「なめたらいかんぜよ」夏目雅子『鬼龍院花子の生涯』

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『鬼龍院花子の生涯』

あらすじ
「土佐に熱血の志士は出ても男稼業の侠客は育たぬ」と言われた高知で、大正4年春、鬼政こと鬼龍院政五郎は九反田上市場の納屋堀に男稼業の看板を掲げた。大正7年春、子だくさんの白井家に生まれた数え年12歳の松恵は、弟の拓(ひらく)と鬼政の家にもらわれるが、拓は翌日逃げ出し、松恵だけが養女となる。松恵は子分たちのいる主家の向かい家で、正妻の歌、妾の〆太、笑若、つると暮らすことになった。

翌年、18歳のつるが妊娠し、長女・花子を出産。鬼政は初めての子に喜ぶが、〆太、笑若は家を去る。学業優秀な松恵は、学費の工面に苦労しながら女学校に進学するが、歌が腸チフスで死去。鬼政は労働運動家の安芸 盛(あき さかん)を迎えて高知県初の労働者組織を発足させたが、高知刑務所から出所した安芸が松恵と結婚したいと聞くと激怒し、安芸の小指を詰めて決別する。松恵は鬼政に体を求められて逃げ出し、絶望するが、昭和2年、念願の小学校教員となり、自活する。

鬼政は高知のやくざ荒磯と相撲の興行権を巡って対立する。花子は鬼政と家事の苦手なつるに甘やかされ、わがままに育つ。松恵は鬼政の姉・加世の下宿人で京大に進学した田辺恭介と文通を始め、卒業後の結婚を約束する。荒磯は鬼政の家をダイナマイトで爆破。鬼政の子分たちが報復に向かうも荒磯を討てないまま、鬼政ともども逮捕される。松恵は自主退職を余儀なくされる。

鬼政は服役。地元の名士・須田保次郎からも絶縁され、鬼龍院家は衰えていくが、花子のわがままはあいかわらずだった。松恵は大阪で技芸学校の舎監に就職し、田辺恭介と結婚しようとするが、獄中の鬼政、田辺の両親から反対され、別居する。昭和11年3月、出所した鬼政は松恵を呼び戻す。鬼政は衰えた鬼龍院家を建て直そうとするが、中風に倒れる。方々に借金をしたあげく、昭和15年1月、再び倒れ68歳で他界する。松恵は高知を出ようとするが、神戸の山口組に挨拶にいったつるが39歳の若さで急死する。

つるを看取った山口組の権藤哲夫と花子が急遽結婚し、鬼龍院家は代替わりする。松恵は再び家を出ようとするが、神戸に行く権藤から留守を頼まれる。8月、権藤は浅草で抗争事件に巻き込まれ死去。遺骨を届けに来た山口組の辻原喜八郎は花子に手を出し、二人の結婚が決まる。9月、花子は神戸に移り住む。松恵は仕送りをする条件で田辺家から結婚を許され、高知に念願の新居を構える。昭和18年1月、花子は長男を出産するが、祝いに行った松恵は散らかり放題の屋敷にあきれる。終戦後、田辺が故郷の徳島で脳溢血で急死。葬式に駆けつけた松恵は、田辺の父親から罵倒されるが、密かに分骨した夫の遺骨を持って高知に戻る。鬼龍院家は瓦解していた。昭和25年、松恵は地元の裁縫女学校の教員となる。翌年、辻原に捨てられた花子と長男・寛が帰ってくる。素行の悪い寛をよそに預け、ようやく花子は働きだすが、仕事が続かず、職を転々とする。

昭和39年、58歳の松恵は再び上京して学校で学ぶことを決意する。準備を進めていた3月16日、旅館の女中として働く花子が心臓麻痺で45歳で死去。上京する前日、松恵は花子の遺骨を墓所に葬り、本名の林田ではなく、「鬼龍院花子」と書いた卒塔婆を立てる。鬼龍院家の盛衰を見届けた松恵から花子への手向けであった。

監督 五社英雄
脚本 高田宏治
原作 宮尾登美子
製作 奈村協・遠藤武志
製作総指揮 佐藤正之・日下部五朗
出演者 仲代達矢
夏目雅子
音楽 菅野光亮
撮影 森田富士郎
編集 市田勇
製作会社 東映・俳優座映画放送
配給 東映
公開 日本の旗 1982年6月5日
上映時間 146分