東京オリンピック・パラリンピック開催について様々な意見が飛び交う中、五輪に3度出場経験のある、陸上元日本代表・為末大さんにお話を伺いました。
放送出来なかった部分も加えたインタビュー“ロングバージョン”です。

Q:東京五輪、パラの開催についてどうお考えですか
為末:私は、引退はしているんですけど周りに選手も多いですし、出来ることなら開催して欲しいなという風に思っています。
判断はとても難しいだろうなという印象ですね。すでに引退した選手、何人もいますけど1~2年経つと今のピークの選手達、ずれてしまうんですね。
そうするとその選手達は次の活躍が難しいと思うので、1年なんとかずらしてきた選手達がそこでパフォーマンス、発揮させてあげたいなと。それは国内外含めてですね。

Q:そんな中でもリスクあると思いますが
為末:リスク軽減するために、例えば選手がまったく選手村から出ないようにすると選手村はかなり閉鎖的というか、(海外から)来た選手は全く日本の方と触れ合わないで帰るのも理屈上では可能なので、選手を完全に囲ってしまう方法もありますし、あとは『無観客』ですね。いくつかやっていくとリスクをゼロにはできないけど随分減らしていくことは可能で、そこは模索した方が良いと思います。

Q:元アスリートの目線として開催するかどうかはいつまでに決めるべきなんでしょうか
為末:去年だったら早い方が良いと思っていましたが、今年に関してはいつでも良いと思います。
選手達も半分くらいは覚悟していて、それを考えるとトレーニングも続けられないので、「今日」を集中してやっている感じだと思います。
ですから、ダメになったという瞬間にそこでストップする話なので、あまり気にしていないんじゃないかと思いますね、選手達は。

Q:すべての国が万全じゃない状態で結果を残すのは、選手にとってはどういう思いでしょうか
為末:難しいところですね。恐らくモスクワの時のメダリストが似たような印象をもっているんじゃないかと思います。
西側諸国がいない中でのメダリストで、それって本当のメダリストなの?と思われていると思うんです。
同じように今回も多分先進国の比率が高くなる、全て(の国)が出場できない場合。それって本当の世界一なの?っていうことも思われる可能性あると思います。
ただ、それが本当に9割以上が参加できないみたいな状況だと、選手達としてもやる意味あるの?という感じだと思いますが、例えば(出場しない国が)2~3割だとしたら五輪の理念、全ての国の選手、開かれて、ということからすれば、ずれているかもしれないけどそれなりに試合は成立するかなと思います。

Q:そんな中でも開催されなかったらアスリートはどう思うでしょうか
為末:辛いでしょうね。これが最後の選手結構いますから。想像がつかないですけど・・・とりあえず死ぬまで何か思うでしょうね、このことを。
本当にそのために競技人生を賭けてきて、最後の五輪だと、しかも地元日本でやれるオリンピックで日本の代表として出られるんだって思ってた選手にとってみると、相当辛いことだろうと思います。
ただ、この条件が揃わないと開催できないと思うなら、とっくの昔に開催できない、昨年の時点で決めていた方が良いんですね。
その完璧な五輪と、開催しないという間のグラデーションをずっと世界中が探ってきている中で、常に何かが欠損していることを想定した上でないと、五輪は開けないと思います。
だから、それをどこまで、何を諦めるのかというのやっていて、その中で体裁を保っていくということだと思うんですけど、本質的に考えるとどこまで削って五輪らしさがなくならないかという問いだと思っていて、例えば2か国でやったら五輪じゃないじゃないか。とかそういうことが起きてくると思います。まさに我々が、世界中が今考えているのが、一番五輪の中核にある価値を残した状態でなるべくコロナに合わせた形をとっていこうというのを考えていて、その中には平等性、公平さもありますしいろんなものがありますけど、その価値とのせめぎ合いなんじゃないかと思います。
私は公平さは大事な価値だと思っているので、選手がなるべく良い状態で出て欲しいですけど、明らかにコンディションに違いがありすぎる場合は大会としては成立しても、選手達のパフォーマンスは厳しいんじゃないかなと思います。

Q:開催について、アスリートとしての自分と一国民としての自分は意見分かれますか
為末:若干違いますね。アスリートのOBとしての視点だったら開催して欲しいですね。それは、本当に自分が、本当にこがれていた舞台なので同じように目指している選手達に経験させて欲しいし、私の考えだとリスクは最小にできるんじゃないかと思っていて、その上でやりましょうというコンセンサスも、世界中のアスリートやスポーツの協会ととれるんじゃないかと思うので開催して欲しいです。
一市民としても開催して欲しいのはやや強いですけど、IOCの判断に基本的には従うので、実はその前に議論してもしょうがないが、IOCがちょっとしりごんでいるときに「それでもやりましょう」ということを日本として言って、国際的な非難を浴びる選択をしないほうが良いと思う。なので、日本で率先してIOCの決断に異議を申し立てて、ぐいって結果を変えるようなことをやった時の国際世論の影響を考えるとそれは、そこまでしなくて良いんじゃないかなという気はしています。基本やって欲しいとは思っていますが、失うものとのバランスですかね。
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