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日頃ご視聴いただいている皆さま、本当にありがとうございます!お陰さまで本日(2025年4月8日)、当チャンネルは開設から1周年を迎えました。
その一方で、あの日からは早39年という刻が経過したことにもなります。

1986年4月8日12時15分に発生した悲劇的な出来事は、岡田さんのことが大好きだった当時14歳の私にとって、あまりにも衝撃的且つ受け入れがたいものでした。岡田有希子さんこと、佐藤佳代さんご自身の胸中を計り知ることはできませんし不用意に推測すべきことではないとも思います。ですが少ないお小遣いをやりくりし、岡田さんのレコードやブロマイド等をせっせと買い集めていた当時の私は、自らの行為がアイドルというギョーカイ仕事のシステムに加担していたのではないか、ギョーカイ仕事というものが抱える残酷な構造に共犯的に関わってしまっていたのではないか……。そんな自責の念に駆られ、当日を境にアイドルという存在から目を逸らすようになりました。
その後プロの作り手となってからは(メンタルケアを含めた)アイドルとの仕事をむしろ積極的に増やすようにしていったわけですが、その過程の詳細に関しては拙著やラジオ等で語ってきたことですのでここでは割愛します。

いずれにせよ岡田さんへの想いとあの日の激しい情動がなければ、ライムスター宇多丸さんとの出会いはなく、TBSラジオに長きに渡って出演することもなかったことと思います。そうなると必然的に新書館の吉野さんが私の存在に気づいてくださることもなく、つまりは「スクリプトドクターの脚本教室」シリーズを出版することも、ひいては「マンガ家のためのプロット講座」を中心としたオンライン講座を開催することもなかったはずです。

或いはそもそも、長年日本に普及してこなかったスクリプトドクターという「ギョーカイ仕事ゆえに発生せざるを得ない幾多の問題に苦しむ人々への援助職」を始めることも、近い将来ギョーカイ仕事と向き合っていくための学びの最中にいる大学生や大学院生への教育の仕事をはじめることもなかったかと思います。若手の俳優たちにとって何らかの励みになれば、という想いだけで出演し続けている「ぶらゲキ(ぶらっと劇場)」に至っては誕生すらしていなかったかもしれません。もちろんこのチャンネル的に言えば、窓辺系やソフトストーリー派の脚本家志望者の皆さんに対し、動画生成AIを駆使することで「ギョーカイ仕事ならではの、時として過度に個人の尊厳を奪い、そのことで、ともすると精神を蝕まれてしまうようなキャリア形成のプロセス」を迂回する方法を示唆することや、自ら葬った和泉繭という人物を生き返らせることで、ギョーカイ仕事に日々立ち向かっている同志に向けての何らかのメッセージを発信できれば、という発想も起きなかったかと思います。

すべては私の中では繋がっているわけですが、その分岐点は確実にあの日にあります。

このチャンネルで最初にアップした動画(サクゲキ大学校歌)の中で「ギョーカイ仕事が長すぎて、遊べる場が欲しくなったの」という歌詞が出てきますが、あれは紛れもなく本心です。ただし「ギョーカイ仕事が忙しくて大変なので、息抜きや気を紛らわせるような小休止できる場がほしい」という意味では全くありません。岡田さんよりもはるかに長く生きてきてしまった今、当時には見えなかった景色が(とりわけギョーカイ仕事というものの本質が)残念ながら現在の私には見えており、その上での発言です(多くの方に伝わりづらいことは承知していますし、そのことで混乱される方がいらしっゃるようでしたら申し訳ないとも思っています。いずれにせよ「濁す」ことで維持できる、発信できる情報というものも確実に存在するとの考えです)。

これからも思いつき且つ雑多な動画をアップしていくかと思いますが、決して「肩の力は抜かず」に「ルールに縛られることを大切」にして「本気の遊べる場」にしていければと考えています。それこそが、時に不誠実の極みと言わざるを得ない状況を呼び込んでしまうギョーカイ仕事(個々人レベルでは誰もが誠実なのに集団化することで発生してしまう諸問題。また「映画」や「TVドラマ」という単語に内包される「憧れという名の呪い」も含めての悪質な事象)への重要なカウンターであり、ギョーカイ仕事と向き合い日々苦しんでいる方々やこれからギョーカイ仕事と対峙するお若い方々にとっての価値あるエールになると信じています。

今回の解説は以上となります。
引き続き、当チャンネルをどうぞよろしくお願いいたします。
取り急ぎ、ではでは!

#utamaru