを作るんだったら別に僕じゃなくてもいいし、ま、もっとそういうこと。 ま、ある種こうさっと作るう得意な方もいらっしゃるから、ま、そういう人に頼めばいいんであって、ま、僕や土がこう乗り込んでって、ま、プロモーション以映画作ってもしょうがないなと うん。そうですよね。うん。 ま、思ったんですね。 てたんですけども、ちょっとこう色々考えてくうちにどう考えても難しいっていうことが揃えば揃うほど ええ、 じゃあやってみようかな。 あ、逆にふつふつと ちょっと思い始めたんですよ。 なるほど。 で、土プロデューサーがT 部長が戻ってきて、ま、山を今説明してくれたと思うんですけど、というわけで、ま、今回はね、ま、ということでつって、ここ立とうとしたんですけども、 なんか空気が変わっててうん。うん。 で、あれなんか違う話になってる。そうなんですよ。いや、実はちょっと色々あってですね、ちょっとやってみようかって話になりまして。 ええ、 マジでやれるのみたいな、どうすんのみたいな言葉になってたんですよ。 なるほど。 で、ま、やってみようというやってみようかなり安受けをいしたってのは最初だった。難しい。 どう考えても難しいけれども、ま、そんなに難しいんだったら、ま、それをやって本当に形になったあの赤月にはきっと面白いものができるだろう。 うん。で、何の小賛計算もないま うん。 じゃ、ま、ちょっとやってみましょうかと。 うん。なるほど。 言って、ま、受け負ったはいいんですけども、 やっぱりことはそう簡単じゃなかったですよね。 うん。 あの、やっぱり最初に、あ、これは難しい なと思ったのはその直感は非常に正しくて ですね、何回も何回もこの愛県ガゴリって いうとこに 通んなその映画の口を探そうとするんです けども、語るにたる物とか、語るにる人物 とかあるいは語るにると未来に なかなか生き当たらないんですよ。うん。 で、皆さんとても親切だし、よくして くださるだけれども、それが映画になるか つったらやっぱりそうはいかないって。だ からこう 延々を噛むような思いだったり、腕をこう 通すような行為で何 回通やっぱり映画の背骨が見えてこないう 何を取るべきなのかっていうことが見えて こないっていうのが、ま、半年以上ですね 。 そうなんですか。で、ま、その間一応、ま、そのガルズコレクションの人たちには回してるんですか?カメラは? え、東京ガルズコレクションにチャレンジするっていうところは一応記録としては回してるんですけども、 ま、これ自体は絶対映画の背ボ園にならない。映画の背骨にならないものを、ま、ひたすらそれはそれで記録してる。でもこれは絶対背骨にはならないんで、他の背骨を探さなきゃいけない。 うん。 でもじゃ、他に背骨がどこにあんのかってことが、ま、わかんないわけですよね。 うん。うん。 で、半年ぐらいやっぱりあのかなりこうゴリム中というか、安模索というか ええ、 だんだんこう焦ってくるんですね。で、土が面白かったのはあの、ま、じゃあ岩山がやれるってかやるって言うんだからじゃあまあやってみようかと。 で、じゃあ俺は俺でその死の人たちに、ま、これを受けるにあたってあの条件を出してきた。何ですか?うん。 いや、完成まで一切口を挟まないでくれて。 ああ。は。これを俺は確約してきたから て言うわけですよ。 誇らしげに。 逆に逃げ道なくなっちゃったじゃないですか。それそれもうほらしげに土がな。え、 もう一切口は挟まん。 うん。 で、もう岩山がもうこれはいい。これだと思うものをやってくれればいいから言っていなくなるわけですよ。 いなくなるんですね。 で、もちろん僕はそれあの惚れ惚れもするしああ T部長竜のやり方だなと。 あ、そうですね。 さすがだなと思うわけですけど。いや、そうだなって途中でその行政の人たちがね、あれを取ってくださいとか、これ取ってくださいとか、あの、もっとこういう構戦してくださいとか。 いや、東京ガラズコレクションやっぱり全体のあの 65%は尺を咲いてくださいと そういうこと言われててももう 拉チが開かないだろうなということも思っていたんで うん。 ま、一切口は挟まないということを条件にしてよしこれを受けることにしてきたからじゃあ山頑張ろうなって言われてで頑張ろうなってその夜もずっと考えて うん。 あの、一切死の人たちは完成まで見ないってことはその何を取ってるかも分からないわけですよ。 はい。はい。はい。 で、時々聞かれるんですよ。今どういう感じで、あの、毎週毎週監督なんかあの、いらしてますけど、そ、 どこに行かれてうん。 何を取ってらっしゃるんですか? って聞かれるんだけど、え、 いや、そう、俺も分からないと。 あ、まだその、まだ 何を取ってるのかよくわからない。何に 行き当たろうとしてるのかもよくわからな いっていうことで、ま、その言うしかない わけですね。で、ま、片は山もいいから ともう山が正しいと思うことが正しい結果 に繋がっていくはずなので頑張ろうみたい なということは、ま、全てこう、ま、体路 をた立たれるわけですよね。ま、そうです ね。逃げま、さっきも言いました。 逃げられですね。逃げられない。うん。 あの、なんでこういう映画になったんだっていう時に、いやいや、死の人がこういう風に言うからこういうもの要素入れたんですよとか うん。 あるいはなんかあの東京ガズコレクションが全体の中のあるボリュームを閉めなきゃいけないって言われたから、ま、こうなったんですよと。 うん。いうことが、ま、一切言えない。 うん。 だ、ことはもう本当に途中経過も報告できないし、それから誰かのオーダーやこうオファーを受けてこうしていくみたいなことも一切できない。 僕が1 人の作り手としてそうか、この映画あるべきなんだっていうところにたどり着かない限りこの映画のゴールはないっていうことがま、分かるわけですよね。 うん。なるほど。そ う、だんだん怖くなってきて、毎週毎週半年ぐらいが我まゴリシに通ってるけれども うん。これどういう映画になるんだろう? ってもだんだんこう不安にま、なっていく しああなんかいや、ちょっとやってみ ましょうかって言ったのは間違いたんじゃ なかろうかという風に思うくらいやっぱり なってったんですよね。うん。 で、前作はやっぱりその写真家の森山大道さんっていう、ま、方が、ま、コアにとにかく 真ん中にドカンと書くとしていらっしゃったんで うん。 とにかくこの人をあの一生懸命あの記録をしていってこの人の背中を取っていくことで必ずやっぱり人に伝わるものになるだろうっていう、ま、 1つの確信もあったわけですけど、 ま、キャラがね、強いキャってことですよね。 はい。今回はやっぱりその、そういう人はいないわけですよね。 うん。半、半年間見つからなかった。 半年間全く見つからなくって、 ええ、 いや、これは困ったな。どうしようと本当にあの、背中にじっとりとこう汗をかきながら毎週毎週マゴリシ通っていったんですけども はい。 ま、ある時にその、ま、1 人のテキスタイルデザイナーと、ま、出会うんですよね。 はい。はい。はい。はい。 ま、鈴木俊康さんという、ま、年80歳 はい。はい。 の方で僕やっぱりあの前作のあの森山大道さんの時もそうだったんですけどもああいうなんかその 1 人ぼっちでなんかやってる人って好きなんですよ。 うん。うん。1 人ぼっちで、あの、群れなくって つまなくって自分だけのペースであの、自分だけのやり方でコツコツコツコツと誰に言われるわけでもなく、それをこう、あの、丹念にこう、その行為を積み重ねていくという人が割と好き で、ま、そういうとこに引かれるとこがあんですけどうん。 ま、ここにいたわけですよ、その人がね。 で、その人と、ま、出会って、あの、ここに 1 つの映画の核があるんじゃないかと、ま、 1 つ予感をして、ま、色々こうその人を撮ってったり、ま、話をしてたりするんですけど、ま、やっぱり警戒するわけですよね。鈴木さん。 ま、それはそうですよね。うん。 で、その東京から、ま、毎週毎週来てそので、で、私の男に来たわけだけど、その何をやろうとしてるんだと。 で、何を持ってその映画としようとしてるんだ、どうせあの、またこうある種、ま、あの、いろんな取材を時々受けられる方でもあるんで うん。あの、いいとこだけ来てね、で、 なんとなく分かったような顔をして、ま、 その繊維産業とは繊維とはこういうもんだ みたいなことを言、ま、お茶を 濁る、ま、いつものそのメディアの、ま、 パパターンの1つなんだろうという風に どうも思ったらしいんですね。うん。うん 。うん。だから全く表金も開いてくれない し、ま、本音も語ってくれないし 、ま、あの、通り一ぺのことしか、あの、 教えてくれない。で、 僕毎週毎週この人の通うもんですから、 だんだん その本気だなみたいな感じにうん。 思たみたいで、で、そっから、ま、 いろんなことをポツりぽツりとこう 語り出してくれるようになったんですけど うん。うん。 ま、これがやっぱりすっごい面白かったんですよね。 うん。うん。 それをこう取っていく時にだんだんだんだんあ、ここに描くべき映画の背骨があったんだということを、ま、確信していって、ま、そこからこうだんだんこう改造度が上がっていって、この町に対する改造度も上がっていくし、この町で僕がその こう呼びかけたものに対してその誰がどう答えようとしてくれてるのかということもだんだん見 見えてきて、ま、映画の背骨が見えていったっていう、ま、そういう経緯だったんですけど、 あの、鈴木さんて人もあるし、最初アウトサイダーなわけじゃないですか。あの、ま、 その要するに繊維のそういうテキみたいなことをやりたくてこの町に来てその移住二重大学ですかね。奥さんと一緒に来て移住してそこからだから 50年とか60 年経ってるような方じゃないですか。 だからある種が蒲郡の中ではなんか変人 って言葉もありましたけどその体も主流な 方ではないわけですよね。だそこを見つけ てしまったっていうのはこれはま、確かに 今回なる反面あの蒲郡士の政治産業に対し てそれはどうなのかとかやっぱり考える ことあるじゃないですか。その辺はお悩み にならなかったんですか?僕はですね的に あの非主流の人が大好きなんですよ。 なるほど。で、 で、それはあの、僕自身があの、やっぱり非主流で生きてきたっていう のがあって、実はあのT部長こと土尾も はい。 あの、一見メインストリームの主流のように見えて、 ま、極めて非主流の人はい。 なんですよね。 つまりそれまでよしとされてきた常識とか固定観念とか思い込みみたいなものをこう覆返して うん。 あの、全く誰もこうやったことがないやり方、前例のない発想、え、みたいなことをこう打ち出すっていうのは主流の人からするともう単なるでしかない し、ま、飛んだわりもだし、ま、ある種こう遺んだし、ま、異分子じゃないですか。 うん。はい。はい。はい。 でも、ま、土が本当にいい例なんですけども、やっぱりその非主流の人がそれまでの固定観念とか思い込みとか常識をこう覆返した時に初めて次の時代の扉が開いて、またこう、 ま、彼で言えばそのテレビがこんなことも言われるんだと。これだってテレビなんだと。 うん。で、今までは こう1つのバラエティといえば、ま、 スタジオに、ま、歌詞の方がいて、お笑い の人がいて、で、アナウンサーがいて、で 、いろんなコーナーがあって、で、それが もうバラエティに普通の王道だという風に 思っていたのが、やっぱりもうスタジオを 飛び出名もなき芸人たちがアポなしで その村山富さんの眉毛を切りに行こう みたいな。ありましたね、そういうのね。 そういうのってちょっともう痛すぎて うん。 やっぱりみんながドリも抜かれるわけですけど はい。はい。はい。はい。 あ、それもありなんだなって言ってこうテレビがま、次の時代を迎えていく。 うん。うん。 で、僕もま、土とはまた違うあのやり方でしたけども主流ではないところでも作っていって、ま、それをつの間にちょっと主流にこう見せていくみたいな やり方で、ま、やってきた経験が長かったの。 ので本当にこう次の地雷を開ける存在っていうのは主流のところにはいないんだっていうのもちょっと思ってるんです。 なるほど。うん。 だからそれまで僕は半年間ずっとやっぱりこういろんなとこ行ってなんか違うな。ここじゃないな。もっとね、他にあるんじゃないかなっていうのはやっぱり主流のとこばっか言ってたんですよね。 うん。まあま、その最初に紹介されたのがそういう人たちですからね。 そう。 で、あの、主流の人たちはもちろん決して悪いわけではないんですけども、ただま、やっぱり主流の人たちは、あの、それまでのやっぱりしがらみとか固定観念とか、ま、あとそのうん、こうビジネス上の常識みたいなことに、ま、あるし事絡面になって、 [音楽] ま、冒険心がどうし出しよがない状態ですよね。 はい。で、こうやっぱりリスキーな チャレンジみたいなことってやっぱりどう しても産業構造上なかなかしにくいでそう するとやっぱそこにいくら行っても あのなかなかやっぱり次の時代の開ける 遺児みたいなところに巡り合わないのはま 当然だったわけです。うん。 あの、考えてみればうん。で、やっぱり次 の時代の扉を開ける、こう時代を揺さぶる が我郡市というところのその繊維産業とか の日本の物づりの根感を揺さぶるような 存在っていうのはやっぱり主流じゃなくて 非主流 で続けたところにま、存在する風に、ま、 思ったし、この鈴木さん人やっぱりあの おっしゃるように完全非種類の人でうん。 ま、ここの人なわけですよね。ですね。ええ。 はい。で、ま、本当に森山大さんと同じようにやっぱり群れないし、 こうつるまないし、 あの、孤独だし、ま、こだし 自分だけのやり方でや、やるということしかあの興味がないし うん。 あの、生産性を上げるとか経済的な合理性を高めるみたいなことについて、あの、全くあの、関心がない。 うん。 そうじゃなくて、そのもっと本質的なところでこれがどうあるべきなのかで森山大さんが写真とは何かということを突き詰めて突き詰めて突き詰めていくった先にあの写真はカメラは何でもいいんだと映ればいいんだよって言いながら小さなパクトメラで中を失走するのと同じようにこの鈴木年康明康さんっも その俺にはこの綿の種があればいいんだと。 うん。 で、俺はもうこれこれだけで勝負するんだと言ってその綿の種を育てて、そこから綿を採取してその綿で糸をついで、その糸で、 え、折り物を折ってそれを染めてっていう風にやってる時に僕の中でやっぱりこう新しい視界がバーっと開けたんですよね。うん。 あ、ここにいたのかと。で、町の主流の人たちからすると、いや、あの人は変わりもだから 変人だし。うん。 あの、我々のその企業活動とはちょっとまた違うとこでやってる人だからみたいな、ま、あるのこうちょっともう別世界の人みたいな感じだったんですけど。 うん。うん。 その東京から毎週毎週行く僕にとっては その遺とかあの非種主流っていうところを 超えて実はこの人がやってることに こそ本質的なその繊維の未来や希望がま、 あるんかっていうには強く感じたんですよ ね。うん。 なんでとにかくこの人を取ろうとあのそのさっき自分で育ててのもあれ面白いなと思ったの三川も面の原みたいなはい。 あのもうでそれは使われてなかったわけですよね。あのさが我郡の産業の中ではそうですね。 ね、それはあの何百年か前に隣町にあのま 、来た原子の種があの神社でよって守られ てたものをもらってきて自分で育ててで これこそ三川も面のオリジナルだってこと でこのえっと鈴木さんが80歳の方が やり出すてからあそうとんでもないもう 見つけてるなと思ってあのそのままある種 こう東京ガールズコレクションとの大比に もなってきちゃうじゃないですかもうあの まいや変なちょっと流行り物でどうする かんなんかこの人はもう自分の心を保って とにかくあ、早に背を向けてオリジナルは これなんだよってことでもこれ アウトサイダーだから逆にできることだな と思っちゃってこのやっぱりさっきあの 飯山さんおっしゃってたけどあの産業が 固まってく中で冒険ってやっぱりしにくく なってきちゃる中でアウトサイだから できるるっていうのがあったんでまこの人 よく見つけたなというのがものすごくこれ をやっぱこの方を見つけたんで映画になる なと思った感じですか。そうですね。 その人と出会ったことで、あの、ようやく僕の中で、あの、映画のこう、骨格というか、背骨にこうぶち当たった 感じがして。 そうなってくるとあれですよね。あの、ほら、あの T 部長が口出しは無用ってことを約束してたことはこうで生きてくるわけですよ。そうじゃないとなんでお前それ取るんだったらにかれないですよね。 そうですね。 あの、そんなあの、遺のね、存在をあの、主流じゃない人を、あの、取って町の産業のこう 1 つのこう未来像みたいなことを語られても困るっていう風にもしかすると市の人はあのちいち相談してたらなってたかもしれないです。 でも、ま、必ずになってたと思じゃなくてこっちの方がいいでしょうってぐらいのことは必ず多分言われている。 そうですね。だからそこはあの、ま、 良かったなってか、その半年間苦しんで、 うわ、逃げ道ねえやと思ってたのがそこで 実るというか、それはちょっと見ていて 面白いなと思って、あのであとあれですか 、Tブイギリスのあのイギリスで展示 するって話を出てくるじゃないですか。 あれはT 部長がどっかから話しつけたような感じなんですか?あれは あれはですね、その結局この鈴木俊屋さんっていう 80 歳のテキスタイルデザイナーさんと話をしてる時にもうこの国内でのこのシュリンクしていくマーケットの中でいくらあのジタバタしてもダメなんだと思う。うんうん。ま、人工社会にもなっちゃってるしね。 で、あの、自分たちが本当にいいもの作ってるんという、ま、自信は自分たちはあるんだけども、だとするならばそれをもう東京あたりでちょこちょこちょこちょこ売ってもこれはもう高が知れてるわけで、 全く新しいマーケットを見出さなきゃいけない。で、そのためにはこれを世界に持っていかなきゃいけないんだと。 うん。うん。うん。 だけども世界に持っていけば絶対勝負できると思ってるんだけれども、 ただやっぱりその町の人たちがこうどう思っていっていいのかわかんないと。 で、やったこともないし、世界で、世界でって言ったって、それは世界でもちろん注目されればいいけども、 うん。 それをどうやって展示したらいいのか、それどうやってその売ったらいいのか、そもそもその世界の人にどうやってその存在をね、そもそも知ってもらっ めんですけどね。うん。はい。 っていうことがやっぱり分からないで、俺もそれが絶対そうしたらいいっていう風には思ってきたんだけども、でもどうしたらいいのか分からなかったっていうのは、ま、この鈴木さんのうん。はい。はい。 あの、見解で、 で、僕らはあの、ま、毎週毎週その土とね、話をして、あの、だんだんあの、自分の話になってくるわけですよ。 うん。はい。はい。はい。はい。はい。で 、あの 、結局僕らもその長いことテレビ産業の中 であの、仕事してきたわけですけども、 どっかでその日本のテレビっていうテレビ の物づりっても完全にその国内の狭い マーケットに向けた中でやっていく時に やま、長くや先にそのマーケットが すごい勢いでシュリンクしている。ま、 象徴的ですね。 すごいやっぱ実感するんですよね。 で、やっぱりそのNetflix とかあのAmazon とかプランビデオとか出てきた時に そのうん。 世界にマーケットがあるんだと世界中に見る人たちがいる。 うん。はい。はい。はい。はい。 だけど僕たちテレビジンは随分長い間もう日本の人たちだけが見ればいいんだと。 だから日本の人たちだけが喜ぶものを作らなきゃいかんっていうことでずっとやってきた結果だんだんだんだんやっぱり魔していったでマーケットも魔していったしそれからその作り手も魔していったし それからやっぱりそのテレビのそのツールが持っているポテンシャル自体もだんだんだんだん下がっていった うん でみんながじゃあ次新しいテレビってどこに向かってどう作ればいいんだろう ね。で、それは、ま、僕ら、ま、あの、 そろそろ映画に自己足を映していたんで、 じゃ、映画って考えた時に、じゃあその 新しい映画とか新しいあの、 エンタメコンテンツとかってそのどこに 向かってあのきちんと届ければいいん だろうった時にもう日本 のっその中でのその例えばテレビでばうん 。 まあ、映画でば、ま、工業収入、工業成績みたいなことだけをずっとぐジュぐジュぐジュぐジュやっててもその大きなパラダイムシフトみたいなことにはならんだろうと。 うん。もっとそうじゃない。いや、これは 日本の人は、ま、そ、そこそこ見て、見て 評価してくれるば、ま、それはそれで ありがたいことだけれども、そうじゃなく てもっとその世界の人たちにこれを見て もらう価値があるんだってものを作ら なきゃいけないよね。ま、それはここ数 年僕と、ま、土がよく話をすることだった 。で、そのやっぱり テレビや映像が、ま、置かれているその、 ま、小層感とうん。 その町がその船員産業でその車の一等を辿どっているってことのその小層感っていうのは僕らの中で実はこう同じ問題なんじゃないかと。 うん。うん。 だいかに早く安くあのたくさん作るかでそれはそんなに長く持たなくてもいい。瞬間風則台さえ吹けばいいんだっていうことで、ま、テレビは長くやってきたんですけども我ゴの街もそうやってやってきたんですよ。 いかに早く安く大量に作るかでそれがめちゃくちゃいいものかって言われるといいもの作ってる人もいるけどもそれはちょっと 1 回置いときましょうよともっとその経済的な合理性の高いものをまブルに作った方が話が早いじゃないですかってやってきたでその結果やっぱ社用になってくですよね。 うん。 で、それと、ま、僕らがやってきたテレビとか映像が置かれている 1 つのそのこう出口が塞がれていく感じっていうのが僕らの中ですごく重なる部分があって、 ま、学業界も今そうですからね。そういう意味では本当にうん。 で、ま、特に、ま、特にテレビはやっぱりそうそうだったんですよね。この本当にあの、 出口なしの状態みたいな。 うん。だからこの鈴木さんのこの非流の人 がこう思い描いていた世界にこれやっぱり 売り出したい。世界の人に見てもらいたい 。世界の人に届きたいすればこの価値は 分かってもらえるはずだっていうことが 実現できたらそれは僕たちのその物づりの 1つのこう大きな価値転換にもなるなと。 そうだとだ。日本の中だけで日本の人に だけ向けてものを作っていって、でも世界 は今すごい勢いでもうみんな繋がってっ てる中でなんでこの国の小さなこの マーケットだけをみんなで食い合わなきゃ いかんのか。だから世界に持っていき ましょう、ま、話にやっぱりずっとなって いった時にこれ僕ら自身の生き方の問題で もるっていう風にまなったわけですね。 うん。 で、ちょっとこう話が長くなっちゃいましたけど、その鈴木さんが自分たちのやっぱり作ったもの世界に持ってきたい時に僕らはもう 1も2もなく絶対持てった方がいいです。 うん。うん。うん。そう。 絶対持ってった方がいいですよと。で、これ世界に持ってったらいこれいいじゃないかと。これどこで作ってんだ?日本かと。日本のどこで作ってんだ?東京か京都か?いやいや、そうじゃない。愛知県の三川地方のマゴ郡氏っていうとこで作ってんだ。 って言ったら世界に私みんな驚きますよ。 うん。 で、そういう風なことをやっぱり実現しましょうよって言って、じゃどうしたら実現できるんだろうっていうことで、こう、ま、ブレストをしていって、ま、仲間を色々引き入れていくんですけどうんうん。 で、あの、ロンドンと日本でこう活躍をしているコスチュームデザイナーの谷み子さん方がいらっしゃって、 で、この人も仲間に入ってもらって、これをとにかく三川も面をその世界に持っていきたいんだけど、どう、どういうやり方があるだろう?言ったら彼女の方からロンドンに持ってきましょう。 うん。で、ロンドンのロンドンデザイン フェスティバルっていうもう世界中の デザインのそのアートフェアがあるから 世界中のいいものが集まる。で、そこに そんなにいいものができるんだったら堂々 と持っていきましょうよ。で、展示し ましょう。で、ロンドンの街中でこんな いいものができたぞっつって1台 パフォーマンスしましょう。うん。ていう 案を、ま、彼女が出てきてくれて、で、僕 らも驚いたし、ま、鈴木さんも驚いた しうん。 でもやっていくと詰めていくと、ま、ある種そういう風なこう爆発的な展開をしないと うん。誰も世界の人なんて 三川も面っていうものがあるっていうことさえも、ま、一生知らないま終わってく人の方が 99.99%だ。うん。 でもそれがもしかするとあ、なんか聞いたことがある。 三川も面が我りってあ、なんかなんかちょっと知ってるかもっていう風になるためにはやっぱり現地で実際やってみなきゃダめだっていうんで、ま、それ現実化していったっていう。 うん。 あの、だからある意味あのドキュメンタリーもそこにあるものを取ってってそこナレーションも被せないで取ってくって捉え方もあるはめそれと真逆じゃないですか?仕掛けててる。 仕掛けてて、しかもナレーション結構対応 されてるっていう取り方のある種あの 際立ったそういう手法を取られてるのがあ なるほどこういうとこに繋がるんだなって いうのが分かる作品ででだから面白かった のはそのえっとま80歳の職人のものを 持ってくのに合わせるかのようにある企業 の経営者ですかあの復興復興版を作ろうと いうか三カ面ってそもそもどういうもん だったのかっていうのはあれいつの サンプルでしたっけ江戸時代のサンプル ですか?そうですね時江戸のサプが残って て、で、それを復活させようていう経営者 が出てきて、で、ここで面白いのはガズ コレクションが生きてくるんですよね。 あの、ガルズコレクションでもう思考錯誤 してた女性がそこのプロジェクトに入って きて、あ、こういう繋がり方するのかって いうのがだ、だからそれまで単に1風景で しかなかったガールズコレクションがそこ でやっと生きてくるっていうのもこれもだ けど狙ってたらこんなことできないですよ ね。そうですね。 それは狙ってるとなんかすごい小ざかしい構成のものに そうですよね。 なってしまうし、ま、そう、そう都合よく物事は済まないだろうっていう 風に、ま、思いますよね。 うん。で、それもだからその職人さんのものと一緒に持ってくって話になるわけじゃないですか。 だから、あ、これはでもいい形の科学反応が起きてんだなと思って、要するにあの、ティ部長が途中で言ってるけど、町の人にその海外に持ってくのを持ちかとみんなそんな余計なことしないでくれって そうなんですよ。 言われちゃったって話出てくるじゃないですか。だけど中にそうじゃない人がいたって話でで、だから彼もあるにちゃ変わりもなわけわけですよね、あの中では。 そうです。そうです。うん。だからただ やっぱり確かに変わり物であの変な言い方 ですけどもちょっとメジャーリーグの扉で 野秀っていう変わり物のピッチャーが開け たがとくんなんかそういう突破ですよね。 一種ないと開かないんだなっていう映画で もあるなと思っていた。 本当にそうおっしゃっていただけるのすごい嬉しくて、 ええ、 あの、僕ら実はあの、そのが我郡のその、あの、繊維のね、ま、いわゆる主流にいる人たちに はい。はい。 いや、これ海外でね、持ってたらいいと思うんですよと。で、まさにね、メジャーリーグの話を T部長化したんですよ。 あ、そうなんですか。 でね、今その大谷やね、あの、佐々木がもうバリバリ活躍してるけども、 1 番最初にその扉を上げたのは野じゃないですか。 とで野がこそ一郎が、そして今の大谷がっていう地雷になってた。だからあのそれだけのやっぱり力があるんだから皆さんのもんだってそのメジャーリーグで持ってきましょうよと。 うん。 でものすごいホームランバッターいっぱいいるじゃないですか。って言った時に、ま、その主流の人たちが、ま、これは僕、ま、あえてそれはあの使わなかったんですけども いやいや誰もそんなこと頼んでませんよ。 ああ、そ、そういう本体取れてるんですね。 で、僕らは別にあのいいんですとその野球で何がいけないんですか?なんだったら別に日本のその地元の草野球のチームでいいんですと。 うん。うん。 だ別にみんながみんなメジャーリーグに行く必要はないんですよって。で、ま、それはそれで 1つの考え方し、ま、分かりました。 ええ。 で、だから別にメジャーリーグに行くことが次の時代にあのの扉を開けるという風には僕は思ってないんですっていう風に、ま、おっしゃった方が うん。 土はメジャーリーグの例を出した分激しい衝撃を受け あ、なるほどね。 で、そうなんですかと。うん。 だってせっかくだってもしかしたらあなたの町にだって二流でね、ものすごい弾投げたりホームラン打つ選手がいてガンガン腕回してるかもしれないのに いやいや別にいいんですよ。メジャーリーグに行かなくてもいいのはそれ本気で行ってんですかみたいな。 うん。うん。うん。 いやいやいいんですと。別にそのメジャーリーグに行くことが正解じゃないからみたいな。 うん。 え、でもそれってだけどじゃ、じゃあどこに未来があるんですかっていう風に、ま、土はやっぱり 激しい衝撃を受けて、で、門衝撃を受けてうん。 あの、ま、2 人で新幹線にずっと帰ってくる中で これどうしたもんだろうと。 だってもう余計なことしないでくれと。 あの、別にそんないいじゃないか。海外なんか持ってかなくていいよと。 うん。 俺たち、俺たちでこの町であの一生懸命やってるんであって海外に行くっていうことで新しい世界が開けるなんて思ってないみたいな ことを、ま、主流の人たちから言われた時にこのまま行ったらこの町はでも本当にダメになってくな。 うん。うん。で、それは僕らが本当に自分 たちにいつも身を置き換えて考えるんだ けども、例えば日本のテレビマンが いやいんだともう日本のテレビはあの映像 クリエイターはあの日本の視張率だけ ずっと考えてればいいんであってであの それが本当に消滅する時には俺たちも消滅 してけばいいんだって言ってるのに近い うん話なわけでも本当は作りたちはみんな もっと考えてどうやったら自分が作ってる 番組とかあるい 映画がどうやったら世界に届けられるのかなとか日本の狭いところだけであのこういいとか悪いとかってジャッジされるんじゃなくてもっと大きいスケールで大きくジャッジしてもらうためにはどうしたらいいかっていうことでまいているクリエイターたちがまたくさんいることもま知ってるわけですよね。 うん。そうですよね。 だからちょっとこれ本当にそれ田幸さんなんかがもう 20年ぐらいで頑張って頑張って あの最初はもうほら田さんはいちいち間違ってる日本描写とか直しててもやっぱりそこまで聞きられてないから あの47 ローディみたいな変なもんができちゃったりもしてるんだけどやっぱり行きついて行きついてアメリカの金で世界マーケットの金で日本のではとても取れないようなスケルの時代劇をちゃんとしたこ時代交渉ありでやれるまでに至ったって考えちゃう 結局やっぱりその辺なんですよね。でもね。うん。いや、本当そうですよね。 野田さんなんかもう本当に素晴らしいなと思いますね。 で、きっとあの人も絶対変人扱いだったと思うんですよ。 だって日本でトップスタだったじゃないですか。だってキの前の抱かれた男 1 位だったんですよね。アンハンの投票でってみんなあいてないけど。あれキたの前で田さんが 3連続ぐらいで1位だったんですよ。 だけどそういうキャリアの時にラスト侍出てから、ま、ハリーウッドが拠点になっちゃうでしょ。 40 代じゃないですか?ある意味遅いんですよ、日本で。だけど 40代から60代までで20 年かけてここまでやったってよく考えちゃうと やっぱり、ま、ある種返人が ある種変人ですよね。 で、返人だしその全くその主流派の考え方じゃないですよね。 うん。 日本でトップスターである人間があの日本を飛び出してあのハリウッドでまたある種ゼロから 無者修行をする。うん。 でもそれがその単なる一個人の思いじゃなくてそうやっぱりこうその先にもっとなんか正しく描かれるべき日本の時代劇の描写とか そういったものをもちゃんとやってかなきゃいけないだ。 俺は日本であのそれなりの地位でやってきたけれどもハリウッドに行ったらお前は誰だみたいな うん。 英語も喋れないくせにって言われてるところからま本当に一歩一歩本当に階段を登っていってまきじけそうになったと思うんですよね。 うん。ま、日本会したら楽ですもんね。サ田さんくらいになっちゃったらね。うん。 そう。やっぱりちょっと23 年やったけど、まあなかなか難しいなって言って帰ってきてもおかしくないような人が彼だけ本当にこう腹を吸えてやってあれだけの成果を出すっていうのはあのやっぱり出なきゃい始まらないことだったし だ今回のやっぱりその鈴木俊さんもあの多分分に重なるところがありますね。 うん。 やっぱりその世界に売って出ないと未来がないんだと。 うん。うん。 で、縮小していくマーケットの中で自分たちも縮小していった時にもう産業もプロダクもずれ消滅するぞ。 うん。本当にそれでいいのか だけもそれじゃダメだろう。 でもじゃあどうしたらいいんだっていう時にやっぱり海外に目を向けてくっていうのはあの極めて非主流だし遺だしま変わりもだしまめんどくさいある種のまドンキ法テみたいな発想 なわけですけどうん やっぱりその非主流で生きてきた僕やT 部長からするとそれは絶対的に正しいと思う うんうん ねなぜならば僕らもそう思ってるから僕ら なってそうしないと生き残っていけない。 日本の物づりはあの今そういうとこに 立たされてるんだ。それは映像と繊維って いう違いはあるにせよ立たされてる 崖っぷ地は同じなんだ。だから映像と繊維 が手を組んで、そうか、こんなやり方が あんのかっていうところがもし見せられ たら、ま、日本中のいろんなこう 行き詰まってる産業、物づり産業にとって そうかあんなやり方があんのかだったら俺 たちも風にこう希望の道が開けてくる んかっていう、ま、思いで作った映画なん ですよね。うん。 だから多分なんですけど、その外国にあの通じてるあのあのなんだっけ?谷さんでしたっけ?女性のあの方とか連れてくるのっていわばこう今場でのテレビ的手法でもあると思うんですよ。見てて。で、ちゃんとそれ有勇気的になってく。 だからドキュメンタ、さっきも言たドキュメンタリーも何種類かあって仕掛けてく方のドキュメンタリーだったなと思ってて、それはあのやっぱり多分谷あの T 部長とか山さんのテレビの経験がすごく生きた作品なんだなって気は僕はちょっと見ていてあの特が行ったという感じがある。 あ、それはあの嬉しいですね。あのそうですね。もう あのま本当にこうドキュメンタリー映画って言っても本当に多種多様じゃないですか? そうですね。 今なんかは本当ね、本当にノーナレーションのものも今多いじゃないですか。で、それはそれで面白いんだけど、 これは逆に ある種元々テレビ屋さんだった人たちがもっと新しいもん作ろうと思ったけど、やっぱテレビのいい手法を持ってきたって感じはすごく 僕は感じました。ええ。あ、 なるほど。なるほど。 それは嬉しいですね。 うん。 僕、あの、前作は全くのナレーションで、あの、やったんですけども、今回はあの、かなりナレーションで語り込もうと、ま、最初から思ったんですよね。 うん。 で、それはやっぱりあの応答せよっていうその発信者がずっとジタバタするっていうことを言語化しないと あのうん。 こうニュートラルな観察映画のスタイルではあの日もさっちもいかない。 あ、ま、ちょっとこれはちょっと無理ですよね。うん。うん。 それ滅びていく行く街を静かに見る映画になっちゃいますよね。そしたら そうですね。 え、滅びていくを静かに見つめる映画っていうのを、ま、それはそれで、ま、面白いのかもしれ、 それはそれ面白いと思うんですけど、ちょっと違いますよね。 頂いたオーダーが、あの、とにかく社化するこの戦産業が希望が持てるようなその希望を描いて欲しいって言われたんで、希望を描くっていうのはそう簡単な子じゃないぞと。 うん。うん。 で、かつその何十年もこの町はその車両の一等を辿どっていって希望なんてなかったんですよ。 うん。 で、そこに僕らが映画を撮りますって言ってずっと観察していったって希望なんてあるわけないんですよね。希望の種すらない。 うん。うん。こは僕らが映画を撮るっていうことでこの町に対して何かこう極めて濃的に働きかけをしない限り物事は何にも動き出さない。 だから今回は僕らはもうあの僕たちの存在そのものをきちんと立場を表明して 希望を描くんだって言ってこの町に乗り込んだんだけど希望なんかないでもじゃどうしたら希望が生まれるんだって言うと自分たち自身も腹をくって何かをしないと うん どうにもならないっていうことをやってかない限りダめだよなとだからまあのまあ種のその仕掛けていくしま コミットしていくし能動的にその、ま、関わろうとする うん。うん。うん。 ことで、ま、この町がこう、あの、だんだんこうわずかにこうぬくもりをこう自分で感じ始めてで、こう対し始めるっていうのはやっぱり実感しましたよね。 これでも実際そのね、あの、ま、T部長と 山さんとこの話仕掛けがあって、その良き せの人をまあ2人3人掘り出してその人 たちが軸になってくわけですけど、これは も実際、ま、出来上がったものを総当 オーダーされたところに、ま、初めて 見せるわけじゃないですか。どんな目に なってた?あの、産業に関わってる人たち はやっぱり、あの 、すごいやっぱり感動してきましたね。あ 、そうです。それは良かったですね。で、 あの、すごい良かったな。で、やっぱり その 物づりが1つこうやっぱり、ま、この映画 の終盤で、ま、報われていくわけですけど 、自分たちが作ってるものが海を超えて そのロンドンの人々の心を打つのやっぱり あのが蒲にいる人たちは見たことがないん だよ、そんな風景を。うん。うん。うん。 だからあ、自分たちが作ってるものは こんな風にその海を渡って価値を持ってる もんなんだ。 俺たちもっと胸を張っていいんだっていう風に、ま、思ってもらえたっていうことがやっぱすごく大きかった。 あれは鈴木さんはなんでロンド行かなかったんですか? 鈴木さんはね、もうあの、あれなんですよ。あの、奥様がもうあの飛行機にも乗れないっていう。 あ、そういうことなんですね。はい。 そっか。 いう状態で、だから、ま、僕たちにその、 ま、1映画監督と1プロデューサーに うん。うん。それから、ま、1 デザイナーに、あの、自分があの、夫婦で売り上げたあの記事を、ま、託すんですよね。 あ、なるほどね。 で、僕らはそれを、ま、託されたという、ま、責任があるので うん。 何としてでも向こうでやっぱり成功させたいっていうもう萌えは完全に自分たち自身も あの登場人物と ま、貸してるっていう。なるほど。 これについてはそういう映画になりましたね。そっか。そうか。 いや、あの、いや、なんとなくそれ感じてたことと一緒なんですけども、改めて聞くと、あ、そうか、そうか。で、あの、結果的にその大した方も良性の方向に行ったけど良かった、良かったになるっつうのはこんないいことはないですね。あの、クリエイターとしてね。 そうですね。 で、これでなんだよこれとかってなっちゃったらやっぱりちょっと困っちゃいますからね。 で、もしこれでなんだよこれ、俺たこんなのを頼んでないよみたいな話になるとすれば、それはでも本当に街として ダメじゃねえかみたいな ことなんですけども、いや、もやっぱりあのやいやこの町はやっぱり捨てたもんじゃないぞと。こんな豊かなポテンシャルがあるんだっていうことを、ま、人から言われて初めてみんな自分たちの足元。 あ、そ、それは大事なんですよね。うん。 なんか俺たちなんかダメなやつ、ダメな場所にいる。 ダメなやつかと思ってたんだけど、そんな風に言われるとそんなことないんだっていう。 なるほど。ま、結構でもこのいい形での第 3者の評価だとかあの関わりというのは これ本当にね、クリエイターとしても実は 大事じゃないですか?作品に一切関わって ないような人は見てあ、こ、こういうこれ 面白いですねって言わ最初にこれ実は 繋がってくるんですけど誰も評価してくれ ないような状態で前の映画の時にで たまたまつけてたあのそこにいる女とか ですね。そうそう。 さんね、本当にもうジさん足もうジさんに足向けて寝られないですよ。 でもあのある種実は最初の話って良きせる数でこう繋がりましたね、今これね。 そうですね。あの そん時に あのやっぱりそのジョさんと森さんがこの映画の何が面白いのかっていうことをあの極めて具体的にあのこうあげてってくださったんですよ。 なるほど。うん。 で、あの、それは、ま、あの、僕の中で、あの、意識してやった部分もあれば、あ、そういう風に見てくださるんだっていう、その無意識の部分を救い上げてくださったこともたくさんあったんですけど、 言われるとね、あの、そうなんですよ。いや、僕よくね、あの、映画の舞台挨拶とかで、 あの、監督とこういわ手監督とやり取りしてて、あ、それは僕気づきませんでしたってこと。結構若手監督あるんですよ。そしたら、あ、もう今日からこれは最初から考えた風にしなさいて。 うん。次は考えて言ったら自分の言ってるう自分でもそう思なっていうことがあって結局そのやり取りって実はものをあの映画作りでもテレビでもそうなんですけど多分終わらない祭りみたいなところがあって あの見てもらわないと完成しないじゃないですか。 だから多分その岩さんが、ま、前作の時に感じたものとかが、あの、実はここになってフィードバックしてくるってのはものすごく今話してて僕は特が行ったというか ああ、確かにそう。松井さんおっしゃっていただけると本当にそうですね。 やっぱり前作の時にやっぱりジさんと森さんがこの映画の何が素晴らしいのかってことを具体的にあげててくださった時にやっぱり僕の中にもだんだんこう腹に落ちてくるで今の本当にお話の通りでそうかそっかっていう風にこう自分の中でこうあの自分が作ったものであるにもかわらず自分の中でまた新たな発見ができてまた自分でまた咀嚼ができて で自分の中であの自分の作品がまた豊かにこう育ってい くっていう感じがすごくあったんですよね。 で、それとなんか今回のその愛知県我蒲郡氏のその細とした専衛産業で生み出されてるその三川も面っていうものがもうどうせ三川も面って言ったって誰も知らないし海外なんか持ってったって誰も見向きもしないからさって言われてるものをかなり強引に持っていって、ま、ちんとしたをもらってもう一度戻ってきて、ま、映画として街の人たちに見てた時にそ そうか。俺たち結構いいもん作ってんだっていう風になってくれはすごい感じましたね。 うん。だ、やっぱそういうことなんだなというのが今日はしか一体ジという名前が何回出てきたんですかね。女さん偉いですよ、本当に。 ま、この番組始まっていのフーチャーでしたね。今日そこで笑ってますけど。 [音楽] いや、本当にあれ嬉し、嬉しかったんだなあ。 あのでですね、結構尺回りましたね。あの、 あれですよ。そろそろまとめで行こうと思うんですけど、あの、なんかい、言っておきたいこととかですね、あの、ちょっとまだ言いたくりなかったなってことあったらちょっとどうぞ。 あのですね、ま、あの、 ま、僕いっぱいいろんなあの、語っておりきたいことあるんですけど、ま、それは、ま、ぎゅっと映画に来ました。 映画をまず見るとね、 まず映画をご覧いたいんですけど、あの、ま、ちょっと違うあのフェーズの話なんですが、ま、今回、ま、あの、かなりナレーションをこう対応してるんですが、 で、その、あの、ナレーションを、岸野さんにお願いしたんですが、この岸井さんていうのが 素晴らしくてですね。 で、僕、あのは、こんなに長くものを作っていて、その Qボタンをですね、ええ、 あの、感動のあまりこう押せなかったっていう。 おお、 びっくりしましたよ。へえ。へえ。 で、僕、あの、岸さんってあの、ま、ずっと一緒に仕事したいなって思ってたんですけど、 ま、今もうすごいあのダイスターですけど、あの、アカデミー主演上女上優になって、 あの、素晴らしい方なんですけど、僕元々はあの、舞台で初めて見たんですよ、この人のことを。 で、あの、声がいいなと思って あ、なるほどね。うん。 で、それはあの、朗読劇だったんですよ。 はい。はい。はい。 坂本裕二さんの朗読劇をあのたった2 人であの小さな中目黒の衝撃場であ、そんな機があるの読むっていう。 で、まだ彼女も全然あのこうなの知られた存在じゃなくて うん。 で、ちっちゃな劇場で朗読劇をやったんですけどもう僕それをま見に行って、ま、痛く感動してですね。 うん。 ま、ゾっとするほどいい声だったんですよ。 すごくその悲しみをびていて私で奥深くっていろんな人間のそのこう感情のキ々をそこにこう声 1 つで盛り込むことができるすごい人がいるな何て人なんだろうと思ってゆきのってメモって でまその後まいろんなとこでだんだん露出をしてまやがて あのアカデミー主演女上女優 でまで取るようになるわけですけどま今回はやっぱり彼女やって欲しかったんですね でそれはまさっきあ さんがあのずっとご指摘をいただいてるように、ま、今回そのナレーションのその死体性みたいなのが極めて重要な そうですね。はい。はい。映画なので誰が どういうトーンでどういう気分でこの監督 やそのプロデューサーのこの瞑想や瞬 やま焦り やその達成感をどどう々で読み込むことが できるのかみたいなこと考えた時にそんな にね別にうまいアナウンサーとかっていう 感じですようんそのなんかいわゆるNHK 的ものすご聞き取りやすくてはっきりとし た正しい日本語を語るあの声のいい人 みたいなことではなくって僕ら のどうしようもね行き詰まり感とか僕らが 感じたその綿の神様みたいなものにふと 巡り合うそのやっぱり喜びみたいなことと か何かがこう出来上がっていく時の絵も 言われぬそのこう胸をこう突き上げてくる ような感動みたいなことを言葉で言語化し て喋っ くれるためにはそれそうの力のあるあの役者さんじゃないとダメだなと思ってで、ま、岸さんにお願いしたんですけどうん。 で、僕、ま、岸さんにそのやる前に、ま、こうお手紙を接せと書いて うん。うん。うん。 で、ま、今正崎さんこう話してた僕はもうあのあなたのにの存在を知ったのは今から 11 年前の中目黒の劇場のことでしたみたいなこと書いてうん。うん。うん。 で、とにかく声なんだと。で、あの、その声を今回この映画とても重要だと思ってるし、これはあのナレーションだと思わないでください。 ナレーションじゃなくて、ま、語りなんです。 うん。うん。 だ、映画を語って欲しいっていう風にお願いをして、で、なんならこれはもうもはや映画でさえもなくって 1つのもう演劇なんだと。 うん。 うん。演劇として舞台の上に立ったテンションでこの物語を語ってほしいっていう、ま、お手紙を書いて うん。 で、ま、本番であってで、ま、監督のお手紙りました。で、すっごいチューニングをししてきたんですよ、彼女が。 うん。うん。 で、ま、僕なんか、ま、今までのこういろんな経験があるので、ま、ちょ、じゃあちょっといくつかのトーンを試してみて、で、そっからちょっと微修正していきながら、あの、お互いのじゃあこういう調子でっていうとこ行きましょうか。あ、分かりましたってこう最初に彼女が第 1世ポって喋った瞬間に うん。うん。T部長と僕とでうん。2 人で顔見合わせちゃってうん。すげえて。 うん。で、どうでしょうって言われたんで うん。いや、どうもこうもう うん。その通りだとうん。うん。 つってこうやってってもらってで、最終版になったら うん。 あの、ま、あるそのこう、クライマックスがこう訪れるんですけど、もう僕普通に Qボタン押さなきゃいけないのにうん。 もう感動しちゃってうん。うん。 で、もうもう涙が止まんなくなっちゃって 9 ボタンを押せなくなるっていう、ま、失態をですね。 うん。うん。この30 数年のキャリアの中で初めて犯かしまして ああ。ああ、そう。 で、ふと後ろを振り返るともう土山もね、泣いてるんですよ。 [音楽] うわ、すごい呼形ですね。 そう。おっさん2 人がこう泣いてるっていう。 で、ま、それがやっぱり彼女のそのこう語りの素晴らしさみたいなことも、あの、是非やっぱりちょっと見ていただきたい、感じていただきたいな。 C さんってナレーションって他にもやってられるんです? やってないと思いますね。 あんまり聞いたことないですよね。いや、 はい。 あの、だからあ、岸野さんなんだと思って見てたら別に岸野さんだってことを途中で忘れてしまうくらい ある意味なんですよね。入り込むというか すごい声だしすごいやっぱりチューニングでしたね。 なるほど。なるほど。ま、やっぱりいい女優さんというか。 あ、も素晴らしいですね。 いや、そこもじゃあ見所なんでも 見所聞きどということです。 はい。 あの、なんかこう、愛知県を舞台にした船員産業をテーマにしたあの映画って言うと、あ、まあ、なんかご地映画で、ま、なんとかこうちょっと行政の匂いのする、まあ、なんか、ま、産業文化モーション映画みたいなもんでしょって思う人もまあまあ少なからずいると思うし、ま、僕は逆の立場だったら、ま、言うても そんな劇場でね、わざわざ足を運んで見に行くほどのもんなのかなと、ま、思って いらっしゃる方は、ま、たくさん、あの、いらっしゃると思います。 はい。はい。はい。 と思うんですけども、で、その通りだと思うんです。僕もそう感じるの無理、無理もない話だと思うんですが はい。はい。 あの、皆さんの、あの、その予想をですね、あの、覆返す映画になってると思いますので、あの、是非はちょっと劇場の大画面で有機能の語りを全身に浴びながら、あの、お楽しみいただきたい映画になってるという風に思います。 はい。あの、5月2日から5月2 日、金曜日からネマ借り、シネマ借りてってとかいいですね。 死ね借りて あんまりドキュメンタルやるイメージそんなにないですけど。 いや、ないですよね。なんかうん、 あの嬉しいですよね。シネマ借り手っていうのが ね、新宿のシネマ借り手で、ま、他全国労働省、ま、順次やってく感じですよね。あの、ということでですね、渡せよということでですね、あの、岩監督にあの、お話を伺いました。もう今回はこの番組再する感謝から始まりました。もう本当に 呼んでいただいて本当に感謝してます。 どうもありがとうござい。 どうもありがとうございました。皆さんよろしくお願いします。

☆イントロダクション
「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道」の岩間玄監督と、バラエティ番組「電波少年」シリーズのプロデューサー・土屋敏男がタッグを組み、繊維産業の街として知られる愛知県三河・蒲郡市にスポットをあてたドキュメンタリー。

1200年前、日本に初めて綿花がもたらされた街・蒲郡市。戦後、衣類が不足するなかで空前の好景気が訪れ、街の至るところで織機の音が鳴り響いていたが、いつしかその活気は失われてしまった。蒲郡市から「街の繊維産業に光を当てる映画を作ってほしい」と依頼され現地を訪れた岩間監督は、街の構造的な問題と人々の諦めムードを目の当たりにする。映画制作が難航を極めるなか、わたを種から育て紡ぐ80歳の職人との出会いをきっかけに、奇跡のような展開が訪れる。舞台は蒲郡市からロンドンへと移り、日本のモノ作りの本気が海を越えて人々の心をつかんでいく。

「ケイコ 目を澄ませて」などの俳優・岸井ゆきのが語りを担当。

☆スタッフ&キャスト
監督 / 岩間玄 
語り / 岸井ゆきの

☆監督紹介
1966年、北海道生まれ。名古屋育ち。早稲田大学第一文学部・美術史学専修卒業。1991年、日本テレビ放送網入社。以降30年以上に渡り、多くの番組の企画・演出・プロデュースを担当。
「はじめてのおつかい」「高校生クイズ」「24時間テレビ」「記憶のチカラ」「ヒットメーカー阿久悠物語」「スタジオジブリ物語」「時空警察」などを制作。
1996年「路上の犬は何を見たか?写真家・森山大道1996」の演出を皮切りに、スタジオジブリやレオナルド・ダ・ヴィンチ等のアート番組の制作に着手。バチカンのシスティーナ礼拝堂の修復をきっかけとした美術番組、「ルネサンス時空の旅人」シリーズ(芸術祭参加作品)で総監督を務める。
2003年より岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」復活プロジェクトにドキュメンタリー総監督として中心的に携わる。JR東海「そうだ京都、行こう」のキャンペーンシリーズ番組では松下奈緒・栗山千明らを起用、企画・構成・総監督を10年以上務めてきた。大和証券グループ、日本テレビホールディングス、ダイワハウスなどの企業コマーシャルやスペシャル番組も演出。
2014年、当時一般にはほとんど無名の存在だったチームラボを見い出し、東京初の大規模個展を企画・立案・制作・総合プロデュース。46万人という日本科学未来館開館以来の史上最高動員記録を達成。チームラボ初の図録の執筆も担当する。
また新江ノ島水族館でデジタルアートと水族館のコラボイベント「ナイトアクアリウム」を世界で初めて企画・制作し、メガヒットを記録。
ルーヴル、オルセー、エルミタージュ、ウフィッツィ、バチカン美術館など世界中のミュージアムを舞台にした数多くのドキュメンタリー記録番組を制作。2013年には、東京国立博物館で「特別展:京都」の映像制作を演出総指揮。龍安寺の石庭を一年間4台の4Kカメラで撮影、実寸大で展示してATP特別賞を受賞。また番組だけではなく多くの美術展も企画・制作・総指揮。
主なものでは「ディズニーアート展」「バンクシーって誰?展」「チームラボ踊る!アートと、学ぶ!未来の遊園地」「ルーヴル美術館展」「俺たちの国芳、わたしの国貞」「エルミタージュ美術館展」など。
2020年、劇場用映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道」で映画監督デビュー。ストリートスナップの世界的名手の制作工程を映画化した。
パリフォト・フィルムセクション、イギリス・レインダンス映画祭、韓国・全州国際映画祭、中国・西湖国際ドキュメンタリー映画祭、南仏・国際アートブック&フィルムフェス等で正式招待・ノミネート・受賞。米・英・仏・独・伊・中・韓など世界中でも商業公開される。
2023年独立し、株式会社ON THE SCENEを設立。映画・ジャンルの垣根を超えて活動。現在は、ゲーム「ファイナルファンタジー」で知られる画家・天野喜孝の超大作制作にも密着し、2025年以降劇場用ドキュメンタリー映画として全世界でロードショー公開する予定。
ATP賞優秀賞・奨励賞・特別賞、ギャラクシー賞、テレビ記者賞、AMDデジタルコンテンツオブジイヤー賞、年間ベストテレビ作品賞、コロンバス国際映画祭優秀賞等、受賞。
主なメディア露出は、「美術手帖」「BRUTUS」「新潮」などでインタビュー・対談・寄稿・エッセイ執筆等。

00:00:43 イントロダクション
00:02:00 活弁シネマ俱楽部への想い、コロナ禍における上映活動の中で
00:11:57 映画『わたのまち、応答セヨ』:タイトルに込めた想い
00:15:32 企画の経緯、映画の“背骨”を見つけるまで
00:34:47 “非主流”の人々の挑戦と意義、手織り職人・鈴木敏泰との出会い
00:43:41 ロンドンでの展示までの経緯、“ものづくり”を国内から世界へ
00:52:54 “メジャーリーグ”へ
01:01:50 岩間玄監督の作家性、能動的に“希望”を描く
01:05:12 映画完成、関係者の反応
01:08:02 “評価”が“ものづくり”に与える価値
01:11:37 語り・岸井ゆきのの魅力
01:18:03 エンディング